ベビースパイダー嬢は青春ブタ野郎に夢を見る   作:紺野咲良

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第7話

「ただいまもどりました」

 返事は無い。

「……」

 誰かがいるのか、いないのかすら、わからない。

 確かめることは許されない。両親の部屋へ押し入ることは禁止されている。仕事はもちろん、貴重な睡眠時間の邪魔をしてはいけない。そう教育された。

 綾音の両親の関係は冷め切っている。いや、元々熱が無かった。世間一般的には『仮面夫婦』と呼ぶのだろう。

 隣に置く人物として相応しい、地位、収入、容姿、知性……そして何よりも、価値観。相手に求める条件がたまたま一致したから、既婚であった方が世間体が良かったから、契約を結んだに過ぎない。

 受け継いだものはない。両親はどちらもその道の第一線で働くほどに優秀、らしい。けれど、綾音にはその片鱗が見られない。

 受け取ったものもない。親の背を見て子は育つと言うらしいが、姿すらろくに見せてくれないのだから、咲太のような『反面教師』にもなってくれない。

 親子であることに猜疑心(さいぎしん)を抱いてしまう。家族であることに悪感情を抱いてしまう。

 自分の価値とは、意義とは、いったいどこにある。

「……いっそ」

 ――いっそのこと、別れてしまえばいいのに

 はっとして、頭をぶんぶんと振る。

 口が裂けても、そんなことを言ってはいけない。思ってしまった時点でもう手遅れなのかもしれないが、せめて胸の内に留める。

 仮に離婚をしてもらったところで何が変わる。少なくとも良い方向には変わってくれない。そんな結論を望むのは、考えることを放棄し、やけになってしまっているだけだ。

「……」

 そう頭ではわかっていても、沈み切った気分はどうしようもない。

 何もせず、ただ耐えることで、この現状を受け入れるようとするには無理があった。もう、心が追いついてくれない。

 だから、口にするのは、ほんの少しだけ、建設的な道。

「一人暮らし、しよっかな」

 現状と大差ない。けれど無駄にだだっ広い家より、一緒に暮らしていても孤独を感じるより、ずっと気が楽だろう。

 家に帰宅する度にさいなまれた虚無感がなくなる。今日こそは両親と言葉を交わすことができるだろうかと、不毛な緊張をする必要もなくなる。

 もし両親の都合がつくようなら、またこの家へ来ればいい。

 綾音がこの家へ帰る時は、両親と会える時。そう変わってくれた方が、ずっとずっと楽しみだろう。

 一人暮らしをしたいと言えば、きっと二つ返事で許可をくれる。

 両親に心配という概念はなく、「その程度できるに決まっている」と思われているから。

 信頼されているのは綾音自身ではない。『自分』と、『自分が選んだパートナー』との子供だから。

 むしろ、もとより興味すらないのかもしれないが。

「あっ……」

 不意に咲太と麻衣の顔が浮かんだ。

 なぜか糸こそ見えなかったが、少々奇抜な『お楽しみ』をされていたぐらいだ。カップル間の嗜好は千差万別、ああいった愛情表現の形もあるのだろう。

 最後には喧嘩のような雰囲気で終わってしまったが、それもきっとよくある痴話喧嘩。まともな男女の関係であるならば、あって(しか)るべき通過儀礼だろう。

「そっか」

 興味や、感心や、期待。そういったものがあるからこそ、ぶつかり合う。

 その上で歩み寄り、譲り合い、擦り合わせることで、人間関係とは築かれていく。

 一緒にいて楽しくも嬉しくもなく、離れていても何も感じることがないならば、それは繋がりとは呼ばない。

 中学時代は、独りで。家族は、ばらばらで。

「羨ましかったんですね……わたし」

 中学時代の友人たちは……咲太と麻衣は、確かに繋がっていた。

 そのことが、たまらなく羨ましかった。

 

 

    ◇    ◇

 

