ゴリラさんの棲家からつながる地下室。そこに図書館はありました。
地下室にあると聞いたときは薄暗く、じめっとした空間を想像していましたが、実際のところは違いました。おそらく、半地下か、外に少しだけ面している箇所があるのでしょう。
ある壁の天井付近には細長い四角形のガラス窓があり、そこから細く差し込む外の光が、ぼんやりと室内を照らしていました。その光の寂しさの為か、わたしまでどこか寂しくなってしまいます。昔は、ここにヒトがいっぱい居たのでしょうけれど、今は誰も居ない。そんなことを強く意識させる光でした。
ですが、ひとたび電灯が点くや否や、中は極めて明るくなり、印象が変わります。室内はこざっぱりとしていましたし、埃も殆どありません。ですから、寂しさや儚さという感情よりも、『知識の宝庫』という表現が適切なのだと思われました。
その上、照明の有無を問わず、気温や湿度の類は図書館の内外ではっきりと異なっており、明らかに機械かなにかによる調整がされているのがわかります。
この建物の地上階よりも広いのでは、と思われるほどの面積と、そこに立ち並ぶ本棚の数々は、鬱蒼とした森の様でどこか圧倒されてしまいましたが、しばらく居る内に、好奇心や興味がふつふつと沸いてきます。そこに置かれた本のタイトルの殆どは、わたしには理解できないものでした。建物の形から考えると、おそらく研究者向けの図書館なのでしょう。けれど、ところどころにわたしでも読めそうなものがありましたし、画集や絵本、小説、漫画なんかも置かれていました。
「俺はあんまり詳しくないが……確かそこより奥が『いっぱんしょせき』って話だ」
昔を思い出すように、視線を上に向けながらゴリラさんは言いました。わたしは彼女の言葉に感謝し、一般書籍の方へと足を踏み入れました。多少なりとも文字のわかるわたしと違って、イエイヌちゃんとドードーさんは不思議と困惑に満ちた表情で辺りをきょろきょろして居ます。
「本……こんなにいっぱいあるんですね……」
「ねぇー、びっくりだよぉ……全部文字でいっぱいなんでしょお? 頭いっぱいになっちゃうねぇ……」
困ったような、慌てたような、そんなドードーさんの言葉にゴリラさんはくすりと笑います。
「ヒトも全部読んでた訳じゃないさ。俺の知ってるヤツはもっぱら――」
彼女はそう言って、一般書籍の棚、その一角を指します。そこは画集が並んでいた、小さな一角でした。
「あそこの本ばっか読んでた。絵の本だな……。他のヤツだって同じもんだと思うぞ? 『小説ばっか薦められて困る』なんて愚痴も聞いたもんだ」
寂しさまじりでしたけれど、楽しげな口調でした。良い思い出なのかもしれません。
わたしは彼女が少しだけ、昔を知っていることが羨ましくなります。わたしのお父さんのことも、お父さんとの思い出も、彼女は知っているのでしょうか? 尋ねてもきっと答えてくれないでしょうけど……。
ゴリラさんはわたしに言いました。
「ここにある本な、好きに持ってっていいぞ」
「えぇっと……それはどういう……」
わたしの質問に、彼女は肩をすくめて答えます。
「そもそもここを知らないヤツの方が多いし、知ってても文字が読めなかったりするんだ。ここで埃を被ってるよりも、読んでもらえた方がこいつらも幸せだろ?」
「まぁ……そうかもしれませんけど……」
わたしは少しだけ考えて、口を開きます。
「わかりました、じゃあ、何冊かお借りしてしばらくしたら返すっていう形で……」
ゴリラさんは満足げに頷きました。
「ここの鍵は開けておく。……ラッキービーストが見回りしたりしてるかもしれんが、気にするな。お前がここを使う分には文句も言わないだろうしな」
