酒呑物語   作:ヘイ!タクシー!

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可哀想は可愛い






即堕ち魔理沙

「おーい。霊夢ー」

 

 魔理沙の日常には大体霊夢がいる。というより、霊夢の日常に魔理沙が入り込んでくるのだ。

 魔理沙は元々霊夢の事が好きではなかった。いつも周りに興味を持たず、同い年であるにも関わらず悟りでも開いたかの様に年齢に合わない達観した姿が魔理沙は嫌いだった。

 最初は霊夢を驚かしてやろうくらいの気持ちだったのだろう。しかしそれが次第に霊夢に興味を持たれたいと言う想いに変わり、何度も何度も彼女に突っ掛かった。

 そして魔理沙は霊夢を目標とするようにまでなっていた。

 

 魔理沙は霊夢を友人であると思っている。しかし己の生涯のライバルだとも思っている。

 お前は特別な人間なんかじゃない、私と同じ普通の人間なんだって。お前を超える奴はいくらでもいるんだって思い知らせてやりたい。

 だけどそれを理解させるには思った以上に大変で。

 

 見返してやりたい。負けたくない。あの天才の霊夢に認められたい。

 いつの間にか彼女は霊夢への対抗意識と認識欲求に突き動かされていた。

 

 

 

 

「おい霊夢。無視するなよ」

 

 今日も魔理沙は霊夢に会いに行った。いつものように神社の参道を箒で雑に掃除する彼女に声をかけた。

 だが変だ。霊夢の様子がおかしいのだ。いつもなら迷惑そうに追い払って来るのに。嫌そうでも、それが人間味のある反応で妙に嬉しく思っていたのに。

 

「霊、む………?」

 

 振り返った霊夢は無機質で感情の見えない能面の顔をしていた。何度も呼び掛けたのに、自分の存在を認知してないかの様な。

 

 自分に興味が無いとばかりに、冷たく機械的だった。

 

「………ああ。魔理沙か。どうしたのかしら。また異変?」

 

「えっ? あ、いや………そうじゃ無くてだな」

 

「じゃあ帰って貰える? 私は暇じゃ無いの」

 

 軽くあしらう様ないつものセリフ。なのにそれはいつも通りじゃ無くて、感情の見えない事務的な返しだ。

 

 いつもと違う霊夢の様子に魔理沙は焦った。これでは、昔の様では無いかと。幻想郷の管理者である博麗の巫女そのものだと。

 

 私が人里にいるその他大勢の扱いを受けている。

 

「霊夢!!」

 

「………まだ用事でも?」

 

 嫌な考えが過ぎった。そんな筈はないと否定したくて、なのにその予想がぬぐい切れない。

 

「霊夢………久々に私と勝負しないか? その……弾幕ごっこで」

 

「嫌よ」

 

 別に拒絶されることは構わない。いつも魔理沙の誘いに断る霊夢だ。これくらいなら動じない。

 

 だけど。

 

「弾幕ごっこ? 今もそんなお遊びやるのアンタくらいよね魔理沙。ああ………そういえばアンタが唯一出来たのって、アレぐらいだったわね。たかがごっこ遊び程度であんなに必死になって。無駄な努力ご苦労様」

 

「えっ? …………あっ」

 

 こんな風に拒絶されることは無かった。唯一霊夢に対抗できた決闘が、今になっては誰もやらない古いお遊びと化すなんて思いもしなかった。

 

 今更になって魔理沙は思い出す。弾幕ごっこなんて随分昔に流行ったゲームじゃないか。友達でいられたのは。ライバルでいられたのは。

 私が強く在れたのは、ほんの一瞬程度の仮初の幻想だったじゃないか。

 

 魔理沙は霊夢に事実を突きつけられて漸く気付いたのだ。

 

「大体、その身体で戦える訳ないじゃない」

 

 そして魔理沙は見て見ぬ振りをしていた現実に帰る。

 

 魔理沙は突然右足に力が入らなくなり、地面に倒れ込んだ。どうしたのだと右足に目を向ければ、そこにはある筈の脚が太腿先から引き千切られて血が溢れ出していた。

 

「あぁ………」

 

 いつの間にか愛用の箒は二つに折れ、いつも手にしていたミニ八卦炉は消え失せて腕はあらぬ方向に折れ曲がっている。

 

 

 痛い。痛い、痛い痛い。

 今更になって漸く痛みが魔理沙を襲う。五臓六腑が飛び出るんじゃないかと言う程の吐き気と、どうしようもない程の抗う事の出来ないお腹の痛み。燃えているんじゃないかと勘違いするほどの皮膚が裂ける感覚。頭が真っ白に染まり脳が焼き切れる程の抗う事のできない肉が千切れる苦痛。

