ベビースパイダー嬢は青春ブタ野郎に夢を見る   作:紺野咲良

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第4話

「どこへ向かってるんですか?」

「体育館」

 歩きながら、咲太が短く答える。

 まさか今から部活動へ参加するつもりではないだろう。いくらなんでも重役出勤にもほどがある。

 それに綾音の仕入れた情報が正しければ、咲太は帰宅部だったはずだ。

「さきほどおっしゃっていた用事というのも、そこで?」

「バスケ部の友達が紅白戦をやってるみたいでな」

「ほう、紅白戦」

「ああ。前にやったときは負けたから、そのリベンジらしい」

「なるほど、お友達の応援ですか」

 ようやく納得できた。意外にもなかなか友達思いみたいだと、感激すらしてしまう。

「さすがにまだ終わったりしてないよな」

 ――このあと用事があるんだ

 思い返せば咲太はそう言っていた気がする。綾音をあしらうための嘘かと疑ったが、どうやら本当だったらしい。

「さくたろう先輩……その、ごめんなさい」

「ん?」

「強引に助けをお願いしちゃって」

 自分のせいで大事な試合を見逃してしまったと申し訳なさが(つの)り、らしくもなくしょんぼりと項垂(うなだ)れる。

「気にするな。僕は試合が見たいわけじゃない」

「え?」

「再び惨敗したあいつの姿を拝めればそれでいいんだ」

「……はい?」

 聞き間違いだろうか。むしろ何かの間違いであった方がいい。

「あの、いま、なんて?」

「あいつが負けて悔しがってる顔が見たいって言ったな」

 もっとわかりやすく酷い台詞になってた。

「おかしくないです? 普通は見たいのって、活躍してる姿とかじゃ……」

「活躍なんか見ててもつまらん。むしろむかつく。ばりむか」

「ばりむからないでください」

 反射的にそう言うも、首を(かし)げてしまう。

 なんだろう、デジャヴだ。

「あの、さくたろう先輩」

「却下する」

 先を読まれてしまったらしい。

 けれど綾音はくじけない。ここで退いては、夜も眠れなくなってしまう恐れがあるのだ。そしてその場合は昼に眠ることになってしまうのだ。つまりは、授業中。

「『ばりむか』ってなんですか?」

 咲太はたまに不思議な言葉を使ってくる。いったいどこの言語なのだろう。

 実は異世界の住人なのではなかろうかと期待してしまう。仮にそうだとするなら、ぜひとも転移の手段や転生の経緯を教えて欲しい。

「なんでもそうやすやすと教えてやれるか」

「えぇ~、そうおっしゃらずにぃ」

「ぶっちゃけ僕もよく知らん」

 それならば仕方がない。

「いや、知らないなら使わないでくださいよ」

「ニュアンスだけは把握してるからいいだろ」

「ごもっともでした」

 激しく同意だ。言葉なんて、なんとなくわかってればいいのだ。

「まあ、考えるな。感じろ」

「ふむぅ……」

 とりあえずアドバイス通り、感じたままに述べてみる。

「ばりっとして、むかっときたんですかね?」

 口にしておいてなんだが、結局さっぱり意味がわからない。

「秦野は天才だなあ」

 大体当たっているのだろうか。ならば謎は謎のままで構わない。金輪際(こんりんざい)いただくことができない『天才』の称号の方が百倍嬉しい。咲太の目が死んでる気がするが、平常運転なのだから問題など無いはずだ。