わたしは彼女に「ありがとうございます」と告げて、本棚を見回り始めます。イエイヌちゃんはわたしにくっつくようにして、うろうろとしていましたけれど、時折、イエイヌちゃんが適当な本を手にとっていました。彼女はページをぺらぺらと捲っては眉間にシワを寄せて渋い顔をしているのが印象的でした。時折首を右に左に傾けたり、本をひっくり返してみたり……何とも可愛らしい仕草ですこと。ドードーさんはゴリラさんが教えてくれたのか、絵本がまとまっているところに行き、気に入った一冊があったのか、その一冊をじっくりと読み進めていました。
「……ここは食べ物のレシピの本なんかがいっぱいあるんですね」
イエイヌちゃんは「ほへぇ」と気の抜けた音を出します。
「じゃあ、くっきーのれしぴ? があるかもなんですね?」
わたしは彼女の言葉に頷いて、本棚に意識を集中します。背表紙に書かれた単語だけ拾いながら、ざあっと視線を動かしていき、目当てのモノがあるかを探しているのですが……『ひとりごはん』『簡単』『作り置き』『余り物』『長持ち』……なんだかここの利用者がどんな方々だったのか、わかってきた気がします……少なくとも料理に強い興味を持っている方ではなさそうですね……。
「むぅ……お菓子のレシピあるんですかね、ここ……」
わたしがぼやくと、ゴリラさんが隣にいることに気づきます。彼女と入れ違いになったのか、イエイヌちゃんはドードーさんのところへ移動していて、一緒に絵本を眺めていました。
「……セントラルな、元々はヒトの為の施設なんだよ」
ゴリラさんが、本棚に眼を向けたまま、小さな声で言いました。
「そう、なんですか……」
「で、だ」
彼女は言葉を続けます。
「もし、あそこで何かお前の役に立ちそうなもの見つけたら好きに使え。返す必要もない。念の為に教えてくれればそれで良い」
「わかりました……。ありがとうございます、ゴリラさん」
わたしは彼女に顔を向けてお礼を言いましたが、彼女は本棚に眼を向けたままです。
「昔な……あそこにセルリアンがたくさん居た時期があってな。今はもう殆ど居ないが……っと、あったぞ、お菓子のレシピ集」
わたしは彼女の差し出した本を受け取ります。
「ありがとうございます、ゴリラさん」
彼女は「どういたしまして」と言ってから、言葉を続けます。
「ここにある本もそうだがな、あるからには使ってやってくれ。全部が全部使えるものじゃないし、よくわからんものも、危険なものもある。ただ殆どが壊れたり、野ざらしだったり、そういう状況だ……もったいないし、可哀想だろ? コイツラにだって、作られた意味があるのにな……。大事に使ってくれ。本望だろうからな」
「……はい」
ゴリラさんは、そっと本の背表紙を優しく撫でながら言いました。寂しさや切なさのような、そんな感情が込められているようにわたしには思われました。ゴリラさんは言葉を終えると、イエイヌちゃん達の居る方へと歩き始めます。
少し進んでから、思い出したように振り返って彼女は言いました。
「あぁ、そうだ、材料の件を進めるのは、お前達がセントラルから帰ってからにするぞ? 日持ちしないものもあるだろうし、作れるかどうかはっきりしてからの方が良いだろ?」
わたしは彼女の言葉に同意します。そして、ゴリラさんは今度こそ振り返らず、イエイヌちゃん達の方へと近寄ります。そして、腰を下ろしてから、絵本を音読し始めました。きっとイエイヌちゃんとドードーさんに読み聞かせてあげようと、そう考えてのことでしょう。
わたしも彼女達に加わろうかとも思いましたが、『画集』の棚が気になったため、そちらへと足を向けます。
数歩という距離も無く、その棚はありました。そこに並ぶ本の数々……。大きさも、素材も、背表紙に描かれた文字も、それぞれ個性的です。わたしは何の気無しに、一冊の本を手に取ります。手にとった本は、わたしの持っているスケッチブックよりも少し大きいくらいのサイズで、読めない文字がつらつらと書かれています。きっと外国語でしょう。
表紙に描かれた絵は、蓮と思われる植物が浮かぶ絵でした。その絵は、幾本か纏まって生える緑色の植物と、ぼんやりとした水面に浮かぶ色とりどりの蓮の群れとが描かれています。全体的にぼんやりとした印象の絵でしたけれど、少し荒さを感じる筆跡もあり、それらが組み合わさることで、より美しい色合いを夢想させるようでした。
