草原をスクーターで駆け抜けて進んでいると、だんだん日が傾いてきた。夕焼けに包まれる中を走っているうちに、山が近づいてくる。
「ランボちゃん、このまま山に入るの?」
「山のツーリングコースを進めば、キャンプ地に入るはずダ。今夜はそこで過ごすのがいいだろウ」
「はーい! キャンプ楽しみだな~」
スクーターは順調に走り、山へと入っていった。雨ざらしで古びた立て看板には「しぜんこうえん」と書かれている。
「山なのに、公園?」
「この山を含めて、一定エリアを『自然公園』として開放していル。フレンズの生活圏とヒトのキャンプ地を隣接させることで、自然な交流ができることを魅力としたエリアだナ。ここは山だが、峡谷、渓流、湖畔と、様々な地形が集まっているのが特徴ダ」
「そんなに広い場所なんだね。どんなフレンズちゃんがいるのかなぁ……」
オープニング
(お気に入りの曲をお流しください)
ランボービーストの運転で山に入ったともえは、しばらくして目の前に広がる光景に言葉を失った。
ツーリング用に整備された道は柵が立てられているが、その向こうは断崖絶壁となっていた。切り立った崖がいくつも連なり、谷を作っている。ツーリング用道路の内側はハイキングコースと森になっているから広々としているが、これがもし崖際を走ることになったら、心臓がいくつあっても足りなかったかもしれない。向かい側の崖はとても高く、どのような地形が広がっているのかは見えなかった。だが上下にでこぼことした地形を目で追っていくと、やがて巨大な滝が見える。離れていても音が聞こえるほど立派な滝で、真ん中には虹がかかっていた。
「……ランボちゃん、どこかで停まってもいい? もっとよく見てみたいの」
「了解。最寄りの休憩所で停車すル」
ツーリング用道路から少し外れて、休憩所で停車した。胸の高さまである柵で囲まれた見晴台に向かい、ともえは歓声を上げる。
「す……っごーい! 広い! 高い! 何これー!」
「大きな岩がたくさん……ここまで大きいと、壁みたいですね」
「ここは峡谷エリアだナ。サンドスターによって形成された人工峡谷で、滝の上流に湖畔があル。深い谷になっているから、鳥のフレンズ以外が立ち寄ることは滅多にナイ」
「え? じゃあここはまだ低い場所なの?」
「そうダ。その証拠に、見ロ」
ランボービーストは見晴台で俯いた。ともえは柵から身を乗り出して崖の下を覗き込み、イエイヌが慌ててともえの背中を引っ掴む。
「ともえさん危ないです!!」
「えへへ、イエイヌちゃんありがとう。ランボちゃん、あれのこと? 階段が飛び出してるね」
見晴台からはよく見えなかったが、崖から飛び出した階段は谷底まで続いている様子だった。柵から下りるとイエイヌが安堵の息を吐き、ランボービーストは再びともえを見上げる。
「あれはラッキービーストが谷底へ出るための階段ダ。この辺りが一番低いために設置されていル。川などに落とした物は谷底に留まることが多いからナ。そういう物が谷底で水をせき止めることがないように、定期的にラッキービーストが点検しているんダ」
「そうなんだ……。ラッキーちゃんって、本当にどこにでもいるんだね」
「常に動き回り、フレンズの居住環境を整え、パーク内エリアを保全する、それがラッキービーストの役目ダ」
「確かにこんなに広かったら、たくさんのラッキーちゃんで手分けしてお仕事しなきゃ大変だもんね。忙しいんだなぁ……」
「じゃあ、フレンズが毎日自分の好きを優先して生活できるのも、ボスたちのおかげなんですね」
「……あれ? でもそういうのって、それこそヒトもやってそうじゃない? なんでラッキーちゃんだけでやってるの?」
ともえが疑問を口にすると、イエイヌも首を傾げた。
「確かに、そうですね。ジャパリまんを持ってきてくれるのもボスでしたし、ヒトの姿はともえさん以外に見たことがありませんでしたし……どこかで会えたら、ともえさんの『おとうさん』と『おかあさん』の話を聞けるのに」
「イエイヌちゃんが待ってるヒトの話もね! うーん、パークのことはラッキーちゃんたちにお任せして、別のことをしてるのかなぁ……ランボちゃんは知ってる?」
「ヒトの位置情報は記録されていないため、参照できなイ。ただ、遊園地だけでなく、キャンプ地も多くのヒトが利用した場所ダ。そこなら誰かいるかもしれなイ」
「そっか! じゃあなおさら行ってみなきゃだね!」
雄大な景色は名残惜しいが、キャンプ地からも見えるとランボービーストが言うので、再びスクーターに乗り込んだ。もうすぐ日が暮れる。茜色の空に覆われた峡谷は、どこか神秘的な雰囲気があった。
こちらキャンプ地、と書かれた看板を見てわくわくしていたともえは、木製の柱で挟まれた入り口からキャンプ地に入り、愕然とした。
野外で料理するために用意された台所や、たくさんのベンチとテーブル、何かの建物もそこにはあった。だが、それら全てが、太い樹の根に絡みつかれ、貫かれ、押し潰され、半分以上が飲み込まれてしまっていた。
ヘルメットを外し、荷物を持ってキャンプ地に入る。人の気配どころか、使われた形跡もなかった。
「……何、これ……」
呆然と呟くと、イエイヌも駆け寄ってきた。ヘルメットで乱れた毛並みをぷるぷると頭を振って整え、不思議そうに辺りを見回している。
「ここが、きゃんぷち、ですか。木と土の匂いだけですね」
「……そうだよね。誰かいたら、イエイヌちゃんが分かるよね」
ランボービーストも黙ってキャンプ地を見回していた。ラッキービーストの姿はない。
「ねえ、ランボちゃん。何が起きてるの? このキャンプ地で何があったの?」
「調べてみよウ。サンドスタースキャン開始。測定中、測定中、……」
サングラス越しに緑の光が放たれた。一瞬で消えてしまったが、ランボービーストは「測定中」を繰り返して動かない。ともえはどうしたらいいのか分からず立ち尽くしてしまったが、イエイヌが笑って言った。
「ともえさん、少し周りを歩いてみませんか? 何かあるかもしれませんし」
「あ……うん、そうだね! あたしたちがキャンプする場所も決めなきゃ」
ランボービーストから見える位置にいれば、心配もされないだろう。ともえは帽子をかぶりなおして、イエイヌと一緒にキャンプ地を歩き始めた。
木製のベンチやテーブルだけでなく、石や金属を使われている台所や建物まで圧迫し、壁のように続いている木の根は、到底植物とは思えない硬さがあった。本体の樹はさらに大きいだろうと容易に想像できたが、キャンプ地から見える範囲に大木はなかった。根だけここまで続いていて、本体はさらに奥で育っているのだろうか。
森は深く、鬱蒼としていて、あまり入りたいとは思えない。「うー」とともえは小さく唸って森から離れた。とはいえ、反対側は柵で囲まれた崖だ。その先は高さの異なる崖が段を作り、谷底まで続いている。
「……本当にここ、ヒトが使ってたのかなぁ」
「においがしませんし、誰もいなくなってから長い時間が経っているかもしれませんね」
はあ、と溜息を吐いて、ともえとイエイヌはランボービーストのところまで戻った。ちょうど測定も終わったのか、ランボービーストがともえを見上げる。
「測定が完了したゾ。このエリアは急激にサンドスターが増加し、地中に根を張っていた樹が吸い上げた結果、地形には大きな変化がなかった代わりに、樹が急成長したようだナ」
「サンドスターが急に増えたの……? よくあることなの? なんで樹だけがサンドスターを吸い上げたの?」
「よくあることではナイ。何らかの原因で急増したようだが、観測設備がないためこれ以上の分析は不可能ダ。樹だけがサンドスターに反応したことも分からないナ」
「そっか……。何があったんだろうね」
ともえは思わずイエイヌを振り返った。イエイヌも困った顔で首を傾げる。
「サンドスターは、風と一緒に飛んでいると鳥のフレンズに聞いたことがありますけど……何かがあって、樹にぶつかったんでしょうか?」
「風と一緒……サンドスターが出てくる場所って決まってるの?」
「確か……先生は、以前は特定の山からたまに噴き出していた、と言っていました。でもその山も、えーと、じしん? とかで崩れてしまって、今はどこから出ているのか分からない、とも。それを調べるのもかねて、先生はあっちこっちに行ってるとも話していました」
「そうなんだ……なんだろう、やだな。何か怖いことが起こってないといいんだけど……」
心配になったが、今は話していても仕方ない。キャンプする場所を決めようと振り返った瞬間、目の前に赤い鳥の顔があった。
「きゃああああああああ?!」
「うわああああああああ?!」
