配属早々、周囲の制止を聞かず敵を沈めることに執着する時雨を見かねた響は、彼女がなぜそんな行動をとるのか真意を探ろうとする。言い合いの末、時雨の口から出た真意とは……。


明るい話ではなく、暗めの話になります。
以前投稿した連載作品「海原を巡って」の時雨版のような内容になります。舞台は同じでこれ単独で読んでも問題ありません。

笑える要素はありませんし、作者の妄想全開の内容ですが、最後まで読んで頂けたら幸いです。

*本作は、pixiv様にも投稿させていただいております


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止まぬ雨に響く声

 沈んだ。みんな沈んだ。冷たくて、光りも届かない、暗くて深い海の底へ。

 僕を置いて。僕を残して。

 みんな、みんな沈んだ。

 置いていかれたくなかった。最後を看取りたくなんてなかった。一緒に行きたかった。

 だから今度は、僕も……

 

 

 

 

 

「イ級1隻撃破!次!」

 大きな水柱を立て、敵が沈み行くのを横目に、彼女は次の敵を探して海面を駆ける。

「時雨、撤退命令だよ」

 銀色の髪をはためかせ、1人の艦娘が叫ぶ。

「まだ敵はいるし、僕はやれる!」

 彼女は命令を無視し、服装や艤装の損傷など気にも止めず主砲を構え、砲撃を続ける。

「司令官からの命令だよ、聞き分けて」

 それでも銀髪の艦娘、特型駆逐艦の響は、落ち着いた口調で繰り返し言う。

「うるさい!僕は、僕はやらなくちゃいけないんだ!」

 でも彼女、白露型駆逐艦の時雨は、また拒否の意思を示す。

 彼らの周囲を取り囲む深海棲艦、駆逐イ級6隻、ロ級4隻、軽巡ホ級2隻で構成される敵艦隊から砲弾が雨あられと降り注ぐ中、2人は言い合いを続ける。

「2人共、今は言い合いしている場合じゃないのです!撤退命令が出ているのです!」

 そんな2人に、響と同じ特型駆逐艦、旗艦の電は砲撃を続けながら、必死に訴える。

「わかっているよ、電。時雨、旗艦と司令官からの命令だ。君の状態は関係ない」

「そんなの知らないよ!」

 そんな言い合いをする2人のそばで、敵と砲火を交えている艦娘が3人。

「不知火、残弾は?」

「主砲弾の残弾、半分を切りました。魚雷は残り3。霞は?」

「私も。長月は?」

「私も同じ状態だ。あいつらに早く言い合いをやめてもらわないと、このままじゃまずい」

 電たちと同じ駆逐艦クラス、霞、不知火、長月の3人は、時雨と響を深海棲艦から防衛する壁のように並び、迎撃を続けている。

 元々、彼らは新入りの時雨の実戦参加を兼ねて哨戒任務に出たのだが、その航路の途中で自分たちの倍の規模の敵艦隊に遭遇。敵めがけて時雨が1人突入して交戦。

 結果包囲され、苦戦を強いられることになった。

 

 

