ベビースパイダー嬢は青春ブタ野郎に夢を見る   作:紺野咲良

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第14話

 学校へ到着し、席に着くなり、慌ただしい来訪が……いや、来襲があった。

 あの加西(かさい)先輩が人目もはばからず、ひどく興奮した様子で二年一組の教室まで押しかけて来たのだ。

 どうにかなだめつつ事情を聞いてみれば、昨日、深夜だというのに岡崎(おかざき)先輩へと電話をし、つい先ほど直接会って話をして、見事即座に復縁を果たしてきたらしい。

 察するに、綾音の思春期症候群のせいで抑圧されていた感情が爆発してしまったのだろう。ぎりぎりまで引き絞られた弓矢のごとく、その呪縛から解放された途端に勢いよく放たれたということ。

 いずれ徐々に好転するものと思っていたが、まさかここまで急転直下に解決するものだとは。嬉しい誤算だった。

 ひとしきり話し終えたところで、加西先輩は自分が教室中の注目を一身に集めてしまっていることに気づき、気の毒にも顔を真っ赤にさせ、ぎくしゃくとロボットのような動きで逃げ去って行った。

 控えめでおとなしそうな加西先輩でさえ、こうなのだ。本人から直接話を聞かなければなんとも言えないが、この分ならおそらく大丈夫。

 今頃は咲太の方も、皆と元通りの関係へ戻ることができているはず。

 

 

 放課後になるやいなや、今度は恭子(きょうこ)が詰め寄ってくる。

「結局、見えなくなっちゃったんだ? 例の糸」

「ですです」

 一緒に昼食を食べながらも話をしたものの、その際は糸が見えなくなったと伝えただけで時間切れになってしまった。というのも、数年ぶりに母が作ってくれたおにぎりに感激しすぎて、話を切り出すのが遅くなっただけなのだが。

「ふ~ん」

「なんです?」

「いやー。ここ最近、ずっと()えない顔してたのにさ。なーんか今はすっきりしてるみたいだから」

「……えぇ、まぁ」

 綾音自身、もう少し引きずるものだと思っていた。

 長い付き合いだった。その期間もさることながら、それに(ともな)い起こった出来事があまりにも濃密であり、良くも悪くも綾音の人生を大きく動かした病。

 失うことが怖かった。いつかは消えてしまうのだと……治ってしまうのだと、想像するだけで胸を締め付けられた。

 ゆえにしばらくは抜け殻のようになり、何にも手がつかなくなるかと思いきや、恭子が言った通り、驚くほどすっきりしている。

「綾音はもう、納得ずくなんだね」

「はい!」

「んっ。ならよし!」

 普段はずけずけと物を言う恭子ではあるが、こういう場面では何かを鋭く察知するセンサーでも働いているのか、深く踏み込んできたりしない。

 そのことが今は特にありがたかった。事件の子細を話すべきか否か、悩んでいたから。

 昨日も思ったように、なぜもっと早く話さなかったのかと憤慨(ふんがい)させてしまう恐れはある。だが、そこに関しては全面的に綾音が悪く、それに対する怒りをぶつけられる覚悟はすでにある。

 それよりなにより、恭子に責任を感じさせてしまうかもしれないことが怖かった。

 恭子の勧めで、占い師としての活動を始めた。恭子のおかげで、思春期症候群との付き合いに楽しみを見出(みいだ)すことができた。

 綾音としては、恭子には感謝しかない。しかし、そんな日々があったからこそ、思春期症候群から離れがたくなったのもまた事実で。恭子がそこに責任の一端を感じてしまうのも、ごく自然な成り行きで。話し方をしくじれば、いたずらに恭子に嫌な思いをさせるだけで終わるかもしれない繊細な問題なのだ。

 綾音を襲った不可思議な現象のこと。その際の綾音の思いや、選ぼうとしてしまった結末のこと。それらを話すべきか、否か。話すにしても、どこからどこまでを、どのように話すのか。

