空はびっくりするくらいの青色に染まり、どこからか蝉の声が聞こえてくるような、そんな日。陽光はあまりに強く、それが為に色濃い陰を地面に落としていますし、時折窓から吹き込む風も多分に熱を含んでいて、ほんの少し前までの涼しげな様子はどこへやら。
「あづいですぅ……」
イエイヌちゃんはわたしのベッドに腰掛けながら、自分の服をぱたぱた動かして、必死に身体に風を取り込もうとしています。
「ラッキービーストさんに頼んで、エアコンつけます?」
わたしは少し前まで口に加えていた機械をサイドテーブルに置き、尋ねました。
「いえ、だいじょーぶです……」
彼女の言葉に、ゆっくりと立ち上がって、わたしは窓のカーテンを締めます。せめて陽射しだけでも……と思ってのことです。カーテンを締めようとして外に視線を向けると、目に痛いくらいの緑色を湛えた森の木々が目に入ります。
「……イエイヌちゃん」
薄暗く陰を落とした木々の下はどれほど心地よいのでしょうか? そう思うと、外に出られない今が無性に悔しくなります。
「外出られるようになったら、お散歩しましょうね」
「はい! そのためにも、早く元気になってくださいね!」
イエイヌちゃんは待ちきれないと言わんばかりの声色です。
「ですねぇ……明日くらいから結構歩き回っても良いそうですけど……」
傷の悪化を恐れたゴリラさん、ラッキービーストさん達はわたしの事をやや過保護なくらい安静にするように言っています。実際の所、歩いてトイレに行ったり、身体を拭う程度は出来ていますし、体力の衰えなども感じません。外に出るな、という指示は、感染症なんかを恐れてだそうですが……。
「本当ですかぁ! 良かったぁ……」
彼女はしみじみと安心のため息を漏らします。心配も、迷惑も、かけちゃいましたからね。
「外に出てもいいかどうか、聞いてみますね」
わたしはサイドテーブルに置かれたリンゴとお皿、フルーツナイフを手にとって、リンゴの皮を剥き始めます。イエイヌちゃんは不思議そうにわたしの手元をじっと眺めながら、尻尾を振っていました。
リンゴ……どうやら自生しているものがあるそうで、そこからひとつをお見舞いということでドードーさんが持ってきてくれたものです。とはいえ……わたしは怪我の都合で食べられなかったので、しばらくの間は絵のモチーフとして活用させていただきました。そして、もったいなさから、日中一緒に居てくれるイエイヌちゃんに振る舞おうと思ったわけです。ちなみにフルーツナイフとお皿はラッキービーストさんに今朝方、頼んで持ってきて頂きました。
「不思議ですねぇ……すいすい切れてきます……」
わたしはリンゴの皮を千切れさせずに剥ききりたかったので、集中してしまい、彼女の言葉を無視してしまいます。けれど、イエイヌちゃんもどうやら独り言だったようで、特に頓着しない様子……。
そして……
「よっし……!」
なんとか千切れずに剥ききりました。満足……! 自分で食べることが出来ないのは惜しいところですが、手慰みとしてはなかなか面白いですねぇ。
そのままわたしはリンゴを八等分にし、種とヘタを取って……イエイヌちゃんにお皿を差し出します。
「なんだかいつもすみません……ともえちゃんは食べられないのに……」
お皿を受け取ったイエイヌちゃんは、わたしの顔から視線を逸して言いました。
「んー……ダメになっちゃうよりは良いですから。ほら、食べて下さい」
わたしは微笑みながら、彼女に食べるように促します。
「じゃあ、いただきます…ぁむ……」
彼女は笑顔を浮かべて、リンゴを一切れ口に入れて、咀嚼します。さくりという小気味良い音は、しゃくしゃくという、やっぱり小気味良い音に変わっていきます。
……イエイヌちゃんが美味しそうに食べているところを見たくてひと手間かけちゃってる節もあると思います。流石に恥ずかしいのでそんなこと伝えられませんが……。
「じゃあ、わたしも失礼しますね」
サイドテーブルに置かれた筒を口につけて、吸い込みます。
「それも不思議ですよねぇ……」
「気体でサンドスターをせっしゅって……どういう方法なんでしょうね……」
