風を切り、流れるようにして神殿内へと侵入する。
内部は凄まじい重圧に支配されており、この場は
・・・いや、全く笑えないレベルの魔力濃度だ。
常人なら、過呼吸を起こして卒倒してもおかしくない。
ジュリアン、無事だよな・・・?
最奥からは、肌を刺す海皇の神気と、今にも消えそうな複数の人の気配しか感じられない。
一抹の不安を抱きながらも、友を探しながら進み続ける。
やがて、開け放たれた重厚な扉が現れた。
扉の奥に視線を移すと、地に伏せる三人の人影と、黄金の翼を広げ、弓矢を構える少年の背中があった。
・・・倒れているうちの一人は女性、残りの二人は成人もしていない少年だ。
言い様のない感情が生まれ、思わず唇を硬く引き結ぶ。
だが、今は彼等の先の存在に、意識を向けねばならない。
ソレは、総てを見下ろすように佇んでいた。
黄金色の鎧に身を包み、古代の力の象徴である
頭部を守る兜に隠れて面は見えないが、その正体は一目で分かった。
────海皇ポセイドン
天に有りて裁定を下す──神と呼ばれるモノ。
片手一振りで天災を引き起す、世界の始まりと終わりに座する存在。
故に人はそれらを畏怖し、崇め讃える。
神に、滅ぼされることのないように。
あれが、海皇ポセイドン。
あれが、ジュリアンを攫い、大雨を降らせている、全ての元凶か。
沸々と、怒りとも呼べる感情が、心の底から蘇る。
あぁ、だめだ・・・今は冷静になれ。
さんざん海龍の攻撃を食らって学んだだろう。
油断した瞬間に、全てが決してしまうのだ。
怒りをぶつけるのは、今やるべき事ではない。
今為すべきは、ジュリアンの安全を確保することだ。
眉間に力を込め、海皇と聖闘士達を見据える。
すると、戦況に、動きが生じた。
「この矢が俺の心臓に突き刺さるか・・・ポセイドンの体を射貫くか────勝負だ、ポセイドン!」
黄金の翼を広げた少年が、弓の弦を限界まで引き伸ばし、
金の矢を海皇へと射ったのだ。
少年の想いに答えるように、射出された矢は直線に突き進み、見事な光の軌跡を描く。
全身全霊をのせた一撃が、海皇ポセイドンを襲った。
・・・しかし、
────神の瞳が、光を放った。
ピタリ、と。
黄金の矢は、虚空で動きを停止した。
まるでそうするのが、この世の掟であるかのように。
そして、キリキリと耳障りな音を立てて、金の矢は回転し、
────その目標を、少年へと切り替えた。
意志を反転させられた矢は、自らの主人を射貫かんと空を裂き、
「・・・──って、させる訳ないだろッ!」
俺は、叫びながら戦いの場に乱入し、少年の心臓を狙う矢を叩き折った。
「ッ!? サジタリアスの矢が真っ二つに・・・あ、あんたは!?」
「俺は、エル。友達がポセイドンに攫われたから、取り戻しに来た。・・・その、邪魔して悪いが・・・俺の身体が、浮気性の強い武器は駄目だぞって訴えててな。見過ごせなかった」
「そうか・・・いや、助かった。俺は
「・・・あぁ・・・・・・やっぱり君も、聖闘士だったんだな」
少年の血に濡れた黒い髪。
その下に覗く相貌は、俺の前世の故郷である、日本人のそれだった。
中学生くらいの少年が、傷塗れになって、神と戦っている。
『──エルさん、ジュリアンは私と聖闘士が、女神の名にかけて取り戻します・・・──』
ソロ家での、沙織さんとの会話を思い出した。
大雨による海水面の上昇、海中の異常な魔力など、海皇は、人類に対する脅威だ。
だから、彼ら聖闘士は地上の平和を守るために、この場で戦っているのかもしれない。
