けものフレンズR ”わたし”の物語   作:むかいまや

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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9098445 より設定をお借りし、15話Bパート相当の物語を書きました。

20/06/20 改稿


15-2

 翌日。わたしは身を包む肌寒さに震え、目が覚めました。

 ベッドから出て、窓を覗くと、空はどんよりと曇っていて、身体が震えるくらい冷たい風が吹いていそうでした。気温も先日の夏のようなものとは異なり、秋か冬を感じさせるようなものなのでしょう。部屋の温度の低さがその何よりの証拠です。

 こういった唐突に訪れていた天気が、天候操作の不調に由来するものであることにわたしは気づきました。

「……不思議ではありましたけど……理屈がわかっても理解が出来ないと言うか、なんというか……」

 わたしは誰へとも無く呟いて、病院着を脱いで、着替えます。先日ゴリラさんが持ってきた紙袋の中には数着の服が入っていました。怪我の為に、以前来ていた服は穴が開いたり、汚れがひどかったりと、着られたものではなく、ゴリラさんが探して用意してくれたのだそうです。

「オーバーオール……懐かしい……」

 かつてわたしが着ていた服と同じものでした。他には目覚めてから着ていたものと同じベストなんかもありましたが、今日はそちらの気分では無く、オーバーオール。

「……イエイヌちゃんにも、話さないと」

 黒のシャツに通す腕が、どこなく重く感じました。

 結局、彼女にお話をするのが後回しになってしまいました。わたしの今考えていることは、何故だかイエイヌちゃんに話すのが躊躇われたのです。それに加えて、わたしの過去の重要な部分やイエイヌちゃん自身の過去についても……どうしても話す気にはなれないのです。

「……なんて言おう」

 『あたし』と一緒に居たイエイヌちゃんは、きっと違う存在です。

 それは、彼女自身が記憶を失っているという事もありますし、経過したであろう時間を考えると、同じ個体である筈が無い……そう考えてしまうからです。それらが明かした方が良いのかどうかという問題も、計画についても……話さなくてはならないと思えば思うほど、話すこと自体を避けてしまいます。

 シャツの中に入ってしまった後ろ髪を手で払い出してから、オーバーオールに足を通します。胸のボタンを留める頃には、どうしようかと迷う心から逃れるかのように「おトイレが面倒そうだな」なんていう他愛ない思考が去来していました。

「ともえ、オハヨウ」

 着替え終わるのを見計らったのか、ラッキービーストさんがわたしに声をかけました。

「はい、おはようございます」

 小さく会釈し、返事をします。

「キョウカラ、ジャパリまんヲ、タベテイイヨ」

 そう言うと、ラッキービーストさんは自分の隣に置かれたジャパリまんに視線を送りました。

「タリナクテモ、イッコネ」

 弱った消化器への負担を防ぐため……だそうです。

「はい。あ、用意してくれたんですね、ありがとうございます」

 ラッキービーストさんは会釈するように身体を捻りました。

 わたしは「いただきます」と小さく呟いて、ゆっくりと咀嚼しながら、ジャパリまんを頬張ります。そうしている間、わたしの頭には、イエイヌちゃんにどう説明したら良いのかという悩みでいっぱいになってしまいました。

「まだもう少し、あるかなぁ……」

 空を見て太陽の位置を確認しようとしましたが、厚い雲の所為で、ぼんやり光る存在が空にあることがわかるという程度で時間などわかりはしません。波打つような雲のうねりが太陽の威光に照らされて、陰を産み、真っ白な海を目の当たりにしているような、そんな空模様です。

 常ならば、光と影の芸術に感嘆の声を漏らしているのでしょうけれど、今のわたしは、重く苦しいような、そんな印象をどうしても受けてしまいました。

 食事を終えたわたしは、洗顔と歯磨きの為に洗面台へと向かいます。

 鏡を見ると、わたしの髪の色は十分なサンドスターを蓄えたことを示すように、緑色を帯びていて、瞳の色も青と赤の色味が入ったものへと変化していました。つい昨日までは爪の色すら戻っていなかったのに、あんまりに唐突です。

