タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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055 カレリア地峡紛争-4

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 第391任務部隊(TF-391)に護衛されたフィンランド人道支援船団とアドミラル・エヴァルトは、日本連邦統合軍クェート基地を経由して第2スエズ運河を通り、ブリテン島はポーツマス軍港へと入港した。

 ここで艦船の整備と、乗組員たちの休養を行った。

 ここから先は事実上の敵地とTF-391司令部は判断しており、万が一の事態が発生せぬ様に万全を期す為であった。

 特に、シベリア共和国が用意した輸送船はアメリカやブリテンの船会社から借り受けたものが多かった為、日本船籍のものと比較すると小型な船が多く船員たちの消耗も激しかったのだ。

 TF-391側でも、空母型護衛艦ずいかくや防空護衛艦むさしといった居住性にも十分な配慮がなされた大型艦は兎も角、3900tという比較的小規模で尚且つ乗員が少ないあさかぜ型多機能護衛艦(FFM)の乗員の疲労は無視できるものでは無かった。

 幸い、フィンランドとソ連との状況は未だ開戦には至っておらず、又、一触即発と言うべき緊張状態にも陥っていなかった為(※1)、TF-391司令部は日本政府やシベリア共和国政府、そしてフィンランド政府に確認の上で2週間の整備と休養の時間を取った。

 

 

――ドイツ

 日本艦隊の情報を少しでも得ようとポーツマスにスパイを投入し、又、大型漁船を徴発しスパイ船に仕立て上げてその行動を監視しようとしていた。

 諜報活動であると同時に、ある意味で日本に対する意趣返しであった。

 ドイツ領海のすぐ外をP-1哨戒機が定期的に飛行しており、これにドイツ空軍が監視と称して嫌がらせに飛行機を派遣したのだが、全くと言って良い程に相手にされなかった為、著しく面子が傷つけられていたのだ。

 航続距離を考えて爆撃機を派遣すれば、余りの速度差に完全に置いてけぼりとなった。

 速度を考えて戦闘機を派遣すれば、最高速度を出せる短時間だけは追従できる(※2)のだが、燃料を余りにも消費する為に30分もせぬうちに撤退する羽目に陥っていた。

 この事態は、ドイツ空軍の責任問題にまで発展していた。

 それ故に、ヒトラーはジェットエンジン機の開発に対し更なる注力を命じていく事となる。

 

 

――ブリテン

 日本の持ち込んだP-1哨戒機は、世界大戦で受けた潜水艦被害の記憶が生々しいブリテンにとって、喉から手が出る程に欲しい航空機であった。

 日本との演習にて、その性能を理解したブリテンは、日本に対して何が何でも売って欲しいと要求する事となる。

 日本としては拡大G4協定によって先進武器売却の縛りの緩いブリテンであれば、P-1哨戒機の売却に関しては吝かでは無かった。

 売却の条件としては、分解解析(リバース・エンジリアニング)を行わない事と転売を行わない事、そして消耗品の一切を日本から輸入する事であった。

 完全な輸入品と言う事にブリテンは難色を示したが、日本が稼働率に直結する部分に関してはブリテン内の日本連邦統合軍航空基地に充分な集積を行う事を提案した為、納得する事となる。

 この様に一時は契約寸前まで進んだブリテンのP-1哨戒機購入であったが、思わぬ所からストップが入る事となる。

 声を上げたのはブリテンの情報分析提案組織であるPFI機関(Prosperity through information)であった。

 PFI機関とは、元在日英国大使館関係者や在日英国人でブリテンに帰順した人々が所属し、未来情報を基に様々な提案を内閣に対して行う組織であった。

 そのPFI機関の人間で、元英王立海軍士官であった人間が、前のめりになっていた政府とブリテン海軍を止めたのだ。

 その声はP-1哨戒機を購入するのは良いが、運用し続けるコストは計算しているのか、との疑問であった。

 P-1哨戒機を運用する上で必要となるインフラ、パイロットは当然にしても航空基地の整備に始まってエンジンやアビオニクスの整備する人間まで1から教育する必要がある。

 その上で、小は燃料から大は弾薬や保守部品、消耗品の数々を全て日本から購入し続ける必要がある。

 特に大量に消耗する事となるソノブイの価格は、決して無視できるものでは無かった。

 その事を冷静に計算しているのか、という声であった。

 冷静なPFI機関の声に、ブリテン海軍上層部は、世界帝国として繁栄を極めているブリテンの経済力であれば、日本の高額機であっても購入も運用も思うが儘であると返事をした。

