グリジア都市国家連合では、権力闘争の形態の一つとして奴隷剣闘士をコロシアムで殺し合わせるという方法がある。子飼いの剣闘士がよその剣闘士よりも強いと証明することで、勢力の強大さをアピールすることができ、民心の獲得に繋がるのである。
力のある豪族や商会を運営する商人は金にものを言わせて奴隷を買い、コロシアムでの成績を競い合う。市民はそれを眺めて、娯楽とする。そうしてグリジアは、周辺国家をいくつも呑み込み、成長してきた。
奴隷剣闘士の大半は戦争で攻め滅ぼされた他国の若者だった。人身売買によって有力な豪族や商人に買い取られ、稽古をつけられる。
僕は、そんな奴隷剣闘士の一人だった。だけど、僕は故郷を滅ぼされたわけではない。僕はグリジアで生まれグリジアで育った生粋のグリジア人だ。父は権勢を誇る有力豪族の一人で、妾に生ませた僕を奴隷剣闘士にした。生まれつき人より優れた膂力を備えていた僕の天稟を見抜き、英才教育を施したのだ。
父は野心家で、自分の目的のためになると分ったなら子供でも利用する人だ。女の子に生まれていたなら勢力拡大のための政略結婚に出されていただろうし、たくさんいる兄弟たちは皆自分の才能を活かす形で父に貢献できるような職を割り振られている。僕の場合は、それが奴隷剣闘士だった。
奴隷剣闘士の大半はグリジアという国をよく思っていない。故郷を奪われ、今まさに身体の自由まで奪われているのだから当然だ。
だから、僕ははじめ、奴隷剣闘士たちの間では孤立していた。赤い髪と白い肌で、一発でグリジア人だとわかる見た目だったから、溜まった鬱憤を晴らしてやろうということで、暴力を振るわれそうになったこともあった。全員返り討ちにしたところ、今度は話しかけることすら困難になった。
けど、そんな僕にも、気の合う友人が何人かいる。人種こそ違うけれど年が近くて、生まれた時から奴隷剣闘士だった世代。彼らにしてみれば奴隷剣闘士という職業こそが故郷で、親世代が抱いているような恨みを感情的に受け入れられないでいる者も多い。彼らには親世代が僕をいじめようとすることこそ不可解に映ったようで、僕を庇ってくれたこともあった。
特に仲良くなった奴隷剣闘士は三人。
東の国から来たリウは、黒い髪と黄色っぽい肌が特徴的。飼い主の意向なのか、いつも手枷を嵌められていて、自由にしているところを見たことがない。
南の国から来たギヴィは女の子にしては大きな体躯が特徴。長柄の槍を振り回して、豪快に戦う。気が強く、グリジア人にも媚を売らない凛とした女傑。
西の国から来たミラは山岳に暮らす少数民族の出身で、浅黒い肌と金色の瞳が綺麗だ。女の子にしては平べったい身体だけど、縦横無尽にコロシアムを跳ね回るすばしっこさは大人でも容易に捉えられないほど。
僕らは四人で集まって、いつも話をしていた。自分がどんなところで生まれて、どんな事情で奴隷剣闘士になったのか。おかげで僕は、グリジアから一歩も出たことがなかったのに、東と南と西のことを知ることができた。僕は自分の生きてきた世界が、小さな箱庭の中でしかなかったことを知り、世界の広さの一片を垣間見た。
そして、僕らは互いに約束しあった。いつか、僕らのうちのひとりでも、奴隷剣闘士をやめられる機会が巡ってきたならば、そのときはきっと北に行って、四人の内まだ誰も見たことのない景色を見よう、と。
一番最初に死んだのは、ミラだった。僕が殺した。
コロシアムで高い勝率をあげていた僕とミラは、権力闘争の都合もあってか、長い間仕合が組まれることはなかった。それが、急に風向きが変わったのか、僕とミラの仕合が組まれることになった。
