お前油絵みたいな絵を想像して書いてるだろ。色鉛筆しか無いんだぜ?
って私の中の私がツッコミを入れていますが、私は全てを諦めました。
どうやら私は印象派の画家が好きなようですね。モネとか。まぁ、詳しくないですけど。
20/06/09 改稿
段々と陽射しが傾き始め、夕方の入り口とも呼べるような時間になった頃。絵が出来上がりました。イエイヌさん達はといえば、遊び疲れてしまったのか、わたしから少し離れたところにある木陰で、横になって眠っていました。気付かなかったわたしもわたしですけれど、浜辺で横になるというのも中々大胆というか野生的というか……まぁ、多くのフレンズさん達は布団やベッドなんかは使わないようですしねぇ……慣れているのか平気なのか、それともそもそも気にしないのか……。
可愛らしい彼女達の寝顔を見ていると、起こすのがどうにも躊躇われます。わたしは寝ている人を起こすのが苦手なのでしょうかね、なんて妙なことを考えてしまいます。
「ふむん……でしたら……」
もう一枚、絵を描きましょう。
わたしは描き上げた絵のページを捲り、次の真っ白なページに向き合います。今度は簡単です。描くものは決まっていますから。思い出であり、大切な光景ですしね。忘れたくないものをこうして描くときは、決まって手が早く動いてくれるのは幸いです。
絵が書き終わった頃には空はもう真っ赤に染まっていて、西の空は少しばかり紫色にさえなっています。流石に起こしたほうが良いでしょう。
「起きてください、イエイヌさん、バンドウイルカさん、フォルカさん」
声をかけてもむにゃむにゃもにゅもにゅという言葉にならない言葉が返ってくるばかり。余程安心しているのか、それとも疲れているのか……わたしは罪悪感をぐっと堪えて、イエイヌさんを揺り起こします。
「起きてくださいってば、イエイヌさん。夜になっちゃいますよ?」
「ん……んぅ? う、ん……ん?」
何故疑問系……。耳を少しぴくりと動かしましたけれど、彼女の目は開かないまま、再び眠り込んでしまいます。こういうときはどうしたらいいでしょうか? 少し考えて、決めました。
「イエイヌさん、ほら、ほっぺた、むにぃってしますよ?」
そういいながら彼女を揺り起こそうとすると、今度はきちんと起きてくれました。
「ふぁあ……おはようございます……」
余程困ってしまうのでしょうか……?
妙に訝しげな顔で起き上がり、イエイヌさんは周囲を見回します。
「う……ん……寝ちゃってたんですね……私……」
「アレだけはしゃいでればそりゃあ疲れますもの、仕方ないですよ、イエイヌさん」
イエイヌさんはバツの悪そうな顔を浮かべていました。
間もなく、バンドウイルカさんとフォルカさんも話し声の為か目を覚ましたようです。
「ふわぁ……あたし寝ちゃってたかぁ……ひとりにしちゃってごめんね、ともえちゃん」
眠そうに目を擦るバンドウイルカさん。
「うーんっ……ちょっと張り切り過ぎちゃったかしら……?」
伸びをしながらフォルカさんが呟きます。
「わたしもわたしでずっと絵に集中しちゃってましたから……皆さん気になさらず……」
「あっ! そうだわ、絵よ!絵!」
わたしの言葉を聞いて、フォルカさんが大事なことを思い出したような声色でわたしに言います。
「どう? 完成したの?」
期待の色が彼女の顔から見て取れました。わたしは困ったような顔をしてしまいます。というのも期待が重過ぎるのです。いえ、悪いことでは無いのです。嬉しい気持ちも確かにあるのですけれど、彼女のお眼鏡にかなうでしょうか?
