「歌鈴、その子は?」
ペットボトルのお茶を自動販売機から取り出しながら振り返って、プロデューサーさんがわたしとわたしの肩のほうに視線を向ける。
「辻野あかりちゃんです。プロデューサーさんのこと、ずっと探してたから連れてきたんですけど……」
「へえ、その子が……」
エントランスで、あっちでキョロキョロこっちでオロオロしてた栗色の髪の女の子。他人とは思えなくて声をかけたら、要約するとわたしの担当プロデューサーさんを探してるってことだった。……要約したのはあかりちゃんの話がすごく転がっていくからと、プロデューサーさんの手前、わたしからはちょっと言葉にしづらいから。
「お願いします! 力を貸してください!!」
勢いよく頭を下げるから、長い髪が鈍い音で空気を切って、顔のほうまで回転する。プロデューサーさんはちょっと考える仕草をして、ペットボトルを二つ買った。取り出してかがんだ恰好のまま、礼をして固まってたあかりちゃんの顔をのぞいて、近くの丸いテーブルにわたしたちを誘った。
「名指しで頼られるのは嬉しいが、えーと?」
向かい合って二人が座って、わたしがその中間にいる。名前はわたしが伝えたばかりだけど、こういう場合、“自分で名乗りなさい”という意味。ちょっと先生みたいなところがある。わたしは視線であかりちゃんに促した。
「あ、辻野あかりです。山形から来ました!」
「そう、あかりちゃん。いったい、なにを頼みに来たんだい。おれの名前も知らなかったみたいだけど……」
「すっ、すみません。噂だけ聞いて、このひとだって思ったらもう……」
もうしわけないです、と顔全体でいう。顔だけじゃなくて、頭のてっぺんの、双葉みたいな髪の毛も一緒にしょげてるみたいに見える。プロデューサーさんが笑って名刺を出す。あかりちゃんは名刺をつまみには行かなくて、下げた頭の前に左右の手を揃えて受け皿のように掲げた。そこへぽんと置かれた名刺をあかりちゃんはまじまじと見つめて、意外そうにこういった。
「はぁ~、名刺はちゃんとふつうの名刺なんですね」
「どういうこと?」
「……」
プロデューサーさんの垂れ気味の目がこっちを見る。つい顔を背けてしまった。わたしの口からはいいづらい。わたしがいうと、たぶん傷つくから。
「はい、あの、フクロウが欲しいんです!」
「もう一回。どういうこと?」
「私聞いたんです! この会社には人間に化けたミミズクの妖怪がいて野山のフクロウを意のままに操ってるって!」
「……」
「化けミミズクさんにお願いがあって来ました!!」
先にそっぽを向いててよかった。いまちょっと、さすがに失笑しそうになった。……わたしのプロデューサーさんは、額の両端で癖毛が真上に跳ねていて、ミミズクの飾り毛みたいに見える。それで、“人間に化けきれていない化けミミズク”ってアダ名がついている。もう慣れっこだとはいってた。同時に、歌鈴にまで笑われるとちょっと堪えるともいってた。だから、わたしからは説明できなかった。しかも今回は、噂の内容がかつてなくパワーアップされてるし……。
「一羽でもいいんです! どうかお願いします!」
重い栗色の髪がばさばさと、こんどはテーブルとペットボトルを打つ。テーブルの下に転がったのを、わたしはあわてて拾い上げた。いつもだとここで手が滑って遠くまで転がしちゃうけど、きょうは不思議とうまくいった。
「あのさ、あかりちゃん、その話になにか疑問は持たなかった? どうやって化けるんだとか、なんのために化けてんだとか」
「前のお話では完全に妖怪でしたし、理屈とかないのが妖怪だと思いますし」
「使い捨てた設定なんか拾ってくるんじゃあありません」
「しょんな……コホン、そんなことより、なんでフクロウが欲しいんですか?」
わたしが危ない話から強引に舵を切ると、あかりちゃんは大口を開けて固まった。“しまった”とここまではっきり顔に書いてあるのはすごい。顔だけじゃなくて、頭の双葉も硬直してる。元の顔にもどるのにたっぷり一〇秒はかかったと思う。それはこれからする説明を、必死に考えてたからだったみたい。
「私、辻野あかりです!」
「うん」
三回目の自己紹介だけど、プロデューサーさんはやさしく頷いた。たぶんわたしとおなじタイプの子だと感じたんだ。ここでツッコむと、せっかく考えた説明がぜんぶ吹き飛んでオロオロしちゃうタイプだって。それでもわたしは、ちょっとハラハラして見守る。
