「風見、中学の時のソフトボール投げ何mだった?」
「さあ?出てないからわからないわ。」
不躾な返答に、思わず相澤は眉間に皺をよせた。
「……まあいい。いいから投げろ。"個性"を使ってやってみろ。円から出なけりゃ何してもいい。早よ。」
「はあ、なんでこんなことしなくちゃいけないのかしらねえ。頭が良くないわ。……マト発見。」
幽香は空に浮かぶ鷹の影に狙いを定めると砲丸投げのように右腕を引き絞った。
「
乾麺のように真っ直ぐな光の線が大空を
「……死ね?」
クラスメイトの幾人かはあんまりな暴言に唖然としている。爆豪は露骨に不機嫌な顔をした。同族嫌悪なのだろうか。
「こりゃ第3宇宙速度超えてるね。無限でいいか……。」
無限!?すごい!面白そう!個性思いっきり使えるんだ、流石ヒーロー科!太陽系から飛び出すのかよ!
生徒たちが沸き立つ。
「……面白そう…か。ヒーローになる3年間、そんな腹づもりで過ごす気かい?……よし、トータル成績最下位の者は除籍処分としよう。生徒の如何はおれたちの自由!ようこそこれが雄英高校ヒーロー科だ!」
生徒達がどよめく。自由な校風が売りの雄英は教師も自由なのだ。
「雄英とはいえ窓ばかり買う予算はないぞ。」
「ヒーローを育てるならそれくらいの投資はしなさいよ。」
「はあ、次は割るなよ。周りに被害を出さないのはヒーローとしての最低限だ。」
「で?貴方は私が我慢する対価に何を差し出すの?」
「罰を与えてもお前は従わないだろうな。だったら、3年間で校舎を破壊しない代わりに席を自由に選ばせてやろう。時間は取れないからお前らで休み時間にでも勝手に決めろ。」
「あのチンピラの席も決められるなら手を打ちましょう。」
「オ・マ・エ・ラで決めるんだぞ。」
「有象無象の虫ケラどもなんていてもいなくても変わらないわ。」
「……勝手にしろ。授業を進めるぞ。全く合理的じゃないな、クソ」
この数時間で風見幽香の印象は、クソを小便で煮詰めてウジにかけたようなものだと共通の認識になった。爆豪がちょっとヤンチャな中学生に見えるほど、幽香は傍若無人だった。
「雑誌の特集に載ってた『ヒーローから見た風見幽香』の100倍酷いなあ」
緑谷は憧れのオールマイトの娘、それも強個性持ちでカワイイ。気が強くて少々ビッグマウスな所もチャームポイント。…そんな風に思っていた。同世代の人間は男も女も風見幽香に恋をする。そう言われて久しいが、メディアに取り上げられる彼女と実物は月とスッポンどころか、太陽系とボーアの原子模型レベルの違いがある。通りでオールマイトが幽香のことを話してくれないわけだと緑谷は納得した。鬼に育てられたらこうなるのだろうか。
ーーーーー
入試の後、クラス編成が終わった頃の話だ。相澤宅近くの月極め駐車場にて、マイカーから降りた相澤を待ち受ける男がいた。
「こんにちは、相澤先生。私は警視庁公安部・テロリズム対策企画課の吉岡です。」
この男は先日太陽の畑にやってきた男と同一人物である。名前はその時その時で偽名を用意している。
「公安が何の用だ?」
「貴方のことは調べましたよ。毎年大量の除籍者を出しているようですね。これはいけない。」
「相応しくない者がヒーローになることの方が不幸だと思うけどね……」
公安の男は子供をあやすような柔らかい笑みを浮かべる。相澤はゾワゾワと鳥肌が立つのを感じた。
「建前は置いておきましょう。『風見幽香を除籍するな。』です。我々は風見幽香を恐れている。アレはヒーローにならなければならない。何とかして首輪をつけなければ。アレは生かすには恐ろしく。殺すには惜しい。」
「それは飲めない相談だ。」
相澤には相澤の信念がある。それは自分のヒーローとしての、いや人としての根幹をなすものだ。これを曲げたら相澤は相澤でなくなってしまう。
「考えてもみてください。オールマイトを超える暴力装置が正義以外の旗を掲げる未来を!あってはならないことです。嘘でも何でもいい、風見幽香にはヒーローのフリをすることを覚えてもらいます。これは絶対です。ここに
「風見幽香が殺人を?」
言動こそ荒々しいが、腐ってもオールマイトの娘である。個性も顔も、超パワー以外は似ていないが…。職員室に用意されたオールマイトのデスクには風見幽香そっくりの女性と、変装したのかやや細身なオールマイトが手を繋いでいる写真が飾ってあった。遺伝子は仕事をしないこともある。30年生きてきてもまだまだ新しい発見があるものだと感心したものだ。
「ええ、しかし衛星にすら写っていません。ただ、我々には超法規的な情報収集能力があります。それはかつてのエシュロンを超えた、超人社会に則した全知的なシステムです。」
「法的に有効な証拠はないということか。個性による情報収集といったところか…。」
男はにっと笑う。
「お話できませんよ。…では今日はこの辺りで。後はご自分で考えて下さい。賢いあなたなら分かるはず。それでは。」
男は目深に帽子を被り、夕闇の中に消えていった。相澤はドッと疲れを感じた。今日くらいは熱い風呂に入っても良いだろう。自宅のバスルームはカビや水垢の手入れに手間がかかる。
「銭湯の方が合理的だな。」
相澤は今日もその優れた頭脳で合理的な解答を生んでしまった。一日一善ならぬ一日一合理化は気分のいいものだ。バスタオルがわりに包帯みたいな捕縛武器を使えばさらに合理的である。悪魔的な閃きと言えるだろう。
ーーーーー
相澤は深く溜息をつく。教員が生徒に萎縮するなどあってはならないことだと、自らを鼓舞する。
50mは空を飛んで6秒台。
「「空飛べるんだ!!」」
握力は6286kg。
「恐竜の顎かな?」「アソコ握られたらスゴそう。」「ちぎれるだろバカ!」
反復横跳び0
「仁王立ちしてるぞ」「優雅じゃないってさ」
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ここまで大記録を出せていない緑谷は焦っていた。
絶対にヒーローになるんだ!