「時雨、2人が言っているでしょう。聞き分けなさいよ!」

「敵を沈める役割を果たして、何が悪いのさ!」

「今はそれができる状況じゃないの!このままじゃ全滅するわ」

 最悪の結末を、霞は叫ぶ。

「僕は戦うよ、その間にみんなは逃げればいい!」

「司令官は、全員で帰るようにと命令しました。それを無視するというのですか?」

 戦いながらも、不知火が持ち前の戦艦クラスの眼光で時雨を睨みつける。

「そうだ。ぼくらは全員で帰らなければならない。沈むことは許されない」

 長月が、単装砲でイ級やロ級を1隻ずつ狙撃していく。

『電、聞こえるか?』

「司令官さん」

 耳につけた無線から、基地にいる司令官の声が響く。

『状況は?』

「敵に囲まれて、うまくいかないのです」

 仲間の言い合いが原因とは、彼女は言わなかった。

『間もなく支援艦隊が到着する。包囲に穴を開けるから、全速で離脱すること。いいか?』

「支援……、了解なのです」

 電は砲撃を続けながら、艦隊のメンバーに無線で伝える。

「皆さん、間もなく支援艦隊が到着するのです!包囲に穴を開けたら、全速で離脱しろ、とのことなのです!」

「支援艦隊?いつの間に?」

「霞、考えるのは後です」

「だな。司令官のいつもの、万一の保険だろう。なんにしても、これで助かる」

「だそうだよ、時雨」

 響は、時雨を見つめ、不知火ほどではないにしても眼光で彼女を屈服させようとする。

「でも、僕はまだ……」

 なおも時雨は不服を訴える。

「そっか…」

 そんな彼女を前に、響の目が僅かに細められる。

「じゃあ……」

 直後、響は時雨に近寄ると、渾身の力を込めた右拳で時雨の腹部を力いっぱい殴りつけた。

 咄嗟のことに反応できず、時雨は響の拳を腹部に受ける。彼女の両足が海面から浮かび上がり、ダメージは艤装が吸収できる許容量を越え、背負っている艤装にヒビが増えた。

 痛みに耐え切れず、時雨は海面に膝をついてうずくまった。

「……響」

「ごめん。基地までおとなしくしていてもらうよ」

 響は気を失った時雨を、首にマフラーを巻くように抱え上げる。

『こちら支援艦隊。これから一斉射で包囲に穴をあけますから、全速で離脱してください。座標を送ります』

 支援艦隊からの無線が切れた直後、水平線の彼方から、電たちの主砲よりも大きな砲撃音が響き渡る。

「来るのです!」

 間もなく、深海棲艦による包囲の一角に水柱がいくつもたち、そこにいた彼らを水底へと叩き落とした。

「今なのです!」

 電が先頭を行き、包囲を閉じられないよう牽制しながら進む。次に霞、時雨を抱えた響が続き、不知火と長月が殿を務める。全員が包囲を抜けたのを確認すると、霞は最後尾の不知火、長月たちと並ぶ。

「不知火、長月、雷撃戦用意!」

 霞の指示で3人は横並びになり、艤装の魚雷発射管を回転させ、切っ先を深海棲艦に向ける。

「全弾発射!てえー!」

 魚雷発射管から圧縮空気が漏れる音が鳴り、放たれた魚雷は海中に沈み、間もなく直進を始める。

 残っていた魚雷を全て放つと、彼らは命中を確認せず全速で離脱に移る。放たれた魚雷は深海棲艦に命中し、彼らもまた、海の底へと消えていった。残敵は支援艦隊による砲撃によって撃破。敵艦隊は壊滅したのだった。

 

 

 

「敵の追撃無し。無事にまけたようだ」

 長月が、後ろに向けて構えていた単装砲を下げる。

「単縦陣のまま、水上警戒を厳に。基地へ帰還するのです」

 全員が速力を上げ、基地を目指す。すると、彼らの進路上に、接近してくる人型の影が目に入る。

「電ちゃんたち、ご無事でしたか?」

 向かってきた人影は方向を変え、電たちに速度を合わせ、並んで航行する。

「助かったのです、青葉さん」

 青葉型重巡洋艦、青葉。後ろに同じく重巡の古鷹、加古、衣笠が続く。

 第六戦隊。

 包囲に穴を開けた支援艦隊というのは、彼女たちだった。

「無事で何よりです。それにしても……」

 青葉は苦笑しながら、後ろを航行する響を見つめる。その光景に、電は苦笑いするしかなかった。

「電ちゃん、彼女は、何があったの?」

「もしかして、最初の実戦で大怪我を?」

 僚艦の古鷹、衣笠も響にかかえられた時雨を見やる。加古は航行しながら寝ていた。

「いえ、それは……。それにしても、どうしていいタイミングで支援に?」

 答えに窮した電は、強引に話題を変える。すると、青葉は左手の人差指を空に向けた。

「司令官の、万一の保険ですよ」

 上を見上げると、彼らの上空を同じ方向を目指して飛びさっていく機影が確認できた。彼らの基地の飛行隊の1つ、偵察航空隊所属の百式司令部偵察機だった。

 司令官が万一のことを考え、張り付かせていたのだろう。ということは、響と時雨のやりとりも、全て筒抜けだった可能性がある。電はそう考えた。

「まあ、話は後で。今は帰還を急ぎましょう」

「了解、なのです」

 彼らは周囲を警戒しながら、基地にむかって進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 深海棲艦。ある日、突如海に現れた未知の存在を前に、対抗できる術を持たなかった人類は制海権を喪失。

 奪われた母なる海を取り戻すため、人類は彼らに対抗できる存在、艦娘を生み出した。

 地球を覆うほどに広く青い大地、海原を舞台に、人類と深海棲艦との長い戦いが、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

