+
国際連盟にてチャイナ代表が議会の流れを打ち壊すのと同時期に、チャイナ共産党が動き出す。
チャイナとフロンティア共和国 ―― アメリカを対立させ、最終的に戦争を起こさせる事でチャイナの国力を疲弊させ、チャイナの大地をチャイナ共産党が支配するという目論見であった。
チャイナは、チャイナ共産党が煽っている
その上でチャイナは満州掌握の為としてドイツから大量の戦車や戦闘機、火砲を導入している。
既にその規模は準列強の規模 ―― 戦車は500両を越え、戦闘機は1000機を超える規模を誇っており、国際連盟の場でアメリカがドイツに対し「野放図な武器の売却は戦争の火種になる可能性がある」と苦言を呈する程であった。
これ程の軍備拡張をする原資は何かと言えば重税、そして各種希少資源の採掘権の売却であった。
資源の採掘権の売却は、言わばチャイナ国内の植民地化に繋がる行為であり、”満州の植民地からの回収”をスローガンにしつつ、それを行う為に国内に植民地状態を生み出すと言うのは余りにも皮肉な現実であった。
又、皮肉と言う意味では重税も皮肉であった。
重税を課せられたチャイナ国民は、生活の苦しさの中でチャイナ共産党が宣伝する豊かな大地である満州に夢を見た。
豊かな大地があり、先進的な工業があり、石油すらある満州は、チャイナ人にとって豊かになれる理想郷であった。
だがそれをフロンティア共和国とアメリカが独占し、コリア系日本人の棒子(※1)が邪魔をしている。
チャイナ共産党の宣伝もあってチャイナ人はそう思い込んでいた。
故にチャイナ人の大衆から裕福層までチャイナ政府へ ”(歴史的経緯は抜きにして)先祖伝来の地である満州を外敵より奪還し国民を豊かにせねばならない” と連呼する様になったのだ。
この国民の声に応える為、チャイナは当初の予定を越えて軍備を拡張する事(※2)となり、更なる重税が課せられていくのだから、皮肉以外の何ものでもないだろう。
――アメリカ/フロンティア共和国
アメリカ政府は、チャイナ内部で進行している対フロンティア共和国戦争準備を軽視してはいなかった。
だが同時に、平時のアメリカに大規模な軍事部隊をフロンティア共和国に展開させるだけの予算は無かった。
現時点でアメリカがフロンティア共和国に駐留させているのは戦車師団1個と歩兵師団2個だけであった。
これに5個のフロンティア共和国軍歩兵師団が加わる。
全ての部隊が機械化、或は自動車化されており、決して小規模な軍隊では無いが、チャイナが全力で殴り掛かってきた場合に安心して居られる程の戦力と言う訳では無かった。
この為、航空機による対地攻撃力を強化する事で抑止力とする計算であった。
日本のAP-3を真似る形で開発した制圧攻撃機、AB-17とAC-47の2機種を70機近く配備していた。
無論、対地航空部隊が自由に活動できる為の制空航空部隊の手配もおざなりにはされなかった。
フロンティア共和国各地に各機種併せて500機近い戦闘機を駐留させていた。
その中には、日本が第3国向けに開発した空冷エンジン型の汎用戦闘機F-6(※3)も1個飛行隊分含まれて居た。
又、航空支援などの教導に、グアム共和国軍(在日米軍)からも人員が派遣されていた。
出来る限りの防御を固めたアメリカとフロンティア共和国であったが、出来る限りは戦争を回避したいと言うのが心情で在り、外交ルートでのチャイナ政府との接触を行ってはいた。
――チャイナ共産党
チャイナ共産党にとって平穏は敵であった。
相次ぐ敗戦で実戦部隊が枯渇したチャイナ共産党軍は、シベリア共和国が生まれた為にソ連からの支援も満足に受けられず、独力で既存のチャイナの統治体制打破を目指す武力闘争が出来ぬ程に脆弱な存在に成り果てていた。
であればこそチャイナ共産党は、チャイナ政府軍とアメリカ軍が四つに組む戦争を望んでいた。
この為、チャイナとフロンティア共和国の国境線地帯での活動に力を入れていく。
――チャイナ
チャイナ政府としては、アメリカやフロンティア共和国と対峙はすれども決定的な事態 ―― 武力衝突には至らぬ様に注意していた。
フロンティア共和国はG4、列強、国際連盟に支持された国家だ。
そんな国を戦争で否定し、蹂躙し、我がものとするには圧倒的な勝利が必要であるとチャイナ政府は考えていた。
それにはまだ戦力が足りない。
ドイツに発注した軍備も揃っていないのだ。
故に、現時点では満州奪還の戦を始めるべきはいまでは無いと思っていた。
だがチャイナの民心はそうでは無い。
豊かさを求め満州奪還を叫ぶ大衆からの圧力は、民主主義国家では無いチャイナにとっても無視し得るものでは無かった。
