タイムスリップ令和ジャパン   作:QgkJwfXtqk

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43.1938-2 戦車開発競争/枢軸 イタリアの決断

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 シベリア独立戦争の戦訓、それは自信を持って送り出した新鋭の戦車が走攻防の全てで日本はおろかアメリカにすら劣っていたと言う過酷な現実をドイツ、ソ連、イタリアの首脳陣へと突きつける内容であった。

 

 

――ソ連

 自信を持って送り出したKV-1は一方的に敗北した。

 足回りこそ問題を抱えているが、火力と装甲には自信を持っていた。

 にも関わらず、一方的に敗北した事は、スターリンを激怒させた。

 重戦車を作れと叫んだ。

 この為、ソ連では一度に5つの戦車が研究開発される事となった。

 3つの重戦車と中戦車、そして軽戦車である。

 重戦車の開発チームに命じられたのは、その手段は問わぬから31式戦車に打ち勝つ事であった。

 中戦車は重戦車を機動力で補助する戦車であった。

 軽戦車は偵察用であり、対シベリア共和国戦の際、広大なシベリアを縦横に走り回る事が望まれていた。

 重戦車の3系統は①KV-1戦車の正統発展形、②火力と装甲を更に強化した戦車、③走攻防のバランスを改めて取り直した新開発戦車、という3つであった。

 KV-1戦車の正統発展形である①号案車は、早期からKV-2の名前が与えられる事となる。

 重視されたのは機械的信頼性の低さから故障を頻発した足回りの強化であった。

 KV-2の開発チームはシベリア独立戦争の戦訓から、日本の戦車がKV-1戦車に対して圧倒的な優位性を見せた原因の1つはKV-1戦車の足回りにあったと見做したのだ。

 KV-1は突撃しようとしても最大速力20㎞も出せず、途中で故障を起こしたりすらしていたのだ。

 これでは勝てる戦でも勝てる筈が無いと言う認識であった。

 この結果、KV-2は足回りとエンジンとを中心に強化された戦車となった。

 主砲は新開発の85㎜が搭載される。

 重戦車としての性格を持ったKV-2戦車であったが、高い機動性を発揮する事から中戦車の様に運用できる為、戦車部隊の指揮官はKV-2戦車の定数配備を要求する者が続発する事となる。

 ②号案車の開発チームは火力と装甲の強化した戦車を命じられていたが、検討をする中でKV-1の車体を流用したままでは限界がある事を把握した。

 この為、発想を逆転させる事とした。

 大事な事は大火力と重装甲であり、目的は敵戦車の撃破である。

 KV-1を基として、この3点さえ守った車両(・・)であれば良いのだとシンプルに発想を転換させたのだ。

 その結果、②号案車は固定式戦闘室と大口径榴弾砲を搭載した対戦車自走砲として完成する事となる。

 スターリンはこの結果 ―― 開発チームの結論に首を傾げたが、その試作車を用いた実証実験の際に大口径の152㎜砲が放つ榴弾が1発でKV-1戦車を撃破、文字通り粉砕した事で大喜びし、この量産を命じる事となった。

 砲の口径から、SU-152と命名される事となる。

 比較的簡単に開発の進んだ①号案車と②号案車の2チームに比べ、③号案車の開発は難航する事となる。

 そもそも、原案となったKV-1は、ソ連の戦車開発技術の総力を集めて開発されたものであったのだ。

 それを簡単に、1から再検討し直して凌駕出来る戦車など作れる筈も無かった。

 それでもスターリンの期待に応える為、③号案車開発チームは幾度も試行錯誤を重ねていく事になる。

 走攻防、そのバランスを取る上でソ連軍上層部より45tという車重を護る事が厳命されていた。

 この為に主砲は、SU-152で採用された大口径大威力ながらも規模も重量も破格の152㎜榴弾砲は採用せず、開発されたばかりのコンパクトな122㎜カノン砲を転用した戦車砲を採用する事となった。