「お帰り、みんな」

 基地の波止場に到着した電たちを出迎えたのは、上から下まで白い衣装に身を包んだ男性だった。

「ただいま、なのです。司令官さん」

 海から陸に上がった彼らは、司令官の前に整列しようとする。

「お帰り、電。青葉たち、すまなかったな。非番だったのに、急な招集かけて」

「いえいえ、お気になさらず。仲間を見捨ててはおけませんから」

「もっと頼ってよ、提督さん」

「ありがとう。でも、休むことも大事だ。艤装を工廠に預けたら、明日は非番とする。鳳翔さんの食堂に行ってきなさい。新作の甘味が入荷したそうだぞ」

「本当ですか!これは取材ですね。ではでは~」

 カメラとメモ帳を取り出した青葉は、取材へ急ぐため工廠へ駆け足で向かっていった。古鷹たちもその後を追って走っていった。

「司令官」

 司令官は目の前に立つ、時雨を抱えたまま首をかしげる響に向き直る。

「どうする?」

「……響は時雨を入渠ドックへ。高速修復剤を使って構わない」

「わかった」

「……言っておくが、丁重に扱うようにな」

「もちろんだよ。私が荒っぽいことするわけないじゃないか」

 響の言葉に、電たちは苦笑する。先ほど独断先行しようとする時雨を、荒っぽい手を使ってここまで引きずってきたのは彼女なのだから。

 響は、時雨を担いで工廠へと向かっていった。

「ところで、司令官」

 霞が彼に近づき、顔を上げる。

「あのクズ、どうするの?」

「霞。仲間をクズ呼ばわりするのはどうかと思います」

「で、でも!あいつのおかげで、さっき私たちは危機にさらされたんでしょ!?」

「司令官。言葉はあれだが、私も霞と同意見だ。今のままでは、時雨は役に立たない。自分だけならまだしも、仲間も巻き込む味方は、害でしかない」

 彼らの言いたいことを、司令官はわかっている。彼らに張り付けた百式司令部偵察機から、報告は受けていた。

「他に飛ばすとか、できないの?」

「霞、ここでダメなら、どこへ飛ばせというのですか?」

 不知火の答えに、全員が渇いた笑いをする。今彼らがいるのは、日本本土から離れ、南端に位置する孤島。艦娘の墓場、再訓練場と言われる基地で、いわゆる左遷先だった。ここでダメなら、もう左遷する先などない。

「まあ、いつものことだ。この基地にやってくる艦娘は、皆癖のある艦娘ばかりだ」

 司令官は、電たちを見渡す。

「君たちも含めて、ね」

 

「その時雨の事なんだけど」

 

 司令官は背後からした聞き覚えのある声に勢いよく振り向く。

「響、早いな。もう入渠ドックに時雨を連れて行ったのか?」

「抵抗されたから、艤装を剥がしてドックに投げ込んで、高速修復剤をぶち込んできた。もう回復しているよ」

「……荒っぽいなあ」

「冗談に決まっているじゃないか」

「表情一つ変えず、素面で冗談言われても、響なら信じてしまうよ」

「日頃の行いってやつだね」

 司令官は、ははは、と渇いた笑い声を漏らす。

「と、そういえば響。時雨が、なんだって」

 咳払いをし、司令官は彼女に向き直る。

「時雨のこと、私に任せてくれないかな?」

「……どういう意味かな?」

 司令官は表情を引き締め、先を促す。

「今のままだと、時雨は戦力にならない」

「そうだな」

「だから、私が戦力になれるよう、彼女を説得するよ」

「……できるのか?」

「私に任せてくれれば。ただし、必要な資料があるんだ」

 司令官は、しばし響を見つめ、その真意を図ろうとする。僅かな時間だが、2人は見つめ合う。そして、司令官は息を吐きだした。

「……わかった。時雨の件は響に任せる」

「ありがとう」

「資料室の鍵を貸すから、必要なものを持ち出して構わない。頼む」

「任されたよ、司令官」

 響は司令官から鍵を受け取ると、目的のものを探しに資料室へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 入渠から上がった件の艦娘、時雨は傍目に見て、荒れていた。

