一・幻(マボロシ)の郷
「運が良かったわね」
肩あたりの風通しが、やけに良さそうな。
巫女服というにはオリジナリティ溢れる紅白の洋和装を、スタイリッシュに着こなす黒髪の少女は。
訂正、黒髪の美少女は、何が何だか分かっていない僕へ、クールに、あるいはどうでもよさそうに、そんな言葉を投げかけた。
「……まだ何も言ってないけど」
「死のうとしていたらいきなり胡散臭い少女趣味の紫色金髪女が現れて。
浚われそうになったところを命からがら逃げてきたんでしょ?」
「大体合ってる。
なんで分かるの?」
「勘」
「勘すげー」
巫女さん(仮)の言うように、命からがら逃げてきたのが約五分前。
そうして謎の紫空間を抜けたところ、同時に宙に投げ出された僕を助けてくれたのが。
この巫女さん……の後ろで枝をばきばきに折られた木々。
つまりはだいたい自由落下だった。
よく怪我をしなかったものだ。
「勘というか経験則だけれど。
ま、そんな幸運な貴方は、さっさとそこから元の世界に帰りなさい」
「元の世界?」
「いいから行け」
「そうそう。
ここが神や妖怪の跋扈する幻想郷という名のファンタジー異界だなんて知る必要がないことだぜ」
「詳しく話を」
「ちょっと魔理沙?」
巫女さんの隣、魔理沙と呼ばれた口の軽そうな金髪の少女は。
訂正、金髪の美少女は、まるで当のファンタジー異界の代表選手のような、魔法使いルックで縁側に座っていた。
縁側。
ということは、ここは巫女さんの働いている(だろう)、神社の裏手。
たぶん。
「ちなみに、きみ、名前は」
「あいつは霊夢だ、博麗霊夢」
「勝手に名乗らないでよ。
あんたは?」
「先に名乗らない奴に語る名はない」
「全くだ。
あ、霊夢、お茶淹れて頂戴」
「僕の分も」
「自由か、あんたら」
***
そんなこんなで。
枝を折ってしまった木々の周辺に、さも当然のように漂う妖精を目の当たりにしたり。
それではと披露された魔理沙の独力飛行術を目の当たりにしたりして、彼女らの言葉の信頼レベルを一段上げて。
霊夢の境内掃除を別に手伝うこともなく、のんべんだらりと御喋りに興じていたところ、幻想郷についてそれなりの情報を得た。
隔離された世界。
闊歩する妖怪。
顕現する神々。
人間の集落。
一言でいうと、幻想郷は楽園なのだという。
「楽園かー」
「(妖怪の)楽園だな」
「魔理沙は口を閉じてなさい」
霊夢は苦労人ポジションのようだ。
そんな苦労人に苦労させた緑茶を啜りながら、僕は、ほう、と息をつく。
「私はね、今、こいつを外の世界に返そうとしてるわけじゃない。
それをあんた、さっきから」
「よし、住もう」
「それがいいぜ」
「魔理沙! 魔理沙あんたほんとマジ! もう!
というかあんたも!」
だいぶ沸点に近づいているらしい霊夢の語彙力が心配だ。
しかし僕も、その場のノリで言い出したわけではない。
僕は霊夢を説得できるよう、頭の中で冷静に論理を組み立てる。
「霊夢を説得できるよう、頭の中で冷静に論理を組み立ててみるとだね」
「それ言ったら馬鹿丸出しじゃない?」
「霊夢には丁度いいだろ」
「……」
「顔が怖いぜ? 笑顔笑顔」
「……」
「笑顔が怖いぜ?」
「美少女は怖い笑顔も可愛いなあ」
「……」
「「ごめんなさい」ぜ」
般若を見た。
「なんにせよ、僕にはここに住む理由がある」
「ほほう、それはそれは?」
「ねえ、『ここ』って幻想郷のことよね、神社のことじゃないわよね?」
「それは置いといてだね」
「ちょっと!」
「死ぬからだよ」
ぽかんとする霊夢、楽しそうに笑む魔理沙。
僕は勿体ぶってお茶を啜り、喉を潤す。
「今の季節は?」
「秋ね」
「それも冬の入りだ」
「そこの鳥居から外の世界に帰れるんだって?」
「そうね」
「外の世界のどこに着くって?」
「山の中になるだろうな」
「僕の服装は?」
「……部屋着? 外の世界(そっち)のだからよく分からないけど」
「それじゃあ僕の体は?」
予定調和とばかりに笑みを深めて、魔理沙は答える。
「風の冷たい山中を軽装で踏破するには体力の持ちそうのない、幼い子供の体だぜ」
つまりはそういうことだった。
つい先日二桁の年齢に達した程度の、特に運動が得意でも体格が良いわけでもない、むしろ平均よりヤワな少年の体。
それが僕の身体だった。
「……防寒着くらいなら、別に」
「という建前と」
「は?」
「本音は?」
霊夢は素直で魔理沙は揺らがないなあ。
「死に場所が幻想郷にありそうだからだ」
「ん?」
「……はあ?」
「死のうとしたって最初に言ったろ? 僕」
「言ってないぜ」
「言ってはないわね、肯定しただけで」
「まあ死のうとしたんだよ。
で、そのなんちゃらに」
「紫に」
「それに邪魔されて、ここに来たわけだ」
「ぜ?」
「『続けて?』みたいに使うの? それ」
「幻想郷なら」
霊夢の顔を見て、魔理沙の顔を見て、腋を見て、魔女帽子を見て。
視線を上げて、枯葉舞う空を見て。
「僕を喰ってくれそうな美少女に求婚できそうだ」
霊夢と魔理沙の「はあ?」「ぜ?」なんて鳴き声を聞きながら、冷え始めたお茶を飲み干した。