そのアニマルMMOには、臥竜、と呼ばれたアザラシ侍がいた。
名前の通り、寝そべりながらも相手を倒すからだ。
得物は、近隣を荒らしていたセイウチの牙から砥いだもの。
背中の甲冑(というよりはランドセルの蓋が近い)は、巨大蟹を加工したもの。
パッと見た感じは、よくて寿司のオオエビだ。
フォルムは強そうだが、寝そべって視線を合わせてしまえば、その愛くるしい目に魂を奪われるだろう。
おそろしい、怪物である。
移動力が水中を除けばナメクジ並みという愚鈍さながらも、アニマルMMO上に置いて、カルト的な人気をこのジョブは勝ち得ていた。というか、まだナメクジの方がジョブツリーが網羅されているぶん、未知数ではない。
怠けの大罪を司る、虹色大蛞蝓。今では逆レイド戦を勝ち抜く、魔王プレイヤーの憧れの的だった。
弱いとされる生き物で強くなろうとする、そんな手合いは確かにあの怠け魔王の一件から跳ね上がった。
だが、よくてアイドルキャラが関の山。強さと弱さを兼ね備えたビルドは実に難しい。
そんな中、彗星のように海洋生物クラスタに現れたのが、臥竜であった。
個人では不可能と言われた竜宮城クエストを単騎突破し、悪鬼の魔窟である深海ダンジョンから大秘宝をゲット。
果てはゴマフアザラシの幼体のままで、リヴァイアサン強襲クエストの殿を務め、全装備をロストしながらも味方を全て護り抜くなどの英雄的活躍をしてのけた。
今ではリアルの世界でもオファーが掛かり、マスコット販売までされている。カルト的な人気を誇る存在である。
臥竜が侍職をとるまでの遍歴は、ずばりこうだ。
まず体力は幼体のため一定値をこえることはなく、それゆえに臥竜は防御力を中心に耐久値を捨てている。
その代わりと言っては何だが、不思議なスキルをこのゴマフアザラシは中心においている。
戦闘職ならまずとらないだろう、「アイドル」というそのビルドは、SNSや広報活動でMMOの外部活動をすることができ、その功績がそのままゲーム上にも反映されるというもので。
つまり、ビルドした動物がリアルで人気であればあるほど強くなれるという、運営の商魂たくましい職業である。
この系統から資金を集め、知名度を上げ、臥竜は目に見えない強さを鍛え抜いた。
そして潤沢な資金、そこそこに鍛え抜いた諸ステータスを用い、ついに始まったのだ。
ふわっふわでコロコロした、くりっくりのおめめが愛くるしい生き物の英雄譚が。
アイドル活動に必須な電飾関係から光学と工学を極めた臥竜は、その甲冑や刀に光源を集中させることで、フワフワの愛くるしいフォルムとごつい装備のコントラストが、さらにアイドルとしての自分を高みに伸し上げることを想像していたという。
つまり、侍ジョブ構成をアイドルから戦闘職に移行する初期の段階で見越していたわけだ。
彼のジョブも、人間プレイをするなら肉体の強化はまちまちで、装備やスキルを充実させていくことになる。
犬侍、猫侍、サメ侍が居る辺りで、ゴマフアザラシの侍は参考にできる前例にも恵まれていた。
光魔法を中心に目くらましの技を修めることで、海洋クラスタの中では珍しい捜索係のローグを網羅すると、その器用さを下地に剣術に全振り。
アザラシの小さな手、低い姿勢から繰り広げられる斬撃は、解っていても避けられるものではない。
水中戦ではペンギン並みに機動力を上げられることからしても、ヒット&アウェイの侍職は相性が良かった。
サメも総合力は高いのだが、高すぎる地の攻撃力が侍特有のクリティカル率と役割が被り、近いフォルムながらも器用貧乏になりつつあった。
それに比べて、ライトアップを極めたアイドルとしてのゴマフアザラシは、海底に潜むお宝をよくよく発掘したし、目くらましからの斬撃は非常に強力であった。