「くそっ!邪魔してくれて。何が戦闘は最小限に、だよ。あの腰抜け司令官。敵を沈めるのが艦娘の役割なのに、それを否定するのか!」

 折角怪我が治ったのに、彼女は手近にある木を拳で何度も殴り、手の甲に僅かに血がにじむ。

「それに、響。本当に入渠ドックに投げ込んでくれて……」

 司令官の前では冗談だといったらしいが、冗談ではなかったらしい。

「ダメだ。ここにいたら、目的が果たせない」

「何が目的なんだい?」

 時雨は背後からした声に振り返る。そこに居た人物を視界に捉えると、彼女は不機嫌そうに眉をひそめる。

「……何の用、響」

 近づくなというオーラを全身から放つも、そんなこと意に介さず、彼女は歩みよってくる。

「やあ、時雨。荒れているね」

「……誰のせいだよ」

 それには応えず、響は時雨のそばで歩を止める。

「何の用か、だって?君に話があってきたんだよ」

「……何」

「時雨、君を艦隊から外すよう司令官に具申した」

 響の言葉に、時雨は目を剥いた。

「司令官も、承諾してくれるって」

「な、なんで!」

「なんで?さっきの戦闘のせいに決まっているよ」

「さっきって。でも、僕は何隻か敵を沈めたはず!」

「その敵の艦隊に1人突入していった挙句、敵を引き連れてきて包囲されかけ、味方を危険に晒した。それに、司令官から目的は哨戒であって戦闘ではないと言われていたのに、破ったのは誰だい?」

 言い返せない事実を突きつけられ、時雨は黙り込む。

「何であんなことをしたんだい?」

「深海棲艦を沈めるのが、艦娘の役割だから」

「それだけ?」

 響は背伸びをしながら時雨の瞳を覗き込む。空色のように、透き通った青い響の瞳が時雨を射抜く。

「私にはね、君は深海棲艦を沈めることに執着しすぎているように見えるんだよ」

「それがなんだっていうの?艦娘なら当然でしょ」

「そうだね。でも、君は普通じゃない。自分が沈みそうなほど損傷しても、なお戦おうとしていた」

 先程の戦闘で、時雨は大破寸前だった。それでも彼女は引かず、戦った。

「まるで、何かに取りつかれているようだったよ」

「……そんなの、君の錯覚じゃないか」

「西村艦隊」

 その名を聞いたとき、時雨が若干目を見開いたのを、響は見逃さなかった。

「かつて私たちが鉄の船だったとき、最後の大海戦といわれたレイテ沖海戦。その中で君は、その艦隊の一員として戦ったらしいね」

 時雨はだまり、口をつぐむ。

「でも奮戦虚しく、西村艦隊の艦艇は、海の底に消えた」

 響は顔をあげ、少しうつむいている彼女の瞳を覗き込む。

「君を残して、ね」

 時雨は奥歯を噛み締め、響の瞳を見つめ返す。

「そしてこの姿になってからも、君は残されることが多かった」

「……なんのことさ」

「君が以前いた鎮守府でのことを調べた。君の戦闘資料も、ね」

 響が司令官に資料室を借りたのは、時雨の過去のことを調べるためだった。鉄の船だった当時、2人に接点はほとんどなかったからだ。

「前の鎮守府にいたときも、幾つもの艦隊が君を残して全滅している。そんな君を、周囲は気味悪がった。そして、この基地に左遷させられた」

「だから何?僕は死神だっていうの」

「違うよ。さっきみたいな戦い方をして生き残ったのなら、大したものだと思っただけさ」

「あんな戦い方しない」

 それを聞いて、響は僅かに目を細めた。

「じゃあ、あんな無茶を始めたのは、この基地に来てからなのかい?」

「だったら、なんだっていうのさ」

 時雨はうんざりした顔で響に背を向け、話を打ち切ろうと歩き出した。

「時雨、今から私は、君がとっても怒ることを言うよ」

 時雨は応えず、そのまま歩いていこうとする。

 

 

「今の君がこんなのじゃ、先に逝った彼らは無駄死にだったね」

 

 

 時雨は全身をめぐる血液が沸騰したように急激に体が熱を持ち、目にも止まらない早さで響に詰め寄って胸倉を掴んだ。歯を噛み締め、目の前の響に向けて敵意を全身から溢れ出させるが、彼女に気にした様子はなく、