「いえいえ、さくたろう先輩の教え方が上手いのですよ。案外、教師とか向いてるかもしれませんね」

「ま、僕はプロだからな。教えられる側の」

「おぉっ、さすが……」

 いま、咲太はなんと言ったのだろう。

「……『られる』?」

「『られる』」

 咲太が平然と頷きを返してくる。

 なんだそのプロは。初めて聞いた。まったくもってカッコよくないし、微塵(みじん)たりとも尊敬できない。

「わたしの夢をことごとくぶち壊してくださるプロではありますね、間違いなく」

 これはそろそろ訴訟ものだ。出会ってからここまでの全てを返して欲しい。目の輝きとか、胸のときめきとか、その他もろもろ。

「そう言うなよ。ちゃんと大事なことは教えてやったろ」

「なにをです?」

「現実」

「……おお」

 悔しいが感服してしまった。

 やはり咲太は教師としてかなり優秀なのではなかろうか。『反面教師』という名の、だが。

「ひとまず、さくたろう先輩が思ってた人と全然違うってことは痛感いたしました」

 咲太が教えてくれた現実とは、あまりにも残酷であった。幻滅の一歩手前だ。

「秦野が夢を見すぎてただけじゃないのか」

「そーいうお話とはまた別です。いったいどんだけ器ちっちゃいんですかね」

「知るか。器の大きさなんて見たことないし」

「さくたろう先輩とお友達でいられる方の神経を疑います。無条件で尊敬しそうです」

「きっと驚くぞ」

「そんなにすごい方々なのですか?」

「ああ、すごいな。僕にはもったいないぐらいだ」

「ほほ~」

 どちらかと言うと『類は友を呼ぶ』なのではなかろうか。咲太だって綾音から見れば十分すごい。たぶんベクトルが正反対なレベルで違うと思うけど。

「一番すごい人はいないんだよな、今日」

「お休みですか?」

「撮影でな」

「さつえい?」

 一口に撮影と言っても、そこには様々な解釈がある。

 写真などの静止画の撮影に、映画やドラマといった動画の撮影。そして撮る側なのか、撮られる側なのか……。

 そこまで考えたところで、ぴんときた。

「あっ、桜島先輩のことですか?」

「ああ」

「まじでちょーすごい方がきましたね」

 峰ヶ原高校三年一組、桜島麻衣。

 彼女はまず間違いなく校内一の有名人だ。日本一の有名人と称しても過言でないかもしれない。それが決して大げさに聞こえないほどの国民的女優であり、大スターなのだ。

 同じ学校にそんな人物がいるというのも信じられないが、あろうことか麻衣は咲太と交際をしている……らしい。

「そいえば本当に成功してたんですか? あの伝説の告白」

「伝説になってるのか」

「そりゃーそうでしょう。あんな面白い出来事、全校生徒の記憶にこびり付いちゃいますよ。頑固な油汚れだって目じゃないこびり付き具合ですよ」

 忘れもしない、今年の五月。

 試験の真っ最中だというのに、咲太が突然、グラウンドの中心で愛を叫んだ事件。未来永劫(えいごう)語り継がれてもおかしくない怪事件だった。

 多くの人が笑い話にした反面、情熱的だの、ロマンチックだのと、憧れてしまう人々も少なからずいる。そして、あの梓川咲太のような者でも、あの桜島麻衣を心を射止めることができる。その絶大なる衝撃から、『事件』は『伝説』へと変貌(へんぼう)を遂げた。

「グラウンドの中心で告白をすれば、どんな高嶺の花でも落とせるのだと。そのような伝説が水面下で芽吹いてました」

「なんとも傍迷惑な伝説だな」

 本当に迷惑だと思う。そして一番迷惑を被るのは、たぶん教師たち。咲太のときも皆が試験そっちのけで校庭を眺めたり、私語に走ったりで、収拾をつけるのが大変そうだったことをよく覚えている。

「でもいつまで経っても水面下なのです。このままでは自然消滅しちゃいそうです。なにゆえですかね?」

「後続が全然現れないだけだろ」

「おぉっ、たしかに」

 よくある『伝説の樹の下で』とかなら、こっそりひっそり行えるから、実際には誰も成功者がいなかったとしても、ある程度は広まってくれる気がする。

 対して『グラウンドの中心で』は目立ちすぎる。目撃者が誰もいないなど、まず有り得ない。成否のいかんに関わらず、実行者がいれば一気にその噂は広まるだろうし、逆に言えば噂が立っていない現状は、誰も実行に移していないということだ。あのような血迷った真似に走れる度胸を持つ人物など早々いないのだろう。

