タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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A.D.1935
026 政争と戦争の狭間


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 1935年、欧州に於いて2つの大きな出来事があった。

 1つはイタリアのエチオピア侵攻である。

 もう1つはドイツのベルサイユ条約破棄、即ち再軍備宣言であった。

 

 

――イタリア

 アメリカに端を発した世界恐慌の余波はイタリアを揺さぶった。

 とは言え、致命的な打撃を受けた訳では無かった。

 不景気と言う世界の世相の空気を受けて、イタリア国民の意欲が萎縮してしまったのが原因であった。

 景気の良いG4諸国との貿易交渉 ―― 市場開放交渉を行ってはいたが、どの国からも好意的な反応は得られなかった。

 G4諸国は積極的な経済のブロック化を行っている訳では無かったが、態々イタリア経済を助けるべき理由も無かったのだ。

 G4諸国の市場開放への返礼が何も出来ないと言うのが大きかった。

 G4以外の国家、ソ連やドイツといった経済規模の大きな国家は、イタリア同様に世界恐慌の余波に揺られており、市場開放要求を呑む余地など無かった。

 国外市場が得られないのであれば、国内市場の活性化を図るしかない。

 イタリア政府も様々な経済政策を行ったが、景気を刺激し続けられる程に大規模なものを行う事が出来ないでいた。

 この為、ムッソリーニは景気刺激策としての最終手段を選択する。戦争である。

 併せてイタリア経済の贄、市場を欲した。

 即ちアフリカに残された独立国、エチオピア帝国に戦争を仕掛け、これを潰し、植民地へとしようと決断したのだ。

 

 

――国際連盟

 イタリアの決断に対し、国際連盟の安全保障理事会は民族自決の原則に大いにもとる行為であると激しく非難した。

 これに対してイタリアは、奴隷制度を有する非文明国家であるエチオピア帝国を滅ぼし、エチオピアの民を文明化する事は先進国の義務であると反論した。

 これにはエチオピア帝国も反論する。

 それはイタリアが先進国であると言う自負による傲慢である、と。

 そして、批判の多い奴隷制度に関しても改革する用意があると宣伝した。

 イタリアに国力で劣るエチオピア帝国は、戦争となれば亡国である事を自覚していた為、国際秩序を主導するG4諸国側にすりよる形で、必死になって宣伝戦を行った。

 その成果もあって、国際世論に於いてはエチオピア帝国を支持する声が大きかった。

 特に経済的に安定し不安の無い日常を送っているG4諸国の国民は、気分として正義 ―― 名誉を求めていた。

 その気分がG4諸国を動かす事となる。

 だがイタリアは揺るがなかった。

 ムッソリーニからすれば、エチオピア帝国の都合などどうでも良く、イタリアの都合が最優先であった。

 イタリアの為に、イタリアの経済を刺激する戦争を、生産力を都合よく消費出来る市場である植民地を欲したのだ。

 国際連盟の場で劣勢になろうと、国際世論の批判にさらされようと、ムッソリーニは断固たる決意でイタリアの為にエチオピア帝国に戦争を仕掛ける積りであった。

 その事を把握したG4は国際連盟安全保障理事会にて、国際連盟加盟諸国に対して戦争抑止行動を取る事の決議を行った。

 イタリアは舐めていた。

 G4が金にならない行為に軍隊を動かす事は無いと思っていた。

 だが、G4の国民は金では無く名誉の為に軍隊を動かす事を支持していた。

 ブリテンは即時、ブリテン地中海艦隊を動員して紅海を封鎖し、イタリア領ソマリランドなどへのイタリアのアクセスを不可能とした。

 フランスはアフリカに配置していた陸軍1個旅団をエチオピア帝国へと派遣した。

 日本も国家の意思を示すと言う目的で艦隊を紅海に派遣する事とした(※1)。

 

 

――ドイツ

 イタリアが生み出した国際社会の混乱、その最中にドイツはベルサイユ条約の破棄と再軍備の宣言を行った。

 建前としては、イタリアのエチオピア侵攻(植民地化)宣言の様に軍事力が無ければ諸外国に良い様にされてしまう事への対抗であった。

 常々、フランスやポーランドはドイツへの敵意を隠しておらず、その上で陸軍の増強を続けている。

 ドイツの陸軍は戦車も無く、無防備にも等しいにも関わらずである。

 この国際情勢の下、国家国民を守る為にドイツは責任ある行動を選択すると宣言したのだ。

 陸軍の増強、空軍の創設、その他、様々な政策を取り、ドイツを守るとの宣言であった。

 国際関係が一気に緊迫した。

 

 

――国際連盟

 最初に反応を出したのはフランスであった。

 ドイツの再軍備宣言の全文を把握すると共に、即座に宣言を出した。

 フランスはドイツの再軍備を断固として容認しない。

 即時、ドイツが再軍備宣言を取り下げない場合、ドイツに諸外国への侵略の意図があると判断し、フランスは先制攻撃 ―― 予防戦争を行う覚悟があると宣告したのだ。

 慌てたのはドイツだ。

 フランスがドイツに対して敵対的であったとは理解していたが、ここまで過激な宣告をしてくるとは想定外であった。

 又、フランスに合わせてポーランドも予備役の招集を行っているのも恐怖であった。

 再軍備を果たした後であれば、フランスにもポーランドにも負けない自信があったが、徒手空拳の今はまだ無理であった。

 ドイツと同じように慌てたのは、日本とブリテンであった。

 軍事力による国家間の問題解決は国際連盟で厳しく否定するものとされていた。

 イタリアのエチオピア侵攻が批判されるものと同じである。

 そしてイタリアによる軍事力の行使を批判する側のフランスが、ドイツに対して明確な原因や理由も無く将来の脅威に対応する為と言う理由で軍事力を行使してしまっては、国際連盟の権威も、国際関係の秩序も崩壊してしまうのだ。

