長かったぁ……
皆さんも、良いお年を。
20/06/16 大規模改稿
狩りごっこのわたし達の最後の『攻め』。
鳴った笛の音の意味するところをわたしは窺い知ることができず、ハクトウワシさんの言葉を待ちます。ゆっくりとイエイヌちゃん、コヨーテさんの方を見てみると、イエイヌちゃんがコヨーテさんに覆いかぶさるように地面に倒れ込んでいます。
会場も、『何がどうなったのか』を告げる誰かの言葉を待つかのようにしんとしていて、物音ひとつしません。風の吹く音、木の葉や草のざわめきは勿論、それこそ会場のフレンズの皆さんの衣擦れの音さえ聞こえてきそうなくらい静まり返っている、異様な雰囲気でした。笛の音から一拍ほど置いて、ハクトウワシさんが大きな声で告げました。
「しゅーりょー!」
コヨーテさんも、イエイヌちゃんも、わたしも、言葉を失い呆然としていましたけれど、視線は一点に集中していました。わたし達の視線を集めるハクトウワシさんは心底楽しげな笑顔を浮かべて地面に降り立ちます。
わたしは、肩で息をしながらも首を動かして彼女の一挙手一投足を伺いましたが、そこに込められた意図はまだわかりません。イエイヌちゃんがコヨーテさんを捕まえられたにしても、タイムリミットが訪れたにしても、終わりは終わり。彼女はまだ、試合が、わたし達の『攻め』の時間が終わったことしか宣言していないのですから……。
「まずはお疲れ様、ね」
ハクトウワシさんはわたしの肩をそっとぽんと叩いてから、イエイヌちゃんとコヨーテさんの傍らへと行き、手を差し伸べます。
「……? どうしたの? そんなにぼうっとして」
彼女は自分に集まる視線――それこそ会場中の――に込められた意味合いを知ってか知らずかとぼけるようにくすりと笑いながら、首を傾げます。
「いや、どうしたの? じゃなくてだな……」
コヨーテさんがしびれを切らしたように問い詰めます。
「ふふっ、そう……そうよね」
ハクトウワシさんはイエイヌちゃんの手を取って、彼女を立ち上がらせます。「これくらいしてもいいわよね? 最後なんだし」と小さく呟いて、立ち上がったイエイヌちゃんの手を高く空へ挙げました。そして、妙に厳かな雰囲気を漂わせながら、大きな声で宣言しました。
「イエイヌがコヨーテを捕まえたわ!」
会場中にわあっと歓声の声が響き渡ります。そんな中で、イエイヌちゃんは「ほえ? へ?」とぽやぽやしていましたが……状況が飲み込めてきたのでしょう、次第に彼女の表情は喜びの色が目立ち始めます。
「――っ……! ともえちゃん! やりました! やりましたよ!」
ハクトウワシさんの手から離れたイエイヌちゃんは、わたしの下へと駆け寄ります。
「お疲れ様です! イエイヌちゃん! やりましたね! 本当に……良かった……!」
イエイヌちゃんはわたしの近くへ来てから少し躊躇うような素振りをしてから、ゆっくりとわたしの手を握ってくれました。
「時間、ギリギリだったのよ?」
「くっそ……そうだったのかぁ……」
コヨーテさんが悔しげにハクトウワシさんの手を借りて立ち上がります。
「コヨーテ、あなたって子はねぇ……」
ハクトウワシさんは、コヨーテさんに呆れたようにお説教めいた小言を言いますが、コヨーテさんはどこ吹く風という具合でした……ちなみに漏れ聞こえたものとしてはエンターテインメントに振り回されてるとかなんとか……わたしも同感です……。
「ま、何にしてもだ」
ふふんと自信有りげに鼻を鳴らして、コヨーテさん達はわたし達に言います。
「別に負けと決まったワケじゃない。引き分けだってありえる」
彼女がそう言い終わると同時に、ロードランナーさんがコヨーテさんのところにやってきました。
「なぁ、ロードランナー? そうだろ?」
唐突に尋ねられたロードランナーさんは「んー?」と唸ります。
「お前がそう言うならそうなんだろ。そうだろうな」
わかった風にニヤリと笑うロードランナーさんですけれども……何か……伝わったんですかね……?