「あんなことができるメンタルの持ち主なら、もっと上手いやり方が他にいくらでもあるだろうしな」

「ですよねぇ。あんなことやる人の神経の図太さ、ぜったいやべーですよね」

「本当にな」

 あたかも他人事のような口調で、どこか遠くを見つめている。

 咲太にとっては、とびきりの美人と付き合えるようになった良い思い出のはず。それが照れるわけでも、得意げになるわけでもなく、むしろ「不本意ながら仕方なく」といった印象を受ける反応だった。

「あっ、でも、一年生の間ではそこそこ好感触でしたよ」

「一週回ってありってやつだっけか」

「ですです。わたしといたしましては、恋にうつつを抜かして丸くなってしまわれたのかと、ものすんごくショックでしたけども」

「僕は元々(とが)ってなんかいない。ひねくれているだけだ」

「それ、似たようなもんですて」

 

 そこでふと、賑やかな歓声が聞こえてくる。いつの間にやら体育館のすぐそばまでたどり着いていたらしい。

 正面の入口から中へと足を踏み入れてみると、わかりやすく空気が変わった。夏も過ぎ去り、秋の陽気へと移り変わっているというのに、体育館内は酷く熱く感じ、息苦しささえ覚える。これは気温の問題ではなく、試合中の選手たちの白熱した緊迫感のせいだ。紅白戦とは言っても、交流目的やレクリエーション感覚ではないらしい。

 それとは対照的に、観客の女子たちは色めき立っていた。憧れの先輩なり、意中の同級生なりの姿を見に来ているのだろう。帰宅部がほとんどだろうが、他の部活動の方々もちらほらいる。サボタージュとはいただけない。

「とりあえず、あの二人かな」

 そうは言うが、体育館内には結構な人数がいた。これでは咲太の目線を追ってみるだけでは到底わからない。

「どのお二人です?」

「コート内にいる一番のイケメンと、それを熱っぽい視線で見守っている眼鏡をかけた女子」

 なんとも雑な説明ではあるが、思いのほか絞り込めた。

 コート内にいる、つまり試合中の人物というのは全部で十名しかいない。比較的整った顔立ちばかりではあったが、ゼッケンを着用しているチーム側に、特に人目を引くオーラを放っている男子がいた。

 モデルやアイドルなどにスカウトをされたとしても、何ら不思議じゃないほどの容姿だ。一番のイケメンと称された人ならば、まずあの人しかいないだろう。

「おろ。国見先輩ですね」

「ああ」

 現在進行形で物凄い量の黄色い声援を受けている男子、二年生の国見佑真。

 多くの観客がボールの行方を追う中、わかりやすく佑真のことばかりを見つめている女子もかなりの人数がいた。というか女子の大半は佑真が目当てではなかろうか。バスケのルールとか、勝敗の行方とか、あまり興味が無さそうな。

「……む?」

 ゆくりなく、一際異色な存在感を放っている女子に目が留まる。

 その女子はコートからやや離れた位置で静かに(たたず)んでおり、咲太が挙げた特徴の一つである眼鏡をかけていた。眼鏡の奥に覗かせる瞳はどこか物憂(ものう)げで、さらにはこの場にそぐわない白衣が理知的で大人びた雰囲気を(かも)し出し、なんともミステリアスな……魔女のような印象を受ける人だった。

