「「「「先生さようなら!」」」」
「はい、さようなら。気をつけて帰ってね」
いつものように帰り支度をしていると、二人の女の子が話し掛けてきた。学級委員とその友達だ。
「ねぇ、なぎさちゃん。近くに新しいお菓子屋さんができたんだけど、今から行ってみない?」
なぎさはチラッと横を見ると答えた。
「…………今日は用事があるから行けないのです」
「用事って何?」
「お母さんのお見舞いなのです」
「えっ?お母さんって病気なの?何で入院してるの?」
驚いた彼女たちはそう質問したが、
「…………………知らないのです」
それとは裏腹になぎさは冷静に答えた。そもそも、あまり興味が無かった。
「自分のお母さんの事なのに知らないんだ」
そんななぎさの様子に面食らい、彼女達はキョトンとした表情を浮かべた。
「じゃ、さよならなのです」
なぎさはランドセルを背負うといそいそと出ていった。
「………………何?あの態度」
「なぎさちゃんって暗いよね~」
「暗いとかそれ以前の問題でしょ!?親が入院してるっていうのに他人事みたいに言って。気持ち悪いったらありゃしない!」
「うん。それは私もそう思ったわよ」
「だから嫌だったのよ。あの子に話し掛けてあげてなんて先生から言われた時は」
今は11月に入ったばかり。クラス替え直後に掲げた学級目標、『皆仲良くしよう』の紙は日にさらされて酷く色褪せていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「やぁ、なぎさ。今日はお母さんのお見舞いに行くのかい?」
「聞いていたのですか?別に、面倒だからそう言っただけなのです。病院は遠いから、お見舞いには明日行くのです」
今日は6時間目まであったから帰りが遅い。明日は5時間しか授業が無いから、日が沈むより前にお見舞いして帰ってくる事ができる。
「なら丁度良い。ちょっと来てくれるかい?」
そう言うとキュゥべえは家とは全く違う方向に歩きだした。
そんな一人と一匹の横を様々な人が通り過ぎていった。
自転車に乗って元気よく遊びに行く男の子たち、三組の誰が好きとか、そんな話で盛り上がっている女の子たち。コンビニでは高校生位の人がカップラーメンを食べて駐車場の前をたむろっていた。そこから少し先にあるスーパー、入口には『ポイント10倍デー』と書かれた旗が堂々と掲げられていて、それ故か多くの人がその中に入っていった。一人で来てるおばさん、赤ちゃんを連れた若いお母さん、お使いに来たのか一人緊張した顔で入っていく男の子、幼稚園位の女の子と手を繋ぎながら入っていく親子。その親子から、今日のご飯は何がいいか尋ねられた子供が元気よく「餃子!」と答えているのがなぎさの耳にも聞こえた。
「ねぇ、キュゥべえ」
「ん?」
「魔法少女が戦う魔女っていうのは、普通の人を食べてしまう存在なのですよね?」
「食べてしまうというのとは少し違う気がするけど、概ねその通りさ。魔女は人間を襲い、その分呪いを振り撒く。だからできるだけ多く魔女を狩らないと、犠牲になる人は増える一方なんだ」
「じゃあ何でなぎさは他の人まで助けなきゃいけないのですか?誰もなぎさのことを助けないのに、なぎさは誰かを助けなきゃなのですか?」
幼いながらにもなぎさは、心の内を読むことが少しできていた。目線や話し方、しぐさなどから、何故その人がそうするのかが、何となく分かるのだ。別に好きでそうなったわけでは無い。お母さんの機嫌の良し悪しを図っている間に自然にそうなったのだ。
さっき教室で話し掛けて来た女の子だってそうだ。普段なぎさに対して全く興味を示していないのに話しかけて来た。最近先生が帰りになぎさに何かと言ってきていたから大方先生から言われたのだろう。
「確かになぎさの言うことは最もだね。でも、別に人助けを無理強いするつもりは無いし、実際に自分の為だけに戦っている魔法少女もたくさんいる。これから会う子もそういったスタンスだしね」
そして、ある場所の曲がり角の前で止まった。
幾分も待たない内に、その場所に多くの女子高生が通りかかるようになった。その中の一人の少女がなぎさとキュウべえを見て止まった。
「やぁ、どうやら間に合ったようだね」
「あなた…何で!?」
その少女は驚愕した顔で言った。
「君はいつもこの時間になると決まってこの道を通るだろ?だからこうして…」