思わず叫んでイエイヌにしがみつくと、イエイヌまで大声を上げた。目の前にあった赤い鳥の顔がくつくつと揺れて、白い羽とともに顔がずれる。そこに浮かんでいたのは、白い鳥のフレンズだった。飾りが付いてきらきらとした白と紫のコート、そこから白いタイツと茶色のブーツに覆われた脚が伸び、大きな尾羽が揺れている。彼女は目の前に降り立つと、にこやかに言った。
「大丈夫。これはタダのお面さ」
「お、お面?」
「私が作ったんだ。意外とよくできているだろう?」
彼女はお面を腰に引っかけると、未だに体勢を崩したままのともえとイエイヌを支えて立たせた。
「ふふっ、驚かせてしまったね。私はメンフクロウ」
「あ、あはは……あたし、ともえです」
「イエイヌです。……この辺りで暮らしているフレンズさんですか?」
「そうさ。普段は森で過ごしているがね」
メンフクロウはそう言って目を細めた。
「ここに誰かがいるのは珍しくてね。つい見にきてしまった」
「そうなの? あの、ここってヒトが使ってたって聞いたんだけど……」
「ヒトか。面白い物を教えてくれたことは覚えているけれど、最後にここにヒトが来たのは、いつだったか」
「……そっか」
「ご期待に応えられなかったか。すまなかったね」
「あ、ううん! ごめん、ありがとう、メンフクロウちゃん」
話を変えるためにも、キャンプを始めることにした。テントに興味を持った彼女に手伝ってもらい、三人がかりでテントを張る。ランボービーストのアドバイスとメンフクロウの手助けもあって、初めてだったがなんとかテントは形になった。メンフクロウが天井に留まっても少し揺れる程度に安定している。
「手伝ってくれてありがとう、メンフクロウちゃん」
「私も珍しいものを作れたから、気にしないでくれ。君たちは、どうしてここに?」
メンフクロウが降り立つと、彼女の二つに結んだ髪が羽と一緒に揺れた。
「あたしたち、遊園地に行きたいんだ。ヒトを探してるの。……でももう夜だから、ここで休もうと思って」
「私はともかく、ともえさんは夜に動くのは危険ですしね」
「ああ、なるほど。君は夜行性じゃないのか。ふふ、それじゃあ仕方ないな。ここは静かだから、いい夜を過ごせるとも」
「メンフクロウさんは、いつもここで過ごしているんですか?」
イエイヌが尋ねると、メンフクロウは「たまにね」と微笑んで崖の方を見やった。夕焼け空はもう遠く、ただ滝の音と枝の擦れる音が聞こえてくる。
「ここは、風が気持ちいいし、開けた場所だから空も広いだろう? 暑くも、寒くもない。だから、お面作りが行き詰った時なんかにはここに来るんだ。星も綺麗だからさ」
「星?」
「もう少し暗くなった頃に、空を見てごらん。上から降ってきそうなぐらい、たくさんの星が輝いているだろう。本当はその中を飛べたらいいんだが、君たちに羽はないからな」
試しに見上げてみたが、夕焼け空の端に一際明るい星が出ているだけで、あとはよく見えなかった。空が全部夜に覆われたら、もっと星が見えるのだろうか。
「暗くなるのは少し怖いけど、星が見えるのはちょっと楽しみかも」
「ふふ、よかったですね!」
「ふうん? じゃあ、星を見上げるのがさらに楽しみになるように、トモエにぴったりの星を教えてあげよう」
「え? なになに?」
軽く身を乗り出すと、メンフクロウは静かにともえの鼻先に人差し指を立てた。
「夜空で、白い川を探してごらん。その川の近くに、君の瞳と同じ赤い星、アンタレスがある。川を挟んだ反対側を探していると、他の星より一際明るい星、アルタイルも見つかるだろう」
「……赤いアンタレスと、明るいアルタイル? それ、どこかで……」
「ま、名前は先生から聞いただけで、私もよく知らないがね。けど特にアルタイルという星は、旅をする君にはちょうどいいと、私は思うよ」
「そうなの? どうして?」
「見たら分かるとも」
メンフクロウは微笑み、ゆっくりと羽を動かした。彼女の体がふわりと浮かび上がる。
「ゆうえんちは、たくさんのフレンズが来る。君たちによい出会いがあることを祈ろう」
「ありがとう、メンフクロウちゃん。……もう行っちゃうの? あたしたち、邪魔しちゃったかな」
「ふふっ、そんなわけがないさ。君たちを見ていたら、新しいお面を思いついただけだとも。では、いい夜を」
ともえとイエイヌが手を振ると、メンフクロウも手を振って森の方へと飛び去っていった。あんなに大きな羽なのに、羽ばたく音はほとんど聞こえなかった。
「すごい……本当にフクロウって、静かに飛ぶんだね」
「ともえさん、知ってるんですか?」
「えへへ、図鑑で読んだことがあるだけだよ。実際に見たのは初めて。……ここにも、きっとたくさんのフレンズちゃんがいるんだね」
でも、ヒトはいない。ともえは思わずこぼしそうになった溜息を飲み込んで、ランボービーストに手伝ってもらいながら焚火台を出した。もうすっかり夜になり、周囲は真っ暗だから、持ち歩ける大きさの明かりを点けた。イエイヌが淹れてくれたお茶を飲みながらジャパリまんを食べると、ほっと心が落ち着く気がした。
「イエイヌちゃんのお茶、やっぱり美味しいな。なんか、ほっとしちゃう」
「よかったです! 私も、一緒に食べるとジャパリまんはもっと美味しくなるんだなって、新しい発見ができました」
「あはは、一緒だね!」
温かいお茶を、もう一口飲む。視線を上げたともえは、はっとしてカップを一度置いた。
「イエイヌちゃん、ランボちゃん、明かりを消してもいい?」
「いいですけど……あ、星ですね!」
「うん!」
明かりを消すと、辺りは本当に真っ暗になってしまった。いや、不思議と明るい。月と星の光が降り注いでくるのだ。仄かに青く染まった世界で、ともえは感嘆の息を吐いた。
見上げた先には、ちりちりと揺れて見えるほどにたくさんの溢れそうなほどの星が輝いていた。大小それぞれの星が夜空いっぱいに散りばめられているのだ。メンフクロウが言った「白い川」もある。星の野原の中を、白い帯のような川が流れているように見えるのだ。
星空に手を伸ばした瞬間、まったく別の場所の、違う空を指差す別の指先が一瞬だけ浮かんだ。
『────ほら、あれが北極星。昔の人はあの星を見て、海の真ん中でもあっちが北だって分かったの』
「ともえさん?」
イエイヌに声をかけられて、ともえは我に返った。心配そうな声のイエイヌにこつりと寄り添う。
「お母さんのこと思い出したの。あたし、お母さんと一緒に星を見たことがあるんだ」
「そうなんですね! どんなお話をしたんですか?」
「北極星の話。どんな場所にいても、どんなに季節が変わっても、一つだけほとんど動かない星があるんだって。それが、北極星。あの星を見たら、自分は北を向いているって分かるんだって」
「へえ……どこにいても、いつ見ても変わらない星、なんですね。じゃあそれ以外の星は動くんですか?」
「うん。毎日ゆっくりだけど、ずーっと同じ方向に動いていくから、季節によって見える星が変わるんだって。えっと、赤い星は何の星座なんだっけ……えへへ、ちょっとそれは覚えてないんだけど」
「せいざ? えっと、足をそろえて曲げて座る……」
「ああっ正座! えっとね~~、なんて言ったらいいんだろうなぁ」
ともえは改めて空を見上げた。イエイヌにもよく見えるように手を動かす。
「むかーし、すっごく昔の人もね、こうして星を見てたの。そしたらある人が、『この星を繋げたら、こんな絵に見えるんじゃない?』って言い出したの。それが星座」
「へ~! じゃあ、ヒトは昔から、えをかくのが好きだったんですね!」
「あははっ、かもね! あたしたちみたいに空を見上げながら、あれは動物に見えるねーとか、あれはこの人に見えるねーとか言ってたんだって。分かりやすいように、星に名前を付けた人もいるんだよ。……あたしは全部は覚えてないけど……」
「ふふ、いっぱい星がありますもんね」
「でも、思い出したよ。あれが赤い星、アンタレス。白い川のこっち側にある、一つだけ赤く光ってる星」
ともえが指を差すと、イエイヌはともえに頬を寄せて指先を追いかけている様子だった。
「あ、あれでしょうか? ともえさんの目と同じ色の星ですね」
「そう! あはは。それで、アルタイルは、えーと彦星様だから……あった、あそこ! もう一個大きく光ってる星と、白い川を挟んでる星があるでしょ? それのね、こっち側」
「おー。目印になる星があると、分かりやすいですね。あれがあるたいる……あっ」
イエイヌが嬉しそうに声を上げた。
「あの、あるたいるっていう星! 小さい星に挟まれていませんか?」
言われるままにアルタイルを見上げると、確かに両脇にも星があった。
「ほんとだ……夏の三角形ばっかり見てたから、気付かなかったのかな。ふふ、可愛いね」
「メンフクロウさんが言ってたのは、きっとこのことですね! ともえさんを真ん中にして、私とボス! どうですか?」
