自分で言うのも変なんですけど、このお話、広く一般に言う『けもフレR』なんですかね?どうなんでしょう……
20/06/09 改稿
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夕焼け空は、透き通るような夜空に変わっています。星々が煌き、少しだけ欠けた月が眠そうな瞳のように地上を照らしていました。微風に揺れる木の枝の音が、窓越しに微かに聞こえます。優しい夜でした。
ですが、おうちの中には、重苦しい空気が立ち込めていました。お互いに会話も少なく、また、わたしも、イエイヌさんも、お互いに物悲しい表情をしていたと思います。
わたしは、まだ良いのかもしれません。自分で旅をすべきであると判断し、その思考を実行に移すだけなのですから。また会える、そう信じて旅立つだけです。ですが、イエイヌさんはきっと違います。彼女がすべきことは『おうち』で待つこと。わたしと旅をすることではありません。彼女は(わたしの自惚れで無ければ)わたしと旅に出たいという思いと待たなければならないという思いと言う相反する感情に苦しんでいるのでしょう。
きっとイエイヌさんは付いて来いと言ったら喜んで旅に同行してくれると思います。ですが、それでは意味がありません。自らが自らに課した使命を捨てるように命令をすることも、そうしてもらおうとすることも、およそヒトの……いいえ、自我ある存在の意義に反します。自分で考え、自分で決めること。それが、心のある存在の意義であり義務です。わたしはそう思います。だから、どんなに寂しくても、どんなに辛くても、わたしはイエイヌさんに命令をすることも、同行してくれるように促すことも、してはいけないのです。わたしと彼女は上下関係にある訳でも無いのですから……。
「イエイヌさん。先に寝させていただきますね。おやすみなさい」
わたしがベッドに潜り込むと、イエイヌさんが続くようにして、そっとくっつくようにわたしの隣に横になります。
「ともえさん……少し、わがままを言っても良いですか?」
わたしはイエイヌさんと会話できることそれ自体が嬉しく思いました。
「はい、何でしょう?」
わたしはイエイヌさんの方を向きなおします。
「……前みたいに、ぎゅってしてください」
わたしは何も言わずにイエイヌさんを抱き寄せます。わたしが彼女を抱きしめる力よりも強く、イエイヌさんはわたしの胸に顔をうずめます。なんだかわたしの体の貧相さが申し訳なくなるような気もしますが……
「イエイヌさん? どうかしましたか?」
「いいえ、何でもありません……」
そういいながらも、彼女は顔をわたしの胸にこすり付けています。
「私は……ずっとともえさんと一緒にここに居られるんだって思ってたんです」
彼女は「勝手ですよね」と自嘲気味に加えて呟きます。
「……ありがとうございます。勝手なんかじゃありません。わたしはそう言ってもらえて嬉しいですよ。旅が終わったら、また戻ってきますから」
わたしはイエイヌさんの頭をそっと撫でます。柔らかな彼女の髪がわたしの頬をくすぐりました。
「むしろ……わたしはイエイヌさんにずっとお世話になっていてよかったのか疑問に思っていたくらいです」
これは本心からの言葉です。わたしが彼女と暮らすこと。それはわたしだって望むことです。ただ、いつまで彼女に甘えるようにして生きていくのか、生きていて良いのか、それが正しいことなのか疑問でしたし、申し訳なくも思えました。
「そんなこと……当然ですよ……」
鼻声で彼女は呟きました。イエイヌさんは、わたしとここで暮らすことを、少なくともわたしの近くで、可能ならばわたしと一緒に、生きて行きたいと思っていたのでしょう。
「イエイヌさんは優しいですね……」
彼女の思いはわたしにとって決して不快なものではありませんし、わたしがもう少し他者に甘えることを良しとする性格だったら、そうしていたのだと思います。
「ありがとうございます……ともえさんだって……」
会話はそれきりでした。お互いに会話を交わすことが嫌になった訳ではなく、お互いに言葉を交わさずとも良いという思いが共有されていたのだと思います。
暫くすると、イエイヌさんは気持ちが落ち着いたのか、寝息を立て始めました。わたしは小さく微笑んで、目を閉じます。
おやすみなさい。イエイヌさん。
目を閉じていると疑問が浮かびました。何故、イエイヌさんはわたしにこんなにも親切にしてくれて、わたしを受け入れてくれるのでしょうか?