・・・だけど、この少年達を苦しめ、血を流させた要因の一端は、俺にもある。
約束と言う名の重りを、彼等に背負わせてしまったのだから。
神に立ち向かう彼らの勇気、そして誰かを守ろうとする意志に、俺は心から感謝しなくてはならない。
「・・・ここからは、俺が君達を守る番だ」
今此処に、想いを体現する。
感謝の気持を、俺の行動でもって示そう。
大地との繋がりを強く、この星との交わりを深めていく。
身体の持つ機能を最大限に発揮するために、精神を統一し、高めていく。
相手が神であろうと、覚悟を貫き通せば、届かぬ道理はない。
絵空事などではなく、俺は知ってた。
──この英雄の器は、それだけの可能性を秘めているのだと。
天の鎖の力は、人類に対する破壊行為に反応して、その威力を激増するのだ。
故に、海皇が人に害なすというのなら、この身は神をも穿つ武器と化す。
ジュリアンも、聖闘士たちも、絶対に守り抜いてみせる。
胸に確固たる決意を抱き、俺は、拳を強く握りしめた。
そして、抗うべき神を直視するべく、視線を動かして、
「・・・・・・・・・え?」
間抜けな声が、喉から漏れ出た。
身体が硬直し、その機能を停止する。
何故だろうか、脳が、写し取った景色を、処理できずにいる。
否、処理することを、拒絶している。
ソレは、見たことのあるカタチをしていた。
ソレは、肩の下まで伸ばした青い髪を靡かせ、
見たことのない色を湛えた双眼で、俺を視ていた。
なにが起ったのか、理解することができない。
だが、一つだけ覆せない事実がそこには存在した。
10年間共に過ごしたからこそ、見間違えるはずがないと断言できてしまう。
そんな、変えようのない現実が、俺の前に立ち塞がっていた。
「・・・?」
おかしい。
そう、何もかもが有り得ないのだ。
何故なら、俺の目の前に居るのは、この神殿の主、ギリシア神話に登場する、海皇ポセイドンのはずなのだから。
荒唐無稽な現実を否定し、別の可能性を探ろうと思考する。
しかし、眼前の存在は、幻術でも夢でも偽物でもなく、紛うことなくジュリアン・ソロでしかなかった。
盤石に固めたはずの足場が、ガラガラと音を立てて崩れていく感覚。
呆然と眺めることしか出来ない俺に、友人の貌をした神が語りかける。
「・・・・・・その力・・・まさか、海中の
瞳に深い海の色を宿した男は、静かに微笑んだ。
その声、その話し方、その笑う表情、その全てを俺は知っている。
最早、否定することすら愚からしい。
「・・・・・・・・・本当に・・・じゅりあん、なのか・・・?」
辛うじて絞り出したかすり声に、ジュリアンは頷いた。
そして、まるで歌うかのように、口に弧を描いた彼は音を紡ぐ。
「お前が見つかったのなら、早々に地上を海で覆ってしまおうか」
「・・・は?」
「あぁ、言っていなかったな。・・・旧約聖書に記されているノアの箱舟は知っているだろう? あれは、過去に私が行ったものなのだ。40日40夜雨を降らせ続け、大地を全て海で覆い、地上の邪悪な生き物をことごとく消し去る。そして、150日経ち水が引いた後は、私がこの海はおろか、大地さえも支配する。・・・我が神殿を支える柱、メインブレドウィナ内の水も直に満ち、
「・・・・・・ノアの箱舟?・・・
ジュリアンの背後、神殿を抜けた先に、海の天井を穿つ白い柱がそびえ立っていた。
結界内に侵入したときに見た、一番太くて大きな柱だ。
女神を、沙織さんを、人柱にする。
ジュリアンを海皇から取り戻すと約束をしてくれた、あの優しい少女を・・・・・・殺す?