「そんなの聞いてない!何で来たのかって聞いてるの!」
「そりゃ、君が中々僕の話を了承しないからさ。だから、実際にその子を連れてきた方が効率的だと思ってね。ここに連れてきた訳さ。紹介するよ。この子は百江なぎさ。この前話した新しい魔法少女候補さ。なぎさ、こっちは…」
「勝手に話を進めないで!!!」
彼女はそう叫んで話を遮った。その声に通り掛かった人はチラチラこちらに視線を向ける。当然だ。皆にはキュゥべえが見えないから、端から見ればなぎさに対して怒鳴っているように見えるだろう。
そんな事もお構い無しに彼女は話を進めた。
「あなたの言うとおり、昨日ちゃんと魔女は狩ったわよ!?ほら、グリーフシード!」
彼女はキュゥべえにグリーフシードを見せつけながら言った。
「別に、君が魔女を倒したらなぎさを魔法少女にしないなんて言ってないよ。それに、魔女を一体倒したからってこの町に漂っている呪いが多いという事実は変わらない。だから、なぎさにはできるだけ早く契約して欲しいんだけど…」
「何よ、その言い方…」
彼女は遂に言葉を詰まらせた。
「なぎさの契約を急いでいるのは呪いが多い事が原因だ。そしてそれは、魔女が他より多いことに起因していて、つまりそれは魔女の討伐数が少ない事が原因だかr…」
「何よそれ!?全部私の性だっていうの!!?」
「なぎさの契約を急いでいるのは明確に君が原因だ」
キュゥべえははっきりとそう告げた。
「勝手なこと言わないでよ!!」
聞きたくないと言うように彼女は一段と大きな声で叫んだ。
「私にだって色々あるの!学校もあるしこの前バイトだって増やしたし、そんなに色々と押し付けないでよ!」
「アルバイトを増やしたって、別に君は明日のご飯にも困るほどの経済力じゃないだろ?ショウという男の為じゃないか。大体僕にはあの男のどこが良いのかさっぱり分からないよ」
「あの人の事を悪く言わないでって言ってるでしょ!?」
そして彼女はキュゥべえに背を向けた。
「とにかく、魔女の数は何とかして減らすから。この子の契約は絶対反対。例え契約しても、私は面倒見ないからね」
そう言うと彼女は急いで走り出して見えなくなった。
「……………今の人が魔法少女なのですか?」
自分を助けてくれた魔法少女とはあまりにも違う性格をしていたのでなぎさは少し驚いていた。
「そうだよ。だけどみての通り、彼女はめったに魔女を倒さないから困っているんだ。彼女はちょっと極端だけど、彼女の様に自分の為だけに戦うというスタンスでやってる魔法少女もたくさんいるし、僕もちゃんと魔女を狩ってくれるならとやかく言うつもりもないよ」
「魔女がいて、たくさんの人が困っているのに、どうして戦わないのですか?」
「あの子は別に人を助けたくて魔法少女になった訳では無いからね。彼女は自分の願いを叶えてもらう為だけに契約したから魔女との戦いについては全く興味が無いのさ」
「それでキュゥべえがうるさく言うなら、さっさとなぎさを契約させるように言えばいいのです」
「そうなると、グリーフシードの取り分がどうしても減ってしまうからね。もし魔女と出くわしてしまって、魔力が無かったら非常に危険だから彼女はそれを恐れているのさ」
「…………随分とわがままなのです」
まるで駄々をこねる子供だと、なぎさは子供ながらに思った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
マスカルポーネ、ゴルゴンゾーラ、モッツァレラ、カマンベール。次の日、なぎさはチーズを一杯に詰めた袋を片手に。お母さんへのお見舞いに向かっていた。今日はなぜかキュゥべえの姿が無かった。だけどちょうどよかった。またしつこく契約契約言われるのは本当に面倒だからだ。
家を出て真っすぐ。県道を渡ってすぐのスーパーを横目に通り過ぎ近くの公園を左折。家から歩いて20分。学校とはちょうど反対の所に病院はあった。なぎさの母親はここで入院している。原因はよく分からない。元気だったと思えばある日突然倒れ、あれよあれよという間に気が付いたら入院していたと、その程度の事しか記憶していない。
なぎさは緊張した面持ちで病院のドアを開けた。
「おっ、お見舞いに来たのです!」
「…………」
その日は調子が良かったのか母親は調子が良いのかベッドから起き上がっていて、そのまま顔だけをこちらに向けた。なぎさには何の言葉も掛けなかった。
