けものフレンズR いつかどこかのロージエット   作:雀居

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第一話 Reveille

 

 

 カシャン、という音の後に、風が吹き込んできた。鼻先が冷えた気がして、ゆっくり目を開ける。最初に視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。汚れて、古ぼけている。

 

(……あれ? あたし……?)

 

 ずっと眠っていたせいか、頭がぼんやりしていた。横になったまま周囲を見たが、見覚えがない。四角い機械がたくさん並んでいて、冷たくて、静かな部屋だった。どうしてこんなところで眠っているのだろう。

 

 起き上がって、まず自分が寝ているものの感触に驚いた。ベッドの中には、虹色に光る四角いものが詰め込まれている。ぷにぷにとしていて柔らかくて、温かい。

 

「これ、なんだろう……あったかい……」

 

 布団も何もない、ただ服のままで眠っていたのに寒くなかったのは、これのおかげみたいだ。しばらくその温かい四角形を触っていたけれど、ふと風が冷たく感じて辺りを見回した。ガラスが破れて、窓から風が吹き込んでいるのだ。天井も崩れて、隙間から青い空が見える。

 

「……ここ、どこ……?」

 

 呟いても自分の声が響くばかりだ。隙間風や木々の揺れる音が急に気になって、ベッドから出た。ベッドだと思っていたものも、卵を横にしたような、不思議な形をしている。触ってみるが、金属製で硬い。起きる寸前に聞いた「カシャン」という音は、もしかしてこのベッドの蓋が開いた音だったんだろうか。そもそも、ベッドに蓋なんて普通ないけど。

 

 髪の寝癖を手で直して、髪を結び直した。緩んでいた靴紐も締め直して、改めて自分の格好を確認する。お気に入りの青いベストと灰色のショートパンツ、たくさん歩くからと買ってもらった茶色のブーツ。そういえば、とベッドを振り返り、自分の頭を触ったけれど、いつもかぶっていた帽子がなかった。

 

「おかしいな……どこかに置いてきちゃったのかな」

 

 部屋を見回してみたけれど、全部風や雨で吹き飛ばされてしまったのだろうか、何も残っていなかった。紙はぼろぼろで、木の椅子も腐っている。金属や石のものだけ、無事だったみたいだ。

 

「……あの、だれかー? いませんかー……?」

 

 声をかけてみたけれど、返事はない。まだ眠気の残る目をこすって、ふと自分の手に目が留まった。

 

 爪が青くなっている。なんだろう、とこすってみたけれど、取れなかった。

 

 何か。何かがおかしい。

 

 急に不安になって、部屋の扉に向かった。ドアノブを捻ると、ギギギ、と軋んだ音を立てて開いた。同時に目の前が明るくなり、思わず手をかざす。

 

 そこは、建物に囲まれた中庭だった。背の低い草が生えている中から、たくさんの樹が枝を伸ばして、色んな花が咲いている。天井はガラスだったみたいだけれど、それも破れてぼろぼろになっていた。庭に面した廊下の柱もぼろぼろで、床にはたくさんヒビが入っている。

 

「あのー! すみませーん!」

 

 口に手を添えて精一杯の声を出したけれど、返事はなかった。もしかしたら、他にも眠っている人はいるかもしれない。見つけた階段を上がり、古い廊下を歩き、開く扉は全部開けてみたけれど、自分以外に人の姿はなかった。一番上の部屋まで来る頃には、もうすっかり息が上がって、太腿がぱんぱんになってしまった。

 

「ほ……ほんとに、誰もいないの……?」

 

 壊れた窓から外を見ると、この建物が森に囲まれていることが分かった。その森の向こうに、何か丸いものが集まっているのが見える。石造りのドームがたくさん並んでいるのだ。

 

「あれ、建物だよね……? あっちに行ったら、誰かいるかな……」

 

 少し悩んだけれど、「よし!」と思い切って建物から出た。ぼろぼろで、暗くて、しんみりとした建物よりは、明るい森の方が楽しそうだ。

 

 中庭から続く石畳を歩いて、一番大きな扉を開ける。眩しくて、一瞬目がくらんだ。

 

 温かい日差し。青い葉と土の柔らかいにおい。視界が光に慣れると、目の前には森が広がっていた。

 

「わ、ぁ……」

 

 日差しは柔らかく、葉が擦れて穏やかに音を立てていた。広がる開放感に、うーんと伸びをする。肺いっぱいに空気を吸い込むと、なんだか気分が軽くなる気がした。暗い部屋にいたから、不安になっただけみたいだ。

 

「えーと、さっきの窓があそこにあるから……丸い建物は向こう、かな? よーし」

 

 気分は探検隊だ。不安から逃げて、期待に飛び込むようにして、森の中に続く小道に駆け出した。

 

 森は穏やかで、どこかから鳥の鳴く声も聞こえてきた。木漏れ日が風に揺れて、きらきらとして見える。自然にできた緑のアーチをくぐって、ふと自分の手を見ると、光の加減で爪が青や緑に変わって見えた。不思議な色をしている。最初は変に思えたけれど、こうして見ると綺麗かもしれない。

 

「……でも、なんで取れないんだろう。水で洗わなきゃだめとか……?」

 

 うーん、と眺めながら指でこすってみるけれど、指先が温かくなっただけだった。建物を探すより水を探す方が先だろうか。

 

 鼻歌混じりに歩いていると、突然茂みがガサガサと音を立てた。

 

「わっ、なに……?」

 

 驚いて足を止めてしまうと、急に女の子が飛び出してきた。「よよよよよ!」と真っ青な顔で走ってきた女の子は後ろを向いていて、目が合った時にはぶつかってしまう。

 

「わあああ!」

「ひょわああ!」

 

 ごちっとぶつかった肘やお腹はやけに硬くて痛い。ぶつかるまま、二人して尻もちをついてしまった。

 

「いてて……」

「ご、ごめんよー! 大丈夫? ついこの間も前向いて走りなさいってセンちゃんに言われたのに私ったらー! ごめんねごめんね、立てる? 平気?」

「だ、大丈夫! あたしこそごめんね、びっくりしちゃって」

 

 元気な女の子に手を引っ張られるまま立ち上がった。長い黒髪に、茶色のベストとクリーム色のスカート。肩や肘、お腹にもプロテクターを着けている。帽子の端からは先だけ尖った丸い耳、スカートの裾から硬そうな尻尾が覗いていた。

 

「……あれ? あれ? 耳と、尻尾?」

「え? 珍しいかな? そんなに見られると照れちゃう……ってだめだめ、早く逃げなきゃ! あなたはー、うーん、戦うの得意?」

「戦う?! に、苦手かも」

「私もー! 守りは完璧なんだけど戦うってなるとどうしても苦手っていうか、あっホントにやばい逃げよ逃げよ! 得意じゃないなら逃げるが勝ち!」

「え?! 逃げる?! 何?!」

「早く早く!」

 

 手を取られるまま、急いで走り出した。森の先へと走ることになり、慌てて尋ねる。

 

「ね、ねえ、何から逃げてるの?!」

「セルリアンだよ! センちゃんがいたらコンビで倒せるけど、私一人じゃ厳しいからさー! もうタイミング悪いよねー! あ! 私、オオアルマジロのオルマー! あなたは何のフレンズなの?」

「えっ、あたし、あたしは────」

 

 セルリアン? オオアルマジロ? 目を回している間に、ふと頭上で大きく枝が揺れた。オオアルマジロが急に止まり、背中にぶつかってしまう。謝ろうとする前に、目の前が急に暗くなった。えっと視線を上げようとしたのも束の間、道を塞ぐようにして巨大なものが降ってくる。着地で地面が揺れた。

 

 丸くて、透き通った青い体は、向こう側が見えないほど大きかった。ハサミみたいなものが付いた紐がにょろにょろと二本伸びている。その中央には、丸い一つ目だけがあった。ぎょろりとこちらを見下ろしてくる。

 

「な……な、な……」

「あちゃー、追いつかれちゃった……。うー、センちゃん早く来てー! 頼むよー! あなたは、後ろにいてね! そしたら大丈夫だから!」

「……は、……は……っ」

 

 大きな口も、牙もない。怖い顔をしているわけでもない。なのに、全身が震えていた。膝ががくがくして、立っていられない。その場にへたり込んでしまっても、オオアルマジロは「おっ小さくなるのは防御の基本! いいね!」と笑っていた。どうして笑っているんだろう。こんなに。

