けものフレンズR ”わたし”の物語   作:むかいまや

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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9098445 より設定をお借りし、11話Bパート相当の物語を書きました。

おまたせしました。ちょっと忙しかったんですよ。本当ですよ?

20/06/16 改稿


11-2

 会場はあまりにも高まった期待感に包まれたために、かえってしんとしてしまっていました。空気が今までと違うことに違和感とも緊張とも言えない感覚を覚えながら、わたし達は歩みを進めます。

 わたし達の前に立っていたのは、コヨーテさんとロードランナーさんでした。

「なんだ、お前達も驚いたりしないのか……」

「なんでイエイヌはあたしを見るんだよぉ……!」

 コヨーテさんはどこかがっかりしたような顔で、ロードランナーさんは困惑を隠せない表情です。

「いや、まぁ……察してました……」

「あ、でもロードランナーさんは意外です!」

 わたしの申し訳無さを込めた言葉に続いてイエイヌちゃんは楽しげな笑顔で応えます。

「そ、そうか……」

 がっかりした様子のコヨーテさんに咎めるような視線を送るロードランナーさん。

「だからいつも言ってるだろ? ひみつしゅぎは良いけど、タイミング間違えるなって……」

「いや、秘密は秘密だから良いんだ。そもそもだな――」

 彼女達は口論を初めそうな雰囲気になり始めましたけれど、ハクトウワシさんがそれを諌めます。

「ほら、試合始めるわよ? 喧嘩してる場合じゃ無いんじゃない?」

 楽しげに口元を歪ませながら、ですけれど。

「む、むぅ……まぁ、バレてたんじゃ仕方ないか。よろしくな、ともえ、イエイヌ」

「……あたしはコヨーテがミスったんだと思うけどなぁ……っと、よろしくな、ふたりとも」

 わたし達は彼女達に返事をします。そして軽く握手。それを見届けたハクトウワシさんが、指示を出します。

「じゃあ、ふた組とも離れて、位置についてちょうだい。それと……ともえ、イエイヌから『攻め』よ」

 指示に従ったわたし達を見て、ばさりと空に飛び立ちます。

「それでは、けっしょーせん、かいし!」

 笛の音が、会場に響きました。

 

 前回と同じようにイエイヌちゃんがまっすぐに駆け出します。それを見たコヨーテさんとロードランナーさんは散らばるように左右に離れます。ある意味では当然の反応。そして、ユキウサギさん、ヤブノウサギさん達との試合の繰り返しに過ぎない光景……。どうやら、イエイヌちゃんはどちらかと言えばコヨーテさんを意識している様子です。じっとコヨーテさんの方を見たまま、耳の方向だけロードランナーさんの方へと向けています。

「お。俺か、いいぜ?」

 コヨーテさんはつま先をとんとんと地面に叩き付けながら、挑発するような言葉をイエイヌちゃんにかけます。

 うーん……『かけっこ』の際の話を思い出すと、単純な速さ比べだとイエイヌちゃんはコヨーテさんよりも『遅い』と言っていたような……? それでしたら、ロードランナーさんを最初に捕まえて、残った時間でコヨーテさんに対処した方が無難な作戦に思われます。

「イエイヌちゃん!」

 わたしは彼女に声をかけてから、笛を鳴らします。ロードランナーさんの方向を示した笛の音。彼女はそれを察して、こくりと頷きます。そして真っ直ぐにロードランナーさんに駆け寄ります。それを受けたロードランナーさんは少しだけびっくりした表情になって、駆け出します。

 これで良い……はずです。作戦としては(ちょっと言い方は悪いですけど)弱い方から捕まえるというもの。残った時間を使ってコヨーテさんを追い詰めて、捕まえる。それが確実な作戦、というヤツのはずです。

 わたしはイエイヌちゃんとロードランナーさんの追いかけっこを見つめながら、小走りで近づきます。状況としては、会場の端の方へとロードランナーさんを追い立てる動き。これも前回と似ていますけれど、少しばかりわたしの位置が異なります。

