意気揚々とランドセルを背負って外に出たものの、その歩みは学校に近付くごとに遅くなっていった。
今までずっと心の内にしまい、見えないようにしていたのにそれが溢れるような。
学校に行っている他の子供達が気になってはいたし、もちろん、こうして学校に通えるようにしてくれた大成野原には感謝している。きっと、相当無理をしてくれたのだろう。
だけど―、
『………………何?あの態度』
『なぎさちゃんって暗いよね~』
自分が当事者になると、嫌でも思い出してしまう。学校には、良い思い出なんて一つも無かった。友達と遊んだ事も無かったし、そもそも友達と呼べるような存在もいなかった。
あの時は、お母さんの事があったから感じずに済んでいたけれど、今ははっきりと感じてしまう。
自分はずっとひとりぼっちだったんだという事を。
『だったら行かなきゃいいのに』
あの声が聞こえてきた。
『学校へ行きたくない~って全力で拒否れば、睦月も野原もみ~んな、きっと許してくれるよ?今までだってずっと、そうやって逃げて来たんだから』
―・・・・・・・―
『だってそうでしょ?もっと自分を愛してほしいって、自分の口で伝えれば良かったのに、よく分からない物を安易に頼って、その性で何が起きたか。もしかして忘れたの?』
―忘れる訳、無いのです―
『だったら自分は幸せになっちゃダメなんだって分かると思うけどな~。事実だけで見れば、あんたは何の罪もない人を大量に殺した殺人鬼なんだよ?犯罪者は自由に外歩けないでしょ?あんたもそうなるべきだと思うけどな~』
―・・・・・・―
やや間があって、なぎさは答えた。
―確かに、『あなた』の言う通りかもしれないのです。なぎさにはもう、幸せになる権利とか、他の人と同じことをする権利とか、そういうのはもう無いのかもしれないのです―
『ほら、あなただってちゃ~んと分かってるじゃない?』
―でも、だからこそもう逃げたくないってそう思ったのです―
睦月はまた、幸せな日々を取り戻す為に戦うと言っていた。じぶんの抱えてる罪も全部一緒に背負うと言ってくれた。
自分はもっとわがままになっても良いんじゃないかと思った。例えそんな権利が無くても、それがか細い糸のような道だったとしても、逃げて後悔するよりも、とことんチャレンジした方がその先にきっと何かあると信じたいから。
『ふーん、少しは言うようになったじゃない』
『彼女』は感心するように言った。
『良いわ。足掻いて足掻いて、それであなたがどこで壊れるか。それを見るのも楽しいかもね』
そう言い残すと『彼女』はどこかに消えた。
いや、なぎさの中に引っ込んだと言うべきだろうか。
『彼女』が現れるようになったのは8月30日の夏祭りから何日か経った後の事だった。初めは声だけだった。なぎさの思いを嘲笑うような、バカらしいと一蹴するような、そんな言葉を彼女に投げかけていた。
その後、声はどんどん大きくなっていき、遂には百江なぎさの中で、形となって姿を現すにまで成長した。
黒い靄で完全に隠れてしまっているが、それは―。
キーンコーンカーンコーン…
チャイム音でなぎさはハッと我に返った。気が付くとなぎさは、教室のドアの前に立っていた。3年2組。そこが新しいなぎさの「転校先」だ。
先生に呼ばれて、なぎさは中に入っていく。
当然ながら、クラスメイト全員の視線が彼女に注がれる。また、これもまた当然の事なのだが、その視線を送っている人は全員なぎさと同い年だった。しかし、なぎさはある種の新鮮さを感じていた。
三葉睦月、徳山愛矢、角無舞花、天野小夜、大成野原。ここに来てから、年上にだけ囲まれ、年上とだけ接していたから。
「も…も…もも…もももももえなぎさなのです。よ…よろしくお願いしますなのです!!!」
耳まで真っ赤にしながらも、やっとの思いでそれだけ言った。転校生の最初の関門、「自己紹介」。それを乗り切る(?)為に、睦月と一緒に好きな食べ物だったり誕生日だったり得意な事だったりを考えていたのだが、それらは全て徒労に終わった。
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転校生第二の関門、「休み時間」
なぎさの通う小学校は、授業と授業の間に10分の休み時間が、2時間目と3時間目の間には20分の行間休みがある。1時間目と2時間目の休み時間は移動教室だったので切り抜けられたが、行間休みとなるとそうはいかない。
「なぎさちゃん、前の学校はどんな感じだったの?」
「なぎさちゃんってどこに住んでるの?」
「なぎさちゃんの髪ってサラサラだよね~、普段どんなお手入れしてるの?」
こんな風に、複数の女子に質問攻めにされた。転校生だからあるよと睦月から事前に言われていたのに、その心構えもしっかりしたつもりだったのに、再びそれはあっさりと砕け散った。『前』の学校では、こんな風に何人もの人から好意な目で見られるなんて事は無かったから、完全に上がってしまい、再び耳まで真っ赤になってしまった。
なぎさはチラリと時計を見た。まだ3分しか経っていない。
