けものフレンズR ”わたし”の物語   作:むかいまや

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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9098445 より設定をお借りし、物語を書きました。

ちょっとさっくりですけど、終わりです。
ありがとうございました。

20/06/20 改稿


終わり

 早朝。わたしは焦りのような感情から眼を覚まします。急ぐ必要はきっと無いのに、けれど、どうしても胸の鼓動が収まりません。わたしが彼処に……『あの場所』に向かう日が今日なのですから、それも仕方のないことなのかもしれません。

 わたしはまだ眠っているイエイヌちゃんを起こさないようにそっとベッドから抜け出ます。トイレへ行って、顔を洗って、歯を磨いて……普段の朝と変わらぬルーチンワークを意図的になぞりながら、気持ちを落ち着けようとします。

 わたしが朝の支度を済ませて尚、イエイヌちゃんは眠ったままでした。不思議と食欲は湧かず、けれど何かをお腹に入れたいという思いはありましたので、お湯を沸かしてハーブティーを飲むことにしました。一杯だけですので、さほど時間をかけずにハーブティーは淹れ終わり、椅子に腰掛けて、舐めるように飲みます。

 外の景色を見やると、一面の銀景色。昨晩に降り始めた雪は依然として降り続いており、また、ゆっくりと積もり重なって居ました。

 普段の青々とした景色はそこから無くなり、どこまでも続いていそうな雪原。窓から辛うじて覗く光景でさえ、薄っすらと陽光の残滓を反射し、煌めくようです。視線を徐々に遠くへと運んでいくと、地形の起伏に倣って波打つ様に積もった雪は広がっていました。辛うじて、先日までの景色を残しているのは林くらいのものですけれど、林の木々にも小さくちょこんと白い帽子がかかっています。

 そんな光景を前にして、わたしはため息をひとつ漏らします。それは、恨めしさや怒りの様な感情から来たものではありませんでした。それは、自然の生み出すモノ、それらが持つ美しさや壮大さ、儚さ……そう言った性質に対する憧れとも歓心とも言える、感嘆の思いから漏らしたため息でした。

「理由が理由じゃなければ、素直に喜べたんでしょうけど……」

 異様に低い空も、しっとりと湿った空気も、触れれば溶け去る雪の欠片も、緑を飾る白色も、鈍く輝く大地も、そのどれもが儚く、そして愛おしく、何よりも心奪われるような魅力を持っていました。

「これを飲んだら、行きましょうかね……」

 半分ほどハーブティーを飲み進めてから、ぼそりと呟きます。

 イエイヌちゃんに挨拶をしないで行くつもりは無かったのですけれど、いざ出発の時と考えると、悲しい別れになりかねないように感じられました。仮にそうならなかったとしても、わたしは後ろ髪を引かれる思いであの研究所に向かうでしょう。ですから、ひと言だけ告げて、お家を出ようと決めました。

 カップに口をつける頻度は、お茶の残りが減っていくにつれて、減っていきます。ひと口飲むごとに、彼女との別離が近づくような気がして……。けれど、最後のひと口を含んで、飲み込みます。

「……よし」

 わたしはそっと立ち上がり、ベッドで眠ったままのイエイヌちゃんの額にキスをします。彼女は「うぅん……」と声をあげ、寝返りを打ちました。わたしは彼女の頭をそっと撫でて、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でささやきます。

「行ってくるね、イエイヌちゃん」

 すると、彼女ははっと眼を覚ましました。

「! ……ぉはようございます……」

 とは言え、まだ寝ぼけ眼の様子。

「あぁ……起こしちゃいましたね、ごめんなさい」

 わたしの言葉にふあぁとあくびをひとつしてから、彼女は首を振ります。

「いえ……それよりも――」

 彼女は少しだけ微笑みを浮かべて、続けます。

「――今度は、ちゃんと言ってくれたんですね」

 そういうつもりでは無かったのですけれど……考えてみれば、以前のわたしであればそのまま家を抜け出ていそうな気もします。

 彼女にわたしも小さくほほえみ返しました。

「約束しましたもの」

 イエイヌちゃんはベッドから出て、わたしに尋ねます。

「もうちょっとだけ、待ってて貰っても大丈夫ですか……?」

「大丈夫だと思いますけど……どうでしょう……? ラッキービーストさん、大丈夫ですか?」

 わたしは枕元にそっと置いておいたラッキービーストさんに尋ねます。

「アト、ニジュウヨジカンは、ダイジョウブダヨ」

 わたしは彼に頷き返しました。

「平気そうですね……」

 イエイヌちゃんはわたしとラッキービーストさんのやり取りを見てから、洗面所に行きました。その間に、わたしは彼女にもハーブティーを用意しておくことにして、彼女が戻るのを待ちました。