仮にわたしが……例えばイエイヌさんと同じイヌのフレンズだったとして、彼女はわたしにしてくれたように、自分を投げ捨てるかの様なほどに、親切にしてくれたのでしょうか? わたしがこれまでに接してきたフレンズの皆さんは(多少の癖があったりはしますが)親切で優しい方でしたから、イエイヌさんも決して邪険に扱ったりなんかしないとは思います。
けれど、イエイヌさんがわたしにしてくれたこととわたしに望むことは何かが違う気がします。過剰だとか、やりすぎだとか……そういう次元です。わたしはそれが不快であったり、疎ましく思ったりということはまるでありませんが……。彼女の孤独感の裏返し、そう思ったこともあります。ですが、何か、何かが違うように思えてならないのです。
浮かんだ疑問にわたしなりに向き合おうと横になったまま考えていたのですが、段々とそれがわたしに取って重要な問題では無いのだと悟りました。
どういった意図、どういった思いがあってイエイヌさんはわたしに接していたのかということは、わたしに取って彼女がどういった性格の持ち主なのかを理解することの一助でしょうけれど、それはこれからの長い時間で知れば良いことです。
わたしがどれほど彼女の思いを考えたところで事実はわかりませんしね……まぁ、もしかしたら眠くなってしまっただけなのかもしれませんが……わたしの肩の上に乗っかったイエイヌさんの頭の重さ、その温もり、可愛らしい寝顔、嗅ぎ慣れた彼女の匂い、寝息の音。それら全てが、波立つようだったわたしの心をひららかにしていきます。この幸せにも似た喜びとは、もう少ししたらお別れなのです。
わたしがそれを決めました。ですが、お別れまでの短い間くらい、いいですよね。
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木立と言っても木々が密集していたり、草や蔦などがはびこっている訳ではありません。獣道とでも呼べばよいのか、下草の剥げた道が所々にありましたので、幸いなことに、わたし一人程度であれば大した苦労も無く進むことが出来そうです。
木々のお陰かひんやりとした空気に包まれながらわたしは歩みを進めます。ふと、木々の隙間の先に異様なものが跳ねていることに気付きます。まるっこい身体に果てしなく自然と乖離した青色をした小さな『何か』……あれが、セルリアンという存在でしょうか? もう少し近くによって確認しましょう。
一歩一歩慎重に『何か』に忍び寄ります。気付かれてしまっては身の危険さえあるのでしょうけれど、平穏な光景の中に切り取られたように真っ青な違和感の塊のようなその存在に対して、わたしはひどく興味をそそられていました。
四、五メートルほどの距離に近づくと、ありありとその姿を認識することが出来るようになります。楕円形の胴体に、同様の楕円がくっつくような形で耳のような部分や胴体のような部分が出来ており、ぴょこぴょこと跳ねるように移動していました。こうして無害なところから眺める分にはどこか可愛らしさも感じるのですけれども……不意にセルリアンがこちらに振り向きます。
「えっ」
気配を悟られてしまったということなのでしょうか? それの中心に据えられたひとつの目玉がわたしを凝視しています。わたしは、その一切の感情、思考を感じられない瞳に見据えられ、全身の血の気が引くような思いを抱きます。
確かに、それらの異常性と危険性をわたしは言葉として認識していました。『輝き』が奪われ、命の危険さえあるということ、種類があり大きいものほど危険であるということ、打ち倒すためには身体に弱点のように存在する「いし」を破壊しなくてはならないということ。そういった簡潔な知識は確かにあったのです。
しかし、現実にそれらと直面するということは、わたしに想像していた以上の恐怖と違和感とを与えました。
「あ……えっ……え?」
思わず後ずさりしようとしましたが、木の根に足を引っ掛けて転んでしまいました。
