ベビースパイダー嬢は青春ブタ野郎に夢を見る   作:紺野咲良

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第5話

 秦野(はだの)綾音(あやね)は中学生だった頃、独りだった。

 いじめに遭っていたとか、()け者扱いや()れ物扱いをされていたとか、そういう話ではない。単にグループに所属をしなかったというだけだ。

 どこかのグループから声がかかればその時の気分次第で合流し、どこも特別視することなく、適度に当たり(さわ)りなく、まんべんなく付き合う。それはあたかも自由気ままな野良猫のような生活。

 上がることもなく、下がることもなく、過剰なまでに安定した日々。

 楽しいだとか、寂しいだとか、そういった感情とは一切無縁な、なんとも味気ない日々。

 長い長い三年間という時間を、心に何一つとして植え付けることなく、ただただ流れていくだけ、消化していくだけの中学時代を過ごしていた。

 そんなある日、事件は起こる。

 季節は冬。卒業も間近に迎えた、三年生の時のこと。

 その時期ともなれば、放課後を迎えた際の行動はおおよそ二分(にぶん)される。受験勉強のためかまっすぐ帰る人と、名残(なごり)を惜しんで少しのお喋りに興じる人に。

 綾音もお喋り組だったが、好んでそうしたわけではない。のんびりと帰りの支度をしていたら、席の近いクラスメイトたちの会話に巻き込まれたのだ。断る理由もなく、嫌というほどでもなかったので、まあいいかと素直に応じておいた。

 話も一区切りつき、誰かが「そろそろ帰ろうか」と切りだしそうな雰囲気になった頃。それまで平和だった教室内に、突然「ばちん!」という乾いた音が鳴り響いた。

 綾音を含むクラスメイトたちの視線が、音の発生源へと一斉に集まる。

 込み上げる様々な感情に震える手で、頰を押さえている子。

 先ほどの音や現在のポーズから察するに、おそらくビンタを浴びせた子。

 二人が目を血走らせ、今にも泣きだしそうな形相で睨みあっている。

 数秒おいて、周りがざわめきだした。そこからさらにワンテンポおいてから、二人とも()(たま)れなくなったのか、かろうじて怒りを抑え込んだ様子で、別々の出口から正反対の方角へ向けて足早に去っていく。

 その間の綾音は、体も頭も完全に固まってしまっていた。

「あぁ……やっぱり」

「とうとうやっちゃったか、あの二人」

「バチバチだったもんねぇ~……」

 周りの級友はどういうことか揃って訳知り顔だった。綾音の混乱は輪をかけて加速する。

「あの、どういうことでしょう?」

「あぁ、秦野さん」

 クラスメイトたちがぎこちなく笑いかけてくる。綾音のことを気遣ったような苦笑いで。

「気にしないで、あんまし」

「放っとくのが一番かな~」

「でも……」

 そう易々と納得することはできない。はいそうですかと引き下がることはできない。

「あんなにも、仲良くしていらっしゃいましたのに……」

 彼女らは幼稚園の頃から一緒な幼馴染であり、クラスの中でも特に際立(きわだ)って仲の良い二人組。そういう認識だったのだから。

「まっ、色々あったっていうか」

「そそ。何するにも一緒だと、特にさ」

「幼い頃から一緒、部活も一緒、志望校も一緒。極め付きには、男の趣味まで一緒、となれば……ねぇ?」

「何も起こらない方がおかしいよね」

 皆、それだけで納得できているようだった。

「そういうもの、なのですか」

 綾音には、わからない。何に対して疑念を抱いているのか、わからない。

 泣きたい気分に見舞われた。それはさながら、自身の苦痛や不快を言葉で表せないからと、泣くことで主張しようとする幼児のように。

 綾音は小学生の頃から……否、それより以前から、下手をすれば赤子の頃から、成長などしていなかったのかもしれない。

 その事件から、数日後。

 事情を知る多くのクラスメイトたちが楽観視をしていた。綾音以外は誰も心配していなかったように思う。

 そんな周囲の予想をさらに裏切る形で、皆が残らず呆気に取られてしまうほど、二人はあっさりと仲直りを果たしていた。

 その事件の収束と入れ替わるようにして、綾音は発症してしまった。

 不思議な『糸』が見えるという、思春期症候群を。

 