「急ですねぇ……まったく……」

 髪の毛をリボンで纏めながら呟きます。自分で自分を笑うような、自分で自分に驚いているような、そんな独り言でした。そんな奇妙な感覚は、独り言と一緒に、誰に受け取られることもなく冷たく静まり返った部屋に霧散していきました。

 

 朝の支度を終えて、ベッドに腰掛けると、窓の外を歩くイエイヌちゃんの姿が見えました。小さく手を振ると、彼女も微笑んで手を振替してくれます。寒さに震える様子もなく、元気そうなのは良いことなのですけれど……。あいにくの曇り空に、わたしはすこしだけ残念な気持ちを抱いてしまいます。

 程なくして、イエイヌちゃんが部屋へと入ってきました。

「おはようございますっ! ともえちゃん!」

「おはようございます、イエイヌちゃん」

 んへへーと楽しげな声を漏らしながら、イエイヌちゃんはベッドの脇の椅子に腰掛けます。そして、じいっとわたしの服装を眺めました。

「ふむむ……お洋服、変えたんですね……」

「えぇ、なんとなくですけどね……ゴリラさんが持ってきてくれたやつです」

 わたしは身体をひねるようにして、自分の服に変な所が無いか伺います。わたしの様子を見ながらイエイヌちゃんはうむうむという具合に頷いて、言いました。

「だから部屋にゴリラさんのニオイしたんですねぇ……可愛いです! ともえちゃん!」

 褒めてもらえると、やっぱり嬉しいですね。思わず笑みがこぼれちゃいます。

「どうかなーって思ってたんですけど、大丈夫そうですね。お褒め頂き光栄です」

 イエイヌちゃんは「いえいえー」と楽しそうに呟きました。そして、わたしの事を案じるように尋ねます。

「ところで、今日どうします? 寒いですけど……お体の具合とか……」

「そうですねぇ……」

 わたしは少し悩みました。身体の具合がどうなるのかも心配ですし、天気も崩れそうです。とは言え、お散歩日和とは言えないものの、ずっとここに座っているのも飽き飽きしちゃってますからねぇ……。

「うーん、お散歩はしたいんですけれど……長くは出ていられないかもですね……」

 少しだけ残念そうな顔を浮かべるイエイヌちゃんでしたけれど、すぐに表情を戻します。

「そうですかぁ……じゃあ少しだけ、ですかねぇ……」

「ですね……ごめんなさい、わたしの所為で……」

 わたしの言葉にイエイヌちゃんは首を振ります。

「いえ、お天気も悪いですし、ともえちゃんに無理はしてもらいたくないですし……仕方ないですって」

 わたしはもう一度「ごめんなさい」と返して、続けます。

「わたしはもう準備出来てます。イエイヌちゃんは――」

 準備万端と言わんばかりに立ち上がり、尻尾を振っていました。こころなしか小さく跳ねているようにさえ見えます。

「――じゃあ、行きましょうか」

 小さくくすりと微笑んで、わたしがそう言うと、イエイヌちゃんは「はい!」と大きな声で返事をしました。

 

 外はどことなく薄暗く感じられました。部屋から見えた森は間近で見ると鬱蒼と茂るようで、威圧感の様な物をさえ感じます。けれど、そのお陰か、イエイヌちゃんと繋いだ左手は今までよりも暖かで、凍えそうな身体をお互い寄せ合う様に近づけながらのお散歩となりました。

「うぅ……やっぱり寒いですねぇ……」

 イエイヌちゃんはわたしの顔を見て、自信ありげな笑みを浮かべます。

「私はこれくらいはへーきです!」

 ふふんと今にも声を漏らしそうなくらいウキウキとした表情です。

「イエイヌちゃんって寒い方が得意なんですか?」

 彼女はこくりと頷きます。

「ですねー……冬のほうが好きですし」

「なるほどぉ……そういうのもありそうですね……わたしは、春のほうが好きなので、やっぱり苦手なんですかね、寒いの」

 ふるりと身体を震わせながら言ったからか、イエイヌちゃんはわたしの左腕に身体をを絡みつかせる様にします。胸の鼓動が伝わるのでは無いかと思われるほど近づけられると、彼女の身体のほのかな柔らかさと熱に、わたしは離れがたい誘惑と気恥ずかしさを覚えました。