 

 こんなに。

 

 視界にノイズが走る。

 

 何かもっと大きな影が目の前に重なった。

 

 そうだ。知っている。あたしは、この感覚を知っている。全身が震えるぐらいの、恐怖を。

 

「オ、オルマーちゃん、逃げなきゃ、早く」

「いやーここまで近づかれちゃうと逃げるのも厳しいよお。時間稼ぎするぐらい、かな!」

 

 そう言いながら、オオアルマジロは突っ込んできたハサミを、腕を交差して防ぐ。オオアルマジロは少し踵を地面に擦らせただけで、あまり効いていないみたいだ。

 

「うー、力は強くないけど大きいなあ。石どこだろう」

「いし?」

「セルリアンはねえ、こんなに大きい奴でも石があるからどうにかなるのさー! 石を見つけたらね! よっと!」

 

 オオアルマジロはまたハサミを払いのけたが、苦笑して振り返った。

 

「まあ、防戦一方だと厳しんだけどねー、あはは……」

「────まったく」

 

 急に別の声が降ってきた。思わず顔を上げると背後に誰かが降り立つ。後ろからこっそり近づいていたハサミを、棘のような鱗で作られたスカートが弾き飛ばした。

 

「油断禁物ですよ、オルマー」

「センちゃん! あーよかったあ来てくれて!」

「だめですよ。一人で走って、他のコまで巻き込んでは」

「よ、よよよ……ごめんなさい……」

 

 センちゃん、と呼ばれた女の子は、ピンクのベストを軽く上下させて「本当にもう」と呆れ顔をした。スカート、拳、帽子は、全部棘状の鱗を繋げたようになっていて、やっぱり帽子とスカートからは耳と尻尾が覗いていた。「センちゃん」はオオアルマジロと並んで立つと「イエイヌさん!」と声を上げる。

 

 瞬間、セルリアンと呼ばれた怪物が大きく仰け反った。そのまま、ぱかーんと小さなキューブになって弾け飛んでしまう。キューブはそのままきらきらと輝いて、風に飛ばされていった。

 

「……た、助かった……?」

「大丈夫ですか? 大変でしたね」

「センちゃんのおかげで助かったよー! あなたも、怪我はない? なさそうだね! あーよかった!」

「オルマー?」

「ご、ごめんなさーい気を付けます……」

「……結果的に、このコが助かってよかったです。だからこれで、以上です」

「センちゃん!」

 

 ぱあっと顔を輝かせるオオアルマジロに向かって溜息を吐いたが、「センちゃん」はこちらに向かって柔らかく微笑んだ。

 

「本当によかった。私はオオセンザンコウです。それで、こっちが……」

 

 オオセンザンコウが振り返った先には、また別の女の子が立っていた。もこもことしたグレーの髪は、顔周りだけ白く内側に丸まり、グレーの上着とスカートの下は、白いニットと手袋だ。この子には、尖った耳とふさふさとした尻尾がある。その子は両手を合わせてこちらを見ると、ぱあっと顔を輝かせ、猛烈な勢いで飛びかかってきた。

 

「会いたかった~~~~!!!」

「ええええ?!」

 

 座り込んだままだったから、思い切り飛びつかれて二人して倒れてしまった。もふもふとした髪や服が温かい。彼女はすりすりと頬ずりして、嬉しそうに言った。

 

「はあ~~~~! 懐かしいなあこの匂い! この日をどれだけ待ったことか……っ!」

「わ、わわ、あれ、あれえ……?」

 

 もこもことした柔らかいものに包まれて、なぜか緊張が解けていく。この、ほっとする感覚。何だろう。懐かしい。柔らかくて、温かくて。

 

「イエイヌさん。そのコ、困っちゃってますよ」

「まあ、嬉しいのはわかるけどさー!」

「はっ! すみません、私、すごく嬉しくて……、あれ?」

 

 目の前にいる三人が驚いた顔をする。どうしたんだろう、と不思議に思った途端、頬を冷たいものが滑り落ちた。ぽろぽろと、後からこぼれ落ちてくる。三人がわたわたと慌てた声を上げた。

 

「ど、どうしたんですか、どこか痛いですか?!」

「ごめんなさい~~私が飛びついちゃったから~~!!」

「もしかして、さっきの戦いで怪我しちゃった?! うわ~~んどうしようセンちゃんどうしよう~!!」

「ご、ごめんなさい! 大丈夫! あたし、あの……なんか、ほっとしちゃって……」

 

 慌てて目元を拭うと、三人も「よかった」と表情を緩めた。

 

「セルリアンに遭うの、初めてみたいだもんね。怖いよねー、あれ。怪我がなくてよかったー」

「そういえば、あなた……耳も、尻尾もない。羽などもないですね。珍しいフレンズさんです」

「ヒトに間違いありませんよ! 匂いで分かります!」

 

 にこにこと、イエイヌと呼ばれた子が笑う。

 

「ヒト?」

「はい! 私はイエイヌ。ヒトが来るのを、ずーっと待ってたんです!」

 

 尻尾を元気に揺らして、イエイヌが答えた。少し引っかかって、思わず尋ねる。

 

「あの、あたし、ヒトはヒトだと思うんだけど……フレンズって、なに?」

 

 オオアルマジロとオオセンザンコウはきょとんとした顔で応じたが、すぐに笑って答えた。

 

「そっか、起きたばっかりだと困っちゃうよね! えっと、動物にサンドスターがぽこって当たると、今の私たちみたいな姿になるのさー。そういうコたちは、ジャパリパークではフレンズって呼ばれてるんだよ!」

「そして、あなたはヒト、です。イエイヌさんの鼻に間違いはないでしょう。フレンズ、かどうかは分かりませんが、ヒトであることは確かです」

「じゃあこの場合、ヒトちゃん? になるのかな?」

「いいえ、ヒトはそれぞれ、『おなまえ』があるはずです!」

 

 イエイヌが言うと、オオアルマジロは「そうなんだ!」と笑顔になった。イエイヌがこちらの両手を取って言う。

 

「あなたの『おなまえ』は、何というんですか?」

「あたしは……、あれ? あたし……あたし、は……」

 

 尋ねられ、すぐに答えようとしたはずなのに、口から出てこなかった。頭の中にもやがかかったみたいに、思い出せない。あれ、おかしいな、と考え込んでしまうと、イエイヌが心配そうな顔で首を傾げた。

 

「どうしました?」

「……ごめん、名前……思い出せないの」

「ええっ」

「どうしてだろう……眠って、目が覚めたのは確かだと思うんだけど……」

 

 何度首をひねっても、自分のことなのに思い出せなかった。何か怖いことがあって、その後何かがあって、眠りについた。そして、目が覚めた。眠りにつく前のことが、霧の向こうに消えていく。どうしてだろう。とても大切なことを忘れている。

 

「はい! 提案なんだけど!」

 

 急にオオアルマジロが声を上げ、驚いて顔を上げた。オオアルマジロは胸を張って言う。

 

「こういう時は、『始まりに戻る』が大事だと思うんだよね! 物探しは、まずなくなったと気付いたところに戻るとこから始めるし、思い出せるところまで戻ってから考えてみるってどうかな?」

「……そうですね。困った時は基本に忠実に。先生も言っていましたし」

「なるほど! じゃあ、あなたは、どこから来たんですか?」

 

 振り返ったイエイヌに笑顔で尋ねられ、反射的に来た道を指差した。

 

「えっと、あっちにある建物から来たの。ぼろぼろになってるところ」

 

 素直に答えると、オオセンザンコウは目を丸くした。

 

「そうなんですか? 結構探索したと思っていましたが、見落としていたんでしょうか」

「これは気になるね~! 早速行ってみようよ! ゴー! ダブルスフィア!」

「あ! ちょっと、オルマー! 一人で先に行ったら危ないですよ!」

 

 すぐさま駆け出してしまったオオアルマジロを、オオセンザンコウが慌てて追いかけていく。ぽかんと見送っていると、イエイヌがくすくすと笑った。

 

「私たちも行きましょうか」

「そうだね。さっきは助けてくれてありがとう、イエイヌちゃん」

「いえ! ヒトを守るのが、私の使命ですから!」

 