「どうしたんだい、時雨」

などと首をかしげながら問いかける。

「……てよ」

「何だい?」

「取り消してよ!さっきの言葉を!」

「嫌だよ」

 時雨は両手で、鼻先が触れそうなほど彼女を引き寄せる。

「無駄死になんていうな!その言葉を聞いたら、沈んだみんながなんて思うか!」

「無駄死にだよ。その彼らの犠牲の上に立っている君が、無茶をやらかし、命令を無視し、仲間を危機に陥れることをやっているようじゃ」

 時雨は言葉をつまらすも、響を射抜く視線は緩めない。

「時雨、私たちの役割は敵、深海棲艦を沈めること。それは間違いじゃない」

「……なら」

「でも、私たちは司令官の部下。彼の命令に従う義務がある。敵を沈めれば、命令無視や違反、仲間を危険に晒したことが許されるわけじゃない」

 艦娘を兵器扱いするか、人間扱いするかで意見が分かれるが、少なくともこの基地の司令官は彼らを部下として見ている。

「なんで君は、この基地にやってきてから、我が身を省みず、敵を沈めることに執着するようになったんだい?」

「……君には関係ない」

「そっか。じゃあ、当ててみせようか?」

 時雨の視線など意に介さず、響は続ける。

「沈んだみんなの、(かたき)を取るため」

 艦娘は、かつて沈んだ戦船の記憶を持つ。かつての敗戦、守れなかった後悔など、違いはあれど負の記憶を持っている。

 人の姿を得て2度目の生を歩み始めたことで、今度こそは、そう思う艦娘たちは多い。

「そ、そうだよ。よく……」

 

 

「とでも言うと思ったかい?」

 

 

 響の言葉に、時雨は虚を突かれたように固まる。

「君の場合は違う。君は、沈みたいと思っているんだよ」

 時雨が言葉を詰まらせ、固まる。図星だったのだろう。

「1人残されたくなかった。最後を看取りたくなんてなかった。だから君は行きたいと考えている。沈んだみんなの居る、暗い海の底へと」

 響は時雨の心を覗こうとするように、顔を近づける。

「だから、敵艦隊に単独で突撃するなんて無茶をやる。沈めることに執着する。敵と相打ちになれば、沈んでも自分の死は無駄じゃなかった。沈んだみんなに、自分は戦ったよって、言い訳ができるからね」

「わかったみたいにいうな!」

 大気を揺らすほどの大声が、時雨の小さな体から発せられる。

「君に、君に何がわかる!一緒に戦いたかった、最後までそばに居たかった、守りたかった、沈みたかった、残されたくなんてなかった!でも、どれだけ頑張っても手からこぼれ落ちていく様を、黙って見ていることしかできなかった者の気持ちが!」

 時雨は最後、あの命運を分けたレイテ沖海戦で、西村艦隊の仲間とともに戦い、沈むはずだった。

 だが舵の故障で戦線から離脱を余儀なくされ、結果時雨は1人生き残った。突き進む、炎上する仲間を、背にして。

 最後まで、火の玉になろうとも、共に戦うと誓ったのに。

 

「……わかるよ」

 

 響は、静かに言った。

「わかるよ。守りたいものを失う辛さや、1人残される悲しみも」

 響は言った。その瞳に、僅かに悲しみを滲ませて。

「私も、そうだった……」

 時雨の険しい表情が緩み、響を掴む手が僅かに緩んだ。

「私は、かつて第六駆逐隊に属していたとき、姉妹をみんな失った。(かたき)を打つことも、できなかった」

 暁型4隻で構成された駆逐隊、第六駆逐隊。だが、それは響にとって大事な記憶であると同時に、悲しい記憶でもある。

 

 

 暗闇の中探照灯を照射したことで、集中砲火を浴び、沈んだ暁。

 誰にも最後を看取られることなく、1人水底へと消えた雷。

 護衛を交代した直後に、目の前で海に引きずり込まれた電。

 

 

 響は生き残って戦後ロシアに引き渡され、北の地でその生涯を終えた。

 

「だから、私は誓った。今度は、姉妹を絶対に守ってみせるって」

 たとえ、自分が沈もうとも、そう彼女は付け加えた。

「……だったら、僕のこと理解できるよね」

「……ああ。だから私は少し前まで、電を守るために、色々無茶をした」

「じゃあ、なんで今はやめているのさ」

「簡単なことだよ」 

 響は僅かに間を置き、時雨をじっと見つめながら言い放った。

 

 

「電が、それを望まなかったからだよ」

 

 

