入学して間もなく、あなたの噂を耳にしました。
そのときからずっと気になっていました。けれど、その感情が具体的にどういったものなのかは、未熟なわたしにはさっぱりで。
遠目に見つめるだけでした。
密かに憧れるばかりでした。
ねぇ、先輩。
あのとき、わたしとあなたとの間に見えた糸。色は……わからなかったのだけど。
運命の糸だった、って。
そう、思ったんです。
◇ ◇
「あれが
放課後。多くの生徒が部活動に励んでいる中、
お目当ての岡崎先輩は、野球部に所属する二年生。加西先輩の同級生であり、想い人でもある人物だった。
「うん。どう……かな?」
「ん~、もう少し近くに……」
「も、もっとぉ?」
今にも泣きだしてしまいそうな、情けない声をあげる加西先輩。こればっかりは致し方ないので、潔く諦めていただく他無い。
現在の有効範囲は、せいぜい五メートル程度。対象同士がそのぐらいまで近づいてくれないと、見えないのだから。
「む? ラッキーです、こっちに来ます」
交代なのか、守備位置についていた岡崎先輩がこちらへ走ってくる。
「えっ、ウソでしょぉ……!?」
慌てふためく加西先輩。これでは必要以上に目立ってしまう。
「ダメですよ。自然にしててください、自然に」
心中お察しするが、「なるべく相手には気づかれないようにお願い」と言い出したのは加西先輩の方だ。もう少しだけ頑張って耐えてほしい。
「うぅ~……」
距離が近づくにつれて、岡崎先輩の顔もはっきりと視認できるようになる。外したキャップの下に見えたのは、いかにも野球部らしいさっぱりとした短髪で、汗の
綾音は震える加西先輩の手を引いて、じりじりと二人の距離を詰めていく。目標距離まで、およそ……五歩ほどだろうか。
はやる気持ちを抑えつつ、一歩、二歩、三歩。
すると突如として、『それ』は現れる。
「……おっ」
見えた。
それは綾音の目にしか映らず、ぼんやりと幻想的な光を
加西先輩と岡崎先輩とを結んでいたのは、『赤い糸』だった。
期待の眼差しで見守っている加西先輩へ向け、静かに親指を立てて見せる。作戦完了の合図。
わかりやすいほどに目を輝かせ、叫び出してしまいそうな加西先輩。綾音は人差し指を自らの口に当ててみせ、「お静かに」と無言のジェスチャーで告げる。
はっとして両手で口を押さえた加西先輩を促して少し歩き、ある程度グラウンドから離れた辺りで切り出した。
「ちゃーんと結ばれてますよ。問題なっしんぐです」
「はぁ~……よ、よかったぁ……」
ずっと呼吸もまともにできなかったのだろう。加西先輩は安心した様子でため息を吐いた。
「話には聞いてたけど……ほんと、すぐ終わるんだね」
「そですか? これはこれで、なかなかお手間を取らせてしまってるように感じておりますが」
「まぁ、確かに私には別の意味でけっこーしんどかったけど。占いっていうからさ。生年月日を聞いたり、手相を見たり、もっと色々するのかと思ってたよ」
「そこらへんの必要な情報は、まぁ、ある程度はあらかじめ抑えてありますので」
これは半分は嘘ではあるが、まったくの嘘というわけでもない。
綾音には他者の情報や噂話などを集める趣味もあった。たとえば加西先輩なら、お菓子作りに関しては校内随一だと、もっぱらの評判だったりする。
「へぇ~。なんだか綾音ちゃんが本物の占い師さんに見えてきたよ」
「これはこれは、嬉しいお言葉を。占い師を名乗っちゃってもいい感じですか、わたし」
「うん、いいと思う」
冗談で言ったつもりが、加西先輩の大真面目な表情に危うく吹き出しそうになる。
「でも綾音ちゃんの占いってさ、具体的にどんなことから判断してるの?」
「ふふん。それは企業秘密なのです」
実際のところは『糸』の有無を見るだけなのだが、そのことはあまり広めたくない。
綾音の想像が正しければ、それはありがたい『能力』などではなく、よからぬ『症状』なのだから。
「えー、けちぃ」
ぷくーっと頰を膨らませる加西先輩。どう見ても怒っているのではなく、単にふざけて拗ねているだけだ。
「ただ、慢心はしないでくださいね。これはあくまで『占い』でしかないので」
「わかってるよ。でもよく当たるって評判だし、こういうのが有るのと無いのじゃ全然気持ちが違うから」
