思いついたことを新鮮な内に調理した結果、本筋よりも未来に当たるお話になりましたとさ。
20/06/14 改稿
しとしとと降る雨は中々止みません。朝から降り続けている雨は、つい先程まで『おうち』の屋根をとんとんと叩くほどの強さでした。ですけれど、『雨』というどこか面倒な思いを抱かせる筈の天気は、今のわたしにはなぜだか楽しげなものに感じられました。
「止みませんねぇ……」
イエイヌちゃんが、今日何度目かの愚痴をこぼします。
「……偶には良いんじゃないですか?」
わたしは眺めていた画集を閉じ、イエイヌちゃんの方を向きます。
わたしはと言えば、その楽しげな音のためか、あるいは目覚めてから数少ない雨のためか、どこか気楽なものです。
今日、目が覚めてからは、わたしは窓辺で外を眺めたり、手元の画集を眺めたり、はたまた、これまでに書いた絵を見返してみたり……思いついたことを、思いついた時にしていました。
イエイヌちゃんもベッドに寝転がっているくらいの違いがあるだけで、外を眺めたり、うとうとしていたり、わたしと大差のない他愛ない時間を過ごしていました。
「……イエイヌちゃんは退屈ですか?」
『運動会』が終わり、それから数日。一旦帰宅したわたし達はしばしの休息を取ることにしました。一応、わたしの感覚では一週間ほどを目安にしておりましたし、イエイヌちゃんも同じ位の期間を休息に充てることに異論は無いようでした。
けれど、しばらくすると、お互いの間には『物足りない空気』とでも呼べるような、手持ち無沙汰な雰囲気が生まれ始めたのです。
「そこまでじゃ……でも、うーん、ちょっとだけ……」
最初の二日間程はドードーさんが居てくれましたし、その翌日は散歩も兼ねて『お願いごと』の為にゴリラさんの棲家(と彼女は自称していました)へと行った為、さほど退屈ではなかったのですけれど……。
「まぁ……そうですよねぇ。ずっと歩いたり走ったりして……急に『おうち』に居ないといけないんですもの……」
今日は一日『おうち』居ると決めると言うことと、今日は一日『おうち』に居なくてはならないということとでは感じ方は変わるもの。雨は朝から昼過ぎの今までずっと振り続けています。
「そうですよぉ……それに、なんだかつめたい雨ですし……」
雨が降る以前までは暑いくらいの天気だったのですが、今日の雨は妙に冷たいのです。まるで初夏のような天気だったのに降る雨は冬とでも言えるような、そんな具合なのです。気温も外はどこか肌寒いくらいです。
「明後日には出発したいですし……体調を崩すようなことは避けたいですからねぇ」
わたしの言葉にイエイヌちゃんは「はいぃ……」とため息まじりに答えます。
「せっかくです。のんびりしましょう?」
イエイヌちゃんはこくりと頷いてから、わたしの近くに来て、画集をそっと手に取ります。
「『としょかん』……でしたっけ? 借りてきたんですよね」
「えぇ、ゴリラさんが誰にも読まれないのは寂しいからって……」
わたしが借りてきたのは『画集』。
どなたの描いたものかは……ちょっとよくわかりません。というのも、絵の部分を除いた言葉の部分の全てが外国語で書かれていた本だったのです。ゴリラさんも「読めない」と首を降っていましたし……。かつてヒトが数多く居た頃であればわかる方に尋ねたりして読めたのかも知れませんが、今となってはそれも叶いません。
「ともえちゃんはなにか好きな絵とか、ありましたか?」
イエイヌちゃんは宝物でも扱うかのようにそっと慎重にページを捲りながら、わたしに尋ねます。
「好きな絵……ですか……」
わたしはイエイヌちゃんから画集を受け取り、何枚かページを捲り指差します。
「これ……ですかね」
わたしの示した絵は、どこかの国のどこかの場所の一瞬を切り取ったような絵。その場所は、ガラス張りの三角形の屋根があって、明るい色彩で描かれたものでした。煙とも靄ともわからない気体がそこかしこに立ち込めていて、幾本かの線路と、その上を走る黒々とした汽車、そして遠くには赤色だったり白色だったりする建物が並んでいて……。
「絵が綺麗……と言うのもありますけど……」
イエイヌちゃんはうんうんと頷いてわたしの言葉に耳を傾けます。
