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シベリアの混乱に対応する為、日本はシベリア各地に派遣している特機隊(※1)の増強と、物資の集積を行った。
日本とアメリカの企業を保護する為である。
アメリカ企業も独自に傭兵を雇うなどして自衛はしていたが、建前として日本の管理下 ―― 日本ソ連戦争の停戦条約で日本の得たシベリア資源の採掘権で企業活動を行っている為(※2)、保護する義務があるのだ。
又、ソ連政府にも独立運動派に対しても人道的対応以外での中立を宣言した。
ソ連側も、この判断は好意的に受け取っていた。
日本とソ連は甘く見ていた。
食料も生活物資も枯渇しつつある場所で、それを豊富に有しているという意味を。
――沿海州人道事件
散発的な戦闘であっても軍隊が動けば資源を消費する。
特に食料の消費は止める事の出来ないものである。
その為、ソ連赤軍は反乱に参加していた村に駐屯しては食料や生活物資を消費し続けていた。
この状況に根を上げたある村が、人道的活動として村に訪れていた赤十字の医療スタッフに対して何を差し出しても良いから子供の分の食料を融通して欲しいと泣きついたのだ。
赤十字のスタッフは、その悲痛極まりない願いに応えた。
近くのアメリカ企業が採掘を行っている鉱山へ訪れ、食料の提供を要請したのだ。
やせ細ったロシア人の子どもたちを見たアメリカ企業は人としての善性を発揮し、快く備蓄に余裕のある食料や生活物資を義援品として提供した。
又、有志が私物の物資をカンパとして供出もした。
ここまでは善意と美談の物語である。
問題は、この物語の舞台となった村に駐屯したソ連軍部隊の人品が余りにも卑しかったという事である。
ソ連軍は、村に戻って来た赤十字スタッフと村人に銃を突きつけて、シベリア独立派と何らかの連携をしていないかの検査を行った。
その際に発見したのだ。
気の良いアメリカ人が供出した物資の中にある、アルコールを。
アルコールをソ連軍将校は、危険物資の可能性があると難癖を付けて徴発した。
徴発したアルコールはそう多い量では無かった為、将校だけで共有される事となる。
それに満足出来なかったのが下士官であり兵士だった。
食事も満足に得られない寒村で不満が溜まっていた所に、僅かばかり手に入ったアルコールを将校たちが独占したのだ。
不満しか無かった。
だからこそ、ソ連軍下士官は一計を案じた。
ある場所が判っているのだから、徴発してしまおうと。
下士官に乗せられた調子の良い将校が、歩兵の1個分隊を率いてアメリカ企業を訪問した。
題目は、シベリア独立派を匿っていないかとの監査であった。
アメリカ企業はそれに応じた。
アメリカ企業の施設内に入ったソ連軍は手当たり次第にアルコールを探した。
そして備蓄してあった食料を徴発しようとした。
それに、アメリカ人がキレた。
ソ連軍の行動は横暴であり、法的根拠は無いと非難した。
監査役として居た日本政府の役人も、それを支えた。
日本ソ連戦争の終戦協定には、ソ連領内で活動する場合に徴発などの要求を受け入れる必要は無いとの事を告げた。
アルコールも生活物資も食料も供出しないと宣言した。
その事に将校はキレた。
有り体に言えば目の前のアルコールを取り返そうとされた事に暴発した。
拳銃を抜いて脅した。
供出しないのであれば、貴様らを反革命分子として処分すると叫んだ。
それをアメリカ人が嗤った。
我々はソ連人では無く、共産党は関係ないと啖呵を切った。
その事が最後の引き金となった。
歩兵小隊を率いて来た将校は、共産党への忠誠心だけでソ連軍の中で生き残って来た男だった。
故に、己のアイデンティティを否定されたと感じたのだ。
将校は発砲し、部下に殺せと命令した。
そこから戦闘になった。
アメリカ企業とて無防備では無く、企業の雇っていた傭兵と日本の特機隊が少数とは言え駐屯していた。
激しい戦闘は双方に少なからぬ死傷者を出し、アメリカ企業が辛くもソ連軍分隊を撃退する事に成功した。
だが、それで終わる筈も無かった。
生き残った将校は村に戻るや否や、上官にアメリカ企業がシベリア独立派と連携していると報告したのだ。
ソ連軍指揮官は色めき立った。
シベリア独立派を叩くと言う功績を挙げ、外敵を追い払うチャンスであると認識したのだ。
再度、アメリカ企業の施設を襲撃するソ連軍。
だが日本側も黙って待っていた訳では無かった。
状況を報告し、近隣の特機隊駐屯地から増援を受け入れていた。