「お土産のチーズなのです」
なぎさはそんな母親の反応を無視して袋に一杯に詰めたチーズを出した。
「…………いらない。どうせ食べられないし」
ようやく口を開いたと思えばそんな返事だった。
「ご、ごめんなさいなのです…これは、なぎさが食べるから良いのです」
「あの人は?」
あの人とは、なぎさの父親の事だ。彼が近くにいない時、母親はそう呼んでいた。
「お、お父さんは、お仕事が忙しいから帰ってこられなくて…でも凄く心配していたのです」
母親が入院してすぐに、なぎさの父親は家を出たきり帰ってこなかった。本当はどうなのかはなぎさは分からなかったが、取りあえずそう答えた。
「あの人は、もう来たくなくなったんでしょ?」
なぎさの反応を察してか、母親は冷たい声で言った。
「あなただって、本当は来たくないんでしょ?」
その冷たい声でさらにそう続けた。
「来なくていい。私の事なんか見捨てて、放っておいて。あの人と、どこでも好きな所に行けばいい」
「そんな事無いのです。なぎさは…」
「皆言ってるもの。あの人は嫌なヤツだったから、今まで散々酷いことをしてきたから罰が当たったんだって。バカだったから今ひどい目にあってるって。ざまぁみろって。あんただって、本当はそう思ってるんでしょ?」
「なぎさは…」
この時なぎさは自分がまだ保育園に預けられてた時の事を思い出していた。なぎさは、同じ保育園児の中では一番母親からの迎えが遅い子供だった。だから、他の子が帰ってから、一人で遊ぶことが酷く心細かった。だけど、お母さんが迎えに来てくれた時の笑顔。あの顔を見るだけで、なぎさの寂しさは吹き飛んだ。それに、たまにお母さんの仕事が休みの時は一緒に広い公園に遊びに行ったりもした。その時はお父さんも一緒だった。ローラースケートで遊んだり、レジャーシートを敷いてお母さんの作ったサンドイッチを皆で食べたりした。あの時の味は今でも忘れられない。
そんな思い出がよぎったから、なぎさは―
「なぎさはお母さんの子供で本当に良かったのです」
そう心から答えた。
「止めてよ!そんな事言わないでよ!」
なぎさの言葉を聞いた途端、お母さんは大きな声で怒鳴った。
「私、あなたを産んで良かったって言わなきゃいけないの!?良かったフリをしなくちゃいけないの!?あんたが産まれてから碌なことが無かったのに、それでもそう言わなきゃいけないの!!!??」
「なぎさは、なぎさはただ…」
昔みたいなお母さんになって欲しい。そう言おうと口を開きかけたがすぐに閉じた。それを言ってしまうと、今のお母さんが嫌いだとそう宣言してしまうような気がして、なぎさはそれが嫌だった。今も昔も、お母さんはお母さんだ。全てを愛さなければいけない。それが義務なのだとなぎさは考えていた。
「あなた、何でもできるの?」
いきなりお母さんがそんな事を聞いてきた。
『魔法少女になれば、何でも一つだけ願いを叶えてあげられるよ』
「私のために、何だってしてくれるの?私の子供で良かったって思うなら、何でもしてくれるわよねぇ?」
そう聞いた後、お母さんはせせら笑いを浮かべながら言った。
「それなら、私の代わりに皆殺して。私を良く思わない奴、ざまあみろって思ったヤツも、この病院の奴らも、みんなみんな殺してよ!!!!!」
後半から、鬼のような形相になって言った
「病気だってもうどうでも良い。治ったって、どうせ何も変わらないんだから。あんたが産まれてから、私の人生は全部台無しになったの。だから、だから…」
母親はしばらく「だから」と言い続け、思いを溜め続けて―
「もうこれ以上、私を責めないでよ!!!!!!!!」
そう全てを吐き出した。
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なぎさの母親は超が付くほどの有名な女優だった。
彼女が主演を務めればそのドラマは大ヒットし、舞台をやれば満員御礼。海外でもハリウッドで活躍する程の実力と美貌の持ち主で、「国を代表する女優」という名声も手に入れ、まさに順風満帆な人生を送っていた。
彼女がとあるドラマのスポンサー企業に勤める社員の一人の男性と知り合い、そのまま結婚。姓が「百江」に変わってからもその人気は変わらなかった。むしろ、「結婚」という新たな話題ができたことでその人気は更に膨れ上がっていった。雑誌やテレビの取材が殺到。メディアがこぞって彼女の結婚の話題を取り上げた。