こくりと大きく頷く加西先輩。次の瞬間には、何とも晴れやかな笑顔に変わっていた。
「ありがとね、綾音ちゃん。おかげで勇気でた、すっごく」
「いえいえ。健闘をお祈りしてます」
「上手くいったら、また改めてお礼しにいくね!」
加西先輩は大きく手を振り、元気よく駆け出していく。先輩に対する表現としては失礼かもしれないが、かわいらしい人だと思った。
綾音はしみじみと首を上下させる。子の巣立ちを見送る親心とは、きっとこんな感じなのかもしれない。さすがにこの後すぐという訳ではないだろうが、彼女は近日中に踏み切るはずだ。
岡崎先輩への、告白に。
念のために慢心はするなと忠告しておいたが、失敗することはないと思っている。これまで二桁を越える依頼人を見送ってきたが、例外なく成功報告をしにきてくれたし、その中の誰かが破局したという話も聞かない。そのぐらい、綾音に見える『糸』の効力は折り紙つきだった。
それは誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、『運命の赤い糸』の伝説にも
「や、綾音」
ぼんやりと歩いていたら、よく聞き覚えのある声がした。なんとも綾音らしいのんびりとした動作で、そちらへと身体ごと向き直る。するとそこには同じ一年二組であり、唯一無二の親友でもある、
「む。恭子ちゃん」
「どうだったの、首尾は?」
「うん。ばっちぐーでした」
「おー、すっかり占い師が板についてきたみたいだねぇ。感心、感心」
そう言った恭子も、すっかり慣れた手つきで頭を撫でてくる。恭子にとって、綾音は愛玩動物のようなものらしい。別に嫌じゃないので何も文句は無い。むしろ大歓迎だ。もっと頻繁に褒められたいし、もっと素直に甘えたいぐらい。
恭子とはこの学校、県立峰ヶ原高等学校に入学してからの付き合いだ。
かれこれ半年ほどでしかないが、度々それよりもはるかに長い時間を共にしてきたような錯覚をしてしまう。中学時代までは独りでいることの多かった綾音に事あるごとに構ってくれて、それでいて息苦しさを一切感じさせない絶妙な距離感で接してくれていた。
同学年でありながらも包容力があり、頼りになる。まるで姉のような、下手をすれば母のような存在だった。
そんな恭子にだからこそ、綾音に見える『糸』のことも、当然のごとく話した。
初めて言葉を交わしてから一ヶ月ほどが経った、ある日の昼休み。この不思議な現象に関して、恭子ならばどのような感想を抱き、どのような見解を示すのか。そんな興味本位から、まるで世間話でもするかのような軽いノリで話をした。
「へぇ、なに? あんたって霊感かなんかある感じ?」
「ん~、それに近い感じなのかもしれません」
正直さっぱりわからなかったので、
ただ、一番『それっぽい』候補となる現象の名は、綾音の中ではほぼ定まっていた。
しかしそうだと確定したわけでもないし、さすがに『その名』を口に出すのは、いくら恭子であろうと一笑に付される可能性が高いので、この場ではまだ黙っておく。
「あたしは羨ましいと思っちゃうけどな、正直」
「うらやましい……ですか?」
「べつに害があるわけでもないんでしょ? なら、何もないよかお得感あるじゃん」
「はぁ……」
お得と言われても、いまいちピンとこない。綾音からすれば「目に楽しい」というぐらいで、利用価値があるとは思えなかった。
「人と人の関係性が、目に見える糸として現れる……ねえ」
唸りつつ、何やら考え込む恭子。
綾音の心境を見透かしてのことだろう。たとえばどのような使い道があるだろうかと、真剣に悩んでくれている。
その間、綾音はじっと恭子を見つめる。
一緒になって考え込む気などさらさら無い。恭子の方が早く閃くことが明々白々なので、とぼしい脳細胞を酷使したところで労力の無駄なのだ。
期待していた通り、早くも恭子が「お」と短く声を発し、人差し指をピンと立てた。
「試しに占いでも始めたら?」
「占い、ですか?」
「うん。ウチらぐらいの子って占いとか好きな人種じゃん。特に恋愛がらみとなれば」
「ほむほむ」
「その、綾音に見える……糸? ってのが、どのくらい