2時間目終了後、教室に戻って一息ついてから始まった質問攻め。教室に戻って道具を片付け終わってから起こった出来事。時間で言えば、行間休み終了15分前。テレビアニメで言えば前半部分が終わってCMが入るまでの時間だ。普段アニメを見ている時はあっという間に時間が過ぎているのに、今日に限って時間の進みが凄く遅い気がする。まるで、誰か(こんな悪質な事をするのは魔女しかありえない(魔力なんて感じないけど))が魔法をかけて時間の進みを極端に遅くしているような。一分が60秒の所を3周の180秒で一分になるように改造されてるんじゃないのと思わず疑ってしまう。
何か一つで良い。この行間休みで何か行動を起こさなければならない。そうなぎさは考えていた。
徒競走と同じ。スタートダッシュが上手くいかないとその先はずっと上手くいかない。この休み時間でずっとなぎさが俯いたままだと、ここにいる皆はなぎさに興味を失い、次の日からは誰も来なくなる。
そうなったら、それはもう『前』の学校と同じだ。変わりたい、前に進みたい。そんな思いで学校に行ったのに…。
だけど、それでも、なぎさは考えてしまう。そのスタートダッシュで派手に転んでしまう可能性を。何かを話して、それが彼女たちの逆鱗に触れて、その結果誰も来なくなったらどうしようと、そんな事も考えてしまう。
何かを話さなきゃという思いと、余計な事を言ってしまったらどうしようという思い。その二つの思いに挟まれて、なぎさは全く動けない状態にいる。
スタート地点にいるのに、スタートダッシュの姿勢すら取れていない状態だった。
思えば、この教室の子達は愛矢や小夜や舞花とは違う。「魔法少女」という共通の話題も、「魔法少女から魔女になった」という共通の境遇も無い。そんな子達とどう接すればよいのかが分からない。
『ほ~らね、だから言ったじゃない』
なぎさの中の『彼女』がそう嘲笑う。その時だった。
「なぎさちゃ~ん!」
「?」
教室のドアから一人の女の子が入って来た。まだ同じクラスにいる子の顔と名前は全く覚えていないが、恐らくクラスメイトだろう。
「先生が呼んでたよ」
「えっ?」
「皆ごめんね~。なぎさちゃん、今から職員室に行かなきゃなんだ。お話はまた後でね」
「そっか~それは残念」
「なぎさちゃん後でね!」
「髪の事、後で教えてね」
そう言って、なぎさの周りを囲んでいた女子たちは皆解散した。
「なぎさちゃん、職員室の場所分かる?」
さっきの女の子がなぎさに近づいてきてそう言った。
「えっと…」
「まだ分からないよね!案内してあげる!」
そう言うと女の子はなぎさの先頭に立って歩き始めた。
先頭を歩く女の子、それを少し離れた場所からついていくなぎさ。何も話さないまましばらく歩くと、彼女は口を開いた。
「さっきはごめんね。いきなりあんな風に囲まれちゃったらビックリしちゃうよね?」
「えっ?」
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。内のクラスは皆、優しくて仲が良いクラスだから!」
女の子はサッと振り返るとニコッと笑った。結んだ髪のポニーテールがゆらゆら揺れる。
「私は戸羽 希来里(とわ きらり)。よろしくね!ももももえなぎさちゃん!」
「えっ、えっ、えっ!!!!?」
「だって~自己紹介の時にあなたそう言ったじゃない!ももももえなぎさだって。何か、『すもももももももものうち』みたいでかわいい名前だな~って思ったんだよね!あれ?もももももえなぎさ…だったっけ?ごめん、なぎさちゃん、最初の「も」って何個?」
「なっ、なぎさは…」
なぎさはクッと歯を食いしばり、顔を真っ赤にして言った。
「百江なぎさ!『も』は二個でももえなぎさなのです!!!」
「・・・・・・・・・」
希来里は、驚いたような顔を浮かべていたが、
「プッ、アハハハハハハハ!!」
次の瞬間、吹き出していた。
「えっ?何が?」
「アハハ、ごめんごめん!ほんの冗談のつもりだったのに、なぎさちゃんったら、本気の顔をするものだから」
「えっ?えっ?」
「だって黒板に先生が書いてくれてたし、口で言ってたりしてたでしょ?そんな改まって言わなくても『も』は二個だってちゃんと分かってるわよ!」
「なっ、なぁ」
なぎさはまた違う意味で、全身が真っ赤になった。その時、絶妙なタイミングでチャイムが鳴った。
「あっ、授業が始まっちゃう。戻らなきゃ!」
「えっ?でも、職員室は?」
「あぁ、あれ嘘!呼ばれてないから大丈夫だよ!」
「えっ、えぇ!!?」
「あっ、そうそう」
教室に戻りかけた足を再び止めて、希来里は再び振り返る。
「俯いてるよりも、さっきみたいな顔の方が、私はよっぽど好きよ」
「えっ?」
「何か、すごーく生き生きしてた!」
「あっ…」
この時初めて、なぎさは、自分に気を使ってくれていた事を知った。
希来里はスッとなぎさに向けて手を差し出してきた。
「これからもよろしくね、なぎさちゃん!」
希来里は、先ほどよりも輝く、満面の笑みを浮かべていた。その表情が、なぎさの中の何かをこみ上げさせる。
でも、ここでそれを出すのは希来里に対して申し訳なく感じて―、
「はい、よろしく…なのです。希来里ちゃん」
なぎさは、自分の中の最高の笑顔を浮かべながら、その手を受け取った。
この時、なぎさの目にうっすらと涙が溜まっていたのだが、希来里はそれを遂に指摘しなかった。