 イエイヌはきりっとした顔で言うと、すぐに笑った。手を取られ、立ち上がる。

 セルリアンを警戒しながら最初の建物まで戻ると、オオセンザンコウが「ふむ」と建物を見上げた。

 

「ここ、ですか」

「そう。この建物の中で目が覚めたんだ」

「……壊れちゃうとかないよね?」

 

 オオアルマジロは少し不安そうにしたが、くんくんと鼻を鳴らしたイエイヌは迷わず扉を開けた。慌てて追いかけると、イエイヌは何かに引っ張られるようにして歩き始める。

 

「すごい……イエイヌちゃん、あたしがどこにいたのか分かるの?」

「匂いが残ってますからね。ヒトの匂いがした時はどこからしてるのか分からなくて探しちゃいましたけど、一度会えるとしっかり分かります!」

 

 ふんす、と胸を張るイエイヌは得意げで、「ほへー」とオオアルマジロは声を上げた。

 

「本当に鼻がいいんだね~。イエイヌちゃんの巣からずっと離れてるのに、分かっちゃったんだ!」

「すごいですね。さすがです」

「えへへぇ……」

 

 イエイヌは二人に言われ、照れた顔で笑うと、中庭から通路に入った。あっという間に出てきた部屋まで戻ってきてしまう。

 

「ここですか?」

「そうだよ! すごいね、イエイヌちゃん!」

「ふふふー」

「あたし、そんなに変わったにおいがするのかな……」

「いい匂いですよ!」

 

 自分で肩の辺りを嗅いでみたけど、分からなかった。イエイヌの言葉を信じることにして扉を開ける。目が覚めた時と変わらず、静かな部屋だ。ベッドまで行くと、オオセンザンコウが「おお」と声をもらした。

 

「すごい量のサンドスターですね」

「サンドスター? これが?」

「はい。ここで眠っていたんですか?」

「そう、なんだよね……」

 

 ベッドに詰め込まれたキューブを手に取った。これが、サンドスター。相変わらずぷよぷよとしていて、温かい。なんとなく握ったそれをベッドに戻して、ふとオオアルマジロがしてくれた説明を思い出した。

 

「あれ? じゃあ、あたし、フレンズ? なのかな?」

「そうかも? ヒトのフレンズって、見た目だと分かんないんだね~」

「あ、待ってください」

 

 ふんふんとベッドの周りを嗅いでいたイエイヌが、ベッドの傍にしゃがんだ。

 

「ここからも同じ匂いがします」

「え、そうなの?」

 

 一緒にしゃがみこんでみると、ベッドには引き出しが付いていた。取っ手に指をかけて引っ張り出すと、オオアルマジロとオオセンザンコウが「おああ」と声を上げる。

 

「そこ、開くんですね……」

「なんか危ない物入ってない?! 平気?!」

「だ、大丈夫だよ! えーと、バッグと、あっあたしの帽子だ……よかった……」

 

 安心して引き出しからバッグを取り出し、斜めにかけた。帽子を手に取ると、ちゃんと青い羽も付いている。イエイヌがふんふんと鼻を鳴らして笑った。

 

「どれも、あなたと同じ匂いがしますね」

「イエイヌちゃんがそう言うなら、あたしのに間違いないよね。よかった……大事なものだったんだ」

「そうなんですか?」

「うん。……そうだ、お父さんがくれたんだ。これであたしも、パークのお姉さんの仲間入りだねって……」

 

 見習いだから、羽は半分だね。お父さんはそう言って、帽子をくれた。帽子をかぶると、少し大人になった気がして嬉しかったのを覚えている。帽子をかぶると、少し安心した。

 

 そういえば。この帽子をもらった時、誰かに「見て見て!」と自慢したような。

 

「これは何ですか?」

 

 つんつん、とオオセンザンコウにバッグを突かれて、思考は止まった。オオアルマジロも興味津々といった様子で右から左からバッグを観察していた。「ちょっと待ってね」と笑顔で応じてバッグを開ける。

 

「これ、バッグなの。色んな物を入れられるんだ」

「へ~! あ、本当だ。何か入ってる! 『おなまえ』の手がかりはあるかなあ」

「えっとね……」

 

 バッグから一つずつ取り出していった。まずは分厚い動物図鑑だ。これは、そうだ、お母さんにおねだりして買ってもらってから、ずっと大事にしていた本。次は、画材だ。鉛筆と、消しゴムと、色んな色のペンや色鉛筆、それらをまとめたケースが出てくる。それから、ハンカチやタオル、空っぽの水筒も。最後に引っ張り出したのはスケッチブックだ。

 

「これで全部ですか?」

「そうみたい。よかった、全部バッグに入れてたんだ……」

 

 スケッチブックを開くと、まだ何の絵も描かれていなかった。これから何を描こうとしていたんだっけ。スケッチブックを閉じて表、裏と確認すると、裏表紙で手が止まる。

 

「あ、おなまえ……」

「おなまえ?」

 

 水か何かで濡れてしまったのだろうか。裏表紙だけ少しふやけて柔らかくなり、「おなまえ」と書かれた白いところだけ、文字が滲んで消えてしまっていた。残っている文字だけ読み上げる。

 

「……『ともえ』……?」

 

 ずっと隣で大人しく見ていたイエイヌが、不思議そうな顔で振り向いた。

 

「うん? 『おなまえ』、思い出しましたか?」

「あ、ううん。覚えてないけど、ここに『ともえ』って書いてあるから……たぶん、あたしの名前、かな」

「……ともえ、ともえ……あなたは、ともえさん! ですね!」

 

 イエイヌが表情を明るくして言うと、オオアルマジロは両手を合わせた。

 

「よかったー、やっと呼べるね! トモエちゃん、覚えたよ!」

「そうですね。呼びやすくていいと思います。トモエさん……と呼んで、大丈夫ですか?」

「あ、うん! ありがとう。おかげで、ちょっとだけ思い出せたよ。……なんでここで寝てたのかは、思い出せないけど……」

 

 お父さんとお母さんのことを思い出しても、この部屋はやっぱり馴染みがなかった。自分の名前だって「ともえ」という実感がない。思い出そうと記憶を探っても、どうしても白いもやに手を突っ込んでいるだけで、何も出てこないのだ。うーん、と首を傾げていると、オオセンザンコウが言う。

 

「ということは、ここはトモエさんのナワバリではないんですね」

「ナワバリ……? そう、だね。あたし、違うところから来たんだと思う。覚えてないけど……」

「うーん。フレンズになると、動物だった頃のことを忘れちゃうコも多いし、トモエちゃんもそうなのかも? サンドスターに埋もれて眠ってたんだからさ」

「……そうなの、かな? それって、思い出せるのかな」

 

 不安になって呟くと、オオアルマジロは難しい顔で首を傾げ、オオセンザンコウも「どうでしょう」と眉根を寄せてしまった。だが、イエイヌは笑って言う。

 

「大丈夫ですよ、ともえさん! 今、おとうさん、おかあさん、って言ったじゃないですか。きっとこれからも、何か切っ掛けがあったら思い出せますよ!」

「そう……うん、そうだね! だと思う! ありがとう、イエイヌちゃん」

「いいえ! でも、ここがナワバリじゃないなら……一度、私のおうちに来ますか?」

「おうち?」

 

 それって、と尋ねようとしたところで、グウ、と大きな音が上がった。慌ててお腹を押さえると、イエイヌたちが笑う。

 

「結構動いたし、お腹すいちゃうよねー!」

「ご、ごめんなさい……恥ずかしい……」

「大丈夫ですよ~! お腹がすいてるなら、なおさら私のおうちに行きましょう! ジャパリまんがまだありますから~。二人は、どうしますか?」

 

 イエイヌが明るく言って振り返ると、オオセンザンコウとオオアルマジロは笑顔で首を横に振った。

 

「私たちは、自分の分がありますから」

「そうそう! それに、さっきみたいにセルリアンがいないとも限らないしね。二人をイエイヌちゃんの巣まで送ったら、ちょっとこの辺りを見て回るよ」

「えっ? 二人だけで、大丈夫……? さっきみたいに、セルリアン? が出たら……」

 

 心配になって思わず口を挟むと、オオアルマジロは「平気平気!」と明るく笑った。

 

「私たちコンビで動けば大丈夫! 普段は何でも屋『ダブルスフィア』とか言ってパークをあちこちしてるぐらいだし~! まあ、さっきはちょっと、ほら、別々だったから苦戦しちゃっただけってことで、えへへ……」