 ただ一点だけ他の女子たちと共通していたのは、その視線はボールを追っていないということ。彼女もまた、佑真のことだけを見つめる女子たちの内の一人だった。

「もう一人は、あちらの方ですか?」

「よくわかったな」

 感心したように咲太がやや目を見張る。

「ほほう……双葉先輩ときましたか」

 咲太や佑真の同級生である女子、双葉理央。

 確か彼女の背丈は、綾音よりも若干高い程度に小柄だったはず。それでいて遠目でもわかるほど胸が大きい。人間の不平等を(いちじる)しく表している典型的な例だ。

 生徒でありながら、いつも白衣を(まと)っている姿は良かれ悪しかれ目立ってしまう。麻衣ほどではないにせよ、理央もかなりの有名人だった。

「あのお二人は、多くの一年生の憧れの的なのですよね」

「そうか。まあ、そうだろうな」

「国見先輩は、入学直後にファンクラブが発足するほどでしたねぇ。そりゃーもう飛ぶ鳥を落とす勢いでした」

「へえ」

 心から面白くなさそうな反応である。

「双葉先輩は、夏休み明け直後から人気が(うなぎ)のぼりですね。絶賛赤丸急上昇中です」

 一学期の頃は下ろしていた髪を、夏休みが明けてからは頭の後ろで一つにまとめあげている。そのイメチェンの効果は抜群で、それまで理央に見向きもしなかったり、あまり快く思ってなかったりしていた男子でさえ、理央へ憧れや恋心を抱くこととなった。本当に女性というのは、髪型一つで印象ががらりと変わる。

「あれがバスケ部の爽やかイケメンさんに、科学部のエロかしこいさんですかぁ。なるほど、お噂に(たが)わぬ美男美女っぷりですね」

 聞かされていた通り、咲太の知己(ちき)はそうそうたる顔ぶれだった。麻衣を筆頭に、こうも美形が揃い踏みになるとは。悔しいが驚くしかない。

「あまり二人には聞かせたくない評価だな」

「『爽やかイケメン』は別に良くないです?」

「そのまますぎて腹が立つ。ばりむか」

「さくたろう先輩ってば、まじで器ちっちぇーですね」

 かろうじて一歩手前で耐えていたというのに、このままではそろそろ幻滅に至ってしまう。

「ちなみに、双葉先輩に『エロかしこい』ってのを聞かせたら?」

「仮に僕が言ったとしたら、汚物へ向けるより酷い目で見られながら『死ね、ブタ野郎』と(ののし)られるだろうな」

「ご褒美ですね、さくたろう先輩にとっちゃ」

「僕をなんだと思ってる」

「なかなか『そっちのけがある』ように思ってます」

「麻衣さんになら言われてもいいんだがな」

「ははぁ、こいつぁブタ野郎さんですね」

 何やら咲太の視線を感じる。さすがに調子に乗りすぎてしまっただろうか。

「……んにゃっ」

 不意におでこへ、こつんという衝撃を食らった。

「ちょっ、なーにすんですか!」

「ちょうどいい具合の広さだったから、つい」

 食らったものの正体は、デコピン。

 綾音は髪を真ん中でわけているため、おでこがむき出しだ。恭子を始めとした同級生にも幾度となく頂戴してしまったが、断じてそんなことをされるためのスペースではない。いくばくもない脳細胞をどうか労わってほしい。

「……あんまし痛くないですね?」

 これまで浴びてきたどのデコピンよりも、かわいい威力だった気がする。

 想像通りの人物であったならば、綾音などデコピン一発で病院送りにされそうなものなのに。無事だったことを素直に喜べない。本当に綾音ですら、純粋な力比べで勝ててしまうのではなかろうか。

「もう一回いっとくか?」

「いえ、間に合ってます」

 全力の一撃の威力は別次元かもしれないし、先ほどのやつも内部的にはダメージを負っているのかもしれない。何度も食らってたら頭がはじけてしまう系統の技の使い手という可能性も捨てきれない。小敵と見て(あなど)るなかれ、雨垂れ石をも穿(うが)つ、だ。

 

「そいでひとまず、あのお二人の糸を見ればよいのですね」

 話が逸れに逸れたが、そろそろ本題へと引き戻す。

「ああ、頼む」

「しばしお待ちください」

 他の女子たちは迷惑なんじゃないかと思うほどコート付近で前のめりになってるというのに、理央は隅っこの方から一歩も動こうとしない。選手たちの邪魔にならない配慮とみれば良いことかもしれないが、声援すら一切ないので、模範的な観客と呼べるかは微妙なライン。