「い、一応、書きあがりましたけど……こ、これです……」
わたしが絵を差し出すと、フォルカさんはそっとスケッチブックを手に持って、じっくりと眺め始めます。その様子を見て、バンドウイルカさん、イエイヌさんもスケッチブックを覗き込みました。
「ちょっと、アシカちゃん! 見えない見えないー!」
「……お、押さないで下さ……わふっ……」
見かねて思わず口を開きます。
「じゅ、順番に……それか少し離れてみていただくか……」
彼女達はわたしの注意を受けて、申し訳なさそうな表情をして、もう一度、みんなで絵を眺め始めます。
「……不思議な絵、ですね……夜の海、ですか?」
最初に口を開いたのは、イエイヌさんでした。わたしはイエイヌさんの言葉に頷いて、口を開きます。
「はい、夜の海です……不思議、ですか……」
わたしは、そう言われるだろうと思っていました。もしかしたら、それを願ってすらいたかもしれません。わたしの言葉に不思議そうな顔をするイエイヌさん。ふーむと考え込むように、再び黙りこくってしまいました。
「優しい絵、だと思うけど……なんだろう、ちょっとわかんないかな……」
バンドウイルカさんが次に口を開きました。
「ありがとうございます。解説は、その、恥ずかしいというか野暮というか……なので、わたしは何も言いません」
わたしは続けて言います。
「でも、優しい絵になるようにしたのは、本当です……えへへ、こそばゆいですね……」
自分の描いた絵を他の方に見せることは、初めてではありません。それこそ、イエイヌさんに何度も見せています。ですけれど、今回初めて「伝えたいこと」を込めた絵を描いたのは事実です。だからこそ、なのでしょうか? 今までに絵を誰かに見せたときよりもずっとずっと、誇らしいような、恥ずかしいような……。
「あの絵と違って、うん、なんだか、ずっと優しいと思うわ。上手いか下手かって言うのは、私にはわからないけど……」
彼女達の言葉は、本当に、本当にわたしにはくすぐったくて、嬉しくて……。
「あと、もう一枚描きました。こっちは、風景の絵……ですかね……」
わたしは彼女達にスケッチブックを一枚捲るように促します。
「これって……」
最初に気付いたのは、フォルカさんでした。
「私が海に出たときの景色?」
わたしは「はい」と頷きます。もう一枚の絵。それはフォルカさんがわたしと話をして、その後すぐに、彼女達が海へと泳ぎに向うその瞬間を描いた絵でした。なんてことの無い一瞬の光景でしたけれど、わたしはその瞬間を描きたいと思ったのです。
「えっ? どの時どの時?」
バンドウイルカさんが不思議そうにフォルカさんに尋ねます。
「ドルカ、あなたねぇ……もうちょっと周りを見てなさいよ……」
フォルカさんは少し呆れたような口調でしたけれど、にこやかな表情でバンドウイルカさんに説明をしています。
「ともえさん、二枚も描いたんですか?」
彼女はわたしの顔をじっと見て言いました。
「はい。あっちの絵は、その、大変でしたけれど……こっちの絵はその時の光景を、ありのままに写しただけなので……」
「やっぱりともえさんは凄いですね……」
感心したように呟いたイエイヌさん。
「いいえ、わたしひとりだったら、きっと夜の海の絵の方は、きっと描けなかったと思います。イエイヌさんが一緒に居てくれるからこそ、あれは描くことが出来たんです」
旅に出た最初の日。その時に描いた絵だってもちろんあります。ですけれど、夜の海の絵はきっと描けなかったでしょう。『あの絵』に対する答えがイエイヌさんのお陰で見つかったというのもありますけれど、きっと、わたしは『あの絵』から感じ取った寂しさや悲しさに飲み込まれてしまっていたかもしれません。
「そんな……ともえさんが、凄いんですよ」
イエイヌさんは少しだけ頬を赤らめて、わたしに言いました。その言葉にわたしは「イエイヌさんのお陰です」と答え、その言葉にイエイヌさんは「いえいえいえ」と答え――
「はーい、ストップ」
手をぱちんと叩いて、フォルカさんが呆れたように、ですけれど少し面白がるような表情で言いました。
「チワゲンカはなんとかって言うじゃないの、もう」
わたしとイエイヌさんは、揃って「はは……」という具合に苦笑いをしてしまいます。
「失礼しました、フォルカさん」
「いいのよ、見てるとなんだか微笑ましいもの」
そう……なんですかね……?
