1 to 9 (人を喰う)   作:時鳥羽 逢

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※以降の話では、話毎に視点を変更します。



十・某(ナニガシ)の轍(アトカタ)


 墨を()る。

 時を数えるがごとく一定の調子で、静寂を厳かに切り取っていく。

 この時間が、私は好きだ。

 心を落ち着け、ただ来たるべき時を無心で待つ儀式。

 

 開け放った障子の外からは、肌寒い冬の空気が入り込んでくる。

 雲も薄く風も無い、ただ染み入るような暗さが、墨磨りの音とともに、じわり、じわりと増していく。

 

 陽光が夕闇に呑まれる短い間。

 黄昏、「誰そ彼」と解される、傍を過ぎる存在すらも曖昧な、境界の揺らぐ時間帯だ。

 しかしここは元より、人妖入り混じる幻想郷。

 人の活気も妖の喧噪も鳴りを潜め、妙に静まりかえっているのが興味深いところだ。

 

 けれどよくよく心を澄ませば、抑えきれないざわめきが、音もなく感じられる。

 水面下では妖たちの、煮えたぎるような興奮が渦巻いていることだろう。

 それは、勿論私自身も同様ではあるが。

 いや、むしろ他の人間、妖怪たちよりも、沸々とした感情を抱えているのかもしれなかった。

 

 月の満ちたる夜が来た。

 

 私、上白沢慧音は妖たる獣の力を、この身に宿すこととなる。

 半人にして半妖、存在に潜み淀む超越が、私という存在を塗り替える。

 白沢。

 森羅万象の一切を知るという異能、その一端を以て、幻想郷の全てを知る。

 

 妖の宿命、獣の本能が、情報というのも愚かしい、世界の有様を否応なく内に取り込む。

 そして人間の傲慢さを自認して、史という名の出来損ないに、価値を貶める。

 

 許されるのなら、白沢の私が見た事実を僅かな欠けもなく伝えたい、伝えきりたい。

 だが白沢でない存在には、万象の知識を受け入れることなど出来はしない。

 満月の夜を過ぎれば、たとえ白沢としての妖力、その欠片を持つ人間たる私であっても、忘却という自衛なくては耐えられないのだ。

 人間の私は幻想郷の歴史の全てを覚えているが、それは幻想郷の全てを知っていることと同義ではない。

 

 歴史の編纂、事象の言語化。

 それは己の身を切り刻むような苦痛だ。

 些事を切り捨て、枝葉を削り、明快な本筋だけを筆に乗せる。

 言葉という稚拙な道具に頼ることを厭いながらも、しかしながら、伝えることだけは止められない。

 まさにそれこそ、人間に忠告を与える妖怪、白沢の本質なのだから。

 

 

 

 さて。

 今宵歴史に堕とすのは、未だ行方の知れない、とある少年の顛末である。

 外の世界より訪れ、妖怪の腹の中に死に場所を求めた、壊れた少年。

 半月ほど前に浚われたきり、後の出来事を語る者のいない、謎に包まれたその最期。

 いや、命を落としたとは限らないのだが。

 しかしながら幻想郷に生きてきた人間、彼ら彼女らの例を鑑みるに、少年は生きてはいまい、とそう思うのだ。

 白沢たる私が知る、「妖怪の楽園」の現実だ。

 

 誰も行方を知らないのは、少年が姿を消すのと丁度時を同じくして、不可思議な異変が起こったためでもあろう。

 その異変、博麗の巫女が終結を宣言したとはいえ、その始まりも終わりも口にはしなかった。

 ただ、異変と呼べる事象が起こり、いつしか人知れず静まった、という結果だけが残ったのだった。

 名を付けられることもなく、人々にはじきに忘れ去られるだろう、謎に包まれた異変。

 

 私がこの目で確認した限りにおいて、とある天狗が正気を失ったのが事の始めではあった。

 だが、里の者やらに聞くところによれば、それは本当に「何時の間にか」起こっていたのだという。

 例えば。

 常ならば気の良い妖怪の様子が、どこかおかしかった。

 後から考えてみれば、見慣れない妖怪がうろついていた。

 突如、何の前触れもない迷惑事が、そこらかしこで起きた。

 そういった違和感を確と認め、他人に語ろうとする頃には事は治まり、現在(いま)でなくなってしまっている、といった具合に。

 

 それはどこか、かの少年と似ていて。

 気付けば現れて周囲を騒がし、さして長居することもなくふらりと何処へか行ってしまう。

 なにやら大変だった、などという曖昧な徒労感を味合うだけで、それが何だったかは結局何者も掴めはしない。

 それでも、彼の持つ独自の違和感、嫌悪と希求を併せ持つ性質は、私の心を捉えたままだ。

 

 あるいは彼と最期に語り合った阿求にでも尋ねれば、少年の断片にせよ得ることはあるのかもしれないが。

 無粋に対価とは言わずとも、今回の異変が如何様なものであったかを私から教える必要があるだろう。

 それはつまり私が白沢となる満月の夜、今宵を待たねばならなかったわけで、無為な想定だ。

 

 いずれにせよ、百考は一行に如かず。

 深まる闇、照らす月光の強まりとともに、私は白沢の能力を――――。

 

 

 

「……ちょっと、慧音?

 どうしたの?」

 

 背後からかけられた妹紅の言葉に、我に返る。

 筆を手に持とうとしたそのまま、私の身体は完全に止まっていたらしい。

 ぐぐぐ、と首だけで振り返り、これから私の記す歴史を、肩ごしに眺めようとしていた妹紅に。

 

「あのな」

「うん」

「見なければよかった」

 

 吐露した。

 きっと私は、他人の性癖を不意に知らしめられたような、理不尽への辟易を表情に浮かべていたことだろう。

 

 

 

 どうしよう。

 …………歴史に記すの、やめようか。

 

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