 

 痛みとトラウマが魔理沙に何が起きたのかを嫌でも思い出させた。

 負けた。完膚なきまでに。自分の全てを出し切ったにも関わらずそれは全く無意味で、相手をただ怒らせただけだった。

 

 そしてそこから始まった蹂躙。妖怪の力に圧倒され、恐れ、不様に逃げ回り。あまりの苦痛に女性として、人間としての尊厳を失いながら泣いてあろうことか妖怪に命乞いをして。

 

 それから………。

 

 

「わたしは……こんな………」

 

「早く里に帰ってくれる? 弱いヤツに言い寄られても迷惑なのよ」

 

「え………あっ。ま、待ってくれッ。待ってくれよ霊夢!! 霊夢!!」

 

 魔理沙が地面に倒れて打ち拉がれている間に、いつの間にか霊夢は魔理沙から離れて何処かに向けて歩き出していた。

 それに気づいた魔理沙が、言い様のない焦燥感を感じて声を上げる。

 

 何故止めようとしたのか魔理沙自身もわからない。だけど今霊夢を止めなければ、彼女が何処か遠く手の届かない所に行ってしまいそうだと思ったから。もう見向きもされず、自分が霊夢にとって人里の皆と同じ何処にでもいる誰かに変わってしまうと思ったから。

 

 必死に手を伸ばす魔理沙。

 

 しかしその思いは届かず、誰かの脚が彼女の手を踏み付けた。

 

「なっ、うぐぅ!?」

 

 踏み付けられた痛みに思わず手を引っ込めようとした。が、己の手を地面に縫い付けるその足はビクともせず手を逃してくれない。

 

 なんとか手を引っ込めようと格闘する魔理沙に、上から声が掛かった。

 

「おい人間」

 

 ビクリと魔理沙の身体が跳ね、そしてそのまま硬直する。まるで子供が大の大人に怒鳴られたかの様に、声の主に恐れた様子で震え出した。

 魔理沙はその声の主を知っている。当たり前だ。何故ならその声の主は己の身体をこんな風にした張本人なのだから。

 

「お前の事を気に入ってたんだ。真正面から向かってくる気持ちの良いやつだって。なのに………」

 

「ひ、あっ……」

 

「私を失望させやがって!! お前は私の想いを踏みにじったんだ!!」

 

「はぐっ!?」

 

 慄く魔理沙に、声の主は彼女の首根っこを掴み持ち上げる。

 その力は簡単に魔理沙の首を絞め、息を吸うことも吐くことすらも許さない。

 

「お前も彼奴らと同じだ! 同類だ! コソコソと卑怯な手段で私達を陥れる事しか考えていない負け犬だ!! そんな奴等に、母さんが殺されて良い筈ないだろう!!?」

 

「ッゃぁ………ぃやぁ………っ」

 

「許すものか!! 絶対に、母さんを殺させてなるものかッ!!!」

 

 美しい顔立ちを憤怒の形相で歪ませて、額から伸びる角は魔理沙にトラウマを植え付けていく。

 必死にもがき苦しむ魔理沙など知ったことでは無いとばかりにその鬼、勇儀は魔理沙に呪詛を吐く。魔理沙に理解の出来ない言葉を並べ、その度に首を絞める力は強くなる。

 

「おごっ、ぎ、あっ………」

 

 訳がわからない。勇儀が一体何を言ってるのか、何にそんな怒ってるのかまるで理解できない。

 理不尽なまでの八つ当たりのに近い怒りを魔理沙は向けられるも、最早それすらどうでも良いくらいに魔理沙に余裕が無くなっていく。

 

 顔が涙や鼻水や涎で汚れようとも構わない。女性としての尊厳が保てなくなるくらいの醜態が晒されようと今なら気にしない。する余裕がない。

 

 ────れ、霊夢ッ。

 

 離れていく霊夢に魔理沙は必死に手を伸ばした。

 

 ────た、助けて。霊夢ッ! 

 

 だが彼女は振り返らない。

 

 魔理沙の瞳に絶望の影が射す。友達だと思っていたのに、ライバルだと思ってたのに。

 価値が無くなれば見向きどころか助けてすら貰えない。

 

 

 

 ────誰か、助けてっ!! 助けてぇ!! 