「実家は山形で、りんご農家をしてます! 山形りんご、食べるんご!」
「なにそれ」
「ちょっ……!」
あかりちゃんよりわたしのほうが泣きそうな顔になって、両手でプロデューサーさんの口を抑えようとした。本人の目も“やばい”といってる。でももう飛び出た四文字は取り消せないし、目測が外れて鼻を押しつぶしてしまった。プロデューサーさんに謝って、あかりちゃんをフォローしようとがばっと振り向く。そうしたら意外なんだけど、あかりちゃんは頬を膨らませてた。それこそりんごみたいに。
「そりゃ、りんごといえば青森かもしれないですよ。六割くらいが青森だし。でも山形だって全国四位で、いっぱい作ってるんですから、りんご。山形生まれの品種もあるんご!」
「や、いや、あのね? りんごはわかるよ。語尾。その語尾!」
「ごび」
きょとんとすると、頭の双葉がもどかしそうに動く。あかりちゃんのほうが、じつはよっぽど、なにかが人間に化けてるんじゃないのかな。失礼な考えが浮かんできて、わたしはかぶりをふった。
「ああ、“んご”のことんご? 都会のJKのあいだで流行ってるって聞いたんご!」
「ほんとにぃ?」
「ネットに書いてあるんご! JKの感覚とミミズクさまの感覚はちがうと思いますんご」
「なんだミミズクさまって」
さすがプロデューサーさんは大人で、感情的になりそうな表現をよけてツッコんだ。たしかにもう三〇歳だもん。見かたも感じかたも、だいぶちがうなって思うときはある。だからこそ、ただプロデュースされるだけじゃなくて、ちゃんと意見をいうことがだいじだって自虐混じりにいってたっけ。
「ゴキゲンはとらないと怖いんご。怒らせると首をひっぱって伸ばして固結びにされるって聞いたんご」
「だれだそんな残虐なウソ考えたやつは」
「妖精のイタズラならわかりますけどね……」
一本の髪の毛に気がつくと結び目ができてるのが“妖精のイタズラ”。手のひらサイズの妖精が、眠ってる人間にイタズラをしかけていくんだとか。けど化けミミズクは人間大の妖怪だから髪の毛どころじゃない、とか。
「怒らせるとイタズラする妖怪ってなんだよ……。考えたのは子供か?」
「まあまあ、あと、あの語尾はわたしは使いませんけど、ちょっと前にはクラスで使ってる子いましたよ」
いさめはしたけど、考えたひと、たしかにちょっと気になる。小さい子のなかには本気にしちゃってる子がいるから、あんまり悪い噂を流されちゃいけない。
ともかく、ひどいデタラメとか周回遅れの流行をつかまされたあかりちゃんはショックなようだった。でも意外と切り替えも早くて、双葉ごとしょげたかと思ったらすぐしゃきっと姿勢を正して、本題、つまり“なぜフクロウが欲しいのか?”に話をもどした。
……あかりちゃんの家は山形県のりんご農家。りんごは青森だけじゃない、山形りんごここにあり。そういう物産展というかフェスみたいなものがあって、一家総出で参加してた。
「はじめ、イベントで声をかけられたときは“スタウトマン”って聞こえて、青森はシードルばっかり作ってるからりんごビールで出し抜けると思ったんですよ。そしたらスカウトマンで、アイドルで」
商談じゃないことにはがっかりしつつ、ご両親はあかりちゃんに示されたアイドルの道を喜んだ。ビールのこともアイデアノートにしっかり書きつけて。……と、ここまではあかりちゃんの身の上。本題はりんご農園が直面してる問題だった。
りんごの木の脅威はたくさんある。結んだばかりの実を小鳥がついばんだり、収穫を控えた実を台風が薙ぎ払ったり。そんななかで、いまあかりちゃんたちを悩ませてるのはネズミ。りんごの木を根元のほうから食べて殺してしまう、夜行性で数が多くてとても小さい危険な動物。
「ネズミ捕りなんてお金かかるのに焼け石に水ですし、猫はキャットフードのほうが好きで……あとトイレ問題もあって。それで調べたら、青森では果樹園にフクロウを住ませてネズミをどんどん食べてもらってるらしいんです」
「どうやって住ませたんだ青森は」
「恐山でなにかやってるんですきっと」
おとなのオスはひと晩に四匹くらいネズミを食べる。つがいだとメスのぶんでプラス三匹、ヒナがいると一羽あたり少なくとも一匹。ヒナは平均三羽いるから、ひと家族で一〇匹のネズミを毎晩食べてくれる。ネズミを獲りに行く範囲は巣から半径三〇〇メートルくらいあるから、フクロウが一羽(できればひと家族)いれば辻野家の農園をまるごとカバーできる。