「その……ヒトがいっぱい居て、生活していて……その一瞬をこんなに綺麗に切り取れるんだって感じるんです」
「はぇえ……」
多分、感心してくれているのでしょうけれど、何とも言えない不思議な吐息を漏らします。
「イエイヌちゃんはなにか気になる絵とかありますか?」
そう尋ねながら、彼女に画集を手渡します。受け取ったイエイヌちゃんは「うーん」と悩むように数ページほどめくり、手を止めます。
「私は……これが気になります……」
彼女がわたしに見せた絵は、わたしにも不思議な感情を呼び起こさせたものでした。
「この絵……綺麗なんですけれど、それとは違くって……なんだか懐かしいんです……」
その絵は、白いワンピースを着て、日傘を刺した女性と小さな子どもが描かれた絵です。その場所は草原のような、丘の上のような、そんな場所でしたけれど、何よりも目立つのは綺麗な青色の空と、陽射しを受けて輝く雲です。
「……わたしも……同じ気持ちになりました」
「ともえちゃんも……ですか……?」
わたしの言葉にイエイヌちゃんも少し驚いた様な顔をします。
「はい……。イエイヌちゃんは、どこかで見たことあります?」
わたしの予想通り、彼女は首を振ります。
「ですよね……わたしもなんですけど……」
過去の記憶が無い以上、わたしに覚えが無いというのも当然といえば当然なのですけれど……。単にパークの中で似たような絵を見たのでしょうか……? にわかに蘇ってくる懐かしさ。みぞおちの辺りがじゅんとなるような感覚。それの出処が一体どこなのか……どうにも気になります。
わたしひとりが、あるいはイエイヌちゃんひとりが感じるというだけならば、覚え違いや勘違い、もしかしたら遠く昔の忘れてしまった思い出なんて可能性だってあります。けれど、お互いに、共通した感情を抱くのです。わたしとイエイヌちゃん。どうしてふたりとも揃って……? 事態は途端に妙な雰囲気を纏い始めます。
わたし達は、時折「うーん」と悩むような声を上げる以外、黙りこくったまま考えこんでいました。絵……ワンピースを着た、女性の絵……。
「あぁ、わかりました」
夢に見た、記憶のひと欠片。そこで誰か――多分、お父さん――が描いていた絵が、よく似ていたのです。
「以前お話しましたよね……わたしの小さい頃の思い出の話……」
イエイヌちゃんは考えを止め、興味深げにわたしの瞳を見つめます。
「そこで描かれていた絵が……よく似てるんです」
「そういうことですかぁ……なるほどなるほど……」
イエイヌちゃんはわたしの言葉に納得するように、ふんふん頷きました。わたしは改めてそこで描かれていた絵の詳細を、思い出しながらですが、彼女に伝えます。丘の上に立つ真っ白なワンピースを着た女性……似た構図に、似た衣装。そして似た色使い。けれど描かれていたのは夜ですし、もちろん日傘なんてありません。加えていうならば、画集の絵と比べたら、どこか淡い印象でした。
「――と、こんな絵だったと思います。ちゃんと覚えていたら、ですけど……」
変わらずふんふんと頷くイエイヌちゃん。
「ですと……私はそのお話を、覚え間違えちゃったんですかね……」
「そうかもしれませんね」
イエイヌちゃんは少しだけ悩む様な顔をしていましたが、自分の中にある疑念を振り払うかのように小刻みに頷きました。
ただ、わたしはと言えば、ちょっとした違和感を覚えています。というのも、あの時にお話したのは夢に出てきた『誰か』についてのお話や、単なる出来事についてのお話。つまり、絵の詳細は話の中心になかったのです。それなのにイエイヌちゃんが勘違いするというのが、わたしには不思議に思えてならないのです。
不意に、雨脚が強くなりました。
とんとんと『おうち』の屋根を叩くその音は、今朝方のそれよりも幾らか強いもので、温度の管理がされたこの『おうち』の中でさえ、どこか冷え込んでしまうように思われました。
「雨、強くなってきましたね……」
イエイヌちゃんの声色は退屈そうな響きを依然として含んでいましたが、少しばかり悲しみの色が強くなっている気がします。
「……そうです! イエイヌちゃん、ハーブティー、淹れましょう?」