また、水面と蓮と、それから緑色の植物……それら以外にはっきりと周囲の光景がわかる描写は無いのですけれども、水面に写った雲や空を描いたのであろう白いモヤや、木々と思われる濃い緑色、光を捉えたであろうそれぞれの色の濃淡の違いが、その絵のモチーフとなった光景を想起させるようでした。単に綺麗というだけでなく、単に色合いが美しいというだけでなく、単に技巧的であるというだけでなく、たったひとつの絵を通して、その絵の外側さえ想像させうる絵……純粋な感嘆の吐息がこぼれます。
「これ……綺麗……」
決めました。今日はこれを借りていくことにしましょう。もう一冊くらい……と思いましたけれど、この画集の大きさを考えると、イエイヌちゃんが借りるならその本が加わり、更にレシピの本も借りるのは大変な大荷物になりそうです。今日はこれくらいにしたほうが良いのでしょうね。
イエイヌちゃん達の方をちらりと見ると、傍らには何冊か本が積まれていました。これから読むのか、それとも読み終わったのか、どちらでしょう? ともあれ、何を借りていくのか、イエイヌちゃんに尋ねた方が良さそうです。わたしは画集を脇に抱え、移動しました。
イエイヌちゃんは言葉を勉強したいとのことで、ひらがなを学ぶのに良さそうな絵本を彼女やゴリラさんと一緒に見繕いました。ドードーさんもどうやら一冊絵本を選んで持っていくそうです。わたしやイエイヌちゃんと一緒に言葉を教えようかと聞くと、彼女はゴリラさんから教えてもらうとのこと。満更でもないのか、ゴリラさんは照れながら了承して――。
そんなやり取りがあって、図書館を出る頃には、もう夕方です。ゴリラさんはわたし達を玄関まで見送ってくれました。
「もう遅いな……そうだ、ちょっと待ってろ」
彼女はそう言って自分の部屋へと入り、少ししてから戻ってきます。
「ハーブティーだ。作り過ぎちまってな。家で飲め、作り方は――」
ゴリラさんはわたしに小さな袋を手渡し、淹れ方を説明します。イエイヌちゃんと一緒になってふんふんと頷きながら、鞄に包をしまいます。
「大丈夫そうだな。……今日は来てくれてありがとうな。楽しかったよ。また来てくれ」
少しばかり名残惜しい気もしましたが、彼女の言葉にわたし達は従います。
「もう日が暮れそうですね……今日はありがとうございました、ゴリラさん。セントラルから戻ったら、その時はお願いします」
イエイヌちゃんもほくほく顔で絵本を抱えて言います。
「ありがとうございました! 絵本読んでくれたり……お世話になりました! また来ますね!」
「んふふー久しぶりに来られて良かったよぉ、今度は晴れた日に遊びに来るねぇー」
ドードーさんも同じように挨拶をし、外へ出ようとしましたが……。
「すまん、ドードー。この前の件で話がある、少し良いか?」
ドードーさんは「なぁに?」と立ち止まり、思い出すように少しだけ首を捻ります。彼女はすぐに要件に思い至った様で、わたし達に向かって言いました。
「ごめんねぇ、ともえちゃん、イエイヌちゃん。大事なお話があるから……」
わたし達は少しだけ間を置いてから答えます。「どうしたんだろう?」という疑問や好奇心もありましたけれど、わたし達だけで帰って良いものかと疑問に思ったからです。
悩んではしまいましたけれど、彼女たちには彼女たちの都合があります。そこに割って入るのも失礼というもの。そう思い至り、わたしは別れの言葉を告げます。
「……わかりました。少し名残惜しいですけど、またお会いしましょうね」
イエイヌちゃんもわたしに続きました。
「いつでも遊びに来てください。大丈夫ですよね? ともえちゃん」
わたしはイエイヌちゃんの言葉に頷きます。
「来るときはお風呂、また一緒に入りましょうね?」
イエイヌちゃんはフクザツな表情を浮かべましたけれど、ドードーさんは嬉しそうな表情です。
