息をきらしながら一人の少女、角無舞花は町を歩く。壁に手をつき、もう片方の手で頭を抑えながら、よろよろと歩を進める。
傍から見れば、何かの病気に苦しんでいると思うだろう。事実、ここに来るまでの間に何人もの人に声を掛けられた。
しかしその度に大丈夫だ、家はすぐそこだからと適当なことを言い、無理矢理拒否してきた。もちろん、私が歩いている所の近くに家なんて無いし、そもそもここがどこかも分からない。ここは人通りが少なくて良かった。余計な事に思考を割かないで済む。もしもこの歩みを止めたら、これ以上私を刺激する何かがあったら―。
あの時、晴人の出した黒い霧が私の体を包んだ時からずっと、彼女は逃げるように歩いていた。もはやどこを曲がってどこを渡ってどこを真っすぐ歩いたのかも分からない。それでも良かった。ただ足を前に進んでいる事にだけ神経を使っていれば、余計な事を考えずに済む。
考えるな、歩け、考えるな、歩けと呪いの様に思いながら歩いていた。
その思い自体が、考えたくない事をずっと考えている事に彼女は気付かない。
そう、彼女の脳裏にあるのはあの日の事。
夕方、部活帰りに体育館を出てすぐにある階段で起きた事。あの時、私はあの子を―――――――――――。
ダメ!!!!!!!!!!!!!!!!!
思い出を言葉で塗りつぶそうとする。だがその言葉の上にまたあの思い出が上塗りされる。それをずっと繰り返してる。
もうどれ位時間だ経っただろう?私は、いつまでそれを繰り返すのだろう?
耐えられない。我慢できない。苦しい。限界。
キーン キーン キーン キーン…
遠くから耳鳴りが聞こえる。
階段の魔女 ステアント。その性質は螺旋。
その魔女は、階段を上っている人を狙い、結界に引きずり込む。引きずり込まれた人間は、魔女の体にある突起を階段だと思い、その上にある目的地を目指して登り続ける。しかし、その魔女の体は丸いから、いつまで経っても上に上れないし、そもそもここは魔女の結界なのだから目的地まで辿りつけるわけが無い。終いには、早く階段を上り終えたいという気持ちが勝り、何故自分がここにいるのか、何がしたいのかも忘れる。
角無舞花は根っからのスポーツ少女だった。生後8ヶ月でつかまり立ちを、さらにその2ヶ月後の生後10ヶ月には歩けるようになった。その時は、歩けるようになったことを母親に見せびらかすようにしていたらしい。
2歳の頃には、スキップやギャロップといったような器用な足さばきを必要とする動きができるようになり、その動きは、親以外の、第三者から見ても素晴らしいと判断され、4才児専用の運動レッスンの会場でお手本になってくれと頼まれたほどだった。
そういう子だったから、外へ遊ぶ事がとにかく大好きだった。
サッカー、縄跳び、鬼ごっこなど、何でもやっていたし、成長し、幼稚園やテレビと、自身の耳に情報が入る機会が多くなってくると、些細な事がきっかけで色々な競技に挑戦した。
小学校に入学した時も、好きな科目はもちろん体育だった。そこで彼女の運動神経の良さが、データとして現れ始めた。
それはもちろん、新体力テストの事だ。短距離走、長距離走、立ち幅跳び、反復横飛び、ボール投げ、長座体前屈、握力、状態起こしで、筋力・持久力・柔軟性・俊敏性・飛ぶ・投げるの基礎身体能力を測るテストだ。
そこで彼女は驚異的な結果を出し、学年で一番になった。クラスメイトは全員羨望の眼差しを向け、チームで競い合う種目の時は、「彼女を取れば勝てる」というジンクスから取り合いになった事が何度もあった。
中学校に上がると、舞花はバレーボール部に入った。小学校の頃、彼女の母親はPTAに入っていて、他校のPTAとの交流のためにバレーボールをした事があり、その時に惹かれたのだ。
持ち前の運動神経の良さから、1年でレギュラー入りし、目まぐるしい活躍を見せた。そのため、高校はスポーツ推薦で、運動部が盛んな葵重(あおいがさね)高校に入学した。
「はぁぁ!!!」
「うわぁ!!」
ピピーッ!とホイッスルが鳴り響いた。今日は、部員を2チームで分かれて試合をする日だった。
「は~負けた負けた。やっぱ舞花ちゃんは凄いね」
そう話し掛けてきたのは、同じくバレーボール部で、先ほどの試合では舞花の相手チームの一員だった彼女の友達、久米 幸子(くめ さちこ)だった。彼女も舞花同様にスポーツ推薦で入学し、共にスポーツが大好きな事で仲良くなった。
「いやいや、そんな事無いって!たまたまよたまたま!ラッキーな事も色々あったしね!」
舞花はそう謙遜して答えた。
「あ~あ、これじゃあ次の大会のレギュラーも千翼ちゃんか~」
1ヶ月後に、大きな大会が控えているのだが1年のレギュラー枠は1人だけだった。
「そんなのまだ分かんないわよ。その為にも、毎日頑張んないといけないしね」