 

 魔理沙は必死に助けを求めて空に手を伸ばす。

 

 それでも誰も彼女の手を取るものは現れず、魔理沙の手は地に向かって落ちるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

 閉じていた目を限界まで開いて、勢いよく起き上がる魔理沙。

 

 身体の上に乗っかっていた何かを吹っ飛ばし、それに気づくことなく彼女は過呼吸にでも発症していたかの様に空気を求めて何度も荒い呼吸を繰り返した。

 

「はひっ──ヒュッ、ハヒュッ、ヒュッ────」

 

 頰から伝う汗が顎先に集まり、水滴が彼女の手に滴り落ちる。

 そのまま何度も何度も息を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返して………魔理沙は思わず自分の首に手を当てた。

 

「はっ……はっ……」

 

 手の皮膚に伝わる感触は己の皮膚、ではなく布に近い感触だった。そして触れた事で今まで気付かなかった首の痛みが脳を刺激する。

 

「い………生きてる……」

 

 それらの出来事が放心状態だった魔理沙に己の生の実感を与えた。そこで漸く周りの様子がわかる程度の余裕が魔理沙に生まれる。

 

 遠く離れた場所で聴こえてくる騒ぎの声やら何か硬いものを叩く無機質な音。自分の下に敷かれた布団の感触に、真新しい畳から香る井草の匂い。鉛を口に打ち込まれた様な鉄の味と、控えめながらも豪華な装飾の施された金の壁が視界に入ってくる。

 

 先程見た五感が狂った様な体験と、今の五感が正常に働いている状態。現実味に欠けた夢と現実味のある現が魔理沙に僅かな安心を与えた。

 

「────ああ………そうだ。夢……だ。ははは………変な夢見ちまったんだぜ」

 

 全身が汗でびっしょり濡れているのを感じながらも、それすら現実の証だと思える程に魔理沙は生きている事の嬉しさを噛み締めていた。

 夢。そう夢だ。あんなおそろしいことなんか無かった。死にかけた事も全部嘘。自分の気の迷いが生んだ幻だ。

 

 そう思った。そう思いたかった。

 

「夢……夢……………ああ────夢なら、良かったのに」

 

 心に余裕が生まれて気づく足への違和感。嫌でも感じてしまう喪失感。

 

 意識を失っている間に何処かの部屋に移動させられたのだろう。眠っていた魔理沙の身体を掛け布団が覆っていた。上半身こそ今は起き上がっているので関係ないが、布団を下側から押し上げる魔理沙の身体のシルエットが見える。

 本来なら右足がある布団部分も盛り上がっている筈。なのに、魔理沙の目からはそこだけ盛り上がっている様には見えない。

 

 いや、そもそも魔理沙は右足に布団が掛かっている重さすら感じていなかった。右足になんの感触も感じていなかった。

 

「嘘だ…………嘘だ嘘だッ。嫌……嫌だよ。嫌ァ……」

 

 魔理沙は頭を抱えた。髪を掻き上げて強く掴む。そのままグシャグシャに髪を掻き毟り、顔を布団に押し付けて現実から目を背ける。

 いつの間にか目から涙が溢れていた。布団はどんどん湿り気を帯びていき、くぐもった嗚咽の声が勝手に吐き出される。

 

「なんで、わだじはッ。ちくしょう、ぢぐじょう!! ぢぐっ、あヴヴぅ……────ふっ、ふっ、うぅぅ、ぅっゥゥぅぅゥうウウヴヴヴゔゔゔゔうう!!」

 

 悲しいのか怒りたいのか、はたまた両方か。魔理沙自身も訳がわからずただ涙が勝手に溢れて、無茶苦茶な声と嗚咽が漏れてしまう。

 我武者羅に暴れたい衝動とそれすら惨めに思えてしまう理性が鬩ぎ合い、どうしようもない後悔とやるせなさが魔理沙の感情を破壊していく。

 

 

 

 魔理沙の目から涙が枯れ始めて絶叫に近い嗚咽が鳴り止んだ頃だ。

 

 トッ、トッ、トッ。

 部屋の外から足音と共に、誰かが部屋に近づいて来る気配を魔理沙は感じた。

 

 慌てて目に残る涙を限界まで濡れた布団で拭い、魔理沙は姿勢を正して部屋の外に繋がる襖を見た。

 そうして彼女の準備が丁度よく出来た直後に開かれる襖の扉。

 

 魔理沙は現れた人物を見て目を大きく開き………恐怖の表情で固まった。

 

