久方ぶりに眺めた月は新月だった。
少なからず残念ではあったが、百鬼夜行をするわけでなし、仕方がないと息をつく。
私が珍しくも地上に出てきたのは、他の妖怪には関わりの無い私事なのだから。
とはいえ、別段に私が他の者を慮って行動したことなど殆どない。
自らが"善し"と信じることを、思うがままに行ってきただけのことだ。
それが他人にどう影響を与えてきたのかなど、興味も無い。
「それで、何か用かい、お前さんたち」
私は大岩にどっかりと腰を下ろしたままの姿勢で、盃へ手持ちの酒を注ぎながら、彼女らに問う。
独り、月見酒――いや、月"不"見酒に洒落込もうとする私の前に、不可思議な四人組が現れたのだ。
一人は艶やかな着物の長い黒髪、そいつに従うように立つのは背で太く編んだ白髪、だがどちらも見た目通りに人間、という訳ではないらしい。
その隣にはこれまた人外、身を縮こまらせた妖怪兎が私の視線から目を逸らし、そして唯一の人間を矢面に立たせている。
人間、骨もまだ柔らかな歳の
いや、童と言った方が正しいだろう。
働くため、戦うための肉は未だついておらず、背も随分低い、座ったままの私と然程の差も無い。
表情は少なからぬ怯懦、しかし何故だろうか、目の奥には暗い光がある。
期待にも似た光だ。
恐らく何処かの宴会にでも顔を見せたのだろう、記憶の底に幽かに残っている人外三人は兎も角、この少年は全く見覚えが無い。
とはいえ、人間の知り合いなど数えるほどにしかいない、特に未だ生きている者などは。
あちらが一方的に知っているのかもしれない、と目を細めたところで、先の問いへと戻るわけだ。
「用が無いなら、私から――」
「地底の鬼、星熊勇儀ね」
ばさり、と。
闇夜にも煌めくほどに鮮やかな扇子を翻して。
「異変解決の為、鬼退治をさせてもらうことにするわ」
口上を聞きつつ、私はようやく思い出していた。
確か永遠亭の姫――かぐや、とか言ったろうか。
人ならざるも当然、月より逃げ隠れた月人は、麗しくも堂々と、私に正面きって宣った。
「…………この子たちが」
「えっ、手伝ってくれないんですか!?」
付け加えもした。
ほれ、と押し出された妖怪兎と少年は、裏切りに心底驚いているようだった。
「面白い」
抑えきれない感情に口角を上げ、私は草原を踏みしめ、立ち上がる。
聞いていないだのなんだの、ざわめいていた月人一行は、ぴたりとその喧噪を止める。
そうだろう、続けようもない。
鬼の四天王が一、星熊勇儀の殺気を向けられて、平静でいられるはずがない。
くつくつと笑いを噛み殺しながら、私は少年を視線で貫く。
「鬼退治、受けよう。
近頃じゃあ稀な、人間からのお誘いだからね。
だが、私を負かせなかったなら」
何故だろうか、その瞬間、言うべきではないと根拠の無い勘が吠えた。
しかし既に口走った文句、酒が滑りを良くしたのもあって、途中では止められない。
そして、勘の正しさを直ぐに、私は知ることとなる。
「そこの人間を喰らうぞ」
指さされた少年は。
何故か、笑みのように顔を歪めた。
***
「ぎゃーっ、きゃっ、うひーっ!」
「ちょっと鈴仙、逃げないの!
退がるんじゃなくて、避けるの、立ち向かうのよ!
ほら、弾幕ごっこと一緒よ、一緒」
「全っ然違いますよ!
弾幕っていうか殺意の塊じゃないですか、あれ!
鬼の本気ですよ、当たったら死にますって!
もう無理です、無理無理むりぃ!」
「ああもう、って、ちょっと、あんたもなんでそんなに後ろにいるの!」
「いや、鈴仙さんの言うとおりだし」
「あんたが突っ込まなきゃ勝てないんだから、ほら、永琳、前に連れてきて!
あれ?
何処行ったの、えーりん!?」
阿鼻叫喚であった。
敵が複数ということもあり、まずは小手調べと『力技「大江山嵐」』にも似た攻撃を放ってみたのだが。
既に半壊状態となっている。
個人主義が多い種族である鬼の私が言うのもなんだが、こいつらにチームワークというものは無いのだろうか。
そもそも、勝つ気があるのが命令している一人だけ、戦も何もあったものではない。
「なあ、話の通じそうなあんた。
さっさとそこの人間置いてどっか行くよう説得してくれはしないか?
