書いてる内になんだか某作品の孫ちゃんみたいだなって思いました。
設定、ホント、何処行っちゃったんでしょうね。
20/06/08 改稿
食事の片付け――と言ってもグラスを片付ける程度ですが――が終わり、時間が過ぎていきます。お互いに食後特有の眠気を味わうようにのんびりとした時間でした。わたしは椅子に腰掛け、パラパラと辞典をめくります。書かれた内容は別段変わったものでは無いようでしたが、何となく眺めているだけで楽しく感じられました。イエイヌさんはベッドに丸くなって寝転がっており、眼を閉じたり、外を眺めたりとゆったりとした様子でした。恐らく、わたしがお世話になる前からずっと続けていた過ごし方なんでしょう。
ふと、部屋の棚に視線を移すと、小さな小箱が目に入りました。手に取り眺めてみます。赤いリボン型の装飾が箱を縁取り、その四角形の中心部には『の』をモデルにしたような黄色に塗られたシンボルがありました。木製のようですが、つくりはしっかりとしていますし、欠けや汚れも殆ど無く大切に扱われてきたことがわかります。
ちょっとした好奇心です。イエイヌさんに問いかけます。
「ねえ、イエイヌさん。この箱開けても良いですか?」
彼女はまず先に耳をぴくりと動かして、その次にこちらを向いて言いました。
「えっ、それ開くんですか?」
「はい、多分……」
彼女はわたしの言葉を聴くと興味津々と言った様子でわたしの元に小走りで来ます。箱には小さなパズルのようなものが付いていて、それが鍵の役割を果たしていました。
「えぇっと……これをこうして……違うかぁ……こうして……」
わたしがせかせかと手元を動かしている様子をまじまじと見つめるイエイヌさん。どうしてそんなに楽しそうなんでしょうね。
「よし! 出来ました!」
少ししてパズルは解けました。一度判ってしまえばなんて事の無い答えでしたが、かかってしまった時間を考えるとまだまだと言ったところでしょう。誰と比べている訳でも無いんですけれどもね。
「はえぇー……凄いですね、ともえさん……私も少し試したんですけど、ダメでした……」
心底感心するように呟くイエイヌさん。実際、大したことはしていない気もしますが、褒められて嫌な気持ちになることはありません。
「いえいえ、ありがとうございます。……開けても良いですか?」
どうぞ、という彼女の声を聞いた後、ゆっくりと開きます。中に入っていたのは黄色のリボンでした。宝箱を頑張って開けたのに、中身がリボンとは……なんだか肩透かしな気もします。あぁ、でも、きっと……
「これは……? リボン?」
イエイヌさんは丁寧にリボンを摘み上げます。彼女はリボンをひとしきり眺めて、再び箱にそっと戻しました。彼女の表情は懐かしさのような、寂しさのような、切なさのような……色々な感情がないまぜになったものでした。
「きっと、昔住んでいた方のものでしょうね……」
わたしはそう呟きます。
「そう……なんですかね? 私はまるで覚えていないのですけれど……なんだか、胸がしゅんとなりました……」
寂しげなイエイヌさんの声を聞いてわたしは言います。
「きっと、宝物ですよ。イエイヌさんに取っても、ここに住んでいた方に取っても」
だって大切にしまわれていたんですもの、とは言いませんでした。彼女も、それを判っているでしょうから。
「私の……宝物……?」
イエイヌさんはきょとんとした顔で呟きました。
「フレンズになる前のあなたが、もしかしたら身につけていたものかもしれませんし、あなたのご家族が身につけていたかもしれませんし……それはわかりません。でも、きっと大切なモノに違いありませんよ」
イエイヌさんはわたしの言葉を聴いて、寂しさと嬉しさの混じった笑顔になります。
「さっき確認したとき、懐かしい匂いがしたんです。……きっと、きっと、大切な……」
わたしはそっとイエイヌさんを抱きしめます。わたしもどうしてそうしたのかわかりません。イエイヌさんはぴくりと驚くように身体を動かしましたが、わたしを受け入れてくれました。