 だがブリテン政府は、少しだけ冷静になって、日本に確認を行った。

 日本は導入コストから1回の作戦行動辺りで掛かるコストを含めてライフサイクルコストを提示した所、ブリテン政府はもとより海軍上層部まで顔を真っ青にして卒倒寸前になった。

 高額であろうとは予想はしていたが、まさか1個飛行隊分の航空機を揃えるだけで、戦艦が数隻から撃沈(・・)されるというのは予想外であったのだ。

 世界帝国として、世界中に部隊を展開せねばならぬブリテンとしては、高性能も大事ではあるが数を揃える事も大事なのだから。

 慌てて、ブリテン政府はP-1哨戒機の導入をキャンセルし、次善の策を検討する事となる。

 1つはP-1哨戒機との更新で退役したP-3C哨戒機の導入であった。

 既に日本連邦統合軍では完全に退役しているP-3C哨戒機であったが、状態の良いものは樺太で予備機として保存されているのだ。

 だが再就役に掛かるコストは決して安いものでは無く、周辺インフラの整備には矢張り莫大なコストが掛かる。

 その上で機体自体の余命はそこまで永くは無い。

 ブリテンからすれば魅力的な案では無かった。

 最終的に日本とブリテンは共同で汎用の大型機 ―― 4発エンジン機を開発し、それを基に対潜哨戒機の開発を行う事となる(※3)。

 尚、コストの問題もあってソノブイの搭載は計画立案時から諦められており、磁気探知システム(MAD)と対水上レーダーによる哨戒が主要装備と定められた。

 

 

――第391任務部隊

 休息と補給を行ったTF-391は、陣容を更に拡大する事となる。

 ブリテンなどの義援物資や義勇部隊を載せた船舶も護衛する事となったからである。

 これは、ソ連が声高に国際連盟による介入を批判する為、万が一の可能性(・・・・・・・)を考慮しての事だった。

 当然ながらも、ブリテンからも巡洋艦を中心とした護衛部隊が参加する事となった。

 TF-391司令部は、その配置を輸送船などの直衛とした。

 これはソ連の妨害活動に於いて潜水艦が一番厄介であろうと言う判断に基づくものであった。

 TF-391司令部の認識としては、ブリテンの護衛部隊()護衛対象であった。

 ブリテンの駆逐艦が潜水艦に対して無力だと言う訳では無い。

 だがTF-391に所属する対潜任務艦群にとっては、水中雑音を放出し過ぎるので傍に居て欲しくないと言うのが正直な感想であった。

 TF-391はそれ程の緊張感を持って水中の敵に対処しようとしていた。

 尚、水上及び空中の敵に関して言えば、油断はして居ないが、TF-391の実力であれば一方的に撃破可能と言うのが事前の戦術分析(オペレーションズ・リサーチ)の結果であった。

 又、そこまで堂々と戦争の危険性を乗り越えてソ連が前に出て来る事は無いだろうと言う判断もあった。

 

 

――フランス

 盛大な船団を組んで出港するTF-391。

 だが、その前に出港した船団があった。

 フランスの義勇物資輸送船団である。

 義勇物資輸送船団は、TF-391の派手な出港式典を隠れ蓑にする様にブレスト軍港を出港した。

 これは、フランス国内の政治状況、国民の一部に存在するソ連へのシンパシーを感じている市民の反発が大きく出ない様に、だが同時にフランスの欧州盟主と言う立場がフィンランドへのソ連の不当な行為を座視する事は出来ないと言う、2つの立場のバランスを取ったものであった。

 船団の旗艦はアメリカの支援を受けて建造され、就役したばかりの22000t級新鋭高速空母ジョフレであった。

 密閉式格納庫を持つ点ではアメリカ式の設計とは異なっているが、アメリカが重ねて来た空母運用ノウハウを加味して建造されたジョフレは、フランス海軍初の空母ではあったが、高い完成度を誇っている。

 ジョフレにはフランスがフィンランドへ売却した航空機と大量の武器弾薬が積み込まれていた。

 フランス政府は、ソ連が妨害に出る可能性を考慮して、物資の輸送にジョフレを筆頭とした高速艦を充てる事としていたのだ。

 空母1隻と護衛の駆逐艦2隻という小規模な編成であるのも、快速の為であった。

 世界とソ連の耳目がTF-391に集まっている内にフランスの義勇物資輸送船団はフィンランドへ駆け込む予定であった。

 問題は、ソ連の戦意が世界のフランスの予想を遥かに上回っていた事だろう。

 そしてもう1つ、船団の中心に居るのがジョフレ ―― 空母であった事がスカゲラック海峡で悲劇を生む事となる。

 