「やっ、やぁっ……」
そのまま必死にわたしは這い下がりますが、木の根や石、地面の隆起の為に上手く進むことが出来ません。腰が抜けてしまったということもあるのでしょう。『それ』はじっとわたしのことを見つめていましたが、わたしが抵抗できない事を悟ったのかぴょこり、ぴょこりと跳ねるようにしてゆっくりとこちらに擦り寄ってきます。
「やめっ……こ、来ないでぇっ……」
頭が真っ白になります。
一歩、二歩、ゆっくりと近づいてくる『それ』。その瞳は依然として無機質で、却ってわたしの恐怖心を煽り立てるもののように思われました。
もう、手を伸ばせば『それ』に触ることが出来る距離です。
ぴょんっと『それ』は大きく跳ねました。反射的ににわたしは目を閉じて顔を背けます。しかし、わたしの身体は何らの痛みも感触も覚えません。わたしは疑問を抱き、目を開きます。そこに居たはずの『それ』が居なくなっていることを願って……
わたしの眼前に無機質な白色と黒色で出来たひとつの大きな目がありました。
「――――っ!」
声にならない叫び声を上げます。恐怖で意識を手放しそうにさえなりました。じいっとわたしの顔を覗き込むセルリアン。その瞳が無機質であることに変わりはありませんが、わたしには理不尽な恐怖でなぶることを楽しむようにさえ思えました。
あぁ――イエイヌさん――
甲高い笛の音が大気を震わせます。その音に驚いたのか、或いはわたしの仲間が訪れたと考えたのか、セルリアンはわたしを飛び越えるように大きく跳ねて木立の中に逃げて行きました。わたしは危機が去ったことの安堵から、全身の力が抜けてしまいます。「はふぅ」なんて情け無い声も出てしまいました。
「大丈夫ですか!」
聞いたことの無い声。どなたでしょうか? いいえ、そんなことよりも助けていただいたことを感謝しなくては……彼女はわたしに駆け寄り、手を差し伸べます。
「あ……ありがとうございます……」
彼女の助けを借りて立ち上がります。改めて彼女の姿を見ます。白と茶色の髪に黒色の前髪が軽くカールしたように曲がっており、後頭部には翼を思わせる様に跳ねた髪の毛が一対あり、首からは先程使ったのであろう笛が下がっています。ピンク色のエプロンの下には茶色をベースにしたシャツと白色のタイトスカート、オレンジ色のストッキングと同じ色合いの靴を履いている少女です。外見は幼い印象を受けますが、纏う雰囲気はエプロンのお陰かお姉さんとも呼べるような具合です。
「怪我はありませんか?」
彼女はそう言いながらわたしのお尻に付いた土汚れを軽く叩き落としてくれました。
「す、すいません……」
下着を汚さず済んだのは不幸中の幸いでしょう。
「小さいセルリアンとはいえ危険には変わりませんからね……無事で何よりですよー」
彼女はそういいながらにっこり笑いましたが、すぐに不思議そうな顔になります。
「そういえば、初めましてですかね……わたしはカルガモです、初めまして」
カルガモさんは再びにっこりと笑います。
「本当にありがとうございます……助かりました……。えぇっと、わたしはともえです。よろしくお願いしますね、カルガモさん」
彼女はいえいえと首を振って言いました。
「ところでともえさん、どうしてあなたはこんなところに?」
当然の疑問です。彼女に事情を説明しましょう。イエイヌさんのことは、なんだか気後れしてしまって話せませんが……。
ある程度事情を説明すると、カルガモさんは呟きます。
「なるほどなるほど……うみべちほーにひとり旅ですか……タイヘンですねぇ……」
ひとまず川の方に行きましょう、とカルガモさんが先導する形でわたし達は進み始めます。その途中、彼女はそう言って自分の話をしてくれました。お友達に会うためにこの辺りから離れていたそうです。その帰り道に川へ向っていく途中でわたしを見つけたそうです。
会話をしながら歩いていた所為か、意識が散漫になっていたようです。わたしはカルガモさんから注意の言葉を受けます。