「バンドウイルカさんも、ごめんなさい……」
わたしに続いてイエイヌさんがそっと頭を下げます。
「んー? ぜんぜん気にして無いよー」
バンドウイルカさんは間延びした声で暢気そうに答えます。
「ドルカは気にしてなさすぎな気もするわよ……?」
フォルカさんの言葉に首をかしげるバンドウイルカさんでしたけれど、わたしもそんな気がしてきました。とはいえ、そうだと口にする訳にも……
「ともえ、あなたもそう思わない?」
フォルカさんの言葉に、わたしは二度目になる苦笑を浮かべるのでした。
「えっ! ともえちゃんもそう思うの?」
バンドウイルカさんが不満げに頬を膨らませてこちらを見ます。困ったわたしはイエイヌさんの方にちらりと視線を動かしました。イエイヌさん。ちょっと、どうして目を逸らすんですか。わたし達の言外のやり取りを見て、ふたつの笑い声が起こります。
「えっ、え? な、なんで笑うんですかぁ……もう……」
バンドウイルカさんとフォルカさんの笑い声に釣られて、イエイヌさんまで笑い始めました。わたしだって、つい、笑い始めてしまいます。仕方ない、ですよね。ふふっ。
――――――
――――
――
そうやってわいわいと話をしている内に、燃える様な夕焼け空は、燃える炎が消え去ってしまったかのように静かで落ち着いた、寂寥感すら覚えさせる夜空になります。
「あら、もう夜じゃないの……」
「帰ろっか、アシカちゃん」
フォルカさんとバンドウイルカさんの言葉を皮切りに、めいめいに帰る準備を始めます。と言っても、彼女達に荷物は無く、わたしが使わせていただいていた傘を畳んだり、鞄に荷物をつめなおしたりと、わたしの手伝いをしてくれていたのですけれど……。
「二日間も、ありがとうございました、バンドウイルカさん、フォルカさん」
わたしはお辞儀をして、彼女達に感謝の意を示します。
「私からも、ありがとうございました!」
イエイヌさんも続きます。そんなわたし達の様子を見て、バンドウイルカさんとフォルカさんが口を開きます。
「こちらこそ、よ。面白い話も聞けたし、綺麗な絵も見られたしね」
「そうそう! あたしだって、一緒に遊べて楽しかったよ! また、今度遊ぼうね!」
薄暗い夜空の中でしたけれど、彼女達の笑顔ははっきりと見えました。
「ありがとうございます! 多分、またここに来ると思います。旅が終わったらですけれど……その時、また遊びましょうね、バンドウイルカさん」
バンドウイルカさんは「うん!」と可愛らしい声で答えてくれました。かたや、フォルカさんは楽しそうな表情になってわたしに尋ねます。
「そうなの? じゃあまたお話しましょう? 他のちほーの話とか、あなたのたびの話とか……また聞かせてちょうだい? トクベツなジャパリまんを用意して待ってるから!」
「そんなそんな……お気遣いなんて……。でも、はい! わたしも楽しみにしてますね!」
不意にイエイヌさんが口を開きます。
「そうだ、ともえさん。明日はいつ頃出発するんですか?」
「そうですねぇ……お昼前くらいには出発しようかと思いますが……休憩は多目に取ろうかと思いますから、到着は遅くなるかも……次は、さばんなちほーですからね、暑そうですし」
「アルマーとセンに会いに行くんでしょう? サバンナで面白いことがあるかもしれないわよ? 急いだほうがいいかもね」
フォルカさんが言いました。
「……? どういうことですか?」
わたしは聞き返します。『面白いこと』というのがなんとも不思議ですし、それに『急いだほうがいい』というのも……
「ドルカは忘れてたみたいだけど――」
フォルカさんは横目でバンドウイルカさんをちらりと見ます。
「――うんどうかい? だったかしら、そんな催しがあるらしいのよ。私達は海から離れるだけで結構大変だから断ったのだけど……残念だわ……」
心底残念そうに言うフォルカさん。
「そうそう! 思い出した思い出した! うんどーかい!」
バンドウイルカさんは本当に忘れてたんですね……。「あなたねぇ……」と咎める風のフォルカさんの横目に、わたしはふと思いつきます。
「でしたら、フォルカさんにお話するためにもちゃんと見ないとですね……」
