酒呑物語   作:ヘイ!タクシー!

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新章スタートさせましたけど、まだ連続投稿する気はありません。てか出来ません。
今のところこれも含めて何話か書きましたが、取り敢えず一万文字越えてしまったこの回だけ載せておきます。


地底と幻想
星熊の後悔


「酒呑! 酒呑ッ!」

 

かつて妖怪の山一の美女と言われたその姿はもう何処にもなかった。

 

「グスっ……酒呑様ぁ……」

 

誰よりも強くて、鮮烈で、輝いていて。

なのに何処か儚げで、華奢で、消えてしまいそうだった。

 

「なんで……なんで、死んじまったんだよ酒呑ッ! こんなんでお前さんが死ぬなんて……」

 

誰よりも鬼らしく。それでいて誰よりも鬼っぽくなかった母さん。

 

私や萃香、天魔といった並み居る妖怪を倒し、最強の鬼として妖怪の山に君臨していたあの母さんが…………

 

人間に騙され、約束を破られ、卑怯な手段で殺された。

 

母さんの亡骸を華扇が泣きながら抱き締めている。遺体に縋り付くように透花の奴がすすり泣いている。ピクリとも動かない身体を見下ろして萃香は悲しそうに毒づいている。

 

もしかしたら寝てるだけかもしれない。何時もみたいにふて寝して、私達の呼び掛けにわざと応えないのかと。

 

それだけならどれ程よかったか。

 

なんで、こんな事になっちまったのか。

いや………理由はわかっている。私等妖怪の山が踏み越えてはならない領分を越えてしまったからだ。妖怪としての本分を越えて、人間たちに喧嘩を売ったからだ。

 

でも、こんな事になるなんて思ってなかったんだ。確かに求めていたのは戦いだ。人間達を拐って、それを奪い返しにやって来る強くて勇気ある人間達の挑戦を受ける。それが望みだったのに………

こんな結末を望んでいたんじゃない。母さんが私達の責任を負う必要なんてなかったんだ。なのに……

 

 

母さんはピクリとも動かない。何も話すこともない。いや、何も話すことができないのだ。

華扇に抱き締められている母さんの身体。そこには、生きているものなら必ず付いている筈の首が無くなっていた。

 

鬼にとって首と頭は急所だ。例え身体に風穴が空こうが、四肢を失おうが、血を流し続けようが死なない。内臓を握り潰されようとも、心臓を破壊されようとも何とか生きていられる。

 

本来なら首も穿たれようと平気な筈なのだ。しかし、人間の妖刀でその首を絶たれたときだけは別だ。

私達妖怪にとって妖刀は最も忌むべき物の一つなのだから。

 

 

 

「……取り返さないと」

 

「華扇……?」

 

どうしようもならない現実に、どうしようもない現実に、ただただ呆然とすることしか出来なくて。

 

そんな時に華扇がポツリと呟いた。

 

「酒呑を取り返さないと………人間達から取り返さないと…………じゃないと、酒呑に………私はッ」

 

「か、華扇? 一体どうしたのさ………?」

 

母さんの亡骸をそっと床に置いた華扇は、立ち上がると、突然何処かへ歩き出した。そちらには山を下りる為に使う出入り用の門しかない。

 

そんな彼女の様子は、私が思わず声を掛けて気にするほど異様だった。

 

「人間から酒呑の首を取り返せば………」

 

「ちょいと。どこ行こうとしてんのさ華扇」

 

一番近くにいた萃香が、山から下りようとする華扇の肩を掴み、立ち止まらせようとして。

 

「触れるなッ!!」

 

「なっ……ぅぐっ!」

 

華扇は萃香の掴んだ手を払い退けると、その手を逆に掴み返して握り潰したのだ。

 

普段の萃香なら例え万力のような力を加えられようとも苦にもならない。しかし、妖怪としての能力を失った今の彼女に、鬼の力を回復させた華扇に抗う術はない。

 