 というのも、イエイヌちゃんに方向を変えてもらった為に、わたしとイエイヌちゃんの位置とがズレているのです。

 前回ならば、直線的な動きで『挟み込む』作戦をを狙えました。けれど、それも今から狙うと却って時間がかかってしまいそうな具合……。

 わたしが考えているうちにも、イエイヌちゃんとロードランナーさんは目まぐるしく動いていきます。一応、わたしは駆け寄りながら見守っていましたけれど、おふたりとも速い速い……。ロードランナーさんは確かにイエイヌちゃんと比べると『遅い』のですけれど、それを知ってか知らずか、彼女は走る方向を目まぐるしく変えて、イエイヌちゃんを振り回しています。

 気づけば、おふたりの位置は会場の端にほど近くなっていました。そして、彼女達の動きは数秒だけ固まります。

「っ……」

 わたしは機を伺います。きっとイエイヌちゃんもロードランナーさんも同じ。ロードランナーさんの動きを読むことは、もしかしたら出来るのかもしれません。

 けれど、『読む』という行為はいわば、一種のギャンブル。賭け事です。ここぞという場面にそんな『もしかしたら』の話を持ち出すのはきっとよろしくありません。じゃんけんじゃ無いんですから……。となれば……決めました。動きが細かい彼女を捕まえる方法……。上手く行けば、良いのですけれど……。

「イエイヌちゃん!」

 大きな声で彼女に呼びかけます。不思議そうにこちらを振り向くイエイヌちゃんにわたしは駆け寄り、そっと幾つか耳打ちをします。時間にして十数秒。その間もわたしはロードランナーさんをちらりと見ていましたけれど、彼女は楽しげにぴょんぴょんと跳ねながらこちらの様子を伺っていました。

「――という感じで……行けます?」

「はい! 任せてください!」

 イエイヌちゃんの返事にわたしは頷き、『左』と指示を出します。イエイヌちゃんはしっぽを軽く揺らしてからロードランナーさんの左側に回り込むように走り出します。それを見てから、わたしはロードランナーさんの右側方向に向かって走り出します。形としては二回戦と同じような挟み込む動き。

 けれどその先が異なる……筈です。

「そういう、ことかっ……!」

 ロードランナーさんは、彼女の真正面方向に走り出します。わたしとイエイヌちゃんの間をすり抜けるような形です。ここでわたしはイエイヌちゃんにひとつ合図を出します。合図を受けたイエイヌちゃんはぐんと速度を上げて、飛びかかるように姿勢を低くさせます。

 ロードランナーさんは合図を知らない筈ですけれど、イエイヌちゃんの姿勢が変わったことが見えたのでしょう。きゅっと靴が鳴るような勢いで走る方向を変えました。

間髪入れずに、ざぁっと地面をするような音が耳に入ります。それはイエイヌちゃんがロードランナーさんの動きに追いつけず、ブレーキをかける音でした。

 ロードランナーさんが走るのは、わたしの左側スレスレを駆け抜けるような位置でした。わたしは彼女に向かって飛びかかります。彼女はわたしの動きを見て、ふたたび方向転換。わたしから離れるように、イエイヌちゃんに近い方向に……。わたしの行動――つまりは彼女に飛びかかるように前のめりに飛びかかったのですけれど――を回避出来たことに油断したのか、少しだけ、彼女は速度を落としました。一瞬だけ振り返ってわたしの様子を見るロードランナーさん。瞬間にわたしと彼女の目が合いました。それはわたし達の動きを確認するためだったのかもしれませんし、わたしを案じるものだったかもしれません。が、勝負の最中にその隙を見逃す筈が無いのです。なぜなら、そうなることを待っていたんですもの。

 わたしは立ち上がるよりも先に、もう一度合図を出します。今度は『本気で』捕まえにかかるためのモノです。

 合図を聞いたイエイヌちゃんは先程よりもずっと速く走り出します。多分、今までで一番速いのではないのでしょうか? あっという間にイエイヌちゃんはロードランナーさんに近づき、彼女を捕まえました。それこそ、ロードランナーさんがイエイヌちゃんに気づくのと、彼女が捕まえられるのとが同じタイミングだったと思えるくらい、一瞬の出来事でした。

 わたしの作戦。それは、ロードランナーさんが一瞬だけわたしの方向を見るという隙(と言いましても、これに限らず彼女の隙が見つかったら、ですね)が生まれたその瞬間に、合図を受けたイエイヌちゃんが全力でロードランナーさんを捕まえる。