「……油断は大敵です。必ず、一緒に行動しますよ。オルマー」

「はーい……あ、そういうわけだから、トモエちゃんも安心してね! 私たちなら大丈夫!」

「そっか、よかった……」

 

 バッグに持ち物を戻して、古い建物を後にした。幸い、森を抜けるまでにセルリアンに遭うことはなかった。あまり遭いたくないから、ほっとする。あれを見るとどうしても、自分でも不思議なぐらいに大きな恐怖を感じるのだ。

 

 

 

 

【例のBGM】

 

らっきーびーすと(ジャパリまん配給係)

 

「イエイヌは、食肉目イヌ科の哺乳類だネ。家畜の中でも古い歴史のある動物だヨ。それだけヒトとの付き合いも長いんだネ。群れで生活する動物だから、家庭に入ると飼い主などの家族を自分の群れだと認識し、リーダーに従ったり、外敵から身を守ったりするヨ。縄張り意識の強い動物で、自分の縄張りに入ってきた相手を威嚇・攻撃して追い出すこともあるネ。とても鼻がよくて、湿った鼻で風向きを感じてにおいの方向も分かるんダ。その代わり、明るい場所だと、赤はほとんど見えなくて、青と緑色の混ざった色を見ていると言われているヨ」

 

 

 

 

 

 イエイヌが案内してくれたのは、森から少し歩いたところにある場所だった。丸くて同じような形の建物がいくつも並んでいる。広場もあって、遊ぶこともできそうだった。

 

「へえ……ここが、おうち?」

「はい。前はここにもヒトがいたんですけどね。今は、私だけなんです」

「え? そうなの?」

「私、ずっとここでヒトを待ってて……だから、ともえさんに会えて、とっても嬉しいです!」

 

 イエイヌは笑って、「おうち」の方へ歩き出した。でも、ともえはどうしても歩き出せなくて、立ち止まってしまう。イエイヌが不思議そうな顔で振り返った。

 

「ともえさん? どうしました?」

「……あたし、自分のこともあんまり覚えてないし、イエイヌちゃんが待ってたヒトじゃないかもしれないのに、いいのかな」

「もちろんですよ~!」

 

 イエイヌは明るく言って頷くと、苦笑して肩を縮めた。

 

「……実は私も、あんまり覚えていないんです。この『おうち』で、大事なヒトを待っていたはずなんですけど、この姿になる前のことはぼんやりしていて。待っていたヒトのことは、あまり思い出せなくて」

「そうだったんだ……」

「だから、今はヒトに会えただけでとっても嬉しいんです! ともえさんも、あまり気にしないでください!」

「ええ? そ、そうかなぁ」

「そうです~」

「……あはは、そっかぁ」

 

 イエイヌがにこにこしていると、それでいいような気がした。オオアルマジロが安心した様子で言う。

 

「じゃあ、お二人さんはごゆっくり! トモエちゃんは特に目が覚めたばっかりだし、戦うのも得意じゃないって言ってたし、イエイヌちゃんと一緒だと安心だと思うんだよねー」

「ですね。私たちはセルリアンが他にいないか見て来ます。トモエさんに関係がありそうな物を見つけたら、ここに持って来ますね」

「ありがとう! でも、無理しないでね。気を付けて」

「はーい!」

 

 イエイヌもともえのところまで戻ってくると、オオアルマジロとオオセンザンコウに丁寧に頭を下げた。

 

「二人とも、ありがとうございました。手伝ってもらってよかったです」

「いえいえ。また何か困ったことがあれば、言ってくださいね」

「そうそう! 今後もダブルスフィアをよろしく~!」

 

 オオアルマジロとオオセンザンコウは笑顔で応じると、ともえたちに手を振って森へと戻っていった。ともえは、イエイヌに「どうぞどうぞ~」と誘われるまま、一つの建物に入る。

 

 丸い建物の中は、温かい部屋になっていた。丸いテーブルと椅子、大きめのベッド、クローゼットと、多くの家具がある。イエイヌが一人で暮らすには、広い家だった。

 

「わあ、広いね」

「はい。私が動物だった頃は、このおうちにもヒトがたくさんいたんですよ。……ともえさんは、何か思い出しますか?」

「うーん……ごめんね、思い出せないや……。そのヒトたちの物って、何か残ってるかな」

「それが、あんまり。私が動物だった頃に遊んでたオモチャとか、お皿とかはあるんですけど……あ、でも! おうちにある物でヒトが何をしていたのか探ってたら、オチャを作れるようになったんです!」

「お茶?」

「はい~! 葉っぱをお湯であっためると、オチャになるって先生が教えてくれて。よかったら、飲みますか? ジャパリまんと一緒に!」

「うん! 飲んでみたい!」

 

 イエイヌがお茶とジャパリまんを用意してくれると言うから、ともえは洗面台を借りた。手を洗いながらふと顔を上げると、鏡に映った自分の顔に気付く。水を止めたともえは、「あれ?」と呟いた。

 

 瞳が、片方は青に、片方は赤に、色が異なっている。

 

「……あたし、こんな目してたっけ……」

 

 何度瞬きしても、下瞼を軽く引っ張ってみても、目の錯覚などではなく、瞳の色は左右で異なっていた。おかしいな、と記憶を探るが、本来はどちらの色だったのか覚えていない。爪の青と一緒で、瞳も色が変わっているのだろうか。ともえは首を傾げたが、廊下から声が聞こえてくる。

 

「ともえさーん! オチャができましたよ~!」

「あ、はーい! 今行くね!」

 

 ともえはハンカチで手を拭き、慌てて部屋に戻った。バッグと帽子を隅に置くと、イエイヌがテーブルの傍で立って待っている。テーブルには、パステルカラーのおまんじゅうと、透き通った赤色のお茶が並んでいた。

 

「わあ、これがジャパリまんと、お茶?」

「はい! どうぞ、召し上がれ~」

「ありがとう~! いただきます!」

 

 二人で向かい合うように座って、ジャパリまんを食べた。野菜のような、少し甘いような、不思議な味がする。食べた部分を見たが、中身は分からなかった。どうやって作っているんだろう。でも

 

「おいしい~!」

「よかった~」

「お茶もすっごくいい匂い。先生? って、色んなことを知ってるんだね」

「はい! おうちに残っている物を見せたら、ヒトはこうやって使ってたよって教えてくれたんです。先生は物知りなフレンズなので!」

「へ~! 色んなフレンズちゃんがいるんだなぁ。オルマーちゃんとセンちゃんはなんでも屋さんしてるって言ってたし」

「みんな、自分の好きなことを見つけて、楽しくしてるんですよ~。もちろん、私も」

「……そっか」

 

 イエイヌは明るく笑うけれど、ともえは少し胸が痛んだ。ずっと待っているヒトがいて、「会いたかった!」と飛びつくぐらい、楽しみにしていて。なのに、ともえは覚えていないし、そもそもイエイヌが待っていたヒトとは違うかもしれないのに。イエイヌは優しくて、明るいばかりだ。

 

 お茶はすっきりとした風味で、優しく喉を潤していった。食事を終えて、片付けを手伝いながら尋ねる。

 

「イエイヌちゃんは、ヒトを待ってたんだよね。ヒトに会えたらこれをしたい! とか、あった?」

「んぇ? どうしてですか?」

「あたし、イエイヌちゃんが待ってたヒトとは違うかもしれないけど……イエイヌちゃんがヒトとやりたかったことがあれば、あたしも一緒にできるんじゃないかなって思って」

 

 手を拭いて言うと、食器を棚に入れたイエイヌがびっくりするほど嬉しそうに笑った。ぶんぶんと尻尾が振りたくられる。

 

「じゃあじゃあ! 私と一緒に遊んでくれますか?!」

「遊ぶ?」

「はい~! まだこのおうちにヒトがいた頃、たくさん遊んでもらったんです!」

「そうなんだ! じゃあ私も一緒に遊べるかな……どんなことして遊んでたの?」

「えっとー、例えばですね!」

 

 テーブルがある部屋まで戻ると、イエイヌが突然床に正座した。いくらカーペットがあって柔らかいといっても、床に座ると脚が痛いだろうに。ともえも慌てて向かい合わせになるように座った。

 

「イエイヌちゃん?! どうしたの、椅子じゃなくていいの?!」

 