 

 イエイヌちゃんが戻ってきてから、少しだけゆったりとした時間が訪れました。

 イエイヌちゃんはハーブティーの完成を待ちながら、外の景色をぼうっと眺めていて、わたしは外を眺めるイエイヌちゃんを眺めていて……そんな事をしている内にハーブティーの蒸らしが終わって、カップにお茶を注いで……ついでにわたしももう一杯。そんな風にして過ごしました。半刻も無い短い時間でしたけれど、ふたりきりで過ごす時間は、もうしばらく訪れないのかと思うと切ないような愛おしいような……。

 イエイヌちゃんはひと口、ふた口とお茶を飲んでいきます。

「ともえちゃんは、ご飯食べます?」

 わたしは首を振ります。

「お腹空いてないんですよね……緊張ですかね? えへへ……」

 わたしの言葉に、彼女は「うーん」と少しだけ考えます。

「じゃあ……私も食べないで、へーきです」

「大丈夫ですか? 結構歩くと思いますけど……」

 イエイヌちゃんはカップを傾けてから、小さく喉を動かします。

「平気ですってば、心配しすぎです」

 イエイヌちゃんはいたずらっぽくそう言って、笑います。わたしもハーブティーをひと口飲んでから、笑い返します。

「んー……寝てる時お腹鳴ってましたよ?」

 イエイヌちゃんはわたしの言葉に「本当ですか?」と聞き返しましたので、わたしはすぐに首を振って「冗談ですよ」と否定します。

 イエイヌちゃんは頬を膨らませて、少しだけ怒る素振り。けれど、すぐにお互いに小さくくすくすと笑い始めてしまいました。

 

 わたしも、イエイヌちゃんも気づけばカップの中身は空になっていました。けれど、お互いに気づかないフリをして、のんびりと降り積もる雪を眺めていました。

「……今度雪が降ったら、外で遊びましょう?」

 わたしの言葉に、イエイヌちゃんが楽しげに笑って頷きます。

「はい!」

「多分、半年もしたら冬ですから――」

 楽しみですね、とは言えませんでした。そのまま、わたしは口を閉ざしてしまいます。どうしても、今からの事を考えてしまうのです。

「……」

 イエイヌちゃんも何かを言おうとしましたが、言わずに黙り込みます。

 言葉を発することが気不味いような、未練のような、不思議な感情が部屋に満ちていました。わたしが最初に動かなければ、きっとこのまま足を止めてしまいそうでした。

「ねぇ、イエイヌちゃん」

 イエイヌちゃんはぴくりと耳を動かします。

「わたし、そろそろ行きますね」

 そう言って立ち上がると、イエイヌちゃんが言いました。

「……もうちょっとだけ、ダメですか……?」

 わたしはゆっくりと首を振ります。

「このままだと、行けなくなっちゃいます。だから、ごめんなさい」

 イエイヌちゃんは小さく「はい」と呟きました。

「わ、私も……一緒に……!」

「……途中までで良いですか? あの別れ道のところまで」

 それ以上一緒に居てしまえば、きっと辛い思いをさせてしまうでしょうし、わたしも辛いですから。

 そんな思いを知ってか知らずか、イエイヌちゃんはこくりと頷きます。

「行きましょ?」

 彼女は俯きながら、わたしの手をきゅっと握ります。そして、わたし達はお家を出ました。

 

 お家を出てから数分。苦心しながらわたし達は研究所への道を進みます。

 降り続ける大粒の雪は、地面に落ちるや否や雪原の一部へと掻き消えて行きます。普段ならば土道と草原の境界がはっきりと見て取れるのですけれど、積もった雪の為にその境界はわからなくなっていました。茫漠と広がる雪原は、ひっそりと静まり返っていて、どなたの足跡も見当たりません。