ひしゃげ潰れる彼女の腕。

だが萃香の奴は一瞬苦悶の声をあげただけで、例え手を握り潰されようとも怯まなかった。

むしろ、ひしゃげた手を無理矢理動かしてもう一度華扇の肩をガッチリと掴んだのだ。

 

()てて……ったく酷いことしやがるなぁ。ただ、何処行くか尋ねてるだけだってのにさ」

 

「人間達の所に決まってるでしょ。酒呑の首を持って来るのよ。邪魔をしないで」

 

「ああ、そうかい。でも、一人で都に行くことは無いだろ? 都には妖怪退治専門の陰陽師がうようよいやがる。それに安倍晴明っ()う、かなり手練れの陰陽師がいるそうじゃないか。いくらお前さんでも一人で行くのは無茶だ」

 

先程の悲壮感は既に無くなっていた。

あるのは異様な空気に困惑する私達と、二人の殺気に似た威圧だけだ。

いや、華扇に関しては既に殺気を放っている。それこそ殺し合いを始めそうなほど。殺し合いにならないのは、萃香にその気がなくてただ華扇を止めようとしてるだけだから。

 

しかしそれは今だけで、放置していれば痺れを切らした華扇が萃香を殺しに掛かるかもしれない。それほど、彼女の殺気は濃密になっていく。

 

このままでは鬼の力をまだ取り戻してない萃香が殺されちまう。私は慌てて二人の間に割り込んだ。

 

 

「止めろ華扇! 一体どうしちまったのさお前さん! いきなりそんな無謀な………いつものお前さんらしくないぞ!?」

 

「五月蝿い! 邪魔なのよ勇儀! 大体、お前はいつもいつも私の邪魔をしてッ……!」

 

頭を冷やせと訴えても、華扇の奴は頭を冷やすどころかどんどん苛烈になっていって。

完全に、火に油を注いだ形になっちまった。

 

「そうよ……! そうよ、そうよッ!! お前達がいるから酒呑はこんな目にあったんだ! 酒呑の言葉も聞かずに好き勝手やって………お前らがいるからこんなことになったんだ!!」

 

「ぐあっ!?」

 

彼女の妖気が溢れたと気づいたときには、私は近くの壁まで吹き飛ばされていた。

衝撃で肋骨の骨が砕け、肺に突き刺さりやがる。咳き込んでる場合じゃ無いってのに、気管に入り込んだ血が逆流する。

 

視界の端で華扇が其処らで寝っ転がってる鬼達に近付いてるのが見えた。

あいつらは、確か…………母さんが人間達に差し出した鬼達である。

 

「コイツ等はもっと赦せない。こんな奴等のせいで酒呑は……」

 

「止めろ華扇!」

 

肉が潰れた音がした。

何度か聞いたことある聞き慣れた音。しかしいつもより生々しく、生命が潰えたようなおどろおどろしい音。

 

華扇の意図に気付いて止めようとした時には、既に彼女はその手を振り下ろしていた。

その手を休めることなく振り下ろし、確実に鬼達の頭を潰していった。

 

 

「本来なら、天狗や河童、四天王のお前達だって殺してやりたいわ」

 

華扇の奴はそう言うと空に上がった。

血走ったような目で上空を何処か遠いところを見つめ、危うい雰囲気のまま私達の傍から離れていく。

 

「大っ嫌いだったよ」

 

最後に一度だけ私達の方へ振り返り、華扇はそう言い捨てて去っていった。

 

 

「華、扇……」

 

 

 

 

 

彼女はそれ以降帰ってこなかった。

 

あの時何がなんでも華扇を追い掛けたかったが、妖怪の力を失っていた私達に彼女を追い掛ける力は残っていなかった。

ある程度回復して都に攻め入った時には、既に華扇の痕跡は欠片もなかった。

 

酒呑に続き華扇も居なくなって悲壮感に包まれた妖怪の山だったが、残念ながら悲しみに暮れている余裕はなくなっていく。

 