 手を差し出すと、イエイヌは笑顔になってともえの手に自分の手を乗せた。あれ、と反対側の手を出すと、イエイヌも反対側の手を乗せる。目をきらきらさせて見つめてくるから、ともえは思わずイエイヌの頬や頭をむいむいと撫で回した。

 

「イエイヌちゃん今のなに~?! めっちゃ可愛い~!!」

「『おて』と『おかわり』ですよ~! これができると、いっぱい褒めてもらえたんです!」

「そうなんだ! 私はちょっと不思議だけど……イエイヌちゃんが喜んでるからいいのかな……?」

 

 わしゃわしゃと撫で回してしまったせいで、イエイヌの髪はぼさぼさになってしまったけれど、イエイヌはにっこーと嬉しそうに笑うばかりだった。きっとイエイヌが待っていたヒトも、こうしてたくさんイエイヌを褒めていたんだろうな。ともえは胸が痛んだが、笑って言った。

 

「他にはどんなことして遊んでたの? たくさん遊ぼうよ!」

「はい!」

 

 ロープで引っ張り合いっこして遊ぶと、イエイヌの見た目以上の力強さに振り回されてしまって、ともえでは歯が立たなかった。ともえが外でボールを投げると、イエイヌはボールを転がして持ってきた。外でのかけっこはまったくこれっぽっちも勝負にならなかったけれど、一緒に走るだけでイエイヌは満足してくれたようだった。一つ遊びが終わる度にイエイヌの頭を撫でると、ぺかーっと光り輝くように笑ってくれる。それだけでともえの心も温かくなる気がした。もふもふしていて、温かくて、ずーっと触っていたくなって、なんとも不思議な心地がする。

 

 二人しかいないけれど、「おうち」に笑い声は絶えなかった。

 

「イエイヌちゃん、次は何して遊ぶ?」

「そうですね~! んっと……あ、これはどうですか?」

 

 イエイヌがオモチャ箱から取り出したのは、円盤だった。受け取ると、とても軽くて薄いことが分かる。

 

「これを投げてもらって、私が取ってくる遊びをしてたんです!」

「へ~! これ……私も遊んだことある気がするな」

「本当ですか!」

「うん! 見てて見てて~!」

 

 円盤を手に外へ出て、地面と水平になるように左手で円盤を持った。右肩の辺りから半円を描くように円盤を放ると、ふわりと浮いて飛んでいく。イエイヌが歓声を上げて追いかけていき、軽やかにジャンプして口でキャッチした。そのまま走って戻ってきたのを見て、円盤を受け取る。

 

「ともえさん、投げるの上手ですね!」

「えへへ、イエイヌちゃんも、円盤取るの上手だね!」

 

 もう一度円盤を投げようとしたが、ふと瞼の裏に白く人影が浮かび上がった。

 

 

『────行くよ、××。見ててごらん。それっ』

 

 ふわり。円盤が飛んでいく。それを追いかけていく影。逆光で顔がよく見えないその人は、こちらを見下ろして笑ったようだった。

 

『もう少し大きくなったら、××も上手に投げられるようになるよ』

『ほんとう?! どれぐらいおっきくなったら?!』

『うーん、これぐらいかな?』

 

 その人は胸の辺りに手を置いて笑った。ぴょんぴょんジャンプしても届かない。

 

『あーあ、はやくおっきくなりたいなぁ』

『はは。××もすぐに大きくなるよ。……ほら、戻ってきた』

 

 円盤を持って走ってくる影。どんどん近づいてくるそれに、大きく手を広げた。

 

『すごいすごーい! じょうずだね、──!』

 

 

「ともえさん?」

 

 はっと我に返ると、イエイヌが不思議そうにともえの顔を覗き込んでいた。

 

「どうしました? あ、疲れちゃいました?」

「ううん! ごめん、大丈夫。ちょっと、思い出したの。円盤で遊んでた時のこと」

「本当ですか?!」

「うん。あたし、たぶんお父さんに投げ方を教えてもらったんだ。もっと小さい頃だけど」

「ふふっ、だからともえさん、投げるのが上手なんですね!」

「だといいな! じゃあ、もう一度投げるよ、イエイヌちゃん!」

「わー!」

 

 投げる前から走り出してしまったイエイヌを見て笑いながら、ともえは円盤を投げた。青い空を水平に飛んでいく黄色の円盤。それをキャッチしたイエイヌが得意げに笑う。それに笑顔を返して、走って戻ってくる彼女を受け止めた。

 

 そうやって、どれぐらい遊んだだろうか。日は傾き、空は夕暮れを迎えていた。外のベンチに座って休憩すると、風が涼しくて気持ちいい。

 

「ふー、いっぱい遊んだね~」

「はい~! えへへ、たくさん遊べて嬉しいです!」

「あたしも楽しかった~! イエイヌちゃん、最後に宙返りしてキャッチしたの、めっちゃカッコよかったよ!」

「本当ですか?! えへへぇ」

 

 少し汗ばんだ肌に、通り抜ける風が涼しい。へ、へ、と短い呼吸を繰り返すイエイヌを見て、もっとこまめに休憩を挟めばよかったな、とともえは少し反省した。

 

「ごめんね、イエイヌちゃん。あたし楽しくって……もうちょっと休み休み遊べばよかったかな」

「いいえ~! 私も楽しくって、時間を忘れちゃいました! ありがとうございます!」

「えへへ……よかった」

 

 イエイヌの呼吸が整うのを待つ間、ともえはふと森の方へ目をやった。ともえが目を覚ました建物がここからでも見える。夕焼けに覆われて、どこも橙色に染まっていた。この「おうち」に来てから、ずいぶん時間が経っていることを改めて実感する。

 

「……オルマーちゃんとセンちゃん、大丈夫かな」

「そういえば、二人とも戻って来ませんね。新しい依頼があったんでしょうか……」

「だといいんだけど……」

 

 二人で並んで森を眺めていると、大きく木々が揺れた。気になって立ち上がろうとした寸前、イエイヌが素早くともえの前に出た。ふさふさとした尻尾がぴんと立ち、喉の奥から低く唸り声を上げる。

 

「イエイヌちゃん?!」

「セルリアンです、下がって!」

「えっ────」

 

 息を呑んだ瞬間、木々を押しのけるようにしてセルリアンが飛び出してきた。塀を悠々と飛び越えて着地すると、地面が揺れる。四つ足で、イエイヌのおうちと同じぐらい大きい。無機質な一つ目がぎょろりとこちらを見据えて瞬間、体の芯から震えが走った。

 

「……大きなセルリアン……しかもこんなに連続で出るなんて……」

 

 イエイヌは低く唸ると、セルリアンに飛びかかっていった。セルリアンが前足を振り被るが、イエイヌはそれを避けて懐に飛び込んでいく。確かに衝撃を与えたが、セルリアンにはあまり効いていない。イエイヌはすぐに飛び退き、振り抜かれた前足を避けた。

 

(……石。そうだ、石……!)

 

 ともえは円盤を抱え込んで震えを抑えながら、セルリアンに目を凝らした。どんなに大きくても、石を狙えば倒せると言っていた。せめて、とともえは動き回るセルリアンを見つめたが、石は見つからない。イエイヌが注意を引いてくれているが、背中にも石はなかった。

 

「……どうしよう、石……石どこ……?!」

 

 戦えないならせめて、とともえはベンチから立ち上がってセルリアンを観察したが、ふと、セルリアンの目がぎょろりとともえに向いた。膝が大きく震え、血が凍りついたように全身が冷たくなる。どうして。どうしてこんなに怖いんだろう。セルリアンが四つ足を動かしてこちらに向かってこようとした瞬間、イエイヌが壁を蹴って跳躍し、セルリアンに体当たりした。よろめいたセルリアンの注意がイエイヌに戻る。

 

「ともえさん! 今の内に、おうちに戻って!」

「で、でも、イエイヌちゃん──」

「早く、っぐ────!!」

 

 イエイヌがセルリアンに殴り飛ばされる。ごろごろと地面を転がっていくイエイヌを見て、総毛立った。どうしよう。イエイヌちゃんが。でもあるのは円盤だけ。おうち。おうちなら。何か。

 

 震える脚で走り、おうちの扉に飛びついたが、一瞬で大きな影に覆われた。セルリアンが跳躍している。

 