「あ、あたしがあんなに大きな星でいいのかなぁ。でも、えへへ、嬉しい! ありがとう、イエイヌちゃん」
大きな星に寄り添う小さな星が二つ。本当は大きさが逆だと思うのだけれど、いつも二人が隣にいてくれるのだと思うと、心強かった。隙間風が吹いているみたいに冷たくなっていた胸の内が、急に温かくなる。ともえは小さく笑って、イエイヌにくっついた。
「……イエイヌちゃんが一緒に来てくれて、本当によかったなぁ」
「ええ? ふふっ、旅はまだ始まったばっかりですよ?」
「いいのー、そう思ったの! あははっ」
二人分の笑い声が響くと、ちりちりと星が揺れて見えた。頬に当たるイエイヌの毛並みは、もふもふとしていて温かくて、最初に抱きしめられた時と同じ、不思議な安らぎを感じるものだった。
「……イエイヌちゃん」
もし、本当はもう、どこにもヒトがいなかったら、どうしよう。
ともえは思わず唇を噛んだ。古びた建物、木の根に飲み込まれた施設、ラッキービーストしか動いていないパーク、ずっと一人で過ごしてきたイエイヌ。可能性は最初からあったのに、考えないようにしていた。
もしかしたら、お父さんも、お母さんも、もうどこにもいなくて。
ヒトなんて、もうどこにも。
「ともえさん? どうしました?」
イエイヌの穏やかな声が聞こえた。ともえは我に返り、イエイヌにもたれていた体を起こす。
「ううん、ちょっと寒くなってきたから、そろそろ寝ようかなって!」
「あ、そっか。そうですね、冷えてきた気がします。てんと? に入りましょうか。風が当たらないだけで、だいぶ暖かいですよ」
「うん、そうだね。えっと、ランボちゃんは」
「俺は外で見張りをしていル。安心して眠レ」
「……じゃあ、お願いしようかな。ありがとう、ランボちゃん。おやすみなさい」
「シンジロ。おやすみ、トモエ」
ランボービーストに挨拶して、ともえはイエイヌと一緒にテントに入った。ベッドに比べると固い寝床だが、安心感がある。帽子とリボンを外して枕元に置くと、「ともえさん」とイエイヌが口を開いた。
「なに? イエイヌちゃん」
「不安ですか?」
単刀直入に聞いてくるイエイヌは、心配そうな顔をしていた。ともえは唇を結び、温かい手を握る。イエイヌが手を握り返してくれたところで、やっと口を開いた。
「……あたし、不安そうだった?」
「なんとなく、そんなにおいがしました」
「……あたしがイエイヌちゃんに一緒に来てってお願いしたのに、ごめんね。もし、本当はヒトなんてどこにもいなかったら、って……考えちゃったの。ヒトが使ってたものはあるのに、ヒトがどこにもいないから……」
「……そうですね。道具も、建物も、たくさん残っているのに、ヒトはいない。どうしてだろうって、私もずっと思ってました。でもね、ともえさん」
ぎゅっと手を握る力が強められて、ともえは思わず顔を上げた。イエイヌが微笑んで言う。
「ともえさんは、私がずっと待っているヒトが、もうどこにもいないって、思いますか?」
「……ううん。思わないよ。だってお家にあんなに道具が残ってて、お茶も作れたんだもん。それに、あたしは……イエイヌちゃんが待ってるヒトのことが、分からないから。そんなこと言えないよ」
「私もそうです。ともえさんの『おとうさん』と『おかあさん』のこと、私は分かりません。パークにいるのか、いないのかも、分かりません。だから私たち、旅に出たんです。それを知るために、旅に出たんですよ、ともえさん。まずは分かることを増やしていきましょう。今は、それで十分なはずです。だってまだ、旅は始まったばかりなんですから」
「……うん。そうだね。会ったことのあるフレンズちゃんだってまだ少ないし」
「そうです! だから、ともえさん!」
「えっ、わっ、わー?!」
手を引っ張られたかと思うと、二人並んで寝転んでしまった。驚いてイエイヌを見ると、イエイヌは枕に髪と頬を押し当てるようにして、ともえに笑いかけた。
「不安になっても、心配になっても、大丈夫、大丈夫です。だってまだ、何も分からないんですから、不安にだってなります! でも、私がヒトのにおいに気付いてともえさんを見つけることができたみたいに、また別の手がかりが見つかることもあるはずです」
「……そうだね。あの時、イエイヌちゃんが探してくれたから、あたし、助かったんだ」
「これからもそうですよ~! もしともえさんが一人で迷子になってしまったら、私が必ず見つけます!」
「えへへ、じゃあもしイエイヌちゃんとはぐれちゃった時は、私が追いかけるね」
「それで、ボスがもし迷子になってしまったら、その時は二人で探しにいきましょう。それが群れ、仲間というものです。ふふ、私もずっと一人だったから、こうして『温かい』を分け合えるのが嬉しい、とも言います!」
はっとして、イエイヌを見た。異なる色の瞳が、優しく細められる。そうだ、ともえよりもずっと、イエイヌは一人で過ごしていたのだ。ともえは切なくなって、自分が少し恥ずかしくなって、イエイヌに微笑んだ。
「……あたしも、イエイヌちゃんと『あったかい』を分けっこできて嬉しいよ。イエイヌちゃんのおかげで、不安なこととか、胸の真ん中が冷たくなる感じが、なくなっちゃう気がするの」
「本当ですか? よかった~」
「だからあの、あのー、ね……? 今日もくっついて寝てもいい……?」
「はい、どうぞ~」
イエイヌは笑って、もふりとともえを抱え込んだ。くすぐったいよ、と笑い合って、明かりを落とす。真っ暗な中でくっついていると、お互いの呼吸する音と、風の音、枝の擦れる音が聞こえてくる。温かくて、柔らかくて、安心する感触に包まれて、ともえは小さく息を吐いた。
不安になるのは、心配になるのは、あたしだけじゃないよね。ずっと一人でいたのはイエイヌちゃんの方なんだから、イエイヌちゃんの方が不安になったり心配になったりすること、あるよね。せっかく一緒にいるのに、あたしだけ、みたいにしてるのは、だめだよね。しっかりしなきゃ。イエイヌちゃんが優しいからって、甘えてばっかりじゃだめだもん。
アルタイルが二つの星を連れて空を進んでいくように。三人で旅を始めるのだから。
【例のBGM】
らっきーびーすと(薪割り担当)
「メンフクロウは、フクロウ目メンフクロウ科の鳥類だネ。聴覚と視覚に優れ、ネズミなどの小型哺乳類を捕食する、夜行性の鳥だヨ。ハート形の白い顔が仮面をつけているように見えることからメンフクロウと名付けられた、とされているネ。草原や明るい林といった見晴らしのいい場所を好む鳥で、ヒトの家や納屋、崖の穴みたいな隙間で暮らすことがあり、特にヨーロッパでは親しまれている鳥なんダ」
翌朝。天気はよく、乾いた風が吹いていた。今日も滝には虹がかかっている。
「ランボちゃん、おはよう。ずっと見張ってくれてたの?」
「おはよう、トモエ。それが俺の役目ダ」
「あはは……ありがとう、おつかれさま」
大きく伸びをして深く空気を吸い込むと、朝のすっきりとした清涼感が全身に満ちていく気がした。二人分の欠伸に気付いて振り返ると、イエイヌが同じタイミングで口を開けていた。つい顔を見合わせて笑い合う。
「えへへ、欠伸かぶっちゃいましたね」
「ほんとだね~。イエイヌちゃんも、昨夜はありがとう」
「よく眠れましたか?」
「うん! 今日も張り切って進むよー!」
「おー!」
荷物をまとめてキャンプ地から出て、ともえたちは早速スクーターでツーリングコースを進んだ。道路沿いの植物は、キャンプ地以降はどれもやけに大きく成長しているように見える。
「ランボちゃん、どの植物もサンドスターを吸収して大きくなってるのかな」
「その可能性は高いナ。樹と違って、大きく育たなかったから道が塞がっていないだけだろウ」
「ということは、きゃんぷちみたいに道が木の根っこで塞がれている場所もあるかもしれないんですね」
「そ、そっか、そうだよね。ランボちゃん、この公園って、別の道もあるのかな」
「複数のルートが存在していル。シンジロ」
「うん、よろしくね」
景色のいい中を走ると、風が気持ちいい。スクーターは順調に進んでいたが、やがてスピードを緩めることになった。カーブの先を見やったともえは思わず声を上げる。
「ランボちゃん、あれ……」
「ああ、迂回した方がいいナ」
カーブの先は、岩壁を貫いて崖まで崩した木の根が露出していた。本体の樹は見えなかったが、相当大きな樹であることは感じられる。木の根は壁のように道を塞いでしまっていて、スクーターで通るのは無理だ。乗り越えるのも難しいだろう。スクーターで一度後退し、別の分岐路を進んだ。
「この先は森だナ。植生を考えると、スクーターで抜けることは可能だろウ」
「本当? 荷物が大きいから助かるよ」