あの日以降、人間達が絶えず山に攻め込んで来たのだ。

 

それも正々堂々ではない。陰陽師共が作ったらしい結界に力を制限され、力の無い小妖怪やまだ幼い妖怪を拐っては誘き寄せて罠に嵌める。

況してや奴等は私達を完全に根絶やしにするために、私達妖怪の山以外で徒党を組む妖怪達と手を組みやがった。

 

妖怪の山は最強だ。自惚れでも何でもない、単純な事実だ。

それでも敵対こそしないが、仲間にはならずにひっそりと暮らしていた妖怪は山ほどいる。

奴等は私達に……もっと言えば妖怪最強と誰もが認めた母さんに最初から敵わないと恐れたから。戦わずに逃げた臆病者達だ。

それでも、奴等は虎視眈々と最強の座を狙っていたんだろう。

 

母さんが死んで、勝手に自分達が強くなったと思い違いをした勘違い野郎共。奴等は今が好機とばかりに妖怪の山以外の妖怪や人間達と手を結び合って、攻め込んで来た。

 

勿論、そんな臆病者や卑怯者達に滅ぼされる私達ではない。全員返り討ちにしてやったさ。

だが、私達の被害も甚大だった。弱い妖怪こそ前線に出ず死んだ奴は余りいなかったが、力に覚えのある奴等は大概死んだ。

 

妖怪同士の争いは醜いものだったさ。

頭を失った組織や元からいない集まりなんて、所詮有象無象、烏合の衆でしかない。

仕切る奴がいない集団の争い。戦争と呼ぶにはあまりにもお粗末な戦い。単なる殺し合いだ。

 

誰が味方で誰が敵かもわからないような戦場では多くの被害が出た。天魔が束ねる天狗達こそ善戦していたが、それでも全体から見れば数も少なく、所詮焼け石に水だった。

 

漸く馬鹿な奴等を殺し尽くした頃には、狙ったように今度は人間達が攻め込んでくる。

 

妖怪の山はボロボロになった。殆どの妖怪が死んだ。河童も鴉天狗も、鬼だって死んだ奴より生き残ってる奴を数えた方が早いくらいに死んだ。

 

 

 

妖怪の山に新たな大将が必要だった。取り仕切る誰かが、現状を打破できる頭が必要不可欠だった。

そうしなければ母さんが作った妖怪の山は滅び、失われてしまう可能性があったから。

 

 

透花は強いが、群れを引っ張ると言う意味では消極的だ。鬼にしては珍しいほど、自己顕示欲がない。だから彼女は自分から辞退した。

 

萃香は最も適正のある鬼だったが、本人が大将になることを嫌がった。例え母さんの物だったとは言え、お下がりの、しかも自分自身が奪ったわけでもない物を貰っても嬉しくないからと。

 

だから、私がなるしかなかった。天魔もいたが、他の鬼達が納得しない。なにより、全力も出さずに負けを認める天狗達の性格が、私達鬼には合わない。

 

 

 

 

百年が過ぎた。

相変わらず、妖怪の山の被害は増え続ける。どんどん私の知っている奴等は姿を消していく。

いなくなった奴等の中には、鬼の四天王である透花もいた。

 

別に死んだ訳じゃない。ただ風の噂で華扇の話が出てきたときに慌てて妖怪の山から出ていったのだ。

元々あの二人は仲が良かったし、アイツが妖怪の山にいたのも母さんの力に惚れたから。目的もなく惰性でいただけ。切っ掛けさえあればすぐにいなくなったさ。

 

人間達は卑怯な手段で私達を根絶やしにしようとしてくる。他の妖怪達も自分達より強い私達が目障りなのか、あの手この手で私達を陥れようと躍起だ。

 

どんどん減っていく同胞達。次第に対処出来なくなり始めた人間達の侵攻。

妖怪の山全体に不安と恐れが募っていくのを私は感じた。

 

そんな時だ。最近酒浸りになって常に酔っている萃香がフラフラとおぼつかない足取りでやって来たと思ったら、移住しようというそんな提案がされたのは。

 

「なあ勇儀。私の友人がさ、妖怪が楽しく過ごせる楽園のような場所があるって言うんだ。そこに私達も行かないか?」

 

 

 

 

 

 

………あ"?

