鬼の頭領の独白
世界とは時に残酷である。
見渡す限り全てを地面で埋め尽くされた空を見上げながら、私はそう思わずにはいられない。
そうだ。この地底の世界に住むことになったのも、数々の悲劇が起きたからだ。どうにもならない現実と、信じていた者達に裏切られた絶望が、私をこの世界に追いやった。
私は弱い。運命を覆せるほどの力も持たない………。術はあるが、それは所詮紛い物の力。私本来の力ではない。身に余る力は己を滅ぼしかねない。だから私は本当に差し迫った時にしかその力を使わない。
そして借り物は借り物。それを上手く扱う頭も器も持っていない。だから私はいつも間違える。
「おーい
「……勇儀ですか。いえ、何でもありませんよ………それより酒盛りでしたか。ええ構いませんとも」
「そうこなくちゃ!」
ああ…………またしても世界は私に試練を与えてきます。ちっぽけな私を嘲笑うかのように、現実は脅威となってやってくる。
私は小さな存在…………弱き者です。強き者に媚び、卑しく賤しく生きようとする小動物。寄生虫のようなもの。それでいて強き者に常に己の命を握られた存在。彼等の気が変われば私は一瞬でゴミのように棄てられ、殺される。
「相変わらず空を見ていたのかい? いくらここが一番高い場所だからって、地上の空は見えないだろうに」
襖を開けて窓の縁に腰掛けて黄昏ている私に話し掛けてくる彼女。星熊勇儀が私の前まで来て壁に寄り掛かる。
チラリと彼女を盗み見て、私は内心で大きなため息を溢した。
上は体操服に、下は薄く透けて見えるスカートとブルマ。目の覚めるような明るい金髪に、人と比べてかなり高い身長。
性格も姉御肌で気前も良い。指摘するところと言えば、嘘が嫌いなことと約束には容赦しないこと。
そこまでは良い。そこまでなら私は特に何も思わない。それだけなら私はこうして重い気持ちになら無い。
その額に、鬼の象徴とも言える一本の赤く星の模様の角が生えてなければ。強き者を好み弱者を忌み嫌う、私にとって最悪の性格がなければ。
私はここまで頭を痛くすることはない。
「さあ今日も飲み比べだ。いつも負けっぱなしだからね。今日という今日は勝たせてもらうよ」
「………また飲み比べですか。私はゆっくりと飲みたいんですが」
「そりゃ無理だ。鬼は飲みと喧嘩が生き甲斐なんだ。それを取り上げるとあっちゃぁ母さんでも許さん」
少し私が愚痴を吐き出せば、直後に溢れる妖気。それは彼女にとってほんの些細な………少しの嫌悪が無意識に出した妖気なのだろう。
しかし彼女にとってみれば僅な妖気でも、私にとって見れば天災だ。ソレに当てられた私は恐怖で唇が震え、背中の冷や汗が止まらなくなる。
「ご………ごめんなさい」
「あ? 何謝ってんのさ。上の者が下の者に弱気でいちゃいけないっていつもあれほど………いや、もうこの話は何度もしたか……」
「ですが私は……」
「母さんは私よりも強い、鬼の首魁なんだ。地底のトップがそんな弱気でどーすんだい」
そんな弱い私が。鬼の中でも一、二を争う強さの勇儀に…………いや、彼女よりもさらに弱い下っ端の小鬼にすら負ける私が。
この酒呑童子と言う名前の私が、ただの酒を呑むだけでそれ以外に何の取り柄の無い私が、何故か鬼の頭領の座にいるのだ。
おかしい。私はいつも思っているこの考えを未だに止めることができない。
何故私なの? 他にいるでしょ? 勇儀とか萃香とか鬼の四天王達が。
「…………なら、私ではなく勇儀が頭領になれば良い」
「何言ってんだい。鬼の頭目は一番強い奴がやらないと誰もついてこない………私がやったところで、他の奴等は誰もついてこないさ。私より強いかあさんがいる限りね」
そう。おかしな原因の一つがこれ。地底に住む他の鬼や妖怪達が、何故か私のことを強き者と勘違いしていることだ。おかしいでしょ? でもこれが現実なんだよ(死んだ目)。
そもそも私は弱い。一応私は鬼と呼ばれる種族に入るのだが、鬼と思えないくらい致命的に弱いのだ。それなのに私は鬼の頂点に据えられている。←ここ重要。
もうかれこれ1000年以上は経ったらしい。私が鬼の頭領として祭り上げられてから今日まで、誰一人として私のことを弱いと指摘してくれない。そのせいで私は未だに鬼のトップだ。
え? 自分から話せば良いじゃないかって? それができたら苦労はしないんだよ!!