 わたしとイエイヌちゃんは、一緒に手をつないで、ゆっくりと足元を確認しながら歩きます。ぎゅっぎゅっという処女雪を踏みしめる音だけが、わたし達の間に広がっています。幸い、靴の中はまだ濡れていませんけれど、濡れてしまうのは時間の問題でしょう。

 歩いている内にどうしても肌寒くなってきてしまい、わたしは歩くペースを落としてイエイヌちゃんの腕を抱きかかえるように寄せます。彼女は抵抗もせず、わたしとイエイヌちゃんはぴったりとくっつきます。

「ともえちゃんの方からくっついてくるの、珍しいですね」

 イエイヌちゃんが言いました。彼女の声はそもそも大きいものでは無いのですけれど、降りしきる雪の為に、いつもよりも小さく聞こえました。

「周りにどなたもいませんから、こういうときくらい」

 わたしは一呼吸置いてから、続けます。

「それに、ロマンチックじゃないですか。降りしきる雪、一面の銀世界、大好きな人とふたりっきり……こういうときくらい、こういう事してもバチはあたりませんよ」

 イエイヌちゃんはわたしの言葉に不思議そうな表情を浮かべました。

「ろ、ろま……? ともえちゃんが言うなら、そういうことなんでしょうけど……」

 彼女にはわたしの言葉の半分くらいは伝わってなさそうです。

「んー……じゃあ宿題です。イエイヌちゃん」

 宿題、という言葉を彼女はわからないかもしれない……そう思っていたのですけれど、どうやらこの言葉の持つ強制力というか威圧感というか、そういうモノに気圧されているようでした。

「は、はい!」

「わたしが帰ってくるまでに、そうですねぇ……ゴリラさんと相談した上で、児童書くらいは読めるようになっていて下さい。わたしにそう言われたって話をすれば、色々教えてくれますよ、きっと」

 やっぱり彼女はきょとんとした顔を崩しません。けれど、使命感に燃え始めたように瞳が輝き始めました。

「わかりました! 任せて下さい!」

「……そんなにかしこまらなくてもいいのに」

 わたしがくすくすと笑いながらそう言うと、イエイヌちゃんは首を傾げます。

「わ、私、何かしちゃいました……?」

 わたしはゆっくりと首を振ります。

「いいえ、イエイヌちゃんらしいって、そういうお話です」

「そ、そうなんですかぁ……?」

「そうなんですよ、きっと」

 わたしはそこまで言って、足を止めます。気づけば別れ道の所まで、歩いて来ていたのです。

 イエイヌちゃんも、ふぅと息を吐いてから足を止めました。わたしは、イエイヌちゃんと繋いだ手をそっと離します。彼女の手が、名残惜しげに空を切りました。

「ここまでです。行ってきますね」

 イエイヌちゃんは、笑顔を浮かべていました。

「はい! 行ってらっしゃい! ともえちゃん!」

 元気よく紡ぎ出された彼女の言葉は、どうしても震えてしまっていましたけれど、ここ暫くの間で一番力のこもった声でした。

 わたしはこくりと頷いて、彼女に背中を向けて歩き始めます。数歩歩いてちらりと後ろを見ると、彼女はまだ居ました。きっと私の姿が見えなくなるまで居るのでしょう。

 そんな彼女を見ていると、悪戯心の様な思いがふつふつとやってきました。我慢できずに、わたしは急ぎ足で彼女の元へ行きます。

「えへへ、忘れ物です。眼、閉じて下さい?」

 彼女の表情は疑問に満ちていましたけれど、そっと眼を閉じてくれました。眉間にシワを寄せて「ん? え?」と慌てふためいていますけれど、構いやしません。彼女の睫毛が煌めいて、震えていて、髪に乗った雪の華が髪飾りの様に輝いていました。

「ふぇ……? な、何を……? ひゃっ!」

 わたしはイエイヌちゃんの肩に手をあてて、顔を近づけて……やることをやってやりました。多分、三秒くらい? それだけだったのに、彼女ったら、口元を抑えてあわあわして、顔を真っ赤にして……可愛らしいったらありません。

「じゃあ、今度こそ、行ってきますね」

 イエイヌちゃんは恥ずかしそうにこくりと頷きました。彼女と暫く会えなくなるのです。これくらいのワガママはどなたも許してくれるでしょう。そもそも、この場にはわたし達以外いませんけどね。

