魔が差した方、どういう評価をしたらいいか全然わからんのだ……
20/06/20 改稿
ぼんやりと灰色の光が立ち込める空間に、わたしはいました。
そんなわたしの眼前に、黒髪を長く垂らした女の子が膝を抱えて座っています。彼女は肩甲骨の辺りまである髪を後ろでひとつに纏めていて、わたしと同じ髪型でした。リボンの色は異なりましたが、どうにも親近感が沸いてきます。後ろ姿から見るに、彼女はわたしよりも少し年下に見えますけれど、正確な年齢はわかりません。
というのも、彼女の座り方は小さく縮こまった様に見えるのです。……体調でも悪いのでしょうか?
わたしはその子の数歩後ろに立っていました。彼女の後ろ姿を眺めている内に、その子がこんな薄暗くて何もないところで何をしているのか気になって、尋ねます。
「……何をしてるんですか?」
その子は身じろぎひとつしません。口も開かず、じっと座っています。
「……隣、失礼しますね」
せめてその子が寂しくないようにと、わたしは彼女の隣に腰掛けます。彼女と同じように、膝を抱えて。隣で見ると、彼女は目深に被ったハットで顔を隠していました。服は真っ黒な長袖のシャツと真っ青なデニムのオーバーオール。少しサイズが大きいのか、シャツもオーバーオールも、裾の方をまくりあげています。
彼女の隣でじっと座っていると、不意に彼女が尋ねます。
「……話たいことがあるの」
聞いたことのある声。でも、覚えのある声よりは少し違っていました。
「何でしょう?」
ここは退屈ですから。お話でもしないと気が休まりません。
「長くなるけど……いい?」
わたしはくすりと微笑んで、黙って頷きます。それを確認したのか、してないのか……彼女はゆっくりと話し始めました。その語り口は穏やかでしたが、諦めたような、悲しんでいるような、そんな調子でした。
そのお話は、まるでわたし自身に降り掛かったかの様な、そんな風にさえ思えてしまうくらい鮮明なもので、わたしが実際に目の当たりにしているかのような、そんな臨場感さえ、抱いてしまいます。
夏の終りのある日のことです。その日は涼しい風がそっと吹いていて、夏の終わりをどことなく感じさせるにふさわしい日でした。そして、こんな風の吹く日には、エアコンを止めて風を楽しむのが、わたし達家族の暗黙の了解でした。
あたしは時折吹く風に髪を靡かせながら、机で画集を読んでいました。クロード・モネの画集。あたしの憧れの絵。眺めているだけで懐かしくなるような、何度見ても鳥肌が立ってしまうくらいの素敵で、綺麗で、不思議な絵を書いた人の本。
「ねぇ、もえ」
そんなあたしに声をかけたのはお父さん。お父さんは学者さんなんです。運動は苦手なくせに肌は浅黒く日焼けしていて、今着てるみたいに、アロハシャツとか似合う人で、背中がおっきくて、絵が上手で……それに、あたしの尊敬する、大切な人です。
わたしは画集からお父さんの顔に視線を移して、聞き返しました。お父さんは、むつかしそうな本を開いたまま、団扇を仰いでいます。
「なぁに? お父さん。洗い物ならさっき済ませたよ?」
ついさっき、ご飯の洗い物は済ませたし、洗濯物はお父さんの当番。他の家事は済んでいるか、済ますには早いかのどちらかで、少しのんびりしようかな、なんて思ってたんですけど……。
「いや、夏休みいつまでだったかなって。俺も支度しないと……」
お父さんは手にしたマグカップをテーブルに戻して、本を閉じました。
「えーっとね……明後日だったかなぁ……うん、明後日」
お父さんは「ふむん」と言って、立ち上がります。
「わかった、ありがとうね、もえ。……ちょっと研究所に行ってくるよ。ちょっと書類をね……。留守番しててもいいし、でかけてもいいよ。でも日が暮れる前には帰ってくること」
あたしは「うん」と答えます。その時のあたしはお出かけする予定も無かったので、このまま家でのんびりしていようと考えていました。
お父さんはリュックサックにあれこれ詰めたり取り出したりしながら支度をして、すぐに出かけていきました。口元には電子煙草とか言う不思議な機械を咥えています。
「じゃ、行ってくるよ」
あたしはお父さんを玄関まで見送ります。と言ってもワンルームみたいなものなので、数歩近寄っただけですけど。
「煙草、もう吸ってない?」
お父さんは苦笑いを浮かべながら、言い繕います。
「うん。もう完全にこっち」
「ふぅん。……臭くないから良いけど……。気をつけてね、お父さん」
煙草は煙草では無いのか? と思ったんですけれど、でも臭くないし、健康にも影響が無いとか言ってるんで、良いかなぁということで、咎める視線を送るだけにします。
