会社に着いてまずPCの電源を立ち上げた
昨日のうちに終わらせた書類を整理しながらマウスを慣れた手付きで操作していく
家を出る時にアストルフォは自分もついていくと言い出したのでそれだけは勘弁してくれと言って大人しく俺の帰りを待つように言い聞かせた
言われた本人はあまり面白くない顔をしていたが会社は遊び場じゃないんだ。俺が許すわけがないし職場の人達も戸惑うし迷惑になる
それに留守番もできないようなら今後一緒に生活するのも難しいだろう
俺が意地悪で拒否しているわけではないことが伝わったのか意外とすんなり留守番を受け入れてくれたアストルフォは「いってらっしゃい」と元気のない声で見送りをしてくれた
社会人として働き始めて三年経つけど家を出る時にいってらっしゃいを言われるのは初めてだった
懐かしいというか少しだけ恥ずかしさも入り交じったような不思議な感覚だったけど美少女からのいってらっしゃいは悪くはない
遅くならないように帰ると約束をした後玄関を出てエレベーターの前で立ち止まる
視線をかんじたので振り返ってみるとドアを少しだけ開けて顔だけ出したアストルフォが寂しそうな表情で俺を見つめていた
…かわいい
こんな言い方をしてしまうと失礼だけどペットを飼っているような気分だ
今日だけは本当に早く帰ってやろうと思える
「おはよう」
俺の肩にちょんと指で触れて挨拶をしてきたのは柚希先輩だった
昨日は俺より早くに仕事を終えたものの退社時間としては遅い方だ。それなのに俺より早い時間に出勤しているのだから恐れ入る
「おはようございます。ずいぶん早いんですね」
「伊西くんも早いじゃない、昨日は手伝えなくてごめんね」
「いえ、元々1人でやろうと思っていましたし、それに本来であれば先週までに終わらせないといけない案件でしたから計画的に仕事をこなせなかった俺の自業自得です」
「けどその案件先週の月曜に急に上から渡された案件でしょ?」
「まぁはい、そうですね」
先輩のいうとおり、部外からの飛び込みに俺の上司が首を縦に振ってしまってその手伝いをやらされている
本当にたまにだけど俺の上司は明らかにスケジュール的にこなせない物量の仕事を持ってくる時がある
それが先週の月曜にドカッと大量の書類と一緒に俺のデスクに積まされただけ…そう本当にただそれだけのことなのだ
「いつものことですし、今回もなんとか納期には間に合いましたから結果的には大丈夫ですよ」
そういうと柚希先輩は少し困った顔をして俺の額に軽いデコピンをくれた
「結果的に丸くおさまっただけでしょ。あなたももう少し断る事を覚えた方がいいわよ、なんでもかんでも1人で抱え込みすぎるのよくないわ」
「そんなことは…」
ないとは言えなかった
事実、今回の仕事もその前の仕事も納期ギリギリまで1人で作業をこなしていた
他の人に協力をお願いすればもう少し余裕のある業務生活を遅れたかもしれないけどどうにも俺は頭をさげるのは苦手らしい
苦手なことをするくらいなら1人で全て終わらせた方が気持ち的に楽なのを知っているからだ
「そうですね。次からはもう少し周りの人に頼ることにします」
「つい1ヶ月前も同じこと言ってたわよ」
そうだったっけ?
自分の発言なのにあんまり記憶に残っていないってことはその場しのぎの適当な発言だったのかもしれない
「私でもいいから頼りなさい。あなたはなまじ仕事ができる分、全て1人で済ませた方がいいと思ってるかもしれないけれど会社は個人で回しているわけではないのだから」
俺の心配をしてもいるけど毎回納期ギリギリにまとめた資料渡されるのもあまり良く思っていない上での発言なんだろうな
本当に抜け目ないししっかりしている
「わかりました」と少し間を置いた後に返事をすると先輩は「よろしい」と笑顔で応えて自分の席に戻っていった
次からは本当に気を付けることにしよう
あの人の怒った顔はできれば見たくないし
「よう、朝からお叱りか?」
と、俺の背中から声を掛けてきたのは秋月 涼太(あきづき りょうた)だった
高めの身長にすらっとした体型でスーツ姿が似合う好青年といった営業マンとしては理想の外見を持っている俺の同僚だ
あと、顔もいい
「叱られた、ぐうの音もでない正論と共に反論の余地すら与えられずに叱られたよ。今回ばかりは機嫌を損ねたかもしれない」
「あの人のことだ。お前のこと憎からず想っているとは思うけどな」
「当たり前だろ。柚希先輩は怒りに任せて説教するような人じゃない」
俺が柚希先輩のなにを知っているのだろう
まるでわかったような言い方に涼太はクスクスと笑いをこぼした
「俺もあまり人のことは言えないけどお前も柚希 遥(ゆずき はるか)にどこか期待しているんだろうな」
「期待?」
「あの人って仕事もプライベートもスキがない感じだろ?だからみんな期待するんだよ、『柚希さんなら正しいことを言ってくれるはずだ。彼女の言うことに間違いなんてない』って、仕事やってる上で間違うことなんて誰にでもあるのに勝手にそんな感情押し付けられたらたまったもんじゃないだろうけどあの人はそんな期待にもなんのけなしに応えてるんだから本当に凄いと思うよ。」
「それって俺が先輩にとってかなり嫌味なやつってことか?」
「お前も俺もな、まぁもしかしたら柚希さんにもかわいい弱点があるのかもしれないぞ。そう思えば期待しなくなるかもな」
始業時間まで同僚と会話を嗜むのは毎朝の日課となっている
眠たい頭もようやく覚醒してきたところで始業開始のチャイムが室内に流れた
「話変わるけど課長か部長に娘さんっていたっけ?」
あまりにも突拍子のない質問に涼太は不思議そうな顔をしている
「は?いや知らんな…部長の方はたしか高校生の息子はいるらしいけど娘がいる話は聞いたことがない」
「そっかぁ…まぁそうだよな」
「お前まさか部長の娘さんに取り入って出世狙ってるのか?」
「ちげーよ」
「だろうな、いきなり訳のわからない質問するなんてお前らしくないな。疲れてるのか?」
明らかに不自然な質問をしてしまったせいで余計な心配をさせてしまった…まぁこいつになら昨日起きたことを伝えてもいいかもしれない
後々になってバレるよりも先に伝えておいた方が禍根ものこさないだろう。