 答えを出すには、まだ少し時間が必要だった。

「けど、ちょっぴり惜しい気もするかなあ。楽しかったのにね、占い」

「そう……ですねぇ」

 クラスを、学年を超え、綾音一人では知り合うことのなかった人たちと関われた。その過程で他者への興味を示すようになり、情報や噂の収集に没頭もした。『病院送りの先輩』への興味をより深めたのも、思えばその頃から。

 何度振り返ってみても、過ごした日々のすべてが(とうと)く、いとおしい。

 そう思えるのも、綾音の手を引いてくれた、恭子がいたから。

 綾音の想いに……綾音の思春期症候群に向き合ってくれた、咲太がいたから。

「楽しかったです。本当に」

 晴れやかな笑みを浮かべたはずが、かすかに曇る。

 これまでのように占いを続けることは、もうできない。それは同時に、恭子が綾音に特別構う動機もなくなってしまったことになる。

 思春期症候群の糸は、綾音と恭子の仲を繋いでくれる糸でもあった。

 共に過ごす時間は確実に減っていくだろう。もしかしたら疎遠(そえん)にすらなってしまうかもしれない。もう帰らぬ日々や、いずれ訪れる未来を思うと、一抹(いちまつ)の寂しさが心をよぎる。

「さってぇ。これからどうしよっか」

「ふぇ?」

「もう占いはできなくなっちゃったんだろうけどさ。また何かしよーよ。あんたといると退屈しないし」

 唐突な申し出に、目をぱちくりさせる。

「……いいんですか?」

「もっちろんでしょ。それともなに? 糸の切れ目が縁の切れ目っていうの? ひっどいなあ」

 繰り出された妙な名言を茶化(ちゃか)す余裕もない。目の奥がツンとしてしまい、油断したら泣き出してしまいそうだった。

 これまで泣いた経験がほとんどなかった反動なのか、すっかり涙もろくなってしまったなと、内心苦笑する。

「あんたの妙な糸がなくなったからって、うちらの関係まで途切れるわけじゃないし。それに」

「それに?」

「ちょい待ってね」

 そう綾音を制してから、恭子は鞄の中を(あさ)り、ソーイングセットをさっと取り出す。その後も手際よく何かをしている。きょとんとしてその様を見守っていると、

「ほらっ」

 再び綾音へと向き直った恭子の小指には、糸が結んであった。その反対側の先は輪っかになっていて、そちらを綾音にそっと引っ掛けてくる。

「あたしたちは、こうしてちゃーんと結ばれてるんだからさ」

 そう言って小指を立てて見せつつ、朗らかに笑いかけてきた。

「恭子ちゃん……」

 糸の色は、赤。

 単に恭子が好きな色だったからとか、たまたま目に留まったからとか、そんな理由で他意はないのだろうけど。顔が糸と同じ色に染まってしまいそうになるし、緩み切った涙腺への追い打ちも勘弁してほしい。

 ただしそれもこれも、ある一つの問題に目をつぶれば、の話で。

「……あの」

「ん?」

「その……」

「どうかした? 感動しちゃって言葉が出ないかんじ?」

「い、いえ……そういうのではなく」

「じゃあ、なんだっていうのよ?」

 綾音が戸惑う理由がさっぱりわからないといった様子で、恭子が問い詰めてくる。

 そのせいで一層の戸惑(とまど)いが渦巻(うずま)くも、こればっかりははっきりさせるべきだと思い、(いだ)いた疑問そのままを述べる。

「これ、結ぶ位置、間違えてません?」

 なぜか綾音側の糸は、首に引っ掛けられていたのだ。

 綾音の常識が間違っていなければ、こういうものは小指同士で結ぶべきはずなのに。恭子渾身(こんしん)のボケだろうか。ならばもう少し気の利いたツッコミを入れればよかったなと後悔する。