「ま、まぁ、それはそれとして……休憩なさいな。少ししたらコヨーテとロードランナーの『攻め』よ」
ハクトウワシさんの言葉にわたし達はゆっくりと頷き、それぞれの組ごとに休憩をはじめました。
わたし達は会場の端の方へと移動して、休息を取ります。まだ身体から疲労が抜けきらないわたしは、イエイヌちゃんに支えてもらうようにしながらの移動……申し訳ないですけれども、ずっとあそこに居ても居心地がなんだかよろしくないですし、わたしは彼女に甘えることとなりました。
「大丈夫ですか……? 座れます?」
「心配しすぎですよ……平気です。けど、ありがとうございます」
イエイヌちゃんはわたしを守るかのように肩の方に手を回しながら、わたしが座るまでをそっと見守ってくれました。
「よいしょ……ふぅ……本当に、お疲れ様です、イエイヌちゃん。おかげさまで、勝ちに一歩近づきましたね」
わたしの言葉に彼女は首を振って、そしてわたしの隣に腰掛けました。
「ともえちゃんのお陰ですよ」
「うーん……わたしは何もしてないような……」
「その……最後、ああ言ってくれなかったら……私、走れなかったです……」
イエイヌちゃんは申し訳無さそうに、うつむきながら言いました。
「けど、お陰で、もうひと踏ん張りって、そう思えたんです」
顔を上げて、じっとわたしの顔を見て、そう言い切った彼女の顔はどこか晴れやかでした。
「そう言ってもらえると、えへへ、嬉しいですね。ありがとうございます。でも本当に頑張ったのはイエイヌちゃんですから、お疲れ様です、それと、おめでとう」
わたしは彼女に応えるように笑顔で、思いを伝えます。わたしに応じるように、彼女も笑顔になって、それが何よりも嬉しくて、それが何よりも次を頑張ろうと思える支えに感じられました。
「それと……その、ともえちゃん、『逃げ』はどうします……? いつもと同じようにで大丈夫ですか……?」
イエイヌちゃんは急に心配そうな顔になってわたしに尋ねます。
「うーん……それしか無いとは思いますけど……一応、指示を出せそうなら出しますけど、見抜かれちゃってますからねぇ……」
こればっかりはどうにも案が浮かびません。そもそもの話として、わたし達が用意してきたのは『攻め』の手段が中心。『逃げ』に関してもそれを流用したに過ぎませんし、肝心要の『指示』だってコヨーテさんが看破しているのです。
「ですよねぇ……」
「ですから、多分、悔いの残らないように頑張るのが一番……でしょうね」
わたしの言葉をイエイヌちゃんも思っていたのでしょう、彼女は何も言わず、こくりと頷いたのでした。
「私は……なんだか引き分けでも良くなってきちゃいました」
イエイヌちゃんの視線は空へ。
「不思議ですね……わたしも、そんなふうに考えてました」
わたしは身体中に感じる鈍痛にどこか心地よさを感じながら、彼女と同じように空へと視線を移します。
「やれるだけのことはやった。そう思うんです。そもそもイエイヌちゃんと違って、『逃げ』の時にはあんまりお役に立てないからかもなんですけどね」
先程あれだけ身体を酷使したという事も当然ありますけれど、わたしは足が遅いですから……どうしても『逃げ』ではイエイヌちゃんの役には立てません。
「そんな事、言わないでください? ふたりでひと組なんです。ともえちゃんと私、ふたりで頑張るんです。苦手なことは得意な方にまかせてください」
いつの間にか繋がれたわたしの手が、きゅっと一際強く握られました。イエイヌちゃんがそこに込めた思いは、きっと、労いだとか信頼だとか、安心だとか、そんな色々がないまぜになったものでしょう。それはもしかしたらひとつの言葉で言い表せない思いなのかもしれません。「けれど」、わたしはそう思って彼女の手を握り返します。
ひとつの思いを込めて、ちょっとだけ強く握り返します。「あなたが居ないとダメ、あなたが居て初めて、わたし」。そんな思いは、少し感傷的にすぎるでしょうか? 口に出すにはあまりに恥ずかしいですものね。
でも、掌に込めて伝わってくれるなら、少しこそばゆいくらいですから、これくらいの思いは抱いても構わないと思いません?
