ツイッター企画用の短編です。
窓を開けていても、ギンギラと鬱陶しい日差しは容赦なく室温を上げてくる。
そもそも気温が高いのだからそれも当たり前なのだが、扇風機1台で夏を乗り切らなければならない貧乏学生の身だ。文句の1つでも言いたくなるというものである。
夏終わんないかな、なんて今は心の底から思っていてもどうせ冬になったら早く夏来ないかな、と零す二転三転する取り留めのない愚痴。
じっとしていても吹き出してくる汗に身体がべたつき、風呂でも入ってさっぱりしたくなるが、どうせシャワーを浴びても20分もすればまた同じ状態になる。かといって涼を求めて外に出るのもなんだか面倒くさくて、ぐでーっと畳に突っ伏した。
畳は室温と比べてひんやりとして気持ちよかったが、これも数分後には自分の汗と体温ですぐに熱を持つ。もういっそ冷蔵庫に入りたいなんて思いながら畳に頰を押し付ければ、黒い糸のようなものが眼前に鎮座していた。
それは僅かながら光を反射する光沢があり、しかし糸というには不自然にうにょうにょと曲線を描いていた。
言ってしまえば、自分の毛が落ちていた。
はて、どこの毛だろう。
畳をずりずりと滑った右手が頭部に触れ、もふっとした感触を手のひらに伝える。
うむ。今日も見事な天パ具合だ。
お高いシャンプーをしようがトリートメントをじゃぶじゃぶ使おうが整髪剤をぶっ掛けようが、その悉くを跳ね除けて鳥の巣を形成する選び抜かれたモノノフたちだ。
人の髪の毛は1日に100本は抜けるという。常に外気に晒されているため部屋でいつ抜け落ちたとも限らない。
これはいきなり真相に辿り着いてしまったか。
青い服で蝶ネクタイの名探偵ばりの推理に戦慄する自分の目に、すわジャングルかと見紛うほどのもじゃもじゃが目に入る。
うむ。今日も見事な剛毛具合だ。
頭に触れるために視線の高さまで持ち上がった右腕には黒い草原が広がっていた。
小学校高学年になるぐらいには級友にあれ、おまえなんか黒くね?と言われるぐらいには生い茂っていた体毛は、そこからさらに数年の繁栄期間を設けられてよりもじゃっている。
今は汗で多少萎びているが、その汗すらも栄養分としてくるくるとカールを巻きまくるオシャンティな奴らだ。身体から離れ数分の乾燥時間があれば十分目の前の毛のような状態になり得るだろう。
腕だけでなく、脚はもちろん胸や脇、腹にもアマゾンが植林されている。
これが本当の木々なら地球温暖化防止に大変貢献したとノーベル平和賞も狙えるだろう。
まあ、もちろんただの毛なのでストックホルムに呼ばれる事はないし、ストップ温暖化で夏が涼しくなることもない。
しかしこれは難問だ。腕、脚、胸、脇、腹と候補が一気に5つも増えてしまった。
もう一度よく落ちている毛を観察する。
太い……ような気がする。力強い生命力を感じさせる逞しさに、見るものを畏怖させる黒光り。ボディビルの人たちは自らの肉体をより良く見せるために肌を日焼けさせて黒くてからせると聞く。その理屈通りなら、この毛は自分の原生林から選び抜かれた文字通り生え抜きの毛……さぞかし過酷な環境を耐えてきたのだろう。
そのサバイバーな毛が力尽きて抜けてしまっている事に僅かな感傷を覚えながらも、この雄大な毛根は頭部の毛だろうと結論づける。
常に曝け出され、毎日のように洗剤にシャブ漬けされる髪の毛はさながら蠱毒の如く。日々の闘争を勝ち抜いてきた髪の毛ならばこの力強さにも納得だ。
じっちゃんの名にかけるまでもなかったなと、首が痛くなってきたので顔の向きを変えるため身体を少し浮かせたところで下腹部に違和感を感じた。
例えるなら、水分を僅かに含んだ糸の束が張り付くような感触。