「え、なんで? 間違ってないでしょ」

 なおも恭子は真顔で首を傾げる。ふざけてる様子には見えない。これでは自分が間違っていたのではないかと、徐々に自信をなくしてしまう。

「で、でも……これじゃ、まるで首輪……」

「うん」

 やや食い気味に(うなず)かれる。

「……はい?」

「あんたとあたしの関係性って、こうじゃない?」

 つまりは、ペットと飼い主ということだろうか。実に的確だなと危うく得心(とくしん)しかけるが、

「ちょっ……ひどくないですか!?」

「なに? 文句あるの?」

「そりゃーありますよ! わたしは恭子ちゃんのこと、一番のお友達と思ってたんですからね!」

 頰を膨らませて、ぷりぷりと怒る。

 薄々そんな風に思われてる気はしていたが、こうしてはっきりと突きつけられると辛い。

「……」

 するとなぜだか恭子は無言で固まり、こちらの顔をじっと見つめていた。

「……恭子ちゃん?」

 呼び掛けても身動き一つ取らない。いぜんとして、穴が空くほど凝視されている。

「な、なんですか?」

「いや、綾音の口からそんなセリフが飛び出してくると思ってなかったから」

「はい?」

「だって初めてでしょ。はっきり友達って言ってくれたの」

「……そうでしたっけ?」

「うん」

 そこで初めて気づかされる。ずっと綾音が無二の親友と心の中で思っていただけで、言葉にしたことはなかったらしい。

 そう言われてみると、直接的な表現というのは苦手だった……はずで。意図せず口からこぼれた今しがたのセリフに、我ながら違和感を覚えた。

「あたしが勝手に絡んでただけだし。あんたってその笑顔の下で何を考えてるか、わかんない時もけっこーあるから。最悪、いじめっこぐらいに思われてるかなーって」

「なんでそんなこと……」

 反射的に否定しようとして、今現在綾音の首にある赤い輪の存在をふと思い出し、言葉に詰まる。

「……」

 確かにこの状況は、客観的に見て、いじめに(あたい)してしまうかもしれない。

「でしょ?」

 綾音の沈黙を見て、恭子がしたり顔で念を押してくる。

「でしょ? じゃなくってですね!」

「あっはっは。ごめんごめーん」

 少しも悪びれた様子なく、あっけらかんと笑う。

 しかし、恭子のことばかりを責められない。先も考えた通り、綾音の意思表示が足りていなかったのは確かなのだから。

「に、しても……ふぅーん、へぇー」

「なっ、なんです?」

「そっかぁ、あたしが一番のお友達かぁ~」

「……そ、そうですよ。悪いですか」

「んーん、悪くないよ」

 にんまりとした顔で見つめられたかと思うと、

「ほんと、変わったね。綾音」

 そう言って頭を、よしよしと撫でてきた。悪い気分なはずもないが、正直むずがゆい。

「変わった……の、でしょうねぇ……」

 恭子のあたたかな手を受けながら、しみじみと(つぶや)く。

 変化に思い当たる節は、すでにいくつもある。昨日あれほどの出来事があって、何もないというのは逆に変だ。それにしたって、たった一日でこうまで世界が変わって見えるとは。

 まさしく感慨(かんがい)無量(むりょう)。本当に、貴重な体験だった。

「ねぇ、恭子ちゃん」

「ん~?」

「これからも、良きお友達でいてくださいね」

 昨日、咲太へ言ったのと同じセリフ。二人へ(いだ)く、綾音の心からの願い。

 先ほどは何となしにぽろっと出たが、改めて口にすると想像以上に面映(おもは)ゆくて、はにかんだ笑顔を恭子へ向ける。

「あったりまえでしょー。なーに言っちゃってんのよ、この子はぁ。もうっ」

「ふにゃっ」

 さすがの恭子も照れ隠しなのか、デコピンをお見舞いされてしまった。そこそこ痛い。

 

 あの不可思議な現象は、綾音の成長のために……綾音が真なる繋がりを得るために訪れてくれた奇跡だったのかもしれない。

 やはり、ちゃんと話そうと思った。恭子にはもちろん、家族にも。

 綾音の身に降りかかった出来事に始まり、その都度綾音が考え、感じた思いを……それが思春期症候群だったということを含め、あますところなく、すべてを。

 そして、恭子とも、両親とも……本当の意味での、友達として、家族として。より良く、より深い関係を築いていこう。

 でも……今はまだ、泣いてしまいそうだから。

 また、今度。

 

