誇り高き花は遥か遠く 作:天澄
高嶺の花、という言葉がある。
彼――
春、桜吹雪が舞う外を、彼は窓から見つめる。視線の先には一組の男女。しかしその距離感は決して恋人同士のそれではない。
女性の方が自然体なのに対し、男性の方は緊張しているかのように表情も、動きも固い。
異性への告白、青春の一幕。それを覗くなど、随分悪趣味なことだと、修也は自嘲する。
けれどそれでも、修也は覗き見をやめることはなかった。
その理由は、告白されている女性の方にあった。
スラリと芯の通った立ち姿。風に靡く白銅色の髪に、強い意志を秘める藤黄の瞳。白のブラウスと黒のガウチョパンツに、肩にかけたデニムジャケットが勇ましさを演出する。
可愛らしい女性というよりは、美しく格好良い女性である、と彼は内心で評する。同時に、評価など上から目線にも程があると自嘲も。
彼の知っている限り、どちらかと言えば彼女は同性に人気がある。だからと言って異性から人気がないわけではなく、こうして告白されている場面を見るのは珍しいことではなかった。
事実、彼はそんな光景を一年次から何度か見かけていた。そしてその度に思うのだ。自分にはできない、と。
彼は少し視線をズラして、今度は男の方を見る。彼はその男性について、そこそこ有名な男だと記憶していた。
人当たりもよく、また顔立ちも整っている。サークルではテニスやっていて、運動もできるためにかなり人気があるのだったか。
そこまでいけば、あれだけの美人に告白するだけの勇気を持てるのだろうか、とそこまで考えて彼は溜息を吐いた。
そもそも、自分には相手が美人かどうか関係なしに告白する勇気がないではないか――そう思いながら、彼は自らを振り返ってみた。
ユニクロで買ったTシャツに、安物のジーンズ。髪型は整髪料での整え方がいまいちわからず寝ぐせを直しただけであるし、そんな状態で染めてみる気もしない。野暮ったい黒縁メガネなのも、コンタクトは異物を目に入れるようで怖かったからだった。
そうやって自身を振り返ってみて、彼は何とも情けない男だとまた自嘲した。
正直なところを話せば、彼は今告白されている女性が好きだった。だから無論、告白されている場面など見ていて嫌な気分だった。
かと言って見かけてしまったら、それを見ないという選択肢が彼にはなかった。もし彼女が誰かと付き合ってしまったら、そう思うと見らずにはいられないのだ。
そしてついフラれてしまえと願ってしまう自分自身が彼は嫌いだった。告白すらしていない自分がそんなことを思う資格などないと理解しながらも、彼はそう思わずにはいられなかったのだ。
好きな人がいてもそのために動けないみみっちい自分が嫌で、思わず大きな溜息吐いた時、告白現場が動いた。
女性の方が少しだけ申し訳なさげな顔をして、頭を下げてから立ち去っていく。そして残された男性の方は一度目元を拭ってから空を仰いだ。
それを見て、告白は失敗したのだと理解した彼は、条件反射で安堵の溜息を吐いて、自分をまた嫌悪した。
「……随分と趣味が悪いことだな」
そうして延々と窓の外を覗き続けていた彼に、突然声がかかる。嫌なところを見られた、と一瞬彼は顔を顰めて、しかしその声音から信頼できる知り合いであることを察して少しだけ安心してから後ろを振り返る。
そこにいたのは、一人の女性だ。ライダースジャケットに、スキニージーンズ。長い黒髪を後ろで束ね、メガネをかけていることもあって理知的に見える彼女は、修也の大学からの友人である
女性にしては背が高く、170cmの修也よりも3cmほど上だ。また服のセンスもあり、それが格好良さに拍車をかけている。何故自分と友人をやっているのだろうと彼が疑問に思う程度には、美人なのが静奈という女性だった。
「自覚してるよ、趣味が悪いことも、情けないことも」
「常々君のそういった自らを卑下するのは悪い癖だと言っているが……まぁ、今回ばかりは同意せざるを得ないな」
静奈からの容赦のない指摘に、彼は思わずうっと声を漏らした。なまじ自覚しているためにそのダメージは大きい。