彼女を励ましたいという思いや、『おうち』の空気を替えたいという思いもありましたが、当然わたし自身喉が乾いてしまったという事実もありますし、改めて飲んでみたいという思いも……。わたしが立ち上がってキッチンへと向かうと、イエイヌちゃんがぱっと立ち上がって、言います。
「あ、あの! わ、私もお手伝いを……」
「でしたら……そうですね、はい、お願いします」
ふたりしてキッチンに入り、棚をまさぐります。カップは度々使っていたのですぐに見つかりましたけれど、ヤカンは少々手間取ってしまいます。
「えぇっと……ともえちゃん、これですか……?」
イエイヌちゃんは流し台の下を、わたしは椅子を持ってきて高い扉の中にあるかと探し回っていると、イエイヌちゃんがヤカンを見つけてくれました。
「そうですそうです! お手柄ですよ、イエイヌちゃん!」
彼女が引っ張り出したヤカンは、使われた形跡がほとんど無く、汚れや歪みなど無い、綺麗なものでした。わたしは彼女からヤカンを受け取り、蓋を外し、中を覗き込みます。
「うーん……汚れとかホコリも無いですし……ちょっと洗えば使えそうですね」
わたしはそうつぶやいて、がしゃがしゃと軽く中をスポンジで擦り、清めます。そして中に水をいれ、コンロに置き、火を点けます。
「……わうっ!」
イエイヌさんはわたしの仕草の始終を見ていたのですけれど、コンロに火を点けた瞬間、驚きの声を上げます。
「そ、そんなに驚く事ですか……?」
わたしが微笑みながら尋ねると、イエイヌさんは軽く頭を振りました。
「べ、別にそんな、びっくりしたなんて……そんな風に使ったんですね、そこ……」
……そういうならそうなんでしょう。少し耳が赤くなってますけど……。
「ともえちゃんは使い方、どこで知ったんですか?」
「んー……身体が勝手に動いてましたねぇ……なんででしょう……?」
案外、身体が覚えてることって忘れないんでしょうか? 過去ですとか、お父さんの名前や顔なんか忘れても、絵が描けた様に、今、火を点けることができた様に……。そう考えると、案外、できることって多そうです。
「えぇっと……どうするんでしたっけ……」
せっかくゴリラさんから頂いたハーブティーなのです、美味しく、大事にいただきたいもの。どうすれば上手に作れるんでしたっけ、確か教えてもらったはずなんですけれども……いざとなると、ど忘れしてしまいますね。
「確か……ぱっくに入れてあるからカップとお湯でいいとか言ってませんでしたっけ?」
「あぁ、そうでした、ありがとうございます。えぇっと……先にカップを温めた方が良いとかなんとか仰ってましたね……」
わたしはゴリラさんから伺った『美味しい作り方』の通りに淹れればまず間違いは無いでしょう。彼女はそれなりに作ってるようですし、彼女の言葉にはわたし達を納得させるだけの重さがありましたからね。
手順は至ってシンプル。お湯を沸かして、カップをお湯で温めてから一旦それを捨て、パックを入れお湯を一杯分カップに淹れて、蓋をして蒸らす。そうしたら数分もしない内に完成……との事。完成が楽しみです。
彼女の言葉の通りお湯が沸くのを待っているのですけれど……わたし達は待つには長く、かと言って何か他のことをするには短いような、そんな時間を待つことになります。
「お湯が沸くまで、手持ち無沙汰ですねぇ……」
わたしがそうつぶやくと、イエイヌちゃんは「そうですか?」と中腰になりながら、コンロの火をじいっと見つめて言いました。
「私は、なんだか楽しみです。やったことも見たことも無いですから」
そう言ってわたしの方を見て、にっこりと微笑みます。
「イエイヌちゃんのそういうところ、わたしは凄いなぁって思います」
まさに尊敬に値すると言って良いでしょう。
日常の些細な光景から、非日常を見出し、楽しむ。フレンズの皆さんは割とそういう生き方や在り方だと思われますが、わたしが『ヒト』だからか、はたまたわたし自身の性格の為なのか。彼女達の様な生き方を楽しむ術が、中々身につきません。
と、そんな思いもほどほどに、イエイヌちゃんはと言えば恥ずかしいやら誇らしいやらというような具合に、両手を頬に当てて笑みをこぼしております。
「照れちゃいますよぉ、えへへぇ……」
彼女のこういう顔は、わたしも好きですから、つい微笑み返してしまいますが……わたしの掛けた言葉の割に、反応が大げさでは……?