「あ! ともえさん! ぼうっとしてないで、ちゃんと前向いて歩きましょうね」
彼女の言葉を聞いて、足元を見てみると木の根っこが隆起していて、ひっかかってしまいそうな状況でした。
ごめんなさいと手を後頭部にやりながら謝罪すると、カルガモさんは続けて言いました。
「一寸先は闇。何が起こるかわかりませんからね! 気をつけて進みましょう!」
何というか……しっかりした方ですねぇ……
暫く進むと、綺麗な小川が目に入りました。さらさらと流れる水は澄んでいて、木の枝や木の葉が幾つか川面を漂い過ぎ行きましたが、周囲にも、また川の中にも人工物の類は見当たりません。口に含めばきっと美味しい、そう思えてしまうくらいの清浄さを密やかに煌めかせていました。
わたしは先程の出来事の所為か、喉の乾きをずっと忘れていたのですけれど、現実に水があると認識してしまうと、以前よりもずっと強く水を求めるような渇きを感じてしまいました。
「到着でーすっ」
カルガモさんがばんざいのポーズをします。わたしは思わずくすりと笑ってしまいました。
「ありがとうございます、カルガモさん」
「どういたしまして。ささ、飲みましょ飲みましょ」
彼女は早歩きで川の流れに顔を近づけ、水を飲み始めました。わたしは手を軽く流れに晒しすすぎます。川の水はわたしの想像よりもずっと冷たく、思わず手をさっと引いてしまいそうになる程でした。わたしはぐっと覚悟を決め、両手で水をすくい、顔を洗います。
「ちべたい……」
そっと呟きます。どうやらカルガモさんに聞こえていたようで、彼女の方を見るとくすりと笑う様子が目に入ります。非常に冷たい水ですが、汗や疲労を流し落とすという意味では最高の温度です。
続けてひと口分を手にすくって飲んでみます。喉が渇いていたからか、それとも純粋な水の美味しさか、それはわかりませんが、人間……いえ、生きとし生けるもの全て、この清涼なひと口の水程美味しいものを口にすることが出来るでしょうか……なんていう感動さえ抱いてしまいました。
「ふぅ……」
思わず息をつきます。どうやら結構な勢いでがぶがぶと水を飲んでいたようで、口元や胸元が水で濡れています。
「そういえば、ともえさんはうみべちほーへの道わかります?」
イエイヌさんから話は聞いています。わたしは指で方向を示しながら答えます。
「この林の手前の道を進んで……右側に進むんですよね?」
わたしの答えを聞いてカルガモさんはうんうんと頷きます。
「そうですそうです。道を間違えると大変ですからね。あっちも面白いものは沢山ありそうけど……危ないって噂ですので」
「へぇ……そんなところが……いつか行ってみたいくらいです」
危険、と言われた所に行ってみたいというのも無謀な気がしましたが、けれど好奇心は止みません。
彼女は見かねたように、ふふっと笑います。
「それでしたら……どなたかと一緒の方が良いと思いますよ? その時は呼んでくださいね、私も興味ありますし」
少しだけ期待感に似た感情が胸に沸きます。もちろん、そんな未来が訪れるのはいつになるやら、と思いますが。
わたしは川辺に座り込みます。少しのんびりしたらまた出発するとしましょう。このひんやりとした空気も、耳をくすぐるせせらぎも、何もかもが愛おしく思えました。先程、危険な目にあったばかりですから呑気に過ぎます。それに、自然に囲まれた生活というのも、目覚めてからは別段珍しいものでは無いはずなんですけれどね……。
十分ほどでしょうか、カルガモさんと休憩していました。
「さて、と……わたしは出発しますね」
わたしの声に応じるようにカルガモさんが言います。
「途中までご案内しましょうか?」
「いえ、申し訳ないですから……」
彼女はすこし残念そうにして「そうですか……」と呟きます。なんだか申し出を断るのが申し訳ないという不思議な状況な気がしますが……そうだ。
「折角なので……ちょっと、いいですか?」