僕は前日に、父からそのことを知らされた。その日の晩は、生まれて初めて、なかなか寝付くことができなかった。連日の仕合で疲労は溜まっているはずなのに、頭の中をひとつのことが占めて意識がそれに集中してしまっている。
いつも前日は明日の仕合ではどう相手を殺すのか、頭の中で試しながらゆっくり眠気を受け入れるのだが、僕の頭はなぜかミラの殺し方を検討することを拒否しているようだった。仕方なく僕は、全く別のことを考えることにした。四人の内、まだ誰も行ったことのない北の国のこと。稚拙な想像力でまだ見ぬ夢の先を描きながら、僕は闇の中に目を閉じた。
そして翌日、僕とミラはコロシアムで向かい合った。女の子にしても小柄なミラの身体は、連日の戦闘で傷のない箇所が見当たらないほどに隅々まで怪我の痕を残している。それでも山岳民族の本能は、平野暮らしのグリジア人とは比較にならない戦闘能力を発揮する。
ミラは徒手空拳。僕の手には父から与えられた無骨な
銅鑼が鳴り、仕合が始まる。ミラの苛烈な攻めに、僕は我流の剣術をもって応戦する。ミラの拳打で僕の頰の肉は千切れ、僕の斬撃でミラの肋は折れた。
仕合が進むにつれて、ミラは顔を上気させていった。山岳民族の秘儀を使ったのかもしれない。戦時にあって恐怖を忘れ、秘めた残虐性を解放していく気功法だ。
ただ、口から涎を垂らしつつ牙を剥いて襲いかかるミラの様子は、明らかに普通ではなく、恐らくは、彼女の飼い主が僕に勝たせるために彼女に何らかの薬を盛ったのだろうと予測できた。金色の瞳はらんらんと輝き、焦点はあっていない。これでは、たとえ僕に勝ったとしても、命を削ることになるだろうと思われた。
グリジア人と山岳民族の戦争のとき、グリジア人のある軍師は恐怖を忘れる秘儀の性質を逆手に取り、突っ込んできた民族の戦士たちを大火の罠に嵌めたという。僕は父から聞いたその話を見習うことにした。
ミラの勢いに押されて退がるふりをし、判断力が鈍って突っ込んできたところを、逆に剣で突いた。剣の先端はほとんど抵抗なくミラの臓腑を突き破り、背中側まで貫通した。
力の抜けたミラの身体を抱きしめる。口から血を滴らせながらミラは、薄く微笑んで最期に僕に言った。
「ごめんね」
僕は、そこで初めて自分が泣いていたことを知った。涙の理由は、よくわからなかった。
次に、ギヴィがいなくなった。コロシアムで死んだのではない。ギヴィは、奴隷剣闘士としてではなく、南の国の誇り高き戦士として死ぬことを自らに課した。
ギヴィの父親は南の国の兵士だった。それも一兵卒ではなく、高い地位にある将軍だったそうだ。ギヴィは自分が奴隷になったのは、ギヴィの父親がグリジアの将軍に負けたからだと思っていて、同じ南の国出身の奴隷たちに引け目を感じているようだった。
ギヴィは、奴隷の身であってもせめて誇りを見失うまいと気丈に振る舞ったが、同じく奴隷になっていた父がコロシアムで殺されたことをきっかけに、その支柱さえも無くしてしまったようだった。
「このままでは私は、ただの抜け殻になってしまう。私は誇り高き祖国の民として、空虚な死を受け入れることはできない。私が求めるのは、意義ある死だ」
最後にギヴィとあったとき、彼女は僕にそう言った。
翌日、同じ南の国の奴隷たちを扇動して、ギヴィはグリジア全体に対し反乱を起こした。自らを旗印として、せめて怨敵に一矢を報いようとした彼女の試みは、三日三晩グリジアを混乱に陥れ、四日目に鎮圧された。