そんな彼女に転機が訪れた。なぎさの妊娠だ。それをきっかけに、彼女は芸能活動を一時的に休止した。彼女の住む近所にある保育園は、2歳からしか受け付けていなかったので、彼女は約3年間、メディアの前に現れなかった。
そして3年後、彼女が再びテレビの前に現れた時は皆が喜んだ。既に話題の芸能人が何人か出ていたが、それでも超有名女優という肩書はそう簡単には消えない。彼女はまた多くのドラマに出演するようになった。しかし、海外からのオファーは一つも来なくなった。3年もブランクがあったからというのもあったが、なぎさの妊娠期間中に体形が少し変わってしまった事が主な要因だった。だけど、彼女はそこまで気にしていなかった。なぎさが小さい内は、家を何か月も空けなくてはならない海外での活動などできるわけが無いからだ。海外活動は、なぎさが大きくなってからでいいと考えていた。彼女は、観客の前に出れば歓声を浴びる、そんな空気にただただ喜びを感じていた。
しかし、なぎさが近所の公立小学校に上がってから、その人気に陰りができ始めた。保育園時代は、先生に頼めば深夜まで、場合によっては24時間なぎさを預けていられるので、スケジュールが多忙な時でも何とか廻せていた。しかし、小学校になると、そうはいかなかった。一応共働きである家のために学童保育というものがあったが、そこは遅くても18時までしか預けられなかった。
彼女の夫も忙しい。とてもではないが毎日18時より前に退社することなど不可能だった。なので、なぎさの迎えはスケジュール調整がしやすい母親の役目になった。スケジュール調整と言ってもそれはつまり夕方から夜にある仕事を全て無くすというモノだから、当然仕事は激減していった。
両親とは、なぎさの育児についての喧嘩をしてしまったので頼れなかった。なぎさを一日近く(場合によってはそれ以上)保育園に預けていると言ったら両親は驚き、小さい内はできるだけ長く母親の側にいるべきだと言った。しかし、観客が自分をチヤホヤしてくれる空気に酔っていた彼女は、それに強く反発。お金を払っているから良い。それでは女優の仕事ができない。これを聞いた両親は大激怒し、女優を辞めるまで親子の縁を切ると言い残し立ち去って行った。
しかし、収入がいきなり激減していっても母親の生活は変わらなかった。今まで、自身の美容のためにエステ、洋服、化粧などに大量のお金を使っていたが、それを止めることは無かった。それどころか、「自分がまたあの頃の美貌を手に入れればまた仕事が入ってくる」そんな根拠のない妄想に縋り、今まで以上に費やし始めた。その実、自分が女優を引退しなければならないという現実逃避だったのだが。
無論、そんな生活が長く続く訳が無かった。高級エステ、洋服、化粧などの美容代は彼女が大量の借金をしてまで続けていた事なので、その額は大幅に膨らんでいった。父親にも内緒にしていたので、彼が知ったのは大量の請求書が届いた後だった。
やむを得ず彼は、ずっと3人で住んでいた家を、彼女が女優の仕事で手に入れた土地を全て売って返した。このことを週刊誌が目を付け、「あの超有名女優が何故!?降りかかった借金地獄」というタイトルで大々的に報じられた。このことで彼女のイメージが「なんでも完璧にこなせる女性」から「金に汚い女」に変わり、彼女の注目を集めてた羨望の眼差しは軽蔑に変わった。
そのことで立ち直れない程のショックを受けた彼女は大量の買い物をすることは無くなったが、仕事もせず、家事もほとんど何もやらなくなった。外出もほとんどしなくなってしまった。外に出ると皆から蔑みの視線を受けるので怖いのだという。ずっと芸能舞台で仕事していて、事務所の人たちに好かれようと他人の視線を敏感に気にしていた癖がマイナスに働いていた。
なぎさの教育によくないということで両親は毎日喧嘩。さらに追い打ちをかけるように、母親に重い病気が見つかった。
そこからはあっという間だった。母親の入院前から、段々と帰りが遅くなっていったなぎさの父は、とうとう家に帰ってこなくなった。母親も、たまになぎさがお見舞いに行っても無反応。口に出す言葉と言っても「帰って」と、そればかり。百江家にあった温かさは完全に失われていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