 

 

「だからさぁ、楽園だよ。桃源郷っ言ってもいい。いつまでもこんな辛気臭い所にいないでさ、私達もいい加減この地から離れて楽園を目指さないか?」

 

それ以上聞いていられず、私は萃香に掴み掛かった。萃香は抵抗もせずあっさり私に組み伏せられながらも、何が楽しいのかヘラヘラしている。

 

萃香は私と馬が合う。一番仲の良かった母さんを除けば、次に仲が良いと言えるのは萃香だ。しかし、たまにコイツとは相容れない時がある。

 

「おい萃香。冗談はそこまでにしておけよ。私は冗談が嫌いなんだ」

 

「私は好きだけどね冗談。ついでに言うと今の話は冗談なんかじゃないよ。真面目な話さ」

 

「お前………言ってる意味を理解してるのか? 移住ってことはつまり、母さんの大事なこの山を捨てるってことだぞ!?」

 

「だからぁ…………そうだって言ってんじゃん」

 

鬼の中でも飛び抜けて力を持ち、知恵も回る。尚且つその反則的な能力は、妖怪の山でも1、2を争う実力だ。

何処か飄々としているが性格も明るく、親しみやすい。

 

私が今現在最も認める者。

しかし、萃香は鬼として異常だ。嘘は吐かないが冗談は言うし、本当の事を話しているのかいないのかわからない時がある。

所々ガキみたいに飽きっぽく、そのくせ宴で酔っぱらって母さんをよく困らせていた。

つまりコイツは、鬼として誠実さに欠けるのだ。

 

そんな萃香が、母さんの形見とも言えるこの妖怪の山を捨てようと持ち掛けてきたのだ。キレないわけがない。

 

「前々から我慢してたけど、私も限界だよ萃香ぁ…………お前さんには、母さんを想う気持ちがないのかい!?」

 

「ある。勿論あるさ。当たり前だろう? ま、私が想うのは対抗心だけだがね。」

 

私は拳を振り下ろした。

床は抜け、衝撃は柱を折り、建物を破壊する。しかし肝心の萃香には能力で逃げられ、私の拳はただ建物を破壊しただけで終わる。

 

そんな私を嘲笑うかのように頭上から萃香が話し掛けてきた。

 

「勇儀はさ…………固い。固すぎなんだよ。真面目と言ってもいいか。とにかく意固地で、こうあるべきだと振る舞う」

 

「はぁ? そう言うことは華扇の奴に言ってやれよ」

 

「いや、アイツはアイツで結構緩い奴だよ。鬼の中でも一番頭が良いからかな。抜きどころはしっかりしている。人目を盗んでは、たまに酒呑に甘えていたしな」

 

まあ私にはバレていたが。

そう言って萃香は懐かしそうに笑うが、私にはその笑みが嘘のように見えて仕方なかった。

 

「勇儀。お前さんは約束を破られたり、嘘を吐かれるのが嫌いだろう?」

 

 

当たり前だ。

 

 

「仲間を大切にしない奴は嫌いだし、裏切りはもっと嫌いだろう?」

 

 

当たり前だ。

 

 

コイツは何を当たり前の事をさっきから口にしているのだろうか。

そんなもの嫌いに決まっている。許せるはずがない。私は鬼なのだ。約束を破るのも、嘘を吐くのも、仲間を裏切るのも全部嫌いに決まってる。それが鬼の種族ってもんだ。

 

だというのに

 

「ほら固い。勇儀は頑固で融通の利かない鬼だ」

 