その後しばらくの間、わたし達は静かに最後の『逃げ』の時間が訪れるのを待っていました。お水を持ってきてくれたカルガモさんと少しばかり会話をしましたけれど、ほんの少しの間でした。彼女にコップを返すまでの間、少しでも体力を取り戻そうとわたしは伸びをしたり足をもみほぐしたりといろいろ試してみましたが……効果の程は如何ほどか、流石にわかりかねます。
やらないよりはマシと思いつつもそんな事をしている内に、最後の『逃げ』の時間が近づいたようです。
「かいしゅーでーす。もう少しで始まるそうですよー」
カルガモさんも次の試合が始まるのをわくわくしているようで、楽しげな調子です。
「はいっ! ありがとうございます!」
イエイヌちゃん『準備万端』と言わんばかりに元気よく彼女に返事をします。わたしは流石にイエイヌちゃんほどの元気はありませんでしたが……
「どうもありがとうございます! カルガモさんも、一日お疲れ様です!」
イエイヌちゃんにもカルガモさんにも心配はかけたくは無いですから、なるべく元気よく応えます。
「いえいえーこういうのも良いものですよ? ふふん」
一日のお仕事を楽しみきったような、そんな具合の彼女は、やりきったような笑顔を浮かべます。そして、誇らしげに胸を張りました。
「おふたりも、最後の最後、頑張ってくださいねー! ではー!」
カルガモさんはそういうなり空に飛び立ちました。わたし達は会釈をして、彼女を見送ります。
「……じゃあ、行きましょうか、ともえちゃん!」
「はいっ! ――っとと……ご、ごめんなさい、手伝ってもらえます……?」
わたしが立ち上がろうと膝に力を入れたのですが、上手く力が入りません。少しだけ浮いたお尻がぺたんと再び地面についてしまいました。目覚めたばかりの頃を思い出してしまったくらいです。
「だ……大丈夫ですか……?」
イエイヌちゃんは心配そうにわたしの様子を伺い、手を差し出します。
「あ、ありがとうございます……よいしょっと……」
わたしはふぅと息をついて、お尻に付いた砂を払い、答えます。
「うーん……大丈夫は大丈夫なんですけど……走ったりとなると、前までほどは……無理そうですね……」
強い痛みこそ無いため、怪我をしていないことは自分でもわかります。
それでも飛んだり跳ねたり、走ったり……そういう身体を大きく動かすには身体中に響くような鈍痛や疲労の為に難しいのです。
「……棄権します……?」
残念そうに、けれど間違いなくわたしの事を案じて尋ねた彼女の言葉をわたしは首を振って否定します。
「いいえ、それは悔しいですから……。すぐに捕まったとしても……というか、すぐに捕まるんですけど……それでも、あそこに立ちたいですし、ほんの少しでもイエイヌちゃんのお役に立ちたいですから……足手まとい……ですか……?」
イエイヌちゃんはわたしの言葉をゆっくりと飲み込むように、少しだけ悩んでから口を開きます。
「……足手まといだなんて……それは無いですよ? 一緒に居てくれるだけで、それだけでじゅうぶんですから」
優しげな彼女の言葉と裏腹に、やっぱりイエイヌちゃんは悩んだ表情を崩しません。
「でも無理はしてほしくないですし、うーん……」
ワガママと非力を承知な上で言ってしまうのならば、わたしにとっての『逃げ』はそこにいるだけで捕まって終わり。極論するならば、ただのカカシなわけで……。