タンタンタン…
既に暗くなった病院の廊下に階段を上る音が響く。なぎさはただ一人、屋上に続く階段を上っていた。エレベーターもあったが、使わなかった。何となく、使う気が起きなかったのだ。
『魔法少女になれば、何でも一つだけ願いを叶えてあげられるよ』
このことをキュゥべえから聞いた時から、なぎさの心の中ではもし契約するのなら、「お母さんの病気を治してください」にするだろうと考えていた。病気さえ治れば、また元の生活ができる。お父さんも帰ってくるし、ピクニックだってできる。それに、もし病気を治したのがなぎさだと気付いてくれたら、彼女は目一杯感謝し、今まで以上に愛情を注いでくれる。そんな野心的な事を考えてもいた。だけど、彼女自身は全く望んでいなかった。
今日の事で、なぎさの願い事が少しずつ形になっていった。
屋上のドアを開けると、そのちょうど中央にキュゥべえがちょこんと座って待っていた。
まるで、これからなぎさがする事が分かっていたかのように。
「キュゥべえ、なぎさは、契約するのです」
「そうか。ようやく決心してくれたようだね。それで、君は一体何を願う。その契約と引き換えに君が望む事はなんだい?」
「なぎさは、チーズケーキをお願いするのです」
「チーズケーキ?」
その解答が意外で、キュゥべえは思わず聞き返した。
「なぎさは、世界で一番美味しいチーズケーキをお願いするのです」
「世界で一番美味しいか…その定義だと曖昧で困るな。美味しいと言っても色々あるからね。もう少し具体的に教えてくれるかい?」
「だったら…お母さんが思う一番美味しいチーズケーキをお願いするのです」
「なるほど。だけど、本当にそんな事でいいのかい?」
なぎさはコクンと頷いた。
チーズケーキは、お母さんの大好物だった。まだ今の家に住む前は、よくなぎさと一緒に「ここのチーズケーキが美味しい」と言ってよく買っていたし、たまの休みの日には家でお母さんと一緒に手作りをしていたりもした。
今では見る影もない、昔の出来事。
「分かった。契約は成立だ」
そう言うとキュゥべえは自身の耳をなぎさの胸の中に入れた。すると、その場所から目映い程の白い光が溢れだした。痛くは無かった。怖くも無かった。
長くも短くも感じない時間が流れると、キュゥべえは耳を離した。その耳の間には、白く光るソウルジェムが浮かんでいた。
なぎさは、それを小さな両手でゆっくりと掴んだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぁぁぁぁ!!!!」
なぎさがいる病院から程近い場所。そこにある魔女の結界の中で一人の魔法少女が戦っていた。
その少女は、魔法で作った長刀を大きく縦に振り、巨大な斬擊を繰り出した。切っ先にいた使い魔は跡形もなく砕け散った。
本来ならば、魔女本体に与えるべき必殺技であり、無限に増殖する使い魔に与えるべき攻撃ではない。これでは彼女のスタミナも魔力も保たない。別に今対峙している魔女が飛び抜けて強い訳でも、彼女が魔女退治初心者だからでも無い。寧ろ、いつもの彼女であれば、余裕で倒せるだろう。
冷静な判断力があれば。
これは自棄だった。自分にとって、知りたく無かった現実を突き付けられた時に魔女が現れたモノだから、どうにもならない感情をぶつけている。ただそれだけ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
彼女は、好きな男の子と両想いになれますようにと願って魔法少女になった。しかし、魔法少女である事を隠しながらの恋愛であったため上手く行かず、早々に別れ話を持ち掛けられた。
キュゥべえにその話をしたら、「君の因果レベルではそれが限界だった」と言われた。
それ以来、元々嫌だった魔女退治に益々やる気を失くし、代わりに、その彼を失って空いた穴を埋める為に男遊びをするようになった。
そんな時、ショウという男性に出会った。ショウは私の事を正面から見て、私の話を熱心に聞いてくれるので一緒にいるだけで私の心は満たされた。だけど、彼には多額の借金があった。友達に騙されて、連帯保証人にされてしまったという話だ。私は、彼に喜んで貰う為にアルバイトをし、そのほとんどを彼に渡していた。彼に、笑顔になって欲しくて。ずっと、繋がっていたくて。