 目に飛び込んできたの黒を基調とした煌びやかな金の刺繍の入った振袖だった。豪華でありながら何処となく落ち着いた雰囲気を感じるさせるソレは一目で高価な物とわかる。

 そしてそんな高価な服に似つかわしくない無骨で年季の入った瓢箪。女性らしい華奢な腕に括り付けられたその瓢箪は、見る者の目を惹きつける。

 

 しかしそれらの見た目など魔理沙から見ればなんの価値も無かった。それらを身に付ける人物が、輝く金の髪と額から伸びる角が生えていればそんな副次的な物なんてなんの気休めにもならない。

 

「ひっ────」

 

「ああ、起きたのですね」

 

 もはや魔理沙には勇儀はトラウマになっていた。鬼がトラウマというより、星熊勇儀その人がトラウマだった。

 だから勇儀と同じ色の髪を持ち、数は違えど勇儀と同じ額から伸びた角があるその姿は勇儀を思い起こさせる。

 

 そしてそんな恐怖で震える彼女の様子に、やって来た酒呑は魔理沙が起きたことを知るのだった。

 

「ご気分はどうですか? 何か痛いところは………いえ、それどころじゃないですよね」

 

「あっ………ぁぁ────」

 

 可哀想な程震えている魔理沙に酒呑は小さく溜息を吐いた。

 別に魔理沙に対して溢したのではなく、魔理沙が震えている原因のここにいない勇儀に対して吐いた物なのだが、魔理沙はそれを自分への物と勘違いしてしまった。

 

「やっ、来るな!」

 

 機嫌を損ねた。それだけで魔理沙は恐怖に呑まれ正常な判断を失ってしまう。

 慌てた様子で自分がいつも持っている愛用の箒とミニ八卦炉を構えようとして………手元にそれらが無いことに絶望する。

 身を守る手段が無い。誰も助けてくれない。自分を殺そうとする鬼が近付いてくる。

 

「落ち着いてくださ────」

 

「助け、助けてっ! 誰かッ! 誰かぁ!!」

 

 布団を剥いで酒呑から後ずさる。

 頭ではこんな事無意味だってわかってるのに、恐怖が勝手に身体を突き動かしている。どうしようもないほど、目の前の存在が怖い。

 

 どんどん後退り壁際に追い込まれた魔理沙。もう逃げる事は出来ず、身体を丸めて恐怖を凌ぐ事しかできない。酒呑が一歩足を出せば丸めた身体は跳ねて、手が近付けば震えは大きくなる。

 

 もう駄目だ。また苦痛が始まる。酷い事をされる。

 

(ど、どうせ死ぬなら………ッ)

 

 どうせ殺されるなら自分で死のうか。魔理沙の頭の中にそんな考えが浮かんだ。またあんな激痛を味わうくらいなら。手足を引き千切られて、胴体を引き千切られて、最後に首を千切られて死ぬくらいなら舌を噛んで死んでやる。

 

 魔理沙は恐る恐る舌を出した。

 噛めば死ぬ。多少の痛みはあるがまだ楽な死に方が出来る。

 

(噛んで、死ぬ………死ぬ、死ぬんだ。私は、死んでしまう………)

 

 でも死にたくはなかった。魔理沙はまだ幼い少女だ。まだ成人もしていない魔理沙が死ぬ覚悟なんてすぐに出来るわけがない。

 

 だから、そんな死ぬかどうか躊躇ってしまった魔理沙は、自分の死に意識が向いて酒呑が近付いている事に気付くのが遅れた。魔理沙の意識の隙間を縫う様にぬるりと伸ばされた酒呑の魔の手。

 

 酒呑は怯える魔理沙の頭に手を乗せて、そっと触れた。

 

 

 

 

 

 

「仙法・掌握術──従属化『鬼ノ巫女』」

 

 瞬間、魔理沙の身体に侵入してくる異物。己の魔力とは決定的に違う何かが、手に、足に、全身に浸透してくる。

 しかし嫌悪感を魔理沙は感じなかった。いや、最初こそ嫌な気配を魔理沙は感じたかもしれないが、その何かが頭を覆ったような気がした時には、もう既に嫌悪感は失われていた。

 

 暖かいお風呂の中に浸かっている様な安心感が魔理沙の心を満たす。ぽわぽわとした温かい心地よさと、ふわふわと浮いている様な気持ち良さ。

 

 魔理沙が気付いた頃には、己の心を蝕み支配していた恐怖心が無くなっていた。

 

 

「落ち着きましたか?」

 

「えっ……あっ、ああ。落ち着いたぜ………」

 