萃香はそんな事を宣う。

別に固いだとか、真面目だとかが貶すような言葉ではないことはわかる。義理堅い奴、鬼の中の鬼。よく誉め言葉として言われる言葉だ。

しかし、今だけは何故か馬鹿にされている様な気がする。

いや、実際馬鹿にされているのだろう。

 

「お前だって嘘や裏切りは嫌いだろう」

 

「ああそうだよ? 嫌いも嫌い。大っ嫌いさ。でも、好きなときもある」

 

「はぁ!?」

 

もう萃香の言葉の意味が全くわからん。言っている事があべこべじゃないか。

 

「例えば、ある妖怪がこの山にいたとしよう。そいつは仲間だけどいるだけで妖怪の山に災いを起こす奴だ。もしそんな奴がいたら、勇儀はそいつを裏切って見捨てるか?」

 

「…………するわけないだろ」

 

「まあ、勇儀はそう答えるだろうね…………。じゃあさ、昔いたアイツ等はどうなんだよ。酒呑が私達を庇うときに見捨てたアイツ等。止める暇もなく華扇が殺したアイツ等」

 

萃香の質問は要領を得ない。コイツは一体何が言いたいんだ?

確かにアイツ等は仲間だった。でも、アイツ等のせいで母さんは死んだんだ。母さんもアイツ等を悪だと断じて見捨てた。だから、華扇もアイツ等を殺した。

 

「裏切り者だよ。アイツ等は私利私欲で勝手に動いて、私達を陥れるようなことをした」

 

「違うよ勇儀。それは結果論であって、アイツ等は私達を裏切ってなんかいない。むしろ、裏切ったのは酒呑や華扇さ」

 

 

 

 

 

 

…………は?

 

コイツ…………今、何て言った?

 

 

「……おい萃香」

 

「確かに原因はアイツ等だけど、奴等はただ妖怪としての本能に従っただけさ。元々、人間達に手を出しちゃいけないなんて規律は無かったしね。まあ罪になるだろうけど、アイツ等は私達を裏切ろうとしたわけでも裏切った訳でもない」

 

「…………萃香」

 

「むしろ勝手に見捨てた酒呑こそ裏切り者さ。華扇は………まあ、酒呑の命令だからってことで免除だけど。でも、酒呑は違う。元々禁止でもなかった事をしていただけなのに、人間達が攻めてきたからその責任をアイツ等に擦り付けた。ほら、立派な裏切りだ」

 

 

 

 

「萃香ぁぁぁあああああああ!!!!」

 

 

 

中に浮いている萃香を全力で殴り付ける。

霧状になって散ろうが関係ない。全てを殴り付ける勢いで奴をぶっ叩いた。

 

「ぐえっ!」

 

「ふざけるな萃香! 母さんが裏切りだと!? 母さんを侮辱するな!!」

 

散った空気ごと力で地面に捩じ伏せる。

塵みたいに手応えは無いが、それでも辺りから苦悶の声が上がった。

 

ああそうだ。萃香は酔っているのだ。悪酔いしているから、こんな馬鹿みたいな事を宣いやがるんだ。

なら私が酔いを冷ましてやる。ぶっ叩けば酔いが覚めるからな。

 

「オラァ!」

 

「ぎぐぅッ!! くそっ……そう何度も好き勝手殴られたりしないよ!」

 

私の拳と萃香の拳がぶつかり合う。

一瞬拮抗したがすぐに私が押し勝つと思っていた。当然だ。鬼の中で私に力で勝てる奴は、もういなくなってしまったのだから。

 

「侮辱してるのは…………そっちだろうが!!」

 

「なッ!!?」

 

しかし鬼随一と言われた私の力が。一度も負けたことのない私の拳が、萃香の奴に押されたのだ。

それだけじゃない。萃香は私の拳を押し返すどころか私の拳を弾き飛ばし、彼女の拳が私の頬に突き刺さる。

 

「うぐっ……っ!?」

 

視界が真っ白に染まった。殴られた衝撃ではなく、単純に力負けした事実に私はショックを受けたのだ。

 

「うそ……だ、ろ?」

 