 

 放課後になり、いつものように時間潰しへ奔走(ほんそう)しようと、ひとまず教室を出た。

 しかし、早々に首を捻る。

 連日、野球部にバスケ部にと見に行ったせいか、運動部を見学するというのもなかなか乙なものだと思いつつあった。なので次はどこへお邪魔させてもらおうかと、一時は胸を躍らせていたはずが、今はどうも何もする気が起きなかった。

「うわっ、とぉ!?」

 ぼんやりと廊下を歩いていた綾音は、突如眼前に現れた何かを避けようとして、反射的に身をよじる。

「……むぐ」

 ひどくバツが悪い思いに襲われた。その『何か』の正体は、綾音にだけ見える『赤い糸』だったのだから。

 恐る恐る周囲の様子を伺う。幸い、綾音を見ている人物は誰もいなかった。もし今しがたの奇行を目撃されていたらと思うと、ぞっとしない。自分に関する妙な噂が立っては困る。そんなのはなはだ不本意だ。

「ううーん」

 ただ、それとは別の問題が一つある。

「どこから……どなたからの糸なんでしょう……?」

 この糸の出所が、わからなかったのだ。

 これまで見えていた糸というのは、せいぜい同じ教室内にいる人同士ぐらいの距離まで。それも綾音がその二人を視認できている状況でしか見えなかった。

 それが今はどうしたことだろう。先ほどの赤い糸とは別に、他にも様々な色の糸が、縦から横から壁や床をすり抜け、どこからどう伸びてきているかわからない。誰と誰を結んでいる糸なのか、さっぱりである。

「悪化、なんでしょうね……どう見ても」

 比べるまでもなく、距離の制限が明らかに伸びている。深く考えるまでもなく、思春期症候群の症状が進行してしまったのだろう。

 何となしに目に映る糸の本数を数える。全部で、十三本。

 数え終えると同時に虚しさを覚え、放心する。

 ふと思い出したのは、以前に綾音自身が口にした言葉。

 ――わたしの視界が愉快なことになっちゃいますよ

 それは本心のはずだった。想像する限りでは、目に楽しいものと思ってた。

 しかし、実際に目の当たりにしてみると、なかなかどうして。

(わずら)わしい、ですね……」

 ぽつり、そんなことを呟いた……その瞬間だった。

「……えっ?」

 綾音は目を瞬かせる。無意識にごしごしと擦り、今一度改めて目を凝らす。

「……なんで?」

 やはり、無い。

 視界にあった全ての糸が、きれいさっぱり消失してしまったのだ。

「いったい、なにごと……」

 そう小首を傾けている間に、徐々に糸がうっすらと見え始め、ほぼ元通りの光景へと戻っていく。今度はしっかり数えたりはしないが、十本程度の糸が視界にある。

「……」

 たまたまか、気のせいか、単に疲れていただけかもしれない。

 綾音は、再び糸が現れたことに安心しきっていた。それ以上は気に留めることなく、廊下をぽてぽてと歩きだす。

 そう……安心しきっていた。

 