「うん! 昨日もおとといも、ありがとうねぇ。楽しかったよぉー!」
彼女は両手を挙げてぱたぱたと手を振ってくれました。わたし達も彼女に応じるように手を振って歩き始めます。夕闇の中、わたし達は『おうち』に帰ったのでした。
曇り空の所為か、普段よりも薄暗く、加えて、肌寒さを覚える道のり。ですけれど、風も殆ど無く、湿気なんかも感じない為か、むしろ穏やかな夕暮れという印象も同時に抱きます。そんな中を、ランタンを持ったわたしがイエイヌちゃんの一歩先を進む形で、わたし達は歩いていました。
不意に、イエイヌちゃんが尋ねます。
「……ともえちゃん。ドードーさん、何かあったんですかね……?」
「……どうなんでしょうねぇ……」
心当たりがあるとしたら、ひとつくらいです。
「この前の『狩りごっこ』が終わった後におふたりで話してたじゃないですか。それの続き……じゃないんですかね……?」
思い当たる節は本当に、それだけ。こじつけるなら、他にも可能性はあるかもしれません。イエイヌちゃんはわたしの考えに「うーん」と考え込みます。
「わたし達に関係があったり、手伝いが必要だったら……きっと教えてくれますよ」
わたし達が頼りないから、ということは無いでしょう。いくら『長生き』なおふたりでも出来ることには限度があります。
「もしかしたら、コヨーテさんとか、アルマーさん、センさんなら何か知っているかもしれませんけど……今度聞いてみます?」
イエイヌちゃんは首を振ります。
「いえ……あんまり首を突っ込むのも失礼ですから……」
詮索好きというのは余り好まれるものでは無いでしょうからね……。
「わたしもそう思います。……セントラルから戻って、そのときに同じ様なことがあったら、その時に聞いてみますか? お力になれるなら、なりたいですし……気になっちゃいますよね、あんな風にされると」
イエイヌちゃんは少しだけ困った様な笑い声を漏らします。
「……そうですよね」
どこか落ち着かなさそうというか、落ち込んだような……そんな声色でした。
「わたしも、イエイヌちゃんも、信用されてないとか、頼りにされてないとか、そういう事じゃないと思います。なんとなくですけど……」
「……はい。でもなんだか胸がざわざわしちゃいまして……」
頼りにされていない、なんてことあるんでしょうか? それにイエイヌちゃんの言葉はなんだか心配し過ぎな気もします。
「大丈夫ですって。珍しいですね、イエイヌちゃんが落ち込むなんて……」
彼女は無言でした。言葉に困っているのかもしれませんが、暗がりの所為で判然としません。
わたしは繋いだ彼女の手を引きます。
「お腹空いてるから、落ち込んじゃうんです。お家に戻って、ご飯食べて、ゆっくりして……絵本だって読みましょう? のんびり過ごしたら、あっという間に出発の日になっちゃいます。予定でいっぱいなんですよ? 落ち込んでたら勿体ないです」
わたしの励ましが効いたのか、彼女はわたしの手をきゅっと強く握り返します。
「そう、そうですよね……。はいっ!」
きっと無理をしている……少しだけそう思いました。
正直なところ、彼女の不安感はわからないでも無いのです。
『長』とその古いお友達であるところの彼女達が何か問題を抱えているのならば、今、ここで過ごすわたしや、今までここで生きてきたイエイヌちゃんが力になりたいと思うのは当然のことです。そして、頼ってくれないというのは、その理由は何であれ、どこだか寂しいことです。せめてひとこと位言ってもらいたいものですけれども……。きっと、まだ早いのでしょう。何が『早い』のかはさっぱりわかりませんけれど……それに、案外「喧嘩の仲裁をしたのは良いが仲直りが上手くいっていない」なんて話なのかもしれませんしね。
口数少なく道を進み、お家につく頃には、もう夜。曇り空でわかりませんが、きっと月が漂っている頃合いでしょう。もう辺りは真っ暗で、わたしの眼では空の様子は伺えません。ですが、ゆっくりと、雲が流れている……そんな気がしました。