暫くの間、わたしたちは寄り添いあっていました。気付けば太陽は空の頂点に昇っています。
「ともえさん、そろそろ出かけますか?」
イエイヌさんはわたしの胸から顔を離して言いました。
「そうですねぇ……わたしはずっとこうして居たい位ですけれど……行きましょうか」
イエイヌさんは耳(ヒトの耳の方です)を赤くしながら「はい」と元気良く言ってくれました。
イエイヌさんは昨日と同じように水筒に水を入れに流しへ、わたしは『あの場所』ですることの優先順位を考えます。まず最初にすべきこと、それは他の入り口の発見でしょう。窓ガラスを割ったり、扉を押し破ったりと言った行為は避けますが、場合によってはその必要もあるかもしれません。次にすべきこと……いいえ、やりたいこと。それは絵を描くことです。わたしが眠っていた場所からの景色を、絵に描くのです。最後にすべきこと……帰り道にでもイエイヌさんに案内をお願いして、近くのフレンズさんに挨拶をしましょう。
そうこう考えているうちにイエイヌさんの準備が出来たようです。では出発しましょう。
先程までのお互いの悲しみに触れ合うような陰鬱さは何処へやら。わたし達の散歩は明るいものでした。ちょっとした雑談――例えば、ジャパリまんには他に味があるのかだとか――を交わしながらの道のりでした。イエイヌさんは道案内をするために(もしかしたら楽しくて早歩きになっているのかもしれませんが)わたしの数歩前を進んでいました。そして、わたしは景色とイエイヌさんの楽しげに揺れるしっぽとを微笑ましい思いを抱きながら眺め、進みます。
「ねえ、イエイヌさん」
「はい! なんでしょう?」
彼女は笑顔で振り返りました。
「アルマーさんとセンさんって今はどちらにいらっしゃるんですか? 彼女達にもお礼を言いたいのですが……」
わたしが問いかけると彼女はわたしの隣に歩いて来て、答えてくれました。
「今は……確かうみべちほーの方に居るとか……お仕事があるそうです。ともえさんが起きる前の日に向ったので、もしかしたらお仕事は終わっているかもですけど……」
ふむん。
「うーん……そうですか……」
「あ、でもまた来るとは言っていましたから……いつかお会いできるはずですよ!」
出来ればこちらから挨拶に向うのが礼儀というモノ。とはいえこちらから行っても、彼女の言うとおりすれ違いになってしまう可能性もありますから……
「出来ればわたしから挨拶に向いたいんですけれども、難しそうですねぇ……」
「大丈夫ですよ! ジャパリパークはそんなに広い訳では無いですから、いつか会えますよ!」
確かにそうでしょう。そうでしょうけれども……釈然としないのはわたしの我侭でしょうか?
「あっ、そうです、ともえさん、休憩は大丈夫ですか?」
いつの間にか昨日休憩した木陰まで歩いたようです。確かに軽い疲労は感じますが、休憩は必要だとは感じませんし、何よりも少し無理する程度の方が身体にも良い気がしました。
「わたしは大丈夫です。イエイヌさんは大丈夫ですか?」
「大丈夫です! 私のことは気になさらず! いつも歩く道ですので!」
彼女はえっへんという言葉が似合うような様子で胸を張ります。
「さすがイエイヌさんですねぇ……」
彼女はふふーんと鼻を鳴らすようにして、再び歩き始めました。
空高く太陽は輝いていて、確かな暖かさを覚えます。いえ、寧ろ暑いと表現したほうが良いような……そういえば。
「イエイヌさん、暑くは無いですか?」
「まだまだ大丈夫ですよ?」
そういうお話ではなく、無理をして欲しくは無いのですが……
「ちょっとこっち来てください」
もしかしてという思いが頭を過ぎります。イエイヌさんは不思議そうに再びわたしの隣に来ます。彼女の額にはじんわりと汗が浮かんでいて、口で息をしていました。
「失礼しますね……」
彼女の持つ水筒をいったん預かり、彼女のブレザーとセーターを脱がします。その間、彼女は非常に不思議そうな顔をしていました。
