【夢】
①ピアノ ②一輪車 ③大根
トントントン… トントントントン…
私は、ピアノのメロディーをBGMに大根を切り続けていた。
…山の様に。
「ちょっと、どれだけ切るの?」
娘が、ピアノを弾く手を止め、渋い顔で唸る。
トントン…トン
私が無言で切るのを止めると、娘は呆れ顔で溜息を吐いた。
それから、ピアノに立て掛けていた楽譜を閉じながら、複雑な表情のまま
「お母さん、何かあったの?」と言う。
「何か…ねえ」
私は少し考えた後、小さく肩を竦めて見せ…
「魔女に大根を切り続ける呪いを掛けられちゃったの」と困った様に笑って見せた。
「はあ…」
勿論、娘は母の謎発言に目をぱちくりさせて呆然とする。
が直ぐに「話したくなかったら、良いよ」と、ピアノの蓋を静かに閉めたのだった。
*
その日の夕食は、大根尽くしになった。
帰宅した旦那も、食卓を見た瞬間、絶句した。
「ど…どうしたんだ?」
「えー? よく分からないんだよねえ。お母さん、何も教えてくれないから」
「そう…か」
私は親子の会話と、チクチクと刺さる視線を無視して黙々と大根料理を食べていた。
***
「わー! 待ってー!」
幼い少女の声が、清々しい青空に響き渡る。
数秒後、目の前を猛スピードで走り抜ける一輪車。
風と土埃が舞い上がって、私は顔を顰(しか)めた。
「…本当。何なのよ、これ」
此処は見た事の無い住宅地と公園。
私は今、その公園の入り口に立っていて、道路の方を向いている。
「はあ」と今日の娘の様に、呆れ切った溜息が出てしまう。
「で、また戻って来るのよね…」
先程(さっき)、変な一輪車が走って行った方の道路を眺める。
「あ…」
……やっぱり戻って来た。
これは夢。
最近、毎日同じ夢を見ている。そして〝これは夢だ〟と言う自覚も毎回ある。
何時も通りなら、あの一輪車が私にあと数メートルってところで毎回、目が覚めるのだけれど…
「あれ?」
一輪車が何時もより此方に近付いて来る。
「ええ…?!」
どんどん…どんどん、変な一輪車が接近して来ている。迫って来る…!
そして遂に。
「どうも、こんにちは」
目の前で止まったのは少女では無く〝服を着たうさぎ〟だった。
しかも器用な事に、一輪車に跨(またが)って、降りる事なくバランスを絶妙にとっている。
「…はい?」
まるで、童話の『不思議の国の~』の様だ。
ぺこりと丁寧に頭を下げたうさぎ…。
「待ってってばー」
突然、遠くから聞き覚えのある声がして私は飛び上がる。
そして私とうさぎが同時に、声がした方を向く。
視線の先には、もうひとり…此方に向かって来るものがあった。
……え。
今度は女の子だった。
小学生くらいだろうか。
髪を二つに分けて結っていて、赤い一輪車に乗っている。
「こ、こんにちは」
近くまで来た女の子は、私に気付くと、一輪車から降り、もじもじして言った。
「こ…こんにちは」
私も慌てて返したのだけれど、思ったより堅い声になってしまった。
あ、怖がらせちゃったんじゃ…と一瞬不安になったけれど、女の子は別段気にする事も無く、うさぎの方に勢い良く顔を向けた。そして、大きく息を吸い…
「もう! 待ってって言ったでしょ!」
つい先程まで照れて頬を染めていたのに、やっぱり切り替わりが早いのは子供か…。
女の子は別人みたいに、ぷうっとむくれている。
ふと、今は中学生の娘が幼かった時の事を思い出した。
「ふふっ」
「へ?」
私が急に笑ったからか、女の子がきょとんとする。
「可愛い。ねえ、お名前は?」
そう訊ねると、少しの間の後に、小声で「ゆうこ…です」と答えてくれた。
「ゆうこちゃん、一輪車、上手ね。私もね? 子供の頃、挑戦してみたのだけれど全然出来なくて、直ぐ諦めちゃったわ」
「そうなんだ…あ、えっと。有り難う御座います!」
「いいえ」
焦って、恥ずかしそうに、ぺこりと頭を下げる姿に、また笑みが零れた。
「あの…。宜しいでしょうか?」
急に横から真面目な声がして、和やかな空気が掻き消された。
……そうだ。
「うさぎ…」
淡々とした低い声が出る。
見ると、そのうさぎがしかめっ面で、わざとらしく咳払いをした。
「失礼な」とか何とか呟いている。
私は異様な光景に改めて呆然として「はあ…」とか間抜けな声を出してしまった。
私は助け船を求める様に、ゆうこちゃんを見て「こ、この…方…は?」と苦笑いで訊いてみた。
「うーんとね。友達!」
……うわ。はっきり言い切った…。純粋ね…。