 

    ◇    ◇

 

 

「ただいまもどりました」

 返事は無い。

「……いませんかね、二人とも」

 一般家庭におけるリビング以上の広さの玄関に、綾音の声は一層寂しく響く。

 共働きといえばまだ聞こえはいいが、綾音の両親は何よりも仕事を大事にしている人たちだ。当然、家庭よりも。

 それに見合った収入に比例して家も巨大だ。世間的には豪邸と呼ぶのかもしれなくとも、綾音には何のありがたみも感じられない。

 両親が何をしているのかは、よく知らない。いや、まったく知らない。

 綾音が物心がついてからというもの、家族の団欒(だんらん)という時間が設けられた試しがなかった。

 各々が食事をとり、各々が風呂に入り、用事の時間になれば家を出る。そういったタイミングがたまたま一致し、ごくごくまれに顔を合わせることがある程度で、それ以外は基本的に全員が部屋にこもりっきりだ。同じ屋根の下で暮らしていても、起きているのか寝ているのかもわからないし、居るのか居ないのかすら怪しい。

 二人の間の糸は、いまだに見ていない。

 見えなかったのではない。綾音が思春期症候群を発症してからというもの、二人が一緒にいる姿を見たことがないのだ。つまり、かれこれ一年近くは、家族三人が揃ったことがないことになる。

 家族が久方ぶりに一堂に会したとしても、何の感動もなく、何のいさかいも起こらない。何事もなかったかのように、普通に、事務的に会話をする。そして名残もなしに、普通に、淡泊に別れる。また何日も、何か月も家族が揃わなくなるのだとしても。

 それがこの家にとっての『普通』なのだ。

 そんな生活にもすっかり慣れた。だからといって、何も感じないわけじゃない。

 高校一年生にもなり、人同士の繋がりが可視化された糸が見えるようになったともあれば、他の家庭と……他の夫婦との差異に嫌でも気づかされてしまう。

 夫婦であれば、何かしらの色の糸で結ばれているものだ。

 もちろん愛する者同士を意味する『赤』で結ばれていることが多いが、そばにいることで安心感を得られるような関係の『青』や、高め合い支え合うような関係の『黄』、隣にいることが当たり前である親友のような関係の『緑』の夫婦だってよく見かける。

 あまりよろしくないが、金品が目的である『金』も、いずれは離婚を迎えてしまいそうな『黒』だって、少なからずある。

 しかし、わかっている。

 両親は糸で結ばれているはずがない。あの二人の間には、何の繋がりも存在しない。

 仮に両親の間に糸があるとするならば、きっと『無色透明』なのだろう。

 互いに何の関心も抱かず、何の利益も不利益ももたらさない糸。そんな色の糸が存在するのであれば、だが。

 

