「まだ寝てるの?さっさと起きなさい!このダメキョン!」
高校生活も終わり、あの地獄のような登山を終え、何とか大学入学に漕ぎ着けることが出来た。親元を離れ、一人暮らしを始める。親や、妹からの監視を逃れ怠惰な生活を送れると胸を躍らせていた。しかし、俺はどうやら自分が思っていた以上に物覚えが悪く、見通しも悪いということがこの女。涼宮ハルヒによって証明された。
「ハルヒ、今日は花の日曜日なんだぞ?何が悲しくて午前中に起きにゃならんのだ」
「あったりまえでしょ!アンタのお母様からアンタの世話をお願いされているのよ。それに、忘れたわけじゃ無いわよね?団員のアンタは団長のアタシに逆らえないのよ!」
「分かってるよ」
SOS団。ハルヒが高校時代に立ち上げやがった正体不明。活動内容不明。団員五人の謎の集まりだ。団長ハルヒの思いつきのワガママが続くこと三年。思い出補正と極限まで前向きに解釈すれば退屈しなかったなと言えなくもまあ無い。
「アタシの団からこんなバカを世に送り出す訳にはいかないわ!」と言うハルヒによって三年になって家庭教師ハルヒによるスパルタ勉強漬けによって何とか大学に合格した。しかし、問題はお袋が何を勘違いしたのかハルヒに「ウチの息子をよろしく」なんて言いやがるし、何より、俺とハルヒの通う大学が同じという所だ。
ハルヒ曰く「アンタは目を離すとどんな奴に拐かせれるか分かったもんじゃない」と言って半ば強制的に同じ大学に通わされた。まあ元より行きたい大学など無く、なんだかんだ慣れ親しんだコイツとまた居られると思うとそう悪い事ではない。そう思っていた。
俺とハルヒの通う大学は自宅から通うには少し遠く、二人とも大学近くのアパートを探すことになった。その時ハルヒは何か言いたげな表情をしていたが、唇を結んで何も言ってこなかったので俺も特に何も言わずに別々に新しい住まいを探し出した。しかし、俺には何となくハルヒの言いたかったことが分かる気がする。何故ならその言葉は恐らく俺も言いたかった言葉だからだ。
結局それは言わなくて良かった。お互い恥ずかしいからだ。引っ越して二日目、お隣さんに挨拶しようと思ったら突然の呼び鈴。どうやらお隣さんも今年からの人らしく挨拶に来たらしい。先を越されたがまぁ丁度良いと思いドアを開けるとそこにはよそ行きモードに表情筋を固めたハルヒの顔があった。
ハルヒのお隣さんと言うポジションに落ち着いてまだ慣れない。ハルヒは無理矢理俺の合鍵を入手しほぼ毎朝俺を起こしに来るようになった。しかし、それも平日の話で基本的には休日は気を使ってなのか起こしに来ることも余りない。つまり、俺を起こしに来たってことは何か用があるって事に違いない。高校の時とは違って不思議探索なんてもんはしなくなったが、やれやれ。今日はどんな理不尽が待っているのか。しかし、引っ張られるがままに連れていかれたのは大学近くにある喫茶店だった。
「結局いつもの喫茶店じゃないか。で、今日は何の用なんだ?いい加減教えてくれ」
「……」
「何だかこうやって駄べるのも懐かしいな。高校の頃はほぼ毎週こうやって集まって不思議探索なんてしてたよな」
「……そうね」
「最初に文芸部とパソコン部に突撃した時が始まりだったな」
「そうだったわね」
「お前主体で色んなことがあったよな」
ハルヒは心ここに在らずと言った感じで生返事だ。俺は今までのことを振り返る。思えば、全てはあの自己紹介から始まったんだな。
「東中出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上。」
ハルヒよ。お前はもう宇宙人にも、未来人にも、異世界人でも超能力者すら会ってたんだぞ。
「ハルヒ」
「何?」
俺が呼ぶと、ようやく顔を上げた。いつもは自信に満ち溢れた瞳だが、今は何かに怯えるように曇っている。
「お前……」
「ねぇ、キョン」