 ともえは目を見開いた。

 

 目の前に、石が。

 

「あ────」

「トモエちゃん!!」

 

 横から思い切り体当たりされて、ともえはそのまま地面に転がった。セルリアンがおうちの前に着地し、ぎょろりとこちらを見据える。ともえを抱えるようにして、オオアルマジロが起き上がった。目の前にオオセンザンコウも立ち塞がる。

 

「無事ですね?!」

「ま、ま、間に合ったよー! 遅くなってごめんね!」

「センちゃん、オルマーちゃん!」

「二人とも、どうして!」

 

 イエイヌが驚いた声を上げた。オオアルマジロはともえの手を取って立たせ、オオセンザンコウが言う。

 

「セルリアンの反応を追跡していましたが、逃げられまして。到着が遅れてすみません」

「いいえ、救援感謝します! ここで撃破しないと、おうちが……!」

「よよよよ……っ! でもこれ大きいよ、レンジャー案件だよお!」

 

 オオアルマジロは困った顔をしたが、ともえを背中に庇ってプロテクターを構えた。イエイヌとオオセンザンコウがセルリアンと対峙する。ともえは急いで声を上げた。

 

「イエイヌちゃん! セルリアンの石、お腹にある! さっき見たの!」

「お腹ですね! ありがとうございます!」

「っしかし、そうなると脚を切るのは悪手ですね……!」

 

 イエイヌとオオセンザンコウが隙を狙ってセルリアンの懐に飛び込もうとするが、セルリアンは前足を振り回してそれを防いでしまう。何も手伝えないのがもどかしい。

 

「どうしよう……足を止めたりできないかな……せめて転んでくれたら……」

「転ぶ……。それ! それだよお! センちゃん、イエイヌちゃん! ちょっとだけ時間稼いで!」

「わかりました!」

「トモエちゃん! ここ! この草が生えてるところから出ないでね!」

「えっ、わ、わかった!」

 

 ともえが草の生えている場所まで下がると、オオアルマジロは猛烈な勢いで穴を掘り始めた。彼女の姿はあっという間に見えなくなり、穴から土だけがばっさばっさと飛び出してくる。すぐに土の山ができ上がるのを見て呆気に取られていると、オオセンザンコウが悲鳴を上げた。思わず目を奪われる。イエイヌがセルリアンに吹っ飛ばされ、植木に叩きつけられてしまった。

 

「イエイヌちゃん!!」

 

 ともえが悲鳴を上げたのと、オオアルマジロが地面から飛び出してくるのはほぼ同時だった。ぷるぷると土を振り払ったオオアルマジロがともえの手を握る。

 

「オッケー、もう大丈夫! あとはセルリアンをこっちに呼ぶだけだよ! センちゃーん! こっちに誘導してー! こっちこっちー!」

「センちゃん、お願い! こっちに! お願い、こっちに来て!」

 

 ともえも一緒になって叫んだ。オオセンザンコウが気付き、尻尾でセルリアンを切りつけながら徐々に方向転換させてくれる。あと少し、というところまで進んでいたセルリアンは、不意に右足をオオセンザンコウに向かって振り被った。もし当たったら、オオセンザンコウまで。ぞわりと全身が震え、オオアルマジロも血相を変えて声を上げる。

 

「やめて! センちゃん避けて!」

 

 オオセンザンコウのスカートも尻尾も硬い。でも重量のある一撃に耐えられるだろうか。ともえの脳裏にあったのは植木に叩きつけられたイエイヌだった。ともえには何もできない。見ているだけ。みんなが怪我するのを見ているだけ。

 

 そんなの嫌だ。

 

 ともえはセルリアンに向かって円盤を投げた。綺麗な流線を描いたそれを、一つ目がきょろりと追いかける。一瞬動きが止まった隙に、オオセンザンコウは素早くその場から離れた。セルリアンが前足を勢いよく下ろすと、そのまま地面が陥没し、セルリアンの頭まで沈んでいく。オオアルマジロが歓声を上げた。

 

「やったー! 狙い通り! ともえちゃん、イエイヌちゃんのとこ行ってあげて!」

「ありがとう、オルマーちゃん!」

 

 オオアルマジロがオオセンザンコウに駆け寄っていくのを見て、ともえも急いでイエイヌのもとに走った。植木の下に倒れていたイエイヌは、地面に手を突いて起き上がろうとしている。だがその腕は震え、今にもうつ伏せに倒れてしまいそうだった。

 

「イエイヌちゃん! イエイヌちゃん、しっかりして……!」

「……っ、ともえ、さん……?」

 

 肩に手を添えて支えると、イエイヌがよろめきながら起き上がった。左右で色の異なる瞳がともえを見て、笑みに細められる。

 

「よかった……ともえさんは、怪我してないですね……」

「っ、うん、うん、イエイヌちゃんたちのおかげで、平気だよ……っでもイエイヌちゃんが……!」

「私は、大丈夫。大丈夫ですよ。ヒトを守るのが、私の、使命なので」

 

 肩に添えたままだった手を、イエイヌがぎゅっと握りしめた。彼女の視線がともえから外されたのを見て、ともえもその視線の先に目をやる。落とし穴に頭を突っ込んだセルリアンは、後ろ足しか動かせない状態だったが、それでもオオセンザンコウとオオアルマジロが懐に入らないように翻弄している様子だった。「んもー!」とオオアルマジロが困り切った声を上げている。

 

 ぎゅ、と握られる手が強くなったのに気付いて、ともえはイエイヌを振り返った。イエイヌは真っ直ぐセルリアンを見つめて言う。

 

「ともえさんは、ここにいてくださいね」

「でも、イエイヌちゃん、たくさん怪我して──」

「大丈夫! ともえさんがそばにいて、私、分かりました。ともえさんが近くにいると、私もっと、強くなれるって。だから」

 

 イエイヌは振り向き、笑って言った。

 

「だからともえさん、『がんばれ』って、言ってください!」

 

 土埃に頬を汚して、イエイヌは屈託なく笑っていた。防御が得意なオオセンザンコウと違って、イエイヌは何度も吹き飛ばされ、叩きつけられ、たくさん怪我をしているはずなのに。もうたくさん、頑張っているはずなのに。

 

「……がんばれ、イエイヌちゃん……」

 

 ともえが絞り出した声は、ずいぶん小さく、か細いものだった。それでもイエイヌは輝くような笑顔で「はい!」と応じて立ち上がる。セルリアンに向かっていく背中に向かって、ともえは思わず声を張り上げた。

 

「イエイヌちゃん、頑張れ! 頑張れ、頑張れ……っ!」

 

 応援よりも、お祈りに近かった。オオセンザンコウとオオアルマジロがセルリアンの後ろ足を防いで作られた隙間に、イエイヌが飛び込んでいく。仄かに光を帯びた体躯が食らわせた一撃。真っ直ぐに石を捉えた攻撃が与えられた次の瞬間、セルリアンは細かいキューブとなって飛び散った。小さな輝きを散らして、消えていく。オオアルマジロとオオセンザンコウが安堵した笑顔で手を取り合い、イエイヌが振り返った。

 

「ともえさん、やりましたよー!」

「……っ、っ、イエイヌちゃん……!」

 

 ともえは堪らなくなって駆け出し、イエイヌに飛びついた。もふりとした感触とともに「ともえさん?」と不思議そうな声がする。脅威が去ったこと、彼女がもう傷つかないこと、戦いが終わったこと、それらが一度に胸に押し寄せて熱を持ち、鼻の奥まで痺れたように熱くなって、それがそのまま目頭から溢れ出したようだった。ぼろぼろと泣き出すともえを見て、オオセンザンコウはぎょっとして、オオアルマジロは笑う。

 

「ど、どうしたんですか、ともえさん!」

「ほっとしたよねー。みんな無事でよかったよお」

「えっ、濡れて……? と、ともえさん? ともえさーん……?」

 

 イエイヌはおろおろとともえの背中を撫で、しゅんと尻尾を下げていた。ずび、と大きく鼻をすすり、ともえは涙を袖で拭う。

 

「……よかった……っよかったぁ……!! あたし、あたしなんにも、できなかったから……っ!! みんなに、なんか、あったら、って……!!」

 

 しゃくり上げて、何を言っているのか自分でも分からない。けれど、ひっく、えぐ、と上下する背中を撫でて、イエイヌは穏やかな声で言った。

 

