けものフレンズR ”わたし”の物語   作:むかいまや

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ハーメルンは初めてなので、不備がありましたら申し訳ありません。

1話Aパートな雰囲気です。

19/06/01 訂正
20/06/08 改稿


1-1

 最初に聞こえたのは、空気の抜ける音でした。その次に何かの動く音。

 わたしはもう少し寝ていたかったけれど、外からの冷たくて妙に埃っぽい空気に耐えられず、咳き込みながら身体を起こしました。澱みのような気だるさが身体に満ちているような感覚。どうやらとても長い間眠っていたようです。

「う……ん……」

 伸びをしながら眼を擦ると、段々と眼のピントが合ってきたようで、ぼんやりとした視界がしゃっきりしてきます。

「こ……ここは……?」

 視界に入ってくるのは、幾つかの淡い黄色い光と妙に強く光っている緑色の光がぼんやりと浮かぶ殆ど真っ暗な部屋でした。

 妙に落ち着かない気分できょろきょろと周りを見回しても、その光と、わたしの眠っていた卵のような形をしたベッド以外には何もわかりません。

 暫くの間――十分くらいでしょうか? 時間の感覚さえ曖昧で、はっきりとは覚えていませんが、わたしはぼんやりとした意識の中、今居る場所が夢なのか現実なのかもわからないような混濁した意識で周辺を見回していました。また、時間が経つに連れて、冷たい空気のお陰か、段々と意識がはっきりしてきます。それに従って、わたしはわたしの置かれた状況が段々と理解できて来ました。「自分が何処に居て、何をしていたのか」ということが、わたしにはまるで思い出せないこと。自分の名前や、年齢、お父さんやお母さんの名前、友人、そういった何もかもを含めて、何も覚えていないのです。何も思い出せないのです。

 

 ただただ不安としか言い様の無い思いに急かされるように、わたしはベッドから出ます。何とかベッドから這い出ることは出来ましたが、どうにも身体に力が入りません。わたしはずっと眠っていたのでしょうか? ベッドに手をかけて、何とか立ち上がることは出来ましたが、脚を引きずりながら壁にもたれかかって部屋を進むのが限界でした。目指す先はあの緑色の光。殆ど何も覚えていないわたしですが、直感的にそこが出口なのだと思ったのです。

「――きゃっ!」

 ケーブルの類と思われるものに足を取られて転んでしまいました。痛みと自分の身体を自由に出来ない情けなさからか、涙が零れそうになります。なんで、こんな……と思わず考えてしまいます。

「くっ……くぅっ……」

 全身の力を振り絞りながら何とか起き上がることは出来たのですが、無理をしたからか、頭がくらくらとし始めました。視界もまたぼんやりとしてきます。

 「この部屋から何としても出なくてはならない」そんな強い思いがわたしの足を支えてくれたのでしょう、わたしは何とか緑の光にたどり着くことができました。光のあたりには頑丈そうな扉がありました。扉を必死になって押し開けると、ギィッという低く鈍い音が何かの駆動音だけが立ち込める部屋に響きます。

 その先は薄暗い廊下でした。

 

 わたしは扉をあけ、前に進みました。身体の支えがなくなったからか、また転んでしまいます。何度目か判らない嗚咽を漏らしながら、這って進みます。錘のように身体にまとわりつく気だるさから、立ち上がることは出来ませんでした。

 ふと視線を上げると廊下には薄汚れた窓ガラスがあって、そこからぼんやりとした星や月の光が差し込んでいます。廊下にも窓の外にも他に光が無いからか、星々の柔らかく暖かささえ感じる煌きがそのまま差し込んでいます。柔らかな光のお陰で、わたしは目が眩むようなことも無く、また、ベンチや何かの瓦礫にぶつかることも無く廊下を進むことが出来ました。「ありがとう、お星様」なんて考える余裕も生まれてきましたが、それでもやっぱり起き上がる程の元気は取り戻せません。

 

 そのまま進んで、曲がり角を一回曲がって、もう一度曲がって……そんな風にしていると、先ほどの部屋で見えたものと同じような緑色の光が視界に入ります。

「出口だ……うん、きっと……」

 思わずぽつりと呟いてしまいます。何よりも、果てが無いように思えた道のりに終わりが見えたという事実がわたしに力をくれました。最後の力を振り絞ってその光に向って進みます。埃に汚れた窓ガラスの向こうから、風にそよぐ木の葉たちの音がうっすらと聞こえます。「きっと外はいいところなんだろうな」なんて漠然とした思いを抱きながら、ドアノブを支えに立ち上がり、ふぅっと息を吐いて扉を開きました。