私が力で負けるなんてあり得ない。私はあの母さんに純粋な力で認めて貰ったのだ。常に鬼らしく、鬼として正しい筈の私が。

鬼の中でも鬼らしくあろうとした私が、一度とは言え力で負けた。

 

「侮辱してるのはお前だろ勇儀!」

 

「ッ!?」

 

体が跳ねる。何てことない、萃香の怒鳴り声に体が大きく反応してしまう。

 

「お前は今、アイツ等と同じことをしようとしてるって気付いてないだろ? 意固地になって、ここから離れなきゃ滅びるだけだ」

 

「…………逃げるってのかい? 鬼の私達が」

 

ようやく絞り出せた言葉は、やっぱり萃香が言うように鬼の誇りを守るような言葉しか出てこない。

 

くだらない、ちっぽけな誇りだ。

 

「ほらまただ。そうやって鬼らしくしようとするからいけないのさ。どうせここにいても滅びるだけだよ。仮にこの状況で酒呑がいたなら、まず間違いなく逃げ出すだろうね」

 

「鬼の母さんがそんな事……」

 

「するわけが無いって? いいや、するね。酒呑は間違いなくこの環境から逃げる事を選択する…………勇儀は勘違いしてるんだよ。お前と違って、酒呑は鬼らしくあろうとしてるんじゃない。酒呑が起こす事自体が、鬼の生き様に繋がるのさ」

 

言い返せなくなった私に、萃香はこう言った。

 

「勇儀は酒呑の代わりになろうとしてるようだけどさ…………お前さんが鬼としてあろうと振る舞う限り、何時まで経ってもお前さんは酒呑に近付けないよ」

 

 

 

 

 

結局、私は萃香に説き伏せられるような形で奴が言う『妖怪の楽園』を目指した。

そして確かにそこは妖怪の楽園だった。真っ昼間から妖怪が森に跋扈し、人間達は小さな集落を作って怯えるだけで妖怪を退治するようなことは一切してこない。

 

たまに脅かすだけで畏れを得られる者達にとって、まさにそこは楽園だろう。

 

しかし、鬼にとってそれは楽園でも何でもない。ただつまらない仮初めの楽園だった。

 

自信を持って勧めてきた癖に、期待していた物じゃなかったとわかると掌を返すように謝ってきた萃香。

『でも実際妖怪にとっては楽園だっただろ? だから嘘は吐いてない』なんて悪びれもせずに舌を出して謝るその姿は、やはり鬼にしては異端と言うべきだろう。

 

本当なら約束を破ったとして激怒するべきなのだが、彼女のお陰で妖怪の山が滅びる命運を回避できたのも事実なので、私は怒るに怒れなかった。

 

そして数百年ほどその地にいた私達だが、結局その地は鬼の肌に合わずその地から離れることになる。

最近、地獄が縮小して地底の世界が空き巣になったらしい。元々私達とは別の鬼達が住んでいたため、地底は鬼にとってここより住みやすい土地と前々から聞いていた。

 

私達鬼は最近幻想郷と呼ばれるようになったこの地から、嫌われ妖怪として生きづらそうにしている妖怪達を集め、地底の底へと移住した。

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから何年経ったか。地底の旧都に移り住み、そこの元締めとして居続けて長い時間を過ごした。

地底の管理とか言う面倒な役職はさとりの奴に投げた。始めこそ私がやっていたが、やはり私は向いていないのだ。特に萃香との喧嘩以来、私はそう言うトップの座は向いていないことに気づいてしまったから。

 

元から一緒に来なかった天狗や河童と言った妖怪達は勿論のこと、いつの間にか萃香の奴も何処かへ消え去ってしまった。

もう嘗ての『妖怪の山』と、そこに君臨し続けていた酒呑を知っている者は殆どいない。

 

 

 

最近、母さんがいた頃をよく思い出す。

 