あかりちゃんはそう説明した。“来ぬフクロウのエサ算用”にしないために、どうするか? 悩んでいたあかりちゃんの耳に、化けミミズクの噂が飛びこんだ……。
「というわけでなるべくおっきいのをくださいんご!」
「おれはフクロウ屋さんじゃあありません」
「わかってるから頼んでるんです! ペットショップの子はそういうの無理だって聞いたんご! だから野生の子が欲しくて!」
「んー、なおさら無理だよ?」
「まあまあそうおっしゃらず……。ちゃんと捧げものも用意してあるんご」
悪代官の前の越後屋みたいに、紺色の通学カバンからあかりちゃんはうやうやしく一冊の本を差し出した。フルカラーの雑誌みたいなそれは、テカテカした表紙にピンク色の、毛がない、得体のしれない生き物(たぶん)が映っていて、わたしは悲鳴を上げかけた。
プロデューサーさんはさすが男のひとで、ちょっと苦い顔をして“マウスカタログね……”とつぶやいた。パソコンのじゃなくて、ネズミのマウス。つまり猛禽類の餌の贈答用カタログ。表紙のピンク色の生き物はそのままずばりピンクマウスといって、ハツカネズミの赤ちゃんだって。
「あのさ、りんごちゃん」
「あかりです」
「ごめん。あのねあかりちゃん? ほんとなんでこんなものを、どこでこんな……」
贈答用ってことは三〇〇〇円とか五〇〇〇円とか、けっこういい値段がする。それだけ本気なんだって伝わってくるだけに、ズレかたが悲しい。プロデューサーさんもすっかり参っちゃったみたいで、舌打ちがこぼれた。ほとんど反射的にあかりちゃんは首をすくめて、ブレザーの襟を立てて縮こまる。
「首は勘弁してください! 首は勘弁してください!」
「そんなもん結ばん!」
「うう……やっぱり勇気を出してちゃんとピンクマウス買ってくればよかった……」
「そういうことでもない!」
「ぷっ、プロでゅーサーしゃんっ!」
プロデューサーさんの食いしばった歯から荒い語気が噴き出して、わたしは思わず立ち上がった。立ち上がって、あかりちゃんから、口許と眉間に皺を刻んだ顔を隠した。噛むのはいつものことだけど、叫びながら動いたから声が裏返ったのがちょっと恥ずかしい。
「ど、怒鳴らないであげてください。倍の歳の男のひとってだけでけっこう怖いんですから、大声とかはやめてあげてください」
「……ああ、そうだな、ごめん、歌鈴。怖がらせてごめん、あかりちゃん」
不動明王みたいに歪めて、眉毛だけ悲しそうになった顔は、しょうじきわたしでも怖い。それを目も口も真一文字に閉じて石みたいに変えて、ネクタイの結び目を整えて椅子に深く座りなおす。ペットボトルのお茶を飲むと、ふだんのプロデューサーさんの顔にもどる。……目の生気がちょっと薄れてるけど。
わたしもホッとして椅子に座る。ぽかんとしてるあかりちゃんに水を促して自分も一口飲むと、とてもひんやりとしていて驚いて、むせた。
「あかりちゃん、真剣におうちのこと考えてるみたいですし、なんとかしてあげられませんか?」
「歌鈴、歌鈴、真剣とマトモはちがうんだよ。化けミミズクしか頼れんから化けミミズクでないと困るってとこまで行っちゃってると、これはけっこう手強いぞ」
こそこそ話でプロデューサーさんが顔の左側だけで笑うと、うしろで溜息が聞こえた。あかりちゃんが、キラキラした目でわたしを見てる。
「はぁ~……大妖怪も頭が上がらないなんて」
いつのまにか大妖怪に格上げ……ううん格下げ? プロデューサーさんがいまどんな顔をしてるか、見る気にはちょっとならない。
「これが巫女さんの神通力なんですね!」
「あの、そういうのじゃなくってですね、いまのは……プロデューサーさんとの信頼関係とか。そんな感じのやつです」
「まあ、神通力は畑ちがいだが、巫女らしく祓い清めといってもいいかもね」
あかりちゃんにはピンとこないみたいで、首だけ大きくかしげた。乱れてた襟が大きく開いて肩まで見える。
「雰囲気を良くするってことですね。怒ってるひとを宥めたり、泣いてる子をあやしたり。そういうのも祓い清めなんです」
「へぇー……。じゃあ、ネズミを農園から祓い給え~! とかできるんですか!?」
ターゲットがこっちに移った!?