「あ」

「あ」

 この頃すっかりお馴染みとなった人物と、ばったり出くわす。お互いが同時に発した一文字は同じはずなのに、ニュアンスが大分違った。

 綾音は明るく弾んだ声。対する咲太は、暗く沈んだ声。

「これはこれは、さくたろ先輩」

「助けてくれ、秦野」

 何やら弱り果てている咲太。非常事態だ。空から槍でも降るんじゃなかろうか。

「え、なんですか(やぶ)から棒に」

「縁結びとかできるだろ、占い師なんだし」

「それって神社かなんかと勘違いしてません? わたしには『見える』だけですよ、残念ながら」

「使えない奴だな」

「しかしあなた様に(つか)える後輩です」

「なら、遠慮なくこき使うか」

「どんとこいです、馬車馬(ばしゃうま)のごとく働く所存です」

 得意げに胸を張り、ぽんと手で叩く。

「秦野」

「何も言わないでください」

 何を言いたいかはわかる、わかってしまう。すこぶる気の毒そうな咲太の視線が、胸に突き刺さってきて痛い。謎言語を借りて表現するならば、たぶん『ばり痛い』ってやつ。

「そんで、どしたんです? 急に縁結びがどうとか、これより待ち受けるイベントのためにハーレムでも築くおつもりで?」

 待ち受けるイベントというのは、直近では十一月の文化祭。十二月にはクリスマス。次いでお正月、バレンタインと、恋人と過ごすにはもってこいなイベントが目白押しだ。多くの人間が血眼になり、縁結びの神などに願いかけたりするのも無理はないかもしれない。

「でもダメでしょう。さくたろ先輩には、桜島先輩という心に決めたお方がいらっしゃるのですから」

「その麻衣さんのことだ」

「はい?」

「あれから麻衣さんが口もきいてくれないんだよ」

 あれからというのは、すぐに思い当たった。そしてその瞬間に恐怖で震え上がる。脳裏にこびりついてしまった修羅場の全容が、まざまざと蘇ってくる。

「……あれから? ずっと?」

「ああ」

 咲太と麻衣の痴話喧嘩を目の当たりにしてから、かれこれもう三日も経った。

 改めて思い返してみても、そこまで長いこと怒るような理由が見当たらない。咲太の弱り具合も頷ける。(わら)にもすがる思いで、綾音にですらすがりたかったのだろう。

「なるほど、いい気味です」

「そうか、こいつがお望みか」

「たいへんお気の毒です」

 咲太がデコピンの素振りを始めていたので、慌てて言い直す。

「そうは言っても、わたしは桜島先輩のことをあまりよく存じ上げませんからねぇ。情報としては押さえてあっても、お人柄に関してはさっぱりでして」

「まあ、それもそうか」

「ええ。なので国見先輩か双葉先輩あたりに相談された方が、幾分(いくぶん)か意義があるのではないかと思ってしまうわけですよ」

「いや、それがな……」

「んん?」

 何やら歯切れが悪い咲太。常軌(じょうき)(いっ)した事態だ。いよいよもって空からカエルでも降ってくるかもしれない。それは『怪雨』もしくは『ファフロツキーズ』という名の、実際に起こった現象らしい。げに恐ろしきかな、くわばら、くわばら。

 しばし待つも、咲太はなおも言いよどんでいる。それほどまでに話しづらい内容なのだろうか。

「あの、さくたろ先輩?」

 さすがに見かねて、先を(うなが)してみる。

 それによりようやく決心がついたのか、咲太は肩をすくめつつ、重い口を開いた。

「あの二人も、僕の相手をしてくれないんだよ」

「……はい?」

 予想だにしなかった台詞に、きょとんとしてしまう。

「あの、どういうこっちゃです?」

「なんていうか、入り込む余地がないんだよな」

「それは、その……国見先輩と双葉先輩が、良い雰囲気で……ってことですか?」

「ああ、腹立たしいぐらいにな」

 咲太には妙な節がある。

 思えば、体育館での時もそう。佑真と理央の邪魔をしないようにと、声もかけずに立ち去っていたことがあった。それは決してやさしい気遣いなどではなく、後で二人をからかうネタのためとか、単に面倒くさがってとか、そんなところだと思うけど。

 それを踏まえた上で咲太が入り込めない状況というのは、いつ見ても二人が一緒にいるような状況、ということだろうか。

「二人だけの世界へと旅立ってしまわれましたか」

「それを素直に応援できない僕がいる」

 咲太が素直になる時など、永遠に来ない気がする。たとえ地球最後の日にだって、咲太は咲太らしいまま過ごすに違いない。

「このまま先輩方を失えば、お友達がゼロになってしまうからですか?」

「僕を(あなど)るな。友達なら三人もいるぞ」

「それって、国見先輩と双葉先輩も数に入れてますよね?」

「当然だろ」

「では最後のお一人は桜島先輩?」

「麻衣さんは恋人だからノーカウント」

 要するに、佑真と理央を除けば、あと一人しかいないということ。『三人も』と、さもたくさんいるような言い分に聞こえるが、はたしてそれは多いのだろうかと内心首を傾げる。