軽くよろめきながらも、悪いのは自らであるために静奈を責めることもできず、彼はただ胸を抑えることしかできなかった。
そんな彼を静奈は鼻で笑いながらも、少しだけ悲しみの宿った視線を向けながら口を開く。もっとも、そんな視線を向けられていることに肝心の彼自身は気づくことはなかったのだけれども。
「
「な、なんだよ……」
静奈は唯一彼の好きな相手を知る人間である。そんな彼女の含みのある言葉に、思わず若干睨みながら彼が問い返せば、いや、と軽く笑みを浮かべてから静奈が言葉を返す。
「随分と高嶺の花に憧れたものだな、と思ってね。彼女、確か少し前まで人気だったバンドのボーカルだろう?」
そんなこと自分自身が一番分かっている。そうつい小声で静奈に反論しながらも、彼の脳裏に浮かぶのはネット上に残されていた彼女――湊友希那の歌う姿だ。
Roselia、という彼女が高校生時代にやっていたバンド。彼は湊友希那という女性を知ったのが大学に入ってからであったため、直接ライブを見たことはないが、それでも動画で見ただけでもわかるほどに気高く美しい歌声であったと思っている。
「確か、今の実力では満足できないからと、修行期間として活動休止に入ったそうだね。何ともストイックなことだよ」
「そこまで本気になれるっていうのは……俺は凄いと思うよ」
静奈の言葉に、ポツリと彼は返す。彼自身はそこまで何かに本気になったことはない。やりたいこともあった、本気になりかけたことだってある。だけどいつだって、彼は失敗した場合を恐れて一歩踏み出すことがなかった。
そうやって情けなく生きてきて、趣味と言えるのはアニメや漫画のサブカルチャーに手を出すことだけ。それだって、漫画や小説を書いてみたいと思い、誰かに見せることを恐れてやめた名残りでしかない。
だから彼は。そんな自分とは違う彼女に――。
「――彼女に憧れた、といったところかい?」
「……そうだよ、悪いか?」
思考を読んだかのような静奈の言葉に、若干の気味の悪さを感じながらも普段から何もかも見透かしたように喋ることが多いため、そこまで気にせず彼は不貞腐れたように外を見る。
既にそこには誰もおらず、ただ桜が風に乗って空へと舞うだけ。いつかは自分もあそこで誰かに告白する日が来るのだろうか、なんてことをふと彼は考える。
無論、相手は心を寄せる湊友希那という女性ただ一人。自分から、好きだという言葉を絞り出して。そして彼女から、それに対する返答があって。
そこまで考えて、彼は首を横に振って思考を振り払う。想像の中ですら、彼女の返答を聞くのが怖い。なまじ断られる自信しかないため、なおのこと想像の中で返ってくる答えは決まっていそうで、聞いてしまうのが怖かった。
これ以上そんな想像をしないように、代わりに彼は別のことを考える。それはずっと、疑問に思い続けていたこと。
「……何であの人はこんな大学に来たのかな」
「ふむ……それは私も気になるところだな」
首を傾げる静奈を見て、彼は珍しいと呟く。彼は静奈を賢くはなくても、博識ではあると認識していた。故にこうして静奈に知らない事実があると彼はつい、意外だなと思ってしまう。
それに静奈が私は何でも知っているわけではないのだぞ、と返して、それに彼がそれもそうかと返すまでがテンプレート。
「今回に関しては個人的な事情の話だしな。知り合いでもない私では情報の得ようがない」
「まるで知り合いだったら知っていたみたいな言い草だな……」
「それは当然だろう、気になるからな」
包み隠さないやつだ、と彼は呆れる。静奈のそれは相手によっては嫌われる要素であったが、少なくとも彼にとっては付き合いやすい要素だった。
だからこそ彼は疑問だった。何故そんな静奈が、気になっているのに直接本人にこの大学を選んだ理由を聞きに行きかないのかが。
この大学は都内にある文系の、学力も可もなく不可もない普通の大学である。バンドを続けているならともかく、修行のために活動休止しておきながら音楽系の大学に行っていないのは大きな疑問だった。