しばらく道を進んでいると「もりのみち」と書かれた立て札の前を通り過ぎた。もうすぐ森に入るようだ。育ちすぎた樹に邪魔されることもなく、スクーターは順調に走っていく。
やがて目の前に、緑のトンネルが見えてきた。
「うわぁ……これが、森? すごい……ずっとトンネルみたいになってる……」
「道に根っこは出ていませんけど、なんだか枝がとても……わさっとしてますね……」
スクーターは走りやすいが、頭上は枝と葉が重なり合って空は見えなかった。キャンプ地近くの鬱蒼と生い茂った森とはまた違った重厚感がある。だが、通り抜ける風は涼しく、木漏れ日で森の中は明るい。
「とっても綺麗……お散歩しながら歩いてみたいな。ランボちゃん、いい?」
「問題ナイ」
スクーターはランボービーストに任せ、ともえとイエイヌはヘルメットを外してスクーターから降りた。ともえは帽子とバッグをいつも通り身に着けて、イエイヌと一緒に歩き始める。その後ろからゆっくりとスクーターがついてきていた。
「ここの樹は、根っこが出てきたり、大きくなりすぎたりしてないみたいだね。枝がわさーってしてるけど」
「そういう種類の植物、なんでしょうか。お日様がきらきらしていて、綺麗ですね!」
「うん! 風も気持ちいいね~。……あれ?」
清涼な空気を満喫していると、前方で何か黒いものが動いていることに気付いた。イエイヌが「あれ」と声を上げて鼻を鳴らす。
「あれは……鳥のフレンズでしょうか」
「本当? この辺りで暮らしてるフレンズちゃんなのかな……ちょっと、挨拶してみよっか」
「はい!」
驚かせないように近づいていくと、黒い羽をふわふわと揺らした二人が、ぴょんぴょんと跳ねるように木漏れ日の中で踊っていた。大きな黄色の蝶ネクタイと青い三角形のフリルが揺れて可愛らしい。靴もリボンで結んでいて、とても軽やかなステップだった。
「あの、こんにちは!」
ともえが声をかけると、二人ははっとこちらを振り返った。視線を合わせたかと思うと、二人はともえたちの前に並ぶ。風で二人の黒いポンチョが軽やかに揺れた。
「ここまで来るのを待っていたぞ」
「我らはお前たちの到来を知っていたぞ」
「えっ?」
「ワタシはカタカケフウチョウ」
「アタシはカンザシフウチョウ」
「我ら闇より深き黒の華!」
「闇夜の偶像『ゴシックラック』なり!」
「ほぁ~……」
二人で手を繋ぎ、もう片方の手をぱっと開いてポーズを取る。その拍子に胸元や頭の飾りが揺れた。ともえはパチパチと拍手をする。
「素敵だね~! あたし、ともえだよ」
「わ、私は、イエイヌです……」
「……あんまりオドロいてないね」
「……ソウテイとチガったハンノウだったね」
カタカケフウチョウとカンザシフウチョウは首を傾げて顔を見合わせた。ともえも首を傾げてしまう。
「あれ……えっと、ごめんね。ここで何してたの?」
「レ……オホン! 鍛錬であるぞ。この地で日の光を吸収し、我らが黒をより深きものとするのだ」
「そ、それによって我らの魅力はさらに高まり、多くのものを闇へと誘うことが可能となるのだ!」
「へえ~!」
ともえが素直に頷いていると、イエイヌが苦笑して言った。
「あの、もっと普通にお話できませんか……?」
「……ヘンだった? コトバもカザったほうがいいってオモったけど」
「クロもキャラもキワめたいのに、ムズカしいの」
「キャラをカザるってタイヘンね」
「ヒカリのハナになりたいだけなの……」
二人は急に肩の力を抜いて、はぁ、と溜息を吐いた。ともえは思わず尋ねる。
「あ、あれ? じゃあ今までの話し方は、えーと、アイドルのため?」
「そうなの。アタシたち、アイドルになりたくて。いつもここでカザるレンシュウしてるの」
「でも、ハデでゴクラクなアイドルはホカにもいるから、もっとクロをキワめたいの」
すっかり話し方が変わった二人は、こちらの方が親しみやすい気がした。ともえもほっと気が緩んで続ける。
「そうなんだ……アイドルって、えっと、あたし詳しくないんだけど、みんなの前で歌ったり踊ったりする人たち、で合ってる?」
「そうそう。みんなとってもキラキラしてた。アタシたちとはチガうカザり、すっごくキレイだったから」
「ワタシたちもアイドルになったら、もっとキラキラしたヒカリのハナになれるとオモったの。でも……」
カンザシフウチョウとカタカケフウチョウは夢見る顔でそう言って、すぐに肩を落とした。
「『ペパプ』はペンギンアイドルで、ダンスもウタもジョウズ。キャラもみんなチガって、ハナしてるところをミてるだけでもタノしいって。キョウシュウチホーに行ったコがオシえてくれたの」
「『三may超!』はウグイス、コマドリ、オオルリのアイドルで、たくさんのバショをマワってウタってるの。おっとりしたウグイスと、ゲンキなコマドリと、クールなオオルリってキャラもはっきりワかれてて」
「だから、アタシたちもトクイなことをして、キラキラしようとオモったの! でも、みんなよりメダつようにカザるの、とってもムズかしくって」
「シックでダークなダンスユニット『ゴシックラック』……まだまだみたいなの」
二人とも難しい顔をしていた。ともえは素直な感想を伝える。
「でも、二人のダンス、とっても素敵だったよ。踊ってると羽がふわって広がってすごく綺麗だし、胸の飾りが光できらきらしてて、すっごく綺麗だった! カンザシちゃんの髪飾りもふわって動いてて可愛いよね!」
「ほ、ほんと?!」
「うん! カタカケちゃんも、ぴょんぴょんした動きが軽やかで、すっごく可愛い!」
「え? よ、よかった……」
「羽が真っ黒なのも特徴だよね。こういう明るい場所だと胸元の飾りがきらきらしてて綺麗だけど、もしかして暗いところからふわって出てきたら、見てる人もびっくりして注目しちゃうんじゃないかな……」
「それ、いいかも。オボえておかなくっちゃ」
「クラいところからデてきて、キラキラ……ステキなの」
三人で盛り上がっていると、イエイヌが「あの」と声を上げた。
「そもそも、二人はどうしてここで練習していたんですか?」
「……レンシュウしてるところミられるの、ハずかしいから」
「ここ、あまりフレンズがいないから、ちょうどいいとオモったの」
「そうなんですか? こんなに通りやすい道なのに」
イエイヌの言葉を受けて、ともえも辺りを見回した。確かに、木々は綺麗に並んでいるし、道も平らだし、通り抜けるには最適な道だ。だがカタカケフウチョウとカンザシフウチョウは顔を見合わせてから言う。
「ワタシたち、チガうナワバリからキたから、よくシらないの」
「でも、センセーがね。マエにここでセルリアンとタタカって、たくさんのフレンズがタべられたって」
「センセーのほかにオボえてるフレンズはほとんどいないけど、なんとなくみんなコワくて、いないの」
「でも、トモエとイエイヌはいる。フタリは、どうしてここに?」
まさかこんなに綺麗な通りでセルリアンとの戦いがあったとは思わず、ともえは一瞬呆然としてしまったが、慌てて答えた。
「遊園地に行きたくて、ここを抜けようと思ったの。他の道は、サンドスターで急に大きくなった樹に塞がれちゃって」
「そっか。トべないコってタイヘンなんだね」
「いつもトんでるから、キヅかなかったの」
「でもユーエンチ?」
「どうしてユーエンチ?」
「ヒトがたくさんいたって聞いて、そこに行ってみたいんだけど……ヒトについて、何か知ってる?」
ともえが尋ねると、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウはそろって首を傾げた。
「そういえば、シらないかも」
「でももしかしたら、オイナリサマならシってるかも」
「オイナリサマ?」
聞き慣れない名前に思わず復唱すると、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウが頷いた。
「このパークをマモってくれてるの」
「でも、ナワバリからウゴけないんだって」
「オイナリサマはずっとナワバリにいるっていってたから、もしかしたらシってるかも」
「アいにいってみる? アタシたちがアンナイするよ」
「本当? じゃあ、お願いしようかな……ね、イエイヌちゃん」
「そうですね。何があったのか、気になりますし」
ランボービーストの発言はなかったから、特に問題はないのだろう。ともえたちはカタカケフウチョウとカンザシフウチョウに案内されるまま、森を進んだ。フウチョウたちはぴょんぴょんと跳ねるようにして先導する。
「さっきキョウシュウチホーって言ってたけど、パークって色んなチホーがあるの?」
「あるよ。ここはコドコチホー? っていうの」
「ほんとはホッカイチホー? にチカいチホーだったの」
「え? じゃあ、今は?」
