1 to 9 (人を喰う)   作:時鳥羽 逢

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零・蟻の魂(タマシイ)


 疲れた。

 どれくらい疲れたかというと、軽く人生を辞めたくなる程度には困憊だ。

 自室のベッドに座り込み、一呼吸以上の息を吐く。

 しかし大丈夫。

 僕の手元には、疲れに疲れた体でも、睡眠へ導入してくれる素敵な素敵なお薬がある。

 こいつを用法・容量をガン無視して瓶の半分も飲めばあら不思議。

 簡単に永遠の眠りに就くことができるのだ。

 立ち上がり、薬は左手に、右手を腰に。

 瓶の飲料を摂取する伝統のスタイルに則って、準備は完了。

 グッバイ現世。

 そう覚悟して服用しようとした薬は、

 

 

 

 突如、瓶ごと砕け散った。

 

 

 

 白い床に散らばる錠剤。

 どうして瓶は砕けたのか――そんな疑問は浮かばない。

 何故なら目の前には空間を割いて、瓶を握りつぶした謎の手が現れていたからだ。

 薄い絹の手袋に覆われた、たおやかな白い右手。

 その手が艶めかしく動き、固まったままの僕の左腕を掴む。

 柔らかく、冷たい感触。

 なんだこれ。

 分からない。

 現状の把握もできず、すべき行動も思いつかず、ただ、僕は、見る。

 そして、想像する。

 その腕の主は――その腕の先は、次元を無視して切り開かれた、暗い、暗い隙間の中に。

 

「貴方」

 

 違った。

 天井からかけられた声が、僕の想像を否定する。

 またも空間を割いた隙間は、その口から女性の上半身を覗かせている。

 怪しい、妖しい笑みだった。

 白と紫を基調とした少女趣味な謎のフリル衣装を着た、やけに美人な金髪の外人さん。

 僕の目の前に姿を現したのは、笑みと同じくらいに妖しい女性だった。

 右腕は見えない。

 当然だ。

 右腕は今、僕の手を握っている。

 

「死のうとしたでしょう?」

 

 少女のような女性のような、ただ美しさや綺麗さといった肯定的な要素だけを抽出した声。

 穏やかなはずの声色は、けれど、返答を許さない言い知れぬ重圧を僕に与える。

 僕の言葉を待たず、その何かは続ける。

 

「自ら死を選ぶということは、自分の生を捨てたということ。

 それならば、何処の誰がどう扱ったって構わない、そうでしょう?

 折角だから、私が貰ってあげる。

 感謝しなさい?」

 

 ぐん、と掴まれていた腕を引かれた。

 細腕は物理的な制約を無視して、僕の体を強制的に引っ張って。

 いや、引きずり込んで。

 何かを思う暇もなく、暗い隙間の中へと僕はいとも容易く招待されてしまった。

 重力はない。

 取り囲むのは、暗闇に近い紫色の背景、そして浮かぶ数えきれないほどの目、目、目。

 顔を上げれば、腕をつかんでいる女性の、完璧に作られた笑みが見えた。

 ここにきてようやく。

 僕の世界が暗い紫と無数の目とたった一人の人物に支配されてしまって、けれど何もわからないなりに、ようやく。

 ヤバい、と気付いた。

 僕の表情を見てだろう、笑みはより深くなる。

 嗜虐的に。

 

「あら。

 死のうとしていたのでしょう?

 どうしてのかしら、まるで生を渇望する人間みたいな顔をして」

 

 その言葉に、場違いながら頭が沸く。

 勝手に来て、勝手なことをして、勝手なことを言いやがって。

 僕は、死ぬべき時に死にたくて、死のうとしたんだ。

 何をされるか分からないけれど――他人に僕を貰われるなんて、まっぴら御免だ!

 そんなことを考えながら、僕は必死で左手を掴んでいる腕を、掴み返す。

 けれど、どんなに指に力を入れても。

 見た目どおりに柔らかなその腕は、でも硬質な金属の塊のように、僅かな変形も許さない。

 化け物。

 そんな単語が脳裏に浮かぶ。

 

「無駄よ。

 諦めなさい」

 

 微塵も態度を崩さず、僕をどこかへ連れて行こうとする化け物。

 その目に僕は映っていなかった。

 蟻を見る目だった。

 見つけた蟻地獄へぽとりと落としてやろう。

 抓んだ蟻の気持ちなんて一切考えない。

 砂の上ででもがく蟻の命なんて一切考慮しない。

 そんな目だった。

 嫌だ。

 こんな化け物に。

 命をどうこうされるなんて――絶対に嫌だ!

 

 化け物の腕に、精一杯の力を込めて、爪を立てた。

 

 

 

   ***

 

 

 

 後で思えば、この瞬間がスタートだった。

 妖怪の供物(エサ)となるべく捕えられ、抵抗などできなかったはずの僕が。

 八雲紫という規格外の存在に一矢報い、そして幻想郷へと足を踏み入れる――正確には頭から突っ込むこととなった、その契機。

 ひどく陳腐に理由を説明するならば、それは例えば、漫画やアニメの主人公のように。

 土壇場で新たな力に目覚めた、などという荒唐無稽な奇跡の出来事。

 

 のちにこう呼ばれることとなる――『蟻穴を開ける程度の能力』。

 

 その最初の一撃が八雲紫の手の甲に僅かな爪痕を残し。

 虚を突かれた、それ以上の内心を読み取れない美人な化け物の顔を眺めながら――僕は放され、謎の空間を落ちて行った。

 上下左右なんて概念はなく、重力も存在しないこの異空間で、落下というのは不思議だけれど。

 ただ化け物との距離が離れていくその間、僕はただ茫然としていた。

 

 だから。

 『蟻穴を開ける程度の能力』が八雲紫の精神に小さな小さな穴を開け。

 そこから漏れる妖力が幻想郷中へとばら撒かれ。

 神隠しの妖怪たる八雲紫の性質、「簒奪」の力が妖怪たちの無意識に多大な影響を与え。

 八雲紫の冬眠という状況下で、犯人不在の異変が起こるだなんて。

 今の僕には想像どころか、説明されたとしても理解できるわけもなかったのだ。

 

 何を言いたいかというと。

 ……僕のせいじゃないじゃん?

 

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