 要するに二段構えの作戦なのです。

 

 空からひとつ、甲高い笛の音が聞こえます。

「……やられたぁっ……」

 前かがみになってふぅと息をつくロードランナーさんは、視線を上げるとコヨーテさんに言います。

「コヨーテー! つかまんなよー!」

 少し離れたところから、コヨーテさんの「おうとも!」という声が聞こえました。わたしはそれを聞きながら、駆け寄って来てくれたイエイヌちゃんの手を取ります。

「ありがとうございます、イエイヌちゃん」

「上手く行きましたね! 作戦!」

 無邪気に楽しげな笑みを浮かべてくれると、それだけで報われるような思いです。

「えぇ、おかげさまで……でも、これからですよ……!」

 イエイヌちゃんは少しだけ乱れた呼吸を整えながら、じいっとコヨーテさんを見つめます。コヨーテさんは挑発するように肩をすくめ、わたし達を待っていました。

「頑張りましょう、ともえちゃん!」

「はい!」

 わたし達の一回目の『攻め』も後半に差し掛かっています。時間はさほど残っていないでしょう。ここは様子見ということで、体力を温存しても良いのかもしれませんが……。先制点を取れるのならばそれほど良いことは無いのですけれど、迷いますね……。そんな迷いを内に秘めたまま、わたしとイエイヌちゃんの視線が自然と合いました。こくりと頷きあって、動き始めます。

 

――――――

――――

――

 今は二回目の『逃げ』の時間。恐らく残り時間も後一分も無いくらい、と言ったところでしょうか。わたしは後悔と反省に苛まれながら、イエイヌちゃんがロードランナーさん、コヨーテさんから逃げる様子を見つめます。

 

 ざっくりと説明しましょう。

 一試合目の『攻め』はわたしが指示を――体力温存か攻めるか――悩み続けてしまい、動きは決まらないまま、試合は進まず時間だけが経過しました。そのため、コヨーテさんを捕まえることは出来ないまま終了。

 その次、一試合目の『逃げ』。ロードランナーさん、コヨーテさんは二手にわかれてわたし達を追いかけました。わたしは早々捕まってしまいましたが、イエイヌちゃんが逃げ切ります。この時点で得点は『一対一』。

 二試合目の『攻め』の時間。こちらも一試合目と同様、ロードランナーさんを捕まえることが出来ました。続くコヨーテさんの相手となった時、わたし達は攻めに徹することにしました。けれど、コヨーテさんはどうやらわたし達の合図の内容を察したようで、わたし達は逃げ切られてしまいます。

 この時、ロードランナーさんを捕まえる為に時間を使いすぎてしまった為に、残った時間では『指示』を逆にしたところで追い詰める前に試合が終わってしまいました。続く二試合目の『逃げ』。これも同様です。わたしが捕まり、今はイエイヌちゃんがひとりで逃げている状況。幾分かマシだったと思いたいのは、ロードランナーさんが疲労の為かさほど速度を出せなかったようで、わたしが捕まるまでに時間をかけさせることに成功したということでしょう。

 彼女たちは二手に分かれ、わたし達を追いかけました。コヨーテさんはイエイヌちゃんに、ロードランナーさんはわたしに、それぞれ付くこととなりました。幸いなことに、ロードランナーさんの速度は(わたしの方がずっと遅いのは言うまでもありませんが)わたしに取っても幾らか余裕のある速度でした。それはきっと体力の温存を目的としているという可能性の為でしょうから……。お陰で、多少なりともイエイヌちゃんが二人に追われる時間を短く出来た……と思いたいところです。

 

 そして今……。どうしてもわたしの頭から離れない考えがあります。わたしに彼女たちのような速さがあれば、と。それは、彼女たちの『攻め』の様子を見て痛感しました。今更かもしれません。けれど、どうしても……。

 彼女たちはそれぞれが互いに信頼しあって、互いに別々の標的を追いかける……それはこの『狩りごっこ』において、確実性に欠けるようにも思えますが、上手く行った時に得られるものは大きいのでしょう。彼女たちの性格が楽しませたがりのエンターテイナー気質という可能性だってありますけれど、盛り上がりますし、何よりも成功したときに得られる有利性は大きい……やれるのならやったほうが良い事……。

