パチパチと小気味よい音が鳴り響き、次いで魚が焼ける良い香りが辺りに充満している。
既に空は真っ暗。妖怪である私達本来の時間だ。しかし私は人間のように焚き火をして夜の暗闇を明るく照らしていた。
まあ、私は元々人間に限りなく形態が近い鬼だ。そもそもからして鬼は他の妖怪ほど夜目が利くわけではない。単純に暗闇でも昼間と同じく目が利くと言うくらいだ。
「んく………ぅ」
「起きそうですね」
気絶していた九尾が身動ぎするのを見て、私は彼女がそろそろ覚醒する頃合いだと当たりをつける。
既に応急手当ては行った。昔、大陸の山奥で仙術を齧ったことがあり、そのお陰で気功による治療を行い彼女をある程度のところまで回復させた。
元が強い妖怪だからなのか、そこまで行けば後はもう自力で身体を治し始める。
ただ失った妖気はそう簡単に戻るわけではない。事実、今の彼女は私よりも妖気が薄い弱小妖怪並だ。例え襲い掛かって来たとしても充分私だけで対処できるだろう。
「う、ぎゅ………」
「起きたようですね。気分は如何ですか…………って、彼女は言葉がわからないんでしたね」
「ッ!!?」
おお、寝起きだと言うのに私の顔を見た瞬間すぐさま臨戦態勢を取るとは流石だ。私なら後数秒ボーッとしている自信がある。
が、やはりまだ回復しきっていないんだろう。警戒心たっぷり睨み付けてくるが、立って構えているだけで苦しそうだ。
「ぐるるる……」
「…………ふむ」
未だ警戒を解かず唸る獣な彼女に、私は先程捕まえて焼いておいた魚を近付けてみる。
ビクリと過剰に反応する九尾だが、差し出された魚から漂う香りを嗅いだのかもしれない。一瞬目を丸くした彼女は差し出された魚に食らいつこうと身を乗り出した。
が、
「おっと……あぶないあぶない。食われるところでした」
それを寸前で引っ込め、私はからかうように魚を彼女の前でフリフリと振る。そう簡単に食べさせてやるもんか。
九尾はその小さな手をいっぱいに伸ばして魚を取ろうと頑張るが、私はそれを華麗に避けて取らせない。しばらくの格闘の末、九尾はようやく諦めて項垂れた。
心なしか、狐耳と尻尾も本人の気持ちに反応してか垂れて下がっている気がする。
「きゅぅ……」
…………なんか悪いことしてるみたいで良心が痛んだ。い、いや………私は悪くない。私は別に見せびらかしたくてこんなことやってるわけじゃないんだ。だからそんな悲しそうな目でこっちを見ないで!!
「はぁ……」
「?」
私は再び焼き魚を九尾の前に持っていき、もう片方の掌を九尾に見せる。再び取ろうと手を伸ばしてきたのを私はその掌で遮った。
「まて」
「?」
「まて、ですよ」
焼き魚が遠ざかり、私の掌が目の前に突き付けられた事に首を捻る九尾。
何を思ったのかそのまま私の掌を舐めてきた。
「ふわ……」
おふっ。く、くしゅぐったい……って違うから。そうじゃないって。
私は焼き魚を突き付けては掌で『まて』の合図を繰り返した。
しばらくその行為を繰り返していたら、九尾は何かしら理解したのか自分の目の前に焼き魚が振られても私の掌がある限り奪わないようになった。
「……よし」
私は片方の手を下ろして魚を九尾の口元まで近付ける。彼女は一瞬躊躇したあと、その焼き魚にかぶり付いた。
「カフカフッ」
ようやくありつけた食べ物に九尾はご満悦のようだ。少女のように可愛らしく笑みを浮かべ、耳はピンと立ち上がり、尻尾もフリフリ喜んでいる。
…………可愛いなぁ。彼女の頭を撫でたい。尻尾もモフモフしたい。
私は彼女の頭にそっと手を伸ばすが、九尾はそれに敏感に反応すると警戒したように私の掌を睨み付ける。
まだ駄目そうである。やはり信頼関係が足りないらしい。だが私は諦めんぞ。今日は駄目でも、明日明後日と機会はまだある!