「わたしじゃちょっと、迫力が足りないかな~……。あはは」
「じゃ、じゃあ結界を張るとか!」
「結界は~……バリアじゃないんですよ、もっと身近なもので」
ざっくりいうと“あっちとこっちに仕切るもの”が結界。またいだときに気持ちがなにか変わる境界線で、神社の鳥居とか家の玄関とか、アイコンがあるとわかりやすくなる。お箸なんかも、食卓で自分と食べ物のあいだにある結界だってだれかがいってたっけ。“いただきます”の呪文で結界を壊して、食べ物をこっちに引き寄せるとか。
「そこんところも歌鈴はちゃんと操ってたわけだ。あかりちゃんとおれと、ちがう部署という境界を壊して繋いでた、と」
「すごい難しいんご……」
「まあまあ、ともかく、えーっと……。なんの話でしたっけ……?」
天使が踊りながら通っていって、首を傾げてたプロデューサーさんが口を開こうとした。それより一瞬だけあかりちゃんは早かった。正確には、たぶん、プロデューサーさんが遠慮して声を出すのをやめたんだと思う。
「じゃあ、神通力ってなんなんですか?」
「なんで……」
「畑ちがいとかいってたんで、せっかくだしもうちょっとだけ神道講座お願いしますんご!」
そうそう、エントランスで話しかけたときもこんなふうに、話がなんどもジャンプしたっけ。わたしもよく身に覚えがあるというか、それがふつうなんだけど、こういうときはけっこう問題……。
「神通力は仏教の、悟りを開いた人の超能力だよ。巫女の歌鈴とはまず縁がないんだが、いかんせん神の字がついてるとね」
そう、とっても紛らわしい。そのうえテレキネシスみたいなものだと思ってたあかりちゃんは、それもちがうといわれて早くも目を回しはじめた。
「六種類あるんだが、どれも持ってて嬉しいかといわれると微妙なところでね……修験道のひとらには悪いけどさ」
どこへでも歩いて行ける神足通。遠くの音を聞き取れる天耳通。前世がわかる宿命通と天眼通。人間にかぎらず他者の心がわかる他心通。そして輪廻の輪から解脱したことがわかる漏尽通。たしかに、嬉しいようなそうでもないような……。わたしは反応に困ったけど、あかりちゃんはそうでもなかった。そうでもなかったというか、すごく元気になった。
「それんご!」
「どれんご」
「他心通! それを身に着けたらいいんですよ! フクロウの心がわかれば農園に連れてくることもできるんご!」
なんだかほんとうに出家しそうな気配があかりちゃんにはある。ダメなんていう権利はないし、無理かどうかはぜんぜんわからないけど……。
「す……しゅ、出家しちゃったらアイドルはできないですよ。あかりちゃん、おうちのりんごを宣伝するんですよね」
「はうっ」
あかりちゃんは半身になってうろたえた。完全に忘れていたみたい。わたしも半分くらい、口がかってに動いたおかげで思い出したんだけど。頭のてっぺんの双葉を見るとやっぱり、静電気で吊られたように真上へ向いていた。
「そ、それは……そうしたいんご……いえ、です、けど」
双葉が一気にしおれて、あかりちゃんはがっくりうなだれた。うなだれたと思ったら、テーブルに身を乗り出して……というか乗っかって、プロデューサーさんに泣きつく。
「私まだ、どこにも所属が決まってないんです……。このままやと摘果されるかも! はああ~!!」
プロデュースをするひとたちにも得意とか不得意があるわけで、アイドルそれぞれの適性にマッチする得意分野を持ってるひとが担当に割り当てられる。プロデューサーさんたちがスカウトする場合、自分で育てられそうな子を選ぶからすんなり決まるけど、スカウトマンが連れてきたあかりちゃんはなにが向いてるのか、人事のひとたちがまだつかめてない……たぶん。
「いっそつ、摘まれる前に丸刈りになって自分から出ていったほうが」
「ぷ、プロデューサーさん、なんとかなりませんか!?」
視線を向けると、プロデューサーさんはスマートフォンをいじってた。こんなときに! わたしが声にしかけたとき、その画面をわたしたちに見せてきた。
「まだ正式な決定じゃあないんだが」
見せられた画面はプロデューサーさんのメールボックスだった。人事部からのメールで、下期から新しく一人面倒を見られないかと訊いてる。その名前が……。
「私!?」
そう、辻野あかり。三回読み直して、まちがいない。わたしまで嬉しくなって、あかりちゃんと手を取り合ってはしゃいだ。テーブルから降りるときに倒しかけたり、もらったペットボトルを忘れて帰ろうとしたり、わたしと似てるようでちょっとちがう、そそっかしくてかわいい後輩。双葉の先まで希望に満ちたうしろ姿を見送ったあとで、プロデューサーさんがポツリとつぶやいた。
「けっきょく、あの子、フクロウはどうする気なんだろうな」
(了)