「厳しいなぁ、もえは……じゃ」
そう言ってお父さんは扉を抜けて、研究所に行きました。そこは、ここから北に少し歩いたらある、病院みたいな建物です。そこではフレンズさん達の生態と、身体能力や技能を研究・検証しているらしいです。あたしだって何回か行ったことはありますけど、「ぴっぴっ」としか言わない機械とか、ぎざぎざしてる映像とかばっかりでさっぱりでした。
「うん、行ってらっしゃい」
そう言ってお父さんを見送った後、わたしは机に戻って残っていた学校の宿題を始めました。
学校。ここはジャパリパークの中で、学校は本当はありません。ですが、あたしみたいに、親の都合でここに住まわざるを得ない子は何人か居ます。なので、パークが大規模化していく中で、対人関係や社会規範を子供達に学ばせる為にも学校は必要になったのだそうです。それで、図書館の建物の一室を教室へと改築。そこで通信教育を中心に、時にはパーク職員の手を借りる。そんな仕組みの学校が作られることとなりました。それがあたしがここに入学する少し前のお話。
そして、今度の夏休みが明けたら、新しい試みが実施されます。
それは、フレンズが学校に通う実験です。その被験者として、あの子が選ばれました。何故かと言えば、元々ヒトに生活圏が近い種であるということや、あたしやお父さんと一緒に暮らす特殊な子だからなのだそうです。難しい話はよくわかりませんけれど、あたしは彼女と一緒に学校へ行けるということをどきどきわくわくと心待ちにしていたのでした。
わたしが算数の宿題を解いていると、あの子が帰ってきました。楽しげなざくざくという足音や、最近テレビで聞いたらしい音楽の鼻歌なんかが聞こえてきました。そして元気よく扉を開ける音が耳に入ります。
「ただいまもどりましたぁ!」
「おかえりなさい、――――ちゃん!」
あたしは宿題を進める手を止め、玄関に視線をやります。
「どうだった? テスト」
彼女は手提げの鞄を置いて、顔をしかめます。
「文字は読めたんですけど……さんすう? が難しいです…… うーん……」
学校に通い始めてから何をどこから学ぶのか、それを確認するための試験だそうで、良い成績を修める必要は無い、とお父さんが何日か前に言っていましたが……やれと言われたら良いものを提出したいと思うのも当然。だからか、テストの話をし始めると、途端に彼女は落ち込んだ様子を見せました。
「大丈夫だよ、――――ちゃんならすぐ出来るようになるって」
あたしは彼女にくすりと微笑んで励まします。
「うーん……そうでしょうか……?」
「学校だと、算数と理科と美術はお父さんが教えてくれてるし、お家で聞けばいいでしょ? それに、――――ちゃんのお勉強だったら、あたしだって教えられるもの」
彼女は少しだけ表情を明るくします。
「本当ですかぁっ! おとーさんなら、安心ですねぇ……」
「あたしは頼りにならないみたいな言い方ぁ……」
あたしがぷっくりと頬を膨らませて言うと、彼女は慌てたように否定します。
「い、いえ……! もえちゃんだってお勉強得意なのは知ってますから、お手伝いしてもらえればなぁって思ってます! はい!」
知ってるよ、なんて言わずに、にやにや笑いながら「ほんとぉ?」って聞き返しました。イエイヌちゃんは「ホントですってば!」と答えました。
その後は、わたしは宿題を片付けながら、――――ちゃんは学校で貰ってきたという「ひらがな・カタカナ表」や「たしざんのやりかた表」とにらめっこしながら、お父さんの帰りを待ちます。
日が暮れる前にお父さんは帰ってきましたので、それから、ごはんの支度をして、お風呂に入って、寝ました。なんてことのない、普通の夏休みの一日。そう思います。
わたしは彼女の言葉に「へぇ」と呟きます。
「昔は学校なんてあったんですねぇ……」
彼女はやっぱり身じろぎすらしません。
「うん。楽しかったよ」
楽しげな声色で、彼女は答えました。彼女の話を聞いていると、伺いたいところが何点か思いつきました。昔話、ですからね。今のわたしじゃわからないことも、きっとあたしなら知っているはず。
「やっぱり、その頃のパークってアミューズメント中心だったんですか?」
幾つかヒトの居た痕跡を見つけてきましたが、その幾つかは『お客さんを楽しませること』に繋がっているような傾向がありましたから……と言っても本当に数は少なかった気もしますけど。
彼女は首を振ります。
「基本的には、研究だったと思うよ。でも、少しだけお客さんも迎えてたみたい」
みたい、というのは、彼女にとって周囲の光景はありふれたものだったからなのでしょうか?