私の日常に、怪我をした狐の少女が加入しました。
「
「クォォン!」
数日が過ぎ、私は九尾の
ちなみにコンとは九尾に名付けた名前である。流石にずっと九尾と呼ぶのは可哀想な気がしたからだ。
私はコンの身体が回復するまでは世話をするつもりだった。あわよくばこの狐少女を飼えないかなって邪な思いを考えながら介抱していたら、最初の警戒心が嘘のように次第に懐かれていった。
今ではスキンシップを軽くこなす仲である。
もう日課となった狩りを二人(二匹?)で行い、余った時間はゴロゴロ。お酒の怨みもすっかりなくなり、一緒になってお昼寝である。
彼女は意外と甘えたがりだった。私が頭を撫でればもっとしてくれとばかり頭をグリグリと押し付けてくる。それがあまりにも可愛くて何度も撫でてしまうのが玉に瑕だ。
「モフモフ……」
「コーン……」
今日も私はコンの九本の尻尾に包まり、彼女の毛並みの良い尾をモフる。
かわいい。かわいいぜコン。お前の可愛さは大陸一だよ。
親バカのような思考をしながら、私は盃に入った酒を飲み干していく。
最近は落ち着いた日常が続いているから気分が良い。水虎の奴がいなくなったから、一時期はここも妖怪蔓延る土地になるかもと考えていたけどそんな事はなかった。
九尾のコンがいるから妖怪はこの辺りに近付かない。お陰で面倒くさい妖怪同士の縄張り争い何てものも無く、平和にお酒を飲むことが出来ている。
「くぅ~~ん」
じー―――
「飲みたいんですか? …………うーん。飲ましても良いのかな?」
私が美味しそうに飲んでいるお酒に興味でもあるのだろう。可愛らしい顔で盃に入ったお酒をずっと見つめている。
正直飲まして良いのか謎だ。コンはまだ妖怪の中でも幼い部類だろう。でなければ人間タイプの妖怪であるのに言葉を覚えていない説明がつかない。
人間と妖怪は切っても切れない関係だ。妖怪として生きていれば必然的に人間と関わらなければならない。何故なら妖怪は人間の想いと畏れを糧としているから。例外がいないわけでもないけど、大体の妖怪はそうなのだ。
だからコンが幼いのは確定である。生まれたてである筈なのにここまで強いとか将来が末恐ろしいが、まあ仲良くなった今は関係ない。
それよりも、酔ったことで暴れないかが心配だ。
「じゃあほんのちょっと飲んでみましょうか。それなら酔う心配も無いですし」
盃に入った分を一口程残し、コンに渡す。彼女は鼻を引くつかせて嗅ぎ慣れない匂いを嗅いでいた。
ある程度匂いを嗅ぐのに満足したのか、盃に舌を伸ばし一舐め。
すると勢い良く盃から顔を離した。
「ッッ~~~!!」
「ああ。やっぱり苦いですよね」
「ペッ、ペッ!」
案の定駄目だったらしい。涙目になりながら唾を何度も吐き出していた。
少しだけ飲み仲間が出来ないか期待していたんだけど、流石にそうはいかなかったか。
私はコンのふわふわした毛並みの頭を撫でながら残ったお酒を飲み干す。コンには苦いこの飲み物も、私にとっては味の付いた水程度だ。いくら飲んでも決して酔うことが出来ない。
儘ならないものではある。いくら美味しいお酒に出会おうと、どんなに強いお酒だろうと、私は一向に酔う気配がない。お酒を探し続けて数百年。未だに、私を酔わすことが出来たお酒は、自我を持った頃から持ち続けていた自前のお酒のみ。
いつになれば私の望みは叶うのだろうか………
まあ、それはまた追々考えていこう。妖生は長い。かれこれ千年以上生きている私には、誰かに殺されなければまだまだ時間はたっぷりあるのだ。
たまには、ひょっこり拾った獣娘を愛でつつ育てつつ、まったりした時間を過ごすのも良いだろう。
私達が共に一緒にいたのは僅か数ヶ月程であったが、私達は一緒に旅に出るほど仲良くなった。
元々私は長い間同じ地に腰を据えるほど落ち着いた鬼じゃない。森が破壊されたのを期に、コンの怪我も大分良くなった頃にこの地を離れた。
旅の道中、彼女にはある程度話せるようにと言葉を教えていた。今では出会った時に比べて少しだけコンも喋ることができる。
「酒呑、ですよコン。しゅてん。しゅ、て、ん」
「シーテっ!」
「可愛い………じゃない。しゅ、て、ん」
「しぃ、て、んっ!」
まああまり順調では無いけど。
舌ったらずな声で名前を呼ばれるのが堪らない。最近はもうこのままでも良いんじゃないかと思うようになってきたくらいだ。