 

――スカゲラック海峡事件

 国家からの絶対命令でシベリア共和国のアドミラル・エヴァルトと日本のずいかくを狙っていたソ連潜水艦部隊。

 その前衛であったソ連の漁船へ偽装した情報収集船は3隻、TF-391の出港の情報を得て以降、緊張感を持ってスカゲラック海峡を遊弋していた。

 情報収集船には、可能であればTF-391に追従する事が求められていた。

 そして、活動中の情報収集船2号艦が空母(ジョフレ)を発見した。

 霧の出た悪条件下であったが、戦艦や輸送船とは違う特徴的な構造を持つ空母は容易に識別出来た。

 無線で空母発見を打電した情報収集船。

 それを受信したスカゲラック海峡に展開中であったソ連潜水艦の艦長は驚くと共に歓喜した。

 功名心に逸った艦長は絶好の襲撃の機会であると判断した。

 本来ソ連潜水艦部隊は、TF-391がバルト海に進入後に襲撃を行う予定であり、情報収集船の無線を受信した潜水艦は本来、襲撃任務を予定していなかった。

 だが近海を空母が2隻しか護衛を付けずに航行していると言う絶好の機会を逃すのは余りにも勿体ないと判断した。

 政治将校が当初の作戦からは逸脱する事を懸念するが、艦長は空母を撃沈すればフィンランドへの増援を阻止すると言う本来の目的を達成出来ると反論、その上で懸賞金の事を述べた。

 これに、最終的に政治将校も同意し、潜水艦は空母へ襲撃を行う事とした。

 この時点でジョフレは霧の出る悪天候の為、民間籍船との接触事故などを恐れて速度を落としていた。

 この為、ソ連潜水艦は絶好の射点を得る事となる。

 放たれた魚雷は4発。

 うち2発が、ジョフレの右舷に命中する事となる。

 

 ジョフレ襲撃を受けるとの一報を最初に受けたのは、TF-391本隊から先行していたひゅうがを旗艦とする第391.2任務部隊(TF-391.2)であった。

 急行したTF-391.2が見たのは、傾斜し轟轟と燃えているジョフレであった。

 TF-391.2の指揮官は、救難活動を宣言し、洋上に避難したジョフレ乗組員の救助と共に、ジョフレの消火活動に協力する事とした。

 同時に、この被害が機雷乃至は魚雷によるものである可能性を考慮し、指揮下のたかなみ型護衛艦部隊には周辺警戒を命じた。

 この時点で襲撃したソ連潜水艦は脱兎の如く離脱していた為、ジョフレの報復に成功する事は無かった。

 

 喫水線の下に2発の魚雷を受けたジョフレであったが、アメリカ式のタフな設計に助けられて即座に沈没する事は無かった。

 又、機関室も全滅する事が無かったお蔭で微速ながらも移動する事が可能であった為、ジョフレの艦長はジョフレをスウェーデンへと動かし、浅瀬に座礁させる事に成功した。

 だが幸運であったのはここまでであった。

 火災の原因でもあった、満載した救援物資は三日三晩と燃え続け、ジョフレの喫水線から上の構造物を燃やし尽くしたのだった。

 

 

 

 

 

(※1)

 ソ連も、TF-391がバルト海に入った時点で平時 ―― まだ戦時では無いと油断させる為、意図的にフィンランドとの交渉を引き延ばしていた。

 

 

(※2)

 ドイツ側は、この成果に日本の大型ジェットエンジン機の性能はさして高く無いと判断していた。

 だが日本/P-1側は洋上哨戒の為に、ドイツ側が邪魔できない程度に速度を抑えていたと言うのが実状であった。

 この誤解は、TF-391がバルト海進出を図るのと前後して、E-767が本格的な活動を開始するまで続いた。

 

 

(※3)

 ブリテンの主要パートナー企業はアブロ社が担い、そこにビッカースなどのブリテンの航空機メーカーが参加する形となった。

 これは、航空機の開発で日本の開発スタイルを少しでも各メーカーに吸収させたいと言うブリテン政府の判断であった。

 

 

 

 

 

 




2019/10/11 FFMをつしま型からあさかぜ型へと変更
2019/11/15 題名変更

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