「まったく……何をそんなに……っと」
ヤカンからはしゅうしゅうと白い蒸気がほとばしっていて、お湯が湧いたことを殊更に主張しています。
「湧いたみたいですね。まずは――」
ゴリラさんから教わった通りの手順に則り、作業を進めます。
カップを温めて、沸かし直したお湯とティーパックをカップに入れて、暫く待って、そして――
「――これで完成……なんですかね?」
わたしは蓋代わりに載せていた小皿をどかし、中身を覗きました。
「うーん……色は出てるみたいですけど……」
イエイヌちゃんも同じ様に中を覗き込みます。
「とりあえず、机に持っていきましょう」
わたしはイエイヌちゃんの言葉に頷き、わたし達はそっと慎重に机へと移動しました。……なんでふたりして忍び足で移動してるんでしょう? コップの中身は然程多くないというのに……。なんだか奇妙な光景でくすりとしてしまいますね。
「では、いただきます」
ふたり揃っての掛け声。その後は小さく啜る様な音がふたつ。
「……美味しい……!」
ゴリラさんが淹れてくださった時と比べると、少しばかり香りが弱い様な気もしますけれど、それでも十分に豊かな香りに、味。ハーブティーの暖かさが少し冷えた身体を芯から温めてくれるようでしたし、飲み下した時に鼻から感じる独特の花のような香り、舌に残る、優しささえ感じるほのかな苦味……。
以前も感じたのですけれど、もしかしたら、コーヒーよりもわたしは好きかもしれません。
「だ、大丈夫ですか……? イエイヌちゃん……?」
彼女の方を見ると、思っていたよりも苦かったのでしょう。とてもとても渋い顔を浮かべています。
「熱いのはへーきだったんですけど……」
結構、息を吹きかけてましたからねぇ……。
「うぅ、まえよりも苦いですぅ……」
「あはは……もしかしたら、この前のはゴリラさんが砂糖を多目に入れてくれてたのかもですね」
ゴリラさんは、あの時するりと席を立って、まるで自然にハーブティーを持ってきてくれましたけれど……あの時は確か、ゴリラさんが直接「ともえはこれ、イエイヌはこれ、ドードーはこれ」という具合に配膳してくれていましたし……。
「お砂糖、持ってきますね」
先程、キッチンを漁った時に『おさとう』という文字を見かけたのです。中身がどれくらい残っているのかという問題もありますけれど……。
「あ、ありがとうございます、ともえちゃん……」
渋い顔はそのままに、彼女は再びふうふうとグラスに息を吹きかけていました。
『おさとう』と書かれた容器には、想像していたよりも遥かに多い量の砂糖が残っていました。中に入っていたスプーンで混ぜてみたり、掬って舐めてみたりしたところ、そのまま使っても問題はなさそうです。
ヤカンはともかく、こういったものまで綺麗なままというのもどこか奇妙ですけれど……なにか特別な処理をしていたり、あるいはこの容器が特別なのでしょうか?
「イエイヌちゃん、どうぞ」
わたしは砂糖の容器と、スプーンを彼女に渡します。彼女は受け取るや否や、砂糖を数杯ほどハーブティーに入れ、軽く混ぜます。その後、こくりとひと口含み、ほうとひと息。
「美味しいですぅ……」
彼女は幸せそうに言葉を漏らします。
「イエイヌちゃんは、甘党なんですねぇ」
わたしの言葉に彼女は首をかしげます。
「あまとう……?」
「甘いのが好きな方達のことですよ」
ほんほんと納得した彼女は、わたしに問いかけます。
「じゃあ……ともえちゃんは……にがとうですね!」
なんだか聞き慣れないような……。それに、苦いモノが好きという訳でもありませんけれども……。
「その言葉があるなら、もしかしたらそうかもしれませんね」
思わず溢れた笑みに、イエイヌちゃんは笑い返します。あぁ、先程までの不思議な、奇妙な、重い空気はどこへやら。お茶の時間というのはどれほど偉大なんでしょうね。
「あっ! ともえちゃん!」
「どうしました?」
イエイヌちゃんは窓の外を指差して楽しげに言います。
「雨、止みましたね!」
灰色の綿を敷き詰めた様な曇り空は変わり有りません。けれど、雨脚は確かになくなっていました。
「お茶を飲み終わったら……お散歩します?」
「はい!」
イエイヌちゃんは心底嬉しそうに、心底楽しそうに笑顔で答えます。
「じゃあ……また降っても困りますから、あんまり遠くまでは――」
わたし達はお茶菓子代わりにこれからのお散歩について話を交わします。時間のかかるような話題では無いですけれど、話はわたし達のお茶が無くなるまでの間、あっちへ行ったりこっちへ行ったり……。
気づけばお互いのコップは空になっていました。
「じゃあ、行きましょうか」
わたしは椅子から立ち上がり、コップをふたつ持ち、流し台へと片付けます。
「ありがとうございます、ともえちゃん!」
何の気なしに彼女の分も片付けたのですけれど、感謝されるというのは中々嬉しいもの。
「いえいえ、どういたしまして」
わたし達は手をつないで、玄関をくぐります。
常ならば高い空に心をときめかせますけれど、今はあいにくの曇天。再び雨が降り始めそうでさえあります。憂鬱な空模様ですけれど、心のどこかでは「空はこんなにも低くなるのか」という奇妙な感慨を抱いていました。「帰ったら、この景色を描いてみよう」。わたしは心のなかで呟きます。と、いうのも先程のイエイヌちゃんの言葉が、どこか頭に残っているから。
「やったこと無いこと、やってみませんとね」
イエイヌちゃんはきょとんとした顔でわたしを見返します。
「……? よくわからないですけど……頑張ってくださいね、ともえちゃん!」
「えぇ、がんばります! ……実はですね――」
確か、画集には曇り空の絵があった筈。それが参考になるでしょうか? 上手く行かなくても、イエイヌちゃんの笑顔が見られましたから、それで良い……とちょっとだけ思います。
わたし達は前に向き直り、再び、歩みを進めました。
今日はそんな一日でした。