「は・・・はは、面白くない冗談だ。・・・ほら、ジュリアン。その似合わない鎧は脱いで、ソロ家に帰ろう。執事長が今までに見たことがないくらい狼狽しててさ、これ以上待たせたら寿命を縮めてしまうよ」
泣きたくなるのを必死に堪えて、俺は笑いながらそう促した。
しかし、友は静かに首を振る。
「海皇ポセイドンとして目覚めた今、この神殿こそが、私の帰る場所なのだよ、エル」
「・・・・・・」
穏やかに、子供に道理を教える親のように、ジュリアンは答えた。
・・・・・・そっか、そうなのか。
一度理解してしまえば、今までの違和感全てが一つの真実へと集約した。
時稀に、ジュリアンから感じた、カリスマとも言うべき圧力。
ソロ家の直ぐ近くにある、ポセイドン神殿の跡地。
ジュリアンを探すときに海中から感じ取った、彼の気配。
ジュリアンは、俺の友人は、本当に海皇ポセイドンになってしまったんだ。
そして、酔狂でも冗談でも嘘でもなく、本気で地上を滅ぼそうとしているんだ。
あぁ、やっと分かった。
沙織さんや、テティスという海闘士が、俺を止めた理由。
こうなることが、目に見えていたのだろう。
だから、俺の心を守るために、何度も何度も忠告をしてくれたのだ。
ジュリアンを取り戻そうと神殿に訪れれば、ジュリアンに従い世界の滅びる様を眺めるか、それとも彼を止めるために戦うか。
そんな地獄のような選択をしなくてはならないと、彼女たちは察していたんだ。
──それなのに俺は、彼女たちの想いを、踏みにじってしまった。
「エル、何も憂いる必要はない。別に私は、全ての人間を滅ぼすつもりはないのだ。どうにもならぬ程に汚れきった地上を洗い流すことで、神話の時代のような、心清き人々だけの理想郷を創りあげる。ただ、それだけのことなのだ」
「・・・ただ、それだけのこと?」
「そうだ。お前も、世話になったソロ家の者達も、殺さない。私の統治する新たな地上で、幸せに日々を生きるのだ」
「・・・・・・・・・・・・」
ジュリアンは、夢を語る子供のように、蒼い目を輝かせた。
その瞳は、いつもの優しい色を失っている。
俺は、こんな目をしたジュリアンを、知らない。
「くッ・・・そんなこと、絶対にさせない! 沙織さんも、地上の平和も、守ってみせる・・・俺は、最後まで諦めないぞ!!」
「・・・そうだな、その前にまず、お前達聖闘士を片付けるとしよう」
低く呟いた海皇は、手に握る三又鉾──トライデントを、星矢へと向けた。
鉾の先端に蒼白い光が宿り、尋常ならざる力が圧搾していく。
嵐や津波、洪水や風を操る伝説の力が、
神に逆らう者の命を剥奪せんと、束ねられていく。
「サジタリアスよ、アイオロスの魂よ、俺に力を──!」
「──星矢ッ! あれを真正面から受ければ塵も残らないぞ!」
「いけない! 避けるんだよ、星矢!」
星矢の後ろで倒れる、金髪の少年と、黒髪の女性が焦った表情で叫んだ。
しかし、星矢は避けることはできない。
立ち向かうことしか、彼には許されていなかった。
なぜなら、彼が避ければ、後ろにいる仲間が、海皇の一撃に飲まれてしまうのだから。
「神に逆らった己の愚かさを悔いて──消えろ」
極限まで高められた蒼白い魔力が、命を破壊する為に放たれる。
蜷局を巻き、螺旋となった一撃は、空気を軋ませて少年に肉薄する。
「星矢ッ!!」
「うおおおぉぉぉ!!」
星矢は、獣の如き咆吼をあげ、再び装填した矢を放つ。
天翔る流星のように、願いを込められた黄金の矢は────海皇の放った暴力の渦に接触し、粉塵と化した。
天災が、人の命を否定し、その灯火を消そうと来襲する。
だからそれが、決定打になったのかもしれない。
「────
俺は、迷いを捨てた。
宝具を開帳し、地面から千を超える槍を生み出す。
ドッッッ!!!
と、鈍い音が炸裂し、力と力がぶつかり合う。
星矢の前に立ち、彼に殺到した災害を、撃槍を射出することで受けとめていく。
二つの力の余波は空気を軋ませ、唸り声を上げさせた。
暫くして、破壊の力が消えかけた頃、俺は口を開いた。
「星矢、行け」
「・・・エル?」
「先に行って、柱をぶっ壊して、どうか、沙織さんを助けてあげてほしい」
「だ、だが」
「安心しろ、海皇は俺が止める。先を行くお前達の背中を撃たせはしない」
海皇から目を逸らさずに、俺は宣言するように言葉を放った。
「・・・分かった。頼んだぞ、エル!」
景気の良い返事と共に、星矢は柱を目指して走り出した。
倒れ伏す聖闘士達も、膝を震わせながら立ち上がる。
眉をひそめた眼前の神は、心底分からないといった様子で俺を視た。
「・・・・・・エル、何故、私の邪魔をする?」