だけど今日。私とショウが出会って丁度一年。サプライズでプレゼントを渡そうと、コツコツお金を貯めて買った腕時計を片手に彼がいつもいる店の前まで来た時だった。
「ショウさん、あれからあの女とはどうなんですか?」
「どうって、いつも通りだよ。スポンサーとして絶賛活動中で~す」
「えっ?まだ信じてんすか?あの嘘。ちょっと考えれば分かる事なのに、ギャハハハハ!とんでもない女ですね!」
「あの手の女は扱いやすくて助かるよ。ちょ~っと話を聞いてやればイチコロ。彼氏にフラれたって?知らねぇよ。そんなの。何なら、今度教えてやるよ。女を落とすテクニック」
「御指南、よろしくお願いします!」
一緒にいた男はわざとらしく頭を下げた。そこへ―、
「何何~?何の話?」
店の中から一人の女性が出てきた。それは、自分なんかより数倍濃い化粧をし、身に付けている物も服も超有名ブランドばかり。立つステージが違うのが一目で分かる女性だった。そんな彼女が、彼の腕に抱きついた。
「ん~?何でもないよ。あっそうだ。これ。プレゼント」
それは、彼女が少し前にあげた誕生日プレゼントのテディベアだった。プレゼントすれば、その人達は結ばれるというおまじないがあったので買ったのだった。
「え~?何これ~?だっさ~い!もしかして、あの子からのプレゼントじゃないでしょうね?止めてよ。あんな子が買ったものを私に渡すのは!もしかして、あなた、私よりその子の方が好きなんじゃないの?」
「まさか。あの子はスポンサーであってそれ以上は無いよ。俺の本命はリョウちゃんだけだから」
「んもう!ショウちゃんったら~!」
「じゃ、そろそろ行こうか」
「うん!」
そう言うと彼はテディベアを開いていたゴミ袋に適当にいれると、彼女の肩を抱いて歩き始めた。一緒にいた男も、仕事があるのかそそくさと店内へ入っていった。
周りに誰もいなくなった。時が止まったかのように静まり返った。
彼女のいた場所には、腕時計が箱から出た状態で転がっていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「やぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
遂に本体の魔女まで辿り着いた少女はそのまままっすぐ特攻した。当然、魔女にとっては格好の的だ。
魔女は魔法でいくつもの黒い刃を生成し、一気に発射した。腕に、脚に、体のあちこちを斬られ、何本かは体に深く刺さった。痛くない筈は無い。しかし、怯む事なく何事も無いようにまっすぐ進み、横真一文字に長刀で斬り裂いた。
「だぁぁぁぁぁ!だ!あ!あ!あ!あ!」
さらに、それで終わりでは無く、次は縦に、斜めに魔女の体がバラバラになるまで斬り裂き、最後は刀を叩きつけるように何度も振り下ろした。
決着は、最初の一撃で着いていた。事実、最初の一撃を浴びせてから、彼女に刺さっていた刃が、その形を維持できなくなり歪み、結界も崩壊を始めていた。
しかし、そんな事にも気付く事なく、彼女は何度も刀を振り下ろした。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
その体が、粉々に砕け散るまで。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
魔法少女に変身すると、身体能力が格段に上がるので、大抵の怪我はすぐに完治できる。しかし、そんな体でも物体である以上限界がある。彼女もまた、その限界に到達してしまっていた。ただでさえ深い傷だったのに、その体で無理に体を動かしてしまったのだ。傷も大きく開いてしまっていた。変身を解除しても、刃が刺さった事でできた傷は完全に癒えることは無かった。
戦っている間はアドレナリンが大量に湧き出していたので何も感じなかったが、魔女が消え、自身の感情をぶつけられる相手がいなくなり、残ったのは全身にできた傷と痛みだけだった。
死にたくない。
そんな生存本能から、彼女は傷を抑えながら、ただ真っすぐに病院を目指した。彼女の通った道には、点々と血が付いた。
病院に行けばきっと助かる。その思いが彼女の全身を支配していた。その思いだけが、彼女の足を動かしていた。故に彼女は、先ほど倒した魔女が持っていたグリーフシードをそのまま置いてきてしまった。
痛い
結局、自分の人生は何だったんだろう?