 そうしてわたしは道を振り返らず歩き始めます。道に迷いそうなくらい、目印のない周囲ですけれど、不思議なことに真っ直ぐに研究所に到着しました。

 

 正面玄関を前にして、扉の隣で赤色のランプが点灯する端末を覗き込みます。おそらく、今までならばラッキービーストさんが開けていたのでしょうけれど、時間が早すぎたのでしょうか? 深呼吸してから、考えておいた言葉を告げます。

「遠坂もえ、コードSM34862414。解錠願います」

 電子音がして、端末のランプが緑色に変わりました。扉の鍵が解除されたのでしょう。ゆっくりと扉を開き、中へと進みます。

 研究所の中は物音ひとつありません。外からの光がぼんやり差し込む程度の薄暗い廊下には、扉の横に備えられた端末の赤い光が幾つも輝いて居るばかりです。

 廊下を真っ直ぐ進んで、角をひとつ曲がると、そこに緑色のランプがひとつだけ煌めいていました。その扉の先が、これからわたしの眠る場所なのでしょう。確信めいた思いとともに、扉を開きます。

 中に入ると、明かりが自動的に点灯しました。そこには、ふたつのカプセルがありました。カプセルはそれぞれ幾つものケーブルに繋げられていて、ひとつは蓋が閉まっていて、もうひとつは蓋が押し上げられたように開いていました。わたしはそこで待機することにしました。ゴリラさんを説得したときに、ラッキービーストさんが来るか居るかすると聞いていましたので……。

 十分ほどすると、部屋にラッキービーストさんがやってきました。お家に来てくれたラッキービーストさんはお家に置きっぱなしにしてきてしまったので、別の方でしょう。

「ハヤカッタネ」

 彼は小さくお辞儀をするようにしてから言いました。わたしはそっとしゃがみこんで、彼の頭に積もった雪を払い落とします。

「……まぁ、こんな天気ですから、早い方が良いかなぁと思いまして……」

 わたしの言葉を尊重しているのか、していないのかはわかりませんけれど、ラッキービーストさんはわたしの言葉を聞き終わるまでじっとしていました。

 そして、彼はカプセルの隣に近寄ってから、段取りを説明し始めました。曰く、カプセルの中に入って眼を閉じるだけなのだそうです。

「――ソレト、クツハヌイデネ」

 ちょっとした注意に思わずくすりとしてしまいます。

「はい、わかりました」

 いそいそと靴を脱いで、カプセルの中に、わたしは横たわります。

「ツギニヒライタラ、ソノトキニメガサメルヨ。ソレデ、オワリ」

 わたしは頷きます。

「……お願いします」

「リョウカイ」

 そう言ってラッキービーストさんは何らかの指示を出しました。カプセルの蓋がしまり、密閉されます。ゆっくりと、けれどしっかりと、わたしは眼を閉じます。温かさに満ちた空気が部屋に満ちていくのがわかります。

 頭の中で、いろいろな思いがめぐります。

 イエイヌちゃんと出会ったこと、草原の色んなところを歩いて、フレンズさん達とお話したり、イエイヌちゃんの大好きな場所に行ったこと。海へ行き、泳いだこと。サバンナへ行き、競い合ったこと。図書館で画集を見つけて嬉しかったこと。セントラルへ行き、ヒトの名残に触れたこと。イエイヌちゃんを守れたこと。記憶を取り戻して尚、彼女の事を愛しいと思ったこと。そして、今朝のこと。

 そのどれもが、大切な思い出でした。そのどれもが、失いたくなんて無い思い出でした。もし、こんな問題が無かったら、こんな心配なんてせず、平穏な日常が続いたのかもしれません。

 やりたいことは、一杯あります。イエイヌちゃんと一緒に温泉に行きたいですし、山の方や島の西側なんかは行ったことがないので、そこも行ってみたいですね。クッキーを作るのも、楽しみです。リンゴがあるのですから、他の果物なんかも見つけられそうです。そしたら、色んなお菓子を作ってみたりもできそうですし、石窯を作れるのなら、それを使って色々できそうですから、頑張りたい所……。

 今ここに居るのは……やりたいことをやるため、未来を守るため。そう思っています。ですから、事が終わったら、イエイヌちゃんと一緒に、色んな事を――

 

 

 