「……ともえさん、大丈夫ですよ。私、嬉しいんです。ともえさんを守れたこと。頑張れって声に応えられたこと。ちゃんと使命を果たすことができたことが、とっても誇らしいんです」

 

 だから、ありがとうございます。

 

 イエイヌは笑みを含んだ声で言った。

 

 

     ■

 

 

 家に戻って傷の手当をすると、イエイヌは途中から眠ってしまい、そのままベッドに寝かせることになった。フレンズは丈夫だから平気、すぐに治る、と言い張っていたけれど、体力を消耗していたのだろう。オオセンザンコウは「戦うとサンドスターを消費しますからね」と納得顔をして、ジャパリまんの補給をすすめてくれた。

 

 やっと落ち着くことができたともえは、玄関でオオセンザンコウとオオアルマジロを見送った。

 

「二人とも、今日は本当にありがとう。あたし、何もできなかったから……二人がいて、本当に助かったよ」

「私も助けてもらいましたから。お互いさま、というものです」

「そうそう! 私も穴掘るのなんて、隠れる時か寝床作る時だけだったもん。ある程度大きいセルリアン相手だと使えるって分かったし、今度から取り入れてみるよ~。……まあ、セルリアンに遭わないに越したことはないんだけどねー」

「そうですね。今回は、イエイヌさんというアタッカーがいたからなんとかなったというもの。今後はさらに注意しないと、ですね」

「食べられるのは怖いもんね~」

「た、食べられる……?!」

 

 怖いだけの化け物かと思ったら、食べられるだなんて。ぎょっとしたともえを見て、オオアルマジロは慌てて両手を振った。

 

「ごめんごめん、怖がらせるつもりはなかったんだけど! でも、本当に危ない奴だし、トモエちゃんも気を付けてね。あんなに大きいのはあまり出ないけど、見たらすぐ逃げるのが一番だよお」

「今回は、逃げるのも危険な距離だったので戦いましたけどね」

「……もう暗くなるけど、二人は、本当に行っちゃうの? 大丈夫?」

 

 外は日没を迎え、暗くなる一方だ。危険なのでは、とともえは心配したが、二人は笑って言う。

 

「大丈夫! 深めの穴を掘って隠れるよ。その方が落ち着くしさ」

「それに、イエイヌさんとしても、私たちがナワバリにいると落ち着かないでしょうから。トモエさんがついていてあげてください」

「トモエちゃんは、今夜はここにいた方がいいけど……明日からは? どうするか決めてる? 私たちと一緒に何でも屋さんしちゃう~?」

「オルマー」

「だってぇ」

「あはは……ありがとう。あたしは……明日からのことは、イエイヌちゃんに相談してから決めようかなって」

 

 正直に伝えると、オオアルマジロは「そっか」と笑い、オオセンザンコウは頷いた。

 

「分かりました。では、またどこかで」

「またね、トモエちゃん! 困った時は、いつでも力になるよ~」

「ありがとう、二人とも。またね。気を付けてね」

「はーい」

 

 二人が去っていくと、おうちは途端に静かになった。イエイヌは穏やかに眠っている。ともえはしばらくイエイヌの寝顔を見つめたが、テーブルに向かってスケッチブックを開いた。

 

 

 

 

【例のBGM】

 

らっきーびーすと(施設修繕係)

 

「オオアルマジロは貧歯目アルマジロ科の哺乳類だネ。アルマジロの中で最も大きい種類とされているんダ。危険を感じた時や眠る時は穴を掘って地中で過ごすヨ。古くなった巣穴は、他の動物が使うこともあるネ。アリクイやナマケモノの近縁とされているヨ。一方、オオセンザンコウは有鱗目センザンコウ科の哺乳類だヨ。オオセンザンコウの体は鱗に覆われていて、どの鱗も端が刃物みたいに鋭いんダ。危険を感じるとお腹をかばって丸くなるけど、鱗で覆われた尻尾で攻撃することもあるヨ。オオセンザンコウはオオアルマジロと同じで穴を掘って地中で暮らす種類が多いけど、ネコ目やウマ目に近い仲間じゃないかと言われているネ。オオアルマジロとオオセンザンコウは、見た目はよく似ているけれど、分類上は違う動物なんダ」

 

 

 

 

 

 ふと、イエイヌは目を開けた。眠ってしまっていたのだ。セルリアンを倒して、ともえさんが泣いてしまって、おうちに戻って、それから。

 

「と、ともえさん……!」

 

 慌てて飛び起きると、ともえは椅子に座り、テーブルに突っ伏していた。穏やかに肩が上下している。その姿に、ひどく安堵した。まだ、このおうちにいてくれたのだ。

 

 近づこうか、どうしようか。ベッドに座ったまま考えていると、もぞりとともえが身動ぎした。うー、と小さく唸ったかと思うと、ともえは体を起こし、欠伸をしながら大きく伸びをする。むにゃむにゃと瞼を擦っていたともえは、イエイヌと目が合うと笑顔になった。

 

「イエイヌちゃん、起きたんだ! どこか痛いところある? 手当、大丈夫だったかな」

「はい、もう平気ですよ。ありがとうございます、ともえさん」

「センちゃんがね、サンドスターをたくさん使ったから、ジャパリまんを食べた方がいいよって言ってたよ。お腹すいてる?」

「……そうですね。お腹ぺこぺこです」

「よかった!……あたしも、安心したらお腹すいちゃって……一緒に食べてもいい?」

「もちろん!」

「じゃあ、あたし取ってくるね! イエイヌちゃんは座ってて!」

 

 ともえはそう言って、台所に走っていった。イエイヌはそれを微笑ましく見送って、テーブルに向かう。テーブルには、ともえが「スケッチブック」と呼んでいたものが置かれていた。中身は白かったはずだが、色が付いている。

 

「お待たせ、イエイヌちゃん」

「ありがとうございます。……これ、どうしたんですか?」

 

 ジャパリまんを受け取って尋ねると、ともえは「ああ」と笑ってスケッチブックを手に取った。

 

「絵を描いたの。あたしと、イエイヌちゃんと、オルマーちゃんとセンちゃん! これがイエイヌちゃんのおうちで、こっちはあたしたちが初めて会った森。ジャパリまんと、円盤も描いてみたんだ」

「えを、かく……」

 

 どんなことなのか、イエイヌには分からない。だが、白でなくなった紙は、大切にすると残り続けるのだという。イエイヌには、その「え」と呼ばれたものがとても輝いて見えた。

 

「じゃあ、これを見たら、私たちが初めて会った日のことをいつでも思い出せるんですね。素敵です」

「ありがとう! 絵の描き方は忘れてなかったんだなあって、嬉しくなっちゃった」

 

 ともえはスケッチブックを閉じて笑った。二人でジャパリまんを食べていると、ともえが「あのね」と言う。

 

「……イエイヌちゃんが寝てる間に、あたし、ちょっと考えてみたんだけどね。その、明日からのこと」

「明日……そっか、ともえさんのおうちは、ここじゃ、ないんですもんね……」

 

 きゅ、と胸の辺りが狭まった気がして、イエイヌは思わず膝に両手を落とした。ジャパリまんが少し潰れてしまう。視線も一緒に落ちてしまうと、視界の端でともえがテーブルに手を置くのが分かった。

 

「……それでね。あの、あたし……イエイヌちゃんが、ここで、大事なヒトを待ってる気持ちも、大事にしたいの。でも、あの……あたし、イエイヌちゃんと、一緒に行きたい。ヒトを探しに行きたいの」

 

 弾かれたように顔を上げた。知らず、耳も尻尾もぴんと立ち上がった気持ちだった。ともえはうろうろと目を泳がせて言う。

 

「その、あのね、勝手なこと言ってるって、あたしも思うの。だけど、あたし、パークのことよく知らないし、でも、どこかにお父さんとお母さんがいるなら、会いたくて。それで、もしイエイヌちゃんが、一緒に来てくれたら……すごく、嬉しいなって……あの、思ってね? も、もしかしたら、イエイヌちゃんが待ってるヒトのことも、何か分かるかもしれないし! だから、その、えっと」

「……いいんですか?」

「えっ?」

 

 ともえがやっとイエイヌの方を向いた。イエイヌはジャパリまんをテーブルに置き、ともえの両手に触れる。温かい、大好きなヒトの手だった。

 