「よっし。このあとどっか寄ってく? お()びに何かおごるからさ」

「あ~……すみません、このあとは少々用事がありまして」

 申し訳なく思いつつ、ぺこりと頭を下げる。

 非常に嬉しいお誘いに後ろ髪をぐいぐいと引かれるが、その用事は絶対に外すことができない。咲太の方がどうなったか、念のため早めに確認しておきたかったから。

「ははーん……なるほど?」

「ふぇ?」

「あんたもそういうお年頃、ってことかあ」

「な、なんですか?」

 にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべる恭子。応じる笑顔が引きつってしまう。

「でも、よりにもよって難儀(なんぎ)な相手に()かれちゃったねえ」

「な……なな、なんのことでしょーかぁ」

「とぼけても無駄。あんたあの先輩に会いに行くとき、毎度毎度、目ぇきらっきらさせてたでしょうに」

「え、ええぇっ!?」

 勘付かれるだけならば仕方がないと腹をくくっていたが、驚いたことに、恭子は綾音よりもずっと先に、綾音の気持ちに気づいていたことになる。恭子の洞察力が末恐(すえおそ)ろしい。

「まっ、悔いのないよう玉砕(ぎょくさい)しておいで。骨ぐらい拾ってあげるからさ」

「……」

 つい、目を逸らしてしまった。

「……綾音?」

 呼びかけにビクっとして、おそるおそる目を合わせ直す。しかし時すでに遅く、その微妙な反応一つでも、相手が恭子では命取りだったようで。

「え? まさか、もう……?」

「あ、あははっ……」

 誤魔化(ごまか)すように笑う。無意味だとわかっていても、そんな風に笑うほかなかった。

「ねえ……いっくらなんでも色々と早すぎない? あんたがそんな手の早い子だったなんて、ビックリなんだけど」

 だらだらと嫌な汗が噴き出す。目がぐるぐると(せわ)しなく泳ぎ出す。

 朝よりはマシになったものの、いまだに重く、時折(ときおり)痛む頭に、さらなる重労働を課す羽目になってしまった。身命を()してこの窮地(きゅうち)に立ち向かわなければならない。

「おーい? なんとか言いなさいよー?」

 恭子の追及から(のが)れる手は。この状況を打開する手は。煙が出るほど頭をフル回転させ、無い知恵を懸命に振り絞る。

「あー、やー、ねー、ちゃん……?」

 もはや、手は一つしか残されていない。

「しっ、失礼しますー!!」

 いくら振り絞ったところで、やはり無いものは無い。逃げるが勝ち。そう思い、脱兎のごとく駆け出した。

「あっ、ちょっとぉ!? あとでみっちり話してもらうからね、綾音!」

 恭子の叫びを背中に浴びつつ、必死に走り続けた。

 (さいわ)い廊下に人影はあまりなく、それをいいことに思い切り駆け抜ける。体育の授業ですら、ここまでの全力を発揮した覚えはない。それをあろうことか、神聖なる学校の廊下で披露(ひろう)してしまうとは。

 息が上がるまでたっぷりと走り回った後、徐々に速度を緩めていき、ぴたりと立ち止まる。

「ぷっ……ふふ、あははははっ」

 不意に吹き出し、体をくの字にして笑い出す。何がそこまでおかしいのか自分でもわからないけれど、なおもお腹を抱えて笑う。

 恭子のあの様子では、近いうちに洗いざらい吐かされるに違いない。

 笑われるだろうか。(なぐさ)めてくれるだろうか。(あん)(じょう)いの一番に浮かんだのは、怒っている姿。さっき逃げ出してしまったことも含め、散々に(しか)られてしまうかもしれない。

 けれど、ちっとも不安じゃなかった。

 ――何があっても、友達は友達だろ

 綾音は跳ねるような足取りで廊下をゆく。

 そう言ってくれた、大好きな友達に会うために。

 

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