海の上を電車が走っている。
一番最初に思い出したのは、千と千尋の神隠しだった。その次に思い出したのは、何故か宮沢賢治。生きている間には見ることの出来ない、死の景色。きっと隣にはカムパネルラがいて、これから本当の幸せを求めて何処までも進んでいく──
俺は、海の上を走る電車の中にいた。他に乗客はいない。
何故、この電車が海の上を走っているのか。何故、俺はこの電車に乗っているのか。何も解らない。けれど、何故かとても安心感があった。
海猫が窓から見える。悠々と青い空を飛び回る姿は、都会の電線に止まる鳩や烏よりも生命力が感じられた。この電車が行き着く先が、あの海猫には見えているのだろうか。海の上を走る電車。まさか、巨大なカエルに脱線させられて終わり……なんてことは無いだろうな?或いは終着点はきさらぎ駅?縁起でもない。
たたん、たたん。たたん、たたん。海の上でも、電車のリズムは崩れず、一定だ。部活終わりなんかは、このリズムが心地よくてつい眠ってしまう。特に、今は俺以外に乗客がいない。そして、とても静かだ。気を抜けば、今すぐにでも眠れそうな気がする。
どうして、俺はこの電車に乗っているのだろうか。
そもそも、俺は誰だ。何をするために、生きていたのだ。
知らぬ間に死んで、この電車もいつか銀河へ向かうのだろうか?いずれ滅びゆく星の煌めきとして、この意識もやがて燃え尽きるのだろうか?どうやって生きていたのだろう、息の仕方はいつ覚えた?いや、今私は呼吸をしているのだろうか?
頭の中がどれほど渦巻いていようと、電車の速度は変わらない。外の景色も相変わらず、一面青一色。疑いようもない海だ。
これは、もしかしたら夢なのかもしれない。
寧ろ、それ以外に考えようがなかった。生きているのか、死んでいるのか、或いは起きているのか、眠っているのか。全てが曖昧な感覚の上に、物語の世界のような海。そしてその上を走る電車。乗客は俺一人。そうか、夢なのか。俺は今、眠っている。
眠っている俺はさぞ暖かくしているのだろう。こんなにも心地の良い空間は久しぶりだ。こんなにも心地が良いなら、いっそ覚めなくてもいいのかもしれない。……まあ、残念ながら不可能な話だが。
『間もなく、トンネルに入ります』
突如、車内アナウンスが響いた。
そして窓から見える景色が真っ黒に塗りつぶされる。ああ、あんなに綺麗だった海が見えなくなってしまった。
俺は誰だったのだろう。
僕は誰だ?
思い出せなくなった。いや、僕はきっと「いなくなった」。僕という存在は世界に無い。無くなってしまった。元から無かった。黒く塗り潰された?
不安だ。
存在が無い、というものは何よりも怖い。この空間が、途端に気味が悪いものへと変化していく。
僕は誰だ?私は、誰?
車内のスピーカーが、何かの音を拾い始めた。次第にその音は大きくなり、形作られた音楽であることが理解出来るようになる。
その音楽に、僕は聴き覚えがあった。いつ、聴いたかは覚えていない。けれど、その音楽は確かに覚えている。眠っていた時かもしれない。聴いていたのは僕じゃなかったかもしれない。それでも、確かに聴いていた。きっと、初めて聴いた音楽だった。ああ、心地良い。真っ黒なんて、怖くない。
ああ、そうか。
俺は、生まれ直している。
この電車が行き着く先は銀河の先でも、滅びでもない。
その反対。小さな世界の端で、母親の腕の中だ。