「……ひゃぅっ!?」

 鞄の中で何かが暴れ出した。同時に軽快な音楽も鳴り始める。それも、結構な音量で。

 これは綾音が好きな、異世界転生ものアニメの主題歌だ。どうやらスマホのマナーモード設定を忘れていたらしい。鳴ったのが学校や電車内でなくて良かった。

 相手は確かめるまでもない。昨今ではお手軽なメッセージでのやり取りが主流となっている中、前触れなしに直に電話を掛けてくる人物など恭子(きょうこ)ぐらいなものだ。

「はいはい」

「……」

 応答がない。

「どしました、恭子ちゃん?」

「……」

「もしもし? あなたの愛しの綾音さんですよ?」

 せっかくなのでお茶らけてみる。

「……つく」

「はい?」

 よく聞こえなかったので、スマホを耳へ押しつけていたら、

「あー、もうっ! ムカつくーっ!!」

 という、恭子の大絶叫が、無防備な綾音の鼓膜へと襲い掛かった。

 キーンとするが、恭子の荒い息遣いがちゃんと聞こえている。鼓膜は一命をとりとめてくれたらしい。それよりも意識が危うい。視界がちかちか、ぐるぐるしている。

「そ、そんなに、怒らずともよくないです?」

 少しおふざけが過ぎたかもしれないが、こんなに怒鳴られるほどのことをした覚えはない。かわいいかわいい、ちょっとした(たわむ)れではないか。

「あぁ、ごめんごめん、綾音のことじゃなくて。あの変態野郎のこと」

「なーるほど」

「あんたの寝言なら聞いてなかったし」

「そんな、いけずなぁ」

 なかったことにされるぐらいなら、怒ってくれた方がまだ良かった。

「でもさ、ありがとね」

「……ふぇ?」

 恭子は時たま話が飛躍する。いきなり礼を言われても、何のこっちゃだ。

「助けに来てくれたこと」

「あ~」

 今回は比較的流れを汲んでおり、マシな飛び方だった。ぱっと思い当たらない綾音側が鈍かったぐらいかもしれない。

「わたしは見てただけですから。なんもかんも、病院送り先輩のおかげです」

「まぁ、それもそっか」

「……」

 あまりにあっさりすぎる納得に言葉を失う。

「ちょ、ちょっとぐらい、褒めてくれても……!」

「だったら、はじめっから卑下(ひげ)するような言い方しないの。綾音の悪いクセだよ?」

「うっ」

 不意打ちでお叱りときた。これまでも散々似たようなことを言われてきてるので立つ瀬がない。

「はい、ごめんなさいでした……」

 縮こまり、この場にはいない相手へ向けて頭を下げる。

「んっ。よく頑張ってくれたね、綾音。ありがとう」

 電話越しでも、恭子の微笑みが目に浮かぶようだった。

 面と向かっていたならば、頭を撫でてくれていたのだろうけど、同時にそうでなくて良かったとも思う。だらしなく緩み切った頰を絶対にもてあそばれていた。

「そういえば、病院送りの先輩と面識あったの?」

「いえ、今日初めて言葉を交わしました」

「なのに、助けてくれたんだ?」

「えぇ、まぁ」

「へー。良い人じゃん、フツーに」

「……」

 素直には頷けない。結果として助けてくれたことは感謝しているのだが、果たしてあれを「良い人」と評していいものかどうかは微妙な線。

「噂って、あてにならないもんだね」

「……です、ねぇ」

 曖昧(あいまい)な乾いた笑いがこぼれた。噂通りではあってほしかったのに。結局手合わせには至らなかったが、本人(いわ)く綾音にすら勝てない軟弱者だったらしい。

「先輩にも後で改めてお礼言わなきゃ。なんて言ったっけ、病院送りの先輩の名前」

「……えと」

「うん?」

「あ、あず……あす? いえ……あさ……あさ、かわ……? うう~ん、もっと呼びにくい名前だった気がするんですが……」

「まさか、忘れちゃったの?」

 忘れてなどいない。ほんの少し、ど忘れしてしまっただけで。

「いえ、ここまで出かかってるんです。ちょっと待っててくださいね、あとすこし、もうすこーし……」

 きっと思い出せるはずなのだ。ずっと前からの憧れの人であり、今日この日は窮地を救ってくれた恩人なのだから。

 風変わりな自己紹介をしてくれた。その流れで『秦野』にサービスエリアができるかもしれないことも教えてくれた。他にも色んなことを話し、色んなことを教えてくれた。主には残酷な現実とか。

 綾音は唸る。唸り続ける。腕を組み、首を捻り、額やこめかみに指を当てる。

 そうして思い浮かんだ、最善解。

「さくたろう先輩です」

「……へっ? なんて?」

 (いさぎよ)く諦めることに決めた。

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