「あと他の学校にももう一人いるか」

「なら、問題ありませんね」

 お一人様追加の駄目押しにより、あっさり得心(とくしん)した。よくよく考えてみれば、友達がただ一人のみである綾音よりは断然多いし。

「他に何か不都合でも?」

「……」

「……さくたろ先輩?」

 綾音の呼びかけに、咲太がはっとする。

「いや、考えすぎか。あいつらに限ってそんなこと……」

「……?」

 よく聞き取れなかったが、小さく頷いているところを見るに、咲太の中では何かの結論を出せたらしい。この件に関しては、それ以上の詮索をやめることにした。

「んん~、皆さんどーしちゃったんですかねぇ」

 こうも立て続けに知人に距離を置かれるというのは変な話だ。他の人の話であれば、いじめを疑ってしまうが、あの先輩たちがそんな陰湿な真似をするとも思えない。

「なーんかやらかしちゃってませんか? さくたろ先輩ってば、いちいちデリカシーに欠けてますし。ふつーの人なら避けるような言葉も平然とぶっこみますし」

「記憶にないな」

 いっそ清々しいまでの瞬時の即答。

 でも、この時の咲太には、妙な説得力があった。

「怒らせるの、得意そうですもんね。空気も読まないでしょうし」

「喧嘩なら買ってやるぞ」

「いえいえ滅相(めっそう)も無い。得意なんですよ、空気も読めないんじゃなくて読まないんですよ」

「その心は?」

「機嫌を損ないそうな自覚がありながら、意図的にするんですよね。つまり、無意識にするようなことがないんです。そんなさくたろ先輩がまったく心当たりがないってのは、本当に何もしていないってことだと思うのですよ」

 思春期症候群を発症してからというもの、自然と人間観察をする習慣ができていた。それ以前の綾音は他人の心の中などさっぱりだったが、最低限の分析ぐらいできるようになってきたと思う。

「はれ? 的外れでした?」

「買い被りすぎだ。僕がそんな思慮深い男に見えるか?」

「見えません、さっぱり」

「だろ」

 そこそこ自信ある見立てだったのに。まだまだ修行不足なようだ。

 

「あ」

「う?」

 咲太が何かに気付いたように、短く声を発した。視線の先を追ってみれば、一人の女子がこちらへ歩いてくる。

 綾音もその顔には見覚えがあった。

 名前は、古賀朋絵。綾音と同じ一年生の、クラスは四組。綾音とは違い、誰もが口を揃えて『美少女』と呼ぶであろうお人。

「げっ、先輩」

 朋絵は露骨に顔をしかめる。

「そんなに嬉しそうな反応するなよ」

「今のがそう見えたの?」

「聞こえたんだよ、古賀の心の声が」

「えっ、うそ!?」

 慌てて左右の手で、口と胸をそれぞれおさえていた。

 心の声とやらが漏れないようにしたつもりなのだろうか。たとえ無意味だったとしても、そうしてしまう気持ちはすごくわかる。

「嘘に決まってるだろ」

「も、も~! また変なことにでも巻き込まれてるのかと思ったじゃん!」

「……変なこと、ね」

 咲太は意味深な眼差しを綾音へ向けてきたかと思えば、

「まあ、まだセーフか?」

 と、勝手に一人で納得していた。

「セーフってなにが?」

「古賀の体型かな」

 朋絵が頬を赤らめ、先ほど同様に両手で体をガードした。しかし、真っ先に隠した場所が、なぜお尻なのかが気になってしょうがない。普通ならお腹とか、さっきみたいに胸とか、とりあえず前面ではなかろうか。