 

 視界に飛び込んでくるのは、果てしなく広がるように思われるほどの広大な草原でした。

「わぁ……」

 自分の身体の倦怠感も、這って進んだために感じる痛みも、何もかもを忘れた感動の声でした。不意に柔らかな暖かさを含んだ風が頬を撫でます。その風はわたしにそうしたように木の葉を、草々を優しく撫でていて、全てを見つめるように輝く月が空に浮かんでいて……素敵な光景でした。

 わたしは外に出られたことの安堵からか壁にもたれかかってうとうととし始めてしまいました。「そうだ、この光景を絵に描こう。今度こそ、忘れないでちゃんと」自然とそんな思いが胸中に沸き起こります。「今度こそ」という言葉への違和感は何故だかありません。

「でも、その前に、少しくらい眠ってもいいよね」

 呟いたのか、それとも心の中でそう考えたのか、ぼんやりとした意識と安堵の思いに力が抜けてしまったわたしにはわかりません。そうして、わたしは瞳を閉じました。何も覚えていないことへの不安感、それは拭えません。ですが、こんな優しい光景がある世界なんです。きっと優しい世界に違いありません。わたしはそう信じて、眠りにつきました。

 

 ○

「大丈夫なんでしょうか……この娘……アルマーさん、センさん……」

 真っ暗な視界の中、声が聞こえてきました。

「うーん……様子を見てみないことには……」

「ちょっと無責任な言い方ですが、息は落ち着いていますし、苦しそうにもしていません。きっと大丈夫ですよ。信じて待ちましょう? ね、イエイヌさん」

「ですが……」

 聞こえてくるのはみっつの心配そうな声。

 どの声も、多分わたしを案じてくれているのでしょう。ただ、一際心配そうに涙ぐんでいる声が聞こえます。イエイヌと呼ばれた少女の声はわたしのすぐ隣で聞こえてきました。今すぐにでも、彼女を抱きしめて、「ありがとう、大丈夫だよ」と声をかけてあげたいくらいなのに、私の身体はまだ言う事を聞いてくれません。瞼も腕もとても重くて、どうにもなりませんでした。再び、私の意識はまどろみの中に溶け込んでしまいました。

 

 ○

「う……ん……」

 瞼を開け、身体を起こします。思考はあの夜よりもずっとすっきりしていて、身体の気だるさも殆どなくなっていました。部屋の中には人の気配はありません。イエイヌと呼ばれた方も、アルマー、センと呼ばれた方も、どこへ言ってしまったのでしょうか……?

「ここは……」

 伸びをしながら部屋を見回してみると、白色の壁紙に、パステル調の家具が眼に入ります。その家具は動物をモチーフにしているようなデザインでした。ベッドの隣には窓があって、その窓の向こうには草原が広がっていました。その光景を見ていると、眠りにつく前に見たあの優しい光景が思い起こされてきて、居ても立ってもいられなくなってきました。

 ですが、まだ無理に歩き回るのは躊躇われましたし、何よりもあのイエイヌと呼ばれていた少女に感謝の言葉を届けたいという思いもあります。ここは彼女達の好意に甘える形にはなりますが、ゆっくりさせてもらいましょう。きっと彼女達は戻ってくる筈でしょうし……確信はありませんが、机やベッドの脇に何も書置きもありませんし、ひとりで放っておくようなことは無いでしょうから……

 窓の外は穏やかな草原が広がっていて、空は澄み渡っていました。時折、陽光を遮るように雲が通り過ぎていきます。陽光はまるで春の日差しのような暖かさでわたしの目に入る景色の全てを照らしていました。

 ふと視線を落とすと、わたしの手が目に入りました。記憶が無いとは言っても、わたし自身の手なのです、別に不思議なところなんてある筈が無いのですが……ひとつだけ、気付いたことがありました。爪の色が緑色なのです。昔の私がどんな人間だったかということさえ、はっきりと覚えていませんけれど、ある程度の『常識』――所謂自分の身体に染み付いた感覚――からしてみるとどうにもその範疇に無いのです。不思議と嫌悪感のような悪い感情は無く「何かが塗られているのかな?」と思って爪を引っ掻いてみたり、意味も無いのに手のひらを光に透かしてみたり、あれこれしてしまいます。

 

 そんな風にして過ごしていると、家のドアががちゃりと開く音がしました。イエイヌ……さんなのかな、感謝の言葉を伝えないと……! 「私は元気です、ありがとうございます」って……。