 足回りに関しては、KV-2で採用されたKV-1の発展型が採用された。

 そして特徴となるのは車体である。

 45tで実現し得る最大限度の防御力を狙い、車体は生産性を度外視したものが採用された。

 製造に掛かる工程数が増えようとも全方向に対して極端なまでに傾斜を意識した形となったのだ。

 特に前面は凸型(シチュチー・ノス)にも似たデザインとなった。

 従来の戦車は勿論、日本の未来戦車とも異なる意匠となった③号案車に、スターリンは、これぞソヴィエトの科学性の結実であると手放しで賞賛する事となる。

 この為、③号案車はスターリンの名前を取り、IS戦車と命名された。

 紆余曲折の多い重戦車に比べて、中戦車の方は比較的簡単に方針は決まった。

 出来るだけ安く、数を揃えられる機動力のある戦車を開発すると言う。

 但し、装甲と火力に関してもおざなりにはされなかった。

 31式戦車は兎も角としてアメリカやフランス、イギリスらが整備を進めている30t級の中戦車群に優越、乃至は対応可能な戦車である必要性は決して低くはないからである。

 この結果、新中戦車は前面のみならず全周を傾斜装甲で覆い、又直線主体で簡素化されたデザインとして生まれる事となる。

 主砲はKV-2戦車と同じ、85㎜砲が搭載される事となった。

 重量は34t。

 ある意味で軽量化簡素化されたKV-2戦車、それがこのT-34戦車であった(※1)。

 この為、KV-2戦車とT-34戦車はライバル関係になる事となる。

 装甲のKV-2戦車か、機動力のT-34戦車か、ソ連陸軍は頭を悩ませる事となる。

 KV-2戦車をライバルとするT-34戦車であるが、実はもう1つライバルとなる戦車があった。

 T-45戦車である。

 10t級の偵察用軽戦車、新規に開発された軽戦車である。

 T-34戦車と同様のコンセプトの下で開発された為、傾斜させた直線主体のT-45戦車の外観は、T-34戦車に実にそっくりなものとなっていた。

 違いとしては、偵察を主任務とする為に火砲を37mmと抑えて、その代わりソ連戦車としては珍しい大型の無線機を搭載させている事であった。

 KV-2戦車派は、中途半端なT-34戦車ではなくKV-2戦車とT-45戦車の組み合わせこそが最適解であると主張し、逆にT-34戦車派はKV-2戦車やT-45戦車を組み合わせる様な事をすれば後方への負担を強く強いる事になるので主力となる戦車はT-34戦車で統一するべきだと主張した。

 この2派の対立は、ソ連陸軍上層部を悩ませる事となる。

 この為、玉虫色ではあったが、当座は各戦車を試験的に量産し、運用試験を行って様子を見る事とされた。

 

 

――ドイツ

 ヒトラーは激怒した。

 選ばれしアーリア人が、多少進歩した程度の東洋人に負けるのは断じて許せぬと激怒した。

 その結果、生まれたのはVK6505(P)試製駆逐戦車であったが、流石のヒトラーもこの重量70tを超える超重量級の試作駆逐戦車を量産する様に命じる程に血迷ってはいなかった。

 だが量産できる重戦車を至急開発配備する事は厳命した。

 この政治からの要求に、ドイツ陸軍はかねてより陣地突破用の重戦車として研究をしていた45t級のVK45戦車案をたたき台として開発を進める。

 早期実用化と生産性の容易さへの要求から、31式戦車shock以降に開発される戦車のトレンドである傾斜装甲を取り入れていない垂直な装甲で囲われた戦車となった。

 傾斜させないが故に抱える装甲の効率の悪さは、装甲そのものを厚くすると言う力技で解決を図っていた。

 それ程に、早期の実用化を目指したのだ。

 この為、重量は計画原案の45tから大きく膨れ上がる事となり、最終的には59tにも達した。

 この事は本戦車 ―― Ⅳ号戦車の足回りに尋常では無い負担を与える事となったが、ドイツ陸軍はⅣ号戦車を陣地突破と守勢攻撃用の戦車としての役割を担うものと定めた為、特に大きく問題視はしなかった。

 主砲は長砲身8.8㎝砲を搭載している。

 1938年の時点に於いて、日本戦車を除く全ての列強の戦車を屠れる戦車であった。

 但し、Ⅳ号戦車が高コストである事はドイツ陸軍以上にドイツ軍需省が問題視し、Ⅳ号戦車の大量産には反対の声を上げる。

 対してドイツ陸軍も、軍馬として使える戦車を数的な主力とする事を約束し、開発を行った。

 現在主力戦車として保有しているⅢ号戦車をチャイナ向けに開発したⅢ号戦車C型、これを元に各部を改良し主砲は長砲身化した75㎜に換装したⅢ号戦車D型である。

 設計時に余裕を見込んでいたお蔭で、27tと重量が増えては居たが特に問題を生まず、先ず先ずの性能を発揮した。

 ドイツ陸軍は当座、このⅢ号戦車の改良型で各国の新型戦車に対抗しつつ、更なる40t級の戦車開発に邁進する事となる。

 