*
それから公園の中に入った私は、どうして、ゆうこちゃんが必死にうさぎを追い駆けていたのか…や〝夢(ここ)〟についての話を聞いた。
一つ。ゆうこちゃんが必死に追い駆けていたのは、うさぎが「中々、一緒に遊んでくれないから」だったとか。
二つ。此処はやはり私の夢の中であり…何故だか『不思議の国の~』の如く、毎晩この世界に入り込んでいるらしい。
そんなファンタジーな…とは思いつつも、喋ったり一輪車を猛スピードで操ったりする、変なうさぎが登場するだけで、もう既にファンタジーだと思い直した。
「それで? 私は、元の世界? に戻れるの? …えっと、今回も、ちゃんと目が覚めるのよね?」
「ええ。まあ〝その内〟起きますよ」
「そ、そんな、呑気に言わないでよ…他人事だと思って」
「ま、まあまあ。きっと大丈夫だよ」
「…う、うん」
少しだけ重たい空気が流れる。
居た堪れなくなって、口を開こうとした時だった。
「あのっ!」
先に声を発したのは、ゆうこちゃんだった。
「なあに?」
私は屈んで、視線の高さを合わせた。
「えっと…あ、遊んで欲しいな」
可愛らしい声と顔で、ゆうこちゃんは言った。
「うん! 勿論よ!」
それから私達は、うさぎも含め一輪車に乗った。とは言っても、最初に言った通り、私は本当に乗れないし、もうこの年齢では怖くて挑戦する気にもなれない。しかも、あんな子供用の小さな一輪車に乗ったら、壊しそうだ…。一応、私は小柄な方だけれど。
だから「教えてあげる!」と無邪気に言ってくれる、ゆうこちゃんの言葉にだけは、どんなに可愛く言われても、流石に頷けなかった。
断った直後は、残念そうな顔で暫くいじけていた、ゆうこちゃんだけれど…少し経った頃には満面の笑みで、満足そうに遊んでいたので良かった。
……何だか、娘が増えたみたい。
穏やかな気持ちで、日が傾き始めた橙色の空と、淡く柔らかそうな薄桃色の雲を眺めていた時だった。
「そろそろ〝時間〟ですね…」
後ろから、何処か寂しそうなうさぎの声がした。
「え…?」
振り返ると、うさぎと、ゆうこちゃんが微笑んでいた。
哀しいけれど、やり切ったと…〝何か〟を成し遂げて、誇らしい。そんな、少女に似付かない大人びた表情(かお)だった。
「時間…って? 何? どういう事?」
薄々、何を言われたのは察したけれど、私は縋(すが)る様に訊いた。
…お別れです。
「…そんな」
……分かっていた。だって〝此処は夢〟だもの。
ゆうこちゃんは、夕焼け色に染まった赤い赤い一輪車を抱き締め、じっと私を見詰めている。
半分以上沈み掛けた夕日で、少女の瞳が益々(ますます)、寂しそうに…今にも泣き出しそうに潤んでゆく。
「そっか…」
いや、ここは大人だ。
私は出来るだけ明るく「ばいばい」と手を振る。
すると二人も少し笑って、手を振り返してくれた。
「ばいばい!」
あっという間に時間(とき)は過ぎて行く。平等に。
何処の世界でも。
誰にでも。
〝現実〟に戻ってゆく感覚。
ぼんやりと涙で霞んだ景色。橙色と紺色の空…。
薄れていく〝夢〟
***
ゆうこはね。死んじゃったんだ。
小学校二年生の時…車に撥(は)ねられて。
仲の良いクラスのお友達と、公園で遊んだ帰り路だった。
「もっと、もっと、学校の皆と遊びたかったのに…」
宙に浮いた、スローモーションの景色の中。
ゆうこはね…そう強く思ったの。
強く…強く…。
ゆうこが気付いた時。
やっと最近、上手く乗れる様になった大好きな〝赤い一輪車〟と、大好きで毎日、持ち歩いていた〝うさぎさんのストラップ〟が、目の前にあったの。
嬉しかったよ。
「遊んでくれて、有り難う」
***
そこで、私は目覚めた。
何時もの私の部屋。
黄緑色のカーテンの隙間から、太陽の白い光が差し込んでいる。
私は泣いていた。
「ゆうこちゃん…」
***
あれから数日。
ずっと、あの夢を見ていない。
あんなに毎日毎日。見ていたのに。ぱったりと、見なくなってしまった。
それはきっと…。
あの子が亡くなる直前に、強く願った〝夢〟が叶えられたからかも知れない。
どうか
ゆうこちゃんが、ずっと幸せで居られます様に。
…あの、一輪車と。うさぎさんと。
リハビリと始めた三題噺…。仕事の合間に書く、設定一切無しの 即興ものなので、色々とおかしなところもありますが、そこはご愛嬌(笑)。また、突拍子も無いお題で 三題噺を書いたら、載せます。
※突拍子も無い お題、がポイント(笑)