――――――
――――
――
そして、出発の日がやってきました。
先日の憂鬱な気持ちとは裏腹に、今日は快晴。あれから暫くは先日ゴリラさんのお家にお邪魔した時と同様、肌寒い日が続いていたのですけれども、幸い今日は初夏の様な暖かさを感じる空模様です。
「良かったですね! 晴れて!」
イエイヌちゃんが窓から身体を乗り出して、わたしに言いました。陽射しを浴びた彼女の髪の毛は、きらきらと細やかに輝いています。あの時に見られた不安げな様子は、まるで見られません。
「えぇ、本当に……最近寒かったですし、天気も良くなかったですからねぇ……」
行ったことが無いところへ行くのです。そんなときに天気が悪いとなんだかもったいない気がしますものね。
イエイヌちゃんはわたしの言葉に頷いて、「そういえば」と口を開きます。
「支度は……大丈夫です……? 昨日はあんまり荷物を弄ってなかった気がしますけど……」
わたしは乾いた笑いで応えます。というのも、あんまりに気にしすぎてイエイヌちゃんから呆れられていた様な気がしましたので……。
「一昨日あれだけ確認したんです。大丈夫ですよ。あ、でも念の為……ちょっと失礼しますね?」
と言いつつもいざとなると不安になってしまいます。わたしは再び鞄の中身や持ち物を点検し直します。
「スケッチブック……色鉛筆……ジャパリまんがみっつ……水筒……えぇっと、寝袋は無くて良くて、タオルと――」
荷物もそんなに無いのですけれども、心配は心配です。湧き立つ心を鎮めるための儀式でもあるのかもしれません。
「そういえば、ともえちゃん」
イエイヌちゃんの質問に、わたしは手を止めます。返事をし、彼女の方に向き直ると、彼女は考え事をしているように首をかしげていました。
「一緒に来てくれる方って、お昼になったらいらっしゃるんでしたっけ?」
「そう言ってましたね、確か……」
わたしは鞄の中身をさっと整えて、イエイヌちゃんと一緒に窓の外を眺めます。辺りは真新しげな緑色に満ちていて、それが時折風に靡いていました。太陽の位置は……頂点に差し掛かろうというくらいでしょうか? 影は短く、陽射しもどこだか強く白いように感じられます。汗ばむくらいの陽気は、まさに探検日よりなのかもしれません。
「……んー、もう少し、ですかね……? 迷子になったりとか……大丈夫でしょうか?」
イエイヌちゃんが呟きます。
フレンズの皆さんの時間感覚は、わたしからすると『おっとり』過ぎる気がします。そもそも時計の類が無いパークですから、「何時集合」という約束ではなく、太陽の位置ですとか、山の雪解け具合ですとか、そういうものでやり取りしていそうです。なので仕方ないといえば仕方ないのですけれども、どこか「早くこないかな」とやきもきしてしまうのも確か。彼女たちからしてみたら、わたしはせっかちさんなのかもしれませんね。
「ゴリラさんのお知り合いでしょうし、そこまで時間がズレることは無いと思います。それに場所もしっかり聞いてるんじゃないですかね……」
そもそもゴリラさんが真面目な方だというのもありますが、それ以上にヒトがいた頃を知っているのです。となれば、わたしと同じように時計やカレンダーの類を前提にした、割合しっかりとした時間感覚を持っていてもおかしくありません。加えて今回はラッキービーストさんも同行しているのです。なので、迷子ですとか、遅刻、日付の間違い……そういった心配はしなくても良さそうなものですが……。
そんなことを考えていると、不意にイエイヌちゃんの耳がピクリと動きます。
「ぅん……?」
そう言って彼女は山の方へと顔を向けます。窓は南に面していて、山は北側です。そのままでは音の出どころはわかりません。ですので、窓から乗り出した身体を引っ込めて、ドアを抜けて外を確認に行きました。彼女が外に出たのを見て、わたしも続きます。
「……どうしました?」
わたしにはまだ何の音も聞こえないのです。