それくらい、コンは可愛い。
時には二人で村に侵入し、食べ物やお酒を盗み、金銀財宝をチョロまかす。
時にはそれで怨みを買われて人々に襲われ、遁走したり傷を負ったりと色々ヤンチャした。
物騒なことしかしていないが、それが妖怪である。人は妖怪を忌み嫌い、畏れ、拒絶する。私達は命を懸けながらそれでも人にちょっかいを掛けて畏れられる。
まるで一方的な関係だが、それが私達の関係であり、在り方だ。
だから私は充実していた。やりたいことをやり、やりたくないことからはトコトン逃げる。人に退治されそうになるのも妖怪の醍醐味だ(退治されたいとは言っていない)。
私は弱いからあまりそう言ったことは控えていたが、コンと一緒になってからは悪事が増えた気がする。
流石に殺されるような怨みを買いたくは無かったから、盗む場所は毎回違うところにし、人を殺すことは絶対にしなかったが。
リスクのある行動も二人で挑めば、程よくスリルのある娯楽だ。妖怪として人々を畏れさせながら、二人で妖生をしばらく楽しんだ。
相変わらずコンは言葉が上達せず、どんな相手にも襲い掛かるヤンチャなお陰で毎回諌めるのに苦労したが、それはそれで落ち着いた生活をしていた。
そんな時である。あの水龍と再会したのは。
突然だった。何時ものように森で休んでいた時、天を覆い尽くす巨大な妖気が私達の頭上に現れた。
パニックになる私と、水龍を睨み付けるコン。そんな私達など意に介さず、奴は天災のように私達に猛威を奮った。
「ぁぐ。コ、ン……生きてます、か?」
「かっ…………ッ」
森はあの時のように腐り荒廃し、世界が真っ青に染まっている。
周りの景色も酷いが、私達も同様に酷い状態だ。私の片腕は他の倒木と同じ様に根元から腐り、引きちぎれている。お腹が半分抉れて内臓が殆ど機能していないためか息もし辛い。
痛いとかそう言う問題を越えている。全身に水を浴びて冷えている筈なのに、あまりの痛みに全身が焼けるように熱く、汗も止まらない。
「コ、ンッ……!!」
視界の端に見えるコンはもっと重傷だ。元々、水龍は何故か知らないけどコンを狙っていたらしい。執拗に奴はコンを攻撃し、暴虐の限りを尽くした。
私はただその攻撃に巻き込まれてこの様。あまりの自分の弱さに涙が出そうである。
―――これが、我の眠りを妨げた報いである。脆弱な狐よ。
ふと、重厚な声が私の脳に直接語りかけてくる。それが私達を襲撃してきた水龍の声だとすぐに気付いた。
「う、ぁ……」
―――矮小な存在ごときで大罪を犯した。その罪、万死に値する。
空の支配者はそう宣言する。
既に此方は死に体だというのに更なる攻撃を加えるつもりらしい。多分、前回殺したと思っていたコンが生きていたから、ちゃんとトドメを刺そうとしているのだろう。
水龍はまったく此方の声に耳を傾けてはくれなかった。それほど怒っているのか、それとも頑固なのかわからないが、これほど打ちのめした後だと言うのにコンへの殺意が弱まらない。
「ふざ、け………!」
―――ぬ……
「すい、龍ぅ……!!」
―――いたのか。そこな狐より更に矮小な小鬼よ。
振り絞って出した声に漸く気付いたとばかりに水龍は私に目を向けた。
下等な雑魚を見下したような目で、悪びれた様子もなく見下ろしている。
―――なんとも小さき小鬼だ。いくら小さくとも、鬼の妖気なら嫌でも気づくはずだが………
「このッ」
―――命乞いか? まあ、貴様程度の小さき存在が我の脅威になるとも思っておらん。疾く、去るがよい。
「え…………」
理不尽な行いに悪態の一つでも吐いてやろうすると、まさかの水龍から見逃す発言が吐き出された。
思ってもいない事だ。私程度、生きようが死のうが水龍にはさして変わらないと言うのに、慈悲をくれるらしい。
「それは、本当……ですか?」
―――我の目的はそこな狐だけだ。お前程度の脆弱な小鬼の命などどうでもいい。
見逃された。私は見逃された。
いきなり降って湧いた幸運に私は内心で喜んでいるのがわかる。この世界は常に食うか食われるか。生きているだけで儲け物。確かに被害にはあったがそれでも生きているだけでマシだ。妖怪の誇りがどうとか、恥がどうとか関係ない。生きているだけで充分。
喜ばずにはいられない。いられない筈がない。
「うるさい駄蛇。器の小さい奴が、調子に乗って大物ぶってんじゃない」
―――なにっ?