「先輩ってばまじむかつく、ばりむかつく」

 朋絵の台詞に、はっとする。謎言語の使い手がここにもいた。

 ずいぶんと親しいようだし、まさかとは思うが同郷なのだろうか。咲太はともかく、朋絵は異世界人には見えない。

 それにしても奇妙な光景だ。咲太と好んで関わろうとする人間など、自分ぐらいなものだと思っていた。特に同じ一年生ともなれば、なおさら。どのような経緯で二人は知り合ったのだろう。

「……んん?」

 そこに関わってくるのかは定かではないが、先ほどの二人のやり取りの中で、朋絵が聞き逃せない発言をしていた気がする。

「あの……『また』って?」

 ――また変なことにでも巻き込まれてるのかと思ったじゃん

 にわかには信じがたいが、話の流れから推測するに、『心の声が聞こえた』と同程度の『変なこと』が、過去にこの二人の間にあったということに思える。

 綾音の言わんとするところを察したのか、咲太がなんとも面倒臭そうにため息をついた。

「色々あってな」

 さらっとした一言で、疑惑は確信へと変わる。

 ――色々あってな

 それは以前に、なぜ思春期症候群を信じるに至ったのかと問いただした際の、咲太からの返答とまったく同じ文言だった。

 ならば朋絵も、その『色々』のうちに含まれるのだということ。

 つまりは、麻衣と同様、朋絵も思春期症候群の経験者ということなのだろう。

「な、なるほど……」

 思春期症候群とは、誰もが信じていない、噂話や都市伝説。世間一般には浸透してくれないほどに、多くの人々が一生のうちに一度たりとてお目にかかれないほどに、ごくごく希少な超常現象のはずだ。

 綾音のことも含め、こう何度も関わってしまう咲太の境遇を羨ましく思う反面、正直同情もしてしまう。

 ――僕のことを巻き込むのはやめてくれ

 そんな風に釘を刺されてしまうのも無理ない気がした。思うに、咲太はかなりの不幸体質なのではなかろうか。

「……はれっ?」

 すっかり意識の外にあったが、咲太と朋絵との間には、糸があった。

 確か、『親友』のような意味合いを持つ『緑の糸』だったように思う。

 それが……いつの間にやら、きれいさっぱり無くなっている。

「どうした?」

「い、いえ……」

 なぜ無くなってしまっているのか、そもそも緑の糸は本当にあったのか。話すべきか、話すとしてどう説明すべきか。頭の中を様々な思考がぐるぐると巡り、うろたえていたら、

「秦野にも古賀の心の声が聞こえたか」

 と、咲太が茶化すように言ってくる。いつもながらの空気を読まない発言をしただけかもしれないが、今はありがたい助け舟だった。

「まぁ、そんなとこです」

「えっ!?」

「もちろんジョークです」

 朋絵が大いに衝撃を受けた表情のまま固まる。心の中で「ごめんなさい、古賀さん」と両手を合わせる。恨むなら咲太を好きなだけ恨んでほしい。

 

「初めまして。四組の古賀朋絵さん、ですよね?」

 思えば挨拶も済ませていなかったなと、占い師業で培った営業スマイルを向ける。

「あ、う、うん……えと、ごめんね、その……」

 当然別のクラスの綾音の名など知らず、朋絵は心底申し訳なさそうに言葉を選んでいる様子だった。

 噂にも聞いていたが、たったそれだけでも高慢とは無縁な、控えめでやさしい性格をしているのだということがよく伝わってくる。

「いえいえ、どうかお気になさらず。単に古賀さんが有名なだけですから」

「ゆうめい?」

「一年生における、『かわいい女子ランキング』の五本指に間違いなく入る逸材ですゆえ」

「そっ、そんなのいつの間にできてたの!?」

「ふっふっふ。トップシークレットなのです」

 別にできたわけではない。綾音の独断と偏見による、綾音の綾音による綾音のための勝手なランキングだ。

 けれどそう捨てたものではないとも思っている。実際にアンケートを取ることができれば、上位十名ほどは限りなく予想に近い結果が出るはずだ。そして朋絵は五本指どころか、一、二を争うに違いない。