イエイヌちゃんはしゃくしゃくとリンゴを食べながらでしたが、首を傾げます。
今、わたしが使っているのは、お父さんが昔吸っていた様な電子煙草を基にして作られた機械だそうです。サンドスターをアレコレして、蒸気にしたものを吸引するというものらしく、病気や怪我で飲食が出来なくなったフレンズさんにサンドスターの摂取を可能にする……という代物だそうです。試作品の本体とカートリッジが残っていたのを、ラッキービーストさんが持ってきてくれました。
と、枕元に置かれたラッキービーストさんが声を出します。
「ともえ、コウカンのジカン」
「あぁ、そうでしたそうでした」
わたしは病院着を脱いで、お腹と背中に当てたガーゼを外します。背中の方はどうしても手間取ってしまいます。けれども、流石に手慣れた手付き……のハズです。ぺりりと皮膚からテープの剥がれる音が聞こえると、イエイヌちゃんは思わず眼を逸していました。
「うぅ……」
イエイヌちゃんはうめき声をあげましたが……実際の所、傷の状態は今はそれほどひどいものではありません。。
ここで眼を覚ましてから――つまりは記憶を取り戻してから――一週間が経とうとしています。身体の痛みは殆ど無くなり、お腹の傷もだいぶ癒えました。目覚めたばかりの頃のグロテスクな赤色の皮膚や肉の露出、出血などはなくなっていて、(イエイヌちゃんはそれでも目を背けたがりますが)淡桃色の傷跡程度になっています。化膿なども見られず、予後も順調……。自分の体であるにもかかわらず、不思議でならないくらいの速度で体調は戻っています。
「……モウ、ガーゼはイラナイネ」
「本当ですか? 助かります……どうしてもむずむずしちゃって……」
「アトがノコルカモシレナイケド、ソレクライダネ」
ラッキービーストさんは、わたしに後ろを向くように促しました。わたしは指示に従い、後ろ側の傷跡も見せます。
「ジットシテテネ。ナカもミルヨ」
不思議な駆動音を立てながら、ラッキービーストさんはわたしの身体をじっくりと見つめます。方法や原理は知りませんが、体内の傷を確認しているのでしょうね。
「ウン、ナオッタネ。ショクジもシテイイヨ。ヨウスをミナガラ、ダケドネ」
彼の言葉を聞いて、わたしはそっと病院着を羽織ります。わたしが前を合わせていると、イエイヌちゃんは意を決したように、わたしのお腹の傷をじっと見つめて言いました。
「ともえちゃん、痛くないんですか……?」
お腹に視線を向けると、平坦なむ……いえ、なんでも。
「痛みはもう無いですよ? ほら」
つんつんとおへその左側にある傷跡を自分で突きます。傷跡は高いところからインクを落としたような不思議な放射状になっていました。
「ひょえぇ……」
ぞわぞわと身体を震わせて、イエイヌちゃんは悲鳴混じりの声を出しましたが……何もそんなに驚くことは無いでしょうに。まったく……。
「……ラッキービーストさん。もう外に出ても大丈夫ですか?」
「ウン。アト、オフロもヘイキダヨ」
わたしは思わずガッツポーズをしてしまいます。そんなわたしを見てイエイヌちゃんがくすりと笑います。
「ともえちゃん。お風呂好きですねぇ……」
「しばらく入ってなかったので……どうしても……えへへ」
濡れたタオルで身体を拭いたりなどはしているのですが、どうしても汗や汚れ、ニオイなんかは気になってしまいます。イエイヌちゃんは平気って言いますけども……。
「ソウダ、ともえ」
「はい、なんでしょう?」
ラッキービーストさんから提案されることはあまりないので、少しだけ身構えてしまいました。
「……オンセン、アルヨ」
一瞬何を言っているのかわかりませんでした。今まで意識したことも無ければ、行ってみたいとも思ったことのない場所……温泉……! お父さん、そういう事教えてくれなかったんですよねぇ。文句を一言、言いたいくらいです。
「え、本当ですか? どこに……?」
イエイヌちゃんは会話の内容についてこられていないのか、きょとんとした表情でわたしの顔を見たり、ラッキービーストさんの顔を見たりと視線が行ったり来たりしています。