 響の言葉の意味が理解できず、時雨は首をかしげる。

「確かに、自分の命を()してでも大事なものを守ることができれば、自分は満足かもしれない」

 時雨はだまり、響の言葉に耳を傾ける。

「でも、もし私が沈んだら、遺された者、電はどう思う?」

 時雨は、すぐに想像がついた。

「自分が弱かったせいで私が沈んだ。他に何か手があったんじゃないか。答えの出ない問いかけを、彼女は死ぬまで続けて、苦しみ、自分を責め続ける。かつての私と、同じように」

 時雨は何も言えず、次第に俯いてくる。

「沈んだものはいいよ。もう自分の行いを(かえり)みることもない。でも、遺された者はこれからも歩いていく。その彼らに、かつて私たちが感じた苦しみを、味あわせたいのかい?」

 響は、時雨の手を自分から引き剥がした。

「私が一度電をかばって大破したとき、私は満足だったよ。今度は、守れたってさ」

「そう……」

「でも、私が電の顔を見上げたとき、彼女は泣いていた」

 時雨は顔を跳ね上げた。

「沈んじゃいや、置いていかないで、1人にしないで。そう泣き叫ぶ彼女は、今も忘れられない。そのとき思ったんだよ」

 響は自分の右手の平を目の前まで上げ、しばし見つめる。

「私は、電を守りたかったんじゃない。かつて姉妹を守れなかったという事実を、今度は守れたという事実で上書きしたかった。そうすることで、自分の心を守りたかったんだよ」

 時雨の瞳が僅かに揺れ動く。

「私は彼女を守っているようで、それは結局自分のためだった。結果、彼女を傷つけていたんだ」

 一途な想いは、力になる。でも、強すぎれば、それは押し付けと変わらない。相手が望むとは、限らない。

「だから、私は君のような無茶はもうしない。電を守り、そして私自身も生き残る。もう、彼女を悲しませないためにも。一緒に、戦後を迎えるためにも」

 響は誓いを立てるように、右手を胸の僅かに左側に当てながら言った。

 彼女は放っておけなかった。少し前の自分と、少し似ているかもしれない、過去に縛られ続けているのかもしれない時雨を。

 

「それで、君はどうなんだい、時雨」

「僕は…」

「沈むことが目的なら、相手を沈める必要はない。なのに、君は深海棲艦を沈めることにもこだわり、積極的に接敵しようとした。なんでだい?」

 時雨は静かに話し始めた。

「君の言う通り、沈みたいって、思っているよ。でも、違う目的も、ある」

 響の推測は当たっていたらしい。でも、それだけではないようだ。

「響は、司令官から聞いたことある?」

 響は時雨を見つめながら、首を僅かにかしげる。

「僕たち艦娘も、深海棲艦も、かつてこの海に沈んだ者たちの、欠片であるって話」

 それは、響も聞いたことがあった。

 

 この広い海原に消えた、数多の艦艇たちや乗員たち。彼らの数多の命や、抱いた想い。その欠片が、艦娘に、深海棲艦になったという話を。

 

 大事なものを守りたいという艦娘。

 後悔や憎しみを宿した深海棲艦。

 

 司令官は、あくまで可能性だと言っていたが。

 

「その話を聞いて、僕は思ったんだ」

 響は、時雨が何を考えていたか、想像がついた。でも、黙って彼女の言葉を待つ。

「戦闘で出会う深海棲艦は、沈んだ仲間たちの欠片が、宿っているかもしれないって」

「沈んだ仲間の欠片を探していたのかい?でも見つかったとして、どうするつもりだい?」

「……聞きたかったんだ」

 時雨の頬を、一筋の雫が流れた。

「何を?」

「……聞きたかったんだ」

 時雨は奥歯を噛み締め、言い放った。

 

 

「彼らの、沈んだ仲間の気持ちを!彼らの言葉を!あのとき生き残った僕を、どう思っているのかを!」

 時雨は秘めた真意を吐きだした。

 

 海の上には、沈む者、沈まない者の2種類しかいない。

 でも、この2種類には大きな差がある。

 生き残ればまだ歩める、先がある。でも、沈めばそれはない。

「大事な仲間を守れなかった、助けられなかった。そのことを僕は覚えているよ、全部」

 いくつもの戦いを生き抜いた者を、死神。或いは、幸運艦、と呼ぶことがある。でも当事者にとっては、幸運や死神というあだ名など、問題ではない。

 当事者が抱くのは、自分が残された、共に戦えなかった、守れなかった等、罪悪感と申し訳なさだ。

「けど、沈んだみんなが、僕をどう思っているか……。それはわからない。だから……」

 沈んだ者たちは、生き残った者の中でしか生きられない。

 僕だけは覚えている。そういう時雨も、もう限界に達そうとしていた。

 