 

――イタリア

 イタリアは恐怖した。

 それなりの自信を持ってソ連に送り出した義勇装甲旅団が何の成果を上げる事も無く壊滅した事に。

 そして、それ以降のドイツやソ連、或はG4諸国が行っている戦車開発競争の規模に。

 イタリアとて列強と呼ばれる国家ではあったが、その重工業はひいき目に見ても発展しているとは言い辛く、20t級の戦車の開発と配備が精々であるというのがイタリア政府の自己分析であった。

 一応は新戦車の開発を行っては居たが、既に諸外国では30t級や40t級を平気で開発し、量産している。

 ドイツなどは50tを超える超戦車を開発しているのだ。

 この状況にイタリアが恐怖するのも当然であった。

 ドイツとの連携を重視する一部のイタリア人からは、ドイツとの同盟関係を締結し、ドイツから戦車の輸入を行うべきであるとの声も上がったが、ムッソリーニはその声に容易に賛同はしなかった。

 ドイツとの同盟強化を行えば、短期的には国防力が向上するが、同時に、ドイツ以上の軍事力を持ち、ドイツと対立しているフランスとの関係が決定的に悪化するのが見えているからだ。

 ドイツとフランスが戦争を始めた場合、ドイツは後背のポーランドにも対応する必要がある為、フランスに勝利するのは難しいだろう。

 又、フランスには事実上の同盟国であるブリテンと日本が居る。

 であればイタリアがドイツに与する事は自殺行為である ―― ムッソリーニは冷徹にそう判断していた。

 ドイツにも事実上の同盟国であり陸軍大国でもあるソ連が居るので、戦争になっても簡単に負ける事はないかもしれないが、そのソ連は日本やアメリカと対峙しているのだ。

 どう見てもドイツにソ連が加わっても分が悪かった。

 それに何より、イタリアはドイツ同様に国家社会主義 ―― ファシズムによる政治を行っているが、フランスとはそこまで緊張関係には無いのだ。

 ブリテンや日本とも、エチオピア帝国を植民地化しようとした際に邪魔をされた恨みこそあるが、では積極的に戦争を仕掛けたいのかと問われれば、否と言える程度の関係は保っていた。

 或は、現段階でフランスがドイツに宣戦布告をした場合でも巻き添えを喰らわぬ程度に、G4諸国と友好関係を維持していると言えた。

 ある意味でドイツ・ソ連寄りではありながらも、G4諸国との間でやや中立的な立場にイタリアは居るのだ。

 微妙な位置に居るイタリアの舵取りに悩むムッソリーニ。

 職務の傍ら、痛飲と暴食を重ねる日々。

 そこに救いの手が差し伸べられた。

 それは日本からイタリアに戻っていた、元在日伊国大使館員であった。

 イタリアを愛するが故に、ファシズムではあってもとイタリアに帰国し、在野にて仕事を得ていた。

 その生活の中で、未来で想像していたイタリアとは異なる安定しているファシズム下のイタリアに感銘を受け、そして国民から愛されイタリアの漢気を魅せるムッソリーニに惚れこみ、協力を申し出たのだ。

 未来の情報と共に。

 それは、イタリアの植民地であるリビアの油田に関する情報であった。

 ムッソリーニは歓喜した。

 決断した。

 この油田の開発権益を日本に売りつける事を。

 その対価として日本が主導権を持って開発しているシベリアと言う市場に、そして日本連邦という大市場に優先的権利を持ってアクセスする権利を求める事を。

 無論、イタリアも日本に対して貿易に於ける優先権を与える積りであった。

 これは即ち、ムッソリーニは同じファシズム国家であるドイツを見限り、友好国であるソ連を見捨て、日本 ―― G4へと与するという決断であった。

 重要な戦車に関しては、G4諸国から輸入してしまえば良いと開き直ったのだ。

 何ならば、日本が第3国向けに開発中と宣伝している中戦車、後の38式戦車を買えれば最高であるとすら思った。

 このイタリアの決断は、世界に凄まじい衝撃を与える事となる。

 

 

 

 

 

(※1)

 T-34戦車の命名は、その重量から取られている。

 T-45戦車の命名は、その前面装甲厚から取られている。

 但し、T-45戦車の開発チームはT-34戦車をライバル視して居た為、数字の上で上位になるようにと命名に装甲厚を選択したという面もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




2019.06.16 題名を修正

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