この為にチャイナは民心のガス抜きとして、フロンティア共和国との国境付近で4個師団を動員した大演習を行う事を決意し、宣伝した。
宣伝する理由の半分は、フロンティア共和国への圧力であった。
同時に、不随意に戦争を起こさぬ為の努力でもあった。
アメリカ/フロンティア共和国も国境線を挟んだ場所に2個師団を動員し、演習 ―― 対応訓練を行う事を宣言していた。
全てはそれで終わる筈だった。
その目論みをチャイナ共産党が壊す。
チャイナ軍とフロンティア共和国軍に放たれた弾丸、国境線を突破された跡。
地獄の釜が開く。
(※1)
日本人への総称的な蔑称である日本鬼子とは別に、フロンティア共和国の国境線でチャイナ人の不法入国を断固とした態度で阻止しているコリア系日本人は棒子と呼び、恐れた。
名前の由来は発見した不法入国者を、棒で容赦なく殴りつける為であった。
(※2)
当初は400両程度の整備を見ていたドイツ製戦車配備が、最終的には1000両に達する事になった。
Ⅲ号戦車系が600両、Ⅳ号戦車が200両、そして補助戦力としてⅢ号戦車の車体を基に8.8㎝砲を搭載する重対戦車車両であるC型Ⅲ号突撃砲が200両である。
C型Ⅲ号突撃砲は、チャイナに建設された戦車工場で独自に開発された車両、第1号となった。
この時点でアメリカが事実上の重戦車であるM24戦車の開発と配備を行っている事をチャイナも把握しており、対抗できるⅣ号戦車の購入を決定はしていたのだが、同時にⅣ号戦車が車両価格の高さ故に大量配備が困難である為、より安価な対戦車車両を欲したチャイナ政府の要求に応える形で開発された。
絶対的な要求として、M24戦車を撃破可能な8.8㎝砲の採用があった。
だが30t以下の重量であるⅢ号戦車系の車体に重量級の8.8㎝砲を搭載するのは不可能であった。
戦車で無理であれば、ドイツ本国で開発運用されているⅢ号突撃砲のスタイルであればどうかと言えば、此方も車高を下げる為にやや手狭となっているⅢ号突撃砲の戦闘室では、8.8㎝砲を搭載する事は困難であった。
難題に当たったドイツ人技師は、発想の転換を行う事とした。
前例はVK6505(P)。
車体は前後逆としてエンジンを車体前面に配置、戦闘室を後方へと引き下げたこの配置であれば、8.8㎝砲を搭載し、正面に十分な装甲を充てられるという計算であった。
ダグイン戦術を使う前提で車体の正面装甲は厚くせず、戦闘室正面のみⅣ号戦車と同格の100㎜厚とする割り切りであった。
これによって完成したC型Ⅲ号突撃砲は31tという準中量級の重量の割に絶大な火力を持った対戦車車両として完成する事となった。
無論、弱点は多い。
戦闘室正面以外の装甲は脆弱の1言であり、重量バランスの悪さから機動性能は良好とは言い難かった。
だがそれでも、チャイナが独自に開発した車両と言う事で、チャイナの誉れ“鉄牛戦車”と謳われる事となる。
(※3)
F-6戦闘機は、アメリカから輸入した1000馬力級空冷エンジンを搭載した局地戦闘機として完成していた。
1000馬力級エンジンはデジタル制御の導入を含めた各部の調整が行われており、最大で1200馬力近い出力が出る様になっている。
武装は12.7㎜砲4門か機載用に新開発された20㎜砲4門、乃至は混載が可能な様になっている。
防弾性能にも十分な配慮が行われている。
特徴としては、近距離防空任務向けとして航続性能を割り切った局地戦闘機とした為、機体がコンパクトに纏める事が出来た点にある。
又、第3国向けではあるが製造コストの面から統合ディスプレイや感圧式操縦桿、整備用の自己診断システムなどが搭載されている為、最初に導入したアメリカ軍などでは、実際に運用を開始するまでに日本の技術者を呼んで試行錯誤を繰り返す事となった。
この経緯があって、アメリカ軍のF-6戦闘機部隊はフロンティア共和国に駐屯している。
アメリカ本土には2機が送られ、試験と解体調査が行われた。
尚、このF-6戦闘機はシベリア共和国を最大の顧客として想定しており、寒冷地での運用に向けた設計が成されている。
だがソ連軍機と最初に交戦したのは、シベリアでは無くカレリアの空であった。
その建国の経緯故にソ連と対峙する事に躊躇の無いシベリア共和国は、フィンランドの危機に際して大規模な支援を行っていた。
尚、輸出向け戦闘機と言う事で
尤も、日本国内では空冷エンジンを採用している事から何処となく三菱A6Mと似ているとして、“令戦”なる渾名がマスコミの手で広められていたが。
2019/11/15 題名変更