俺が言う前にハルヒが遮った。
「アンタはアタシと出会ったこと後悔していない?……アンタはアタシと関わらなかったら普通のままだった。アタシは気付いていた。でも気付いていない振りをしていたの。皆普通なんだって、宇宙人も未来人も超能力者もいない。前の席の人の頭を小一時間眺めても考えなんて読めないし、消しゴムにいくら念じても一ミリも動いたりしないって」
そこに居たのは天真爛漫。自信が服を着て歩いてるいつものハルヒじゃなかった。未来に絶望して、過去を美しいものにする『普通』の人だった。
「今日はどうしたんだよ、らしくないぞ。さっきから言ってるだろ。何だかんだ楽しかったって」
俺がそう言うも、浮かない顔は晴れない。
「ううん。丁度今くらいの時期かなって。私たちが出会ったのって」
「あの挨拶だな。いろんな意味で忘れられない挨拶だったな」
「でも……アタシがいなかったらもっと違う……。アンタはアタシと違って『普通』だから。それこそ、佐々木さんだっけ?あの人とずっと一緒に」
「ハルヒ」
今度は俺がハルヒの言うことを遮った。要するにコイツは不安なんだ。大学という大きな、様々な価値観に埋め尽くされ、大人とも子供とも言えないこの時期。ハルヒは俺がいなくなってしまう事に恐怖した。長門の時もそうだったがコイツは自分の周りの人がいなくなることを極端に嫌がるようだ。
そうならば、俺がとる行動は一つだ。あの訳分からん不思議空間でしたことをしてやればいい。あの時だ。俺がこいつから一生離れられないと思ったのは。
つまり、俺はコイツ。いや、涼宮ハルヒの事が
「好きだ」
恋愛感情なんて一種の精神病。そう言って『普通』の恋愛をしたことが無かったハルヒには持て余す感情なんだったんだろう。それゆえこんな珍妙な事になっている。
「好きだ」
固まっているハルヒにもう一回その言葉を言うとようやく言葉が脳味噌に届いたらしい。首からジワジワと赤くなってくる。
「な、な、何を」
「あの校舎で言ってたろ、お前のポニーテール。めちゃめちゃ似合ってたぜ」
「あの校舎?それってアタシの夢の話でしょ?」
「じゃあオマエの夢の中の話でも良い。俺はあの時からずっとオマエの事が好きだった。だから一緒にいたんだ。それもこれからも一緒にいたい。だからハルヒ、俺と付き合ってくれ」
長い沈黙が流れる。ハルヒは俯いたまま動かない。思えば、俺がハルヒに大して動きかけたのは初めてだ。いつも俺たち四人でハルヒのワガママに振り回されていた。これからはその役は俺一人がいい。
「ホント?」
ハルヒがボソリと呟く。俺は今までで一番力強く頷いた。
「ああ、一生お前といたいお前のワガママは俺だけに向けてくれ」
「有希じゃなくていいの?みくるちゃんじゃなくて本当にいいの?」
まだそんな事を言っている。身を乗り出して繰り返し言う。
「何度でも言ってやる。涼宮ハルヒ。俺は、お前が好きだ」
そう言ったところで限界だったのかハルヒも身を乗り出して俺に抱きついてきた。
「好き! アンタの事が好き! 一生離さない!」
その叫びは店内全員の耳に入るのに十分な大きさだった。ハルヒの暑い抱擁を受けつつ周りの客の温かい視線を一身に受ける。
こうして俺達は未満か晴れて恋仲になれた。しかし、今までと生活は何ら変わらず、ぐうたらな生活が続くだろう。
「ねえキョン。せっかくだからお花見して行かない?」
そう言ってスマホの画面を見せてくる。一駅電車に乗った所にある桜の名所だ。
「ちょうど春らしい事したかったのよ。ね? 良いでしょ」
「春か……。いや、いいや」
「え? 何で?」
ハルヒが不思議そうにこちらを見上げる。俺はハルヒの手を握りながら答えた。
「だって、俺の春はいつも隣にいるだろ?」
大学一年の春。俺達は何も変わらない日々を過ごす。しかし、変わらないものも良いものもある。毎年咲き乱れる。ハルの花。桜のように。