 日本とブリテンは必死になってフランスを宥めた。

 だがフランスは頑なだった。

 かつて在日仏大使館経由で知った未来情報、フランスの亡国への怒りと恐怖に我を忘れているのだった。

 今ならばドイツは赤子の手をひねる様に潰せる。

 だが未来はどうか? そう思えばこそ、開戦の機は今しかないとの思いだった。

 国際秩序の為、必死に説得した日本とブリテン。

 数ヶ月に及んだ交渉の結果、何とかフランスの戦争へ向かって振り上げた拳を下させる事に成功した。

 その代償として日本とブリテンはフランスとの軍事同盟を締結し、それぞれ1個機甲旅団を下限とする戦力をフランスへと展開させる事となった。

 又、日本はそれまで渋っていたフランスからの31式戦車売却要請を受け入れる事となる(※2)。

 ドイツも、野放図な軍拡が出来ない様に、各種軍備の調達に関する枷 ―― バーミンガム条約(※3)を受け入れる事となる。

 

 

――イタリア

 イタリアはドイツの再軍備宣言に端を発した欧州の政治的混乱の間にアフリカへの戦力移動を図ったが、日本とブリテンによる海上封鎖は強固であり困難であった。

 最終的にイタリアは国際社会の圧力に折れる事となる。

 国際連盟の場に於いてイタリアはエチオピア帝国に対して奴隷制度の撤廃などを要求し、これが通った事をもって、対エチオピア帝国の文明化は成功したと宣言し、国内向けには一応の面子が保たれる形となった。

 だが、国際社会への、特にG4諸国への敵愾心は高まる事となり、再軍備に関する制限を受けた事で国際連盟への反発を深めたドイツへの接近に繋がっていく。

 

 

――フランス

 現時点での対ドイツ戦争を阻止されたが、念願の31式戦車を獲得出来た事や、ドイツの再軍備に関して一定の枷を付ける事が出来た為、概ね、現状に満足する事となった。

 但し、ドイツへの警戒心が鈍る事は無く、今まで以上にポーランドを筆頭とする中欧諸国へと接近を図り、対ドイツ戦争となった場合には挟撃出来る体制づくりを進める事となる。

 その代償という訳では無いが、エチオピア帝国の文明化に関する助言指導の義務を、国際連盟の監視下に於いて背負う事となった。

 エチオピア帝国経済へのアクセス権も同時に得られた為、フランスに対する飴的な要素も強かった。

 

 

 

 

 

(※1)

 就役したばかりのやまとを旗艦とした任務部隊を編制した。

 紅海を封鎖すると言う任務に戦艦(防空護衛艦)を投入する事は過大とも言えるが、海上自衛隊としてはこの際にやまと型の試験を行う積りであった。

 遠洋航海と任務が長期に亘った場合に問題が無いかとの。

 哨戒機を持ち込む為に空母(空母型護衛艦)ずいかくも持ち込んだ。

 その他、グアム共和国軍(在日米軍)が定期整備の終わったばかりの原子力空母ロナルド・レーガンを随伴させていた。

 その護衛として多機能護衛艦や哨戒艦が11隻、随伴していた。

 ブリテンの地中海艦隊と併せて、圧倒的な戦力となった。

 ある意味で日本に慣れていたG4を除く諸外国は、戦艦を軽々しく投入する日本に呆れ、そして原子力空母と空母型護衛艦の威容に恐怖した。

 

 

(※2)

 決定した31式戦車の売却であるが、陸上自衛隊/日本連邦軍向けとは異なるバージョンとなった。

 火力、装甲、機動性能その他に変化は無いのだが、31式戦車を含む令和日本の軍事装備に於ける重要なネットワーク戦能力が外されているのだ。

 改修の建前としては、フランス軍の通信システムへの参加の為であった。

 この為、フランスは気付く事は無かった。

 31式戦車が、ネットワークを介する事で個にして集団であり、集団にして個であるという恐ろしい存在から、只単純に強力な戦車へと成り下がった事に。

 こうして31式戦車はType-31Fとしてフランスに200両、売却される事となった。

 ドイツは再軍備宣言を取り下げずに済んだが、同時に40t級の超戦車を敵対国が大量に装備すると言う状況に恐怖する事となった。

 尚、Type-31Fの重整備に必要な工場は、イギリスに作ってある重機向け整備工場を拡張して対応するものとした。

 予備部品こそ大量に供給はするが、日本はフランスへのフリーハンドを与える積りは無かった。

 フランスが31式戦車を調達する事に成功した為、イギリスも売却要請を強めた。

 これに対して日本は、本国向けの製造に差しさわりが出る事を理由に拒否し、代価としてイギリスの30t級戦車開発計画に協力する事となった。

 

 

(※3)

 正式には「ドイツ再軍備に関する国際協調条約」と言う。

 交渉の舞台となったのがブリテンのバーミンガムで行われた為、この名前が付いた。

 

 

 

 

 

 




2019.05.18 文章修正
2022.10.18 構成修正
2023.08.30 文章修正

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