「イエイヌちゃん。ちょっと自虐っぽいですけど――」
思った通りの事を、彼女に伝えます。
「むぅ……それはちょっとズルいですよぉ……」
イエイヌちゃんはむっとした表情になって、けれど諦めたようにため息をつきます。
「わかりました。では、行きましょう?」
わたしの手を引っ張るようにして、彼女は歩きだします。
わたしはハクトウワシさんや、コヨーテさん、ロードランナーさんに参加さえ厳しいことを悟られぬよう、身体の痛みも、不調も隠すよう意識して、会場の真ん中へと移動します。そして、わたしが固めた参加の決意が揺らぐよりも早く、同じようにわたしの体調が万全へとなることもなく、試合が始まりました。
さて、開始の合図からまもなくして、わたしは案の定捕まりました。当然といえば当然なんですけれども、ね。
コヨーテさん、ロードランナーさんの作戦は今までと同じく二手に別れて追いかけるもの。わたしがロードランナーさんに追われ、イエイヌちゃんがコヨーテさんに追われる形は変わらずそのままでしたが、いざロードランナーさんがわたしを捕まえる時点になると、彼女は一瞬躊躇するように手を引っ込めます。
「……っ」
ロードランナーさんはそんな音を口から困ったように出して、ゆっくりとわたしの肩を掴みます。甲高く鳴り響いた笛の音を背景に、ロードランナーさんは困ったような……もしかしたらわたしを批難する思いもこもっていたかもしれませんが、そんな表情でつぶやきます。
「たっく……よくそれで続けたなぁ……」
責めるような言葉でしたけれど、その言葉に込められた思いは、少しの呆れと心配でした。
「あはは……どうしてもやりたくて……」
わたしの言葉にロードランナーさんは大きくため息をつきます。
「ユキウサギだっけ? あいつほどじゃ無いんだろ? 別にいいけどさ、しばらくしっかり休めよなー?」
わたしは笑いながら頷き返します。ロードランナーさんは「じゃあな」と手をひらひらさせてからイエイヌちゃんの方へと走っていきました。
今度こそ正真正銘わたしに出来ることは無くなりました。だからでしょうか、すうっと力が膝から抜けて、へにゃりと地面に座り込んでしまいました。流石に今は試合中ですので、すぐさまここから立ち去りたいところですが、それも叶いません。「あちゃー……」と内心つぶやき、這うように動くのですけれど、下半身の重さのために進みは遅々としています。
視線を上げると心配げにわたしを見つめるドードーさんがいました。彼女の視線にわたしは恥ずかしさを強く抱きましたけれど、それに身を苛み苦悶するなんかよりも先に、会場の外へ行かないと……他の方の迷惑に……
ドードーさんと目があってから少しすると、ドードーさんに加えてロバさんがとてとてと私に駆け寄って来てくれました。そうして、わたしを引っ張り上げて会場の外側へと移動させてくれます。
「申し訳ないです……ありがとうございます……」
わたしの言葉に、ロバさんは「いえいえ」と軽く笑って答えましたが、ドードーさんはぷっくりと頬を膨らませて怒っていました。
「ともえちゃん! 無理はダメって、言われなかったの? それともともえちゃんのワガママ?」
大声でこそないものの、そこには明らかに隠しようのないくらいの怒りの感情が籠もっているように思われました。もしかしたら、イエイヌちゃんが無理をさせているのではないかと疑っているのではないでしょうか……?
