+
ユーラシア大陸の東側で激しい戦争が行われていた頃、同時に西端であるスペインで内戦が勃発していた。
世界大戦の後に国内情勢の悪化していたスペインは、政権派と革命派とに分裂し、血で血を洗う内戦へと突入していたのだ。
その状況に国際社会は積極的な対応を取れずにいた。
誰の目にもスペイン政府の統治能力は破綻していたが、革命側が旗印とするのがドイツやイタリアの流れをくんだ国家社会主義であってはG4 ―― 欧州の管理者を自認するフランスとしては、積極的な支援を行いたいものでは無かった。
又、純然たる国内問題である為、国際連盟としても関与し辛いというのが実情であった。
――ドイツ
国際社会が腫れものを扱うが如く見ているスペイン内戦に、公然と革命派を支援する国があった。
ドイツである。
国家社会主義の同胞として、圧政を行う支配者を打倒する為に協力すると宣言して資金や物資の融通、機甲部隊や航空部隊を含めた大規模な義勇軍の派遣を行ったのだ(※1)。
機甲部隊に関しては、ソ連に派遣されていた部隊とは違い、各種の実験的な戦車や装甲車も含まれて居た。
ソ連へ送った部隊とは異なり、スペイン内戦に投入した部隊は新兵器の実証実験や運用テストを兼ねていたのだ。
主力は、新鋭と言って良い25t級のⅢ号戦車は、フランスの数的な主力であるS34戦車に対抗する為、傾斜装甲を採用した事や長砲身7.5cm戦車砲を保有しており、現時点で欧州最良の戦車であるとドイツ人は誇る戦車であった。
だが、フランスがJ36として導入する事となった日本製のType-31戦車に対抗するには非力であった。
フランスへの諜報工作で判明したJ36は40t級の車体と、105㎜戦車砲を持つ破格の重戦車であるのだ。
ドイツ陸軍は、J36はその重量故に鈍重であろうから機動戦を行えば後方に回り込む事は可能であり、そうなれば撃破可能であると判断していた。
だが、その判断に怒りをもって否定した人物がいた。
ヒトラーである。
如何に100年先の技術的優位があるとは言え、東洋人の製造物に欧州人の、アーリア人の生み出すものが劣るのは許せるものではないと演説をしたのだ。
その上で、J36を正面から撃破可能な戦車の開発を命じていた。
ヒトラーの至上命題、その成果がスペイン派遣義勇部隊に含まれて居た。
戦闘重量70tにも及ぼうかと言う超重量級戦闘車両、試製駆逐戦車VK65だ。
制式にはVK6505(P)と言う。
試作車両の為1両のみであるが、主砲は長砲身12.8㎝砲を搭載しており、数値の上ではJ36を遥かに凌駕する化け物であった。
ドイツで行われた義勇部隊の結成式典で華々しく紹介され、世界中に衝撃を与える事となる。
とは言え、これが戦車では無く砲塔の無い駆逐戦車として完成したのは、ドイツの技術的な限界であった。
足回りもエンジンも、10kmも動かさぬ内に重整備を要求するほどにデリケートな代物で在り、とても軍で制式化される様なものではなかった。
正式な命名をされる事無く、計画名であるVK6505(P)を略したVK65という名で呼ばれているのも、この為であった(※2)。
ドイツ陸軍としては、如何に強力であってもこの様な運用に大なる問題を抱えた車両など採用する気は一切無いのだが、ヒトラーの肝入りという事で、義勇部隊に含まれて居た。
――イタリア
ドイツと並ぶ国家社会主義国家ではあったが、国力的にソ連に送った機甲部隊が義勇兵として出せる精一杯であった為、イタリアはドイツへの対抗心から義勇部隊の派遣自体は行う事を宣言したが、歩兵主体での派遣となった。
――スペイン政権派/フランス
ドイツの大規模な義勇軍、特に装甲部隊の存在はスペインの政権与党を慌てさせた。
Ⅲ号戦車を筆頭とするドイツ軍戦車部隊に対抗できる部隊はおろか戦車すら政権派のスペイン軍は保有していなかったからだ。
社会主義という誼でソ連に接触を図るが、この時点でソ連は日本/アメリカとシベリアを巡っての戦争をしている最中であり、義勇部隊どころか戦車、戦闘機の類をスペインに提供する余裕など一切無かった。
この状況に絶望したスペイン政権派は、一縷の望みを掛けて国際連盟に訴えた。
だが国際連盟の安保理は、スペインの状況が純然たる内戦である事から、干渉しかねていた。
特に戦争中の日本とアメリカは、欧州の事は欧州で決めるべきではないかとの態度で臨んで居た為、スペインにとってとても頼れるものでは無かった。
国際連盟の声明として、政権派も革命派も問わず人道的な対応を訴えるという玉虫色なものが出される程度でしかなかった。