「ち、ちょっと、は、恥ずかしいですって……」

 イエイヌちゃんは、んふふーと上機嫌に鼻を鳴らしながらわたしを引っ張るように進みます。歩みはそこまで速い訳ではないので、追いつくのは容易でしたが、内心では急な動きに少しだけびっくりしてしまいました。

「ともえちゃん、行きましょ!」

 彼女が嬉しそうな表情を浮かべることに恥ずかしさも失せ、やむなしと諦めたわたしは、彼女に引かれるがまま、進みます。

 イエイヌちゃんは勝手知ったると言わんばかりに、迷いなく進んでいます。

「この辺り、探検でもしたんですか?」

 そんな様子を不思議に思い尋ねると、こくりと彼女は頷きます。

「お散歩楽しみだったので……えへへ……」

 まるでご飯をつまみ食いした事を注意された子供のような、照れと申し訳無さの相混じった表情。ただ、違う点があるとするのなら、彼女が「わたしとの散歩を我慢しきれなかった」ということに対してわたしが喜びを抱いていることでしょう。

「……まったく、楽しみは取っておかないとダメですよ」

 微笑みながらそう言うと、彼女はやっぱり笑みを浮かべました。

「こっちです、こっち」

 わたしの腕にイエイヌちゃんが顔をくっつけながら進む道は、寒空の下であろうと、寒風の中であろうと、薄明の中であろうと、わたしに取って明るく、暖かな道であることは確かでした。

 ずっとこうしていたい、というじっとりとした感傷の様な思いが込み上げます。それに気付いたわたしは、イエイヌちゃんと少し距離を取ろうとしたのですけれど、彼女はぐっと腕を押さえつけるようにして、より深く、強く、わたしの腕を抱きしめたのでした。

「そう言えば、ここって島のどの辺りでしたっけ……? ゴリラさんのおうちから少し行った所だそうですけど……」

 目覚めた翌日くらいに場所を教えてもらった筈ですけれど、こうして歩いて確認したこともなく、実感として場所を把握出来ていませんでした。

「そうですそうです。えぇっと――」

 イエイヌちゃんは指をわたし達の後ろの方へと示します。方角にして東でしょうか。

「――あっちの方に進めば、ゴリラさんのおうちがあって、曲がり角があって……そんな感じです」

 つまり、わたし達のお家から見ると、北へ進んで、別れ道を西へ進んで、その途中にゴリラさんの棲家があって、さらに進むとあそこに着くと言ったところでしょうか?

「なるほど……。あの……それだと、お家から結構な距離ありません?」

 わたしが聞き返すと、彼女は「んー」と考えるような声を出しました。

「道に沿って歩くと遠いですけど、林を……こう、びゅーんっと……」

 先程まで後ろを指していたイエイヌちゃんの指は林の周囲をなぞるようにひゅんと動いていました。

「あぁ、そういうことですか……」

 木立を抜けるのは、わたしにはしんどいでしょうけれど、彼女にとっては大したことが無い、というところでしょうか?

「あ! でですね……いいところ見つけたんです! さっきからそこに行こうかなって思ってまして……」

 探検をした彼女の方が、この辺りの地理には詳しいでしょうから、断る理由はありません。わたしだって、記憶が戻ったのですからまるで土地勘のない場所、ということも無いはずですが……どちらかと言えば道沿いの知識があるに過ぎません。それにもともと出不精のきらいがあった気もします。