「ヤマのホウ。コンド、アンナイスルネ」
よっし、と幾度目かのガッツポーズをしてしまいました。
「温泉……? でっかいお風呂とかですか?」
会話の流れから推測したのか、当たらずとも遠からず、という具合です。
「そうですねぇ、自然のでっかいお風呂ですかねぇ……。今度――」
浮足立つような心を沈めるのは、ひとつの覚悟。
「――いつか……ええ、いつか、行きましょうね」
わたしの様子が変わったのを不思議がるイエイヌちゃんでしたが、わたしは取り繕うようにイエイヌちゃんの膝に載せられたリンゴに手を伸ばします。
「わたしも、いただきますね」
「……。どうぞどうぞ」
一瞬だけ、イエイヌちゃんの左目がぴくりと動きましたが、彼女はすぐさま微笑を浮かべました。
「ヒトキレダケダヨ」
ちくりとラッキービーストさんが注意をします。わたしは「ふぁい」とリンゴを口に入れながら、応じます。そんなやり取りを見ながら、くすくす笑いを漏らすイエイヌちゃん。
平穏な、昼下がりでした。
「それじゃあ、今日はこれくらいで……」
夕日が空を染め上げる頃、イエイヌちゃんは帰宅の途につきます。
「毎日ありがとうございます。イエイヌちゃん。……明日も来ます?」
「勿論です!」
イエイヌちゃんの負担になってしまっているのでは? と思っていましたけれど、手間などよりもずっと、わたしに会う事を大切にしてくれているのでしょう。わたしは彼女に甘えているような気がします。
「なんだかすみません……でしたら、明日は一緒にお散歩しても良いですか? そろそろ身体を動かしたいですし……」
イエイヌちゃんは表情をぱあっと明るくします。
「はい! 喜んで!」
彼女は尻尾を振りながら、ぴょんぴょんと小さく跳ねました。
「ふふっ……そんなに楽しみですか?」
あまりの喜び様に思わず質問してしまいました。
イエイヌちゃんは「えへへぇ」と照れながら笑います。
「久しぶりですもの! 楽しみです!」
「ありがとうございます。じゃあ、また明日、お願いしますね」
「はい! では失礼しますね!」
彼女はそう言って部屋を出ていきました。
イエイヌちゃんが部屋を出て、わたしは自分の顔をぺちぺちと叩きます。
「……お話、しないと」
覚悟を決めて、ラッキービーストさんにお願いをします。
「ラッキービーストさん。ゴリラさんを呼んでもらえます? お話があるんです」
わたしの言葉にラッキービーストさんは頷くように身体を動かしました。
ゴリラさんが来るまでの間、わたしは不思議な考えに囚われていました。それは、何の変哲も無い、平和な日々が続いているのだという思い。
今日だって特別なことは何もしていません。わたしは座って絵を描いたり、本を読んだり……イエイヌちゃんだって同じです。絵本を読んだり、わたしとおしゃべりしたりする、普通の一日。単に場所が違うだけ。
アムールトラさんや、ドードーさん、他にもお会いした色んな方がお見舞いに来てくれたりもしますが、それはきっと場所が違うだけ。わたしが今どこに居ようと、遊びに誘ってくれたり、遊びに来たり……そういう生活です。楽しくて、面白くて、素敵で……そういう日々が変わらず続いている。怪我をして尚、いいえ、怪我をしたからこそ、記憶を取り戻したからこそ、わたしはそう思います。
だからこそ、わたしは皆の為に何かをしたいのです。何かをしなければ、何かを生み出さなければ、パークに居てはならないなどとは誰も言わないでしょう。このパークに於いて、守らねばならない原則があるとしたら、やれるだけのことは自分でやるという優しくも厳しい掟だけ……。
そして、わたしは、この言葉に応えなくてはなりません。『なくてはならない』などというのは、きっと考えすぎですし、抱え込みすぎですし、多分に自意識過剰です。だとしても、悲劇を避けるためにわたしが使えるのなら、皆のために使ってもらいたい。あの日から眠り続け、目覚め、旅をし、記憶を取り戻し、そして今あるわたしが、パークとパークにいる皆さんに恩返しをしたい。……そう考えてしまうのは、驕りでしょうか……?