この為、スペイン政権派は反ドイツを鮮明にしているフランス政府へ接触する事となる。
内戦終結後に民主的な選挙をする事を確約する事で欧州の盟主を気取るフランスの気持ちをくすぐり、同時に実利としてドイツ軍の新鋭戦車と戦った際の戦訓を全て提供するから戦車などの装備の融通を要求したのだ。
この事にフランスの陸軍が、新鋭のS34戦車の実戦テストを行う好機であると反応した為、フランスはS34戦車を装備する1個連隊を基幹とする義勇部隊を派遣する事となった。
S34戦車は23t級の車体に、軽量な75㎜野砲を主砲として搭載しており、奇しくもドイツ軍の主力であるⅢ号戦車と似た諸元を持っていた。
但し諸元には出ない違いは大きかった。
日本製のJ36を介して得た先進的な設計思想を取り入れられたS34戦車は装甲配置や内部装甲、或は足回りや通信設備などの面でⅢ号戦車に優越していると言うのがフランス人の判断であった。
それを実証すべく、スペインへと赴くのであった。
――ブリテン
フランスもドイツも新兵器の実験場としてスペイン内戦を捉えた事に、ブリテンも乗る事とした。
特に、ドイツが持ち込んでいる新鋭戦闘機の性能を把握する為、義勇部隊として航空部隊をスペイン政権派に派遣する事とした。
建前としては、フランス同様に内戦終結後の公平な選挙の開催である。
その上で、国際連盟を動かしてブリテンに、スペイン内戦に於ける非人道的な戦争行動が発生しないかの監視業務を依頼させたのだ。
これによって、ブリテンはスペイン政権派として軍を派遣するにも関わらず、その運用に於いては自由度を確保した。
その上で、現在日本の協力を得て鋭意開発中の40t級重突撃戦車(※3)が完成すれば、スペインでの実用試験を行う腹積もりであった。
(※1)
尚、政権側がソ連と友好関係にある社会主義者である事は、政府発表などからは削除されていた。
ドイツとソ連との関係を阻害する要素は、世論統制によって慎重に排除されていた。
(※2)
尚、VK65は、ヒトラーの命令によって急遽、開発製造された車両であった為、それまで研究されていた50t級戦車計画案のものを流用している。
この為、65tと言う重量に耐えかねていたのだ。
又、旧来の計画を流用した為に、装甲も垂直装甲を多用した古臭いものとなっていた。
主砲に関しては、特注で1門のみ製造された12.8㎝砲であり、こちらも余りにも大きく重量過多であり、戦闘車両に搭載するのものとしては甚だ不適格であった。
当初は10.5㎝対空砲を転用したものを搭載する予定であったのだが、ヒトラーよりJ36よりも大口径である事が求められた事が、この事態となっていた。
これらの事からVK65は、ドイツ陸軍内部で”ヒトラーの玩具”と揶揄されていた。
尚、このVK65のスペインへの輸送に関しても大問題となった。
余りにも重量過多により通常の輸送船では搭載する事も困難であった為、分解状態で、それもクレーンや船体構造を強化した専用の輸送船が仕立てられる有様であった。
難物であるVK65であったが、その尋常では無い装甲と大口径砲は戦場で充分に活躍する事となる。
(※3)
開発開始時には30t級とされていたが、Type-31を念頭に日本と共同で行った概念研究で、歩兵戦車や巡航戦車といったブリテンが以前から有していた戦車では戦場で充分な活躍が困難であると判明。
これによって、防御力と機動力とを兼ね備えた戦車を開発する為には大型化が必要であると理解し、計画を拡大変更したのだ。
40t級はインフラに与える負担が極めて大きいが、敵の戦車に勝てぬ戦車では意味が無いとの判断が勝ったのだった。
敵の戦車の攻撃に耐えられぬ戦車では無駄であり、敵の戦車を捉えられぬ戦車では無価値である。
冷静な判断であった。
この為、従来の分類とは異なる突撃戦車 ―― 主力戦車と言う概念が生み出された。
これはブリテンの先見性であり、同時に、明確な敵を持たぬが故の精神的余裕の産物であった。
この様に先進的な40t級重突撃戦車であったが、そうであるが故に開発が難航していた。
エンジンこそ開発中であった航空機用の水冷エンジンの800馬力級モデルの搭載とすんなりと決まったが、40t級というブリテンとしては空前の大重量を支える足回りの開発は難航する事となる。
又、主砲も70㎜以上の長砲身大口径を開発する事となり、此方も時間を必要としていた。
2019.06.12 表題修正