 そんな理央と一緒になって、コート上で走り回っている佑真を眺めているが、二人がなかなか接近してくれない。『糸』の有効範囲内に一向に収まってくれない。

「……む?」

 ボールがコートの外に出た。ゼッケンチーム側のボールらしく、それを佑真が率先して取りに行く。絶妙なことに、理央が立っている方向。

 綾音はじっと目を凝らす。ボールを回収した佑真は即座にコートへと戻るだろうし、理央との距離が縮まるのも一瞬だけだろう。この機を逃しては次はないかもしれない。

「……おっ」

 見えた。

 予想通りほんの一瞬だけだったが、はっきりと視認することができた。

 佑真と理央の間に現れたのは、『緑の糸』だった。

「ん~、『緑の糸』ですね」

「緑?」

「はい。意味するところは、親友だとか、ソウルメイトだとかだそうで。めっちゃ仲の良い友達って感じです」

「……そうか」

 咲太の返答に、少しの間が空いた。心なしか浮かない表情だ。

「残念そうですね?」

「いや。わかっていたことだから」

 察するに、咲太がわかっていたことというのは、どちらかが……状況から見ればおそらくは理央が、佑真に片想いをしていること。

 そしてその想いは、結ばれることがないであろうこと。

「……願っていたんですね、『赤い糸』を」

 事情は、わからない。それでも何かしらの揺るぎない事情があることだけは、ひしひしと伝わってくる。

 届かない、応えられない、叶わない。友人同士の複雑な恋愛事情。

 いずれの立場も経験のない綾音には想像することしかできないが、それでもある程度はわかり、心ともなく感情移入してしまう。

 なんて、切ない……。

「そんなんじゃない。ただ、もし見込みがありそうだったら、勇気づけてやろうかとは思ったけど」

「ほんとですか?」

「実はからかってやるつもりだった」

 期待した答えとは全然違うものが返ってきた。

「さくたろう先輩ってば、ほんっとーに良い性格してますね」

「そう褒めるなよ」

 胸を締め付けられる思いであったというのに、咲太のせいで一気に霧散(むさん)してしまった。暗い気分になってしまった綾音を気遣ってのことだったら大したものだが、この先輩はそんなたまじゃない。

「それにしても……男女間で、緑の糸……ですかぁ」

「珍しいのか?」

「えぇ。大人ならともかく、青春まっただ中の男女ですから。内面が大人びているというか……達観されているのだと思います、お二方とも」

「それは言えてる。あいつらはよくできた人間だからな」

「素敵ですね、ああいうの」

 半分無意識に、そんな感想がこぼれ出た。

 綾音としては最も(うらや)むべき関係性だった。将来は赤の糸よりも、緑の糸で結ばれた相手を伴侶(はんりょ)として迎えたいと願っているほどだった。

 一緒に遊んで、他愛もない会話をして、毎日笑顔が絶えない。夫婦でありながらも、友人同士のような関係を築きたいと常々思っていた。

 現在の綾音の家庭から、最もかけ離れた光景を夢見ていた。

「ちなみに、僕とあいつらの糸は見えるか?」

「距離が遠くて見えないです、残念ながら」

「距離に制限なんてあるのか」

「ええ。なかったらわたしの視界が愉快なことになっちゃいますよ」

 この体育館内にいる全員の糸が見える状態でも大変なことになりそうだ。ただでさえ試合に出ていないバスケ部の人たちや、観客の女子たちが大勢集まっている辺りは、様々な糸が複雑に絡み合っていて訳がわからなくなっているというのに。

「確かにやばそうだな」

「でしょう。めっちゃカラフルで目に楽しそうですもんね、テンション爆上がりですよ」

「愉快ってそのまんまの意味かよ」

「もちろんです。想像してみましょうよ、どんな殺風景だろうと素敵に彩られるのですよ? 毎日がエブリデイですよ、全域がエブリウェアですよ」

「秦野の脳内の方がよっぽど愉快だと思うぞ、僕は」

「いやぁ、それほどでも」

 ありがたい褒め言葉をむずがゆい気持ちで受け取っていると、試合終了のホイッスルが鳴らされた。

 ゼッケンを着用している選手たちが、一斉に佑真へと駆け寄って行く。嬉しそうにハイタッチを交わしたり、背中や肩を叩き合ったりしている。今の今までスコアを見ていなかったが、どうやら佑真のチームが勝てたらしい。