 ――そして聞こえたのは、空気の抜ける音でした。その次に何かが動く音。わたしは、まだカプセルの中に居るべきなのではと思いましたけれど、身体に充満している気だるさの為に、身体を起こして伸びをします。

「う……ん……」

 カプセルの外から入ってくる空気は今までカプセルの中に充満していた空気とは異なって、少しばかりひんやりしていました。だからか、寝起きだと言うのに妙に意識ははっきりしてしまいましたし、いつだかと違って身体に力が入らない、なんてこともありません。

 わたしがそっとカプセルから出ようとして身体を動かすと、部屋の電気が点きました。周囲には誰もいません。けれど、枕元には花束が置いてあったり、怪我の治療中に使っていた吸引器が置いてあったりしました。吸引器の隣には、うねうねと癖のあるひらがなで「つかってくだちい」と書いてありました。あの子が持ってきてくれたのでしょう。

 わたしはそっと吸引器を取り、口につけます。中の蒸気を吸い込んで、吐き出して、そうして行く内に身体に力が取り戻されていくような気持ちになります。数口ほど吸引してから、機械をそっとあったように元にもどします。

「もう、終わったって……ことなんですかね……?」

 眼を閉じて、色々考えている内に意識がなくなって、また眼を覚ました。そういうことなのでしょう。そこでふと気づきます。

「記憶……あるんだ……」

 わたしは安堵の息を漏らします。

 そして、靴を履いている内に彼女からの手紙の意味することに気づきます。それは、彼女が自分で文字を書けるようになったということもそうですけれども、紙や文字がそこまで色あせていないということです。

「時間も、多分そんなに……」

 靴を履いて、カプセルを出ると、もう居ても立ってもいられなくなりました。今すぐにでもお家に帰って、イエイヌちゃんと会いたい……!

 駆け出そうとして、床に這っているケーブルに足を取られます。転ぶや否や、思わず「ぶへぇ」という奇妙な声を出してしまい、ひとりきまり悪い気持ちになります。……あの時は、もうちょっとお上品な声を出していたような……? まぁ、幸い怪我もしなかったので、良しとしましょう。少しくらいは落ち着いたほうが、良さそうですけれどもね……。

 立ち上がって、扉を開きます。吸引器でサンドスターを補給したお陰か、身体の力が抜けるようなこともなく、すんなりと廊下へと出ることが出来ました。

 外は、どうやら夜のようでした。ここに来た時は辛うじて外からの光も差し込んでいたので、薄暗い程度でしたけれど、今は明かりになるものは道沿いに並ぶ赤いランプだけです。注意を払いながら前に進むと、玄関に到着しました。鍵は施錠されて居ないようで、苦もなく外へと出ることが出来ました。

 

 視界に飛び込んできたのは果てしなく広がるように思われるほどの広大な草原でした。

「良かった……」

 わたしは、パークの為になれたのだということに、計画が成功していたことに、思わず涙を流します。そんな涙を、柔らかく暖かな風がそっと撫でます。その風は、わたしにそうしたように、木の葉を、草々を優しく撫でていて、全てを見つめるように輝く月が空に浮かんでいます。不意に草むらの青い匂いが鼻をつきました。

「……春……?」

 眠った頃は、夏だと思われましたので、少なくとも半年近くは眠っていたのでしょうか? 少しだけ考えて、わたしはそっと首を振ります。考えて足を止めるよりも、今はすぐにでもお家に向かいたいですから。

 道を歩くわたしの身体を、度々風が撫でます。わたしの後ろから、道を進めよと吹く、心地よい、暖かな風を、時折眼を閉じて堪能します。真っ黒の伸びた髪が風になびきました。

 土道の端っこに、小さな黄色い花が咲いていました。遠くから、りりりという虫のような鳴き声が聞こえます。透明感のある空気をいっぱいに吸い込みます。その全てが、愛おしく感じられました。

 

 ゆっくりと歩いて、歩いて……お家に着きました。

 電気はまだ点いています。イエイヌちゃんは、まだきっと起きているのでしょう。

 わたしはコンコンとノックをします。

「……はぁい、どなたですかぁ? ――!」

 わたしは何も言わず、ドアが開くのを待ちます。

 ドアが勢いよく開かれて、そして、その時はやってきました。

「ただいま、イエイヌちゃん」

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