苦しい 死にたくない
好きだった人も、人生も全て失って
生きたい
疲れた 眠い でも痛い
誰か助けて
私には何もない
痛い 死にたくない
病院が遠く感じる
誰でも良い 救急車
初めから何もなかった
生きたい 死にたくない
寒い
だるい このまま目を閉じてしまいたい
だからあの人にも振られたんだ
痛い まだ着かないの。
息が苦しい 鉄の味がする マズい
全部自業自得
何で誰も通りすがらない? 歩けない
でも歩かなきゃ 歩け け
キュウべえは嘘をつかないって分かってた
体が変な感じ 苦しい 止まるな 動いて
この場所は…もうすぐ
ただ自分と向き合うのが怖かっただけ
痛い 動いて もうすぐ、もうすぐだから
自分には何もないって気が付きたくなかっただけ
痛い 体中が痛い 早く病院へ お医者さんに見せなきゃ
魔女退治 全然やらなくてごめんなさい
痛い 病院が見えて来た 寒い
口が鉄でめちゃくちゃ
からだもめちゃくちゃ
今度はちゃんと魔女退治するから
痛い 痛い
嘘じゃない ちゃんと真面目にやるから
病院まで後百メートル 痛い
だから助けて キュウべえでも誰でもいいから助けて
痛い 痛い 痛い 痛い 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
死にたくない
少女は、やっとの思いで病院に着いた。
その瞬間、安心したからかエントランスの床に倒れた。
側にグリーフシードが転がった。
それは、真っ黒に染まっていた。
「どうやら君はここまでみたいだね」
奥から四足歩行の生き物が近づいてきた。
「君のやる気のなさにはほとほと困っていたのだけれど、最後は僕らの役に立ってくれそうだ」
少女はキュゥべえの話を半分も聞いていなかった。
「・・・・・・・・・・・・・ケて」
少女は必死に、もう血で一杯になった口を開けてキュウべえに助けを求めた。
痛みと恐怖で顔は血と涙でぐしゃぐしゃだった。
「宇宙の維持のために、是非とも、最高の魔女になってね」
「!」
その病院の屋上、魔法少女になったばかりのなぎさは大きな魔力を感じた。
同時に、病院全体がまるで抽象画のように歪み、結界が形成されていった。
「この気配、魔女だ。生まれたばかりのようだね。このままだと、どんどん大きく成長するだろう。このままだと、病院の人達が危ない!」
キュゥべえがそう言うよりも早く、なぎさは動き始めた。階段を一気に飛び降り5階へ。あちこちから使い魔が生まれていた。
なぎさはそれらをシャボン玉が出るラッパ(吹くとシャボン玉が放出し、当たると砲弾並の威力で爆発する)で次々と倒していった。
なぎさはただひたすらに母親の病室を目指していた。
「お母さんは殺させない」
なぎさはそう呟いた。
「お母さんは、なぎさを無視するから!お母さんがなぎさを嫌うから!なぎさは恩を着せるためなら、後悔させられるならなんだってやるのです!魔女なんかで、お母さんの命は終わりにはさせないのです!!」
これはなぎさの復讐だった。なぎさは母親の事を愛していたから病気を治して感謝され、それがきっかけで昔のような日々に戻る事を期待していた。しかし、当の母親はそれを望んでいなかった。彼女にとって一番重要だったのは、ステージの中心に立ち皆からちやほやされる事であり、娘との時間など、それが前提だったから楽しめた、言わば副産物のようなものだった。お母さんにとって、実の娘とはおまけのようなものだったのだ。
そのおまけが母親を守るのは母親が死ぬのは病気が原因にしたいからだ。自分の事を無視したから病気が治らず死んだ、ちゃんと愛しておけば良かったと、母親にそう思わせるために。