「さすが、古賀はかわいいなー」

「か、かわいいっていわないで」

 咲太が茶化すと、朋絵がぷくーっと頰を膨らませていた。かわいい。

「まあ安心しろ、秦野の情報網が異常なだけだ。僕なんて同じクラスのやつの名前もろくに覚えていない」

「それ、威張っていうことじゃないし」

 綾音としては、なんとも咲太らしい言い分だと思った。内心ほっこりしてしまう。

 他者に興味など持たぬ、一匹狼、孤高の存在。これぞ綾音の抱く『病院送り』先輩像。

「あ、申し遅れました。わたし、二組の秦野綾音と申します。以後お見知りおきを、古賀さん」

 すっかり失念してしまっていたなと、いまさらながら名乗る。

「あ、うん。よろしくね、秦野さん」

 漫画であれば大見開きになりそうなほど、魅力的な笑みを向けてくれる。花が咲くような笑顔とは、このことを言うのだろう。

「ちなみに、こちらのさくたろ先輩の忠実なる下僕です」

「うわっ……」

 一転して、咲太にはゴミでも見るような目を向けている。

「さくたろ先輩のご命令とあらば、あーんなことや、こーんなことも、逆らわず遂行いたす所存です」

 半分は冗談でも、半分は本気。咲太は綾音に欲情することは拷問だとまで言うぐらいだ。綾音が断れないほどの鬼畜な命令を下すこともないはず。強気に出てもリスクなど無い。

 実はかなりの策士であり、それが油断させるための作戦だとしたら……その時は、その時で。是非も無し。

「先輩、まじでなに考えてるの? 桜島先輩っていう美人の彼女がいながら」

「僕はいつだって麻衣さんのことしか考えてないぞ」

「それはそれで、気持ち悪い」

 一切容赦のない軽蔑の言葉。胸がすくようだ。本当は綾音が勝手に言いだした設定なので、咲太は何一つとして悪くないのだが。

「ま、無為に公言するのは控えときますよ。桜島先輩の耳に入ったら大変ですもん、状況悪化待ったなしですもん」

 少し面白そうだと思ってしまった。本当にほんの少しだけなので、どうか許して欲しい。

「なに? 桜島先輩とケンカしたの?」

「振られる寸前みたいです」

 ちょっとだけ希望的観測が混じってしまっている。これも本当にちょっとだけなので、どうかご勘弁を願う。

「思ったより早かったね。ご愁傷様、先輩」

「お悔やみ申し上げます」

 両手を合わせた朋絵につられて、綾音も同じポーズを取る。

「よくできた後輩たちを持って幸せ者だな、僕は」

「あーもう、やめてってぇ」

「んうう……」

 咲太の手により、二人して頭をわしゃわしゃされてしまった。綾音はともかく、朋絵のかわいらしく整えられていた髪型が台無しにされてしまったのは忍びない。

 上目遣いで(にら)む朋絵。その視線を涼しい顔で……どことなくやさしい表情で受け止める咲太。

「仲、いいですねぇ」

 半ば無意識に心の声がこぼれる。

 ――友達なら三人もいるぞ

 この学校における友人の最後の一人というのが、朋絵のことだったのだろう。そう確信できるほど、温かな繋がりを感じられる光景だった。

「ま、尻を蹴り合った仲だからな」

「ちょっ、先輩!?」

 突然の衝撃告白に、綾音の興味のメーターが一気に振り切れる。

「お尻を? どのようなご経緯で?」

「あれは忘れもしない、よく晴れた日曜日のことだったか」

「ふん、ふん」

 咲太をじっと見つめ、傾聴(けいちょう)の姿勢に入る。

 男女がお尻を蹴り合う経緯など想像もつかない。前代未聞の珍事件、詳細を押さえておかねば末代までの恥だ。

「……?」

 少し待てども、咲太の次の言葉がない。

 いったいどうしたのかと、小首を傾げる。するとなぜか、咲太も同様に小首を傾げた。

「……古賀?」

 咲太の表情に怪訝(けげん)な色が見え始めた瞬間、

 