これは謙遜ではなく、本音から出た言葉だった。彼女は、“努力は必ず報われる”を本気で信じている人物だった。舞花だって最初から小奇麗にこなしていた訳では無い。自転車とか、縄跳びのハヤブサとか、朝から晩まで毎日ずっと練習してようやく出来るようになった事がたくさんある。だから、努力次第では、例え運動神経が悪かったとしても、私を超える可能性は十分ある。だから舞花自身も決して油断せずに練習に努めているのだ。
「そうね」
と、その時―。
キャーー!!と黄色い声援が外から聞こえてきた。気になって見てみると、すぐに納得した。我が校のエースでありアイドル的存在の男子バレーボール部が遠征から帰って来たのだ。
男子バレーボール部は、数ある運動部の中でも最高レベルの部活動だった。ほぼ全ての大会は必ずと言っていいほど決勝に進出し優勝・準優勝が当たり前。地元の新聞でも何度も取り上げられた。卒業後も現役のバレーボール選手として活躍している人が何人もいて、舞花が通っている高校、葵学園と言えばバレーボールというイメージが付くほど有名だった。
その為、そこに所属している人は皆、女子の人気者。まるでアイドルでも見るように彼らを称えているのだった。
「先輩、お疲れさまです!」
幸子はそう言ってそんなバレーボール部の中でも一番のエース、胡桃たかしにドリンクを手渡した。
「おぉ、サンキュ、部活は変わりなかったか?」
「はい、問題ありません!それより、遠征はどうでしたか?」
「あぁ、今回はな―」
男子バレーボール部の部員は、体育館に入って来るや否や、女子バレーボール部の部員が近づき、今回の遠征の出来事などを聞こうとする。
ほとんどの女子にとっては男子バレーボール部はアイドル的な存在だ。アイドル、つまり、カッコいいと思うが、手に届かないと諦めているという事だ。山の麓から、頂上にいる人たちを見ているような目で彼らを見ている。
だが、女子バレーボール部は違う。同じバレーボールを行う者として、彼女らよりは対等な関係で接する事ができる。それが目的でバレーボール部に入部した人もいる位だ。
舞花もまた、幸子に続いて胡桃たかしにタオルを渡し、遠征の話を聞いていた。
「それで、予選はどうでしたか?」
幸子は尋ねた。今回の遠征は、予選大会の為の物だった。たかしは高校3年生。この大会を機に引退する事になっていた。
「どうって、大丈夫じゃなきゃこんなに大手を振って帰る訳ないだろ?もちろん決勝進出したよ」
たかしは当然と言った態度で答えた。
「それよりもお前らだよ。大丈夫か?大会は来週だろ?」
「それは心配いりません!私がしっかりとリードしますから!」
「お!頼もしい!ま、内には中学エースの舞花もいるからな。腕、落ちてないだろうな~?」
たかしは舞花に顔を向けて尋ねた。
「バッチリですよ!任せてください!」
たかしと舞花は同じ中学出身だった。だから、引退するまでの半年間、二人は同じ場所でバレーボールをやっていた。だから、彼女の実力についても知っていたし、高く評価していた。
舞花も、彼のバレーボールに対する気持ちには凄いと圧倒していた。フォームは綺麗だし、自身の技能向上のための努力は決して惜しまず、バレーボールに関する本は読んでいないモノは無いのではと思うくらい何冊も、油染みが付くまで読み、その中に書かれてた技術は夜遅くになるまでただひたすらに練習していた。何故ここまでするのかを一度聞いたことがある。その時彼はこう答えた。
「オリンピックまではまだまだ遠いからね」
そう。彼の行動すべては、バレーボール選手としてオリンピックに出るという夢に繋がっている。ただひたすら、夢を追っている彼の姿勢に、舞花は人一倍尊敬していた。
だからこそ、中学時代、たかしの最後の大会であり舞花の最初の大会でもある県大会に出た時は、尊敬していた彼とようやく同じ土俵に立ったような感じがして舞花は嬉しく感じていた。
そして現在。舞花とたかしは2学年差だから、また、たかし最後の大会であり千翼の高校時代最初の大会が近づきつつある。これを逃せば、もう同じ大会に出る事はない。
だから舞花は、また同じ土俵に立ちたいと強く願っていた。その為にも、たった一枠しかないレギュラーを獲得しようと思っていた。
そして、その思いは叶えられた。
予選を勝ち進み、舞花の高校は見事全国大会への出場権を獲得。そのメンバーの一年生枠を、角無舞花が見事勝ち取った。
入学してからずっと求めていた証だ。舞花は飛び上がるほど喜んだ。
全てが順調だった。角無舞花に、「人生で一番嬉しかった事は何?」と質問したら、「大会のレギュラーに選ばれた瞬間」と答えた事だろう。
―――――――――。