擬音で表現するなら、もじゃっという感じだ。
ここで、避けては通れぬ最大の障害を見落としていた事に思い至った。
自分にはまだマングローブの森が残っていたのだ。
ある意味最も生命の源に近いこの場所を覆う毛はなるほど、確かに生命力の強さを感じさせるに相応しい貫禄がある。
暑さのあまりパンイチで過ごしていた事も推理を難解にする。
こんな事なら涼しいからとトランクス教に魂を売り渡さず、小洒落たボクサー教を信仰していれば良かったと思うも後の祭り。
もう一度よく観察してみるも、大自然の厳しく、されど美しい生命の息吹を感じさせるそれはもはや見分けがつかない。
こうなれば、後はもう行動分析しかない。
数時間前に久々に部屋の掃除をしたので、必然的にこの毛が生存競争から脱落したのはそれ以降という事は間違いない。
これほどまでにエネルギーに満ち溢れる毛が自然に淘汰されたとは考えにくい。畳に落ちる何らかの直接的な死因があったはずだ。
それは、当然ながら宿主である自分の犯行という事になる。
思い出せ……事件解決のために行動の1つ1つを詳細に検分していく。
そうだ。掃除を終わらせて、暑さのあまり冷蔵庫から棒突きアイスを取り出して舐めていた時に、蒸し蒸しと湿気を孕んだ室温にアイスが耐えかねて溶けたのだ。
まるで人魚が真珠の涙を零すようにアイスを滴り落ちた雫は、そのまま棒を伝って指を滑り、半ばで力尽きたように滴下された。
それはちょうど下にあった自分のパンツの布地に染みをつくり、糖分を多量に含んだ水滴によりベタつくのを嫌った自分は意味がないと知りながらも手で染みが出来た箇所を払ったのだ。
そうか……お前、あの時の……。
力尽きた毛の正体に辿り着いた瞬間、心の中に憐憫の感情が湧き上がった。
もっと生きたかっただろうに、アイスを零してしまったがばかりに畳にその身を横たわらせる事になってしまった不憫な毛。
不甲斐ない宿主ですまないと思うも、志半ばで道折れたその毛と、値上がりでクーラーを買えずに畳にうつ伏せになる自分に奇妙な情を感じた。
今こうして見つめ合う自分と毛の間には、夢破れたという共通点で確かな繋がりがあった。
お互いの傷を舐め合う負け犬の絆だろうと、畳に落ちている毛と自分は気持ちが通じ合っている。
この胸を満たす温かな波を、人は友情と呼ぶのだろう。
新たに生まれた友を祝福するように一陣の風が室内に舞い込む。
コンクリートジャングルの熱さられた空気を運ぶ風は生温くて、普段は気持ち悪く思うだけだったが今日この時ばかりは心が爽やかになるようだった。
瞼を閉じて風を堪能したあと、心の中で友に語りかける。
なあ、お前もそう思うだろう?
毛は飛んでいた。
出会いがあれば、別れもある。
あの毛と自分の友情があまりにも残酷な運命により早々に別たれたことに、自然と唇を噛んでいた。
でも……あいつなら。きっと飛んで行った先でも元気にやっていくだろう。
そう信じてやるのが友だちってやつなんじゃないかな。
少しばかりの感傷に浸って、友の新たな旅立ちを心から祝福して立ち上がる。
いい加減汗で気持ち悪いからシャワーを浴びないとやってられない。
その前に、水を飲もうと思って机の上に出しっぱなしだったあざらしの模様のコップを手に取る。
まだ半分ほどお茶が残っていたコップには大量の水滴が付着していて、机にくっきりとコップの底面の後を作っていた。
口をつけてお茶を飲もうとして、ふと気付く。
コップの飲み口の方に、黒い糸のようなものがへばりついていた。
「うわばっちい」
それを親指で拭って、ぴっと人差し指でデコピンのように弾いてからお茶を飲んだ。
さて、さっさとシャワー浴びて涼しい図書館にでも行こうっと。