 優しく掛けられた言葉に、魔理沙は漸く目の前の相手をしっかり捉えることが出来た。

 金の髪は勇儀と同じストレートだが、その長さが異なっている。額から伸びる角も見た目は全く違うし、更には本数も違う。

 雰囲気も勇儀と違って荒々しさは何処にもなく、むしろ物腰柔らかそうな印象すらあった。

 

 今更になって魔理沙は、髪の色が似ているだけの全く違う鬼に恐怖で震えていたことに気付く。生娘みたいな悲鳴を上げて、泣いて、怯えて。終いには諦めて自殺しようとすらしていた。

 

 さっきまでの自分を客観的に思い出したのだろう。魔理沙の顔が赤く染まる。

 

「わ、わたしッ……」

 

「大丈夫です。何も怖がることも恥ずかしがることもありません。ゆっくり『深呼吸をして』………ほら、吸ってー………吐いてー………」

 

 しかし酒呑の言葉に魔理沙は羞恥心すら上塗りされて、再び心地良い安心感に満たされてしまう。彼女の言葉に従って深く深呼吸を行えば、また夢心地に似た幸福感が全身を覆った。

 

 視界はクリアなのに、思考に霧が掛かる。先程まで嫌と言うほど記憶にこびり付いていた勇儀へのトラウマが、目の前の美しい鬼の姿で上書きされていく。

 頭に異常が起こっているのに、その判断が出来なくなっていることにすら魔理沙は気付かない。

 

「『じっとしていてください』ね。すぐ終わります。なんの心配もありませんから」

 

 眠りに落ちる心地良さは魔理沙の意識を奪う。例え酒呑に身体を触られようと、服を脱がされて生まれたままの姿を見られようとも不安は感じない。むしろ触られたり見られたりする事で、不思議と気持ち良さが生まれてくる。

 

「ァ……」

 

「ふむ。お腹の怪我はほぼ治りかけてますね。腕の骨もちゃんとくっついた様ですし。首の怪我はまだ完治に時間が掛かりそうですけど直に治るでしょう……。流石、万病に効くと言われた大陸の秘薬………ですが、こちらだけは………やはり駄目そうですね………」

 

「んッ…………」

 

 無い方の足を触られても一瞬身体が跳ねるだけで痛みを感じない。何度も確かめる様に身体を弄られ、その度に言い様のできない安らぎが魔理沙の心を満たしてくれる。

 

 

 気付いた頃には、魔理沙は服を直されて元の状態で酒呑と向き合わされていた。

 

「傷は大丈夫な様ですね。しばらく首に痛みが残るでしょうが、それもすぐ良くなります。申し訳無いです。どうやら家族の勇儀が貴女に酷い事をしてしまったようで………」

 

「……ッ。そうか、お前ッ」

 

 酒呑の一言が彼女の頭を現実に戻す。再び押し寄せる悲しみ、怒り。目の前にいる鬼が自分をこんな状態にした鬼の身内だと分かり、魔理沙の感情が爆発しそうになった。

 よくもやってくれたな。私の足を返せ。そんな思いと共に罵詈雑言の嵐を酒呑に浴びせたくて仕方がない。

 しかし同時に、自分にも非があると落ち着いた今なら判断できてしまう。

 

 元々魔理沙は色んな知り合いに地底の異変に参加するなと言われていた。特に八雲紫からは何があっても自己責任だと冷たい言葉を吐かれた。

 それらの忠告が魔理沙に反発感を抱かせてしまった。まるで自分が弾幕ごっこ以外能の無い人間だと言われているようで嫌だった。例え弾幕ごっこが無くても、自分だって霊夢のように妖怪達とも戦える。それを証明したかったのだ。

 

 今になれば意固地にならずにちゃんと忠告を聞いていればと思う。

 

 魔理沙は自分が弱い事なんて知っている。だから足りない力を魔法の研究で補い、才能の壁を努力と時間で覆してきた。

 だけど他人にそう指摘されるのは我慢ならない。プライドが無い人間は腐るだけだ。人間は弱いのだからと言われて、はいそうですかと納得出来るものか。だったら最初から人里を出ていない。あの集落で常に妖怪に怯え続け、妖怪が作り出した仮初の平和に甘んじて日常を享受していただろう。

 

 負けず嫌いな性格があるからこそ自分は勝つことができている。

 でも、今回ばかりはそれが裏目に出てしまった。あんな惨めで辛い思いをするくらいなら、もっとちゃんと考えて行動すれば良かったと後悔している自分がいた。

 

「…………私の足は」

 