「私、ともえさんと一緒に行って、いいんですか?!」

「イエイヌちゃんこそ、いいの? ほ、本当に?」

「はい~! ヒトのことについて何か分かったら私も嬉しいですし、何より、もっとともえさんの役に立ちたいので!」

「もうたくさん助けてもらっちゃってるのに、いいのかな……でも、ありがとう、イエイヌちゃん。嬉しい」

「はい! 今日はたくさん寝て、明日の朝に出発しましょう! 朝になったらボスがジャパリまんを持ってきてくれますから、それを持って!」

「……うん! そうだね!」

 

 不安なこと、心配なことは、実はたくさんある。イエイヌがいない間に、待っているヒトがおうちに帰ってきたらどうしよう。ともえをセルリアンから一人で守れるだろうか。何日ぐらい移動することになるだろう。本当にヒトはいるだろうか。ともえの「おとうさん」「おかあさん」はどこにいるのだろう。

 

 でも、ともえが笑ったのだ。イエイヌちゃんと一緒で嬉しい、と。喜んでくれたのだ。それだけで、胸の奥がぎゅーっと熱くなって、尻尾が揺れるのを止められない。ヒトに求められている。ヒトの役に立つ機会がある。その日をずっと待っていたのだ。動物だった頃の記憶がぼんやりと遠ざかって、もうあまり思い出せなくなった今でも。

 

 だから、楽しい話だけをした。明日は何を持っていこう。どこへ行こう。ヒトってどんなところにいるのかな。そんなことを話しながら、二人で一つのベッドに寝そべる。ベッドは大きいから、イエイヌとともえが並んで横になっても余裕があった。帽子と靴を外したともえが、枕に頬を預けて言う。

 

「おやすみ、イエイヌちゃん」

「おやすみなさい、ともえさん」

 

 灯りを消して、暗くした部屋。しばらく静かに横たわっていると、穏やかな寝息が聞こえてくる。よかった、とイエイヌは安堵した。ここで、ともえは安心してくれている。

 

 セルリアンを見て怯えていた姿を思い出す。怯えながら、それでも円盤を投げて注意を引いて、イエイヌに駆け寄ってくれた姿を思い出す。ぱたんぱたんと尻尾がシーツを叩く音を聞きながら、イエイヌは小さく笑った。

 

 このコを守ろう。

 

 戦うのが苦手で、怖がりで、でも、とっても優しいこのコを、イエイヌが守ろう。

 

 もやのかかった遠い記憶の中で、自分より小さなものを守ると、確かに決めたはずだから。

 

 むにむにと何か寝言を呟いているともえに笑みを深めて、イエイヌはそっと彼女に寄り添った。温もりに釣られたのか、ともえがもぞもぞとすり寄ってくる。近くなった温もりが嬉しくて、でも彼女を起こしたくなくて、イエイヌは黙って目を閉じた。

 

 もしかしたら、いつかの日も。こうして優しい温もりに寄り添ったことがあるのかもしれない。

 

 ずっと一人で使っていたはずのベッドに別の体温があることを、不思議なほど嬉しく思いながら、イエイヌはゆっくりと夢の中へ吸い込まれていった。

 

 

     ■

 

 

 草木も寝静まった頃。廃墟の片隅でふと起動したロボットは、大急ぎで自分の使命とされていた対象を確認しに行った。だがカプセルは開き、中には誰もいない。慌てて建物の隅から隅まで確認したが、どこにも姿はなかった。

 

「アワ……アワワ……アワワワワワワワ……」

 

 ぐるぐるぐるぐるとその場を駆け回り、付近の居住可能区域を検索する。条件に合致する建物を見つけたロボットは、急いで起動地点まで戻ると、もともとのバックパックに加えて大きすぎる荷物を背負い、転がるようにして廃墟から飛び出した。

 

 だが、あまりの荷物の多さに、その足取りは亀と比べるのも失礼なほど遅い。結果的にその静かな移動によって、暗い森の中を一体のロボットが抜けていっても、枝の上や地中で休んでいる生命反応は、何も気にすることはなかった。

 

 

     ■

 

 

 翌朝。ともえは少ない荷物を持って、イエイヌの家を出た。増えたのはタオル類と、お茶の葉とポットだ。水筒とペットボトルに水を入れて、負担にならない程度には用意した。忘れ物もない。

 

「よし! じゃあイエイヌちゃん、行こっか!」

「はい~! そろそろボスが来てくれる頃ですよ!」

「ボスって、どんな子なの?」

「青くて、小さくて、ちょこちょこ動くコですよ。ウサギみたいに、ぴこぴこ動く耳があるんです」

「ええっ可愛い……楽しみだな~」

 

 門を出ると、遠くから籠が近づいてくるのが見えた。何か小さな物が運んでいるらしい。イエイヌ曰く、あれがボスなのだという。

 

「本当に小さいんだね」

「はい。でも、いつもジャパリまんを持ってきてくれるし、何か壊れたら直してくれるし、働きものなんですよ」

「へ~!」

 

 のんびりとこちらに近付いてくる籠を待っていると、丘の向こうから何かが転がってくるのが見えた。カーキ色の塊がごろごろと物凄い勢いでこちらに転がってくる。

 

「イ、イエイヌちゃんあれ何?!」

「なんでしょう? ともえさん、こっちに!」

「う、うん!」

 

 門の柱に隠れると、転がってきた何かはズベシャッと音を立てて止まった。砂埃が落ち着くと、カーキ色の塊は大きなリュックだと気付く。その向こうからぴょこりと飛び出してきたのは、黒い体に灰色の耳をした何かだった。カーキ色のベルトには丸く光るものが付いている。背中には金属の箱を背負っているようだ。真っ黒に塗り潰した眼鏡をかけている。

 

 その後からぽてぽてと歩いてきたのは、籠を持った「ボス」だった。そちらは水色の体に黒いベルトを付けていて、耳で器用に籠を支えている。転がって来たものは、ボスの色違いのように見えた。

 

 ぽってぽってと飛び跳ねながらやってきた黒いボスは、ともえを見上げて言った。

 

「はじめましテ。俺はパークガードロボット、ランボービーストダ。お前の名を聞かせてもらおうカ」

「え? ええと、ともえ、だよ。はじめまして……。あれ? イエイヌちゃん?」

 

 イエイヌはわなわなと震えながらランボービーストを睨んだかと思うと、尻尾を真っ直ぐに立て、牙を剥き出しにしながら両手を掲げて吠えた。

 

「ボスの偽物めぇっ!! ともえさんに近付くなぁぁぁぁぁっっ!!」

「ええええええイエイヌちゃん?!」

 

 

 

オープニング

 

(お気に入りのOP曲をお流しください)

 

 

 うーんと伸びをして、オオアルマジロは笑って言った。

 

「今回のオーダーも完了してよかったー。ヒトがいる! って言われた時はびっくりしたけどさー」

「そうですね。次のオーダーも、しっかり取り組んでいきましょう」

「おー!」

 

 オオセンザンコウと並んで歩き出したオオアルマジロは、ふと茂みが音を立てた気がして振り返った。何かが木々の向こうに消えていく。人影かと思って足を止めたが、木々の隙間から再び姿を現すことはなかった。一瞬、確かに尻尾が見えた気がしたのだが。

 

「オルマー? どうしました?」

「あ、ううん! 今行くよー!」

 

 オオアルマジロは少し先にいたオオセンザンコウのもとへ走り出した。

 

(……見間違いだったのかなあ)

 

 オオセンザンコウと同じ、棘上の鱗が繋がったような尻尾に見えたのだけれど。

 

 

『予告茶番』

 

「イエイヌちゃん、おすわり!」

「はい!」

「おて!」

「はい!」

「おかわり!」

「はい!」

「よくできましたー! イエイヌちゃん可愛い! わしゃわしゃしちゃう! わしゃわしゃー!」

「えへへへぇ」

「イエイヌちゃん、もふもふしてて温かくて、ほっとしちゃうな~」

「はっ! 私も、ともえさんになでなでされると、ほっとします!」

「本当?! もっとなでなでしちゃう~!」

「わ~! えへへへ!」

「……ヒトのことは、よく分からないナ」

 

「次回、『Ride』! 他のちほーにもフレンズちゃんがいるのかな? 楽しみだね、イエイヌちゃん!」

 

 

 

 


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