もしかしたら、遠くでの話し声や足音なんかが彼女には聞こえたのかもしれませんが……イエイヌちゃんは眉間にシワを寄せて考え込んでいます。
「どなたかの足音とか、話し声ですか? イエイヌちゃん」
彼女は首を振りました。
「山の方から音がするんです。でも、ヘンというか知らないというか……不思議な音なんですよぉ……」
うーんと彼女が腕を組んで考えていると、その音がわたしの耳にもかすかに聞こえてきました。
程なくして、わたし達の視界にエンジン音を響かせながら近づいてくる車が見えてきました。
その自動車は、カーキ色に塗装されていて、大きめのごつごつしたタイヤに角張った小さな車体が乗っかっています。また、後部には荷台がありました。荷台の広さは(確かめた訳では無いですが)わたしが三人くらい寝転がっても少し余るくらいの面積があるようです。
また、座席部分に屋根はあるのですけれども、座席の数は、運転席とその隣の二席しかありません。その上、フロントガラス以外に、窓ガラスやドアが用意されておりません。なんというか、鼻が短くて、身体が長くて……無骨? そんな印象です。利便性の為に快適さを多少無視した……と言う具合でしょうか? きっと『パーク』のお客さんが使っていたと言うよりも、『パーク』での作業ですとか、荷運びというような目的で使用されていたのでしょう。
ただ、外見の無骨さや無愛想さから連想すると、乗り心地が非常に悪そうですが、そうでもなさそうです。遠目からでも車体の揺れが小さいことがわかりましたし、近づいてくるに従って内装の綺麗さやシートの柔らかさ、つくりの頑丈さなどがはっきりとわかります。また埃や土汚れなどは殆ど無く、出発する以前から、かなり丁寧に掃除をされたのでしょう。それを証明するかのように、ボンネットはきらりと太陽の光を反射していました。
そんな車の運転席からぴょこんとラッキービーストさんが飛び降ります。そのままわたしの前に歩いてきて、ぺこりとお辞儀をしてくれました。
「こんにちは、ラッキービーストさん」
わたしも軽く会釈をして答えます。イエイヌちゃんも慌てたようにわたしに続きます。普段ならば、彼も返事をしてくれたのでしょうけれど、今回は黙ったまま、車の方へと戻ります。そして、ラッキービーストさんが後部の荷台の前でぴょこんと跳ねると、ぱたり、と車の最後部の仕切りが倒れます。
どうしたら良いのかわからずにぼうっとしていると、荷台の方からのそりとどなたかが起き上がって、わたし達に言いました。
「……乗れよ」
「し、失礼しました……」
声の主に目を向けると、アムールトラさんでした。ぴくり、と緊張の様な、畏怖の様な、そんな感情を覚えました。
「ど、どうも……」
イエイヌちゃんもどうやらわたしと同じ様に緊張気味のようです。
「っとと、イエイヌちゃん、わたし、荷物持ってきますね」
緊張のあまり、鞄さえ持たずにわたしは荷台に足を掛けていました。
「手伝うか?」
何ともぶっきらぼうにアムールトラさんがわたしに尋ねます。ただ、ぶっきらぼうな語勢なのですけれども、立ち上がりながら尋ねてくれましたので、彼女なりの心遣いなのでしょう。
「いえ、鞄だけなので……ありがとうございます。すぐ戻りますね」
彼女にお願いしづらいというのもありますが、わたしひとりで持ちきれる程度の量ですから……。彼女はわたしの言葉に返事も無く、姿勢を戻します。わたしは彼女が姿勢を戻したのを確認して、家に荷物を取りに小走りで戻りました。
部屋はまだ電気が着いていたので、明るかったのですけれど、外から射す陽射しで陰影の濃淡がはっきりと生まれていました。忘れ無いように、『おうち』に入ってすぐに電灯を消します。たちまち陽光以外の光源は無くなり、初夏めいた陽射しに影は一層濃くなります。
水筒よし、鞄よし、帽子よし、ベストも着て、支度はばっちりです。鞄を肩から下げ、帽子を被り、『おうち』から外へ出ます。
セントラルを目指し、出発です……!