「それはそうですけど……続けさせてくれって、続けたかったので……つい……わたしの、ワガママです……」
ドードーさんは地面にぽすんと腰掛けます。ロバさんもドードーさんが座ったのを見て、「私も失礼しますね」とつぶやきゆっくりと座りました。
「あのねぇ! 確かに見てて面白かったし、ともえちゃん凄いなぁって思ったよ? でも、でもねぇ!」
「ま、まぁまぁ……落ち着きましょう……?」
ロバさんの言葉に、ドードーさんはふうぅと長く息を吐いてから、少し落ち着いた様子でわたしの目を見つめて言いました。
「心配だから、本当に、やめてね?」
申し訳ないやら恥ずかしいやら情けないやら……わたしは「はい」とぼそりと返事をして、ドードーさんから視線をそむけ顔をうつむかせます。
落ち込むような気持ちが大きく、また、自分は頑張ったのに何故? という思いだって、当然あります。けれど無理無茶無謀を強行したのはわたしで、それは身の丈に合わぬ行為であったのも事実。これはわたしが悪いのですから、怒られるのも当然というもの……。
不意に、わたしの手をそっと撫でるドードーさんの手に気づきました。ちらりと視線を上げると、ドードーさんは競技場のイエイヌちゃんをじっと見つめていました。
「本当に、お疲れ様ねぇ、ともえちゃん」
ドードーさんはそのまま顔を動かさずに言いました。わたしの手に添えられ、撫でる彼女の手は何よりもわたしの事を案じてくれているように、優しく温かな感触でした。
そして、その温かさはわたしの思い違いをはっきりとさせるものでした。
「……ありがとうございます。それと、その……ご心配をおかけしました」
わたしは会場を見ず、ドードーさんの顔を真っ直ぐに見つめます。
「ううん、きついこと言っちゃってごめんねぇ……。あとは、イエイヌちゃんを応援しよ? ね?」
ドードーさんがわたしの顔に視線を動かして、言いました。わたしはその言葉に「はい!」と返事をし、わたし達は会場を、いいえ、イエイヌちゃんの姿を見つめ、応援し始めました。
その後しばらくの間、状況はほとんど変化がありませんでした。
イエイヌちゃんもコヨーテさんも、ロードランナーさんもみんな体力に余裕を持って動いていたのでしょう。これまでの『逃げ』同様の状況……。事態が変化したのは、頭上で勝負を見守るハクトウワシさんがちらちらと本部(の筈です)の方を気にし始めた頃――つまり試合が終わりに近づいていることがはっきりとし始めた頃合いです。
それまでの動きはコヨーテさんが追いかけ、時折隙を見計らったようにロードランナーさんが飛びかかるというものでした。イエイヌちゃんはそのことごとくを綺麗に、時折危なげに回避し逃げ回っていたので、いつもながら凄いなぁと尊敬の思いを抱いたのは、また別のお話です。
試合が終わりに近づいたことに気づいたのか、コヨーテさんがロードランナーさんに声をかけます。すると、ロードランナーさんもコヨーテさんのようにイエイヌちゃんを追いかけ始めます。これは、イエイヌちゃんの隙を見つけて攻めるよりも、彼女たちふたりで追いかけて試合が終わるまでにイエイヌちゃんを疲労させ捕まえる……ということなのでしょうか? 流石にわたしにはわかりません。けれども動きが変化したのは事実でした。
イエイヌちゃんはそれでもなんとか逃げ続けます。とは言え、ふたりに一斉に追いかけられるという事態に着実に体力が削られているようでした。彼女の走る速度は勿論のこと、姿勢が崩れたりする事も増えています。
そもそもの話として、ロードランナーさんのイエイヌちゃんの隙をつくという攻め方は(言い方は悪いですが)あまり上手ではありませんでした。だからこそ、注意すべき方向が多くとも、結果的に体力を温存できていたのかもしれません。けれど、ふたりが追いかけてくるとなると、相手にする方向はひとつでも、相手にしたコヨーテさんとロードランナーさんが代わる代わる手を緩めることなくイエイヌちゃんを攻め立てることになりますから、気の休まる時間がなくなってしまいます。
当然のことながら、体力、速度ともにやや劣るロードランナーさんが無理にコヨーテさんとイエイヌちゃんに追いつこうと動くのですから、ロードランナーさんも体力を使い果たしたようにその場に立ち止まり「まかせたぁ!」と叫び身体を屈めます。
そして、コヨーテさんとイエイヌちゃんの一騎打ちが始まりました。経過した時間や、ハクトウワシさんの様子からして、おそらく残った時間は数十秒くらいでしょう。