時間の無駄だろう」
「悪いけれど、我らが姫のお言葉は絶対なのよ」
「絶対と言った割には、従う気が無いように見えるが……」
「私が手伝っては、あの子ら二人に任せたのだからと、後で怒るのよねえ」
先ほど私が腰を下ろしていた岩の上、いつの間にか座していた月人の従者が声もなく笑う。
私が彼女へ振り向かないのも、逆に彼女が私の背を狙わないのも、言葉を交わすまでもなく決まりきっていることだ。
つまりは茶番。
「私だって、あんたの姫さんを愉しませるために地上まで出てきたんじゃあ、ないんだがね」
「それじゃあ、お詫びといってはなんだけれど、軽くお話でもしましょうか。
たとえば、鬼が地上まで出てきた理由、とか」
「どうせ、分かって聞いているんだろうに」
盃を傾け、酔いを僅かに回らせる。
口を、大いに滑らせる。
「妖気だ」
勿体ぶって、舌で唇を湿らせて。
「地底にまで届くんだ、おそらく幻想郷中を埋めているんだろう、甘ったるい、嫌な妖力。
そいつが、私に囁くんだ。
奪えと。
鬼の鬼たる節理を沸き起こし、煮えたぎるような熱を体中に送り込む。
人間から財を奪え、人間から平穏を奪え、何より人間を奪え。
忘れていたような……いや、今まで失っていたような衝動が、私の身体を突き動かす。
だから」
一息に飲み干し、盃を乾かして。
「退治されに、
ちらりと視線を向ければ、全てを悟ってでもいるみたいな、薄い笑みが目に入る。
正直気に喰わないが、己でも仕様の無い奴と承知していることだ、甘んじて受けよう。
これ以上酒を注がないことから、私に喋る気が無いと判断したらしい。
代わり、月人が勝手に台詞を引き継ぐ。
「他人に操られるのは嫌、けれど衝動の原因は自分にあるらしい。
ならば、それ自体に付き合うのはやぶさかでもない。
しかし盟約を破り、地上にまで人間を漁りに来るのは頂けない。
故に、鬼退治。
鬼は伝統に従い、正しく襲い、正しく負ける。
……いやはや、なんとも」
言葉を切りはしたが、続きは言うまでもない。
なんとも、不器用なことか、と。
口にしなかったのは遠慮だろうか、しかし慮るにはあまりに遅過ぎるだろう。
無粋とするのも、同様だ。
「一つだけ、違う」
無粋ついでといってはなんだが、私はまた言葉を漏らす。
「やぶさかでもない、なんて軽い衝動じゃない。
抑えきれない、というのが正しいよ。
もし、あの妖怪兎ほどの奴が本気で掛かってきたなら、こちらも本気で殺しに行っていたかもしれないくらいには。
勿論、あんたらがそうはさせないだろうけど」
未だ弾幕で遊び遊ばれている彼女ら二人を顎で示す。
不審げな無言が背中に刺さる。
身内への世辞くらい素直に受け取っておけばいいものを。
なあに、鬼は嘘を吐かないもんだ。
例外は何事にもあるが。
「なにせ、私の、だからなあ。
ああ、衝動の方じゃなくて。
さっき言った、『失っていたような』ってのは、比喩じゃあないからね――あの妖気は」
そこまで言って。
自身の内、ぼんやりとした違和感を認識する。
それが理解という形になる前に。
空の盃を持った右腕、その肘の辺りに、小さな小さな裂傷ができた。
ああ、成程。
弾幕の中には姫と兎の『彼女ら二人』。
少年の姿が、どこにも無い。
妖怪兎の赤い瞳が、一矢報いたかと、光源もなく煌めいて。
知れず、笑みが零れる。
私の勘も、なかなか的外れでもないだろう?
とはいえ小細工など使わなくてたって、相手が人間なら真正面から戦い、真正面から倒されてやったものを。
いや、あの少年一人が相手なら、あっちが早々に黒星をねだりそうだったろうか。
「これで私の負けだ、ね……?」
鬼退治の終わりを宣言しようと、弾幕を打ち切って、月人の従者に再度振り返った。
けれど、彼女の表情は。
虚を突かれた者の、それだった。
「……あの子、何処?」
新月のもたらす闇夜の下、鬼の力で少しばかり見晴らしの良くなった平原。
少年は未だ、姿を消したままで。
――ああ、ああ、成程。
引きこもりがちで、人遣いがなかなか荒く、少々付き合いづらい性格の奴ではあるが。
地霊殿の主は、実に、有能だ。