「へ? あれ? へ?」
……今朝の彼女の口振りからして、そうなんだろうなぁと思っていましたが……事実でした。
「シャツ一枚では薄着過ぎますかね……こっちだけでも着てください」
わたしは彼女にブレザーを手渡します。イエイヌさんは受け取り、再びブレザーを身につけます。彼女は依然として不思議な顔をしています。
「あ、ありがとうございます……これ、脱げたんですねぇ……」
常識が違うと一言で言うと申し訳ないですけれど……この感覚はフレンズさんたち特有なんでしょうか? とはいえ、考えてみれば彼女達の姿は動物達の姿が由来で、彼女達にとって適した環境で生きていく訳ですから、衣服を着替えたりする必要は薄いのでしょうね。とりあえず、このセーターは鞄にしまっておくとして……イエイヌさんは不思議そうにブレザーを着たり脱いだりしながら歩いています。
「危ないですよ、イエイヌさん」
何も無い道とはいえ、前後不注意で転んでしまう可能性だって十分にあります。
「あっ……ごめんなさい。気をつけますね……」
彼女はそう言って前を向いて歩き始めましたが……不意に再び振り向いてわたしに問いかけます。
「これって、下の方も脱げるんですよね? どうやるんです?」
イエイヌさんはスカートの裾を捲り上げるようにして問いかけます。わたしは目の前で行われている出来事に呆然として言葉を失います。が、それも束の間。わたしはイエイヌさんに駆け寄り、注意します。
「イエイヌさん。下は、脱げますけど、外ではダメです。あと、セーターの下のシャツも、外ではダメです」
イエイヌさんはわたしの言葉を聴いて、自分が今、何をしたのか気付いたようです。彼女は「はい……」と消え入りそうな声で呟きました。
それから暫くして、『あの場所』に到着しました。昨日と変わらず陰鬱な雰囲気を纏いながらそこに建っていました。
「さて、と……」
まずは正面玄関と思われるドアを押してみます。扉はびくともしませんでした。
「ですよねぇ……」
予想はしていました。わたしの眠っていた場所のもうひとつの扉と同じように厳重に施錠がされているのでしょう。
「うーん……」
わたしが悩んでいると、イエイヌさんが何か思いついたようです。
「二手に分かれませんか? わたしはこっちから回ります。ともえさんはあっちから」
彼女の提案を断る必要はありません。極めて賢いやり方ですしね。お言葉に甘えて、彼女にも手伝ってもらいましょう。
「ありがとうございます。ではよろしくお願いしますね。何か見つかったら教えてください」
わたしは建物正面玄関から左側をぐるりと歩きます。扉は他に見当たらず、窓ガラスも全て鍵が閉まっていました。ガラスはよほど頑丈なのか、割れていたり、歪んでいるところもありません。上の階に視線をやりますが、窓は同じように閉まっていました。この厳重さからして、やはりここは重要な意味合いを持つ建物なのでしょう。
暫く歩き、裏手に入り、そして右手側を見てきたイエイヌさんと再び出会います。
「どうでしたか?」
わたしの質問に彼女は首を振ります。
「扉も無いですし、窓も全部閉まっていました……」
探索は完全に行き止まりです。お手上げ状態、というヤツですね。
「どうしたものですかねぇ……うーん……」
わたしは軽くガラス窓を叩きます。薄く脆そうな印象を受ける程度には土埃で汚れているのですが、想像していたよりもずっと頑丈で、とても割る事は出来なさそうです。
「割って無理矢理……というのも無理そうですね」
イエイヌさんも試すように窓に触ります。
「ですねぇ……力自慢のフレンズさんを呼んでくれば、もしかしたら……」
わたしは首を振ります。
「仮に割ることが出来たとして、誰かが危険な目に会う可能性も……」
事実、岩や丸太のようなものを用意できれば何とかなるかもしれません。しかしそれに必要な労力や、伴う危険性を考えると、失敗の可能性だってある以上、実行する価値があるとは思えません。それにこれほど厳重なのです。何らかの警備がある可能性だってあります。