培ったミュージシャンとしてのリズム感覚、スターとしての胆力、人間観察眼、集客性、人徳、コネ、その全てが彼をあり得るはずがない、ゴマフアザラシの剣士としての高みに押し上げていったのである。
しかし、それでも低迷の時代もあった。それは純粋な戦闘職との軋轢だ。
犬侍などのメジャー職からの冷めた意見。
海洋クラスタ内でのあらぬ噂や村八分。
どうせ中身はおっさんだろきしょ、などに始まる野次の嵐。
ネットは決して綺麗な情報が集まるだけの場所ではなかった。
それがしかもアイドル上がりで、ただの可愛がられな、ゴマフアザラシときたら、避けたくなる気持ちもわかる。
剣士として、アイドルとして、在る程度の成功を修めていた臥竜はとても悩んだという。
「このままどっち付かずのコウモリで通すか、戦闘職に転身するか……」
悩んだ末、彼は修羅の道を選んだ。それはソロプレイ活動だった。
しかも進んだ道を、先に宝箱を漁られる危険も顧みずに、ネット上にアイドルとして公開しつづけながら。
幼体キャラはとにかく貧弱で、針の穴を通すようなビルドを要求される。そしてソロは不確定要素だらけだ。
最初は小魚の群れでさえ圧倒され、倒されたことだってあった。だが臥竜は諦めなかった。
帯電性のある鎧を開発し、電気摩擦とライティングによる、疑似雷撃を会得。
体内脂肪の貯蓄により、成長せずともある程度の斬撃、打撃、氷炎耐性を会得。
アイドル活動を通じての体捌き、魅了効果のあるボイススキル、水流操作などなど。
優れていた居合抜きのスキルを極めつつも、他の孔を徹底的に思いつく限りに埋めていった。
そうしていく内に、少しずつ、ソロとして有名クエストもこなせるようになっていき、仲間も増えた。
リアルの友人であり同じ移動力ゼロ勢のナガヅエエソの『チャンネルアンテナ』。
自称ライバルのメンダコ忍者アイドル『赤きんちゃく』。
分身と群れの統御を極めたイワシ『銀物総帥』。
何よりも彼を支えたのは、アイドルとしてのスキルの数々だった。
魅了効果は乙姫から最高の報酬を引っ張り出させたし、海底クエストでもライティングを用いることで、目先のお宝だけではなく古代の遺跡や沈んだ潜水艦など、MMOの根幹にかかわる大きなストーリーヒントを発掘しもした。
そして、そして。
ついに有用ジョブとしてではなく、たった一人の英雄として、臥竜は周囲に認められる存在になった。
陸からも、海からも、彼を馬鹿にする声はもうない。それだけの結果を彼は示してくれた。
外部ではちょっとしたネットニュースにもなり、臥竜のマスコットやぬいぐるみの発売も視野に入れられた。
そんな幸せの絶頂に、リヴァイアサン強襲イベントが起こったのである。
それは竜宮城を破壊せんと押し寄せる、大いなる海蛇で。
明らかに海洋クラスタ全てが戦わねばならない強大な敵だった。
だが、総大将であったマッコウクジラのポセイドンは、周囲と考え方が少し違った。
彼はリヴァイアサンをどうしても倒す、という方向に人心を流していった。つまり、竜宮城を犠牲にしてでも。
「僕のこのビルドは、人に愛されるためのモノです。貴方の兵隊じゃない」
そう言い切った臥竜は周囲の静止を振り切り、NPCである竜宮城の住人たちを逃がすため身をひるがえした。
それは壮絶な、見事な、闘いざまだった。
全ての装備を失いながらも、最後の一人を逃がし、竜宮城こそ守れなかったがその民を逃がしきった。
それっきり、臥竜についての噂はない。
だが誰もが知っている。彼はこんなところで散る存在ではない。真なる英雄なのだと。
時代は、眠る竜の如く待ち望む。