私は酒で皆と騒ぐのは好きだ。いつも酒を飲めば皆と朝まで騒ぐ。そんな宴が大好きだ。

だけど、一番好きなのは母さんと二人っきりで一緒に飲んでいた時だ。飲み勝負をしようと誘い、強いくせに飲み比べが好きでない母さんを強引に引っ張って、宴の席から離れた縁側で一緒に飲む。

 

それが一番好きだった。

 

昔母さんと一緒に二人きりで飲んでた時、母さんは言っていた。

 

『こうして皆の賑やかな喧騒を離れた位置から聴きながら、ゆっくりと穏やかに飲む………とても素敵だと思いませんか?』

 

『あん? …………私はそうは思わないけどね。酒を飲んでは大騒ぎ。それが酒の美味しい飲み方じゃないかい?』

 

『そうでしょうか? 確かにそれも楽しいでしょうが…………こうして遠くの喧騒に聞き耳を立てつつ、縁側から見える夜の景色を愛で、お酒の入った盃の重みと感触を堪能し、ツンと突き刺さる刺激的な匂いを楽しみ、それら全てを呑み干し尽くす…………』

 

『…………そんな風に酒を楽しむ奴なんて、母さんくらいだよ。大体、そんな飲み方私には似合わん』

 

母さんは鬼ではあり得ない不思議な感性を持っていた。

騒ぎは好きだが自分からは騒がない。最も腕っぷしが強いくせに腕試しなんかでは絶対力を誇示しない。

強い奴や弱い奴を差別せずに、それでいて平気で仲間を切り捨てる覚悟があって。

思慮深い癖に、だけどやっぱり仲間のためなら単純なくらい向こう見ずで、簡単に自分の命を張る。

 

鬼のようで鬼じゃない。

今思えばそんな不思議な母さんだからこそ、鬼の中でも異端と呼ばれる私達鬼の四天王達や、普通なら反りの合わない天狗や河童と言った妖怪達をも引き連れる事ができていたのだだろう。

 

誰もが魅了され、認め、従う大将の器。

そんな母さんだからこそ、私は酒呑と言う最強の鬼を尊敬していたのだ。

それこそが母さんの魅力であり、力だったのだ。

 

 

…………私にはそんな魅力も力も無かった。だから鬼の四天王や他の皆が付いてこなかった。

 

ごめんな母さん。私には母さんが守ろうとした妖怪の山を守る力がなかった。母さんが認めてくれたような鬼としての器も、魅力も、力さえも無かった。

 

母さんの愛娘の華扇も行方不明のままだ。透花も安否がわからない。萃香の奴もどっかに行っちまった。

 

だからこそ思わずにはいられないよ。母さんがあの時生きていてくれたらどれだけ良かったか。身を呈して妖怪の山を守った母さんを否定するようだけど…………それでも、あの時母さんは私達を見捨ててでも生き残るべきだった。

 

そんな意味の無いことをずうっと考えてしまう。

 

 

 

 

 

もう何年経ったんだろうか。

母さんが死んでからもう千年以上は確実に経った。私は相変わらず酒を飲んでは賭博や宴、そして大喧嘩で日々の暇を潰している。退屈で死にそうなくらいだけど、それでも一応私はまだ退屈死とやらで死んではいない。

 

まあそれも時間の問題かもしれないな。最近、どんなことに対してもつまらなく感じてきたのだ。

幻想郷では何やら騒がしい事態が色々起こっているらしいが、正直どうでもいい。結局地底から出られない私達には関係のない事だから。

 

ああ…………退屈だ。退屈で死にそうだよ。

 

何か、私を驚かせる様なことは無いかねぇ。まあ、今の私にどんなことが起きようとも驚かない自信があるが。

 

 

 

「勇儀姐さん!」

 

「…………あ"?」

 

退屈で殆ど飲むか寝るかして日々が過ぎ去っていく中、何時ものように其処らで昼寝をしていた時のことだ。

ドタドタと騒がしい足音を立てながら、部下の鬼の一人が部屋に転がり込んできた。

 