少しして、ゴリラさんがやってきました。手には紙袋を持っていました。
「どうした? 珍しいな……殆ど完治らしいな。おめでとう」
多少なりとも疑問を抱えている声でしたけれど、素直にわたしを祝ってくれる言葉に、わたしの思いは揺らぎそうになります。
「ありがとうございます。ちょっとお話がありまして、こんな時間にすみません」
ゴリラさんは「構わん構わん」と言って、ベッドの隣に置かれた椅子に腰掛けます。
「で、何だ?」
「……ラッキービストさん。お父さんの音声の再生をお願いします」
ゴリラさんへの返事の代わりに、ラッキービーストさんに音声記録を再生するように頼みます。そして音声が流れ始めました。
――――――
――――
――
「よう、トーサカ」
お父さんの同僚の声でしょう。少しだけ急いでいる風です。
「ん。もえの様子を見に来た」
お父さんは妙に低い声で言いました。
お父さんの言葉に応じるように、椅子を引く音がします。
「……まだしばらくかかると思うぞ。わからんワケでも無いだろう」
憐れむような声色に、お父さんは冷静に応じました。
「……もえも、イエイヌも居なくなったからな」
同僚の方は返事に困ったのか、数秒の沈黙が訪れます。
「……寂しくてかなわん。邪魔はしないよ」
お父さんが沈黙を破ろうと笑いながら言いました。けれど、笑い声というには声が震えすぎていました。
「……ロックはされてない。好きにしてくれ」
「ありがとう」
そのやり取りの後、扉の開く音が聞こえました。しばらくすると、啜り泣くような音が小さく聞こえましたが、ノイズ音との区別もつきにくく、判然としません。
数分ほどして、扉の開く音がしました。
「すまんな、邪魔した」
お父さんが部屋から出てきたのでしょう。お父さんの言葉に同僚の方は返事をします。
「いや、構わん。お前が楽になるなら、そうしてくれ。暫くはロックもしない」
「……悪いな」
お父さんはそう言って、黙ったまま研究室から出ていこうとしたのでしょう。そこに、同僚の方が声をかけます。
「あぁ、そうだ。昨日のオーロラ、見たか?」
お父さんは「ん? ああ」と興味なさそうに返事をします。
「ちょっとこれ、見てくれ」
同僚の方の言葉に応じるように、椅子を引く音が響きます。きいと椅子に腰掛ける音がして、お父さんの声がします。
「……これは? 見た所、気象分野の領分だろう、これは」
お父さんの指摘に、同僚の方は「んー」と悩んだ声をあげ、続けます。
「そうなんだが……どうにもサンドスターの供給に問題があるらしい」
「それなら機械部か資源部だろう。どうしてこっちに報告が来る」
お父さんは少しだけ声に苛つきを混じらせていましたが、それは同僚の方に引き止められたから、というよりも、自身と異なる領分の問題を振られたことの方へ憤っているようです。
「お鉢が違う。こっちに回されても何もできんし、物品への利用は実験も含めて全て凍結中だ。こちらから提供出来る情報も技術も無い」
そう言ってから、沈黙が訪れます。同僚の方はなんと言ったら良いのか悩んでいるのか、何も喋りませんし、お父さんも黙ったままです。
数十秒ほどしてから、だんと机を叩く音がします。
「つまり、あれか? サンドスターを人体に投与する実験の継続が危うい、と?」
わたしの知るお父さんの声色とは異なった、自虐の思いが多分に含まれている声でした。へらへらとした、そんな声……。
「そこまでは、他の部門も考えてないだろう。それに、お前、そんな言い方は……」
お父さんは返事をしません。
少しして、同僚の方が詳細を告げます
「……昨晩のオーロラは天候操作が限界に来ているシグナル、ということらしい。機械の故障では無いそうだ。ラッキービーストによる維持と管理は安定している。それよりも、サンドスターの供給と消費が釣り合いが取れていないことの方が問題だ。数年から十数年に一度は、もっと長い期間であれば確実に発生する……そういう計算が出てる」
お父さんは「ふむ」と小さく声を漏らします。
「サンドスターの産出と消費は恒久的に釣り合いが取れるようにするんじゃなかったか? 実際そのつもりで色々ラインを組み直したが……それでもダメだったか?」
「基本的には大丈夫だって話だが……極めて長いスパンで見た時、最初にやられるのがここらしい。再発もするそうだ」
どちらのものとも取れないため息が聞こえます。