 ちらりと横目で咲太の表情を確認してみると、あからさまに不機嫌そうだった。ばりむかなご様子だ。

 再び佑真へと視線を戻せば、ちょうど誰かに気づいて駆け寄り、笑顔で話しかけているところだった。

 その相手である理央は、おそらく佑真の活躍を称賛しているのだろう。互いに笑顔で……特に理央は、同性でも思わずどきりとしてしまうような、魅力的で柔らかい微笑みを見せていた。

 あんな様子を見せつけられては恋人同士かと錯覚してしまうが、見えた糸から察するに、二人の関係は恋愛感情では結ばれていないはずだ。ともすれば、男女間を越えた友情というものが生み出してくれた表情なのかもしれない。

「やっぱり、あいつはイケメンだなあ」

 揶揄(やゆ)するような口調ではあったものの、頰がわずかに緩んでいる。その目もいつものような眠たげなものではなく、温かい光が宿っていた。

 なんやかんやで佑真の勝利は嬉しいことであり、理央と仲睦(なかむつ)まじく言葉を交わしている様は喜ばしいことなのだろう。

「よし、行くか」

 咲太はそう言って、あっさりと校舎の方へと引き返していってしまう。

「いいんですか? お二人に声とかかけなくて」

「わざわざ邪魔するのも悪いから」

「あぁ……なるほど、です」

 咲太は気遣ったのだ。せっかく良い雰囲気の二人に、水を差すような真似をしたくないと。

 見えた糸が『赤』であったなら、綾音も心から応援できた。しかし残念ながら、見えた糸は『緑』だ。だからきっと、あの二人は恋仲にはなれない運命なのだろう。

 そう、残念ながら……。

 

    ◇    ◇

 

 校舎へ戻ると、帰宅するためにそれぞれの教室へと鞄を取りに行く。

 一年生の教室は一階、二年生の教室は二階。なので必然的に綾音の方が早く下駄箱へ着いた。

 遅れてやってきた咲太は綾音に見向きもせずに、さっさと靴に履き替え、すたすたと外へ出て行ってしまう。なんとなくそうなる予感がしてたので文句は言わない。

 特に話題もなかったので、黙って後ろを歩いていたら、「なんでついてくるんだよ」と、逆に文句を言われてしまう始末だった。

 さすがにあんまりだと思う。あれだけ一緒に電車を待った仲だというのに。なんと薄情なのだろう。

 そうこうして到着した七里ヶ浜駅。日頃よりもさらに遅い時間帯であったためか、いつにも増して空いていた。閑静なホームで、二人して何をするでもなく、ぼーっと佇む。

「なあ、秦野」

 急に咲太が、こちらへ顔も向けずに呼びかけてきた。

「はい?」

「お前に見えてる糸ってさ、思春期症候群だよな?」

 あまりにも唐突すぎる奇襲に息を呑んだ。

 一つ、大きな深呼吸をしてから、口を開く。

「……驚きました。さくたろう先輩から、まさかそのようなお言葉が飛び出てくるとは」

「秦野も薄々そうなんじゃないかと思っていたわけか」

「えぇ、まぁ」

 根拠も自信も皆無であり、綾音の願望に近い想像でしかなかった。薄々もいいところだ。味だったら無味に近いぐらい、紙だったら向こう側が透けて見えるぐらいの薄さだ。

「信じているんですか? あんな、都市伝説的なもの」

 それも『誰もが信じていない』、だ。恋愛に興味を示すことなんかよりも、はるかに咲太らしくない気がする。

「色々あってな」

「いろいろ?」

「そう、色々」

 皆まで聞いてくれるな、ということだろうか。

 少し考えてみれば当然だ。口ぶりから察するに、咲太は思春期症候群の当事者となり、不思議な現象を目の当たりにした経験があるのかもしれない。発症したのが咲太なのか、他の人なのかは定かではないが、その件について話すということは、咲太自身はもちろん、発症した人のプライバシーにも関わってくる。掘り起こすにはあまりにも根深く、安易な気持ちでは踏み込めない問題なのだ。