イエイヌちゃんとコヨーテさんを比べると、イエイヌちゃんの方が体力を削られていて、コヨーテさんはまだ多少の余裕が残っているようです。速度に関してももともとの速さの差を加味しても、コヨーテさんの方が速い状態です。それでもなんとか小刻みに曲がったり、間一髪で身体を翻したりなどして逃げ回るイエイヌちゃんも流石という言葉に尽きますね……。
まるで踊っているようにさえ思われる彼女たちの攻防。その結果次第でわたしとイエイヌちゃんが勝つのか、それとも引き分けという結果になるのかが決まります。本来ならば、わたしは彼女たちの戦いをはらはらドキドキというような居ても経っても居られないような心持ちで、手に汗握りながら見届けるものでしょう。けれど、どうしてか、わたしは彼女たちの動きが綺麗で、勇壮で、美しいもののような……まるで素晴らしい絵画を目にしたときのような、ぞっとするような、心が震えるような、そんな勝敗とはかけ離れている思いに満ちていました。
同時に、異様なまでにまっすぐ勝敗を見据え、その為に邁進するという『戦い』の真髄を思わせる光景に、わたしがほんの少し前まで同じように動いていたのだという事実に気づきます。
わたしにだって、何か出来るんだ。その思考が、無力にさえ思い続けてきたわたしの、わたし自身を、どこか満たしてくれていました。
勝ったのなら、当然嬉しい。景品だってもらえるんでしょうから、それはお得ですしね。けれど、わたしが今こうして、『そう』思えたことが何よりのご褒美のようでした。今、ここにこうしていることの情けなさや申し訳無さがどこか矮小にさえ思えてしまうような……そんなかけがえのない報酬。それが得られただけで、もう、わたしは満足です。
だからこそ……だからこそ、イエイヌちゃんには、もう、悔いのないように頑張ってもらいたいのです。だから――
「頑張ってねぇー! イエイヌちゃぁーん!」
自然に声が出ました。
会場には見惚れるような、息を呑むような、ひっそりと静かに見つめる子もいれば、賭け事でもしているかのように熱中しながら応援の声をあげる子もいました。けれど、試合の時間が終わろうとしているのも事実……。
一瞬の出来事でした。コヨーテさんが逃げるイエイヌちゃんの左側後方からぐっとフックのように曲がる不思議な軌道で攻めます。それを受けてイエイヌちゃんはとっさに右後方へと飛び退きました。すると、イエイヌちゃんの動きに対応してコヨーテさんはイエイヌちゃんの方向に跳躍しようとしたのですけれど、疲労からか右足首をぐねっと曲げるようにしてしまい、跳躍に失敗しました。コヨーテさんは不意の出来事に対処しきれず、ひどく大きく転んでしまいそうになります。
コヨーテさんが転びそうだということにすぐさま気づいたイエイヌちゃんはコヨーテさんに手を伸ばします。逃げている筈のイエイヌちゃんが手を伸ばす、ということはなんだか奇妙に思われますけれど、それほど危なげな状況だったのでしょう。それに対してコヨーテさんは自分の身体を守ろうという思いは殆ど無かったようで、イエイヌちゃんの方向に手を伸ばしていました。イエイヌちゃんはコヨーテさんの手を辛うじて掴み、そのままぐっと彼女を引き上げました。お陰でコヨーテさんは転ぶことなく、イエイヌちゃんに引き上げられたのですが……。
息を呑むようなアクシデントの瞬間が過ぎると、コヨーテさんが立ち上がったイエイヌちゃんに何かを言います。コヨーテさんは何か言いながらも、バツが悪そうに頭を掻いていました。
わたし達はそんな光景に呆然としていたのですけれど、それはハクトウワシさんも同じだったようです。彼女ははっと身体をぴくりと動かして、笛を鳴らしました。
「しゅーりょー!」
会場にわぁっと歓声が響き渡ります。
聞こえる声には単なる叫び声のような意味の無いモノから、『狩りごっこ』参加者を称えるもの、「どっちに勝ってほしかったけどよかった」というような歓声などなど……ひとつとして同じ言葉が無いようにさえ思えました。けれどその声を熾す感情は、きっとひとつ。楽しかったという思いでしょう。
……結果は、引き分け。決して勝利ではありませんでした。けれど、わたしは先程感じたような満足感とイエイヌちゃんが怪我をしなかったことへの安堵の思いを抱きます。ほうと胸をなでおろすよりも速く、イエイヌちゃんはわたしの視線に気づきました。いつもならばきっと駆け足だったのでしょうけれど、少しだけ右足を引き摺るようにしながらこちらへ……。