思わず尋ねると、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウはともえの前を跳ねて回りながら歌うように言った。
「マエに、ヒトとセルリアンのオオきなタタカいがあったの」
「そのトキに、たくさんミズがきて、ホッカイチホーとハナれちゃったんだって」
「だからイマは、トぶのがトクイなコやオヨぐのがトクイなコぐらいしかいけないの」
「もしかしてヒトもそっちに?」
「ミたことないからそっちに?」
四人で顔を見合わせてしまった。ともえはイエイヌを振り返る。
「イエイヌちゃん、大きな戦い、って覚えてる?」
「いいえ、分かりません。あの『おうち』で待たなきゃ、とずっと思っていたんですが……」
「カタカケちゃんとカンザシちゃんは?」
「シらないの。たぶん、ワスれてしまったの」
「アタシたち、そのタタカいのアトでフレンズになったんだって」
「ホカのコがいっていたから、ほんとだとオモうの」
「オシえてあげられなくてごめんね」
「あ、ううん! 気にしないで!」
「タビするトリのコはシってるかも?」
「オイナリサマもシってるかも!」
歌うように喋りながら、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウが跳ねていく。その背中をしばらく見つめた。
他の地方がある。でもその地方には海を越えることができるフレンズしか行けないようだ。何か移動手段があれば、ともえも行けるかもしれない。こちらの地方にヒトがいる気配がないのは、みんな海の向こうに行ったからだろうか。それならどうして、ともえはあの建物にいて、イエイヌも近くの家にいたのだろう。ヒトが海の向こうに行ったのなら、海の近くにある建物でもよかったはずなのに。
「ともえさん?」
イエイヌから声をかけられて、はっとともえは顔を上げた。考えごとをしている間に、フウチョウの二人はきゃらきゃらと笑いながら先で飛び跳ねていて、イエイヌは心配そうにともえを振り返っていた。
「大丈夫ですか?」
「ごめん、大丈夫。……他の場所にヒトがいるなら、どうやって行こうかなって考えてたの」
「そうなんですね。うーん、私たちは飛べませんし……ボスが海を渡る方法を知っていたらいいんですけど」
イエイヌは背後を振り返った。ともえも視線をやるが、ランボービーストは先程から黙ってスクーターを動かしているだけだ。
「ランボちゃん、どうしたんだろう。静かだよね」
「カタカケフウチョウさんとカンザシフウチョウさんに遠慮してるんでしょうか」
「ヒツジちゃんたちの前では普通に喋ってたのに……」
「おいでよー」
「こっちだよ」
「あ、はーい! 今行くよー!」
返事をして、ともえとイエイヌは慌ててカタカケフウチョウとカンザシフウチョウに駆け寄った。
【例のBGM】
らっきーびーすと(ごみ拾い担当)
「カタカケフウチョウとカンザシフウチョウは、どちらもスズメ目フウチョウ科の鳥類だネ。カタカケフウチョウは背中の肩かけ羽を広げると、頭と胸にある青い飾り羽が目と口のようになって大きな顔に見えるのが特徴で、リズミカルに飛び跳ねながら踊るヨ。カンザシフウチョウは踊る場所を掃除してから踊るところが目撃されているネ。その踊りも、頭の飾り羽を揺らしながら、爪先立ちになる、特徴的なものだヨ。羽全体をスカートのように広げて、胸の黄色と青の飾り羽を目立たせるように背筋を伸ばして踊るんダ。エサが豊富で天敵もあまりいなかった環境から、派手で目立つ雄が好まれ進化したのでは、と言われているヨ」
カタカケフウチョウとカンザシフウチョウの案内で辿り着いたのは、石の門がある場所だった。雑草が生い茂っているが、門の先には石畳が続き、上へと伸びる階段があるのが見える。
その門に立った時、ともえは初めて来た気がしなかった。周りの生い茂った樹や草花にはまったく見覚えがない。しかし、もっと明るい中でここに立っていた気がする。
カタカケフウチョウとカンザシフウチョウは、門を抜けるとくるりとともえたちを振り返った。
「このサキに、オイナリサマがいるの」
「みんなでいったら、きっとヨロコぶの」
「分かった、ありがとう。えっと、ランボちゃんは……あれ?」
ともえが振り返った頃には、ランボービーストはすでにスクーターから降りてともえの隣に佇んでいた。一緒に来るつもりではいるらしい。どうしたんだろうね、とイエイヌと顔を見合わせたが、ランボービーストが何も言わないならばと、そのまま三人で石畳を進んだ。
階段を上がっていくと、古い建物に迎えられた。階段から建物までは真っ直ぐ石畳が続き、両脇には向かい合わせになったキツネの石像がある。右手には水が湧き出る泉があり、木製の屋根があった。
「……ここ、神社だ……」
ともえは思わず呟いた。そうだ、来たことがあるはずだ。両親と一緒にここに来たのだ。確か、パークに来たばかりの頃。確かその時は、お父さんと、お母さんと、ともえ自身、それから
(……あれ? あと一人……)
誰かがいたはずなのに、思い出せなかった。首を傾げていると、強い風が吹き抜けていく。思わず目を閉じると、シャン、と鈴の鳴る音がした。
「いらっしゃい」
涼しげな声を聞いて、驚いて顔を上げた。目の前には、髪も服も真っ白なひとが立っている。尖った耳もふさふさとした尻尾も真っ白で、なのに胸元のリボンだけが真っ赤だった。スカートは短く、左の太腿に白い編み紐を結び付けている。彼女は金色の瞳を優しく笑みに細めて、白い手袋に包まれた手を丸めた。
「ヒトの子が来るのは久しぶりですね。稲荷神社に、何かご用ですか?」
「……いなり神社……?」
呆然と復唱すると、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウが手を挙げた。
「こんにちは、オイナリサマ」
「またキたよ、オイナリサマ」
「はい。いらっしゃい、カタカケフウチョウ、カンザシフウチョウ」
優しい声で応じた彼女は、ともえたちを見て小首を傾げた。ともえも慌てて頭を下げる。
「は、はじめまして! ともえです!」
「イエイヌです、こんにちは」
「はい。こんにちは、トモエ、イエイヌ。よく来ましたね」
「オイナリサマさん、あの、えっと」
「あら? ふふ、緊張しなくていいんですよ。ここはとても静かですから、ゆっくり、深呼吸をして」
「は、はい」
不思議な迫力があって、つい舞い上がってしまった。ともえが深呼吸をしていると、オイナリサマの背後から真っ白なラッキービーストが現れる。耳の先から尻尾まで真っ白だが、胴には赤い組紐を締め、丸い鈴も着けていた。真っ白なラッキービーストは、ランボービーストと向き合って静かにしている。
「わぁ……! 真っ白なラッキーちゃん、可愛いね!」
「この子は特別なんです。パークにいるフレンズたちに連絡を取れるように、ここにいてもらっているんですよ」
「そうなんだ……じゃあ、オイナリサマさんは、キツネのフレンズちゃんなの?」
「うーん、この体は確かにキツネのフレンズなのですが、私は稲荷信仰に基づくものなので……ふふ、この神社にいる神様の言葉を、パークにいる子たちに伝えるフレンズ、といったところでしょうか」
「言葉を伝えるフレンズ?」
「はい。こんこん、とね」
「こんこん……」
少し難しかったが、キツネにサンドスターが触れて生まれたフレンズなのではなく、もっと違うフレンズということだろうか。えーと、と考えていると、オイナリサマはランボービーストに向かって屈みこむ。
「ランボービースト。以前の約束をまだ実行していたのですね。指定領域での沈黙指示は解除されていますから、発言しても大丈夫ですよ」
「……了解。沈黙を解除すル」
「え? 約束って……?」
ともえが尋ねると、オイナリサマは立ち上がり、微笑んで建物を手で示した。
「ヒトの子、トモエ。私が知っていることを、あなたに伝えましょう。おいでなさい」
「は、はい……」
「あの、私も一緒にいていいですか?」
「もちろんですよ、イエイヌ。カタカケフウチョウとカンザシフウチョウは……好きにさせてあげましょうか」
ふと階段の方を振り返ると、フウチョウの二人は階段を飛んだり跳ねたりして、真剣にダンスを考えているようだった。練習熱心な二人だ。邪魔しては悪いだろうと微笑ましく見守り、ともえたちはオイナリサマに案内されるまま、古い建物へと向かった。
木製の建物はとても古く、独特の匂いがした。階段を椅子代わりにして座ると、オイナリサマは口を開く。
「ここは、稲荷神社です。商売繁盛、福徳開運、食べ物に困らず、みなが笑顔でいられるように。そう祈りを込めて、この神社は作られました。そして私は、ヒトたちの信仰や想いに呼ばれ、白狐の姿を取ってこの地に現れたのです。パークにいるヒトとフレンズが笑い合って、平和に過ごすことができるように、その笑顔を守るために。私もフレンズとして」