 どんな風に声をかけたら良いか悩んでいると彼女の姿が見えました。あれから時間が経っていると思うのですが、とても落ち込んだ表情で、心底悩んでいるように俯きながら、大きな紙袋を抱えてとぼとぼと歩いてきます。

「あ、あの……ありが――」

 わたしの様子に気付くやいなや、彼女のしょんぼりとした表情は笑顔になって、その後すぐに顔を崩しながら私に飛び掛るように抱きしめてきました。不思議な「何か」が彼女の頭についているのに瞬間的に気付きましたが、彼女はそんなのお構い無しです。

「良かったぁ……ほんとうに、ほんとうに……良かったぁ……!」

 彼女の動きは彼女の抱えていた紙袋が床に落ちるどさりという音よりも速かったのでは無いのかと思えてしまうくらいの勢いでした。

 急に抱きつかれたわたしは思わず「きゃっ」と声が出してしまいます。

「く……くるしい、です……」

「あっ……! ご、ごめんなさい……」

 彼女はしゅんとしながら離れてくれました。そのお陰で、わたしは改めて彼女の顔をしっかりと見る事が出来ました。灰色と白色の細かな髪の毛が窓から差し込む陽光に照らされて一本一本が煌いていて、頭のてっぺんからは彼女の感情を表すかのようにしゅんと垂れる耳……耳? ……瞳は左右の色が違っていて、右目は透き通るような青空の色、左目は綺麗な夕焼けの色でした。すこし釣り上がった目尻には涙が貯まっていますが、彼女の芯の強さを表すようでした。

「ううん、ちょっと苦しかっただけです……えぇっと……」

 私の言葉を受けて彼女は答えます。

「申し訳ありません……嬉しくて、つい……私はイエイヌです」

 やっぱり、彼女がイエイヌさんだったんだ。

「イエイヌ……さん、ありがとう。わたし……外で倒れてたんですよね? それを助けてくれた……んですよね……? あのままだったら死んじゃってたかもしれませんし……本当にありがとうございます……」

 心からの感謝の言葉を彼女に伝えます。ちょっと涙ぐんでいたかもしれません。

「いえ! お安い御用です! ヒトを助けるのは私の使命ですから! ……あなた、ヒト……ですよね? ニオイもふんいきも、フレンズの皆さんとは違いますもの!」

 そんな風に話す彼女の顔は本当に嬉しそうで、楽しそうで、わたしも自然と笑顔になってしまいます。ですが、どうにも不思議です。先程までうなだれていた耳はピンとしているし、彼女の肩越しに嬉しそうに振られている尻尾もありました。それにヒトとかフレンズとか私の判る『常識』にはまるで縁の無い言葉が聞こえてきました。

「えぇっと……イエイヌさん、その耳と尻尾は……? それにヒトってあなたもヒトじゃないの? あとフレンズって……」

 イエイヌさんは不思議そうに首を傾げます。

「えぇっと……私はフレンズですよ? うーん、どうしましょう……どう話したら良いか……」

 彼女は首を傾げながらうんうん唸ります。先程までぶんぶんと嬉しげに振られていた尻尾は床に丸まるようになっています。

「困らせてしまってごめんなさい……わたし、何も覚えていないんです……自分の名前やどうしてあそこにいたのかとか、ここが何処なのかとか、何も……」

 重度の記憶喪失、自分が何者かもわからず、自分が居る場所もわからない。それを意識すると、孤独にも似た耐え難い悲しみが不意に込み上げてきてしまいます。イエイヌさん、アルマー、センと呼ばれていた方達の優しさのお陰で和らいでいた感情が、再びわたしの胸中に広がっていきます。

「あっ……! な、泣かないで下さい! 私が、私が居ますから! ね?」

 そう言ってイエイヌさんは私をそっと抱きしめてくれました。優しい優しい日差しの匂い。彼女の綺麗な髪の毛が鼻をくすぐってむずむずとしてしまいました。その所為か「くちん」とくしゃみをするわたし。恥ずかしいし、情け無いし、申し訳ないです。

「ご、ごべんなざい……」

 涙ぐんでしまったからか鼻声になりながら彼女の胸から顔を離します。鼻水で彼女の服を汚さなかったのは不幸中の幸いです。

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 彼女は微笑んでいました。にへらっという感じでしょうか? 可愛らしい顔立ちが一層映える様なそんな笑顔です。

「うーん……そうですね、まずフレンズついて、その次にここについてお話しますね」

 私もあまり詳しくないんですけど、と彼女は付け加えて、ゆっくりと話し始めました。

 