 

 最後まで一緒に戦うはずだった、扶桑、山城、山雲、満潮、朝雲、最上。

 共に戦い、生き残ったのに、置いていくしかなかった最後の姉妹の五月雨。

 彼女にとってただ1人の姉だった、衝突によって沈んだ白露。

 

 

 彼女は、数多の仲間の最後を看取った。それが積み重なり、縛られ、押しつぶされそうになっていた。

 答えを求める一方で、時雨は疲れていた。だから、沈んでもいいと投げやりになった。答えが見つかるなら、海の底に沈んでも、いいと思ったのだろう。

「時雨。残念だけど、どれだけ探しても答えはないよ」

 わかっていたことだった。沈んだみんなは、もう言葉を紡がない。でも、それでも生き残った時雨は答えを求めた。

「でも、たとえ答えがなくても、生き残った私たちに、立ち止まることは許されない。沈んだ皆の生きた様を知るものとして、それを伝えていく責任があるんだ」

「……責任」

「私たちが、沈んだ彼らにできる、ただ1つのことだよ」

 司令官からの受け売りだと、彼女は付け加える。

「彼らのことを伝えるために、私たちに沈むことは許されない」

「でも、もう、辛いんだよ」

 時雨はその場に膝をつき、うつむいた。

「じゃあ、仲間を頼ってよ。私や司令官、この基地にいるみんなを」

 響も膝をつき、時雨に視線をあわせる。

「でも、みんなだって、いついなくなるか、わからないじゃないか…」

 一緒に帰ってくる。艦隊の仲間と幾度となく交わしたであろう約束を、時雨は信じられなくなっていた。

「大丈夫だよ。私はいなくならない」

「……なんで、そう言い切れるのさ」

 響は、僅かに微笑みながら言った。

 

 

「私には、不死鳥の通り名があるんだ」

 

 

 響は時雨に顔を近づけ、両手で彼女の顔を包むように頬に当てる。

 

 

「どんなに傷ついても、何度だって蘇って、羽ばたいて、必ず、君のもとに戻ってくるよ」

 

 

 響は右手を時雨の顔から離し小指だけを伸ばして、彼女の前で止めた。

「約束するよ」

 数々の損傷を受けながらも、不死鳥のごとく蘇り、戦後まで生き抜いた駆逐艦。その彼女の言葉に、時雨は無意識の内に小指を彼女と絡ませていた。

「本当に?」

 問いかける時雨に、響は言った。

「不死鳥の名は、伊達じゃない」

「……うん」

「だから、もう無茶はしないで。仲間が沈むのを見るのは、もう嫌だから」

 時雨は頷き、2人は指切りをした。

「約束だよ、響」

「うん、勿論だよ」

 そして響は小声で、

 

「まあ、修理のタイミングにもよるんだけどね……」

 

 と呟いた。

「何か言った?」

「なんでもないよ」

 そして、彼女は時雨の手を掴んで引く。

「それじゃあ、さっき一緒に出撃したみんなに謝りにいこうか……」

 すると、時雨は表情を曇らせ、足が地面に生えたように動こうとしない。

「でも、あれだけのこと、したから……」

「大丈夫、私も一緒にいくから」

「……みんな、僕のこと」

「みんな、話せばわかってくれる。今私たちは、言葉を交わすことが、ちゃんとできるんだから」

「……そうだね」

 響に手を引かれ、時雨は歩き出した。

 そのとき、海から風が吹いた。響は、咄嗟に帽子を押さえた。時雨は、風が吹いてきた海をみやった。

「どうかしたかい?」

 時雨はしばし海を見つめ、響に向き直った。

「ううん、なんでもない」

「??そうかい」

 なぜか笑みを浮かべる時雨を訝しんだがそれ以上追求せず、2人は並んで歩き出した。

 響には聞こえなかったようだが、時雨には聞こえたようだった。

 

 

『ありがとう』

 

『わたしたちのことを』

 

『伝えてくれて……』

 

 

 海を巡り、風に乗り、きっと時雨に届いただろう。

 水底に沈んだ、彼らの言葉は。

 

 

 

 




思いつきで書いた物語なので読み難い部分があったと思いますが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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