部下達が集まる中、注目された状態で本当のことを告げてみろ! 鬼は嘘が嫌いだ。偽りも狡いことも嫌いだ。そんな彼等に、私が千年間騙していたことを告げてみろ。その瞬間、私は全員にボロ雑巾のように袋叩きにあって死ぬのが落ちじゃないか!!!
ゼー……ハー……ゼー……ハー……
私は一体何に怒鳴っているんだ。いや、そんなことは良い。それよりも解決すべきは私の現状である。
何度も言うが、私は脆い。鬼とは思えないほど弱く脆い。どれくらい脆いかと言うと、例えば……。
「おいコラ、さけがなくらったじょ!! もっへほい!!」
(ひっ)
私と飲み比べてベロベロに酔った勇儀が空になった酒瓶で配下の鬼をぶん殴ったその風圧で私が吹き飛びそうになっている。
私の表情筋が死んでいるせいか感情は全く顔に出ることはないが、内心は恐怖でガクブルである。仮にもし私が間違ってあの酒瓶に当たっていたら、全身が肉片となって飛び散ったことだろう。
そんな天災のような存在が私の周りに居座り続けているのである。しかも沢山。死神がお迎えに来ている処ではない。死神が殺意剥き出しで私の首に鎌を当てて殺そうとしている寸前である。
ありがたいことと言えば、私の知っている死神が仕事のサボり魔であることか。私は未だに鋭い刃先を当てられながら日々を生活しているのだ。
ありがとう
「むにゃ………まけんひょぉかあさぁん……」
「ようやく酔い潰れましたか………」
目の前に広がる光景は死屍累々の鬼達である。酒で潰れたもの。喧嘩で倒れたもの。勇儀の理由の無い暴力でノされたもの。
私以外の鬼達は全員に意識が無くなっている。私だけが奇跡的に無事でいられている。
一瞬、甦る悪夢。この光景は嫌と言うほど見たことがあるが、それでも私は昔の事を思い出してしまう。
いや…………よそう。過去の事を思い出しても私のストレスが溜まる一方だ。ただでさえ日々のストレスで胃に穴が空きそうなのに、これ以上ストレスの原因を増やして堪るものか。
私はいつこの地底から脱出出来るのだろうか。何故か知らないけど、地上の世界と地底の世界ではお互い不可侵条約を結んでいて地底から出ることも出来ない。誰が作ったこの条約。
助けてください。もう耐えられません。いつ些細な事で鬼の誰かに殺されるんじゃないかと気が気じゃないんです。
「んぬぁ」
「ひぃっ!?」
ほらぁ! 勇儀が寝返りしたら地面に拳がめり込んだよ!? 寝返りでこの威力だよ!? てか今太腿カスったから!!
ああ……あれもこれも全ての原因は私が持っている変な酒のせいである。
物心付いた時から片時も私から離れないこの酒のせい。
…………でもなぁ。このお酒のお陰で死んでないのも事実なんだよねぇ。だから捨てるに捨てられない。持っているだけで事態が悪化するのに、捨てたら死ぬかもしれないとか悪徳商業より質が悪い。
私が持つ瓢箪。この中にあるお酒には特別な力がある。
それは飲むだけで力が何倍にも膨れ上がると言う特別な力だ。このお酒のお陰で、私は数多の鬼達から強いと勘違いされているのである。
……この言葉だけ聞けばとても良い物に思えるがそうではない。
まず、このお酒の製造法がわからないので飲み続ければいつかは無くなってしまう。つまり限りがある偽りの力なのだ。
加えて、力が強すぎるあまり飲み過ぎれば酔い潰れてしまうのだ。一滴舐めるだけで私はそこらの鬼と同等かそれ以上に、二滴舐めれば大妖怪ともひけを取らない強さになれる。しかしその反動で一滴でほろ酔い状態に、二滴で記憶が無くなる。
もし並々注がれた盃一杯分など飲めば、一体どうなってしまうのか…………恐ろしすぎて試す気にもならない。
飲まないと私と言う金メッキは簡単に剥がれ死ぬ運命しかないのだが、これに頼り続けていればその内酒が無くなる。
日常が常に綱渡りだ。落ちれば、深い谷底に真っ逆さま。
「…………」
一瞬、落ちる自分を想像しただけで気分は最悪だ。ストレスで胃に孔が空く。さっき飲み食いしたもの全てぶちまけそうだ。
嫌だ。死にたくないぃ。誰でもいいから助けてぇ…………。
華扇は何処に行ってしまったの? 透花は? 何故居なくなってしまったの? 早く帰って来て、私をここから出して華扇、透花ぁ………