どうぞどうぞと促すカルガモさん。助けてもらったばかりでなく、お願いまでしてしまって……本当にありがたいというか申し訳ないというか……
「そのぅ……頭の……羽根? をですね……そのー……触らせて……」
節目がちにわたしは言いました。もしかしたら羽根を触らせてという言葉は鳥のフレンズさんにとってお尻触らせてと同じくらい無礼なお願いかもしれませんし……わたしの言葉を聴いたカルガモさんはくすっと笑います。
「お安い御用ですよー、はい、どうぞ!」
彼女はわたしに障りやすいようにと中腰になって、頭を差し出します。では失礼しましょう。
「おぉ……これは……? ほっほぅ……なるほどなるほど……」
髪の毛のような柔らかさはもちろんあるのですけれど、わたしやイエイヌさんのそれとは違って、つるつるとした触り心地です。それになにより……軽い! 驚きです。
「あ、あの、ともえさん?」
わたしが彼女の羽根の下から手を差し入れほわほわと持ち上げるように楽しんでいるところでしたが、彼女から注意を受けます。
「くすぐったいです……」
「あっ、あぁ……ご、ごめんなさい……カルガモさん……」
どうも夢中になりすぎていたようです。
「もうひとつだけ、いいですか?」
カルガモさんは訝しげな顔で言います。
「おさわりはダメですよ?」
「本当にごめんなさい……確認なんですけれども、カルガモさんってロバさんがジャパリまんを配っている広場の辺りに住んでるんですよね?」
「ええ、そうですそうです。あの広場から少し外れたところの川辺によく居ますよー」
でしたら大丈夫でしょう。
「広場の近くにイエイヌというフレンズが居るんですけれども――」
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わたしが翌朝目が覚めると、隣に眠っていたはずのイエイヌさんが居ませんでした。むにゃむにゃと目を擦りながら周囲を見回しましたが、彼女の姿は見当たりません。あれれとわたしは首を捻ります。
「それはそれとして……」
わたしはベッドから出て顔を洗い、支度を始めます。今日のお昼前くらいに出発できる程度には準備しておきましょう。今日出るとはっきり決めた訳では無いですが、思い立ったら吉日、というヤツです。それに……
「一緒に居れば居ただけ、辛くなる……」
思わず呟きます。その言葉が無性にわたしの心をちくりと刺すように感じられました。
それでも、わたしは前に進まなくてはならない。そう思います。そして、彼女はここに残らなくてはならないと強く感じている。それはつまり、わたしは彼女と離れなくてはいけないということ。改めて考えると、わたしのわがままさを強く感じます。彼女は許してくれるでしょうか? 考えるだけ無駄なのかもしれませんが、離れ離れになるという悲しい現実に、心がしおれてしまったのでしょう。頭に浮かぶのは悲しいことばかり。頭を振っても、顔をもう一度洗っても、寂しげな思いは胸の中にずっと漂い続けていました。
スケッチブックと、色鉛筆。クローゼットの中の肌着とシャツを二組……えぇっと、タオルを二、三枚ほど……そんな風に持ち物を確認したり鞄に押し込んだりしていると、おうちのドアがそっと開きました。
「戻りました、ともえさん」
イエイヌさんが帰ってきたようです。彼女の声は寝ているかもしれないわたしを気遣ったのか、小さな声でしたが、どこか悲しげな声色でした。
「おはようございます、イエイヌさん。ジャパリまんを貰ってきたんですか? わたしも一緒に行ったのに……」
わたしは作業の手を止めて言います。
「どうせともえさんの事です。今日中に出発するつもりなんでしょう?」
イエイヌさんは呆れたような声で続けます。
「最後くらいのんびりしてください。ねっ?」
彼女の口調は何時にもまして大人びているように聞こえました。というか、わたしってそんなに考えを曲げないように見えていたのでしょうか?