――――――

――――

――

 彼女の話はとても神秘的というか、不思議というか、なんともいえないものでした。しかし、妙に納得が行くお話でもありました。簡単に言うならば、フレンズとはサンドスターの力によって動物たちが変化した存在で、そのフレンズたちが暮らす場所がジャパリパークという場所。そんな感じでした。

「不思議……でも、はい、なんだか納得できました。ありがとうございます、イエイヌさん」

 私は彼女にお礼をいいながら少しだけ思案します。どうしてジャパリパークという場所に私が居るのでしょうか? 考えても解決しない問題なのでしょうから、仕方ないのでしょうけれども……考えても考えても本当に何も思いつきません。ちょっとやそっとじゃ判らない。そう割り切って考えるしか無いのでしょう。

「お役に立てたでしょうか……?」

 ふと視線を上げると、わたしの顔を覗き込んでいるイエイヌさんの顔が眼に入りました。好奇心半分、心配半分という具合で、わたしの心を探るような表情をしています。そんな表情を見ていると、なんだか好奇心のような、悪戯心のような、そんな思いがわきあがってきました。 

「ちょっと失礼しますね……」

 わたしはそういってイエイヌさんの耳に手を伸ばします。

「わっ、ちょっと……わふっ……」

「わぁ……もふもふ……気持ち良い……あっ、ヒトの耳もあるんですね! 不思議ー」

 イエイヌさんは最初こそ驚いて居ましたが、撫で回している内に彼女の表情は困ったような笑顔になり、ついには顔を赤くしながら「わふぅ」という声を漏らしていました。その声を聞いて、私はさっと手を離します。

「あっ……ごめんなさい。さっきから失礼ですね、わたし……」

「いえいえ、大丈夫ですよ。ヒトに撫でてもらえて嬉しいくらいです! ただ……ちょっといきなりでびっくりしちゃいましたかね……えへへ」

 髪を手で整えながら、笑顔で答えるイエイヌさん。そういえば彼女の今までの口振りからひとつの核心に触れるような疑問が浮かびます。それは、多分、聞かないほうが良い質問。でも、いつかは直面するであろう問題。わたし以外のヒトの存在について。

「あの……わたし以外にヒトって居ないんですか? パークって事は動物園とか公園とか、そういうものなんじゃ?」

 そう問いかけるとイエイヌさんは考えるように視線を上にやりました。

「うーん……私の知る限り、ヒトはあなたひとりです……」

 その言葉は私に重くのしかかるようでした。イエイヌさんは何か言ってはいけない言葉を口にしてしまったかのように、はっとした表情になります。

「あっ、気にしないで下さい、イエイヌさん。大丈夫です、記憶が戻れば、きっと何とかなりますよ!」

 私の言葉を聴いてイエイヌさんは顔をぷるぷると振りました。

「あなたがそう言うなら……ハイ! 大丈夫です!」

 彼女の自信は何処から来たのかはわかりませんが、その無条件の信頼にも似た言葉は、わたしの傾きかけた心を支えてくれました。

「あっ、そうです! あなたのことは何と呼べばいいですか? ずっとあなたって呼ぶのも申し訳ないですし……」

 正直なところ困った質問です。今のわたしは名前も何も覚えていないのです。ですから、こう呼んでと気軽に伝えることが出来ません。

「イエイヌさん、さっき伝えたとおり、名前も覚えていないんです……何か思い出せるような手がかりが有れば良いんですけれど……」

 私は何も持たず、着の身着のままあの建物を抜け出したのです。幸い服こそ着ていましたが、もしかしたら全裸でここに眠ることになっていたのかもしれません。そう思うとぞっとします。

「うーん……困りましたね……ん? 手がかり……手がかりといえば、アルマーさんとセンさんが言っていた言葉がありました! ゲンバケンショウ? が大事だとか何とか……」

 手をぱちんと叩かせながら彼女は言いました。なるほど、現場検証……そうと決まれば。

「イエイヌさん。申し訳ないんですけど、お願いしてもいいですか?」

「はい! お任せください!」

 心底嬉しそうな笑顔を浮かべ答えるイエイヌさん。快諾してもらえるのは良いのですけれど、なんだかここまですんなりと行くと、本当に申し訳ないです。

「私が眠っていた場所まで案内してもらえますか? 何かあるか調べたいんです」

 飛んだり走ったりは出来ませんが、十分な休息のお陰で歩くことは出来そうです。あの場所に何かヒントがある。そう信じて、今は向うしかありません。

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