当初は施設を引き払って避難する予定でもあったのだが、施設に居た作業員が100人を超えていた為、直ぐに動かせるヘリが中型2機しか無い状況では簡単に避難する事が出来なかったのだ。
他の避難手段、車は最初の戦闘で破損してしまっていた。
歩いての避難は厳しいシベリアの環境下で一般の人間に出来る筈も無かった。
――会談・日本/アメリカ/ソ連
ソ連軍のアメリカ企業襲撃事件は即日、日本政府へと伝わって震撼させた。
矢張りシベリア独立運動とはソ連の仕込みであると、沿海州及びシベリアから日本とアメリカを追い払う為の謀略であると判断させたのだ。
事件の報告は即時、アメリカ政府にも行った。
アメリカは激怒した。
謀略以前に舐められたと認識したのだ。
日本とアメリカは連名でソ連の代表を呼びつけた。
だが呼び出しを受けたソ連代表も激怒していた。
此方は現地部隊からの報告、アメリカ企業がシベリア独立派を支援していたとの虚報を信じ切っていたのだ。
矢張り日本とアメリカはシベリアを切り取る積りであったかと判断していたのだ。
会談は最初から罵り合い染みた形で行われた。
アメリカとソ連は、非難の応酬に終始したのだ。
日本が提供した報告書を、ソ連は頭から否定した。
ソ連が提供した報告書を、アメリカは鼻で笑った。
丸一日掛けて行われた、何の成果も生み出さない会談であった。
会談の最後に日本とアメリカは自衛措置を講じる事を宣告した。
ソ連も、国を護る為の行為を行う事を宣告した。
事実上の宣戦布告が交わされた瞬間であった。
そしてこれが、本格的なシベリア独立戦争の始まりとなった。
――シベリア独立戦争・日本/アメリカ(D-Day)
日本政府はソ連との会談の破綻を持って、国民に対して情報を公開する。
その上で、日本国の責任としてソ連沿海州に駐留する日本人とアメリカ人の生命と財産の保護を目的とした全ての行動を行使すると宣言した。
この事に野党は、自衛隊と邦国軍が日本連邦の領域外で活動するのは憲法第9条に於ける戦争の放棄 ―― 国際紛争の解決の為に武力を行使する事に繋がると批判したが、日本政府は否定した。
紛争を解決する為に自衛隊と軍を動かすのではなく、あくまでも日本人とアメリカ人の保護が目的である為、憲法第9条の精神に抵触しないと反論した。
この日本政府の姿勢を日本国民は支持した。
タイムスリップ前の韓国との紛争に始まって、タイムスリップ後の日本ソ連戦争や上海事件を経験した日本の有権者はガチガチのリアリストになっていた。
憲法第9条の精神とは別に、積極的平和主義に基づく自衛は大切であると認識していたのだ。
この認識を反映する形で日本の政治的勢力に於いて護憲派は極少数の派閥となっていた為、日本政府は強気に出られたとも言えた。
ともかく。
国民の支持の下、かねてより朝鮮半島北部に集結させていた日本連邦統合軍第1軍団に対して、沿海州の日本とアメリカ企業の保護の為の進軍を命じた。
又、アメリカ側も自衛戦闘の題目をもって、フロンティア共和国北部に集結させていた2個師団を動かした。
日本とアメリカはシベリアに於ける両軍の作戦行動に関する連絡会の設置を合意。
事実上の合同作戦本部の設置となった。
――シベリア独立戦争・ソ連(D-Day)
日本とアメリカの軍が、会談決裂から間を置く事無くソ連領内に侵略してきた事にスターリンは激怒した。
そして納得した。
矢張り、日本とアメリカは帝国主義的拡張を求めてソ連を襲う積りであったのだと、己の見通しの正しさに安堵していた。
ソ連軍に対しては反革命分子の掃討ともに、日本とアメリカを撃破する事を命じていた。
スターリンはソ連軍の科学的な劣勢を理解していた。
だが同時に、広大な国土による縦深と厳しい冬をもってすれば戦いぬく事は可能であろうと信じていた。
頑強なソ連人は決して侵略者には屈しないのだ。
即座に10個師団の新たなシベリア派遣を決断。
併せてシベリア軍管区に対しては、徹底抗戦を命令していた。
(※1)
特機隊は、日本ソ連戦争終戦条約に基づいて時限創設された非軍事、非警察の官営PMSC組織であり、シベリアに於いて日本人を保護する組織である。
管理は内閣府が行う。
構成人員は自衛官、警察、元傭兵など様々となっている。
シベリアでの活動終了(採掘権の失効)後は、第101海兵旅団に統合される予定である。
(※2)
ソ連から得たシベリアの資源採掘権は、企業に対して競売に掛けられており、それにアメリカ企業が参加していた。
2019.06.12 構成修正
2022.10.18 構成修正