「……」

 悔しくて、不甲斐なくて、ぎりりと歯ぎしりをしてしまいそうにさえなります。彼女たちはある程度の作戦や段取りが前提として共有しているのでしょうけれど、おふたりとも自分の好きなペースで身体を動かしているように見えます。

 わたしは、わたしは……イエイヌちゃんのお荷物なのかもしれません。彼女はそんなこと考えてもいないのですけれど、わたしにはわたしがそう思えて仕方がないのです。わたしにもっと出来ることがあれば、せめてもう少しくらい、足が速ければ……。悔しいのです、イエイヌちゃんが好きなように動けないことが……悔しくて悔しくて……。

 二回戦目終了の笛の音が鳴りました。わたしはイエイヌちゃんの下へ駆け寄ります。

「お疲れさまです、イエイヌちゃん」

 彼女は、事も無げに、けれど身体の調子を整えるように慎重な呼吸をしていました。わたしは、そんな彼女に努めて微笑みを浮かべるようにして声をかけたのですけれど、イエイヌちゃんは心配そうな顔をしてわたしを見つめ返します。

「ありがとうございます! ともえちゃんもお疲れさ……大丈夫ですか……?」

「ありがとうございます……また捕まっちゃいましたから、休む時間はありましたし、平気ですよ、平気」

 幾らなんでも自嘲に過ぎたようで、イエイヌちゃんはむっとした表情になりました。けれど、その後、申し訳無さそうな、しゅんとした表情になり、耳やしっぽもなんだか元気がなさそうに垂れてしまって……わたしはますます暗い気持ちになっていきます。

「そんなこと……」

 一瞬の間。けれど数分にさえ感じられる沈黙が訪れました。

「……とりあえず、座りましょう?」

 こくりと彼女は頷き、ふたりでその場に腰掛けます。

 しばらくの間、わたし達は言葉も交わさずただただ座っていました。耳に入ってくる会場の騒ぎ声がどこか別の世界の音のようにさえ聞こえます。火照った身体を撫でる心地よい風でさえ、壁を隔てていると感じられ、どこかわたしから離れたもののようでした。

 わたし達が座ってからしばらくして、前回と同じようにカルガモさんが水を持ってきてくださいましたが、どこか重い空気を彼女は察したのか、多くを語らずロードランナーさん、コヨーテさんの方へと行ってしまいました。きっと、彼女なりのそっとしておこうという心遣いなのだと思います。

 ひと口、水を含んで飲み込みます。わたしは、濡れた唇をそっと親指で拭って、口を開きました。

「……イエイヌちゃんが何か気負う必要は、ありません。……だから、ごめんなさい」

 わたしの言葉を噛みしめるように、瞬きだけして、イエイヌちゃんは言います。

「そうかもしれませんけど……」

 わたしは『けど』の後が気になって何も言わず、もうひと口水を飲みます。イエイヌちゃんは迷ったような表情で、ひと息置いてから続けました。

「……ともえちゃんは、嫌、ですか?」

「何がですか?」

「『狩りごっこ』……。つまらないですか?」

 わたしはそっと首を振ります。

 イエイヌちゃんの顔をちらりと見ると、安心したような顔をしていました。けれどそれもつかの間のこと。彼女は心配そうな顔に戻ります。

「じゃあ、その……私は何も言うこと無い、です……お誘いしたのは私ですから……辛かったり、つまらなかったり、嫌だったり……そういうふうに思ってたら、謝らないとって……」

「わたしはそんな事ちっとも思ってないですよ?」

 これは本当のこと。こんなことで嘘なんか、つきたくないですもの。けれど、今までに感じたことも本当。だから、抑え込むように左腕に添えた右手に力がこもってしまうのも、仕方のないこと。

 全てはわたしの力足らずが原因なのですから。

「じゃあ、そんな辛い顔しないでください? ……ね?」

 イエイヌちゃんはわたしの右手を取りました。覆うように両手が重ねられ、それはとてもとても暖かくて……。

「何か悩んでるなら聞かせて欲しいって、ずっと言ってるじゃないですか。それともまた、抱え込んじゃうんですか?」

 イエイヌちゃんの表情は、心底わたしの事を心配するものでした。わたしの顔をじっと不安げに見つめて、様子を伺っています。彼女の瞳は今にも零れそうな位濡れていて、そこにうっすらとわたしの顔さえ見て取れました。