「ん?」

 

「私の足は……治せるの………?」

 

 吐き出された言葉は、酒呑に対する怒りでも自己否定でも無かった。もう喚く程の元気もなければ、これ以上みっともない姿を晒したく無いと言う思いだけだった。

 

「………難しいですね。現状、地底にあるものだけでは貴女の足を治すことは不可能です」

 

「そっか………」

 

 魔理沙も覚悟していた事だが、改めて事実を突き付けられるとそれ以上の言葉は出てこなかった。

 本当は癇癪を起こして暴れたい。だけどそれは目の前にいる鬼のせいではないと魔理沙の理性が思い止まる。確かに足を奪ったのはこの鬼の身内だが、意識のない自分を治療してくれたのも目の前の鬼なのだ。

 

 お門違いと言うつもりは無いが、治療してくれた相手に無茶な要求をするのも失礼だろう。

 

「いや、良いんだぜ。治らないものは仕方が無い。にとりの奴にでも義足を作ってもらうさ」

 

「………ごめんなさい。貴女の足を奪ったのはこちら側なのに。茨木の升が有れば良かったのですが………」

 

「本当に気にするなって。それよりも私はお前をなんて呼べば良い? 私の名前は霧雨魔理沙だ」

 

「ああ。自己紹介を忘れていましたね。酒呑と言います」

 

 悲しいし、辛い。でも魔理沙はだんだんとそれを受け入れる準備ができ始めていた。それも、魔理沙が酒呑と話すたびに精神が安定していくのだ。

 何故か酒呑を見ると魔理沙の心は落ち着いた。出会ったばかりの筈なのに、ずっと話していたいとすら魔理沙は思った。自分でも異常だとわかっているのだけど、酒呑の事を思うとどうにも魔理沙の意識が彼女に引っ張られてしまうのだ。

 

 まるで、酒呑を好むよう洗脳を受けているみたいに。

 

 

「………そう言えば酒呑は異変がどうなったかとか、霊夢の奴がどこ行ったかとか知ってるか? あ、霊夢ってのは私と一緒に来た巫女姿の奴のことなんだけど……」

 

「………その、実は早苗さんから聞いています。霊夢さんと言う少女は、その………何と言いますか」

 

 余裕が出来た魔理沙は漸く思い出した様に今回の異変と霊夢の事について酒呑に尋ねた。元々彼女達は異変解決の為にわざわざ地底までやって来たのだ。勿論、異変もそれを解決する為に別行動することになった霊夢も気になるのだろう。

 

 しかし、どう言う訳か酒呑は歯切れの悪い返事を返した。

 

「…………ああ。なるほどな。霊夢が解決してもう異変は終わったんだな。で、あいつは私を放置して一人帰ったと」

 

「……………」

 

 彼女の態度に魔理沙は全てを察した。

 どうやら霊夢は一人で異変を解決させたようだった。そして、霊夢は魔理沙を放って一人地上に戻ってしまったと。

 早苗から霊夢と魔理沙が友達だと伝えられて、なのに大怪我をした魔理沙を置き去りにして霊夢が帰った事実を、酒呑はどう告げるべきか迷ったのかもしれない。

 

 普通なら言い難いだろうと魔理沙も思った。

 しかし相手はあの霊夢だ。魔理沙もそれはわかっているので苦笑してしまう。霊夢のあの無頓着さはもはや病気だ。諦めもつく。

 

「気にするなだぜ。そう言う奴なんだ霊夢は。一人で突っ走って気付いた頃には独りで物事を解決しちまう………私も似た様な物だけどな」

 

 他人を顧みない。魔理沙もよくやる事だがその本質は全く違う。魔理沙は意地や負けず嫌い、天邪鬼な気質がそうさせるのであって、霊夢はただ他人が興味がないし必要ないからそうしているだけ。

 

 以前もそう。今回もそう。そしてこれからもずっと霊夢はそう在り続けるだろうと魔理沙は思った。全部一人で終わらせる。自分は今回で足を失う様な大怪我をしているのに、彼女は今日も無事傷一つなく事を終わらせたのだろう。

 

 やはり霊夢は天才だ。才能がある。幼少の頃から次代の博麗の巫女として育てられただけあって、普通の人間とは掛け離れた実力を持っている。自分とは違う。

 ああ、本当にズルい。なんでも才能があるから。何があっても博麗の巫女だから。強いから、実力があるから。だって霊夢だから。

 魔理沙にとってうんざりする程聞き飽きた言葉。その言葉を並べるだけで皆が納得し、安心する。その癖、霊夢自身は別に努力した事がないのだと言うのだから尚更ズルい。

 ああ、本当に霊夢はズルい。ズルくてズルくて。そして────

 