だけど私はすぐにそんなのポイっである。
生きていれば儲け物? 誇りがない? 恥などくそ食らえ?
馬鹿か。私は鬼だ。鬼としての誇りは気にするし、鬼としての恥は許せない。
私だけの命ならいい。生きるためなら土下座でも何でもしてやる。
だけど、仲間がいるなら別だ。家族の命が懸かっているなら別だ。
水龍はコンを絶対に殺すつもりでいる。それをみすみす許すほど、私は畜生に落ちていない。この数ヶ月の間、彼女とは確かな絆を得たのだ。彼女がどう思っているのか知らないが、私はもう家族だと思っている。
「私は曲がった事が嫌いなんだ。仲間を見捨てて生き延びたなんて………鬼の名が廃る!!」
大体、眠りを妨げられたから何だってんだ。私なんてそこらの人間や妖怪のせいでしょっちゅう眠りを妨げられている。最近は少なくなったけど、昔は良くあった。
「コンを殺る前にまずは私から殺ってみろ! 図体がデカイだけの小者が! この酒呑様が相手をしてやる!!」
………なーんて言ってみたは良いけど……………さて、どうするか。圧倒的強者である水龍さん相手に盛大に啖呵切ってしまった。
勢いで言ってしまったが内心ガクブルです。膝がメチャクチャ笑っている気がする。足に力入らねっ。
ぶっちゃけもっと穏便な方法があったんじゃないかと反省している。もう遅いけど。コンを助けること事態後悔はしていないけど、もっとやり方があったんじゃないかってめっちゃ後悔してます。
―――…………よくぞ、吠えた。小さき鬼よ。ならば貴様の望み通り、そこな狐諸とも影すら残さず消滅させてやろう。
あーーー! やっぱり怒った! 完全に殺る気だよこの龍!
やっぱ駄目だね。勢いで行動しちゃ。酒呑ちゃん、反省☆
―――死ね。
え、ちょっ、まっ。まだ準備が
「ぷげっ!!??!?」
下半身が吹き飛んだ。
凄い衝撃が私を襲い、何がなんだかわからないまま身体が吹き飛び、腐った倒木をへし折りながら後ろへ突き進んでいく。
ようやく止まった頃には、もう私の体に無事なところはなかった。下半身が無くなり、左半身は潰れてぺしゃんこ。感覚も既に無い。
ああ………やっぱり勝てなかった。そりゃそうだ。だって私だもの。あんな強い龍に勝てるわけがない。
心臓も潰れたのに生きてるのは、私が鬼だからだろう。でもいくら鬼の身体でも、流石にこの傷は死ぬ。助かる見込みは無い。
…………ああ……そうだ。忘れてた。そう言えば私はまだ、全力じゃなかった……。私にはまだ、切り札がある。
どうせ死ぬ身だ。なら、この際全部使い切るのも悪く、ない。
それが、コンの為なら尚更、だ。
私は原型を留めていない右腕を持ち上げた。痛みは無いが感覚も消え失せたその手に、それでもなお握られた瓢箪を見つめる。
あの攻撃を受けたと言うのに、瓢箪は傷一つ無かった。どんな材料を使えばそんな強靭な瓢箪が作れるのかわからないけど、今はそれがとてもありがたいことである。
私は口で栓を抜いて、最後の力を振り絞って中の液体を浴びるように飲み干した。