「それ言うの、ほんっとやめてってばッ!!」

 

 と、急に朋絵が大声を上げた。

 離れた位置にいた生徒もびっくりしてこちらを向いてしまうほど、校舎内全域に響き渡ってしまったかもしれないと思うほどの大音量だった。

「どうした古賀。また太ったのか?」

「うるっさい先輩、まじウザいっ! 大っ嫌いっ!」

 ひとしきり叫んだ後、肩を怒らせて去って行ってしまう。

 取り残された二人は口を半開きにさせ、世にも間抜けな面を晒してしまっていた。

 

「……さくたろ先輩」

「なんだ」

「これ、古賀さんとのいつものやりとりなんですか?」

「の、はずだったんだが……」

 二人揃って腕を組み、首を捻る。

「どうしたんでしょうね?」

「難しいお年頃なのかもな」

「あ。お年頃の女子に、体重の話はあかんですね」

「毎度おなじみの挨拶みたいなものなんだよ」

「なら、溜まりに溜まった鬱憤(うっぷん)がうんぬんってやつじゃないんですか」

「溜まったのは贅肉(ぜいにく)の方だと思うぞ」

「……」

 さすがに言葉を失い、(さじ)をぶん投げた。だめだこの先輩。

「ああ、秦野」

「はいはい?」

「古賀と僕の間に、糸は見えたのか?」

「いえ、それが……」

 改めて考え直しても、答えが出てこない。

 それまでそこに存在していたはずの糸が、急に消えてしまう。この糸ともそこそこ長い付き合いになるが、前例などなく、綾音にも何が起こったのかさっぱりで、説明がつかないのだ。

「見えなかったのか」

「……えぇ、まぁ」

 何かまずいことになっているというのなら、あまり積極的に関わらせたくもないし、単純に綾音の見間違いだった可能性もある。今は言葉を濁すほかなかった。

「またかよ。本当に使えない奴だな」

「わたしの方に非があると決まったわけじゃありませんからね。桜島先輩のときにも申し上げました通り、知らぬ間にお相手の気持ちが離れてるのかもしれませんからね」

「まじか」

「まじだと思うんです」

 咲太の表情に変化は見受けられない。綾音の軽口など、まったく利いていないようだった。

 このぐらいで絶望に打ちひしがれるような神経をしていないのか、不幸体質な咲太の感覚ではまだまだ絶望とは程遠いのか。

 あるいは……綾音の『糸』なんかよりも、強く信じているものがあるのか、だ。

「ただまぁ、糸の方は残念ながら、だったんですけど」

「ん?」

「浮気は、ほどほどにしましょうね?」

 綾音にだって、このぐらいは気づけてしまう。

 朋絵はきっと、咲太のことが好きだ。もしくは、好きだった。

 けれど、咲太には麻衣がいる。だから諦めた。叶うはずがない恋だと、結ばれてはいけない想いだと、痛いほどにわかっていたから。

 だから、友達でいることを望んだ。自らの意思で『緑の糸』で結ぶことを選んだ。

 なんとも儚く尊い、男女間の友情。

 素直にそう感じた……はず、なのに。少しだけ、胸に引っかかるものがあった。

「僕は麻衣さん一筋だからな」

 その言葉はなぜか、耳にすんなりと入ってくれなかった。

「……そう、願います」

 その台詞はなぜか、発するまでにわずかな間があった。

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