「────羨ましいんですか? 彼女が」

 

「………はっ?」

 

 告げられた酒呑の言葉に、魔理沙は一瞬だけ酒呑が誰に声を掛けたのか分からなくなった。

 そして自分に声を掛けたのだと気付いて、益々訳が分からなくなる。

 

「おい。お前は何を言ってるんだ。羨ましい? 誰が、誰を? ………もしかして、私が、霊夢を?」

 

「? はい。そう感じましたが………違うのでしょうか?」

 

「馬鹿を言うな。何で私がアイツを羨ましがらないといけないんだぜ。ま、逆なら考えてやらなくもないけどな」

 

 酒呑の発言を馬鹿にした様にあしらう魔理沙。彼女の態度とは裏腹にその心臓は激しく脈打っていた。

 

 一体自分は、今の一瞬何を考えようとしていた? あり得ない。

 

「大体、私と霊夢は弾幕ごっこで互角なんだ。羨ましがる事なんてないね」

 

「ふむ………。でしたら悔しくはありませんか?」

 

「それこそ有り得………いや、悔しいな。今回の異変主役の座を全部持ってかれちまったんだぜ。悔しくない筈が無い」

 

 自分で発言して、これだと魔理沙は思った。悔しい。そうだ、悔しいのだ。今回の異変全てを霊夢が解決させてしまった事が悔しい。

 

 そうに違いない。

 

 

「いいえ、違います。魔理沙さんは今回の事件が霊夢さんによって解決したのが悔しいのではありません」

 

 しかし直後に酒呑が魔理沙の言葉を否定した。魔理沙の心を覗き込んでいるかの如く、違うと断言する。

 

 

 

「………なんだよ、お前。なんなんだよさっきから」

 

 煩わしい。魔理沙はそう思った。

 さっきから己の琴線に触れる様な発言ばかりしてくる。これが知り合いのアリスやパチュリー達ならまだわからないでもないだろう。肯定は絶対にしないと魔理沙は断言できるが、お節介な彼女達ならそんな事も言う可能性はある。  

 しかし酒呑はまだ初めて出会ったばかり。お互い何も知らない筈なのだ。だと言うのに、自分の事を知った様に話してくる。魔理沙にはそれが鬱陶しくて仕方がなかった。

 

 先程の酒呑に対する好意は全て消え失せ、魔理沙の中で怒りが募る。

 

「知った様な口を利くなよ! お前が私の何がわかるって────」

 

 

 

 

 

 

 

「『怒らないでください』。『落ち着いて、ゆっくり話しませんか』」

 

 

 

 

 

 

 

「────言う………………………………

…………………………………ああ、そうだな。いきなり怒鳴ったりして悪かったぜ」

 

 

 しかし酒呑の一言で爆発しそうになっていた怒りは何処かに霧散してしまった。

 

「『安心してください』。ほら、素直になった方が楽ですよ?」

 

「あ、ああ………確かに酒呑の言う通りかもしれないぜ。うん、素直になるよ」

 

 魔理沙の目から険が抜けていく。瞳が虚になり光が失われていく。

 そして心此処にあらずと言った放心した様子で酒呑を見る魔理沙。酒呑と同じ無表情なその顔は、精巧に作られた無機質な操り人形の様だ。

 

 そして何かに操られる様に、彼女は酒呑に求められるままに己の思いを言葉にしていった。

 

 

 

「何故、貴女はそんなにも強く霊夢さんを?」

 

「………最初は、いつもつまんなそうにしている霊夢が気になって、自分は他と違うって線を引いているアイツが特別じゃないって教えたくて始めた事だったんだ………」

 

「そうですか………優しいですね魔理沙さんは」

 

「……でも、だんだん私はアイツに認められたいって思ったんだ。追いかければ追いかけるほど普通の奴と違う事に気付かされた…………だったら、私がアイツの側に寄ってやろうって………」

 

 普段の魔理沙なら絶対に言わない。むしろ考えすらしないだろう。

 己の心中を吐露し、自分の弱くなった部分を見せるなんて絶対にあり得ない。

 

 だけど魔理沙は止まらない。

 

「駄目なんだ。差が開く一方で、どんどん私は霊夢から離されていく………それが悔しくて、悔しくて……」

 

「そしてそんな才能が羨ましいと」

 