「ドードーさん、ロバさん、手伝ってもらっても良いですか……?」
ふたりとも快諾してくれた為、わたしは彼女たちの手を借りて立ち上がり、イエイヌちゃんの下へと近づきます。わたし達の歩みは決して速いものではありません。それは、きっと怪我や疲労という外見上の都合以上に、抱えた思いがきっと大きいから……それぞれに抱く感情は多分違うのでしょうけれど、それでも、きっとわたしもイエイヌちゃんもお互いに称え合おうという思いや、こうしていれば良かったというような後悔や、疲労を労う思いや……いろいろなものが込められているのでしょう。
会場の中心からだいぶ外側に近い位置で、わたし達は抱きしめ合いました。不思議なことに、お互いともお互いの頭を撫でるようにして、労い合いました。
「お疲れ様です、イエイヌちゃん……!」
「ともえちゃんも、お疲れ様です……!」
わたし達は身体を少し離します。……それでもお互いの両腕は互いの背中に回されていましたが。
「イエイヌちゃん……疲れは大丈夫ですか……?」
「私はなんとも……へーきです! ともえちゃんだって、身体……」
「わたしだって平気です! ちょっと歩くのもしんどいですけど、休めば、はい、平気です!」
お互いにひとしきり心配をしあうというのも奇妙なことのように思われます。お互い言葉少なく見つめ合っていると、コヨーテさんがいつの間にやら隣に来ていました。
「ふたりの世界に浸ってるところ悪いんだが……」
わたし達ははっとコヨーテさんに顔を向けます。多分、わたしの顔は赤かったと思います。イエイヌちゃんもそうでしたし、ね。
「し、失礼しました……」
「も、申し訳ありません……ともえちゃん、行きましょう?」
「はいっ!」
会場の中心に、わたしはイエイヌちゃんに手を引かれながら歩きます。
隣ではコヨーテさんがにたにたと笑いつつも「捕まえたのは違いないが釈然としない」とかなんとか言っていますし、ロードランナーさんは「早くしろー」なんて急かしています。会場中にはがやがやとにぎやかにお話をするフレンズさん達が居ましたし……。
わたしが見聞き出来る世界なんてちっぽけで、わたしの知らない世界の方がずっとずっと大きい。そんな当たり前のことを思います。そして、そんな世界の中で、わたしは居て良いのでしょうか? ここに来るまでのわたしだったら、不安で泣いてしまいそうな位の思い。けれど、ちっぽけな世界で、それでも他の方が居て、何よりイエイヌちゃんが隣に居てくれることはまず間違いないのかもしれません。
「お互いお疲れ様。楽しかったわよ、本当に素敵だわ、みんな」
ハクトウワシさんが愉快そうに笑顔で言いました。そして一際大きい声で、続けます。
「勝負の結果は、引き分け! お互い、礼!」
わたしは、重く、けれど短く、息を吐いて、「ありがとうございました!」とお辞儀。と、どうやらわたしの出した言葉が違っていたようで、周囲の皆さんはぽかんとしています。
「『お疲れ様でした』……じゃないのか?」
これはロードランナーさん。
「いや、言いたいことはわかるんだが……うーん……?」
「えへへ、ともえちゃんも、ありがとうございました!」
イエイヌちゃんはわたしに向き直ってぺこりとお辞儀。
「ま、それもいいかもしれんな、ありがとうな、ともえ、イエイヌ。それとロードランナーも……ありがとう」
照れくさそうにしながらコヨーテさんもお辞儀。ロードランナーさんは「それとってなんだよぉ」と不服そうな言葉を言いましたが、姿勢を改めます。
「そういうことなら、私も、みんなありがとうな。楽しかったよ」
彼女の言葉を受けて、改めて、終わり。そう、これで『狩りごっこ』は終わりです。
たったの一日の出来事だったのに、なんだか無性に長く感じられる一日でした。それを言うなら、『運動会』の始まりからしてそうです。昨日と今日。たった二日間の出来事。それでも、なんと言えば良いのでしょう? 考える時間がいっぱいあって、やることがいっぱいあって……だからでしょうか?
長い二日間だったなぁという感心めいた思いの中に、きっといくつもの得られたものがあったように思います。あぁ、だからこそ、だからこそ、です。皆さんにありがとうって言ったのかもしれませんね。