「……じゃあ、この神社も本当は、たくさんのヒトやフレンズちゃんが来てたんだよね」
「ええ。以前は多くの子たちが来てくれました。お願いごとをしに来たり、お願いが叶ったからと感謝しに来たり。この社の前で声をかけてくれる子もいましたし、絵馬をくれる子もいました」
「えま?」
「ふふ。お願いごとや感謝の言葉を神様に伝えるために、ヒトの子たちが書いた手紙のようなものですよ。以前は、あそこに納めていたんです。神様からもよく見えるように」
すい、とオイナリサマが指差したのは、神社の敷地内でも泉とは反対側にある場所だった。今は雑草に覆われ、そこに何かあったとは思えない状態になっている。
「ヒトが来なくなって、セルリアンに狙われるようになったので、今は大切に隠していますけどね」
「え? セルリアンって、そういう物も壊しちゃうの? フレンズちゃんを襲うだけじゃなくて?」
「セルリアンは、サンドスターを狙っているはずでは……?」
ともえとイエイヌが言うと、オイナリサマは空を見上げた。周囲の木々は神社を覆い隠すように枝葉を広げているから、薄い木漏れ日だけしか見えなかった。
「ヒトとフレンズが笑い合う場所、楽しい思い出を作った場所、大切な思いが詰まった物、それらは輝きを持っていました。サンドスターが反応するような煌めきです。そしてその輝きは、サンドスター・ロウから生まれるセルリアンをも惹きつけました。なぜセルリアンが生まれるのか、それは私たちにも分かりません。けれど、セルリアンがその輝きを、ヒトとフレンズ、彼らが大切に思う物を襲い、壊し、多くの悲劇を生んだことは事実です。ヒトとフレンズが交流を深め、楽しい思い出を増やしていく度に、セルリアンは彼らを襲い、傷つけ、思い出を、輝きを奪っていきました。雨で土が流れるように、風で花が散るように、突如現れては襲いかかる。それが、セルリアンです」
「……じゃあ」
ともえは小さく息を呑んだ。
「カタカケちゃんとカンザシちゃんが言ってた『大きな戦い』が起こったっていうのは……キャンプ地とかで、ヒトとフレンズが交流して、楽しく過ごしていたから……?」
「そうです。この自然公園は、ヒトとフレンズが楽しい思い出を作ることができるように作られた場所でしたからね。輝きがたくさん集まっていた。そして、セルリアンもそれを目当てに、集まってしまった。特にヒトとフレンズが一緒に何かを作るような場所、キャンプ地には、多くのサンドスター・ロウが集中しました」
オイナリサマは細く溜息を吐くと、淡く微笑んでともえを振り向いた。
「私は、この神社から動くことができません。だから、この土地に集まったサンドスター・ロウがセルリアンになる前に、サンドスターに変換して、樹に吸収してもらうので精一杯でした。一緒に戦うことはできなかったから……多くのフレンズたちが動物に戻ってしまったけれど……キャンプ地は壊れてしまったけれど……戦いを終わらせるためには、私が彼らを守るためには、それしかなかった……」
「……だから、根っこが大きくなってる樹があったんだね」
「でもそれも、その場しのぎにしかならなかったんです。大きな戦いを終え、ヒトはさらなる戦いのためにこの地から去ってしまった。ヒトの信仰を拠り所にしていた私たちも、すっかり力が弱まってしまった。……そして、ヒトが去ってしまうと、セルリアンを引き寄せる輝きもまた、薄れていったんです。ヒトが多く利用していた建物は特に、輝きを失い、サンドスターが離れ、古びてぼろぼろになってしまった。そうなると、セルリアンは襲わなくなるんです」
「……そんな……」
それではまるで、ヒトがセルリアンを呼んでいるようなものだ。ともえが俯くと、イエイヌが慌てた様子で言った。
「で、でも、今でもヒトが使っていたものはたくさん残っていますし、今でもセルリアンが出ることもありますから、ヒトが呼び寄せていたわけではないんですよね。楽しい思い出があったから、輝きがあっただけで」
「はい。ヒトがいなくなった後も、フレンズは生まれていく。自分の好きなものや動物の頃の思い出を大切にしながら暮らしていると、そこに輝きは生まれる。そして、それをセルリアンが襲う。……笑顔を守り、楽しくフレンズたちが暮らすほど、セルリアンはそれに引き寄せられ、壊そうとしてしまうのです。悲しいことですが、その環を止めるほどの力を、私は持っていません。仮にフレンズたちが楽しく暮らすことをやめ、笑顔を禁止したとしても、彼らはサンドスターから生まれた子たちですから、結局はセルリアンに狙われてしまう……」
悲しい循環だ。ともえは自分の顔がくしゃりと歪んでしまうのを止められなかった。セルリアンのことはよく分からない。けれど、出会ったフレンズたちは可愛くていい子たちばかりだった。その子たちが怪我をしてしまうなんてことは、起こらないでほしい。脳裏に、傷だらけになったイエイヌの姿が浮かぶ。あの時、ともえは何もできなかった。そんなともえに、セルリアンをどうにかする力はないけれど、悔しかった。
「……じゃあ、戦うのが苦手なフレンズちゃんたちは、みんなセルリアンに食べられちゃうの……?」
「戦うのが得意な子と一緒にいることもありますし、フレンズ同士で協力して、セルリアンを倒すことに集中している子もいます。それに、かつてヒトが使っていた建物は丈夫なものが多いですから、それを利用している子もいますね」
「そうなの?……あ、そっか、ヒツジちゃんのおうち……」
家の中で編み物をしていたヒツジを思い出した。あの時はともえにとっては家で暮らすことが普通だったし、イエイヌも家の中で過ごしていたから、あまり考えなかったが、ヒツジにとってもイエイヌにとっても、家といえばあの形をしているわけではないだろう。それこそ、オオアルマジロのオルマーが「深めの穴を掘って隠れるよ」と言っていたように、動物だった頃の過ごし方をフレンズになっても続けている子がいるのだから。
「輝きを失っても、砂になって崩れてしまうわけではありませんからね。ヒトを身近な存在としていたフレンズほど、ヒトの建物を利用することは多いみたいですよ」
「そうなんだ……イエイヌちゃんも、おうちで待ってたもんね」
「はい! それが私にとって、自然というか……そうしなきゃと思っていたことだったので。でも確かに、おうちの中にいたらセルリアンに襲われることもなかったので、もしかしたら外よりも安全なのかもしれません」
「ええ、そうですね。戦いが得意な子は、相手の倒し方を知っている。戦いが苦手な子は、自分の守り方を知っている。だからトモエも、自分のこと、周りのことをよく知るのですよ。それもまた、生きるための知恵なのですから」
「は、はい!」
ともえは思わず背筋を正して返事をした。セルリアンと遭遇した時はイエイヌとランボービースト任せになってしまうのだから、確かに申し訳ない。色々考えないと、と思考を結ぼうとしたところで、ともえはオイナリサマを振り返った。
「あの、オイナリサマさん。ヒトは去っていったって言ってたけど、それってもう、会えないってこと……? もう、どこにもいないの……? あたしのお父さんとお母さんも……イエイヌちゃんの、待ってるヒトも……?」
尋ねる声は、自然と小さくなってしまった。オイナリサマは金色の瞳を丸くしたが、すぐに微笑んで、帽子ごしにともえの頭を撫でた。
「ヒトがどこへ行ったのか、私も分かりません。力が弱くなって、知ることができる範囲は狭くなってしまったので。しかし、ヒトはここから先……遊園地へ、そしてその先へと、セルリアンを追い払い、フレンズたちの安全を守ってくれたことは確かです。彼らは確かに、このパークとフレンズを守るために戦い、セルリアンと一緒にここから離れていきました。遊園地から先を知ることは、もう私には難しいですが……」
「……じゃあ、遊園地まで行ったら、また何か分かるかな」
「ええ、きっと。そこにヒトがいなくても、何があったのか知ることができたら、自ずと、ヒトがどこへ向かったのかも分かるでしょう」
「……そっか。ありがとう、オイナリサマさん」
「いいえ。……本当は、直接あなたを『おとうさん』と『おかあさん』のところに連れていくことができたらいいんですけど。ごめんなさいね。すっかり力が衰えてしまって」
しゅん、と耳を伏せるオイナリサマを見て、ともえは慌てて両手を振った。
「そ、そんなことないよ! 色々教えてくれて、とっても助かったもん! お父さんたちや、イエイヌちゃんが待ってるヒトのことは心配だけど、このまま調べてみたら、何か分かるかもしれないんだし。セルリアンについても、よく知らなかったから。オイナリサマさん、本当にありがとう」