「そう……ですか……」
イエイヌさんは自分のことでも無いのにしゅんとした様子です。
「大丈夫ですよ、イエイヌさん。記憶の手がかりがあるかもしれないというのは事実ですけれど、何も無い可能性だってあります。無理をする必要なんて無いんですよ」
時間はたっぷりとあるのですし、他の手があるはずです、わたしはそう付け加えます。しかしながら、イエイヌさんはやはりしゅんとした様子です。
「お役に立てなくて、ごめんなさい……ダメダメですね、私……」
自虐気味に呟くイエイヌさん。自分のことのように悲しんで頂けるのはありがたいことなのですけれども……ちょっとムッとしてしまいます。そんなに悲しまないで下さい。
「何がダメなんですか? そんなことありません。イエイヌさん。あなたはわたしの命の恩人ですよ? お忘れですか?」
彼女は俯いたまま何も言いません。
「あなたに救ってもらいました。あなたに色々なことを教えてもらいました。あなたと楽しくお話だってしました。わたしは、イエイヌさん、感謝してもしきれないくらいです」
風にかき消されてしまうのでは無いかと思われるくらい小さな声で「でも」と呟くイエイヌさん。
「ほら、しゃんとしてください? わたしはここに絵を描きに来たんですから」
わたしは彼女の肩をぽんぽんと叩いて手を引きます。悩んでいてもどうしようもない。それはあなたが教えてくれたんですよ? イエイヌさん。だから……
「記憶を取り戻せなくったって、構わないんですよ? わたしは」
イエイヌさんはじっとわたしの顔を見つめます。まるでわたしの発言が本心からのものかどうかを見定めるようでした。
「どうかしましたか?」
彼女は目尻にうっすらと滲んでいた涙を拭って言いました。
「い、いえ……わかりました。あなたがそういうなら……行きましょう!」
わたしの手を引いて、駆け出すように歩き出すイエイヌさん。気持ちが伝わってくれたのでしょうか。
目的の場所に来ました。何度見ても良い景色です。イエイヌさんは相変わらず落ち込んだ様子でしたが、わたしが準備するのを見て、絵が描かれることへの興味を持ってくれたようです。と、その前に鞄にしまっていたセーターをお返ししましょう。お互い体温も下がってきたようですし……
「景色を描くんですか?」
イエイヌさんがセーターを着ながら尋ねます。
「ええ、そのつもりです」
「フレンズさんを描いたりとかも……?」
「それはちょっと自信が無いですね……今描こうと思っているのは、あの夜の景色なんです」
あの夜に見た、あの景色。風に揺られる木々と草。星星煌く夜空に浮かぶ月が、優しく草原を見つめるあの景色。あの瞬間、わたしはわたしの苦痛をさえ忘れられたのです。
「フレンズさん達も描こうかな、とは思っているんですけれども……今は何よりもあの日見た景色を忘れたくないんです」
イエイヌさんはわたしの告白を聞いて、「ほほう」と言った具合に頷きます。
「では、始めますか」
わたしはスケッチブックを開き、色鉛筆を持ちました。
自分でも不思議なくらいの勢いで鉛筆が滑ります。まるで答えが既にわかっているかのように線が引かれ、スケッチブックに風景が描かれていきます。
「凄いですねぇ……ともえさん……」
イエイヌさんが呟きます。
「そんなことは無いですよ……というか、むしろ自分でも何でこんなに絵が描けるのかわからないくらいです」
わたしの答えを聞いてイエイヌさんは「はへぇ……」という妙な吐息を漏らしました。わたしは彼女の様子を見てくすりと微笑んでしまいます。さぁ、続きを描きましょう。
気付けば日が傾いていて、結構な時間が経っているようです。かなり集中してしまっていたようで、イエイヌさんはわたしの隣で眠ってしまっていました。出来たよ、と彼女を揺り起こしても良いのですが、ひとつ思いつきました。ふふっ……喜んでいただけるでしょうか?