「ほほう……楽しみですね……」

 評論家めいた奇妙な呟きに、小さく笑うイエイヌちゃんの声が返事をしました。

「すぐ着きますよー……あ、そこで林に入ってまっすぐです」

 彼女は眼の前の林の一点を指差します。そこは下草に切れ目が出来たかのように、道が踏み均されていました。よく見なければ見落としてしまいそうなくらいの脇道です。きっと、わたしひとりでしたら気づかないか、覚えていられないかしてしまうくらいささやかな細道で、イエイヌちゃんがそこに気付いてしっかりと覚えていることに感心してしまいました。

 

 わたし達はゆっくりと小路へと足を踏み入れます。

 何故かわたし達は周囲に誰かいないかどうかを確認するように周囲を伺いながら道を進んでいきました。もしかしたら、わたしとイエイヌちゃんのふたりで『秘密』を共有したいと思ってしまったからかもしれません。

 曇り空でただでさえ薄暗い為に、木陰の下は夕闇を思わせるような薄暗さでした。また、辺りには木の葉のざわめきが無いためか、わたし達が地面を踏みしめる音と、時折聞こえる甲高い虫の声が耳に入るくらいで、ひっそりとした不思議な空気に包まれています。

 わたし達はお互いに口を開かず、一歩一歩確かめるように道を進んでいました。イエイヌちゃんと言ったら、常よりもずっと注意をしているかのようです。薄暗さの為か、それとも静謐な空気の為か、はたまた、セルリアンを警戒しているのか……その理由はわたしにはわかりません。

 けれども、周囲に誰も居てほしくないと思う気持ちは、もしかしたらわたしと一緒かもしれません。わたし達ふたりだけの『秘密』。そう考えると、彼女との逢瀬の大切さが一層増すように思われました。

 

 まもなく、道が開けます。

 いくら曇り空と言えども、梢の薄暗がりから抜けるとなれば、眼がくらむのも当然。わたしは少しばかり目をしぱしぱと強めに瞬きしてしまいます。そして、視界の先の光景に、息を飲みました。

 目の前には、白い石のタイルが円形に敷かれた小さな広場とベンチ、そして、ベンチに面する様に佇む泉がありました。天を遮るものは何一つ無く、また、時間が止まったかの様に静まり返った場所でした。

 ……広場、と言うほどの広さは無いかも知れません。わたしの足でも数歩程度の広さですから、どちらかと言えば休憩所と呼び習わした方が適切かもしれません。それに、タイルはそこかしこがひび割れていて、頭を出している小さな草や、小石が挟まっていたりしましたので、手入れもされていない様子です。

 ベンチは木材で出来ているようで、塗装の剥げや、染みもありましたし、加えて苔が生えていたりしました。座る面は何らかの加工がされているのか、光沢の中に木目を主張していましたが、端の方などは欠けてしまっていて、そこだけ汚れが目立っていたりと、眺めているだけで経過した年月を考えてしまいます。

 けれど、それらの経過した時間こそが、この広場と林、そして泉との調和を成し遂げるに必要であったことは想像に難くありません。

 例えるならば、パステルカラーの背景に原色の絵の具を落としたようなもの、でしょうか? それが描かれた当初であれば、『浮いて』見えてしまう原色であったとしても、色あせていく内に、背景の淡い色合いに原色が近づいていき、同質化して違和感が消えていくような……。

 イエイヌちゃんはわたしの腕を軽く引いて、ベンチに座るように促します。わたしが彼女の指示に従ってベンチに座ると、彼女は小さく「よいしょ」と呟いて、隣に座りました。そして、お互いに自然とくっついて、泉を眺め始めました。

 泉には幾つかの浮き草のような葉っぱが浮いていることと、低めの柵で囲われているという点以外、目立った装いはしておりません。ただ、水がとても澄んでいて水底まで見ることができそうに思われましたし、また、静かに水を湛えるその様は、どこか気高さを示しています。それは、湧水の美しさや、泉が周囲の自然に溶け込んだ有様や、そういった理由の為かもしれません。

 けれどそういった自然の美に対しての感嘆の思いよりも、これだけの純粋さを誇らずに、ただあるだけの姿にわたしは羨ましさを抱いてしまいました。

「……きれいですね」

 わたしの言葉に、イエイヌちゃんが小さく「はい」と答えます。お互いに、それ以上の言葉を交わすこと無く、手を握ってくっついて座っていました。

 