出久は心の中で叫んだ。
「46m」
結果は平凡なものだ。無個性にしては悪くないだろう。尤もここは雄英ヒーロー科、許される結果ではない。出久は絶望に顔を歪ませた。
「今、使おうって…」
「個性を消した。」
相澤は目を血走らせている。
「つくづくあの入試は合理性に欠くよ。お前のようなやつも入学できてしまう。」
見ただけで個性を抹消する個性。
「抹消ヒーローイレイザーヘッド!」
珍しいヒーロー名にガヤガヤと話し始める生徒達。その喧騒を破ったのは幽香だった。
「消してみて」
幽香が紫電迸る手のひらを相澤に向ける。
「次やったら除籍だからな。」
手のひらで輝く小さな太陽は燃え尽きたマッチの火の様に空気へと溶けて消えた。
「あら?本当に消せるのね。」
幽香は面白そうに右手をグーパーしている。相澤は幽香の能力を消せると確認できたことを一先ずの成果だと考えることにした。
「はあ…個性は戻した。ボール投げは2回だ。とっとと済ませな。」
緑谷は何やらブツブツと言いながらボールを振りかぶる。小さな声だったが幽香の耳には聞こえていた。聴覚が優れているわけではないが、面白そうなことと、自分への悪口だけは聞き分ける都合のいい耳を持っていた。
「へえ…力の調整に、オールマイトか」
幽香は何やら思うところがあるらしく、ニヤニヤと笑っている。物陰から緑谷を見守るオールマイトは幽香と目が合った気がした。
「あの男は…私には力をよこさないくせに…こんなデクノボウに…」
幽香は自らが世間一般で言うところの「ヒーロー」に当てはまらない、他人とはズレた感性を持っていることを理解していた。しかし、自分こそが一番上手く、OFAという名の暴力を上手く使えると信じていた。
「いや、私が緑谷の次になればいい。」
幽香は緑谷に取り入ってOFAを奪う計略をめぐらす。OFAは持ち主が、「力を譲渡するという意思」が必要という条件を知っていたからこそ、今日まで「良い子」を演じてきていた。
(親を騙すのは周りのガキどもの真似をすればよかったけど、男子高校生か…。熱血そうな奴に聞けばいいか…。)
そして、信用を勝ち取った後は都合良く緑谷が死に瀕する必要がある。その為の舞台装置を用意しなければならないのだ。AFO。あの怪物を上手く誘導すればそれも夢ではない。
「どーいうことだこらワケを言えデクてめえ!」
生徒の列から激昂した爆豪が飛び出す。幽香は無意識に足をかけた。相澤が捕縛しようと伸ばした包帯の下を、爆豪は顔面を庇った腕を大根おろしにしながら滑っていった。オールマイトの裏切りに荒んでいた幽香の心は幾分か晴れやかなものになった。
(いじめ甲斐があるわね。)
「んにすんだてめえ!」
幽香はかかって来いとばかりに手招きする。相澤は爆豪が幽香に飛び掛かるものだと身構えたが、ギリギリと歯を食いしばりながら緑谷にガンを飛ばすに留まった。
(因縁があるのか)
緑谷はこれといった記録も出せず、全種目を終了した。トータル最下位は除籍。生徒の幾人かはその「最後通告」に恐怖し、身を震わせている。
「ちなみに除籍はウソな。君らの最大限を引き出す合理的虚偽。」
「「「はーー!?」」」
真面目な飯田や最下位の緑谷は絶叫した。
「あんなのウソに決まってるじゃない…ちょっと考えれば分かりますわ…」
個性把握テストは幽香12位、緑谷21位の結果だった。幽香は他がブッチギリだったが反復横跳びが0点だったので大きく順位を下げてしまった。
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「相澤君の嘘つき!」
「オールマイトさん…見てたんですね…暇なんですか?」
相澤は暗に仕事をしろと言ってみた。しかしオールマイトには行間を読むことができない。ノーダメージだ。
「合理的虚偽ってエイプリルフールは一週間前に終わってるぜ。君は去年の一年生、1クラス分を除籍処分にしている。君も
「
むしろ
「肩入れしてるのは俺も同じか…」