主犯格として捕らえられたギヴィは拷問の末に、都市の中央に裸体の屍を晒されて、骨になるまで烏に啄まれていた。僕にはその姿のどこに誇りがあるのか、よくわからなかった。
二人が死んで、僕とリウだけになってしまった話の席で、僕はリウに訊ねた。
「どうしてミラは、最期の瞬間に微笑んでいたんだろう」
「人が笑う理由は二つだけだ。喜んでいるか、あるいはそう周囲に見せたいか」
「彼女には、死は喜びだったのか」
「死それ自体というよりは、死に方が問題だったんじゃないか」
「どういうこと?」
「ミラはおそらく、君に殺されたかったのさ。君のことを懸想していたようだから」
「……」
「そしてギヴィは、奴隷ではなく戦士として死にたかった。自らが敵と定めた相手と戦うことで、彼女は自らが戦士たることを証明したんだ」
「よくわからない」
「そうかい?僕は共感できるけどな」
「リウにも理想の死に方がある?」
「僕は、獣として死にたい。狭く息苦しい箱庭に閉じこもる人間ではなく、この広い世界の一部になりたいんだ」
彼の言葉は、彼の独特の思想からくるもののようだった。僕にはやはり、その言葉を理解することはできなかった。
そして、リウと僕の仕合が組まれた。僕らはともに、コロシアム無敗の剣闘士だったから、僕らの勝敗が事実上グリジアの権力闘争の勝敗として反映される大事な一戦だった。
僕は最初、いつも通りに戦うつもりだった。けれど仕合直前になって、僕はミラを殺したときのように、リウを殺していいものかという疑問を持ってしまった。
仕合が始まり、リウが僕に刃を向けた。僕はもやもやした頭のままで、リウの繰り出す攻撃を捌かなければならなかった。東方由来の、変幻自在の剣技が僕の肌を浅く裂いていく。僕は頭を切り替えて、両刃剣を振るった。無数の火花が散り、同じくらい血飛沫も舞った。
コロシアムの熱気は天を衝かんばかりで、僕の血も沸き立ったが、リウはただ虚しそうな顔をするだけだった。
『獣として死にたい』
きっと、彼にとって、大勢の人間の見世物として戦った挙句に死ぬというのは、理想から外れたものだったのだろう。そう思いついて、僕は無性に悲しくなった。
やがて、戦いは終わった。数刻ほど斬り結んでいたようにも思われたが、瞬きの間のことのようだった気もした。
体力を使い尽くしたリウが、僕の目の前に倒れ込んでいる。もう、剣を持ち上げるどころか、指先一本動かすこともできないといった様子だ。僕の、勝ちだった。
ちらり、と、リウと目が合う。僕は剣で喉を突こうとして、寸前でやめた。せっかくだ。彼もミラやギヴィと同じく、望みに叶った死に方をさせてあげたい。そう思った。
僕は野虎がそうするように、ぐったりとしたリウに覆いかぶさって、その首筋に牙を当てる。
「ありがとう」
リウが笑みを浮かべ、僕はこの回答が間違っていなかったことを知った。肉の一片も残すまい。そう誓って、僕はリウの亡骸を喰らった。
父は、グリジアで最も力のある豪族になった。
僕は父に願い出て、グリジアを出奔することを許された。三人の遺品とわずかばかりの荷をまとめ、僕はグリジアを出る準備を終わらせた。
行き先はすでに決まっていた。北の国。僕たちの誰もがまだ見たことのない世界。
自らの信念に従い、望ましい最期を得た彼らのように、僕はここから、自分だけの最期を探し始める。
ぎいい、と音がして、グリジアの大門がゆっくりと開いていく。
小さな箱庭の中で閉じていた僕の人生に、光が差し込む気配がした。
あざらし杯なるものに合わせて初のオリジナル短編を書いてみました。けっこう楽しかったのでこれからちょくちょく投稿するかも。