フォルカさんは申し訳なさそうに笑い声を漏らします。
「あはは……そういうつもりで言ったのではないのよ? でも楽しみにしてるわ」
「あたしも楽しみにしてるからね!」
バンドウイルカさんもフォルカさんに同調するように言い、続けます。
「イエイヌちゃんも、ともえちゃんも、何か出てみればいいんじゃない? 確か……えぇっと……飛込み参加も出来るって言ってた気がするし! そっちの方が楽しいよ!」
イエイヌさんはバンドウイルカさんの勧めに困った風な反応をします。
「私は……いいですかね……うーん、体力に自身が無い訳では無いですけど、ともえさんをひとりにさせちゃいますし……」
判断基準がそこなんですね……気にしなくても平気ですのに……。
「わたしも……うーん……フレンズの皆さんと競えるような気がしません……」
ヒトは、恐らく多くの場合、フレンズの皆さんには身体能力の面で勝てないでしょう。いえ、勝てる要素もきっとあるのでしょうけれど、こと『運動会』に限ってしまえば、まず勝ち目は……。わたし自身が運動を得意としていないというのも大きいですけれど。
「そっかぁ……」
バンドウイルカさんは少し残念そうにしました。フォルカさんが少ししてから、思い出すようにいいます。
「確か……えぇっと……しゅもく? は色々あるそうだから、行ってみてから決めればいいんじゃないかしら? 一応、始まるまではあと何日かあるらしいし……迷うだけの時間はあると思うわ」
「そうですかぁ……うーん、ともえさん。もしよければ、かけっこくらいは……いいですか?」
じいっとわたしの目をみて言うイエイヌさん。そんな顔しなくても良いでしょうに……。
「言われるまでもありませんよ。遠慮せず、参加できそうなのがあったらどうぞ楽しんできてください。イエイヌさんの活躍を見守ってますからね!」
イエイヌさんの顔がぱあっと晴れるように変化します。彼女がどんな動きをして、どれくらいのちからがあるのか、というのも好奇心がそそられますし、断る理由なんてありませんよ、イエイヌさん。
「んーっ……もういい時間ね。私達は帰るとするわ」
伸びをしながらフォルカさんが言います。
「だねー、じゃあ、また今度ね、ともえちゃん! イエイヌちゃん!」
バンドウイルカさんはフォルカさんの言葉に頷きました。そのまま、彼女達は手を振って振り向き、歩き始めます。
「はい! また今度!」
わたし達も手を振って答えます。
「そうだ、ともえ、イエイヌ。明日早めにここに来るわね、お見送りするわ」
顔だけこちらを振り向いて、フォルカさんが言います。厚意に甘えさせていただくとしましょう。今日これでお別れというのも寂しいですし、道案内もしてもらえれば助かることは間違いありませんからね。
「わかりました! よろしくお願いしますね」
そうして、彼女達は帰って行きました。
「さて、と」
バンドウイルカさん、フォルカさんの姿が見えなくなってから、わたしはイエイヌさんに尋ねます。
「建物に戻ってご飯にしましょう?」
イエイヌさんは「はい!」と頷き、続けて提案します。
「その後なんですけど……お散歩しませんか? 結局、昨日は寝ちゃってこの辺りを探索できていませんし……ともえさんがシャワーを浴びるんでしたら、ご一緒させてもらいたいですし……」
お散歩……確かにわたし達が見たのはうみべちほーの中でもこの辺りだけ。それではあまりに勿体無いですからね。
「いいですよ、余り遠くにはいけないでしょうけれど……どっちに行くかは、後で決めましょうか。それとシャワーは……うーん……とにかく戻りましょうか」
わたしはそう言って、傘を持ちます。イエイヌさんが畳まれた傘の一端を持ってくれました。
「ありがとうございます、イエイヌさん」
彼女はいえいえと答えました。わたし達はそうして建物へと戻ったのでした。
夕食を終えて、少しばかり休んでから、わたし達は建物を出ます。
「じゃああっちの方に行きますか」
食事中に話をした結果、旅の目的地であるさばんなちほーとは反対の方向へと向うことになりました。というのも、さばんなちほーへの方向であれば明日から再会する旅の間に見ることが出来るためです。
「はい!」