「……どういたしまして。あなたとイエイヌの旅に、幸福がありますように」
オイナリサマは優しく微笑んで、よしよし、とともえとイエイヌの頭を撫でた。嬉しいけれど、少し恥ずかしい。ともえはイエイヌと顔を見合わせて笑ったが、「そうだ」とスケッチブックを取り出した。
「オイナリサマさん、ここで少し、絵を描いてもいい? とっても綺麗な場所だから、絵に残したいの」
「もちろん、構いませんよ。ゆっくりしてくださいね」
「今日は何をかくんですか?」
「えへへ、できてからのお楽しみ!」
イエイヌが見守る前でスケッチブックを膝に置き、画材を取り出していると、ランボービーストも隣にやってきた。ともえは微笑んで迎える。
「ランボちゃん、ラッキーちゃんと話してると思ったよ。もういいの?」
「アア。地形やルートの確認は終わったからナ」
「そっか。……ランボちゃん、ここでは話しちゃだめって約束してたってみたいだけど……」
「俺がスリープモードになる前の話だがナ」
画材を取り出していると、ランボービーストは境内の階段で遊んでいるフウチョウ二人を見ながら言った。
「オイナリサマは、パーク内のロボットを通じてヒトとフレンズにセルリアンやサンドスターの状況を伝えていタ。普段は俺たちロボットとオイナリサマの発言を聞き分けることができたヒトやフレンズたちも、戦っている最中や、セルリアンを追っている時、セルリアンから逃げる時は難しイ。だから自然公園のような、セルリアンが多く出没し、オイナリサマからの情報が重要になる地域では、ロボットは自発的に発言しないよう指示されていたんダ」
「そうなの? うーん、声とか似てないから、大丈夫だと思うのに」
「だがトモエも、『危ない』と言われるのと『伏せろ』と言われるのだと、『伏せろ』と言われた方が分かりやすいだろウ?」
「あ、そう言われてみたら、そうかも。……そういうものなの?」
「一瞬の判断や躊躇が、勝敗を分けることもあるからナ。当時はそれぐらい危険な状況だったということダ」
「……じゃあ、今は大丈夫なんだね」
「アア。……セルリアンが狙うほどの輝きが、もうないとも言うナ」
「……そっか」
それは寂しいことだったが、だからこそカタカケフウチョウとカンザシフウチョウがダンスの練習をできるほど平和な場所になったともいう。ともえの手は止まったが、暗くなる考えは頭を振って追い出して、線を引いた。
■
ともえがスケッチブックに何か色を付けている姿を見ていると、オイナリサマがイエイヌの隣に座った。オイナリサマは微笑んで言う。
「あの子は、絵を描くのが好きなんですね」
彼女の視線はともえに向いていた。彼女はランボービーストと話しながら、絵をかいている。イエイヌもともえの横顔を見つめて頷いた。
「はい。私は、えをかく、がよく分からないんですが……でも、楽しい思い出を形にして残すことができて、素敵だと思います」
「ふふ、そうですね。……そういえば、あなたは待っているヒトがいる、とトモエが言っていましたが」
「そうです。どうして待っているのかは、よく覚えていないんですけどね。せめてどんなヒトだったのか、思い出せたらよかったんですけど……」
「仕方ありませんよ。動物だった頃の記憶なら覚えていることもありますが、フレンズだった頃の記憶は、あまり思い出せないことが多いですからね」
「……え?」
言っている意味を掴み損ねて、イエイヌはオイナリサマを振り返った。オイナリサマは優しい顔をして、イエイヌを見ている。その眼差しを、いつかも向けられたことがあるような気がした。
「あの、どういう意味ですか?」
「動物からフレンズになった子が、輝きを失って動物に戻り、そしてまたフレンズになった場合、ほとんどの子が記憶を失っているんです。だから、あなたももしかしたら、と思ったんですが。違いましたか?」
「……分かりません」
返事はとても小さな声になってしまった。動物からフレンズになり、輝きを失って動物に戻った個体が、またフレンズになる。決してありえない話ではない。セルリアンに襲われ、捕食されてしまったら、そして動物に戻ってから、サンドスターに触れたら、そんな循環も起こってしまう。
でもまさかそんなことが自分の身に起こったとは、欠片も思わなかった。夢にも思わなかった。
「……私、前にオイナリサマに会ったことがあるんですか? 今の私じゃないフレンズだった頃に?」
「どうでしょう。私も長い時間をこの神社で過ごしましたから、多くのフレンズを迎え、見送りました。その中に、あなたと同じイエイヌがいることもあったでしょう。だから、はっきりと断言することはできません。でも、記憶がない、というフレンズにはそういったこともあるので、もしかしてと思ってお伝えしました」
「……そう、ですか」
落胆したような、安心したような、奇妙な心地になった。動物とフレンズの状態を繰り返しているということは、それだけセルリアンに食べられているということなんだから、そんなことない方がいいに決まっている。けれど、イエイヌには胸騒ぎが残った。もしかしたら、その可能性だってあるかもしれない。だって記憶にないのだから、ないものを否定できないのだから。
イエイヌの不安や心配をよそに、オイナリサマは穏やかに言った。
「でも、これだけは断言できます。あなたにとって、それだけ、そのヒトが大切だったということだけは」
「……え?」
「サンドスターに触れた動物は、生きるために必要なこと以外を忘れてしまいます。楽しかったことも、悲しかったことも、多くのことを。それはフレンズが輝きを失って動物に戻った時も同じです。フレンズの時にどんなに仲良くなった子がいても、動物に戻ると忘れてしまう。姿が変わった時に持っていける記憶には限りがあるんです。でも、あなたは『ヒトを待っていること』を覚えている。もしかしたら動物の時から今まで変わらない記憶なのかもしれませんね。それだけ大切なヒトを、あなたは待っている」
「……そこまで大切なヒトを忘れてしまうって、とても、ひどいことじゃありませんか?」
「そんなことはありませんよ。『待っている』、それを覚えていることが大事なのです。少なくともあなたにとっては、それだけで十分だったんです。もしかしたら、あなたの鼻が覚えているかもしれませんしね」
ふふ、とオイナリサマは笑って、ともえの方に顔を向けた。イエイヌもともえを見やる。真剣にスケッチブックに向かっている横顔。それを見つめる時間が、イエイヌは案外好きだった。
「……そうだと、嬉しいです」
不安が解消されたわけではない。気になることが増えただけだ。それでも、イエイヌは今、自分の胸の奥から湧くものを信じたいと思った。待っているヒトに会いたい。ともえを守りたい。忘れていることを忘れたままにしたくない。そのために、できることをしたい。
風は優しく吹き抜けていく。木漏れ日が揺れ、枝葉が擦れ合う音を聞きながら、イエイヌはずっと、ともえの横顔を見つめていた。
■
ともえがスケッチブックから顔を上げ、画材を片付けようと息を吐くと、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウが興味津々といった様子でスケッチブックを覗き込んでいた。ともえは驚いて仰け反ってしまう。
「うわああ! み、見てたの?!」
「キラキラしてて、キレーなの」
「これもカザりなの? イロがイロイロなの」
「えへへ、絵を描いたの。ほら、こっちがカタカケちゃんで、こっちがカンザシちゃん! 青い羽と黄色い羽がとっても綺麗だから、描いてみたかったんだ」
スケッチブックには、階段の上で踊るカタカケフウチョウとカンザシフウチョウ、それを見ているともえやイエイヌ、ランボービースト、オイナリサマと白いラッキービーストを描いた。記憶を頼りにゴシックラックのポーズを描いてみたが、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウは、じーっとスケッチブックを見つめて動かない。
「……えっと、ポーズ、間違っちゃったかな……」
「これが、カタカケフウチョウ……」
「これが、カンザシフウチョウ……」
二人は小さく呟き、ぽっと頬を赤くした。かと思うと突然ばさっと羽を広げ、青と黄色の飾り羽を木漏れ日に光らせた。ともえの周りをぐるぐると二人で踊り始め、ともえはスケッチブックを抱えたままあわあわと見回す。
「え?! カタカケちゃん?! カンザシちゃん?! どうしたの?!」
「あら? なんだか嬉しいことがあったみたいですね?」
「と、ともえさん~!」
「イエイヌちゃーん!」
二人がステップを踏む隙間から手を伸ばしたイエイヌに掴まり、ともえはやっと謎の踊りの輪から飛び出した。オイナリサマが微笑んで見守っている。