 数分ほどして、イエイヌちゃんはわたしの手をぎゅっと強めに握りました。「どうしたのだろう?」とわたしがイエイヌちゃんの顔を伺うと、彼女はわたしの顔をじっと見つめていました。

「……隠し事、してますよね」

 どきりと胸が脈打ちました。

「ど、どういうことですか……そんなこと、してませんって……」

 わたしは空いている右手を自然と左腕に持っていき、きゅっと握りしめます。

「ほら、嘘付いてるじゃないですか……」

 イエイヌちゃんはわたしの眼から視線を逸らしません。その瞳は今までの親愛に満ちた優しげなものでも、セルリアンに襲われた時の敵意に満ちたものでも、ありませんでした。わたしの嘘を咎めようというものでした。

「へ……?」

 彼女はすうっと息を吸い込んでから、口を開きました。強く握られた手が震えているのは、彼女の覚悟の現れなのかも知れません。

「ともえちゃん。緊張したり、ごまかしたりすると、腕握るんです。知ってました?」

 わたしは何も言えず、呆然としてしまいます。心臓からじわりじわりと身体に広がって行く震えは、きっと罪悪感そのものでした。

「私は……そんなに、お役に立てませんか……?」

 咎めようという視線。それは間違いでした。本当は、わたしの力になることが出来ない事を嘆くものでした。

「……そんなこと、無いです」

「じゃあ、信用出来ないんですか?」

 わたしは首を振ります。けれど、イエイヌちゃんは表情を変えません。

「……ゴリラさんの代わりになるって、聞きました」

 びくりと身体が震えます。

「別に、良いです。理由も、聞いてます」

 へ? え……?

「あ……な、なんで……? 知って……?」

 わたしが言葉にならない疑問を投げかけても、彼女は答えず、けれど視線を逸らさず、わたしをじっと見つめます。

 

 永遠に感じられるほどの一瞬が過ぎて、彼女は口元を震わせながら言いました。

「前もそう」

 彼女の瞳が潤みます。

「その前もそう」

 彼女の瞳から雫がこぼれます。

「今度もそう」

 幾滴もの涙がベンチに落ちます。

「ずっとそう」

 彼女が両目を閉じると、瞳に貯まった悲しみが、全部こぼれ落ちます。

「なんで話してくれないんですかぁっ!」

 大きな声で叫んだ後、イエイヌちゃんはわたしの手を離して、立ち上がります。わたしは彼女の背中に掛ける言葉が思いつきませんでした。

「……ごめんなさい。ともえちゃんの言ってること、多分間違ってないのは知ってます」

 彼女はわたしに背中を向けて、来た道を戻り始めました。

「イ、イエイヌちゃん、待って……話す、話すから……」

 せめて、せめて時間をちょうだい……そう言いたかったのに、彼女は大きく頭を振りました。

「じぶんで、かかえこんで、つらいおもいして」

 嗚咽混じりに聞こえる声に、返事をしようとしても、声は出ません。わたしの喉は枯れてしまったようにさえ思えました。

「それを、となりで、……」

 鼻をすする音がしました。わたしは腕を伸ばして、彼女を引き止めようとします。けれど、その腕は空を切りました。

「みてるわたしのことも、かんがえてください」

 彼女はそう言って、林の中へ消えていきました。

 

 わたしは何も考えられず、ベンチに座っていました。悲しみや後悔、そういう思いすら抱けず、ただただ、泉を眺めていました。どれくらいの時間が経過したのか、それさえわかりません。

 そっと左手を動かして、イエイヌちゃんが座っていた場所に触れます。まだ温もりが残っているような気がして、まだ握ってくれる手がある気がして……けれど、そこには何もありません。

「……冷たいんですね」

 わたしは、立ち上がって、部屋へと戻ることにしました。

 

 

 