イエイヌさんはぐっぐっと簡単に身体を伸ばすように動かします。
「ともえさんともえさん!」
わたしの腕を掴んでイエイヌさんが楽しげに言います。
「ちょっと走っても良いですか?」
わくわくと期待に胸を躍らせているような表情。彼女の背後からは、ぶんぶんと振られている尻尾がちらりちらりと視界に入ってきます
「ええ、大丈夫ですよ。あ、でもあんまり遠くには行かないで下さいね? わたし、迷子になっちゃうかもですし」
イエイヌさんはわたしの言葉を聴いて、待ちきれなかったのでしょう。ぴゅんと駆け出しました。
「……かけっこの話を聞いたから、なんですかねぇ……」
元気が良いことは何よりも良いことでしょう。特に、このパークでは。
「待ってくださーい、イエイヌさーん!」
もうあんなに遠くに……早歩きになりながら、わたしは彼女の後を追います。
彼女の後を追うように歩きながら、わたしの胸の中に思い起こされるのは、今日描いた絵のことでした。
描かれた空は星々の輝きがまるで無いように、暗く、黒く、海原も、大地も同じ。まるで全てがない交ぜになったようにさえ感じてしまう暗さです。濃紺や黒色(もちろん、色鉛筆ですので、淡い色合いになってしまいますけれども)が中心に描いた絵。ですが、絵の左半分の側、空の低い位置に輝く細い下弦の月があります。月の放つ光は、その月の細さに反して強く、白いものです。
月光は海と、画面右端に腰掛けるふたつのひと影を照らします。まるで道のように海にひとつの帯を浮かばせていて、ふたつのひと影は逆光で黒く塗りつぶされています。そのふたつの影からは、きっと何の感情も受け取ることは出来ないでしょう。どちらの影が誰なのか、もうひとつの影は誰なのか、それは描いた本人であるわたし以外にわからないでしょうけれど、言ってしまえばそれは『誰でも良い』のです。
わたしの『居場所』……このパークに、今、わたしの居場所はありません。
生まれた故郷も、かつて住んでいたであろうここでないどこかにあるかもしれない家も、無いでしょう。住むことの出来る『場所』はきっと見つけられると思います。ですけれど、そこがわたし本来の『居場所』なのかといわれると疑問です。わたしが『居ても良い場所』……そこはもしかしたら記憶を取り戻して初めて判る場所かもしれません。
では、「記憶の無いわたし」が居ても良い場所は……? それを、この絵に表しました。
ふたつのひと影に、わたしは意味を込めませんでした。誰でも良いのです。この絵を見た方が、このひと影に何を写すのか、わたしは求めません。わたしの知らない誰かと誰かでも、その方の友達、家族、愛する存在……。どんなに「寂しい場所」でも「誰かが居る」ということ、それが「居場所」なのだと、伝えたいのです。
これが『あの絵』から受け取った寂しさに対する、わたしなりの答えです。わたしに取っての『居場所』、それはあの子が認め、許してくれるあの子の隣です。
何故……? わたしの命を救ってくれたから? あの子がわたしを慕ってくれているから? わたしがあの子を家族だと信じているから? どれもそうでしょうし、それだけでは無いかもしれません。ですが、今のわたしにあの子の隣という場所以外に、わたしが居ても良い場所を想像できませんし、したくありません。
だからこそ、わたしの居る場所を、誰かが居てもいい場所を、描いたのです。
「ふう、追いつきました……」
追いついたわたしの言葉に、にっこりと楽しげに笑ってイエイヌさんが言います。
「遅いですよ! ともえさん!」
そう言って、彼女は再び駆け出しました。
「ちょ、ちょっと、イエイヌさん?」
わたしも仕方なく駆け足になって彼女のあとを追います。わたしが追いつくよりもずっと早く彼女は立ち止まり、わたしの方を見ました。尻尾が本当に楽しげにゆれていて、暗い中でもはっきりと彼女が楽しんでいるのがわかります。わたしは少しだけ速度を上げて走ります。波の音や風の音、砂浜を踏みしめる音が、一歩だけ遠くになったように感じます。
イエイヌさんに少しして追いつきました。
「はぁ、はぁ……あ、歩きましょう?」
わたしは急に走ったからか、すこし息が上がってしまいます。
「はい! でしたら……手を……」