横を通り過ぎようとした星矢達に、海皇は三つ叉の先端を向ける。
そして、再び神の力が圧縮され、彼等を襲わんと放たれた。
「・・・単純な話だ」
右手を前へと伸ばし、俺は掌から白銀の鎖を射出した。
先の尖った鎖は、神の力を貫き、霧散させる。
「海皇、俺はただ、許せないんだ」
「・・・なに?」
俺の気持に呼応するかのように、地面が蠢き、紫電が舞う。
「・・・海岸にうち捨てられた俺を救い、釣り糸に捕らわれた魚を助けるような・・・命を大切にしてきたジュリアンが! 俺を殺した神のように、平気で誰かの命を奪おうとしている! そんな、今までのジュリアンを否定するようなことを、
悔しいという気持を遙かに超えて、許すものかと叫びをあげた。
だって、そうだろう。
許容できる訳がない。
天馬星座の星矢を襲ったあの一撃。
あの瞬間、俺は、海皇ポセイドンの正体を知った。
ジュリアンの身体に宿る、二つの魂の光を垣間見たのだ。
空色の、優しい輝きに満ちた、穏やかな魂の光。
そしてその空色に浸食する、銀河の星々のような、眩い輝き。
前者がジュリアンの魂。
そして、後者が神たる海皇ポセイドンのものだった。
「・・・・・・なにを言うかと思えば、下らない」
ジュリアンは、俺の叫びを一蹴し、冷たい声を放つ。
「人の命とは、人の未来とは、神によって定められるもの。生殺与奪の権利は神の手にあり、その決定に抗うことは、許されない」
「違う・・・一年前に言っただろう。誰であろうとも、誰かの人生を決めつけて、縛りつける権利なんて持っていないんだ。それが例え、神であろうとも」
「・・・そうか、あくまでもお前は、私の邪魔をするのだな」
「あぁ、俺はお前を止めてみせるよ、ジュリアン」
「・・・・・・いいだろう」
海皇ポセイドン──ジュリアン・ソロは、諦めたように息を吐く。
そして、冷徹な表情で裁定を下した。
「我が使命の前に立ち塞がるというのなら・・・友であろうとも容赦はしない。エル、私の唯一人の理解者だった者よ。今よりお前を、私の敵とみなし──破壊する」
「!」
爆風が舞う。
圧倒的な魔力の波動が、海皇を中心として逆巻き世界を震わせた。
グバァッッ!!
海皇の頭上に、蒼白い波紋が拡がっていく。
全ての生命の始まりの地たる海の王。
海皇の名を冠する神が、脅威とみなした存在を打倒するべく力を開放する。
そして、
「ッ・・・ジュリアン!!」
友の魂の色が、消えていく。
優しい空色が、目の眩むような輝きに押し潰されていく。
「大地の力を操る者よ、土へと還るがいい」
頭上に拡がる波面は、結界内の侵入者全てを標的と定めた。
俺のみならず、メインブレドウィナの破壊に挑む聖闘士もろとも巻き込まんと、海皇の魔力が鳴動する。
「・・・・・・我が英雄よ、力をお借りする」
俺は虚空に呟き、彼方の人へと、胸に秘めていた想いを連ねた。
──エルキドゥ、俺の憧れの英雄。
前世で過ごした時の中で、俺は何度も貴方の輝かしい姿に目を奪われ、そして、勇気づけられてきた。
それなのに、自分がその身体に収まった途端、俺はその強大すぎる力の重さに怯え、蓋をし目を逸らした。
力とその責任から逃げてきた10年間。
そして、必要に迫られて、力に縋った今の自分。
「・・・あぁ、俺は、卑怯者だ」
この身体には相応しくない存在だ。
──だけど、だとしても。
祈るように跪き、右手のひらを地面にあてる。
すると、足下から黄金の魔力が噴出した。
神の力に対抗するために、神によって創られた身体の力を呼び覚ます。
翳した手を始点として、光の粒子が渦を巻く。
黄金の竜巻は海皇の蒼白い波動を包み込むようにして、神殿内を照らしていく。
「我が威光を遮るか・・・!」
海皇は険しく表情を歪めて、三つ叉の鉾の穂先を俺に向けた。
全てを砕かんと神殿内に拡げていた力の流れを、一点へと切り替えていく。
ギリギリギリッッ!!
神の鉾に凝縮された莫大な魔力に、世界が悲鳴を上げた。
「・・・受けるがいい──!」
海の王、神の必殺の一撃が振るわれた。
地面を抉るだけに留まらず、その力の奔流は空間をも引き裂いていく。
海龍のゴールデントライアングルの際に飛ばされた異次元が、虚空から顔を覗かせた。
天地を切り分け、世界を生み出した、神の力が顕現する。
「・・・
光を纏って、空高く跳躍する。
──大いなる
儚くも、気高く輝き続ける、地上の灯火たちよ。
この筺、神造宝具の我が身に集まりて、神に叶う力と成れ。
「今呼び起こすは星の息吹。
君と共に歩もう、俺は・・・故に──
────
命を壊す神の力と、天地を繋ぐ人の力が衝突する。
世界からは音が消え、
やがて、極彩色の光が席巻した。