「気持ちは嬉しいんですけれど……わたしってそんなに頑固ですか?」
わたしの質問に彼女は軽く笑います。
「いつもじゃないですけど……時々?」
ははぁ……良く見ていらっしゃる……自分でも気付かなかったですよ……。
「えぇっ……? 例えばどんなときですか……」
つい聞いてしまいますが、彼女は再び笑って言いました。
「秘密です」
「教えてくださいよぉ……」
わたしはそう言って、イエイヌさんに近づきます。
「ダメです。恥ずかしいですもの」
恥ずかしい、とは……一体……? こうなれば強硬手段です。
「わっ、や、やめてくだ……わふっ」
困ったらくすぐるのです。そう決まっています。
逃げるイエイヌさんを追い詰めるようにベッドの方へ移動していきます。わたしに押し倒されるようにして彼女はベッドに寝転がります。と、瞬間、イエイヌさんは寝転がった勢いを利用し、わたしに馬乗りになりました。ちょうど体勢が入れ替わった形です。
わたしは仰向けになって恐る恐るイエイヌさんの顔を見上げます。すると、彼女はふふんと鼻を鳴らして言いました。楽しげで満足そうな表情が彼女の顔に浮かんでいました。
「おかえしです!」
「ちょっとイエイヌさん? や、きゃあっ」
暫くの間くすぐったりくすぐられたり……きゃあきゃあとふたりして声を上げていました。
お互いの手は不意に止まりました。わたしが彼女の上側に居て、彼女はわたしの目をじっと見つめています。少しだけ荒くなったお互いの息遣いだけがわたしの耳に入ります。
「……イエイヌさん。もう少ししたら、出発します」
わたしにはわかりました。この機会を逃したら、多分、もう、ここを発つことはできません。余りにもこの生活は素敵過ぎます。こうして彼女とふたり楽しく暮らすことが出来るという砂糖の様に甘い夢が心を支配するよりも前に、ここを立ち去らなくてはなりません。
わたしは彼女の意志を曲げたくないですし、わたしの過去を、真実を、投げ打ってでも彼女とここで暮らすことを選んでしまうでしょう。もう既にわたしの心の中には『そうしてしまいたい』と切なく求めるわたしが居るのです。
「……だと思いました」
彼女は微笑むようにして言います。
「ちょっと、いいですか?」
イエイヌさんはわたしの下から抜け出して、別の部屋に行きます。戻ってきた彼女が手にしていたのは水筒でした。
「旅をするなら、役に立つでしょうから……」
わたしに水筒を手渡して、彼女は続けます。
「それと、皆さんに聞いていたのですけれど――」
それは彼女が他のフレンズさん達から聞いてきたという周辺の地理について。その情報のひとつひとつは小さなものでしたが、確かな情報でしょうし、何よりも実際に生きてきたフレンズさん達が教えてくれた、大切な知恵です。
「……ありがとうございます。イエイヌさん」
わたしは何故だか涙が出そうになりました。
「この為に早く起きたんですか……?」
えへへという表情で彼女はこくりと頷きます。
「ちょっと急だったのでお役に立てるほど皆さんにお話を聞けたかわかりませんが……」
遠慮がちにそういう彼女でしたが、わたしはそういった情報だとか、地理だとかと言ったことには意識を向けていませんでした。きっとどうにかなると思っていたというのもありますが、自分のことでいっぱいいっぱいになっていたのかもしれません。
「本当に、本当にありがとうございます。……結局……お世話になってばかりでしたね、わたし」
イエイヌさんは首を振ります。
「私がそうしたいからそうしただけですよ、ともえさん。私はあなたのお役に立ちたかったんです。どうしてかは……判りませんけど……もしかしたら、私が『イエイヌ』だからかもしれませんね」
照れたように頭を掻くイエイヌさん。彼女は、『イエイヌ』という種が、ヒトという種に取っての最も古くからの種を渡っての友、そう言いたいのでしょうか?
それはある意味で正解だと思います。けれど、わたしはあえて、そうは言いたくありません。種としてどうこうというのは、フレンズという存在にとって、恐らく重要な事実であり、もしかしたら彼女達の根幹を成すのかもしれません。けれど……
「いいえ、違いますよ。きっと、あなただから、ですよ」
ちょっと恥ずかしい台詞だったので、しっかりとイエイヌさんの顔を見ることはできませんでした。
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カルガモさんが先導する形で木立を抜けて、道に戻ります。
「ここまでですね……ともえさん! では、お気をつけて!」
彼女は手を振りながらわたしに背を向けて歩き始めます。
「カルガモさん! 本当にありがとうございました!」
わたしはペコリとお辞儀をしながら伝えます。彼女はわたしの声に応じるように振り向いて、改めて手を振ってくれました。
「伝言、忘れませんからねー任せてください!」
わたしは彼女に「お願いしますねー」と大きな声で答えます。暫くすると彼女はパタパタと頭の羽根を動かして空に飛び立ちます。再び彼女はくるりと後ろに振り返り、手を振ってくれました。その後、彼女はゆっくりとした速度で空を飛んで行ったのでした。