目当ての病室まで後一歩という所で魔女本体が現れた。犬のような四足歩行をしているが、顔には何もなくのっぺらぼう。首輪にはモヤのようなモノが掛かっていてそこから何本もの鎖が伸びていて、その先には大きな鉄球が風船のように浮かんでいた。
魔女はどこから声を出したのか大きく吠えるとその鉄球を振り下ろした。なぎさはそれをジャンプでかわすと、ラッパからシャボン玉を吹き出した。
全弾命中し、魔女が少し怯んだ。
「そこをどくのです!!」
魔女は首輪から鎖を吹き出した。それで空中にいるなぎさをはたき落とす。
「キャぁ!!」
さらにそこに魔女が前足を振り下ろしてきた。なぎさは咄嗟に転がって逃れる。前足が床をガリガリ言わせながらなぎさを追いかける。
「くぅ!」
なぎさは全力でラッパを勢いよく吹き出し、前足を弾いた。その衝撃で魔女のバランスが崩れる。なぎさはその隙に胴体にシャボン玉を一気にぶつけた。
「“#%67(%&*;@‘!」
魔女が再びどこから出しているのか分からない声を上げながら倒れた。
「これでとどめなのです!魔法のシャボン!!!」
なぎさは今までよりも遥かに多くのシャボン玉を出した。それが脚に、胴体に、全身に当たり、大爆発を引き起こした。そして、魔女の体は消滅した。
結界も形を保てなくなり消滅。魔女が削った床もきれいに元通りになり、いつもの病院の廊下に戻った。
「お母さん!」
初めて魔女を倒した達成感を感じることなく、なぎさは病室を目指してひた走った。それをキュゥべえは追いかけることなく黙って見つめていた。
「さようなら。百江なぎさ、恐らく君は遠くない未来に魔女になるだろう。その時の相転移エネルギーを見滝原担当のキュゥべえに譲渡すれば、僕の役目も終わりかな。そうと決まれば僕も元の担当場所へ戻ろう」
そしてキュゥべえは身を翻して暗闇の中に姿を消した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なぎさはガラッと病室のドアを開けた。
ヒュー ヒュー ヒュー…
そこには、胸の辺りから真っ赤な血を流してる母親の姿があった。その血は、ダランと下がった腕を伝ってベッドの下の床へポタポタと落ちていて、真っ赤な水たまりになっていた。
魔女は、呪いの多い場所へ集まる。あの時に母親が感じた怒りが、使い魔を呼び寄せてしまったのだ。
「な…ぎ…さ…?」
ドアの音に反応し、母親はゆっくりと顔を入口に向けた。
「たすけ…て…」
母親は口から血を流しながらそう言った。
「何も…見…えない…の…。痛い…の…」
なぎさは黙ってその様子を見つめていた。
「そこに…いる…しょ?た……てぇ…」
ヒューヒューと呼吸をするのも苦しそうにしながら、母親は懸命に助けを求めていた。しかし、なぎさは何もしない。
「たす…け…」
何もしない。
「こわい…の…」
何もしない。
「た…け…」
何もしない。
「なぎさ…いる…しょ…?た……け…」
誰もいない。
屋上。なぎさがキュウべえと契約を交わした病院の屋上。そこに、レア・チーズケーキが置いてあった。それは、ホイップクリームも無ければイチゴなどのフルーツも無い、底にある薄いスポンジケーキの上にクリームチーズと生クリームを混ぜて固めたモノが置かれている普通のチーズケーキだった。それが、一口も口を付けてない状態でポツンと置いてあった。
こうして、魔法少女になった百江なぎさは、魔女退治を必死に頑張りました。そしてある日、路地の片隅でひっそりと魔女になりました。
さようなら さようなら もう二度と会うことはありませんでした。
おしまい