「おぉ、なるほど」
一理ある、と思った。
ほぼノーリスクで『糸』のことを知ることができるのなら儲け物だ。一度稼働を始めたら収まりのついてくれない探求心が疼いてしまっている。
それに、占い。
個人的に占いには、『恋する乙女たちを応援するもの』という認識があった。もし自分が行動を起こすことで誰かと誰かが結ばれるようなことが叶うなら、それはなかなか素敵なことだ。
占いをやってみる価値はある。そして、この不思議な『糸』にも、価値を見出せるかもしれない。
「んっ。ちょとやってみようかと思います、占い」
「おーっし、やってみるかぁ。あたしも手伝えることは手伝うからさ」
「ありがとです、恭子ちゃん」
「いいのいいの。なんか面白そうだし」
始めはクラスメイトからだった。
恭子が推し進めた手順というのは、あまりにも
幸か不幸か、誰かを好きになった経験はまだないが、自分ならば絶対に遠慮したいところだと、綾音は内心恐怖に震えていたのをよく覚えている。
全ては恭子の人柄やコミュニケーション能力あってのものだが、よくもまあ一切の波風を立てずに済んだものだと感心する。綾音には絶対に真似できない。本当に恭子が手伝ってくれてよかったと思う。
その後も、恭子に連れて来られた相手は、戸惑いながらも比較的
そうしていくうちに、綾音による占いの評判は、口コミで徐々に広まっていった。
半年が経った現在では、加西先輩のような上級生にも
綾音の心持ちの変化によるところが大きいが、占いを始めてからの日々は充実していて、中学までの綾音には考えられないほど、学生生活に彩りをもたらしてくれた。恭子の言った通り、本当にお得な能力だと感じた。
だがそうなってくると、いくつか
たとえば、『なぜ自分は誰とも結ばれていないのか』ということ。
考えたところで答えなど永遠に出ない。だから、仕方がない。この不思議な現象は、きっとそういうものなのだ。そう割り切り、諦めるしかないのだと思う。
そんな風に頭では理解できていても、納得できるかどうかは話が別だ。他者同士のものしか見えないなど意地が悪い。運命の相手がいるのなら是非とも知りたいのにと、やきもきしてしまう。
せめて恭子とだけでも何かしらの色の糸で結ばれていて欲しかった。『親友』などを意味する『緑の糸』であれば、なおよし。
「意外とさ、綾音がくっつけてる可能性ってない?」
「まさか。わたしには見えるだけですって」
それは無い、と思う。なおさら恭子と綾音が結ばれてないことを疑問に思ってしまうし、赤の他人でも否応なく見えてしまうのだ。名も知らぬ人たちの人間関係を応援できるような、聖人君子であるつもりもない。
「でもさぁ。恋愛がらみのが案件が、
しかし恭子の疑問ももっともだ。それも腑に落ちない点の一つであった。
「そりゃ、皆さんの恋が上手くいって欲しいなーとは常々思っておりますけども……」
「んんー……考えすぎかなぁ。さすがにそんなことできてたら、
「ですよ。仮にできるなら、真っ先に恭子ちゃんを素敵な
「あははっ、そのときはお願いしよっかな。……って言っても、あたしは誰かに相談とかする前に、自分で好き勝手に突っ走っちゃってそうだけど」
「それでこそ恭子ちゃんですね」
度々驚かされているが、恭子の行動力は素直に尊敬するし、憧れもする。どうか変わらず、そのままの高坂恭子を貫いてほしいものだ。
「あ、ごめん、このあと待ち合わせしてたんだ」
「おろ、そうでしたか」
「うん。また明日ね、綾音」
「またです、恭子ちゃん」
笑顔で手を振り、別れる。
女子としては高めな身長に、すらりと伸びた足。歩く姿も
恭子の姿が小さくなっていくにつれて、手の動きは弱弱しくなっていき、笑顔も消えていく。
「わたしが、くっつけてる……ですか」
半ば無意識に、恭子の台詞を
人と、人を、結びつかせる。
仮にそんなことが可能だったら、恭子も言った通り、本当に大事だ。
綾音に見える『糸』には様々な色があり、その色によって意味合いも違ってくる。たとえば、結ぶ糸が青色であれば、互いに癒し合う関係に。黄色であれば、互いに高め合う関係に。
それらを綾音の意思で、自在に結ぶことが叶うのなら……。