「………嫉妬だぜ。目的が純粋な強さに変わっていったんだ。強さを求めるからこそ、私は霊夢の才能がどうしても欲しくなった」

 

 魔理沙の知り合いが見ていたならこの魔理沙に似た人間は誰だと言った筈だ。こんなの魔理沙じゃないと否定した筈だ。

 

 いや、そもそもこんな思考に陥ってる時点でおかしいのだ。いくら勝負に負けて一生後遺症が残る大怪我をして意気消沈しているとは言え、こんなにも卑屈な考えに至るだろうか。魔法は日々の研鑽と努力を胸とし、才能を成果で覆す事を信条とするものの筈なのに。

 

 絶対におかしい。

 心の奥底で、誰かがそう叫んだ気がした。だけど、それも泡のように破裂して消える。

 

「私は、悔しい………霊夢が、羨ましい。嫉妬している」

 

「なるほど………つまり、魔理沙さんは力が欲しいのですね? 霊夢さんに認められるような力を。彼女を超えるような力を」

 

「…………」

 

 魔理沙は返事を渋った。

 本能が返事をしては駄目だと叫んだ気がした。戻って来いと、今すぐ此処から逃げ出すんだと警告している気がする。

 

「貴女が良ければ力を授けますよ? 人間なんて目じゃない………それこそ鬼すらも超えるような力を。欲しくはありませんか?」

 

「えっ………でも、それは………」

 

 唐突な酒呑の提案に、正常な思考が出来ずとも魔理沙は受け入れることを躊躇った。

 魔理沙が欲しいのは自分自身で勝てる力だ。力を借りる事に頓着する魔理沙ではないが、それは借りるだけ。借り物の力を手に入れても、それは本当に自分の力と言えるだろうか。そも、力を奪う事はあっても与えられる事は魔理沙のプライドに反する。

 

 しかし、もし酒呑の言葉が本当なら………それはなんて魅力的なのだろう。霊夢に勝てるかもしれない力。それは、魔理沙にとってどんな甘美な誘惑より優る。喉から手が出るほど欲しい。

 そんな欲求が酒呑の提案を断ることを拒み、魔理沙を躊躇わせてしまった。

 

 

「紛い物の力だと思いますか? ですがそれは間違いです。確かに私から与えられた時点では、その力の功績は私の物かもしれませんが、その後に授ける力をどう使いこなすかは貴女次第なんですよ魔理沙さん」

 

「私、次第………」

 

「人間は誰だって最初は力を与えられるものです。初めから全てを持っている者なんて妖怪くらいですよ…………人は知識を貰い、生活を貰い、安全を貰う。そして成長の場を設けられて漸く力を持つ。霊夢さんだって巫女としての力を最初から持っていなかったのでしょう? 貴女が私から力を貰うのと何ら違いはありません」

 

「それは、そうかもだけど………」

 

 そしてそんな曖昧な態度でいれば、口八丁でこの世を生き抜いてきた酒呑に簡単に説き伏せられてしまうだろう。

 

「要は貰った道具を貴女がどう扱うか、です。貴女も道具を使って戦いますよね。それと同じですよ」

 

「確かに、そうだな…………」

 

 歯切れは悪いが、魔理沙の意識はどんどん力を貰う事に傾いてしまっている。

 もう、断る考えは魔理沙の頭には無かった。断ると言う選択肢を酒呑に消されてしまった。

 

「………もし、一方的に力を貰うのが気に病むなら、魔理沙さんも私に何かくれませんか? そうすれば力を与えられたのではなく、貴女は私から交渉して力を得た事にできます」

 

「………私が、酒呑に? 私は何をあげればいいんだぜ?」

 

 そしていつの間にか魔理沙の頭は酒呑から力を貰う事が前提となっていた。押し付ける様に力を与え、あまつさえそれに対する対価を酒呑は貰おうとしている。

 誰も魔理沙を思い留まらせる事は出来ない。まるで詐欺の様な手口で、酒呑は魔理沙にお願いを口にした。

 

「簡単な事です。私を地上に連れて行き、とある人物を探すのを手伝ってください。そうすれば私は貴女に力を与えるだけでなく、その無くなった足も治してあげることが出来ます」

 

 

 

 

 




精神的にも肉体的にもボロボロな少女相手にナチュラル洗脳、奴隷化させる鬼の首魁(屑)

某鬼の首魁「えっ? あれって人を安心させたり落ち着かせる仙術じゃないんですか?? それは副次的なもの??? へー……知らんかったわー」

屑確定\(⌒▽⌒)/

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