「パークとしては評判あんまり良くなかったって。別にそれで良いって大人の人はみんな言ってたけど」
わたしは「ふんふん」と納得行くような納得行かないような、そんな気持ちでしたが、頷きます。
「……続けて良い?」
相手が知らない方でもお話は出来ます。そして、それは時折、思っていたよりもずっと楽しいものになります。彼女は久しぶりの会話に興が乗ったのか、喋りたがっています。
「ええ、お願いします」
わたしは眼を閉じて、彼女を促しました。
それから次の日。その日は少しだけ暑い日でした。昨日の様な、涼しい風は無く、じっとりとした日でした。
あたしはお出かけの準備をしていて、お父さんは研究所に作業があると言ってもう出掛けていました。
「もえちゃんもえちゃん」
――――ちゃんが、そんなあたしの肩をつんつんと突っついて尋ねます。
「どうしたの? っていうかお出かけの準備しなくて平気?」
――――ちゃんは「はっ」と何かを思い出したようです。
「そ、そう言えば今日はセントラルにお出かけでしたっけ……い、急いで準備しますね……!」
「そうだけど……まだ時間あるから、どうしたの?」
聞くと、足し算の話でわからないところがあるそうです。
「リンゴとみかんは別のものなのに、何故足すと二個になるのか……?」
多分、そういう問題では無いような……でも、――――ちゃんの疑問も……なんというか、ひとつの理屈としては成立しているような……?
「うーん……多分、全部の数を聞いてると思うんだけど……お父さんに聞いたほうがいいかも……あたしじゃ説明難しいかなぁ……」
「……? そうですかぁ……失礼しました。えへへ、ありがとうございました!」
彼女はそう言って、支度の為に部屋をとてとてと移動して、水筒と手提げを持ち出しました。
「私はもう準備万端です!」
んふーと荒めの鼻息を鳴らして、玄関前に彼女は立ちます。
「早いねー……」
あたしは呆れたような声で呟きます。
「あたしも、うん。準備できたかな。じゃ、行こっか」
――――ちゃんは元気よく頷いて、あたし達はお出かけしました。
目指す先はセントラル。今日はお買い物です。
少し涼しくなったと言っても、まだまだ夏です。時間も早いためか、うだるような暑さは変わりませんし、当然、太陽の光は膨大な熱を孕んでいます。
そんな中で、「うへー」と言う暑さに悶える声を上げながら、セントラルへ続く道を歩いていると、小さな白い車が一台通ります。その車はあたしの隣でゆっくりと停まりました。
車の窓が開き、あたしに声をかけます。見れば、声の主は『海のお姉さん』でした。
その方は、海の方の職員だそうで、基本的には売店の店員なのだそうですが、時々実験の補助をしたりなど、けっこー忙しそうにしている人です。また、お父さんとも知り合いの様で、何かに付けて茶化されている節もありました。確か、「海に居るのに一番の仲良しは海の子じゃない」とかなんとか。ゴリラさんでしたっけっか。
「こんにちは、もえちゃん、――――ちゃん。お出かけ?」
お姉さんはは、あたしの顔を見るとにこやかに話しかけました。
「はい! ――――ちゃんと一緒に、お父さんにプレゼントを買うんです」
あたしの言葉に――――ちゃんが続けます。
「何を買うか、まだ決めてないんですけど……何かいい案ありますか?」
その言葉に、お姉さんは少しだけ考え込んでから、ぽんと手を叩きました。
「ふんふん……よし、近くまで送るよ。乗って」
あたし達はお姉さんのお誘いに応じ、車の後部座席に乗り込みます。中はエアコンがしっかり効いていて涼しく、まるでこの中だけ秋真っ只中のようでした。また、少し大きめの音量で歌が流れています。曲名は知りませんけれど、メロディーが少し古臭く感じました。
「すずしーですぅ……!」
――――ちゃんはそう呟きましたけれど、夏向きの格好をしていたあたしは、ついぼやいてしまいます。
「ち、ちょっと効き過ぎじゃないですか……?」
お姉さんはあたしの言葉に乾いた笑いを漏らします。
「それ、トーサカさんにもよく言われる……」
トーサカさん、というのはお父さんのことです。何故か昔からお父さんは名前で呼ばれるよりも名字で呼ばれることが多いのです。
お姉さんの言葉に、あたしも乾いた笑いを漏らしてしまいました。お父さんはエアコンが嫌いなようで、使わないで済む日は使わないという主義を昔から頑なに主張していました。
「で、もえちゃんは何買おうと思ってるの?」
お姉さんは車内で流れている音楽を消して、あたしに尋ねます。
「んーっとですね……お洋服にしようかなって。お父さんあんまり服買わないですし……でもどんなのにしようかなって考えると悩んじゃって」