何故、「大会」では無く、「大会の選手に選ばれた時」なのか?別にそれは試合に負けたからとかではない。
それは―
ドタッドタドタドタドタドタドタドタドタ
その日、夕闇の体育館前で鈍い音が鳴り響いた。
その音が、彼女の出場権を奪うBGMだった。
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突然だった。
レギュラーが決まり、部活の練習が激しくなった。その日も、例外なく練習が激しく、終わった時はフラフラだった。
帰り支度をし、石段を下りながら友達とお喋りをしていた時だった。
うっかり足を滑らせて階段から転げ落ちたのだ。
幸い、頭はとっさに庇う事ができたので、命には別状は無かった。が、足を骨折、全治3ヶ月と言われた。
どれだけ順風満帆でも、嵐が吹けばそんな過程すら吹き飛ばし最悪な状況へ変える。
自分ではどうしようもない災害。
大会までは、残り2週間。
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先にも書いたが、舞花の高校の有名どころの一つはバレーボールだ。故に、そのバレーボールの結果一つで、来年度の新入生の志望者数が変わると言っても過言ではない。
そういう面でも、バレーボールの大会では何かしらの結果を残さなければならないのだ。
その為にはもちろん、最高のコンディションを備えたメンバーで出場しなければならないのは言うまでもない。
ならば、選手の一人が怪我をして、そのコンディションが整えられなかった場合はどうなるか?もちろんそれは、その選手が出たいと強い願い、練習したからこそ勝ち取った物だ。それは周りの人も分かっている。
ならば、多少コンディションが落ちていたとしても、選手に無理をさせてでも、その選手が出ると首を縦に振るなら出場を許すのだろうか?
これがもしも一昔前のスポーツ漫画なら、そんな展開もあり得たかもしれない。
角無舞花は漫画も好きだった。アクション・恋愛・ミステリー・ホラーなど、分野に限らず。部活終わりや、眠るまでのわずかな時間、そこでキャラクターが織り成すドラマをページをめくりながら追うのが彼女の楽しみの一つだった。
もちろん、学園モノやスポーツものを読んでいた彼女は、少しだけ、そんなスポーツ漫画的な展開を期待していた。
そうでもしていないと、気持ちが抑えられなかったからだ。
だが、現実は違う。これはスポーツ漫画でも無ければ、角無舞花はその主人公でもない。絶対に結果を出さなければいけないなら、それに対して最も最善だと思える手段を取る。
そもそも、大会の選手枠は角無舞花だけが欲していた訳じゃない。他の部員だって、同じだけ欲していた。言うなれば、部員全員が、スポーツ漫画の主人公になれる位の器量がある。
ならば、他の人にも、俗にいう「主人公補正」とも呼ばれるような、神から与えられたとしか思えないラッキーが降り注いでも不思議じゃないだろう。
角無舞花は怪我をした。その怪我は、大会までには治らない。そこで、大会の選手1年生枠は、彼女の代わりに2番目に上手い選手を選出する。
角無舞花の代わりに、彼女の友達、久米幸子が選ばれた。
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「僕と契約して、魔法少女になってよ!」
キュゥべえが舞花の前に現れたのはそんな時だった。
角無千翼は心の底から驚いた。魔法少女などのヒーローが、悪に立ち向かうアクション系は、漫画でも何でも大好きだったが、それが現実にあるなんて思いもしなかったから。
だが同時に、彼女が望んでいた事であるのも事実だった。
部活に顔を出しても、何もせずにただ部員が汗を流すのを黙って見つめる日々、そんな中近づいて来る大会までの日数。角無舞花は憤りを感じていた。
そのステージに立つのは私のはずだったのだ。なのに何故、その権利を急に奪われてしまったのか。こんな理不尽、到底許される訳が無い、と。これを覆せるのは、キュゥべえが持ち込んだ、奇跡と魔法の力しかない。
だから、彼女は即答だった。
「なる。もちろんなるわ。だからキュゥべえ、私の足を治して」
「分かった。契約は成立だ」
こうして角無舞花は魔法少女になった。彼女は、奇跡と魔法の力で理不尽を克服した。
もう分かっていると思うが、これはもちろん、「理不尽を克服しました。めでたしめでたし」と、漫画的なハッピーエンドでは終わらない。
彼女は魔女となり、睦月の前に現れたのだから、彼女を魔女とたらしめる程に絶望させるほどの出来事が確かにあった。
そして、実は舞花はその兆候には既に気付いていた。気付いていながら、無視、否、蓋をしてしまったのだ。
これは、そんな彼女の選択が生んでしまった一つの悲劇の物語だ。
続く