 ただ、もしかしたら、単に話すのが面倒くさいだけかもしれないが。

「まぁ、たぶん、一番『っぽい』んですよね。思春期症候群が」

「僕もそう思う」

 咲太に同意してもらえたことで、胸がすーっと軽くなるのを感じる。あまり自覚ができていなかっただけで、正体不明の不可思議な現象というのは、やはり少なからず不安要素であり、知らず知らずに精神的な負担となっていたらしい。

「秦野は糸が見えるようになった原因とか、わかるのか?」

「んー。心当たりはかろうじてあるんです、けど……」

「けど?」

「ほら、思春期症候群って、精神的な苦痛から引き起こされるらしいじゃないですか」

「そう言われているらしいな」

「わたし、あの出来事がそんなにもショックだったのかなぁって。自分でもよくわかってないのですよ」

「なんだそりゃ」

「あとぶっちゃけ、糸が見えるようになったことに対して、ありがたみしか感じてないです」

「……そんな気はしてたよ」

 咲太が複雑そうな苦笑いを浮かべる。勘付いてはいたが、信じたくはなかったといった心境が見て取れる。

「ここまで楽しそうに思春期症候群と付き合ってるのも、秦野ぐらいだろうな」

「ネットで見る限り、あまり良い事例とか出てきませんもんね」

 症候群、というからには病気なのだ。病気とは一般的には()み嫌われるもの、治して(しか)るべきもの。それを綾音はすっかり受け入れてしまっている。それどころか、正直手放したくないという気持ちが強く芽吹いている。

 この症状のおかげで、日々が彩られているのは確かなのだから。

「お前がそう言うなら別にいいんだが。周りへの悪影響が出なければ、っていう条件付きだけど」

「おやさしいのですね」

「特に、僕のことを巻き込むのはやめてくれ」

「ご自分の心配でしたか」

 きっとそれが一番の重要事項なんだと思う。咲太は間違いなくそういう人。

「またなのか、って双葉に面倒くさがられるんだよ」

「なぜそこで双葉先輩のお名前が?」

「双葉は物知りだし」

「ふんふん」

「洞察力もすごくてな」

「はぁ」

「まあ、色々と頼りになるやつなんだよ」

「ほうほう、なるほどなるほど。わたしには釘を刺しておきながら、ご自分は平気で人を巻き込むのですね」

「人聞きが悪い。相談しているだけだ」

「さいですか」

 どこまでも器が小さい人だ。ここまでくると幻滅すらできない。色々とすっ飛ばして、一周どころか三周ぐらい回って、尊敬に値してしまう。

「まっ、わたしはきっと大丈夫ですよ。なんやかんや充実した日々を送らせていただいてますので」

「なのに発症してるってのは余計に変なんだけどな」

「それには激しく同意です。けど、なってしまったものは仕方がないですし、なんとか折り合いをつけられればいいなと思ってます」

 そこで電車が到着する。咲太が乗る、藤沢方面への電車だった。

 綾音は正反対の方角の鎌倉方面なので、ここでお別れ。

「僕も心からそう願うよ」

 咲太が背を向けて、電車へと乗り込んでいく。

 席に座り込んだ咲太は、大きなあくびを一つしてから、どこか遠くを見つめている。その目はもう、こちらを向くことはなかった。

 気づいてくれるか、届いてくれるかはわからない。

 けれど、

「今日はありがとうございました、さくたろう先輩!」

 と、ありったけの感謝の思いを込めて、元気よく深々と頭を下げた。

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