 どうしてこの子は、わたしの感情のことでこんなに辛そうにするんでしょう。そう思って、次に思うことは、先程ついた嘘の事。あの時に感じたことも、思ったことも、話して良かったはずなのに。胸が苦しくて、悲しくて、からっぽになってしまうようなあの感情……。けれど、そのことは彼女には話せません。話すとしたら、今では無いでしょう。『おうち』に戻ってから……。不要な心配を彼女に抱えさせたく無いですから。

「……わたし、イエイヌちゃんの足を引っ張ってるんじゃないかなって思えちゃって……その……不甲斐なくて……」

「そんな事無いです」

 真剣な顔で彼女は、わたしの目を真っ直ぐに見据えて、言いました。わたしは彼女の答えがあまりにも早くてあっけにとられてしまいました。

「ともえちゃんがいなかったらそもそも参加出来てないですし、勝ったり負けたりではらはらするのだって楽しいです!」

「で、でも……イエイヌちゃんは好きに動けていないんじゃ……」

 彼女はうーんと小さく呟きます。

「そうかもしれませんけど……私は、その……ともえちゃんが色々考えてくれて、その通りに走って、上手くいったりいかなかったり……そういうの、楽しいんです! 全部! ヒトの命令を聞くのって憧れでしたし……多分ですけど、イヌのサガってヤツです!」

 わたしの想像を上回る重たい言葉に思わず引きつった笑いが出てきてしまいます。

 イヌ代表としては遜色ない彼女だと思いますけれど、命令を聞きたかったって……うーん……?

「あはは……そ、そうですか……」

 あくまでわたしは『指示』を出しているのであって、そこに『命令』の意図は無いのですけれども……それはさておき、彼女が嘘はついていないとすると……つまりはわたしが一人であれこれ悩んで勝手に思い詰めていた、と……。

「そ、そうですよ……? う、嘘とかついてませんよ?」

 なぜだか彼女は慌て始めます。自分の言葉が間違っていなかったか、不安になったのでしょうか?

「ふふっ、なんだかすっきりしました……ありがとうございます、イエイヌちゃん」

 イエイヌちゃんは微笑みながら「どういたしまして」とわたしの手を撫でながら言いました。あれ? 否定されてないことがひとつ、あるような……?

「それはそれとして、です。イエイヌちゃん、自由に動けてないのは否定しないんですね……?」

 痛いところを突いてしまったのでしょう。彼女はどきりとしたような表情になって、否定するとも肯定するともつかない曖昧な言葉をもよもよとつぶやいていましたが……それは今のわたしに取って、最早薄暗い気持ちになるものではなく、新しい茶化しの道具を得たような、そんな心地です。

「冗談ですよ、冗談。……もうちょっとわたしの指示が上手かったりすれば良かったんでしょうけど……」

 どこか引っかかるような考え。悪い意味ではなく、何かに繋がりそうで、その答えがわからない感覚。そんなものを覚えます。

「お水回収でーすっ」

 カルガモさんがやってきました。どうやら先程までの重い空気がなくなったのをすぐに理解したようです。

「……喧嘩でもしてたんですか? まぁ……無理に聞いたりはしませんけれど……」

 彼女はわたし達から空いたコップを受け取りながら尋ねます。

「いえ……ちょっと『狩りごっこ』でわたしが悩んじゃってて……言い過ぎちゃいました」

 わたしはきまり悪く、帽子の位置を調整しながら苦笑いで応じます。イエイヌちゃんも「あはは……」と困ったような声を上げていました。

「……そうですかぁ。……私からアドバイスとか無理ですけど……そうですねぇ……悩んだときはやりたいようにやってみるのも、良いかもしれませんよ?」

 重なったコップをエプロンに入れながら、彼女は続けます。

「作戦だの何だの言ったって、ええ、やりたいようにやるのが一番です。サイオーガウマ……? とか言いましたっけ? ともかく、やればなんとかなるものですよ、きっと」

 うんうん頷きながら彼女は言い切りました。……イントネーションと使い方がおかしい気もしますが、言いたいことはわかります。

「ふふっ……そうかもしれませんね」

 わたしの微笑みを見て、イエイヌちゃんはどこかホッとしたようにふうと息をつきます。そんな彼女の様子が視界に入って、わたしの胸にも安堵の思いが訪れます。わたしとイエイヌちゃんの間の重苦しい空気は、確かになくなった。そう思います。