「この島の殆どのサンドスターとエネルギーが最初に回されるのがここだからな……食糧生産にも響くだろ、これ」
お父さんの言葉に同僚の方は悩んだように唸り声をあげました。
「対処法として、他所の島から回してもらうとか考えたらしいが……それも厳しい。時間がなさすぎる」
「だな。ここのサンドスターは埋蔵量も生産量も多くないからな。再利用の件は?」
同僚の方は何も言いませんが、お父さんの声からして、首を振ったのでしょう。
「そうか……何にしても時間がなさすぎる……」
「……ひとつ、対策案があるらしい」
「……あるのか? それがここに回ってきた理由か?」
同僚の方は返事をせず、しばらく黙ったままでした。
「なんだ、そんなに言いづらい方法か? ……あぁ、なるほどな」
お父さんの皮肉めいた言葉を受けて、意を決したような、深く息を吸い込む音が聞こえます。
「トーサカ、お前が何を考えてるか知らんが、多分、それだ」
お父さんは「ふん」と鼻を鳴らして言いました。
「フレンズを使うのか。代替として。死ぬぞ? 少なくとも、フレンズとしての意識は……。ふん」
その後の沈黙が、何よりもお父さんの正しさを証明していました。
「……もえにやってる方法の逆だな。わかりやすい。冷酷かもしれないが、妥当だと思うぞ」
「苦痛は、無いらしい。眠るように、だそうだ」
理屈の上では、そう付け加えて、同僚の方は黙り込みます。
「……ポッドをふたつ、ここに組み替えて置いておく。それと、五番研究所に予備をふたつ。マニュアル化した情報をラッキービースト各個体に記録する。それで良いか?」
お父さんの冷静な言葉に、同僚の方は震えるような声で返します。
「……頼めるか?」
「ああ。完璧に仕上げるさ。……こうなった以上、もえが生き延びる為に何でもする。何でも使う」
お父さんは少し間を開けて、自虐めいた笑い声をあげてから、言いました。
「……あの子は死なせてやったほうが良かったのかな。こんなことになるなら、いっそ。どう思う?」
長い沈黙の後に、声が聞こえました。
「……俺は、俺には、何も言えない」
「……八つ当たりして悪かった。……帰らせてもらうよ」
椅子が引かれる音がして、お父さんは部屋を出ようとしたのでしょう。
最後にお父さんは尋ねました。
「仮に、限界が訪れたとして、その兆候は? 予測で良い。記録しておかないと伝えられん」
かたかたとキーボードを叩く音がして、同僚の方が言いました。
「限界の時は、光が赤方偏移する。おそらく空が真っ赤に染まる、ってところだろう。その後に、気象操作機能が喪失する……。燃料切れってことだから……気象の異常は放って置いても最短で半年もあれば戻るそうだが、サンドスターの加工ラインにも影響が出かねないから、数年単位で機能喪失が継続する恐れもあるそうだ……」
お父さんは「ふむん」と興味深そうに言います。
「わかった。仕事は明日にでも取りかかる。他の部署にもそう伝えておいてくれ」
がちゃりと扉の閉まる音がして、音声は終わりました。
――――――
――――
――
音声が終わって、しばらくの間、ゴリラさんもわたしも言葉を発すること自体が躊躇われるかのように押し黙っていました。外では真っ赤な夕日が森に、地平に、沈みつつありました。
「……それで、俺にこれを聞かせて、何が言いたい?」
わたしの真意を伺うように彼女は尋ねます。
「ゴリラさん。行くんでしょう?」
「そりゃあな。それが、長としての最後の仕事だ」
わたしは何も言わず、彼女の言葉を待ちます。
「……俺がここで一番の年長者って言ったな。それは島で一番の年長者が順番に行ったからだ。そもそもフレンズの数は多くなかったが……頻発した時期もあったからな。巡り巡って、順番が来た。それだけだ」
どこか達観したような声で、彼女は言いました。
わたしはゴリラさんに尋ねます。
「……次は、誰ですか?」
言うかどうか、少しだけ悩んだようでしたが、ゴリラさんは茶化すように「お手上げだ」と呟きます。
「わかってそうな口ぶりだな」
わたしは肯定も否定もしませんでした。
「……ドードーだろうな。アイツが俺の次に年長だ。『長』っぽくは無いが……」
「終わりは、あるんですか」
「……」
ゴリラさんは答えませんでした。
「わたしに案があります」
ゴリラさんが「ほう」と小さく呟きます。もしかしたら、彼女はわたしが何を言いたいのかわかっているのかもしれません。
覚悟を決めて、わたしは口をゆっくりと開きました。