彼女はそう言ってそっと手を差し出します。
「ええ、わかりました」
彼女の手は、走ったために体温が上がっていたのでしょう。いつもよりも少し温かく感じました。
わたしの思い、あの子の隣に居たいという思いは、きっと絵を見た方には届かないでしょう。けれど、わたしは、あの絵を描いた方にも、この絵を見る方にも、伝えたいのです。孤独であると感じても、きっと、きっと誰かがあなたの隣に居てくれるのだということを。寂しさの中にある優しさやつながりはきっとあるのだ、ということを。
この思いは、あの絵を描いた人には、きっと届かないでしょう。そう考えると、寂しいような、悲しいような感情が込み上げてきて、みぞおちの辺りがきゅうとなってしまいます。
手を繋ぎながら、浜辺を歩きます。寄せては返す波の音を楽しみ、日中はあんなに暑く眩しかった浜辺が、命を失ってしまったかのように冷たく、暗いという事実に思いを馳せ、優しげに吹く湿った風に髪をなびかせ、月と星の煌きを全身に浴びながら、歩きます。わたしとイエイヌさんの間には、心地よささえ感じる静寂が訪れていました。話すことが無い訳では無いのに、話さないという贅沢を、きっとお互い楽しんでいるのだと思います。
不意にイエイヌさんが口を開きます。
「ねえ、ともえさん。あの海の絵って、名前とかあるんですか?」
彼女の質問にわたしは戸惑ってしまいました。
「えぇっと……どうして、そう思ったんですか?」
なぜなら、その質問は、わたしにとって答えることがなんだか躊躇われる問だったからです。イエイヌさんは少し悩んでから答えます。
「うーん……絵の右下の、ひと影の下のところに、見たことの無い文字が書いてあったので……『ともえ』って文字しか、わたしはわかりませんけど……それとも違いましたから……」
本当に、妙な所で聡いですね、イエイヌさんは……。
「……えぇ、ありますよ。絵の名前」
なんだかもう、無性に恥ずかしくて、わたしは彼女の方を見られません。
「良ければ、そのぅ……教えてもらっても……?」
少し悩んで、わたしは答えます。
「その、ええっと、うーん……直接は、恥ずかしいので……代わりに、文字を教える、ということでいいですかね……」
かなり遠まわしな教え方ですけれど、本当に直接伝えるのは恥ずかしいのです。だって、彼女へ抱くわたしの感情が、あまりにも明らかになってしまうんですもの。
「……良いですけど……文字がわかればともえさんのお役に立てるかもと思ってましたから……」
釈然としない風のイエイヌさんですけれど、ごめんなさい……ほんっとうに恥ずかしいんです。
「わたしも知らない漢字とかもありますから……ひらがなとカタカナだけになっちゃうかもですけど、ごめんなさい」
わたしの言葉にイエイヌさんは首を振ります。
「いえ、教えてもらえるだけでありがたいです! 帰ったら教えてくださいね!」
「ええ、楽しみにしていてくださいね」
くすりと微笑んで、少しだけ考えます。
『あの子といる海』だなんて、わたしの感情があけすけになってしまうの、明白じゃないですか。イエイヌさんが、これを読んだとき、どんな風に感じるのでしょう? わたしは恥ずかしくて顔が熱くなってしまうのでしょうね。まるで今のように。
そのまま歩き続けます。まだ戻るには早いですからね。
のんびりと歩いていると、どこか遠くから声が聞こえました。声、というよりも、歌声というのが正しいのでしょう。しっかりとした音とその動き。歌詞のようなものはありませんけれど、確かにそれは歌でした。鼻歌やハミングや、そう呼ばれるような歌。ですけれど、心地よくも郷愁に似た感情を思い起こさせる歌。
「ねえ、ともえさん。聞こえます?」
イエイヌさんがこちらを向いて尋ねました。
「ええ……小さな音ですけれど……どなたでしょう? バンドウイルカさんやフォルカさんの声でも無いですし……」
どちらかといえば、多分バンドウイルカさんの声に似ているのかもしれません。
「お邪魔しない程度に、行ってみます?」
わたしの問にイエイヌさんは「はい!」と頷きます。浜辺から外れて、階段を上がり、土道に。そのまま、岬の方へとわたし達は歩いていくのでした。