「それ、どうしたんだ」
「一服盛られました」
ただいま帰りました、と寺子屋の戸を叩いてみれば、この反応である。
とはいえ、慧音先生が怪訝に問うのも仕方がない。
一日ぽっち目を離したら、知人の腕が増えているのだ。
永遠亭に泊まって一晩経過したが戻らない、本当に医者は信用ならない。
そのうちどうにかなる、なんなら根本から千切ればいい、とは不死者全員の総意であった、彼女ら全員信用ならない。
人里までの帰り道、妹紅ちゃんといたたまれない道中を過ごしたのは些事であろうか。
ちなみに、先ほど逃げるように帰っていった。
「慧音先生や里の人から聞いた好意的な評価を、僕はあの御医者様に抱くことが出来ないのですが」
「そういう奴もいるにはいるが、何があったか聞いても教えてくれないんだ」
人心掌握と人体実験、同時並行で無駄の無い仕組みが出来上がっていた。
しかしそう考えると、目に見える証拠をそのまま放置された僕は一体……。
そのうちすぐに死ぬからだろうか。
「何にせよ、丁度良かったというか、間に合ったというか。
今、お前に客が来ている」
「へ?」
お礼参りならともかく、客なんて来てもらう理由が見当たらない。
すわ例の鴉天狗かと警戒を強めるが、案内された客間に行ってみれば。
待っていたのは、見たことの無い美少女だった。
赤みがかった髪、ハイセンスな配色の着物、巨匠が妙な凝り方をして完成した日本人形のような造形。
何より生き物らしさが足りないその目は、あまりに異様で、けれど不思議なことに見慣れた感覚を抱かされた。
「私、稗田阿求と申します」
どこかで聞いたような、と記憶を探れば、その名はかの妖怪大辞典、幻想郷縁起の編纂者だった。
思い出しはした、だけれど、納得の感情からは程遠い。
この四本腕のことを除けば、僕は妖怪でも神でもないのだ、要件は何だというのだろう。
「貴方のことは、文の新聞を読んで知っていました。
一面四臂の化生とは書いておりませんでしたが」
「誤解です、れっきとした人間です。
むしろ人でなしの悪意を受けた側です」
くすり、と笑みを溢されて、訂正にも力が入る。
ついでに、というわけでもないのだろうけど、新しい方の両腕にも力が入る。
微妙に僕の感情を反映しているのが、愛着を抱く以上に気色悪い。
しかし、取材という名の迷惑行為からほんの数日である。
新聞を作るのにかかる時間など分からないが、確かに幻想郷最速という触れ込みの通りではあるのかもしれない。
「ご存知かもしれませんが、私は幻想郷縁起という書物を編纂しています。
その中の妖怪に関する記述の為に、色々な方からお話を聞いているのです。
特に妖怪に詳しい方、あるいは普通の人間とは異なる関与の仕方をしている方などに」
「はあ」
「貴方の話を聞きたい、それが目的の半分」
すっ、と。
まるで微笑みが作り物だったかのように表情を消して、阿求ちゃんは言う。
「そして、貴方にお話がしたかったのです。
察するに、『蟻穴を開ける程度の能力』を有する貴方に」
***
それは、安定を揺るがす力なのだという。
どんな強大で堅牢な堤も、蟻が開けた小さな穴から崩れ去ってしまうように。
開けられた小さな穴に気付かなければ、誰にも知られることなく、崩壊を招く。
力の向く先は肉体であったり、または精神であったり。
はたまた、存在であったりする、と。
「私は貴方と似たような能力を持つ人間を見たことがあります。
もっとも、今より何百年も前のことですが。
私、転生を繰り返して生を繋いでいるのです。
見たというのも、幽かな記憶を頼りに自身の記録を読み返したということですが」
寂しげに目を細めたのは、おそらく自嘲だ。
転生でどれほど生きたかは知らないが、故人を語るその心境は、言葉になどできないだろうけれど。
「彼は――――貴方と同じく男性でした――――彼は、享年十二歳でこの世を去りました。
医師の見立てによれば、まるで命がどこからか漏れ出ているかのよう、とのことだったそうです」
貴方のように、とは言わなかったが、言うまでもないことだった。
だとすれば、『蟻穴を開ける程度の能力』というものは、自分の命に穴を開け続けるのだろう。
自傷行為を繰り返しているようなものだ、治療も何もあったものではない。
「能力というものは、その者の持つ性質の顕れである、というのが個人的な意見です。
だから似たような存在には、同じような能力が発現することがあります。
天狗や河童などの妖怪は、種族ごとに同種の能力を持ち得ますが、それは父母と子の性格が似るようなものなのです」
「その人と僕、そんなに似てますか」
「ええ。
生きるために死にたがるところまで、そっくりです」
その言葉は初対面の阿求が口にするには辛辣に過ぎて、僕は否定を返そうとする。
けれど。
「一生の短さを自覚して、ゆえに生を求める。
意味のある死と、生を全うすることは表裏。
貴方もそう考えるのでしょう」
語られたのは、一分の隙も無く、僕の心境そのものであった。
開いた口から息だけを吐き、阿求から目を逸らす。
ばつの悪さ?
いや、きっと違う。
「貴方は私とまるで反対で、でも、だからこそ、同じですね」
稗田阿求は、吐き捨てるようにそう言った。
つまり、単なる同族嫌悪だ。
***
「貴方にお話がしたかった」ことは、それで終わりだった。
それから、あるいは、それでも。
僕を分かりすぎた阿求は、僕の話を聞きたがった。
自分でも把握していなかった心情を補足しながら、僕の見た幻想郷を阿求は描写した。
それがこの九つのお話で、つまり正確に言えば。
「僕」は「私」、阿求の言葉を交えた語り手でありキャラクターだ、ということとなる。
さて、一人称を著者の「私」と改めさせてもらったところで、残念ながら私の話はすぐに終わる。
なぜなら、私はこの少年と以降、再会することはなかったのだから。
少年が幻想郷へと足を踏み入れ、私と会うまでの事柄を語り終えた、丁度その時だ。
戸を叩き現れた寺子屋への新たな来訪者を、慧音が迎え、そうして。
目を狂人のように輝かせた射命丸文が、疾風のごとき早業にて、少年を浚って行ってしまったのだ。
――――