わかるぅ、とお姉さんは楽しげに返事をします。
「あーでも、そうだなぁ……トーサカさん、多分柄物よりもシンプルなヤツが似合うと思うんだよねぇ」
お姉さんの見立てに、――――ちゃんがうんうんと頷きました。
「それと、おとーさんはいつも白い服ばっかりですし、変わった色を着るのもいいと思うんです!」
ふむ……。
お姉さんは何かを想像したのか、けらけら楽しげに笑いました。
「いいセンスしてるよー――――ちゃん」
お姉さんのことです、虹色のシャツ(それも見ているだけで眼がちかちかするようなヤツ)を着たお父さんを想像したに違いありません。
「えへへ、それほどでも……」
隣に座る――――ちゃんは、お姉さんの言葉が嬉しいのか、尻尾を揺らします。
そうこうしている内に、海とセントラルとの別れ道に到着しました。あたしはここで降りることになると思っていたのですけれど、予想に反して、車がセントラルの方へと曲がります。
「その……お姉さん、送ってもらえるのは嬉しいんですけど……この後の予定とか大丈夫ですか……?」
あたしが遠慮からそう尋ねると、お姉さんは苦笑いで答えます。
「へーきへーき。この後、博士から頼まれてた資料仕上げないとだけどさ、もえちゃん送る方が大事。それに今度ゴリラちゃんに会いに行った時に、トーサカさんから怒られちゃうよ」
「あはは……お父さん怒ると怖いって皆言いますけど、そんなにですか……? それに、お父さんには秘密にしますよ? ね、――――ちゃん」
彼女はこくりと頷きましたが、お姉さんは意に介さない様子でした。
「こんな事をもえちゃんに言うのも変だけどさ、トーサカさんとは仲良くしときたいんだよね。ゴリラちゃんに会いに行く時に、セットになってるから、仲悪くしちゃうと、気まずくない?」
一拍置いて、お姉さんは言葉を続けます。
「それに、可愛い女の子達とドライブデートだよ? できるだけ長く一緒にいたいじゃない?」
お姉さんはからかうような口調でした。
「……そんなに褒めても、あたし、何も出来ませんよ?」
「ぐっ……今度お店手伝ってもらおうと思ったんだけどなぁ……」
あたしが「あはは……」と苦笑していると、――――ちゃんが身を乗り出して尋ねます。
「おねえさん! 私がお手伝いしても平気ですか? で、お小遣いとか……」
ちょっと正直に過ぎる質問な気もしますけど、何か欲しい物があるんでしょうか?
お姉さんは――――ちゃんの質問に少し悩んでから、お気楽そうに答えます。
「まぁ、良いんじゃない? 博士とトーサカさんに話を通さないといけなさそーだけどねー。いいよ、聞いてみる」
――――ちゃんはお姉さんの言葉に小さくガッツポーズをしました。
あたしはそっと――――ちゃんに質問します。
「何か欲しい物あるの? お父さんに頼めば……?」
彼女は小さく首を振りました。
「スケッチブックと、色鉛筆欲しいんです。もえちゃんとおそろいのやつ」
それならなおさら……そう思ったのですけれど、あたしが尋ねる前に――――ちゃんは照れながら言葉を付け足します。
「……自分で頑張ってお買い物して……それで、もえちゃんと一緒に絵を描きに行きたいんです」
彼女の言葉に、あたしはぽかんとしてしまいます。そんな必要無いのに、なんでそんな事を言うんだろう? って。けれど、その後から込み上げてくる喜びの感情に、あたしは顔を綻ばせます。
「もえちゃん?」
「んふふー……そしたら今度、一緒に絵を描きに行こうね! 約束ね、――――ちゃん!」
そうしてあたし達は指切りをしました。
彼女の語るお話は、不思議と懐かしさと切なさを覚えてしまいます。わたしの過去と関係があるのかどうか、という意味では無く、ヒトが居なくなったパークで、ヒトが居た時の思い出を語られる、という理由からです。
「……今は、そういう日常ってなくなっちゃいましたよ、パーク」
嫉妬の心から、少し冷たい言葉を発してしまいました。
「知ってる」
ぶっきらぼうに、まるで関心が無いことを示すかのように、彼女は言い捨てました。
「そうですか……。ごめんなさい、ちょっとうらやましくて……」
「いいよ、別に。知ってるもん」
わたしは肩をすくめます。これは敵いませんね。ちょっとだけむっとしちゃいます。
「物知りですね」
彼女はゆっくり顔を振ります。彼女の髪が揺れて、煌めきを放ちます。けれど、一言も喋らず、じっとしています。
「……続き、聞かせてもらっても良いですか?」
「いいの?」
少しだけ楽しそうな声であたしは言いました。
「ええ。聞かせてください」
彼女の話を、あたしの話を、わたしは聞きたくて……断る理由なんてありませんから。