「弥吉ィ…………お前さん、私の昼寝を邪魔するったぁどういうことだ?」

 

「ひっ………い、いえ! 姐さんの睡眠を邪魔するつもりはなかったんすよ! ただ、とても大変な事があって……」

 

「大変なこと……?」

 

鬼の弥吉の奴が慌てて部屋に入って来たと思えば、何やら大変なことがあってそれを報告しに来たらしい。

どうせ、どっかの馬鹿共が喧嘩して手がつけられなくなったとかそんな事だろう。

 

そんな小さい事で私の昼寝を邪魔するんじゃねぇと怒鳴り付ければ、弥吉は焦ったように弁明してくる。

 

「違うんすよ姐さん! 本当に不味いことになっちまって………俺達じゃどうすればいいかわかんねえから、ここの元締めの勇儀姐さんに指示を仰ごうと思って………」

 

どうやら何時もの喧嘩ではない大事らしい。

一体、なんだろうか。私の仕切る賭博場で問題が起きたらしいが、胴元側が惨敗でもして賭博の金でも尽きたのだろうか?

それはそれで面白い。私は一体何が起こったのか弥吉に確認せず、自分の目で確かめようとするくらいには興味が湧いた。

 

 

 

 

 

 

賭博場は常にない活気を露にしていた。と言うのも、普段ではあり得ない宴がその場所で起こっていたからだ。

 

「おいおい……こりゃあどういうことだ? まだ宴の時間には早いだろ」

 

時間もまだ真っ昼間。そもそも賭博場を仕切る私がいない間に勝手に宴を始めるのはご法度だ。私が楽しめないから。だから普段は私が降りてくるまで宴はやらないのが暗黙の了解になっているはずなのだが…………。

 

賭博場は飲めや歌えやの大騒ぎとなっていた。

 

「ああ、勇儀姐さん! 良いところに! 俺達じゃ止められなくて……」

 

「おい。これは一体どういうことだ。誰がこんなことを始めやがった」

 

私は先程の楽しさが一転して怒りを募らせる。だが心では怒りより興奮の方が勝っていた。

 

……私を差し置いて宴を始めるとは良い度胸だ。一体、どんな馬鹿がこんなことを始めやがったのか。

 

この状況を作った元凶に興味が沸いた。

 

「あ、あの鬼です! あの鬼が現れてからこんなことに………」

 

私の子分の鬼が指差す先には、一際騒がしい集団があった。

どうやら奴さんは騒ぎの中心にいるらしい。女を侍らせて酒を飲む後ろ姿が見えた。

 

一瞬、女好きで欲望まみれのクソ野郎かと疑ったが、近づくに連れて女達で埋もれていたそいつの様子に気付いて私は驚く。

なんとそいつは女なのだ。男とも女とも見える微妙な長さのザンバラに切られた髪だったから、最初は男だと思っていた。

 

その上更に驚いたことに、その女の隣には私の友人のパルスィの姿もあった。ここのルールも知っているのに、まさか一緒になって飲んでいるとは思わなかったのだ。

 

ここのルールを無視して宴を始めるその度胸と、あのパルスィすら手込めにする何かを持つ鬼の女。私の興味が最高潮に達し、あと少しでその肩に手が届くと言う距離で。

 

その女は振り返った。

 

 

 

 

 

「? ああ。勇儀じゃないですか………ここに居たのですね。まったく、酷いですよ。起きたら誰も居ないから、一体どうしたのかと………でも丁度良いところに来てくれました。ちょっと人手が欲しくて、一緒に手伝ってくれませんか?」

 

 

 

千年経とうと未だに色褪せることのない記憶。どんなに時が流れようと忘れることのないその姿。

 

かつてその強さに惚れ、憧れ、また私の前に現れることを願い。

結局諦めることで想いを断ち切った妖怪の山の大将。

 

亡くなった筈の酒呑童子(母さん)が、そこに存在しているのが当然とばかりに私の前で酒を呑んでいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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