 部屋に戻ると、ドードーさんが居ました。

「こんにちわぁ」

 彼女は椅子に座って、んふんふと笑みを浮かべています。楽しげな彼女の様子に、どうしても心が痛みました。

「ドードーさん……こんにちは」

 わたしはベッドに座ります。

「今日は、どうしました?」

 彼女はわたしの様子を怪訝そうに見つめ、首を傾げます。

「んーとね、ゴリラちゃんから、話してもらえって言われたんだけどぉ……大丈夫? 具合悪いのぉ……?」

「あぁ、そういうことですか……ちょっと色々ありまして……その……」

 わたしは先程のイエイヌちゃんとのやり取りを思い出して、思わずドードーさんの顔から眼をそむけてしまいます。

「……お話、つらいなら、いいよぉ?」

 わたしは小さく首を振ります。心配そうな表情に罪悪感が込み上げてきます。あぁ、イエイヌちゃんはずっとそうやって居たんですね……。

「……天気の話です」

 ドードーさんは「はっ」と驚いた様に身体を小さく跳ねさせます。けれど、何も言わずに、わたしの言葉を待っているようでした。

「ゴリラさんの代わりに、わたしがカプセルに入って、サンドスターを使ってきます」

 彼女はゆっくりとわたしの言葉を飲み込んでから、尋ねます。

「ダメだって言っても、行くんでしょぉ? ともえちゃん、死んじゃわない?」

 普段と同じおっとりした口調で『死』という言葉が出てきたことに、言い知れぬ寒気を感じました。

 わたしは首を振り、彼女の言葉を否定します。

「わたしの身体の事を話さないとですね――」

 わたしはドードーさんにひとつずつ、説明しました。

 サンドスターが不足して、天気が安定しないという問題への対策はおそらくひとつ。それはフレンズの持つ『輝き』をエネルギーとして装置に充填するという方法。

 フレンズであれば『輝き』を失えば元の動物に戻ってしまうという現実。そして、わたしはフレンズさん達と同じように『輝き』やサンドスターのエネルギーを身体に蓄えている。

 けれど、フレンズさんと違うのは、それらを喪っても『元に戻る』ことも無ければ『死ぬ』ことも無いという点。つまり、わたしがフレンズさん達の代わりにカプセルに入っても何も問題はない。

「――そういうワケです」

 ドードーさんは頷いて、その後、首を振りました。

「……わたしは嫌だよぉ、そういうのぉ」

 はっきりとした否定。

「だと思いました」

 えへへ、と誤魔化す様に小さく笑ってから、続けます。

「それでも、誰かが居なくなったりするのは嫌ですし、わたしだって皆のお役に立ちたいんです」

 彼女はわたしの眼をじっと見つめて、質問しました。

「多分ともえちゃんのお話は間違ってないと思うんだけどぉ……隠してることなぁい?」

 上手く行き過ぎている……彼女はそう思ったのかも知れません。

「あはは……鋭いですね、みんな……」

 わたしの考えた計画は幾つか問題点がありました。

「わたしが入っても平気なのかっていう問題があります。色々記録を調べましたけど、フレンズさん用の機械ですから、あれは……。それと、わたしの身体に無理させ過ぎないかっていう心配。そして、仮に成功したとしてどれくらいの期間をカプセルに入っていることになるのか、っていうのも……」

 わたしは言葉を切って、一拍置きます。

「最後に……カプセルから出る時に、また記憶を無くしちゃうかもしれないっていう問題です」

 わたしが記憶をなくした理由がはっきりとしていれば、最後のひとつは否定出来たかも知れません。あの時の事故の衝撃で記憶を失ったのかもしれませんし、急激な『輝き』のやり取りの所為で記憶に失った――あるいは取り戻した――のかもしれません。何にせよ、過去と同じ状況が生まれかねないのです。記憶を失い、取り戻し、また失う。その可能性はどうしても避けられません。