「そんな大層な能力、わたしなんぞにあるはずがありませんて」
でも、もし……もし、本当にそんな力があるのなら。
多くは望まない。たった一つの『糸』でいい。
どうかあの二人のことを、結ばせて欲しい……。
放課後になれば、部活動のない生徒は大半がまっすぐに帰宅をする。
綾音も本来であればその例に
その理由としては、なぜか綾音にだけ見える『糸』の存在のせいだ。
それ自体は目障りに感じることもないし、見えた糸の色と照らし合わせながら人間観察に勤しむのは、なかなか楽しい。
けれど、あまり目にしたくない色の糸がある。近いうちに起こり得る、不穏な事件を予期させるような色もあるのだ。
そんな糸を見かけてしまう度に、無力感に
――あなたによからぬ『相』が出ています。今後、あの方と関わることはお控えください
見ず知らずの他人に急にそのようなことを言われたところで、いったい誰が耳を貸すというのだろう。
仮に綾音がそう言われたならば、絶対に食いついてしまう。目を輝かせさえする自信がある。しかし、自分が異端な思考回路の持ち主であるという自覚も、十二分にあった。
まともな世間一般の人々であれば、一笑に付される。気味悪がられて避けられる。下手をすれば、もっと酷い扱いを受けるかもしれない。
そういうものなのだ。現在綾音の身に起こっている、この不思議現象の正体というものも、口にするだけで奇異の眼差しを向けられてしまうものなのだ。
おそらくは、『思春期症候群』なのだから。
校門をくぐった後の帰路では、誰も見かけず、誰ともすれ違わなかった。ほっとしたような、うら寂しいような……そんな気持ちが入り混じると余計にもやっとしてしまい、自然とため息がこぼれる。混ぜるな危険。
ほんの数分歩くだけでたどり着く最寄りの駅、七里ヶ浜駅。
時間帯が時間帯なら、この小さなホームには収まりきらないほど、峰ヶ原高校の生徒でごった返すに違いない。それが今は、片手で数えられる程度の人数だ。
「……おぉ?」
その中に、よく見知った顔があった。心なしか気分も高揚する。
「本日も相変わらずの風格です」
彼は峰ヶ原高校二年一組に所属する先輩だ。
いつもながらの眠たげな目。ポケットに両手を突っ込み、背筋は曲がっている。ところどころ跳ねている髪型はそういうセットなのか、単なる寝ぐせなのか判別がつかない。どことなくゆるキャラを
綾音と同様に人込みを嫌ってなのか、部活以外の用事があるのか、はたまたのんびり屋さんなのか。理由は定かではないが、帰宅時の電車を共に待つ機会が多い。
「ほんと、よくお会いしますねぇ……『病院送り』の先輩」
彼には、いましがた綾音が発した呼び名のままの、あんな外見からは想像もつかないような噂がある。中学時代に暴力事件を起こし、同級生三人を病院送りにしたという噂が。
こうして観察しても体格は良い方ではないし、その目にも危険な光は見えない。むしろ生気すらも感じられない。要するに強そうには見えない。まったく。
そんな先輩の姿を見かける度に、口惜しく思う。
想像力には
「人は見かけによらぬもの、ですね。わたしもまだまだです」
何事も見た目だけで判断してはいけない。愛くるしいゆるキャラの中にも、とっても凶暴なやつもいたはずなのだ。たぶん、それと同じこと。
ただ、綾音が入学してからというもの、病院送りの先輩に関する武勇伝はさっぱり耳にしたことがない。代わりに記憶にあるのは、その呼び名とかけ離れすぎてしまっている『グラウンドの中心で愛を叫んだ事件』だ。
さすがの先輩も、愛を知って丸くなってしまったのだろうか。もしそうだとすれば、かなりのショックを受けてしまう。密かな憧れだったのに。
「いえ、諦めるのは早いですよ、わたし!」
まだそうと決まったわけじゃない。これはなんとしても真偽を確かめる必要がある。これからも観察、及び調査を続けるべきだ。そんな決意を、改めて胸へと刻み込む。
「んん~……」
調査対象、あの眠そうな目をした先輩。
二年一組の、病院送りの、先輩。
綾音は唸る。唸り続ける。腕を組み、首を捻り、額やこめかみに指を当てる。
これは、困った。非常に、困った。
「……病院送り先輩のお名前、なんでしたっけ?」