1 to 9 (人を喰う)   作:時鳥羽 逢

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七・邪(ヨコシマ)の声

 

「あああああ!」

 

 葛藤を多分に含んだ、魂の叫びが寺中を揺らす。

 叫びの主の耳元に口を近づけ、僕はただ、誘う。

 

「どうして食べてくれないんですか?

 食べたいんでしょう?

 人間の肉は美味しいって知ってるんでしょう?

 どうぞほら、がぶりといってくださいよ、さあさあ」

「何も聞こえない何も聞こえない!

 人間なんて食べたくないしお肉もいらないし欲になんて絶対負けないんです!」

「よく考えてみてくださいよ、目の前に食べてもいいって人間がいるなんて、もう奇跡みたいなものじゃないですか。

 むしろここで食べないなんて勿体ない、そうでしょう、何も悪いことはないんです。

 なあにちょっぴりだけ、ほんの少しですよ、今まで頑張ってきたんだし、少しくらいは良いと思いません?

 さあ、この指に歯を立てて皮を破れば赤い血が滴って! ああ、柔らかい肉の味はすぐ舌の上――」

「やめろ馬鹿人間」

 

 すぱあん、と響く破裂音を僕の脳天に響かせたのは、鼠耳少女の鼠尻尾。

 貴重な突っ込み属性を持っている彼女は、ナズーリンという妖怪だ。

 しなる尻尾は鞭のごとく空気の壁を超えるから、突っ込みにはぴったりである。

 言うまでもなく本気で痛いけれど。

 

「ご主人は割とマジで欲と闘ってるんだから邪魔というか敵になってやるな。

 そしてご主人は簡単に負けそうになるな。

 指先くらいならいいよね? みたいな表情しても駄目だ」

 

 そして耳を押さえて体を丸めながら戒律かなんかと一人相撲しているのは、虎模様の髪の美女。

 ご主人こと寅丸さんは虎の妖怪にくせに、人間を食べたいにも関わらず、己を律しているのであった。

 律している最中たる現在、整ったつり気味の眉目はへにょりと垂れ、口の端からは液体が光っている。

 

「我慢してる表情って妖艶だと思わない?」

「同意はするが」

 

 しかし、まさかの隠されしサディスティックサイドがここにきて露わになるとは、自分でもびっくりである。

 幻想郷、そして寅丸さんの秘められたポテンシャルが成せる業、自分探しにおいでませ幻想郷、とかどうだろう。

 そんな僕たちを楽しそうに見ているのは、ふわふわ少女、改め、こいしちゃん。

 その名の通り某認識阻害秘密道具を使っているかのように、ナズーリンと寅丸さんには見えていない不思議な少女だ。

 

「お寺に来て良かったみたいだねー」

「うん、実に良かった」

「しみじみと言うな」

 

 ちなみにこいしちゃんの声も姿と同様に認識できていないらしく、僕視点での会話は幽霊を交えた叙述トリックのごとき有様である。

 もしやこの子幽霊では、と思ったが、足はあるし、触れるし、幽霊にしてはカラフルな衣装だ。

 まあ、そもそも既に妖怪と聞いてはいるのだが。

 

「……りんびょーとーしゃー、かいじん、かつれつ……」

「おーいご主人欲望出てる出てる」

「カツは良いよね、サクサクの衣の中、アツアツの肉汁、滴る油、そして――」

「だからやめろって」

 

 二度目の小気味良い破裂音が障子を震わせ、僕の後頭部は結構やばいレベルの衝撃を受け取った。

 

 

 

   ***

 

 

 

 沈黙。

 僕の前に無言で鎮座する、薄ぼんやりとしているのに妙に存在感のある妖怪は、見定めるがごとく視線で貫いてくる。

 

「あ、雲山はホントに視線で貫いてくるから気を付けてね。

 目からビーム出すよ」

「怖っ」

 

 体の色素が薄いのも当然、頑固親父じみた風貌の雲山というこの妖怪、こいしちゃんが言うには入道、つまり雲であるという。

 その後ろでにこやかに座すのは、一輪さんという入道使いの美人さん。

 地味目な服装で隠れてはいるが、しかし確かに美人、隠しきれていないほどに美人である。

 さらにその後ろでは、子猫が警戒するような可愛らしさで、寅丸さんが背中に隠れている。

 入道使いというより猛獣使いを思わせる光景に、このお寺のパワーバランスが垣間見える。

 対してこちらの陣営は少年Aこと僕、傍観モードのこいしちゃん、以上二名。

 実質的には僕独りというわけで、うん、逃げたい。

 

「あの、ほんと申し訳ないことをしたという感覚は無きにしも非ずでして。

 いや、あります、あるんですけど、まずはこの場の雰囲気から変えていただくといいますか。

 なんかこう、温かく許してくれるモードになっていただくととてもありがたいのですけれど。

 あ、やめて、拳を握りしめないで!」

 

 頭は人間の数倍、手などは十数倍はあろうかという巨大な雲の身体が、僕に言葉無き重圧を与えてくる。

 こういう、正面から怒ってくる手合いは、僕史を遡ってもかなり珍しいキャラクターであった。

 甘やかされて生きてきたのだ、耐性が無い。

 確かに、確かにそもそもは、己の罪を反省するとか償うとか、そういった目的の訪問(連行)ではあったはずなのだけれど。

 運悪く不在だった住職のお姉さんに代わり、妖怪の親父が巨顔を近づけてくるという罠が待ち構えているとは、思いもよらない。

 いや、お寺で罪を重ねるという所業が問題なのだと理解してはいるにしても。

 助けを求めて、空間的にも中立ポジションにいるナズーリンへと懇願の目を向けるが、意地悪く笑むだけ。

 彼女の尾の先、宙ぶらりんと揺れている籠の中のネズミまで似たような表情なのは被害妄想か、そうでないのか。

 というか、なぜ尻尾で籠など持っているのか、中にいるのは愛娘なのか、ベビーカー的なアレなのか。

 などと思考を逃がしている間も、プレッシャーは増している。

 

「謝ればいいのに」

「謝ってるじゃん、さっきから謝ってるじゃん!」

「謝ってないよ、自分が悪いのを認めてるだけだよ、それも嫌々だし。

 ちゃんとごめんなさい、って言わなきゃ」

 

 思いがけない正論をくれたこいしちゃんとのひそひそ話に、巨大な目を僅かに細める雲山。

 なんとなく、雲山にはこいしちゃんが見えているんだろうな、と思いつつ、僕はようやく覚悟を固める。

 

「寅丸さん!

 堕落の道に誘ってごめんなさい!

 あと一輪さん、さっき着替え覗いてごめんなさい!

 でも少し運動した方がいいと思います!」

 

 やれ、とにこやかに口を動かした一輪さんの指示に従って、拳、あるいは鉄槌が僕の頭に下された。

 

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