「それ、イエイヌちゃんに話したぁ?」

 彼女の言葉には疑問以外の他意が一切込められていないのですけれど、今のわたしにはちくりと刺さるものでした。

「あー……それが……イエイヌちゃんに迫られて、答えられなくて……」

 彼女は顔をむっと膨らませます。

「やっぱりぃ……ここに来る途中でイエイヌちゃんに会ったけどぉ……だからかぁ……」

 わたしは返す言葉も無く、黙ってしまいました。

「ともえちゃんねぇ、甘え過ぎぃ。イエイヌちゃん、ずっと気にしてたんだよぉ?」

「甘え……そう、そうですよね……」

 ドードーさんは腕を組んで眉間にシワを寄せながら、語り始めました。

 イエイヌちゃんはドードーさんと出会ってから……特に、わたしがセントラルでイエイヌちゃんをかばってから、時折相談をしていたそうです。彼女は、わたしが隠し事や悩みを抱えて、それを自分に話してくれない事が悲しく、情けないと思っていた……。

「別にねぇ、わたしも気にしなくても良いんじゃない? って思ったよぉ。お友達でも話したくないことはあるし、秘密もあるんだって。イエイヌちゃんはともえちゃんのこと考えすぎだって言ったりもしたけどぉ……ともえちゃんはお話しなさすぎだと思うなぁ……」

 ドードーさんは少しだけ言葉に悩んだ様子を見せましたが、強く頷いて言いました。

「ともえちゃんは、全部自分だけでなんとかなるって思ってるぅ?」

「……そうかもしれません」

「なんとかなったとして、一緒に居てくれる子はそれで良いって言うと思う?」

 わたしは首を振ります。イエイヌちゃんから言われた言葉もありますが、「もしも逆だったら?」と考えると、ぞっとしたのです。

「じゃあ、なんで話さなかったのぉ?」

 彼女はそう尋ねて言葉を切りました。部屋には沈黙が訪れます。

 少しして、わたしは答えました。

「……イエイヌちゃんに心配をかけたくなかったんです。それに、引き止めるでしょうから。揺らいじゃう気がして……いつか、いつかは話さないと、とは思ってました。ですけど……今日……」

 不意打ちなんてズルいと思うのは、多分ワガママです。

 ドードーさんが、唐突にわたしに尋ねます。

「ねぇ、ともえちゃん。ここ出られる様になるのっていつ頃ぉ?」

 どうして今そんな事を聞くのだろう? とも思いましたが、彼女なりの考えがあるのでしょう。

「二週間って言われてましたけど……この具合なら早くなりそうな気も……」

 そう言って、ドードーさんの方を見ると、彼女はラッキービーストさんの方を指でつんつんと示していました。あぁ、なるほど、と合点がいきます。

「ラッキービーストさん。今日、もう帰ってもいいですか?」

 状況を知ってか知らずか、あっけらかんと彼は答えてくれました。

「……モウダイジョウブダヨ」

 予後を確認したいとのことで二週間と決めたが、ラッキービーストさんと一緒にお家に戻るのであれば、確認も可能なので大丈夫……とのことです。

 わたしは、ラッキービーストさんの言葉を聞いて、思わず立ち上がりました。ドードーさんが微笑みながら、わたしの様子を見ていましたが、それを気にする余裕はありませんでした。

 幾つかの荷物を紙袋と鞄に収めて、そして、ラッキービーストさんを小脇に抱えます。

「頑張ってねぇ、ともえちゃん。全部、話してあげてねぇ」

 隠し事はこの際無しね、そう念押しして、彼女は微笑みました。

「ありがとうございます、帰りますね。わたし……急でごめんなさい……」

 くすりと優しい音が聞こえました。

「ううん、そうするのが一番だものぉ。イエイヌちゃん、待ってると思うよぉ……気をつけてねぇ」

 彼女はひらひらと手を動かしながら、微笑んでいました。時折見せる、あの見守る様な微笑み。

 彼女の声を背中に受けて、わたしは勢いよく部屋を出ます。

 

 目指す先はお家です。わたしの、帰るべき場所へ帰るんです。待っていてくれた方がいた場所へ、待っていてくれる方がいる場所へ、道を東へ、わたしは向かいました。

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