 そんな温かな思いの中、カルガモさんの言葉をわたしは振り返ります。塞翁が馬……は少しばかり違うと思いますけれど、なるようになる……。いえ、この場合、わたしが、なるようにする……?

「では! もう少しで最後ですからね、楽しみにしてますよー! 頑張ってくださいねー!」

 わたしが再び考え込んでいるうちに彼女は飛び立って行きました。わたしが気づいて手を振り始める頃には既に彼女は空高く、背中を見せてぱたぱたと飛んでいる最中でした。

 カルガモさんを見送ると、わたしは再び視線を落とし、考え始めます。

 わたしが出来ることとイエイヌちゃんの出来ることとの落とし所。そう思って今まで指示を出してきました。彼女にはわたしの考えの通りに動いてもらって、わたしが細かいところを修正したり、わたしの動きで相手を追い詰めたり……それがわたし達の『狩りごっこ』。それが間違っているかと言われると、わたしは自信を持って首を振ります。幾らわたし達の仲が良いとしても、『指示』はお互いが協力して連携した動きを取るために必要なものでした。これがとっておき。これこそがわたし達の要。だからこそ、ここまで勝ち進むことが出来たのです。

 けれど、イエイヌちゃんの出来ることにわたしの『指示』が追いついていない。少なくともわたしの身体は追いついていません。それを悟っているイエイヌちゃんは、ずっと力をセーブしているのかもしれません。それを見てみたいという思いもありますし、それを申し訳なくも思います。……見てみたい……?

 あぁ、わかりました。ひとつだけ案が浮かびました。けど、これって賭けなんじゃないですかね……。

「イエイヌちゃん」

「なんでしょう?」

 首をかしげてこちらを見るイエイヌちゃん。わたしは彼女の全力にどれくらい追いつけるんでしょうね。

「……ひとつ、作戦を思いつきました」

「本当ですか!?」

 わたしはお尻の土埃を払いながら立ち上がります。イエイヌちゃんもわたしに合わせて立ち上がりました。

「……えぇっとですね――」

 わたしはイエイヌちゃんにそっと耳打ちをします。彼女は最初の内は「ふんふん」と頷いていましたけれど、耳打ちが終わる頃には心配そうな表情になっていました。

「……あの、それ……ともえちゃん、大変じゃないですか……?」

 わたしは首を振ります。

「最後ですから、そこは心配しないでください。それに……」

 一拍置いて、言葉を続けます。

「わたしが、やってみたいんです」

 わたしの顔を見て、イエイヌちゃんはどこかぽかんとした表情になって、その後、納得やら呆れやらわからないため息をつきました。

「……わかりました。ですけど……無理はしないでほしいです。そこだけ、約束してください」

 わたしは彼女の言葉に肯定の意を示します。けれど、彼女は心配そうな顔を崩しません。

「そ、そんなに心配ですか……?」

「はい……。絶対ともえちゃん無理しますもの……」

「えぇっと……あはは……信じてください……?」

 イエイヌちゃんは表情を変えないままです。

「わかりましたよぉ……」

 不承不承ながらも……と言い出しそうな表情のイエイヌちゃんに、わたしは「ありがとうございます」と伝えると、ちょうどハクトウワシさんがわたし達を呼ぶ声が聞こえました。

「始まるわよー!」

 遠目でよくわかりませんけれど、コヨーテさんとロードランナーさんも既にそこに居て、なんだかニヤニヤしているように見えます。

「ご、ごめんさい……!」

「今行きまーす!」

 ふたりして小走りになりながら会場の真ん中へ向かいます。最後の最後。ちょっと賭けに出ることになりそうですけれど、もうこの際です。気にしてなんかいられません。それになによりも――

「楽しみましょうね! イエイヌちゃん!」

「はい!」


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