茜色に空と大地が染まる頃、わたしの『思いつき』は終わりました。後はイエイヌさんを起こすだけです。
「イエイヌさん、起きてください」
わたしが肩をとんとんと叩くと、すぐに彼女は目覚めました。
「あ、ふぁ……おはようございます、ともえさん」
彼女はそう言って伸びをします。
「はい、おはようございます」
笑顔で返事をすると、イエイヌさんは申し訳なさそうに言いました。
「寝ちゃってたんですね、私……ごめんなさい……退屈させちゃいましたよね……?」
わたしは首を振って彼女に答えました。
「いえいえ、気にしてませんよ。わたし、結構集中しちゃってたみたいですし……それよりも、描けましたよ」
わたしは風景画を彼女に差し出します。
「わぁ……お上手ですね……ともえさん……」
感嘆の声を漏らすイエイヌさん。
「ありがとうございます。なんだかくすぐったいですね……」
えへへと声が出てしまいます。
「でも、どうして夜なんですか?」
「あの時の光景が綺麗だったので、思い出しながら描いたんです」
彼女の抱いた疑問は当然のものです。ですが……
「これは絵ですからね。写真と違ってありのままである必要は無いん……です……よ……?」
思わず口から出た言葉。わたしの本心の筈なのですが、違和感を覚えます。その違和感について思考を思わず巡らせてしまいます。何か、何か……
「と、ともえさん?」
わたしは、わたしはこの言葉を『昔言ったことがある』? それとも……? ぐらりと視界が揺れます。
「あっ」
今朝と同じ感覚。世界が揺れる、ゆれる、まわる……くらくなって……
「――さん! ともえさん!」
わたしはイエイヌさんの声に呼び起こされます。どうやら気を失っていたようです。あたりは茜色から菫色に変わりつつあります。数分程度、経過しているのかもしれません。イエイヌさんは涙を流していました。
「イエイヌさん、ご心配をおかけしました……もう、もう大丈夫ですよ……」
わたしの言葉を聴いて、彼女はわたしに抱きついてきます。
「ともえさん、ともえさんともえさん……うぅ……また眠り続けちゃうのかと……良かったぁ……良かったぁ……」
嗚咽を漏らしながら言う彼女の姿にわたしは胸が痛くなります。
「ほ、本当に、ごめんなさい。イエイヌさん……」
わたしは彼女の背中をとんとんと叩きます。震える身体を抱きしめていると、彼女が心底わたしのことを心配してくれていたのがわかります。わたしまでなんだか涙が込み上げてきそうになるくらいです。
暫くそうしていると、彼女は落ち着いたのか、そっと身体を離します。依然として彼女の瞳には涙が貯まっていましたが、安堵の笑みを浮かべています。
「そうだ、イエイヌさん。これも見てください」
わたしはもう一枚の絵をスケッチブックから切り取り、彼女に差し出します。
「これは……私ですか?」
「はい、寝ているときにささーっと描いちゃいました。昨日と今日、付き合っていただいたお礼です。差し上げます」
イエイヌさんは絵を受け取ると、ぱあっとまるで太陽の光が当たったかの様に笑みを浮かべます。
「良いんですか!? ありがとうございます! ともえさん!」
尻尾を振りながら喜ぶあなたの姿が見られただけで、わたしは十分嬉しいです。そういいたくもなりましたが、どこか気恥ずかしいので、言わないことにしましょう。
「いえいえ、どういたしまして……絵を描いた甲斐があったというものです」
喜んでくれてよかったです。本当に。
「イエイヌさん。今日のところは帰りましょう? もう日が暮れますし……」
彼女は元気良く「はい!」と答えてくれました。私を先導するようにイエイヌさんが歩き始めます。段々と周囲は夜になって行きます。菫色は薄墨のような暗闇へと変化していきました。ですが、イエイヌさんの笑顔がわたしには眩しすぎるくらいです。
「そういえば……なんで寝てるところを描いたんですか?」
不意にイエイヌさんが疑問を口にします。
「そうですねぇ……寝顔が可愛かったから、つい」
わたしが笑いながら言うと、イエイヌさんは何故だかぷくっと頬を膨らませます。
「どうしました?」
「寝ているところを不意打ちとは卑怯です……」
イエイヌさん。怒るところ、そこなんですね……申し訳ない話ですが、わたしはくすりと笑ってしまいました。
「ともえさん……なんで笑うんですかぁ……」
困ったように呟くイエイヌさん。さて、怒られないうちに……
「イエイヌさん。おうちまで競争しましょう?」
わたしはそう言って駆け出します。逃げるが勝ちというヤツです。
「へ? ちょ、ちょっと無理は……と、ともえさん?」
イエイヌさんは驚いた様子でしたが、少しして走り始めました。「まったくもう……」という言葉が聞こえてきた気もしますが、構いません。
わたし達の笑い声が夜道に響きます。明日も、明後日も、こうして笑いあいながら一緒に居たい。心からそう思います。