「カタカケフウチョウ、カンザシフウチョウ。トモエには踊りより言葉で伝えた方がいいみたいですよ」
オイナリサマに声をかけられ、はたと二人は動きを止めた。もじもじと羽を動かしながらともえの方へやってくる。
「エ、ありがとうなの。ワタシ、もっとクロをキワめて、リッパなアイドルになるの」
「エ、ウレしかったの。アタシ、もっとジョウズにカザって、キラキラしたアイドルになるの」
「そのトキは、きっとサイショにトモエにミせるの」
「エのおレイ、というものなの!」
「わぁ、そんな、えへへ、ありがとう二人とも。あたし、応援してるね!」
「ふふふ」
「えへへ」
照れ隠しなのか、二人は笑いながらぴょんぴょんと跳ねて、ともえから距離を取ってしまった。オイナリサマもスケッチブックを覗き込んで「あら可愛い」と楽しそうにしているものだから、ともえは振り返る。
「あの、オイナリサマさん。あたし、これとは別に絵を描いたんだけど……もらってくれる?」
「いいんですか? はい、もちろんですよ」
スケッチブックから千切ってオイナリサマに渡したのは、神社の前に立っている笑顔のオイナリサマと真っ白なラッキービーストの絵だった。石像のキツネや泉、森も描いて、上の方に「ありがとう」とできるだけ丁寧に書いた。
「あの、えま? の話を思い出して。本当はこういうものじゃないと思うんだけど、オイナリサマさん、たくさんのことを教えてくれたから、あたしも何かお礼がしたくて……」
オイナリサマはきょとんとした顔で絵を受け取ったが、じわじわと頬に笑みを滲ませた。かと思うと、満面の笑顔になる。
「ありがとうございます。素敵な絵馬ですね。きっと、神様もこれを見たら喜びますよ」
「よかった! 色々教えてくれてありがとう、オイナリサマさん」
「いいえ。……私こそ、もっとヒトについて知っていたらよかったんですけど、ごめんなさいね。でも遊園地に行ったら、きっと何があったか分かるはずですから」
「うん、行ってみる。そこにもフレンズちゃんがいるかもしれないんだよね」
「ええ、きっと。楽しい思い出の場所ですからね」
荷物をまとめると、カタカケフウチョウとカンザシフウチョウだけでなく、オイナリサマも見送りに来てくれた。スクーターはランボービーストに任せ、イエイヌと二人でオイナリサマたちに歩み寄る。
「ここに来たら、また会えるかな」
「ええ、私はいつでもここにいますよ」
「ワタシたちもいるよ」
「しばらくレンシュウするからね」
「よかった。じゃあ、また遊ぼうね」
「またアソぶの。イエイヌも」
「はい~!」
「コンドはイッショにオドる?」
「え、えへへ、あたしも練習しなきゃ……」
四人で顔を見合わせて笑っていると、オイナリサマがともえの頭に、正しくは帽子の羽に手を伸ばした。
「オイナリサマさん?」
「私も力は弱くなりましたが、旅の安全をお祈りさせてくださいね」
「は、はい! よろしくお願いします……」
少しドキドキしながらオイナリサマに任せると、オイナリサマは帽子の羽に触れるようにして、軽くともえの頭に手を乗せた。穏やかな声で言う。
「ヒトの子、トモエ。もしも暗くて寂しいところで立ち止まることがあったとしても、あなたの心にある思い出や温かな気持ちが、きっとその背中を押し、光の方へと導きますように。どんな困難があなたを襲っても、必ず救いの手が伸ばされますように。あなたの旅が安全であるように、神様にお伝えします」
ふと帽子から手が離れたことに気付いて顔を上げると、オイナリサマは初めて会った時と変わらず穏やかに微笑んでいた。
「では、お気を付けて」
「ありがとう、オイナリサマさん!」
「それでは、行きますね」
「またクるのー」
「またアうのー!」
白と黒という対照的なフレンズに見送られて、ともえたちはその場を後にした。
ともえと、イエイヌと、スクーターに乗ったランボービーストという最初の三人に戻って、ともえは小さく息を吐いた。
「なんだか、すごく長い間この森にいた感じがするね」
「ふふ、そうですね。楽しいフレンズたちでした」
「オイナリサマさんの話は気になるけど……でも、思い出を作っても、作らなくても、セルリアンが来ちゃうなら、楽しい思い出を作りたいって、あたしは思っちゃった。……だめかな」
「いいと思いますよ。もしセルリアンに襲われたら、私とボスで倒しちゃいますから! たくさん、楽しい思い出を作りましょう。ともえさんのおとうさんとおかあさんが、びっくりするぐらい」
「そうだね! えへへ、イエイヌちゃんもたくさん思い出作らなくっちゃ。イエイヌちゃんが待ってるヒトもびっくりさせたいもん!」
「もちろんです~! ふふ、ともえさんのスケッチブックがあったら、どんなフレンズと会ったか伝えやすいですし、とてもいいですね!」
「本当? よーし、いっぱい描いちゃお! あ、でも今度は、イエイヌちゃんを描いてみたいなぁ。もふもふした毛並みとか、ちゃんと観察して描いてみたいもん」
「そ、それはちょっと恥ずかしいので~……」
二人分の笑い声が森の中に響く。その後を、ランボービーストが黙ってスクーターを走らせ、ついていくのだった。
エンディング
(お気に入りの曲をお流しください)
ああでもない、こうでもない、と言いながらステップを踏む。カタカケフウチョウの縦の動きとカンザシフウチョウの横の動きを上手く組み合わせたら、と思っているのだが、なかなか納得できる仕上がりにはならない。
「オドるのはタノしいけど、フタリあわせるのはムズカしいの」
「でも、ジョウズにできたら、トモエはきっとオドロくの!」
「きっとそうなの。でも、イエイヌは?」
「イエイヌはトモエばっかりミてたから……トモエよりカザったらミてくれるの?」
「もっとハデにゴクラクに? でもアオいカザりはゆずれないの」
「アタシも~。やっぱり、オドりとコトバをカザるのがイチバンなの!……うん?」
木々の間から音がした気がして、カンザシフウチョウは振り返った。茂みが揺れている。誰かいるようだ。カタカケフウチョウとカンザシフウチョウは顔を見合わせた。
「トモエとイエイヌ、モドってきたの?」
「もしかしたら、おキャクさんかも!」
「レンシュウのセイカをミせるときなの」
「おヤクソクのポーズをするの! ふっふっふ、我ら闇夜に咲く花ゴシックラック……!」
わくわくと茂みに向かった二人は、練習していたポーズをしようと身構えた。茂みから飛び出してきた相手に向かって、二人とも羽を広げる。だが目の前に現れたものを見て、二人は悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。
■
ともえからもらった絵馬を見つめて、オイナリサマは笑みを深めた。にっこり笑った白狐と、隣にいるラッキービースト。ありがとう、と頑張って書かれた文字。
「……ヒトの子の成長は、早いですね」
しみじみとしていると、黒い影が二つ境内に飛び込んできた。カタカケフウチョウとカンザシフウチョウだ。オイナリサマは絵をラッキービーストに預けて慌てて駆け寄る。
「ど、どうしたんですか? 一体何が?」
「オイナリサマ、タイヘンなの!」
「さっきモリに、ヘンなのがいたの!」
がばりと起き上がったカタカケフウチョウとカンザシフウチョウは、真っ青な顔をして羽を膨らませ、涙目で言った。
「ワタシたちとそっくりなセルリアンがいたの!」
「アタシたちとそっくりなカタチをしてたの!」
「……そっくりな、セルリアン……?」
「イソいでニげたの、オってはこなかったの」
「でも、アタシたちとおなじウゴきでトんでいったの!」
思わぬ言葉を聞き、オイナリサマは背筋を冷やした。
フレンズと同じ形を取るセルリアン。それはかつて、多くのヒトがセルリアンと戦っていた時に現れたものだった。
『予告茶番』
「次にゴシックラックの二人に会うまでに、踊る練習しなくっちゃね!」
「踊るってどんな感じなんでしょうか……カタカケフウチョウさんたちはジャンプしていましたね」
「こう、爪先立ちになって……ぴょんぴょん!」
「ぴょんぴょんっ」
「ぴょんぴょんっ」
「ふふ、ともえさんの髪がぴょこぴょこして可愛いです!」
「えー? イエイヌちゃんのもふもふがふわふわして可愛いよ!」
「なんだかこうしてると、ともえさんも尻尾があるみたいですね」
「じゃあイエイヌちゃんとおそろいだよ~」
「ジッ……」
「もちろんランボちゃんもだよ!」
「あはは、楽しくなってきましたね! ぴょんぴょんっ」
「えへへ、跳んで、回って、ジャーンプ!」
「……俺も、できるゾ」
「次回、『Rawr』! 次はどんなフレンズちゃんと出会えるのかなぁ。楽しみだね、イエイヌちゃん!」