それは学生間でよく出る疑問であり、そんな疑問を静奈が放置しているというのはどうにも彼には珍しく感じたのだ。
「私が、本人に聞きに行かない理由かい?」
それを彼が静奈へと直接問うたところ、返ってきたのは次のような言葉だった。
「単純に、私が聞いても答えてもらえないだろうというのもある。大学で噂になるほどに、その答えを知っている人が少ないんだ。親しい人にしか話していないんだろう」
だけどね、とそこで言葉を置いた静奈は、コンコンとドアをノックするかのように、彼の頭を小突いてくる。
どこか小馬鹿にしているかのようなその行動に、彼は思わずその腕を払って静奈を睨み付けるが、静奈の方は呆れたように溜息を吐いて、同じく呆れたように言葉を吐いた。
「私はね、君自身が湊さんに問うべきだと思うけどね。だって、好奇心からの私よりよっぽど君の方が気になっているだろう?」
「それは……」
痛いところを突かれた、と思わず彼は視線を逸らす。そりゃ好きな相手の事情だ、知りたいに決まっている。
けれどだからこそ、下手に聞いて嫌われたくないという思いがあって聞くことができない。
そしてそれ以上に、単純に親しくない相手と話すというのが、もう彼にはハードルが高かった。
「……とはいえまずは、君のコミュニケーション能力を改善するところから始めないとマズいか」
そしてそんな彼の思考を読んだのか、静奈がそんなことを呟くようにして言う。それに勘弁してくれと言わんばかりに彼が顰め面をすれば、眉間に皺を寄せながら静奈は大きく溜息を吐いた。
「はぁ……まぁ、いい。よくはないけれど、とりあえず置いておこう」
そう言って静奈は今時珍しい懐中時計を取り出して、時間を確認し出す。それに釣られて彼もスマートフォンで時間を確認すれば、なるほどと静奈が一旦話題を置いた理由を理解した。
「君、三限はあるのかい?」
ある、と頷いて教科名を告げればあれか、と得心したように静奈は頷いてみせる。
「それなら私が去年受けて、メモを取ったプリントも保存してある。プリントさえ復習しておけばテストも合格ラインまでは解けるよ」
「それ本当か? だったらそのプリント見せてくれ、お礼はするからさ」
「ああ、明日にでも持ってくるよ。だから早く君は教室へ行くといい。あの教授は早めに教室に来て、プリントを配布するからね」
そんな静奈の言葉に甘えて、彼は静奈へと礼を告げてから教室への移動を開始する。教室はさして遠くはなく、また時間自体も静奈のおかげで多少余っている。
とはいえ早めに行けとこの段階で静奈が言うのであれば、と彼は少しだけ早歩きで移動していた。
そうして彼が教室へと足を踏み入れれば、ちょうどより教壇に近い別の入り口から教授がプリントの束を抱えて入室してくるところ。
なるほど、静奈に従って正解だったと彼は教壇前の席へと座る。悲しいかな、彼の視力はあまりよくなく、教壇から遠い席だと板書が見えない。
加えて、知らない人が隣になるというのが苦手でもあったので、彼は大体教壇に一番近い席へと座るようにしていた。
あとはプリント配布の時、教授に直接受け取りに行く形の場合楽というのもある。なんてことを思いながら彼は立ち上がり、すぐ近くの教授からプリントを貰って席へと座る。
やっぱりこの席は楽だよな、なんて思いながら彼がざっとプリントに目を通していると、視界の端に動く影。
たまにであるが、真面目な学生が教室前方の席に座ることはあるのだ。今回はそのたまにを引いてしまったか、なんてガッカリしながら彼はチラリと横を盗み見て。
「――ッ!」
思わず、彼は立ち上がりかける。驚きのあまりプリントがその手から滑り落ちた。
彼の隣に座ったのは一人の女性。白銅色の長髪に、ブラウスの上から羽織ったデニムジャケットとガウチョパンツ。
プリントを見つめる横顔すら美しく、思わず彼は椅子から軽く腰を浮かせた状態で固まってしまう。
――彼と一つ離れた席に座る女性。それは、彼が恋する湊友希那であった。
僕は大学生パロとか大好物です。